第131話  古代日本語私記 

 サラリーマン人生も第4コーナーをまわったこ ろ、毎日が日曜日になったら人生どう過ごすべきか考えるようになった。絵を描いたり、歌をよんだりして過ごすことができれば最高だが、自分にはそんな才能 はない。 

 そこで考えた のがエジプトの絵文字(ヒエログリフ)の解読だった。ヨーロッパなどへ出かけるたびに入門書、辞書、文法書、『死者の書』などを博物館の売店などで買い集 めて、少しはエジプトの絵文字の輪郭が分かるようになった。ヒエログリフは漢字と同様に象形文字である。しかし、クレオパトラを表すのに美人の似顔絵を描 いても、世の中には美人は多いし、クレオパトラと特定することはむずかしい。そこで、クレオパトラのレオという音を表すのにライオンを描いて表す音借とい うような工夫が行われている。また、「水」は波形を三つ描いて表すが、この同じ文字が所有格の「の」を表すのにも用いられる。古代エジプト語では「水」と 「の」が同じ発音だからである。 

 ヒエログリフ はおもしろい。ライオンが右を向いていれば、これは右から読めということであり、左を向いていれば左から読めということである。オベリスクのように上から 下に向かった書くこともできる。しかし、エジプトの墓やピラミッドの内壁に描かれている文字を解読してみると、つまるところ「わが王さまは死後の世界にお いても、美女にかこまれ、山海の珍味に恵まれますように」という願いが、ことばを変え品を変えて書かれているのである。これはわが老後の人生としては見込 み違いだ。 

 私の老後は良 寛さんである。庵に住んで一日五合の米さえ托鉢できれば、あとは万葉集を読み、歌や詩を作り、書を書いて過ごす。良寛さんになるのは無理にしても、まず古 事記、日本書紀を読み、ゆったりと時間をかけて万葉集を読んでみようと決意するにいたった。記紀万葉は戦前の日本では皇国の聖典であった。その聖典は漢字 だけで書かれている。その漢字を解読することによって古代日本語の世界が復元できるということがわかってきた。

  日本の古代歌謡には「やまとは 国のまほろば  たたなづく青垣 山隠れる やまとし美し」という美しい歌がある。記紀万葉の時代にはまだ仮名はなかったから漢字だけで書かれている。この歌は日本書紀で は次のように書かれている。

  夜摩苔波 區珥能摩保邏摩 多多儺豆久阿烏伽枳  夜摩許莽例屢 夜摩苔于漏破試

   「やまと」は「夜摩苔」と書かれている。ところが『魏志倭人伝』の「邪馬台国」は「やまたい国」であって「やまと国」とは読まない。「苔」あるいは「台」 は記紀万葉の時代には「ダイ」でも「タイ」でもなく、古代日本語の「と(乙)」をあらわす漢字である。中国で記録された邪馬台国は「夜摩苔」と同じではな いだろうか、という疑問が生れてくる。しかし、漢学者は邪馬台国を中国語音で「ヤマタイ国」と読み、国学者は日本書紀歌謡の「夜摩苔」を「やまと(乙)」 と読む。古代日本語の「と」は二種類あり「と(甲)」と「と(乙)」として区別されている。しかし、魏志倭人伝の「邪馬台」が日本書紀の「夜摩苔」と同じ ものを指しているとすれば、邪馬台国論争は「やまと国論争」ということになる。つまり、やまとの国はどこにあったかということになる。

   古事記、日本書紀にはそれぞれ120首あまりの古代歌謡が記録されている。そのうち約50首は同じ歌の伝承である。例えば「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめ に 八重垣作る その八重垣を」という歌がある。この歌は古事記にも日本書紀にも記録されているが、使われている漢字が違う。

  夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊 賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁(記)
  夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶廬 贈廼夜覇餓岐廻(紀)

   同じ歌が二つの違った音韻体系の文字で記録されている。これはまるで、ロゼッタストーンではあるまいか。面白い。日本書紀の音韻体系は隋唐の時代の長安の 音韻体系と同じであることが、音韻学者によって確かめられていて、当時の音価を再現できる。それに対して古事記の音韻体系は少しずれている。なぜだろう か。「八重垣」の「が」は古事記では賀[hai]という舌根音で表されているが、日本書紀では餓[ngai]という鼻濁音で表記されている。 賀は賀「ガ」で あるが、餓は鼻濁音の餓「カ゜」である。古事記の史(ふひと)と日本書紀の史の音韻体系は違う。「妻ごみに」の「ご」も古事記は碁[giə]であり、日本書紀は語[ngia]である。古事記では鼻濁音が使われていない。それ はなぜだろう。

