第219話  紅葉賀の巻を読む

& nbsp; 10月の10日あまりに、朱雀院への行幸がある。 その日の催し物はこれまでになく格別にすばらしいと前評判でしたので、行幸に随行しない女御などに見せられないのを残念に思って、御前でリハーサルをして 藤壺に見せます。源氏の中将は青海波を踊りました。二人舞いである青海波のお相手は頭の中将がなさいました。
 夕日が輝くなか、楽の音が響き渡り、源氏の君の足 拍子や表情などは、世にまたとないほどすばらしいものでした。

 1. もみぢの賀【日本古典文学大系】

  朱雀院(すざくゐん)の行幸は、神無月(かんなづき)の十日あまりなり。
  世(よ)のつねならず、おもしろかるべき度(たび)のことなりければ、御方々々、物、見たまは ぬ事を、くちを しがり給(たま)ふ。
  うへ(上)も、藤壺(つぼ)の、見給(たま)はざらんを、あかずおぼさるれば、試樂(しがく) を、御前(ごぜん)にてせさせ給(たま)ふ。
  源氏中将は、青海波(せいがいは)をぞ、舞(ま)ひ給(たま)ひける。
 片手( かたて)には、大殿(との)の頭中将、かたち・用意(ようい)、人には異(こと)なる  を、たち並(なら)びては、花(はな)のかたはらの深山(みや ま)木なり。
  入≪り≫がたの日影(かげ)、さやかにさしたるに、樂(がく)の聲(こゑ)まさり、物のおもし ろき程に、おなじ舞(まひ)の、あしぶみ・おもゝち、世 (よ)に見えぬさまなり。

   漢語起源のことば

 ○「もみじ」は源氏物語では 仮名で「もみぢ」と書 いてある。万葉集では「黄葉」「紅葉」などと書かれている。中国語の黄[huang] と紅[hong] は音が近い。中国語で四原色といえば、赤、青、 白、黒であり黄色は含まれていない。「黄」と「紅」は音も近いが、義(色)も近いと考えられていたのであろう。「もみじ」は和語である。

 ○「賀」の古代中国語音は賀[hai] である。「賀正」の「賀」であり、意味は「よろこ ぶ」「いわう」である。匣母[h-] は日本語漢字音では賀「ガ」であらわれることが多 い。我[ngai] も日本漢字音では我「ガ」であるが、「我」は鼻濁音であり、中国語では違う音である。区別して表記するとすれば、賀「ガ」、我「カ゜」である。

  喉音の例:賀[hai] ガ、画[hoek] ガ、害[hat] ガイ、學[heuk] ガク、丸[huan] ガン、含[həm] ガン、
            後
[ho]ゴ、護[ho] ゴ、号[hõ] ゴウ、
 鼻音の例:我
[ngai] カ゜、牙[ngea] カ゜、芽[ngea] カ゜、臥[nguai] カ゜、雅[ngea] カ゜、
      瓦
[nguai] カ゜、樂[ngõk] カ゜ク、眼[ngean] カ゜ン、

 ○「朱雀院」は上皇の御所で三条朱雀にあったので この呼び名がある。古代中国語音は朱[tjio][tziõk][hiuan] で拗音であるが、源氏物語の時代の漢字音では拗音でなく、直音で発 音されている。古代日本語には拗音がなかったからであろう。

 ○「試樂」の中国語原音は 「試[sjiək][ngõk]」である。「試」の声符は式[sjiək]であり、古くは「試」にも韻尾に[-k]の音があったものと考えられているが、唐代には韻 尾の[-k] はだつらくしていて試樂(シカ゜ク)と読む。試樂は天皇が出御するだいじな祭りにだされる神楽 の予行演習である。

○「青海波」は二人舞の雅楽の曲名である。片手は お 相手の舞い方をさす。舞人は波に千鳥の模様のある上着をつけ、鳳凰の頭をかたどった兜をかぶり、剣を帯びて踊る。

○ 御前(ごぜん)は漢語である。「御」の中国語音は[ngia] である。原本はひらがな表記だから御前(おんまへ)、あるいは御 前(みまへ)、ではなく御前(ごぜん)と漢語読みしていたことになる。古代日本語には濁音ではじまることばがなかったので、濁音ではじまる御前(ごぜん) は平安時代には外国語の響きをもったことばであったに違いない。(参照:第208話

