第42話 漢字看板考 中 国では今でも仮名やアルファベットにあたる表音文字はなく、漢字だけを使っているので、外国語の地名や人名を表記するのにはさまざまな工夫が行なわれてい る。最近は北京や上海の街を歩いていると、さまざまな看板が目に飛び込んでくる。開放経済の影響で外国語を漢字で表記したものも多い。「麦当労」と書いて 「マクドナルド」と読む。「肯徳基」は「ケンタッキーフライドチキン」である。「肯」は日本漢字音では肯定の肯「コウ」だが現代北京音は肯(ken) である。 可口可楽 百事可楽 労力士 派克 柯達 登喜路 日本漢字音に慣れ親しんだ日本人には、初見では分かりにくい。しかし、現代中国語音と日本漢字音の違いがこれによってわかることもある。現代の北京音では、これらの看板はつぎのように読む。 麦当労(mai-dang-lao)、 肯徳基(ken-de-ji)、 可
口可楽(ke-kou-ke-le)、 現代の北京語では韻尾の子音が失われているが、広東語や上海語では韻尾の子音が残っている。たとえば広東語では麦当労(mahk-dong-louh)、肯徳基(hang-duk-gei)、柯達(hoh-daaht) となる。 日本人にはずいぶん乱暴な当て字と思われる。しかし、なかなか理屈にあっている。「マクドナルド」は英語ではMac-do-naldと三音節である。漢字の麦当労も三音節である。 「ケンタッキー」もKen-tuck-yと 三音節である。日本語読みのほうが「マ・ク・ド・ナ・ル・ド」とか「ケ・ン・タッ・キ・ー」などと多音節になって、原音からは遠くなってしまう。日本語の 音節は開音節であり、子音+母音を基本とするが、古代中国語の音節構造は子音+わたり音(介音)+母音+子音であり、英語の音韻構造とにている。だから、 漢字による表記は英語の一音節にひとつの漢字で対応しており、漢字の特性を生かした表記であるともいえる。 日本でも明治時代までは漢字を使って外国語を表記した。日本語のローマ字表記を考案した「ヘボン」は平文先生と呼ばれた。ヘボンはHepburn で ある。戦後のハリウッドのスターはオードリー・ヘップバーンもキャサリン・ヘップバーンも、ともにヘップバーンである。「ヘッ・プ・バ・ー・ン」は綴字には忠実だが「ヘ・ボン」に比べて原音に近いとは云いがたい。英語ではHep・burnは二音節に発音されるからである。日本人の英語が外国人に通じない原因のひとつは、音節の数をいたずらに増やしてしまうカタカナ表記にあるのかも知れない。北京や上海の街角では日本の企業の広告も目に付く。 佳能 柯尼卡 美能達・萬能達 尼克・尼康 新力 山葉 佳能、尼康は現代北京音では佳能(jia-neng)、尼康(ni-kang)である。中国語の韻尾[-ng]は息が鼻に抜ける鼻音であり、日本漢字音の能「ノウ」、康「コウ」とは違う。英語のsing a songのような音である。日本語にはない音なので便宜上「カノン゚」、「ニコン゚」と表記して「カノン」、「ニコン」と区別することにする。上海語では-ngと-nの区別がないから、佳能(jia-nen)、尼康(ni-kan)となり、さらに日本語の「キャノン」、「ニコン」に近くなる。「柯尼卡」の「卡」は「卡拉OK」などにも用いられて、「カラオケ」として中国でも親しまれている字である。山葉「ハマハ」のように、音によらないで意味を生かして漢字で書いている例としては、富士、五十鈴、豊田、三菱などがあげられる。この場合には発音は中国語読みで山葉(shan-ye)、富士(fu-shi)、五十鈴(wu-shi-ling)、豊田(feng-tian)、三菱(san-ling)となる。 現代の中国では外国語からの借用語もよく用いられているがみんな漢字で書かれている。 巴士(バス)、的士(タクシー)、的士高(デイスコ)、咖啡(コーヒー)、啤酒(ビール)、 「熱 狗」や「保齢球」、「愛滋病」などは、発音を表わすばかりでなく、漢字の意味も加味されている。