第138話  古代日本語の漢字音 

 古事記、日本書紀、万葉集などは、まだカタカナ やひらがなができる前に書かれたものだから漢字だけで書かれている。

 古事記は音と 訓を併用して日本式に書かれている。日本書紀は漢文で書いた日本史である。古事記、日本書紀には、それぞれ120首あまりの古代歌謡が記録されていて、そ れらは漢字の音だけを使って書いてあるので、古代の日本語音がどのようなものであったか復元するには貴重な資料となる。万葉集は音と訓を併用して日本語の 歌を表記したものである。万葉集も歌以外の本文は漢文で書かれている。 

 漢字はいうま でもなく、中国語を表記するために作られたものであり、外国語を書くのには適した文字とはいえない。例えば、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、フィラ デルフィアなどのような外国の地名を漢字だけで表記しようとすると、かなり無理を強いられることになる。貨盛頓、紐約、波士頓、費城などとなる。

 カナ以前の時代に漢字だけで日本語を表記した史 (ふひと)たちは、漢字という中国語を表記するために作られた文字を手なづけて日本語という中国語とはまったく違った音韻構造をもったことばを表記するの に悪戦苦闘したにちがいない。

 漢字は表意文 字であり、アルファベットは表音文字だといわれる。しかし、大部分の漢字には声符というものがあって読み方がある程度わかるように工夫されている。たとえ ば貨盛頓は「化成屯」が声符である。同じように紐約は「丑勺」、波士頓は「皮士屯」、費城「弗成」が声符である。もっともフラデルフィアの場合の「城」は 音読みではなく、意味をとったもので、いわば訓である。 

 この章では主に古事記、日本書紀の歌謡に使われ ている漢字をたよりに古代日本語音の復元を試みることにする。

 次の歌は戦時中に大和魂を鼓舞する歌としてもて はやされた歌であるが、古事記と日本書紀にほぼ同じ歌があってそれぞれ次のような漢字で書かれている。 

 美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇恵志波士加美 久知比 比久 
 和禮波和須禮士 曾泥米都那藝弖  宇知弖志夜麻牟(古事記)
 

 瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇恵志破餌介瀰 勾致 弭比倶
 和例破涴輸例孺 于智弖之夜莽務 (日本書紀

  この歌は漢音 でも呉音でも読めない。これらの漢字音は8世紀、唐の時代の漢字音に依拠しているものと思われる。しかし、同じ唐の時代といっても長安の都の発音と江南地 方の発音では異なる。日本漢字音は長安の漢字音に依拠しながらも、江南地方の発音の影響をかなり受けているようである。そればかりでなく、日本漢字音には 和音なまりが、かなり入っていると思わなければならない。英語の発音でもイギリス英語とかアメリカ英語といっても、日本人が発音すればfやv、thの発音などはジャパニーズ・イングリッシにならざ るをえない。それと同じように、日本漢字音は日本語化した漢字音であると思わなければならない。 

 古事記の歌は一般に次のように読み下されてい る。 

 みつみつし 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植えし椒(はじ かみ)
 口ひびく 我は忘れじ 撃ちてし 止まむ
 

 この歌は久米歌と呼ばれ、古代の久米部が伝承し た戦闘歌謡である。久米部というのは宮廷の警備などを担当した部である。久米(くめ)というのは軍(ぐん)に由来する弥生音であろう。 

 唐の時代の中国語音と現代の中国語音ではかなり 違ってしまっている。そのうえ日本語のほうも、8世紀の日本語と現代の日本語ではまったく違ってしまっているので、記紀歌謡の解読はマトリックスを解くよ うな作業にならざるをえない。 

 美(み・×び)、 都(つ・×と)、 久(く・×きゅ う)、能(の・×の う)、
 良(
ら・×りょ う)、岐(き・×ぎ)、 母(も・×ぼ)、 登(と・×と う)、
 爾(
に・×じ)、 恵(ゑ・×え)、 波(は・わ)、 士(じ・×し)、
 禮(
れ・×れ い)、泥(ね・×で い)、米(め・×べ い)、藝(ぎ・×げ い)、 
 牟(
む・×ん)、 瀰(み・×び)、 梅(め・×ば い)、介(か・×か い)、
 等(
と・×と う)、珥(に・×じ)、 餌(じ)、 弭(び)、 例(れ・×れ い)、
 涴(
わ・×わ ん)、輸(す・×ゆ)、 孺(ず・×じゅ)、 莽(ま・×ぼ う)、 

