第
154話 吉川幸次郎と唐詩を読む
現代の日本語は漢字仮名交じり文でかくことがあ
たりまえになっている。しかし、日本語は固有の文字をもたなかったので、奈良時代には漢字で日本語を書いた。万葉集は漢字だけで書かれている。平安時代に
仮名が発明されて、日本語の助詞や動詞の活用語尾は仮名で書きくわえられるようになった。
江戸時代になっても正式な書きことばは漢文であり、漢字仮名交じり文は和歌や日記などという住みわけができていた。良寛などは万葉調の和歌もたくさん残
しているが、漢詩も自在に作ることができた。明治の文豪森鴎外や夏目漱石は小説も書いたが漢詩も多く残している。鴎外や漱石の日本語の基礎には漢学があっ
た。
漢文と日本語文というバイリンガルな言語生活は、当然日本語そのものにも大きな影響を与えている。現在の義務教育では漢文はとり上げられなくなってし
まっているが、漢詩・漢文は現代の日本語にどのような痕跡を残しているのか、吉川幸次郎の『新唐詩選』(岩波新書)によって漢詩と日本語の関係を考えてみ
ることにする。
『新唐詩選』では杜甫の詩を十五首とり上げて、
それを日本語として読み下している。そのうちの一首「夜」は次のようになっている。
夜
露下天高秋氣清
露
下 天高 秋氣清し
空山獨夜旅魂驚
空
山 独夜 旅魂驚く
疎燈自照孤帆宿
疎
燈 自ずから照らして孤帆宿し
新月猶懸雙杵鳴
新
月 猶お懸かりて雙杵鳴る
南菊再逢人臥病
南
菊 再び逢うて人は病に臥し
北書不至雁無情
北
書 不至らず雁無情
歩簷倚杖看牛斗
簷
に歩して杖に倚りて牛斗を看る
銀漢遥應接鳳城
銀
漢は遥かに應に鳳城に接するべし
漢文を読み解く要諦は、まず句読の区切りをつける
ことだという。中国語の文章には句読点がなく、助詞や活用語尾がないから句読の切り方ひとつで意味が変わってしまう。「露下□天高□秋氣清」と正しく句を
区切ることができれば、読み下しは半分できたようなものである。あとはそれを音と訓に読みわけて日本語の調子をととのえていく。
吉川幸次郎は中国留学から帰った昭和六年(1931)ころから、中国人と同じように漢詩を中国語音で音
読した。そして翻訳するときは、読み下し文をはさまず、ただちに日本語にうつすことを主張し、実践もした。吉川幸次郎は杜甫の詩「夜」を次のように訳して
いる。訓の部分を( )にして、音の部分を下線にしてみると次のようになる。
露(つゆ)下(お)ち天高(たか)くして秋(あき)の氣は清(きよ)く
空(むな)しき山(やま)に獨(ひと)りいる夜(よる)は旅(たび)の魂(たましい)
の驚(おどろ)く
疎(わび)しき燈(ひ)は自(み)ずから照(て)らして孤(ひと)つの帆(ふね)の
宿(とどま)り
新月は猶(な)お懸(か)かりて雙(ふた)つの杵(きね)の鳴(な)る
南(みなみ)の菊に再(ふたた)び逢(あ)いつつ人(ひと)は病(や
まい)に
臥(ふ)し、
北(きた)の書(ふみ)は不至(とど)かず雁(かり)の無情(つれな)し
簷(のきば)に歩(あゆみ)杖(つえ)に倚(より)て牛斗のほしを看(み)る
銀(あま)の漢(かわ)は遥(はる)かに鳳城に應接 (つ
ら)なるなるべし
この読みだとほとんどが日本語になっている。音
読みになっているのは、天、気、新月、菊、牛斗、鳳城だけである。そのほかはすべて訓(日本語)に直されている。夜の船着き場の風景が浮かびあがってく
る。新月は夕方の西の空に出てすぐ落ちる。雙杵は砧である。南の国にさすらうようになって秋の菊を再び見ることになった。ふるさとの北国からは手紙も来な
い。杖をついて星を眺め、故郷を思う。天の川の方向に都長安があるに違いない。「鳳城」は長安である。
二つの読み方の違いは前者は音を主とした読み下
しであり、後者は日本語への翻訳そ主とした翻訳である。このふたつを比べると次のようになる。下線は音読であり、( )内のカタカナは音読であり、ひらが
なは訓読である。
秋(シュウ・あき)、空(クウ・むなしい)、独(ドク・ひとり)、旅(リョ・たび)、魂
