第217話
若紫の巻を読む
源氏は病を患い、北山の行者の所へ加持を受けに行
く。そこで、ある僧都のもとに身を寄せている美しい少女に出会う。少女は藤壺の姪だとわかり、面影が似ていることに惹かれて、源氏は自分の邸に連れてきて
育てるようになる。この少女こそが源氏の終生の伴侶となる紫の上である。この巻ではまた、父桐壺帝の妃藤壺との道ならぬ愛
も描かれている。
1.わかむらさき【日本古典文学大系】
わらは病(やみ)にわづらひ給(たま)ひて、よろづに、まじなひ・加持(かぢ)など、
まゐらせ 給(たま)へど、しるしなくて、あまたゝび、起(おこ)り給(たま)へば、
ある人、 「北山(きたやま)になむ、なにがし寺(でら)といふところに、かしこき行(おこな)
ひ人侍 る。 去年(こぞ)の夏(なつ)も、世におこりて、ひとびと、まじなひわづらひしを、やがて、 とゞむるたぐひ、あまた侍りき。しゝこらかしつる時は、うた
て侍るを、とくこそ心みさせ給は め」
など、きこゆれば、めしにつかはしたるに、 「 老(お)いかゞまりて、室(むろ)の外(と)にもまかでず」
と、申したれば、
「いかゞはせむ。いと忍(しの)びてものせん」
と、の給ひて 御供(とも)に、むつましき四五人(よたりいつたり)ばかりして まだ暁に、 おはす。
漢語起源のことば
源氏物語の時代には病気は物の怪がつくことによっ
て起こると考えられていた。病気を治すには加持祈祷によって物の怪を払わなければならなかった。宮廷は社寺に加持祈祷を命じた。
若紫(わかむらさき)の「若」は古代中
国語音は若[njiak]である。日本語の「わかい」は中国語の若[njiak]の声母[nj-]が脱落してワ行に転移したことばである。 「むらさき」の語源は根から紫色の染料のとれる草
の名前だといいわれている。「むらさき」はさらに「むら+さき」であるという説もある。「むらさき」は「群(むれ)咲(さき)」だともいわれている。語源はよくわからないものが多いから語源譚が生まれる。「さくら」は「咲(さく)+な」あるいは「咲(さく)+花
(はな)」といような語源説もあるに。ことば遊びとしては面白いが体系的、規則的でないから検証のしようがない。
○ 漢語(漢音・呉音):加持(かぢ)、 ○ 漢語起源のことば:たび、起(おこ)る、きた山(やま)、寺(てら)、行(おこな)ふ、 去年(こぞ)、世(よ)、とどむる、心み、かがま
る、時、御、暁、 ○ 訓(やまとことば):わらはやみ(病)、わづらふ、まじなひ、まゐる、
しるし、あまた、 たま(給)ふ、人、きたやま(北山)、なにがし、いふ、ところ、かしこし、おこな(行)ふ、 侍
る、こぞ(去年)のなつ(夏)、侍る、心みる、きこゆる、めす、つかはす、お(老)い、 むろ(室)、と(外)、まかでる、申す、しの(忍)ぶ、とも
(供)、おはす、 よたりいつたり(四五人)、
○ 度(たび) 日本漢字音は度(ド)、度(タク)である。支度(シタク)などの場合は度(タク)である。「度」の古代中国語音は度[dak]である。韻尾の[-k] が脱落して度[da] となった。 現代の北京音は度(du)、広東音は度(douh)、上海音は(du)、朝鮮漢字音は度(to)である。広東音が古代中国語音の韻尾の痕跡を留め
ているだけで、ほとんどの地域で[-k] は失われている。日本語の「たび」は古代中国語の韻尾[-k] の痕跡だと考えられる。度(たび)は度[dak] の韻尾が転移したものであろう。
古代中国語の韻尾[-p][-t][-k] は時代により、あるいは地域によって、区別が失われ、あるいは韻尾そのものが失われ
ていく。
中国古代音
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広東語音
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上海語音
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北京語音
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朝鮮音
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日本音
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[-p]
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-p
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-t
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脱落