 訓の御前(おんまへ)、御前(まへ)も中国語の[ngia]  が和語として古代日本語に取り入れられてものであり、御(おん)、御(み)も中国語の日本語に[ngia]  と同源である。御(おん)は[ngia]  の語頭に母音が添加されたものであり、御(み)は[ngia]  の頭音[ng-] がマ行に転移したものである。疑母[ng-] と明母[m-] とはともに鼻音であり、調音の方法が同じである。古代日本語には[ng-] ではじまる音節はなかったので、マ行に転移した。

 「もみぢの賀」にで てくる日本語を整理してみるとつぎのようになる。

 ○ 漢語(漢音・呉音):朱雀院(すざくゐん)、行幸、試樂(しがく)、御 前(ごぜん)、
  源氏、中将、青海波(せいがいは)、頭中将、用意(ようい)、樂(がく)、
 ○
漢語起源のことば:神 無月(かんなづき)、世(よ)、つね、度(たび)、御、物(もの)、
  見(み)る、くちをし、おぼす、舞(ま)ふ、かた手(て)、大殿(との)、た ちならび、
  花(はな)、深山(みやま)、入る、日影(かげ)、さす、もの、おもゝち、さま、
 ○
朝鮮語と同源:十 日(か)、日(ひ)か げ、
 ○ 
訓(やまとことば):神無月(かんなづき) の日(か)、おもしろき、こと、方、事、給ふ、
  うへ(上)、藤(ふじ)、つぼ(壺)、たま(給)ふ、あく、か たて(片手)、との(殿)、
  かたち、人、こと(異)なる、なら(並)ぶ、かたはら、木、こ ゑ(聲)、程、おなじ、
  あしぶみ、

 ○ 神無月(かんなづき)
 「かんなづき」を「神無月」と書くのは、神様が出雲に集合してしまって、いないからだという俗説がある。水無月(みなづき)、水上(みなかみ)はどうで あ ろうか。「水無月」は六月のことであり、水が無いわけがない。無(な)は現代日本語でいえば「の」にあたることばであり、「水無月」は「水の月」つま り、水のある月のことである。「水上」は「水の上(かみ)」つまり、水源に近い所である。「神無月」は陰暦11月のことで、「神の月」の意であろう。

 ○ 舞 (ま)ふ
「舞」の古代中国語音は舞
[miua] である。日本も「まふ」は中国語の[miua] と同源である。舞(まふ)は 中国語の原音・舞[miua]が日本語の動詞として活用したものである。「まふ」の「ふ」は動詞の活用語尾である。中国語には動詞の活用はないが、日本語や朝鮮語には動詞の活用がある。
(参照:第212話・ふるまひ(振舞))

 ○ 大との
 「大との」の「大」は漢字で書いてあるが和語であり、「との」はひらがなで表記されているが、漢語起源のことばである。
 「殿」の古代中国語音は殿
[dyən]である。日本漢字音は殿(デン)、訓は殿(との) である。古代日本 語には[-n]で終わる音節はなかったので、韻尾に母音をつけ て、殿(との)とした。君[giuən](クン・きみ)なども韻尾に母音をつけて和語として中国語を取り入れたものである。

 ○ たちならび
 「たちならび」は漢字仮名交じり文で書けば「立ち並び」であろう。「立」の古代中国語音は立
[liəp]である。「たち」「つ」は[liəp] の頭音[l-] がタ行に転移したものであり、「た」は立[liəp] の韻尾[-p] がタ行に転移したものである。中国語の韻尾[-p ]は日本漢字音ではしばしばタ行で置き換えられる。 接[tziap](セツ)、摂[siap](セツ)、雜[dzəp](ザツ)などは、韻尾[-p] がタ行に転移たものである。古代中国語の入 声韻尾には[-p][-t][-k] があるが、日本語では必ずしも明確に弁別されていない。
 「ならび」の語源は不明である。
古代日本語にはラ行音ではじまる音節はな かったので、調音の位置の近いタ行に転移する例がいくつか見られる。 