(コン・たましい)、疎(ソ・わびしい)、燈(トウ・ひ)、孤(コ・ひとつ)、帆(ハン・
ふね)、宿(シュク・とどまる)、雙(ソウ・ふたつ)、杵(ショ・きね)、南(ナン・み
なみ)、臥(ガ・ふ)す、雁(ガン・かり)、北(ホク・きた)、書(ショ・ふみ)、無情
(ムジョウ・つれなし)、簷(エン・のきば)、歩(ホ・あゆみ)、銀漢(ギンカン):銀
漢(あまのがわ)、接(セッする・つらなる)、
日本人は漢文を訓読することによって、やまとこ
とばと漢字を対応させることを学んだ。しかし訓読みは、中国語を書くために作られた文字に日本語の単語を当てるわけだから、いわば当て字である。同じ漢字
でも中国語の意味は多様であり、漢字がつねに同じように読み下されているわけではない。また、同じ日本語に異なった漢字をあてはめることもある。
○夜(よる)。
空山獨夜旅魂驚
空
しき山に独りいる夜(よる)旅の魂の驚く(「夜」)
露従今夜白
露
は今夜(コンヤ)従(より)して白く(「月夜憶舎弟」)
日夜令我臧
日
に夜(よる)に我が臧(さ
いわい)を
令(いの)り(「新婚別)
「夜」は夜(ヤ・ヨ・よる)の読みがある。漢字
二字の場合は音で読まれる傾向がある。今夜(コンヤ)があるから「日夜」も日夜(ニチヤ)と読んでもいいようにも思われる。訓の夜(よ)は中国語音の夜
(ヤ)の転移したものであろう。古代中国語音では夜は夜[jyak]であった。夜と同じ声符をもつ液(エキ)はいまだ
に古代中国語の韻尾を留めている。夜(ヤ・よ)はともに古代中国語の韻尾[-k]が失われたものである。夜(よる)は夜[jyak]の韻尾の[-k]が転移したものであろう。夜(よる)は日本が本格
的な文字時代に入る前に中国語からの借用した弥生音である。
○下(おり)る。
露下天高秋氣清 露下(お)り天高くして秋の氣は清く(「夜」)
無邊落木蕭蕭下 無辺の落木は蕭蕭として下(お)ち(「登高」)
下者飄轉沈塘坳 下
(ひく)き者は飄(ただよ)い轉(まろ)びて塘(いけ)の坳(く
ぼ)に沈む(「茅屋為秋風所破歎」)
「下」は音が下(カ・ゲ)、常用訓は下(した・
しも・もと・さげる・さがる・くだる・くだす・くださる・おろす・おりる)がある。現代の日本語では露は「下(おり)る」、落木は「落ちる」、下者は「低
き者」であろう。しかし、唐代の中国語では動詞にも形容詞にも使われている。李白の詩では「日落長沙秋色遠」とある。霜は下りて、日は落ちるのである。
現代の日本語では下(カ)流、下(ゲ)水、下(した)見、川下(しも)、足下(もと)、下(さ)げる、下(さ)がる、下(くだ)る、下(くだ)す、下
(くだ)さる、下(お)りる、などである。
漢詩の読み下しは原文の漢字をそのまま使って日本語をそれにあてはめていくのが基本であるから、中国語の意味の範囲は日本語の意味の範囲と必ずしも一致
しない場合がある。しかし、日本の漢字は中国語の漢字の使い方を規範としているから、中国語の漢字に対応する日本語の訳は限りなく増えていく。
○「天」と「空」
露下天高秋氣清 露下ち天(テン)高くして秋の氣は清く(「夜」)
秋天漠漠向昏黒 秋の天(そら)は漠漠として昏黒に向かう(「茅屋為秋風所破歎」)
現代の日本語では「天」は天(テン・あめ・あ
ま)で「そら」は「空」である。天(そら)という読みはない。吉川幸次郎は杜甫の「空」を「空(むな)しい」とも読み下している。
空山獨夜旅魂驚
空
(むな)しき山に獨りいる夜は旅の魂の驚く(「夜」)
空知賣酒壚
空
(むな)しく知る売酒の壚(「贈高式顔」)
現代の中国語では昨天、今天、明天といえば昨
日、今日、明日のことである。星期天は日曜日であり、春天は季節をあらわす。天空といときは「天」は「空」と同義である。しかし、日本語では「天」は天
(あめ・あま)であって、「空」は青空(そら)、空(あ)き巣、空(あ)ける、空(むな)しい、などである。
○獨(ひと)り・と孤(ひと)つ
空山獨夜旅魂驚 空しき山に独(ひと)りいる夜は旅の魂の驚く(「夜」)
疎燈自照孤帆宿 疎(わび)しき燈は自ずから照らして孤(ひと)つの帆(ふね)