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-p
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ハ行・タ行・ウ音便
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[-t]
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-t
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-t
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脱落
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-l
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タ行
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[-k]
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-k
|
-t
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脱落
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-k
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カ行
|
上海語音の韻尾は一応[-t] としたが、咽喉閉鎖音[?]であり、[-p][-t][-k]の区別はない。北京音では入声音[-p][-t][-k] の韻尾はすべて失われた。 日本語の[-p]は旧仮名使いでは法(ほふ)、蝶(てふ)などでは
ハ行で表記されたが、現代仮名使いでは法(ほう)、蝶(ちょう)の音便化された。また、接[tziap](セツ)、湿[sjiəp](シツ)雜[dzəp](ザツ)のようにタ行に転移したものもある。
○ 起(おこ)る 「起」の古代中国語音は起[khia]である。日本語の「おこる」は古代中国語の頭子音
起[kha]の前に母音が添加されたものであろう。中国語の[kh-]は中国語音韻学では次清音と呼ばれ、日本漢字音では
濁音であらわれる。「おこ
(起)る」の「お」は濁音の前に母音添加されたものであろう。「る」は動詞の活用語尾である。中国語には動詞の活用はない。
日本語の音韻構造の特色のひとつは母音で終わる開
音節であることであるとされているが、中国語にくらべて母音で始まる音節の多いことも、特徴としてあげることができる。『広辞苑』で調べてみると母音ではじまる単語は2588ページ中、375ページで約14.4%にあたる。 これに対して『中日辞典』では1988ページ中、a,e,i,o,uではじまるページはわずか28ページで1.4%しかない。『標準韓国語辞典』では1099ページ中160ページで、14.5%である。
古代の日本語では中国語の濁音や、次清音[kh-][th-][ph-] の前に母音を添加することがしばしばある。 例:暴[bôk] あばく、頭[do] あたま、挑[dyô] いどむ、出[thjuət] いづ、泉[dziuan] いづみ、 碁[giə] いご、弟[dyei] おと<古語>、丘[khiuə] おか、憩[khiat] いこい、破[phuai] やぶる、
○ 寺(てら) 「寺」の古代中国語音は寺[ziə]である。「寺」と同じ声符をもった漢字に時[zjiə]、特[dək]、等[təng] などがある。 中国語の寺[ziə]には「特」と同じように入声韻尾[k]を持った時代があったのではなかろうか。「寺」の
古代音が寺[dək]だったとすれば、日本語の寺(てら)は中国語音に
依拠したことばであると考えることができる。「てら」は日本に仏教とともに入って来たものだから、日本固有のことばがそれ以前からあったとは考えられない。(参照:第208話:時(とき)) 声符「寺」は次のように変化したと考えられる。
特[dək]→等[dəng]→[diəng]→寺[ziə]
○ 行(おこ)ふ 「行」の古代中国語音は行[heang]である。日本語の「おこなふ」は行[heang]と正確には対応していないが、行(おこなう)は中
国語音の転移したものである可能性がある。行[heang]の頭子音[h-] の前に母音が添加されて行(おこ)になった。頭子音[h-] が脱落したものが、「行(ゆく)」になった。
