第32話 マンモスハンターのことば

日 本列島に人が住みつき、日本語を話しはじめたのはいつのことだろうか。四方を海に囲まれた日本列島が、ユーラシア大陸から切り離されたのは、洪積世の末期 で約2万年前と考えられている。日本列島にはそれ以前から人類が住んでいた痕跡がある。群馬県新田郡笠懸村岩宿で、相沢忠洋が関東ローム層中から旧石器を 発見して以来、日本列島における旧石器時代の調査・研究はめざましい進展をみた。確認された遺跡の数は4000ケ所を越えている。

現代日本人の祖先と考えられる集団が日本列島へ最初にやってきたのは、今からおよそ4万~3万年前である。人類は少なくとも10万 年前には「ことば」を獲得していたと考えられているから、日本列島に最初に住みついた人間が「ことば」を話していたことは間違いない。しかし、その「こと ば」がどんな言語であったかについては、ほとんど手がかりがない。「ことば」は本来空気の振動であり、文字時代以前のことばは、すべて消えてしまってい る。

日 本語の文字資料が残っているのは、日本列島に住みついた人類の歴史からみれば、わずか千数百年前のことに過ぎない。3万年前にマンモスを追ってこの島にた どりついた人びとの言語については、何の痕跡も残されていない。古事記、日本書紀、万葉集などの本格的な文献が現れるのは8世紀以降のことである。

中国語の場合は、紀元前1400年代のはじめころ、すなわち殷王朝が安陽に都して中原に君臨し、古代王朝としての偉容を成就したころから亀甲文が残っている。ヨーロッパの言語の場合は、その祖語は今からおよそ6000年前までたどることができる。それでも、1万年以上前まで遡らせることは、通常受け入れられていない。

先 史時代の日本語はどんなことばだったのだろうか。長野県信濃町の野尻湖畔からはナウマン象やオオツノ鹿の化石とともに旧石器時代の石器や骨器がみつかって いる。ナウマン象は約2万年前の新生代更新世後期の東アジアに棲息していて絶滅した象の一種である。明治時代初期にお雇い外国人ナウマンが発見したので、 その名がある。日本人の先祖は象を湖に追い込んで、狩をしていたものと思われる。2万年前に日本列島に住んでいたマンモスハンターは、象をなんと呼んでい たのだろうか。象に遭遇したマンモスハンターたちは「おーい、ナウマン象がきたぞ」とはいわなかったとしても、「おーい、象がきたぞ」と日本語で叫んだの だろうか。

 象は中国語で あり、現代日本語の象(ゾウ)は中国語からの借用語である。象という中国語からの借用語が日本列島にもたらされる以前からこの列島に棲息していた動物は旧 石器時代には何と呼ばれていたのだろうか。現在残されている日本語の資料からみる限り、万葉集の時代には象は象(きさ)と呼ばれていたらしい。

大和には 鳴きてか来らむ 呼ぶ子鳥 象(きさ)の中山 呼びぞ越ゆなる 高市黒人(万70)
昔見し 象(きさ)の小河を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも 大伴旅人(万316)
み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも
山部赤人(万924)

万 葉集では象(ゾウ)ではなく、象(きさ)というやまとことばがあてられている。 万葉集の時代にはもうナウマン象は絶滅していて大伴旅人も山部赤人も象を みたことはなかったはずである。絶滅した象にちなんだ地名や河の名前が万葉集の時代まで残っていたということなのだろうか。

平 安時代に編纂された『倭名抄』には「象、和名岐佐(きさ)、獣の名なり。水牛に似て大耳、長鼻、眼細く、牙長き者なり」としている。『倭名抄』の編者であ る源順は中国の書物を通じて象の形状を記しているにちがいない。しかし、その象の和名に象(きさ)というやまとことばがあったといことは驚くべきことであ る。

江戸時代になると芭蕉の『奥の細道』に象潟という歌枕がよまれている。

象潟や 雨に西施が ねぶの花  (芭蕉)
    象潟や 料理何食ふ 神祭   (曾良)

