第222話
花の宴の巻を読む
2月に南殿で桜の花見の宴が催されます。その日は
よく晴れて、漢詩の会が開かれました。伏せてある紙を開くと、お題が与えられます。源氏の宰相の中将は、この日「春」というお題を与えられ、「春」に押韻
する漢詩を作ることになりました。漢詩を作ることは上流階級の男性のたしなみであり、日本最初の漢詩集である『懐風藻』は万葉集よりも先にできている。
1.はなのえん【日本古典文学大系】
二月(きさらぎ)の廿日あまり、南殿(なでん)の櫻の宴せさせ給ふ。
后・春宮(とうぐう)の御 局(つぼね)、左右にして、まうのぼりたまふ。
弘徽殿の女御は、中宮のかくておはするを、をりふしごとに、安(やす)からずおぼせど、物見に は、え(過)ぐし給はで、まゐり給ふ。 日、いとよく晴≪れ≫て、空の氣色、鳥の聲(こゑ)も心地(ち)よげなるに、御子達(みこた ち)、上達部(かむだちめ)よりはじめて、その道のは、みな、探韻(たんいむ)給はりて、詩 (ふみ)作(つく)り給ふ。
宰相中将、「「春」といふ文字(もじ)たまはれりとのたまふ聲さへ、例(れい)の人に異(こ と)なり。
漢語起源のことば
○「花の宴」の「花」の古代中国語音は花[xoa] である。日本語の「はな」は中国語の花[xoa] を語幹とした複合語であろう。華[hoa] も花[xoa]と音義ともに近く、いずれも日本語にはない喉音な
ので日本漢字音ではカ行に転移して花(カ・はな)、華(カ・はな)となる。 「花の宴」の「宴」は宴(えん)、「怨恨」の
「怨」は怨(ゑん)である。いずれも漢語であるが、中国語の原音は宴[yan]、怨[iuan] である。
○「みこたち(御子達)」の達[that/dat] は漢語である。「かむだちだちめ(上達部)」の部[bo/bəu] も漢語である。ここでは部(め)であるが、バ行、マ行はいずれも脣音であり調音の位置が同じである。調音の位置が同じ音は転移しやすい。
例:無[miua](ム・ブ)、萬[muan](マン・バン)、幕[mak](マク・バク)、 舞[miua](ブ・まう)、侮[miua](ブ)辱・毎[muə](マイ)、 奉[biong](ブ)行・奉[biong](ホウ)公、武[miua](ム)蔵・武[miua](ブ)士、
古漢和字典で無(ム)は呉音とされ、無(ブ)は漢
音とされている。また、舞(ブ)は音とされ舞(まう)は訓とされ、舞(ブ)訓とされている。しかし、舞(まう)は舞(ブ)の古い形であり、倭音である。 「幕」は呉音・幕(マク)、漢音・幕(バク)、
訓・幕(まく)とと辞書には書いてある。中国語音である幕(マク)が偶然にも「やまとことば」である幕(まく)と一致するということはありうるのであろう
か。幕(マク・まく)は倭音である。 氣色(けしき)は現代日本語では「けしき」に風
景の「景色」の文字を用いる。氣色(けしき)の原義は「自然界の動き」であるが、転じて「機嫌」「顔色」などに使われることもある。
○ 漢語(漢音・呉音):南殿(なでん)、宴、春宮(とうぐう)、左右、弘
徽殿、女御、中宮、 氣色、心地(ち)、御子達(
みこたち)、上達部(かむだちめ)、探韻(たんいむ)、 宰相、中将、例(れい)、 ○ 漢語起源のことば:御、をりふ
し、おぼす、物見(ものみ)、過(す)ぐす、鳥、 御子達(みこたち)、詩(ふみ)、作(つく)る、文字(もじ)、 ○ 朝鮮語と同源のことが:廿日(か)、
日、 ○ 訓(やまとことば):きさらぎ(二月)、廿日、
櫻、給ふ、后、つぼね(局)、まうのぼる、 おはす、をりふし、やす(安)い、す(過)ぐす、まゐる、給ふ、晴
(れ)、空、 こゑ(聲)、心ち(地)、みこたち(御子達)、か
むだちめ(上達部)、はじめ、その、 道、みな、春、のたまふ、人、こと(異)なる、
○ 詩(ふみ) 日本語の「ふみ」は中国語の文[miuən] の倭音である。この引用文の
場合、漢詩、和歌などの詩歌をさしているので、「詩」を用いて「ふみ」と読ませた。 日本漢字音では音は呉音も漢音も中国語音に依拠し
たものであるが、訓は中国語の意味に近い「やまとことば」を自由に選んであてはめることができる。しかし、日本語の「ふみ」の語源は中国語の詩[sjiə] ではなく、文[miuən] であろう。また、もじ(文字)は文[miuən] 字の韻尾[-n] が脱落したものである。(参照:第212話)
○ 廿日(か) 「日」の古代中国語音は日[njiet] である。日本語の日(ひ)あるいは日(カ)ということばは、中国語の日[njiet] とは全く別系統の
音である。日本語の「ひ」は朝鮮語の日(hae) と同源である。廿日(か)の「か」は朝鮮語の日(hae) の転移したものである。朝鮮語の(hae) は喉音であり、日本語にはない音なので、日本語で
は調音の位置の近いカ行に転移した(参照:第216話)。
○ 参照:御(第208話)、折・をり(
第212話)、おぼす(第213話)、 物見(第208話・第213話)、鳥(第215話)、作(つく)る(第211
話)、
歴史的仮名使い
○ たんゐむ(探韻) 探韻とは文台の上に韻字を書いた紙を伏せておい