   古事記の史は鼻濁音ができなかったのではなかろうか、という疑問が頭をよぎる。日本語でも鼻濁音は消えつつある。「学校」は「ガッコウ」だが音楽学校は 「オンカ゜クガッコウ」と発音するのが正しい日本語とされてきた。ところが最近の東京のこどもは「オンガクガッコウ」と発音するようになって、鼻濁音の 「カ゜」が発音できなくなってきている。以前はアナウンサーの試験などでも鼻濁音の「カ゜」を正しく発音できるかどうかが試された。しかし、最近では鼻濁 音を正しく発音できるのは東北弁の人だけのようである。

  古代日本語では鼻濁音が語頭に立つことはなかっ た。朝鮮語では現在でも鼻濁音が語頭に立つことはない。日本書紀で鼻濁音の表記に用いられている「餓」、「語」を朝鮮語読みすると餓(a)、語(eo)となって語頭の[ng-]が失われる。朝鮮漢字音の音韻体系をもった人が日 本書紀の「夜覇餓岐」、「菟磨語昧爾」を読めば「やへあき」、「つまおみに」となったはずである。古事記歌謡を記録した史は朝鮮漢字音の音韻体系をもって いた。だから、餓(a)ではなく賀(ha)を、語(eo)ではなく碁(ki/gi)を用いたのではないか。記紀万葉の時代の書紀であ る史(ふひと)は百済など朝鮮半島出身者であったことはよく知られた事実である。

  古代日本語では我[ngai]を我「あ」という。現代の日本語でも魚[ngia]を「うお」といい、顎[ngak]を「あご」という。これらの漢字の朝鮮漢字音は我(a)、魚(eo)、顎(ag)である。これらはいずれも朝鮮漢字音の痕跡を留め た日本語であるといえるのではあるまいか。

   日本と中国との交流は弥生時代のはじまりとともに始まり、稲や鉄とともに中国語の語彙も朝鮮半島を経て日本語のなかに入っていた。古代日本語の復元には古 代中国語音の再構や朝鮮漢字音の復元が不可欠である。そのために、白川静先生や藤堂明保先生の書物を読んで老骨にむち打つ。

  やまとことばだと考えられていることばのなかに も中国語からの借用語が数多く含まれている。例えば奥「おく」はやまとことばであり、奥「オウ」というのが音であると一般に考えられているが、奥の古代中 国語音は奥[uk]で ある。これは白川静先生の『字通』を見ればあきらかである。奥「オウ」は隋唐の時代の中国語音に準拠したものであり、奥「おく」はそれ以前の時代の中国語 音の借用である。沖「おき」は現在は沖の字があてられているが、語源は中国語の澳であろう。また、現代の日本ではもう見られなくなってしまったが、火鉢の なかに火種をかこっておく燠「おき」も中国語語源である可能性が高い。

  漢字の墓は音が墓「ボ」、訓が墓「はか」とされ ている。しかし、墓は声符が莫大の「莫」と同じであり、古代中国語は墓[mak]である。日本語の墓「はか」は古代の中国語音の痕 跡を留めたものであり、墓「ボ」は韻尾の[-k]が脱落した唐代の中国語音に準拠している。

  また、日本語の「かげ」ということばには、日陰 の意味と月影のように光を意味する場合とがある。影の古代中国語音は影[kyang]であり、光の古代中国語音は光[kuang]である。韻尾の[-ng]は日本語にはない音である。英語のSing a song.-ngであるが、こだい中国語音は影[kag]、光[kag]に近かったと考えられている。古代中国語の影と光 がともにやまとことばのなかに「かげ」となって定着したと考えられる。「かぐや姫」の「かぐ」というのはかがやく姫、「光姫」という意味である。また日本 語の「かがやく」は中国語の光耀[kuangjiok]と関係のあることばであろう。 毎日が日曜日、毎 日新しい発見がある。

  「世の中に まじらぬとには あらねども ひと り遊びぞ 我はまされる」良寛






☆もくじ

第132話 『日本書紀』の解読

第133話 『古事記』の解読

第134話 『万葉集』の解読

第135話 日本の漢字音・呉音と漢音

第136話 万葉集の漢字音・和音と弥生音

第137話 柿本人麻呂の日本語世界