第226話  「日本語千夜一話」中締め


  「日本語千夜一話」も200話を超えた。ことばへ の興味は千の鏡で照らしてみても尽きない。しかし、2003年に『古代日本語の来た道』(私家版)を出してから10年になったのを機会に中締めとすること にしたい、と思うようになった。

1.10年の歩み

 日本語はどこから来たのか、という問いは誰でも一 度はしてみる問いである。しかし、専門家のなかでも諸説あり、その起源は分からない。「やまとことば」は日本列島で生れた大和民族固有のことばであると考 えている人もいる。

 「やまとことば」の起源をたどるためには古代日本 語の形を解明し、そこからさらに古い時代に遡らなければならいと考えたのが、2003年『古代日本語の来た道』(私家版・電子印刷)である。

 2006年には「日本語と古代中国語」(吉田金彦 編『日本語の語源を学ぶ人のために』世界思想社)その概要を紹介するように求められた。

 2007年には、当時客員教授をしていた大正大学 紀要に「『やまとことば』のなかの中国語からの借用語」を寄稿した。(大正大學研究紀要第92輯)(参照:第107話~第114話)

 2009年から2010年にかけて中部大学編「ア リーナ」に3回にわたって寄稿したこれらの論文は『日本語千夜一話』にも反映され た

 「やまとことば」再考~改訂版「古事記傳」の試み ~(2009年、中部大学編「アリーナ」第6号) (参照:第 115話~第122話)
 「はじめにことばありき」考~日本語比較言語学の 企て~(
2009年、中部大学編「アリーナ」第7 号)(参照:第98話~第106話)
 「やまとことばの成立~万葉集に古代日本語の痕跡 を探る~(
2010年、中部大学編「アリーナ」第 8号)(参照:第 123話~第130話)

2.『日本語千夜一話』の歩み

 『日本語千夜一 話』は千夜続くはずであった。とはいうものの「千」というのは「白髪三千丈」の喩のごとく、修辞でもある。2003年当時、著者が興味をもっていたのは、 中国の音韻学であった。西洋言語学では音韻学という学問の分野があるが、それとは別に中国には隋唐の時代から詩の韻の学問でもある韻学というものがあり、 隋唐の時代の漢字音が復元できるということを知った。

 日本語ははじめ、文字のない言語であり、漢字で表 記されていた。『古事記』『日本書紀』『万葉集』は漢字だけで書かれている。日本の古典の解読に中国の韻学の知見をあてはめれば、漢字で書かれた日本の古 典の当時の音が復元できるのではないかと考えるようになった。

 現段階で『日本語千夜一話』をふり返ってみると次 のような構成になっている。これは、当初から予定されたものではなく、日本語のありようについて、一つの問いを解いていくと、新たに問いが生まれ、それを 連ねてきたもの意外の何物でもない。

  古代日本語の来た道(第1話~第11話)、
 古代日本語の解読(第12話~第20話)、
 万葉集の日本語(第21話~第31話)、
 文字時代以前の日本語(第32話~第41話)、
 漢字文化圏のことば(第42話~第53話)、
 漢字の読み方(第54話~第59話)、
 弥生時代の日本語(第60話~第67話)、
 古事記の日本語(第68話~第77話)、
 日本語のかたち(第78話~第85話)、
 日本語の系統(第86話~第97話)、
 聖書のことば(第98話~第106話)、
 「やまとことば」のなかの中国語からの借用語(第 107話~第114話)、
 「やまとことば」再考~改訂版『古事記傳』の試み (第115話~第122話)、
 「やまとことば」の成立~万葉集に古代日本語の痕 跡を探る~(第123話~第130話)、
 弥生時代の日本語の痕跡を求めて(第131話~第 137話)、
 よみがえる八世紀の日本語(第138話~第141 話)、
 漢字の海へ(第142話~第148話)、
 コンピュータは日本語を理解できるか(第149話 ~第153話)、
 ことばの明治維新~漢学から洋学へ~(第154話 ~第159話)、
 古代日本語語源字典(第160話~第206話)、
 『源氏物語』を読む(第207話~第225話)、