て、列席者は官位順にその紙を取りに行き、韻字を賜り、その韻にふさわしい漢詩を作る遊びである。中将はこの日は「春」というお題をいただいている。 「探韻」の古代中国語音は探[thəm]・韻[hiuən] である。源氏物語の仮名書きは[-m] と[-n] が反対になっている。中国語音に忠実に再現すれば
探韻(たむゐん)であろう。古代日本語には[-n]や[-m] で終わる音節がなく、[-n]と[-m] は弁別されていなかったので、混同が起こった(参
照:第209話)
○ 宰相中将 「宰相中将」は漢字表記であるが、歴史的仮名使い
では宰相(さいさう)、中将(ちうじやう)になる。(参照:第215話、第219話)
ひらがなができてすぐに外国語である漢語の表記が
定まったわけではないので、ひらがな表記の確定しがたい漢語については漢字で表記したものが源氏物語には多いように思われる。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~花宴~
二月(きさらぎ)の二十日(はつか)あまりに、南殿(なんでん)の桜の宴をお催しになります。
后(きさき)と春宮(とうぐう)の御座所を、玉座の左右にしつらえて、お二方がお出ましになり ます。
弘徽殿(こきでん)の女御(にょうご)は、中宮がこういう風に控えていらっしゃることを、折節 ごとに面白からずお感じになるのですが、今日のような物見の日には、じっとしていらっしゃれな いで、御参列になります。
日が非常によく晴れて、空の色、鳥のこえも快げなので、親王(みこ)たち、上達部(かんだち め)を始めとして、その道の人々は皆探韻(たんいん)を賜わって、詩をお作りになります。
宰相(さいしょうの)中将(ちゅうじょう)は、「春という文字をいただきました」と仰せになり ます。
2.柳花苑の舞い~はなのえん~【日本古典文学大
系】 楽器の演奏に合わせて舞われる舞いは宮廷の花で
あった。頭中将(源氏)は美貌のうえに舞いも優雅で女房たちを魅了した。
左の大臣(おとゞ)、うらめしさも忘(わす)れて、涙おとし給ふ。
「頭中将、いづら、遲(おそ)し」とあれば、「柳花苑(りうくわゑん)」といふ舞を、これは、 いますこし、うち過(す)ぐして、
「かかる事もや」と、心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣(そ)給はりて、いと珍(め づら)しきことに、人思(おも)へり。
漢語起源のことば 宮廷の官名は通常漢語であるが、左大臣(さだいじんン)は左大臣(ひどりのおとゞ)と呼ばれることもあった。頭中将は頭(とう)の中将(ちうじやう)であるが「馬頭」となると馬(うま)の頭(かみ)とな
る。 「柳花苑(りうくわゑん)」の中国語音は柳[liu]・花[xoa]・苑[iuan] である。柳花苑は唐から来た舞いである。古代日本
語にはラ行ではじまる音節はなかった。中国語の頭音[l] は介音[-i-] をともなう場合には規則的に脱落した、日本語の柳
(やなぎ)は倭音の柳(ユ)に木(き・ぎ)が添加された複合語である。万葉集では数えるほどの仏教用語を除いてラ行では
じまることばは用いられていないが、源氏物語では柳(りゅう)、臨時(りんじ)、瑠璃(るり)などラ行ではじまる漢語が使われるようになっている。 花「くわ」
の「わ」は中国語の花[xoa] が花[xua] に近い合口音えあったことを示唆している。 (参照:第216話・願文
(ぐあんもん))
○ 漢語(漢音・呉音):頭中将、柳花苑(りうくわゑん)、 ○ 漢語起源のことば:忘(わす)れる、舞、御、衣(そ)、思ふ、 ○ 訓(やまとことば):左、おとゞ(大臣)、涙、給ふ、おそ(遲)い、す
(過)ぐす、事、心、 めづら(珍)しい、人、
○ 衣(そ) 日本語の「そ」は「衣」と表記されることが多い。
たしかに、「そ」の意味は中国語の「衣」に相当する。しかし、日本語の「そ」は中国語の裳[tjiang] にさかのぼることばであろう。源氏物語のなかでは
修[siu] 法(すほう)、受[zjiu] 領(ずりやう)、従[dziong] 者(ずざ)、數[sheok] 珠[tjio] (す ゞ)、誦[ziong](ず)經、など介音[-i-] が脱落した例がいくつかみられる。
○ 参照:御(第208話)、思ふ(第
213話)、忘(わす)れる(第218話)、 舞(第218話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~柳花苑の舞い・は
なのえん~
左大臣(ひだりのおとど)は、日頃の恨(うら)めしさも忘れて涙をお落としになりま
す。
「頭中将はいかにしたぞ、早く」とありますので、柳花苑(りゆうかえん)という舞を、これは少し念入りに舞いましたのは、こういうこともあろうかと、心づ
もりをしていたのでしょうか、非常に見事でしたので、お上からおんぞ(御衣)を賜わりますのを、あまり例のないことだと人々は思うのでした。
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