漢字は音を表わすばかりでなく、意味を伴っているので外国 語を表記するのにも意味の要素をまったく無視することはできない。啤酒や三文魚もそれぞれ酒、魚であることが文字のうえでも示されている。外国の地名も、 中国語ではカナ書きにすることができないので漢字で書く。 巴黎(パリ)、羅馬(ローマ)、米蘭(ミラノ)、伯爾尼(ベルリン)、維也納(ウイーン)、 パ リは日本では「巴里」とも書く。漱石には『倫敦塔』という作品がある。明治の日本人はロンドンを「倫敦」と表記した。地名や人名の漢字による表記は、必ず しも統一されていたわけではない。福沢諭吉はロンドンを「竜動」と書いている。「倫敦」も「竜動」も日本漢字音ではロンドンとは読みにくい。当時の中国人 が書いたものに倣って書いたか、あるいは上海、香港あたりに来ていたイギリス人が使っていたものを流用したものであろう。「倫敦」の現代北京語読みは倫敦(lun-dun) であり、「竜動」は竜動(long-dong) である。「竜動」は日本漢字音ではロンドンとは読めない。上海語では-ng が-n に近いので「竜動」は外国に対して早くから開けた上海語の発音を反映しているかもしれない。 「河内」はベトナムでは河内(Hanoi) であり、日本では河内「かわち」である。ベトナムという国名自体が中国語の「越南」のベトナム語読みで越南(Viet-nam) である。トンキン湾も漢字で書けば「東京湾」となり東京湾(Tong King) が原音である。 「東 京」とは江戸のことだが、明治になってから東京「トウキョウ」と読むべきか東京「トウケイ」と読むべきか定まらなかったという。電車の京浜急行などは京浜 「ケイヒン」であり、関西でも京阪神は京阪「ケイハン」である。地名や人名の漢字表記は、書き方も読み方はそう簡単ではない。書く方と読む方に共通の理解 がないと、理解できないばかりか、地名の場合は行く先を取り違えてしまい、人名の場合は人違いをしてしまうことにもなりかねない。 現在の中国では、外国人の人名を漢字で表記する方法が決められている。新華通信社訳名資料組編の『英語姓名訳名手冊』(第2次修訂本・商務所書館1991年)にはつぎのような例をあげられている。 喬治(ジョージ)・布什(ブッシュ)、約翰(ジョン)・肯尼迪(ケネデイー)、尼克松 日本人の名前は漢字で表記すると、中国では中国語読みになる。小林(xiao lin)、田中(tian zhong) 、鈴木(ling mu) 、佐藤(zuo teng) 、小泉(ziao quan) などとなる。 ペ リーが浦賀に来た直後に、ロシアのプチャーチンが艦隊を従えて長崎に入港した。当時の日本では英語もロシア語も通じなかったので、国書には母国語のほか に、漢文とオランダ語の翻訳が添えられていた。ロシアの国書の冒頭には「大君皇帝首仁幸来」とあった。漢学者は「首仁幸来」という部分が解読できなかっ た。「仁を首(はじめ)として幸が来る」と読み下したが、意味が通じない。オランダ語訳では「首(はじめ)の仁幸来(にこらい)」となっていたので、「仁幸来」が「ニコライ」であることがかろうじて判明したという。地名や人名などの漢字表記は字義にまどわされやすい。外国語を漢字で表記することは、今も昔もむずかしい。 日 本の地名や人名を、はじめて漢字で表記しようとした史(ふひと)たちは、現代の中国人が漢字だけを使って外国の地名や人名を表記するときに直面するのと同 じ問題に出会ったに違いない。同じロンドンを表わすのに「倫敦」と書く人と「竜動」と書く人がいたのでは、それが同じ地名を表わしているのか、違う所なの か分からなくなってしまう。また同じく「河内」と書いても日本では「かわち」、ベトナムでは「ハノイ」と読むというように、地方によって読み方が違ってし まうこともある。だから、漢字だけで書かれた古代の日本語を解読するのはむずかしい。 |
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