 3.古代日本語を探る

 古代日本語を探る方法には3つの方法論がある。

 第一の方法は、国学の方法である。国学は日本の古 学であり、『古事記』『日本書紀』『万葉集』の日本語を研究することにより、古代日本語の姿を探るものである。
 第二の方法は、一般言語学の方法である。一般言語 学あるいは西洋言語学では19世紀に言語系統論が発達しており、これを日本語の研究に応用しようとする方法論である。
 第三の方法は、日本語を朝鮮語や中国語、など近隣 の言語と比較検討し、日本語の位置を確かめようとするものである。

 しかし、残念なことに、国学の学徒の多くは、一般 言語学にほとんど関心がなく、日本語以外の言語についての知識が乏しいから、日本語は日本列島で生まれた特殊な言語であり、「やまとことば」は純粋である と考える傾向がある。
 また、一般言語学の学徒は最近数は増えているが、 西洋言語学を研究し、あるいは一部未開地の少数言語などを研究している。しかし、日本の古典についてあわせて知識をもっている人は稀である。
 最後に、漢学者は江戸時代の漢学者の伝統を受け継 ぐ人が多く、中国の古典の研究を専らとしている。古典の解釈に傾注しており、中国語の音韻について研究している人はきわめて少ない。

 筆者はテレビ出身なので、そのどの分野の専門家で もないが、ジャーナリストの特権で、どの分野にも相応の興味をもっている。最近の学問は専門分野がますます細分化され、それ ぞれの分野は深められているが、学際的な分野は見逃されがちである。
 理科系の分野で は、専門分野は細分化しているものの、工学という分野がり、それが応用化学として各専門分野を結ぶ役割を果たしているように思われる。文科系の分野でも 「ポピュラーサイエンス」のような、総合化する分野があってもいいのではないかというのが筆者の意見である。

 『日本語千夜一話』では、日本語の系統について明 らかにできたとはいえない。しかし、現代の日本語が成立するまでにいたった道をある程度明らかにすることができたかな、と思う。もとより古代の言語のこと であるから、推論の部分もあり、個別の単語については異論のあるところもあると思う。日本語は『古事記』『日本書紀』『万葉集』が成立 する千年も前から古代中国語や朝鮮語と接触しており、「やまとことば」のなかにはかなりの数の中国語が弥生語あるいは倭音として取り入れられていることは 明らかになったものと考えている。

 また、新たな問題意識が生まれ『日本語千夜一話』 をさらに継続したいと思う日があるかも知れないけれども、喜寿を迎えるにあたり、ここで一旦擱筆することとしたい。HPの容量は10MGを越えた。『日本語千夜一話』の執筆にあたって、は国学、一 般言語学、中国語言語学の成果を参考にさせていただいた。

 参考文献:                     

Karlgren, Bernhard  ”Philology and Ancient China” Oslo,1920(日本語訳、岩村忍・魚返善雄訳『世界言語学名著 選集、第Ⅱ期東南アジア言語編、第3巻支那言語学概論』所収、ゆまに書房、1999年)、

Karlgren, Bernhard ”Word Families in Chinese” Stockholm,1934、

Karlgren, Bernhard ”Grammata Serica - Script and Phonetics in Chinese and Chino-Japanese” Stockholm,1940

亀井孝 ”Chinese Borrowings in Preliterate Japanese”(『亀 井孝論文集3』所収、吉川弘文館、昭和59年)

王力『同源字典』商務印書館、北京、1997年、1982年第1版

王力『詩経韻読』上海古籍出版社出版、1980

王力『漢語語音史』中国社会科学出版社、北京、1985

董同龢『上古音韵表稿』中央研究院歴史言語研究所 出版、台北、中華民国86年、33年初版

藤堂明保『中国語音韻論~その歴史的研究~』光生 館、1980

李基文著・藤本幸夫訳『韓国語の歴史』大修館書 店、1975年、

白川静『字通』平凡社、1997年、1996年初版

宮田一郎編著『上海常用同音字典』光生館、昭和六 十三年

『時代別国語大辞典・上代編』三省堂、昭和四十二 年

大野晋ほか『岩波古語辞典・補訂版』岩波書店、1990年、1974年第1版

 

4.著者の自己紹介

小林昭美(こばやし・あきよし)

1937年 長野県生れ。東京教育大学文学部英語学・英米文学科卒。NHKに入り教育・教養番組ディレクター。その間フルブライト留学生としてニューヨーク大学留学。 NHK放送文化研究所所長。(財)NHKインターナショナル理事長。大正大学文学部客員教授。NPO法人「地球ことば村」理事。

連絡先:a-koba84@hyper.ocn.ne.jp

 



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