 松尾芭蕉の前 にも能因法師や西行が象潟を訪ねており、芭蕉はその歌枕を訪ねたのである。芭蕉が訪れたころの象潟は松島のようなおもむきがあったようである。『奥の細 道』で芭蕉は「おもかげ松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし」と記している。象潟を訪れる人は象潟の地に芭蕉の面影を求 めるが、今では陸地が隆起して田んぼになってしまっている。田んぼのなかに、その昔は小島だった小高い丘があり、そこに生える松だけが往時の風情をかろう じて留めている。景観すらも数百年の間に変化してしまう。象(きさ)というこ とばだけが万葉の昔をしのばせる。

 それにして も、「象潟」という地名は、マンモスハンターのことばの痕跡を伝えているのだろうか。鳥海山のふもとの日本海沿岸にも、2万年前には、象が住んでいたとし ても少しも不思議ではない。マウマン象の化石は野尻湖ばかりでなく、浜名湖や千葉県の印旛村、北海道などでも発見されているのである。象潟でも象の化石が 発見されたことがあるのだろうか。地元の教育委員会に問い合わせてみると、その返事はまったく意外だった。実は象潟は蚶貝(きさがい)がたくさん取れたの で蚶潟と呼び習わされていたという。蚶貝とは赤貝のことである。名勝象潟は蚶 潟だったのである。蚶潟は万葉集の字を借りて後に象潟に変えたのである。象潟が蚶潟と書かれていたら、歌枕になっていたかはなはだ疑問である。景観は変わ り易く、ことばもまた消えやすく、変りやすい。

 記録によると、歴史時代に入って日本人が初めて象を見たのは1408年(応永15年)のことである。南蛮船が若狭に黒象を一頭もたらして、将軍足利義持に贈ったというのが最初である。その後、1728年 (亨保13年)には、時の将軍吉宗の命によって、清国船がもたらした象が「享保の象」として知られるようになった。象は長崎にもたらされ、翌年3月13日 に長崎を出発、4月16日に大阪に着き、同26日に伏見から京都に入った。そこでこの象は従四位の位が授けられ、「広南従四位白象」という名前がつけられ て、宮中に参内したという。その後、4月29日に京都を出発、1日に5~6里の道中をして、5月25日にようやく江戸に着いた。松尾芭蕉が奥の細道の旅に 出たのは元禄二年(1689年)のことだから、芭蕉は亨保の象を見ていない。

 日本語の「き さ」とはなんであろうか。新井白石は『東雅』のなかで「象 キサ 象は西南夷の獣也。古の時、此ノ国に来れりとも聞えず。しかるを呼びてキサといひしは、 其牙(きば)によりて、つゐに獣ノ名のごとくなりしと見えけり」としている。「きさ」の「き」は白石のいうごとく牙「きば」の「き」である可能性がある。 「きさ」の「さ」は朝鮮語で「牛」をさすことば、牛(so)と 関係のあることばではなかろうか。つまり「きさ」は「牙のある牛」である可能性がある。『倭名抄』にも「水牛に似て、大耳、長鼻、眼細く、牙長き者なり」 とある。ただし、「きさ」ということばが、マンモスハンターの時代から使われていたかどうかは、不明である。マンモスハンターが「おーい、象(きさ)がき たぞ」と叫んだかどうかもまったくわからない。歴史には残念ながら欠落があり、歴史のすべてを残された史料からしることはできない。そのことは、言語にお いて顕著である。

 ことばは不思 議である。日本人がみたことのないものに名前だけが残っていることがある。象ばかりでなく、麒麟や虎はどうだろう。麒麟は動物園にいる首の長いキリンでは なく、中国では想像上の動物でキリンビールのラベルに描かれている麒麟である。麒麟は日本書紀白雉元年の条にみえる。

  昔西の国の君、周の成王の時と、漢の明帝の時とに白雉があらわれた。我が国では応神天皇の世に白烏が宮に巣をつくり、仁徳天皇の時に龍馬が西に見えた。こ れをもって、古より今にいたるまで、祥瑞時に見えて、有徳に応えることの例は多い。いわゆる、鳳凰、麒麟、白雉、白烏、かかる鳥獣より、草木にいたるま で、符(しるし)こたえあるは、みなこれ天地のなす所の、よき祥嘉瑞なり。