に宿(とどま)り(「夜」)
徧挿茱茰少一人 徧く茱茰を挿んで一人(ひとり)を少(か)かん(王維)
人間の場合は「独(ひと)り」だが船などの場合
は「孤(ひと)つ」が用いられている。孤独では孤と独は類義語である。ここでは「孤」は物に「独」は人について「ひとりぼっち」という意味に使われてい
る。「ひとり」には「一人」も用いられているが、「一人」というときは人数であり、「少一人」は「一人足りない」の意味である。
○旅(たび)
空山獨夜旅魂驚 旅魂驚く空しき山に獨りいる夜は旅(たび)の魂の驚く(「夜」)
君行雖不遠 君の行(たび)は遠きにはあらずと雖も(「新婚別」)
萬里悲秋常作客 萬里 秋を悲しみて常作客(たびびと)と為り(「登高」)
杜甫の詩「新婚別」では「行」が「行(たび)」
にあてられている。旅行ということばは類義語を二つ重ねたものである。旅人は客でもある。
○自(おの)ずから照(て)らす。
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自(おの)ずから照らして孤つの帆に宿り(「夜」)
自失論文友
文を論ずる友を失いて自(より)のちは(「贈高式顔」)
中国語の「自」には「おのずから」と「より」と
いう二つの意味がある。この場合は日本語として同じ訳をつけるわけにはいかない。
照(ショウ)は照(て)ると同源語である。「照」の古代中国語は照[tjiô]である。中国語音史によると照系の音は隋唐の時代
に端系の音が口蓋化してできたという。日本語の照(てる)は古い中国語音の痕跡を留めている。
○帆(ふね)
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自ずから照らして孤つの帆(ふね)に宿り(「夜」)
船尾跳魚溌剌鳴 船(ふね)の尾(しりえ)に跳る魚は溌剌として鳴る(「漫成」)
帆(ほ)をもって船(ふね)全体を表すのは詩的
な表現である。「帆」を「帆(ほ)」と訳したのでは十分に意味が伝わらない。杜甫の詩では船(ふね)使われている。船(ふね)は船(ふね)であり、その一
部である帆(ほ)を表すことはない。
○宿(とどま)る。
疎燈自照孤帆宿 疎しき燈は自ずから照らして孤つの帆に宿(とどま)り(「夜」)
沙頭宿鷺聯拳静 沙の頭に宿(やど)る鷺は聯拳として静かに(「漫成」)
雲在意倶将晩
雲は在(とど)まりて意は倶に晩れなんとす(「江亭」)
不可久留豺虎亂 久しく豺虎の乱に留(とど)まる可からず(「返照」)
潦倒新停獨酒盃 潦倒新たに停(とど)む濁酒の盃(「登高」)
「宿」は「宿(やど)る」とも読まれている。一
方、「とどまる」には「宿」「在」「留」「停」などが用いられている。「とまる」「とどまる」は類義語である。
○雙(ふた)つ
新月猶懸雙杵鳴 新月は猶お懸かりて雙(ふた)つの杵の鳴る(「夜」)
大小必雙翔 大いなると小さきと必ず雙(なら)び翔(か)ける(「新婚別」)
「雙」は中国語では名詞にも動詞にも使われる。
○鳴(な)る。
新月猶懸雙杵鳴 新月は猶お懸(か)か
りて雙(ふた)つの杵の鳴(な)る(「夜」)
風急天高猿嘯哀 風は急に天は高くして猿の嘯(な)くこと哀し(「登高」)
「鳴」は「鳴(な)る」にも「鳴(な)く」にも
使われる。「鳴る」のは杵のような無生物であり、「鳴く」のは生物である。「嘯(な)く」は「嘯(うそぶ)く」とも読み、嘆き泣くときに用いられる。鳥は
「鳴く」「啼く」であり、人は「泣く」。
○病(やまい)
南菊再逢人臥病 南の菊に再び逢いつつ人は病(やまい)に臥し(「夜」)
衰年病肺惟高枕 衰えたる年に肺を病(や)みて惟(ひと)えに枕を高くし(「返照」)
患氣經時久 氣を患(や)みてより年を經ること久し(「賓至」)
「病」は名詞「病(やまい)」にも動詞「病
(や)む」にも使われる。日本語の「やむ」には「患(や)む」があてられることもある。
○臥(ふ)す。
南菊再逢人臥病 南の菊に再び逢いつつ人は病に臥(ふ)し(「夜」)
嬌児悪臥踏裏裂 嬌児は臥(ね)ざま悪しくして裏を踏みて裂く(「茅屋為秋風所破歎」)