 日本語の音節 は子音ではじまり母音でおわる、いわゆる開音節である。それに対して中国語の音節は子音ではじまり母音がつづき、韻尾にまた子音がくることもある。また、 頭子音と母音のあいだにわたり音(介音)が入ることもある。そのうえそれぞれの音節は四声という声調をもっている。日本語アクセントは「雲」と「蜘蛛」の ように二音節なまたがるが、中国語の声調はひとつの音節のなかで完結する。

 例えば「良」の現代北京音は良(liang)である。それが「久米能古良賀」(古事記)では良 「ら」に使われている。「良」の唐代の中国語音は良[liang]だっ たと考えられている。中国の韻書である切韻では「良」は「離陽切・陽韻・平下声)とされている。つまり、頭子音は離と同じであり韻は陽である。そして、声 調は平声である。また、『韻鏡』では声母は「来」、韻尾は陽韻四等・平声とされている。四等というのは直音ではなく拗音であることを示している。拗音であ るはずの「良」がなぜ、古事記では直音に使われているのであろうか。漢和辞典を調べてみると「良」の呉音は良(ろう)、漢音は(りょう)とされている。旧 仮名使いで書くと呉音は良(らう)、漢音は良(りゃう)ということになる。

 前にも述べたごとく日本語は開音節であり中国語 の韻尾[-ng]にあたるような音はないから韻尾が脱落して、古事 記では良(ら)となったのであろう。ちなみに「良」の現代語音は北京音良(liang)、広東音は良()、朝鮮漢字音は語頭では良(yang)、語中では良(liang)となる。また、同じ漢字文化圏であるベトナムの漢 字音は良(luong)である。中国漢字音でi介音が発達してきたのは隋の時代だとされており、 特に南部の越南や広東方面はi介音の発達が弱く、また遅かったようである。古事 記歌謡で「久米能古良賀」を「くめのこらが」と読ませているのは、随の時代の漢字音の残影であり、あるいは南方の漢字音の影響であると考えられる。 

 久米歌を例に記紀歌謡の漢字音を分析してみると 概略つぎのようになる。 

1.二重母音や拗音などはない。

 良(ら・×りょ う)、久(く・×きゅ う)、能(の・×の う)、登(と・×と う)、
 等(
と・×と う)、莽(ま・×ぼ う)、禮(れ・×れ い)、泥(ね・×で い)、
 米(
め・×べ い)、藝(ぎ・×げ い)、介(か・×か い)、例(れ・×れ い)、
 孺(
ず・×じゅ)、

 古代日本語には二重母音はなかった。 

2.濁音は清音、鼻音などで発音されている。

 美(み・×び)、 母(も・×ぼ)、 瀰(み・×び)、 梅(め・×ば い)、
 米(
め・×べ い)、泥(ね・×で い)、莽(ま・×ぼ う)、

 古代日本語では語頭に濁音がくることはなかっ た。現代の朝鮮語でも濁音は語頭にくることはない。この点では、古代日本語は朝鮮語と同じ特徴をもっていたことになる。

 現代の日本語 ではバ行はハ行の濁音であるが、古代日本語ではバ行はマ行の濁音でもある。また、ナ行の濁音はダ行である。これは五十音図の考え方とはことなる。五十音図 は平安時代に円仁らの留学僧が中国でサンスクリットの音韻学を学び、それを日本語に応用してつくったものである。古代日本語の音韻構造は次のようになる。

清 音

鼻 濁 音

濁 音

ハ 行

マ 行

バ 行

タ 行

ナ 行

ダ 行

 3.母音が変化している場合がある。

 都(つ・×と)、 梅(め・×ば い)、

 都(つ)はウ段であり、都(と)はオ段である。 記紀歌謡では「都」は都磨(つま=妻)などに使われているが、「阿都圖唎(あとどり=足取り)」(記96)のようにオ段に使われている例もある。記紀歌謡 で「つ」「と」に使われている漢字には次のようなものがある。