 例:立(リツ・たつ)、龍(リュウ・たつ)、滝 (リュウ・たき)など 

 ○ 日かげ
 日(ひ)は朝鮮語の日
(hae)と同源である。「かげ」はひらがなで表記してある が「影」であろう。「影」の古代中国語音は影[yang]である。「影」は景[kyang]と声符が同じであり「影」にも影[kyang]という音があって、それが後に脱落したものと考え られる。同じ声符をもった漢字でも ヨウ・躍 ヤク、夭 ヨウ・沃 ヨク、のようい読み分けられるものがある。カ行の韻尾が古く、曜(ヨウ)、夭(ヨウ)は音便化したものである。韻尾の[-ng] がカ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。

  例:影[kyang](ケイ・エイ・かげ)、光[kuang](コウ・かげ)、莖[heng](ケイ・くき)、 
   塚
[tiong](チョウ・つか)、丈[diang](ジョウ・たけ)、[bõ](ボウ)・爆[bõk](バク)、
   双
[sheong](ソウ)・双六(すごろく)、相[siang](ソウ)・相模(さがみ)、

 日本語の「かげ」には二つの語源がある。光[kuang]と影[kyang]である。「つきかげ」などの「かげ」は光[kuang]のことである。
(参照:第214話・すきかげ(透 影)第216話・二三日≪ふつかみか≫)

 ○ さす
 日本語の「さす」には射す、挿す、差す、刺す、指す、などの漢字があてられている。これらの漢字の古代中国語音は射
[djyak]、挿[tsheap]、差[tshea]、刺[tsiek]、指[tjiei]である。

「日がさす」の場合は「射[djyak]す」である。現代の日本漢字音は射(シャ)である が古代日本語では直音であらわれる。これらの漢字は朝鮮語でも直音であらわれる。
(参照:第216話・修法(すほふ)、第 217話・数珠(すず))

  朝鮮漢字音の例:射(sa)、者(sa)、渋(sap)、修(su)、數(su)、主(su)、首(su)、宿(suk)、小(so)

 ○ か(日)
 朝鮮語と同源のことばとして「十(か)」と「かげ(影)」がある。 
「日」は朝鮮語では日(hae)である。日本語の日(ひ)は朝鮮語の訓を借用した ものであり、日(か)はその転移したものである。朝鮮語の(h) は喉音であり、調音の位置が日本語のカ行に近い。

 ○ 参照:御(第208話)、物(もの)(第 208話おもゝち(第208話)、
     世(よ)(第209話)、深山(みやま)(第211話)、たびたび(度)(第213話)、
     見(み)る(第 213話)、かたて(片手)(第213話)、 おぼす(第213話)、
     舞(ま)ふ(第 213
)、さま(第216話)、入る(第217話)、
      花(はな)(第218話)、常(つね)(第218話)、

 歴史的仮名使い

○行幸
 源氏物語では漢字で表記されている。「行幸」は音ならば行幸(ぎやうかう)、訓ならば「みゆき」と読まれたはずである。行幸の古 代中国語音は行幸
[heang-heang]である。歴史的仮名使いのなかにも「きゃう」と書くものと「きよう」と表 記ものがある。

  [きやう]:京[kyang]、郷[xiang]、杏[heang]、狂[giuang]、境[kyang]、香[xiang]、仰[ngiang]、経[kyeng]
  [きよう]:凶[xiong]、恐[khiong]、興[xiəng]、凝[ngiəng]

 「きやう」と表記してあるものは唐韻[-ang]、耕韻[-eng]  の漢字であり、「きよう」と表記しているものは東韻[-ong]、蒸韻[ -əng]  の漢字である。「きよう」と表記されている漢字は中国語の[-i-] 介音を含んでいる。「きやう」と読む漢字にも介音[-i-]  ふ含みものもあるが、唐代に於ける介音[-i-]  の発達が日本語のかなの表記に反映していると思われる。