「臥」は「臥す」と書くと「臥(ガ)す」とも読
めるし「臥(ふ)す」とも読める。「茅屋為秋風所破歎」では「臥(ね)る」と読ませている。「ふす」には「伏す」も用いられるが「伏す」は顔を下に向けて
服従することであり、「臥す」は寝ころがることである。日本語の「伏す」の語源は中国語の「伏(フク)」であろう。
○書(ふみ)・文(ふみ)
北書不至雁無情
北
の書(ふみ)は至かずして雁の無情し(「夜」)
自失論文友
文
(ふみ)を論ずる友を失いて自りのちは(「贈高式顔」)
日本語の文(ふみ)は文(ブン)と同源である。
日本語には「ン」で終わる音節がなかったので文(フン・ふみ)、絹(ケン・きぬ)、金(キン・かね)、君(クン・きみ)、殿(デン・どの)、玄(ゲン・く
ろ)、困(コン・こまる)、兼(ケン・かねる)、呑(ドン・のむ)、沁(シン・しみる)、染(セン・そめる)などのように中国語の韻尾[-n,-m]のあとに母音を付加して発音した。書は文と同義語
である。
○雁(かり・ガン)。
雁(ガン)と雁(かり)とは同源である。雁(かり)は雁[ngean]の[-n]と[-l]に転移したものである。[-n]と[-l]とは調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国
語の韻尾[-n]が日本語でラ行に転移した例はかなりある。昏(コ
ン・くれ)、郡(グン・こおり)、薫(クン・かおり)、辺(ヘン・へり)、俺(アム・おれ)、怨(エン・うらむ)、嫌(ケン・きらい)、練(レン・ねる)
などである。雁は雁(かりがね)とも呼ばれる。
○看(み)る。
歩簷倚杖看牛斗 簷に歩み倚りて牛斗のほしを看(み)る(「夜」)
今春看又過
今の春も看(ま)の
あたりに又過ぐ(「絶句」)
見爾不能無
爾を見(み)ては無き能わず(「贈高式顔」)
何時眼前突兀見此屋 何の時か眼前に突兀として此の屋を見(み)ば
(「茅屋為秋風所破歎」)
「看」は中国語では「見守る」の意味が強い。
「絶句」の「看(ま)のあたりに)」は「みるみるうちに」のような意味である。日本語ではいずれも「みる」である。
○遥(はる)かに。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥(はる)かに應に鳳城に接なるなるべし(「夜」)
絶塞愁時早閉門 絶(はる)かなる塞に時を愁いて早く門を閉ざす(「返照」)
「絶(はる)かなる塞」は人里離れた絶境の塞と
いう意味である。
○應(まさ)に。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥かに應(まさ)に鳳城に接なるなるべし(「夜」)
喧卑方避俗 喧卑(けんぴ)は方(まさ)に俗を避け(「賓至」)
正是江南好風景 正(まさ)に是れ江南の好風景(「江南逢龜年」)
呼児正葛巾 児を呼びて葛巾(かつきん)を正(ただ)さしむ(「賓至」)
還應倒接離*
還た應(おそ)らく接離*を
倒(さか)さにせしなるべし
(李白) 離*=
罒/離
日本語の「まさに」には應、方、正、が使われて
いる。「應に」は「まさに、、、すべし」という場合に使われる。「方に」は「ちょうど今」、「正に」は「まさしく、ちょうど」の意味である。「正」は「正
(ただ)す」にも使われている。「應」は應(おそらく)と訳されることもある。
○接(つら)なる。
銀漢遥應接鳳城 銀の漢は遥かに應に鳳城に接(つら)なるべし(「夜」)
烽火連三月 烽火は三月に連(つら)なり(「春望」)
「接(つら)なる」は接続する、「連なる」は連
続するという意味である。「連接」という成語もあるくらいだから「連」と「接」はお互いに隣同士だ。
中国語の漢字は約4万あるといわれている。そのひとつひとつと日本語
の単語を関連づける仕事は記紀万葉の昔から延々と続けられてきた。その結果が現在の日本語の表記法になっている。しかし、中国語の四万字と日本語の単語と
の結びつきは、1対1ではなく、重複する単語もあり、ずれているものもあり、複雑なマトリックスになっているから、その対応は容易ではない。