 【つ】 都、覩、菟、途、屠、豆、逗、
 【と甲】斗、土、杜、刀、度、 渡、徒、妬、圖、都、

 古代日本語のウ段とオ段甲とは音が近かった。

 梅(め)は古代日本語ではエ段乙であるが、現代 の日本語では二重母音になってア段に転移している。記紀歌謡で「め乙」に使われている漢字には次のようなものがある。

 【め乙】梅、毎、妹、昧、米、迷、

 「め乙」に使われている漢字はすべて「マイ」あ るいは「メイ」のように二重母音になっている。 

4.頭子音が変化している場合がある。

  爾(に・×じ)、 珥(に・×じ)、 餌(じ)、 弭(び)、

 爾、珥、餌、弭、はいずれも中国音韻学で日母と 呼ばれる文字で「日」と同じ頭音をもっている。唐代漢字音は爾[njiai]、珥[njiə]、餌[njiə]、弭[mie]である。日母は中国語のなかでも歴史的変化のはげ しい音で、現代の北京語では爾(er)、餌(er)、日(ri)などとなっている。また、朝鮮漢字音では爾(i)、餌(i)、日(il)である。恐らく唐代以前には弭[mie]のような音だったものが[-i-]の影響で口蓋化して唐代には珥[njiə]になり、さらに餌[djiə]に変化したものと考えられる。記紀歌謡の漢字音について みると、弭 (び)は唐代以前の音の痕跡を留めており、珥(に)は唐代中国語音に準拠したものであろう。餌(じ)は唐代にすでにはじまっていた音韻変化を先取りしたも のといえる。

 ちなみに、日本語の耳(みみ)は唐代以前の中国 語音である耳[mie]に依拠した弥生音である可能性がある。 

5.ア行音、ヤ行音、ワ行音の区別がある。

  恵(ゑ・×え)、 波(は・わ)、

 現代の日本語ではア行の「え」とワ行の「ゑ」の 区別は失われてる。しかし、記紀の時代にはア行の「え」とワ行は区別されていた。

  宇恵志波士加美(古事記)、宇恵志破餌介瀰(日本書紀)、

 「植ゑし椒(はじかみ)」の「恵」はワ行専用で ある。「ゑ」には日本書紀では「恵」が、日本書紀では「恵」ほか「慧」「衞」「隈」が使われている。

 「和礼波夜恵奴=我はや餓ぬ」「宇恵具佐=植草」「由恵=故」 「須恵=末」「和礼恵比邇 祁理 =我酔ひにけり」「恵具志=笑酒」(古事記)、

 「伊比爾恵弖=飯に餓て」「喩衞=故」「須衞=末」「須慧= 末」「和例破椰隈怒=我はや 餓  ぬ」(日本書紀)、 

 記紀の時代にはワ行の「ゑ」のほかにヤ行の 「え」もあった。五十音図にはヤ行の「え」に相当するカナはないから便宜上「イエ」と表記することにする。「イエ」には古事記では「延」が使われ、日本書 紀では「曳」「延」が使われている。

 「奴延=鵼」「奴延久佐=萎草」「佐加延=栄」「延=兄」「延= 枝」「岐許延=聞こゑ」 
 「延=江」「美延斯怒=み吉野」 「美延受=見ゑず」(古事記)

 「延=枝」「瀰曳泥麼=見ゑねば」「曳=枝」 「曳=江」「枳虚曳=聞こゑ」「多曳磨=絶ゑば」  「波曳=栄(はゑ)」「曳陁=枝」「府曳=笛」「古曳底=越ゑて」(日本書紀)

  古代日本語には二重母音はなかったがえ(e)とゑ(we)、イエ(ye)などの入りわたり音(y/w)はあったということになる。されに「波」「破」は 語頭では波・破(は)と読まれ、語中では波・破(わ)と読まれていた。

  宇恵志波(は)士加美 和禮波(わ)和須禮士(古事記)
  宇恵志破(は)餌介瀰 和例破 (わ)涴輸例孺(日本書紀)