 白雉元年とは 650年のことである。鳳凰も麒麟も想像上の動物で、めでたい動物とされている。中国では聖人が出現するしるしとされ、雄を麒、雌を麟という。一日に千里 走るともいわれる動物である。鳳凰も麒麟も中国語からの借用語である。麒麟は中国語だが虎はちがう。虎は中国語では虎(hu)でその泣き声による。ところが、日本語の虎(とら)は中国語からの借用語ではない。朝鮮語では虎(ho-rang-i)であって、これも日本語の虎とは関係なさそうである。朝鮮語のho-は中国語の虎(hu)をあらわしているのであろう。

 虎は日本列島には住んでいない動物である。しかし、日本語には「とら」ということばがある。「とら」ということばはどこから来たのだろうか。柿本人麻呂の長歌に「虎かほゆる」とあり、万葉集の時代には、すでに「虎」という動物は、日本人に知られていた。

小角(くだ)の音も 敵(あだ)見たる 虎かほゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに   柿本人麻呂(万199部分)
  虎に乗り 古屋(ふるや)を越えて 青淵に 鮫龍(みづち)とり来む 剣刀(つるぎたち)もが 柿本人麻呂(万3833)
  韓国(からくに)の 虎とふ神を 生取に 八頭(やつ)取り持ち来 その皮を 畳に刺(さ)し     乞食者の詠(万3885部分)

 日本語の起源を南島に求める説もあるので、念のため日本に一番近い南島であるグアム島のチャモロ語について調べてみると、チャモロ語では「虎」はtigiriであり、英語のtigerにあたることばである。グアム島はスペインの植民地支配だったのでスペイン語のtigreからの借用語である。南島語のひとつであるマレー語ではharimau あるいはrimauである。マレー語の「ハリマオ」も、日本語の「とら」と関係のあることばとは思えない。

 新井白石も 「虎 トラ 義不詳。虎はもとこれ此国の獣にあらず。貂をテンといひ、黒貂をフルといひ、水豹をアザラシといひ、羊をヒツジといふがごとき、並に海外の方 言によりしもしるべからず」としている。新井白石は漢語以外のことばはすべて「やまとことば」であるとはしていない。未だ明らかにされていないが、海外の 方言に依拠しているものだろうとしている点が注目される。

 ちなみに、英語では象はelephant、麒麟はキリンとは違うがgiraffeであり、虎はtigerである。英語の辞書で調べてみるとelephantは中世英語ではelifauntあるいはolifauntであり、古代フランス語のolifantからの借用語であるとある。さらに古くはラテン語のelephant-us、ギリシャ語のelephant-(os)に由来するとある。そして、elephasとは象牙のことであるとしている。英語のgiraffeはフランス語、スペイン語ではgirafaであり、アラビア語のzarafaあるいはzorafaかたきているという。また、tigerは中世英語ではtigreでありフランス語からの借用語であるとしている。ラテン語ではtigris、ギリシャ語もtigrisである。ペルシャ語にtigraということばがあり、矢を意味するが、tigrisの語源はペルシャ語に求められる。

 日本語には語 源の明らかでない単語が多い。近隣のことばである朝鮮語や中国語に似たことばがないのである。語源が明らかにできない原因のひとつは、古代日本語も朝鮮語 も独自の文字をもっておらず、古代の言語の記録がいなかったことにある。また、中国語は古い記録を残しているものの、そして漢字は象形文字であり、古代中 国語音の音価を復元することが困難なことも、東アジアの古代言語の解明を妨げている。アルファベットは表音文字だから、発音が変われば綴り字もそれにつれ て変わるが、漢字は発音が変わっても字形はそのままである。

もくじ

☆第33話 縄文時代の日本語

★第34話 稲作の伝来と日本語

☆第35話 弥生時代の日本語

★第36話 金印の国「奴国」とは何か

☆第37話 魏志倭人伝の日本語

★第38話 古墳時代の日本語

☆第39話 飛鳥時代の日本語