中国語の文字を日本語に当てはめるために千年以
上続いた格闘の最終段階を吉川幸次郎は戦っていた。日中戦争の最中にも支那服を着て、支那に生れなかったのは残念だ、などといっていたという。「支那の学
問をおさめるためには、私は支那人になりきろう、と決心した。大学を出てから十年間、昼も夜も、私は支那の本だけ読み、親に出す手紙いがいは、相手が分
かっても分からなくても漢文、日記、論文、すべて漢文で書いた。」と後に回想している。
漢字仮名交じり文を読む人の立場からすると、
「正」は「正」だけでは「正(ただ)」と読むのか「正(まさ)」と読むのかわからないから、送りがをみて「正しい」、「正す」だったら「正(ただ)し
い」、「正す」だったら「正(ただ)す」と読む。「正に」、「正しく」は「正(まさ)に」、「正(まさ)しく」と読む。「正しく」は「正(まさ)しく」か
もしれないし、「正(ただ)しく」かもしれない。まず、送り仮名をみて、つぎに漢字にもどって読み方を決める。書いてある順番に読んでいるわけではない。
こんな表記法をもった文字は世界でも日本にしかない。
一字の漢字の読み方は送りがなによってきまる。
「臥す」は「臥(ふ)す」または「臥(ガ)す」と読む。「臥る」は「臥(ね)る」と読む。漢字仮名交じり文は文字を順番に追っていったのでは読めない。漢
字が出でてきたら、まずその先にある送り仮名をみて、もう一度前の漢字にもどってその読み方を決めているのである。だから、アナウンサーなどが原稿を読む
時、下読みが必要になってくる。
日本では中国における漢字の使い方を規範とする
考え方が強いので、日本語で文章を書くときも中国における漢字の使い分けを踏襲しようとする傾向がある。そのため日本における漢字の訓は複雑を極めてい
る。音は呉音、漢音、それにせいぜい唐音の3種類だが、訓は多岐に分かれる。中国語の意味の範囲とそれに対応する日本語の意味の範囲が一対一で対応してい
るわけではないから、訓が日本語の表記を複雑にしている。
中国語の「上」には日本語の「上(うえ)」「上
(かみ)」「上(あ)げる」「上(あ)がる」「上(のぼ)り」「上(のぼ)る」などが対応している。
中国語の「下」には日本語の「下(した)」「下(しも)」「下(もと)」「下(さ)げる」「下(さ)がる」「下(くだ)る」「下(くだ)さる」「下(く
だ)す」「下(お)ろす」「下(お)りる」「下(ひく)い」などがある。
また、日本語の「上(あ)がる・上(あ)げる」には中国語では「上」「揚」「挙」「騰」があり、「上(のぼ)り・上(のぼ)る」には「上」「登」「昇」
がある。
日本語の「下(さ)がる・下(さ)げる」は中国語でも「下」だが、「下(くだ)る・下(くだ)す」は「下(お)りる・下(お)ろす」は中国語では「下」
「降」があり、「下(ひく)い」には中国語では「下」「低」がある。
同じ漢字を使っていても、日本語と中国語ではそ
の意味の範囲がある面では異なり、ある面では重複している。それを、中国語をしらない普通の日本人が正しく書きわけることは不可能に近い。読む立場からし
ても、送り仮名をてがかりに読み方を模索するしかなく、送り仮名がない場合もある。送り仮名があっても複数の読み方が可能な場合もあって、むずかしい。
漢字をやまと言葉で読む訓読みは漢文の訓読を通
して発達してきた。しかし、漢字ひとつひとつに日本語で読みを与えることは容易でなく、訓読みの体系を複雑にしている。日本語の表記法を読みやすいものに
するためには、漢字の制限ばかりでなく、常用訓の整理も必要であろう。
漢字の音と訓を使って日本語を表記しようという
考え方は万葉仮名の時代から変わっていない。しかし、音と訓の組み合わせがあまりにも複雑なために万葉集は解読不能になってしまった歌もある。現在の日本
語もふり仮名なしでは読めない日本語になってしまう危険を内包している。
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