 語頭の「わ」は「和」「涴」などで表記され 「波」「破」で表記されることはない。このような例を音韻学では相補分布という。古代日本語では「わ」は「は」の異音である。

 現在の朝鮮語はハングル表記で濁音と清音を区別 しない。同じpaの音でも語頭に来れば「は」であり、語中では 「ば」と読む。例えば「小林」はハングルでは小林(kopayashi)と表記して小林(こばやし)と読み、林は林(payashi) と表記して林(はやし)と読む。朝鮮語のでは濁 音は語頭に現われることがなく、清音が語中では濁音に発音されるという相補分布をしているからである。朝鮮語では「ば」は「は」の異音である。 

6.「ん」という音はなく「む」と表記したいる。

  牟・務(む・×ん)、

 古代の日本語には「ん」という音節はなかった。 五十音図の最後に「ん」があるのはサンスクリット語の音図の最後にある[-m]にならったものである。日本語でも阿吽の呼吸と か、「コマイヌサン ア ウン」などというが、サンスクリットと音図は[a]ではじまり、半母音の[m]で終わる。ここで半母音というのは[m]は子音であるが、それ自体で音節を構成することが できるという意味である。古代日本語では「ん」ではひとつの音節を構成することができなかったので「うん」とした。梅、馬などが梅(うめ)、馬(うま)と なったのも、古代日本語では[m]が単独では音節を構成することができなかったから である。
 宇知弖志夜麻牟(古事記)、于智弖之夜莽務(日本書紀)は現代日本語では「撃ちてし止まん」となる。これは現代の日本語が
[m]あるいは[n]をひとつの音節(モーラ)とみなすようになったか らである。

7.撥音便(ん)ななく、韻尾が脱落している。 

  涴(わ・×わ ん)

 日本語には[-n]あるいは[-m]で終わる音節はなかった。日本書紀では久米歌に 「涴(わ)」が使われている。古事記では同じ場所に「和」が使われている。

  和例破涴輸例孺(日本書紀)、
  和禮波和須禮士(古事記)、

 古事記歌謡ではこのほかに存、傳、が使われてい る。日本書紀では絆、煩、鐏が使われている。しかし、いずれの場合も韻尾の[-n]は脱落している。

  許存許曾波= 今夜こそは、多麼傳=玉手、淤母比傳=思い出、伊傳多知=い出立ち、
  比傳流 =日照る、弁=辺(べ)、本=火(ほ)、麻本呂婆(まほろば)、
  邇本抒理 (に ほ鳥)、本牟多(ほむ  た)、本斯(欲し)、志本=塩、遠=を、遠=(を)、  遠登賣=乙女、阿遠夜麻=青山、遠=男(を)、(古事記)、

  絆=は、塢等綿=乙女、泮娜= 肌、異泮梅=云はめ、幡=は、廼煩例屢=登れる、
  去鐏去曾 =今夜こそ(日本書紀)、

 また、記紀歌謡では入声音(韻尾が-p-t-k、で終わる漢字音)も使われているが、いずれも韻 尾の子音は脱落している。

  憶(お)、乙(お)、吉(き)、賊(そ)、必(ひ)、末(ま)、 楽(ら)、

 8.頭子音が残存しているものがみられる。

  輸(す・×ゆ)、

 日本書紀歌謡では「輸」が「す」に使われてい る。

  和例破涴輸例孺(日本書紀)
  和禮波和須禮士(古事記)

 漢和辞典を調べてみると「輸」は呉音「す」、漢 音「しゅ」、慣用「ゆ」となっている。日本書紀の用法が本来のものでる。現代の北京音では輸送は輸送(shu-song)である。広東語では輸送(syu-sung)、朝鮮漢字音では輸送(su-song)であり、現代の日本語の輸送(ゆそう)は喩(ゆ) などの連想で頭母音が脱落したものである。 

 ここでは120首あまりある記紀歌謡のなかから 1首だけをとりあげたに過ぎないが、古代日本語の特徴がいくつか浮かびあがってくる。

 ここでは扱っ ていないが、古代の日本語には母音が5つではなくして8つあったという。古代の日本語のカ行は「か・き(甲)・き(乙)・く・け(甲)・け(乙)・こ (甲)・こ(乙)」の区別があった。しかし、ここでは混乱そ避けるために甲乙の区別については、ひとまずふれないでおいた。古代日本語の甲乙の違いについ てはあらためて検証してみることにしたい。


☆  もくじ

★   第139話 古代日本語には母音が八つあった

☆  第140話 古代日本語の復元

 ★ 第141話 古代日本語には母音調和があった