 歴史的仮名使いでは「かう」と書くものと「こう」と 書くものがある。

  [かう]:更[keang]、香[xiang]、向[xiang]、強[giang]、剛[kang]、郷[xiang]、講[ko]、交[keõ][kõ]
     江
[kong]、好[xu]、降[hoəm]
 [こう]:公[kong]、功[kong]、孔[khong]子、紅[hong]、鴻[kong]、口[kho]、後[ho]、興[xiəng][huəng]

「かう」は陽韻[-ang] が多く、「こう」は東韻[-ong] のものが多いが例外もある。

 ○ 中将
 「中将」も漢字で書いてあるが、歴史的仮名使いでは中将(ちうじやう)である。「中将」の古代中国語音は中将
[tiuəm-tziang]である。歴史的仮名使いには「じやう」のほかに 「じよう」と表記される漢語もある。

  [じやう・しやう]:常[zjiang]、浄、吉祥[zjiang]、城[zjieng]、成[zjieng]仏、生[sheng]
  [じよう・しよう]:丞[zjiəng]、乗[djiəng]、承[zjiəng]、縄[djiəng]、證[tjiəng]、勝[sjiəng]、称[thjiəng]
          昇
[sjiəng]、松[ziong]、冗[niong]

  「じやう」「しやう」は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]のもが多く、「じよう」「しよう」には蒸韻[-əng]、東韻[-ong]のものが多い。(参照:「かう」・「こう」)
 現代の表記法では「しょう」と表記するものを、歴 史的仮名使いでは「せう」と表記する場合もある。(参照:第212話・ 消息(せうそこ))

 ○ 用意(ようい)
 「用意」は「ようい」である。歴史的仮名使いでは「よう」と書くものと、「やう」と書くものとがある。

 [よう]:用[jiong] よう、容[jiong] よう、俑[jiong] よう、
  [やう]:様[jiang] やう、揚[jiang]貴妃 やうき )、芙蓉[jiong] ふやう、瓔[ieng]珞 やうらく、

 歴史的仮名使いで「よう」と書くものの古代中国語音は東韻[-ong]のものが多い。「やう」と表記するものには陽韻[-ang]、耕韻[-eng]のものが多い。しかし、例外もみられる。
(参照: 「じやう」・「じよう」)

 谷崎潤一郎訳『源氏物語』~紅葉賀~

  朱雀院(すざくいん)への行幸は十月(かんなづき)の十日あまりのことです。
  このたびはなみなみならず面白いはずの御儀(おんぎ)なので、后(きさき)や女御のおん方々は、 御見物になれないのを残念にお思いになります。
  お上(かみ)も藤壺(ふじつぼ)がごになりませんのを物足りなく思(おぼ)し召(め)されて、 試楽(しがく)を御前(ごぜん)でおさせになります。
  源氏の中将は青海波(せいかいは)をお舞いになりました。相手役には大殿(おおいとの)の頭中  将、器量も、用意も、人にすぐれていらっしゃいますが、源氏の君と立ち並んでは花の傍(かたわ) らの深山木(みやまぎ)なのです。
  入りかたの日が鮮(あざや)かにさしていますのに、楽(がく)の音(ね)が一段と高まって、今し も感興のたけなわな折から、同じ舞ながら君が舞い給う足拍子、お顔だち、世にたぐいない見物(み もの)なのです。

 

[源氏物語を読む]

☆第207話 ひらがなの発明

第 208話 桐壺の巻を読む

第 209話 帚木の巻を読む

第 210話 雨夜の品定め~帚木~

第 211話 馬の頭(かみ)の女性観~帚木~

第 212話 賢い女について~帚木~

第 213話 空蝉の巻を読む

第 214話 夕顔の巻を読む

第 215話 町屋の朝~夕顔~

第 216話 夕顔の死~夕顔~

第 217話 若紫の巻を読む

第 218話 末摘む花の巻を読む

☆第219話 紅葉賀の巻を読む

第 220話 青海波の舞の夕べ~紅葉賀~

第 221話 琴の調べ~紅葉賀~

第 222話 花の宴の巻を読む

第 223話 葵の巻を読む

第 224話 賢木の巻を読む

第 225話 花散里の巻を読む

もくじ