○ 去年(こぞ) 「去年(こぞ)」の「こ」は漢語である。「去」の古代中国語音は去[khia] である。「去」は過去(かこ)などでも「こ」であらわれる。去(こ)は介音[-i-] が発達する前の中国語音を継承している。 万葉集などでも「去年之春」(万1430)などの表記
があり、許[xa/xia]、巨[gia] などの漢字が「こ」の表記にしばしば使われてい
る。
○ 停(とどま)る 日本語の「とどまる」は中国語の停[dyeng]と関係のあることばである。「と
どまる」の「とど」は中国語の濁音[d]を濁音ではじまることばのない日本語の音韻構造に
なじませるために清音「と」を重ねたものである。 中国語の韻尾[-ng] は古代日本語ではカ行またはマ行であらわれる。疑母[-ng] は調音の位置がカ行と同じであり、調音の方法(鼻音)がマ行と同じである。調音の位置や方法が同じ音は転移しやす
い。「まる」の「る」は日本語の動詞の活用語尾の一部である。「とどむ」でもよい。 (参照:第213話・しず(静)
か、第224話・つづ(續)ける)、
○ 心み 源氏物語では「心み」と書かれている。日本語の「こころ」とは
何かは不明である。万葉集では「こころ」に「心」「情」「意」が用いられている。古代中国音で日本語の「こころ」にあてはまりそうなのは、魂[khuən] である。中国語音の[kh-]は次清音であり、日本語では頭音が重複して「こころ」となる
ことは充分考えられる。また、韻尾の[-n]は[-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。魂[khuən] は意味も「魂
(たましい)」、「人の精神、心」「心持ち」など日本語の「こころ」に近い。「心魂」という成句もあり、「心のそこ」の意味である。 「こころみ」は現代日本語では「試み」と表記され
ていが、原義は「心」とは直接関係のないことばであろう。
○ 暁 「暁」の古代中国語音は暁[ngyô]である。日本語の「あかつき」は「あかとき」で
「暁時」のことであろう。「暁」の古代中国語音は暁[ngyô]である。「あかつき」の「あか」は中国語の頭音[ng-] の脱落したも
のである。疑母[ng-]は介音[-i-][-y-] などの影響でしばしば脱落する。また、宵韻[ô]は薬韻[ôk]と相通じる。同じ声符の漢字でも韻尾に[-k] をともなうものと、そうでないものがある。「暁」の祖語は暁[ngyôk] に近い音価をもっていたものと思われる。
例:宵[siô]・削[siôk]、曜[jiô]・躍[jiôk]、夭[yô]・沃[ôk]、悼[dô]・卓[teôk]、䔥[syô]・粛[siuk]、
宵韻[ô] が日本語でカ行であれわれる例はいくつかあげることができる。これらはいずれも宵韻[ô] が[ôk] と発音されていた時代の痕跡をとどめている。 例:猫[miô]「ねこ」、焼[ngyô]「やく」、
小[siô]「すくな
い」少[sjiô]「すこし」、
○ 参照:御(第208話)、世(よ)(第
209話)、山(やま)(第211話)、 かがまる(第213話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』若紫
瘧病(わらわやみ)をおわずらいになって、いろいろと禁厭(まじない)や加持(かじ)
などをな さいますけれども、その験(しるし)がなくて、たびたび発作(ほっさ)に悩
んでいらっしゃいま すと、或る人が、「北山に、某(なにがし)寺という所に、偉い行者
がおります。
去年の夏もあの病気が流行(はや)りまして、ほかの行者たちが持てあつかっておりま
したのを、 わけなく直した例がたくさんございます。 こじらせると厄介(やっかい)で
ございますから、早速お試(ため)しなさいませ」などと申し上 げますので、使いをやっ
てお招きになりますと、
「老衰いたしておりまして、足腰が不自由でございますから、室(むろ)の外へも出ま
せん」
と申しますので、
「ではいたし方がない、忍んで行こう」と仰せになって、睦(むつま)じい者を 四五人だけ供にお連れなされて、まだ暗いうちにお出かけになります。
2.満願成就~若紫~【日本古典文学大系】
加持祈祷によって願いがかなえられると、僧侶に布
施を贈るばかりでなく寺のまわりの人々にまで祝いの品が配られる。
聖(ひじり)、御まもりに、獨鈷(とこ)たてまつる。
見給(たま)ひて、僧都、聖徳太子(さう とくたいし)の、百濟(くだら)より得(え)
たまへりける、金剛子(こむがうじ)の數珠 (すゞ)の、玉(たま)の装束(さうぞく)
したるを、やがて、その國(くに)より入(い)れた る箱(はこ)の、唐(から)めい
たるを、透(す)きたる袋(ふくろ)に入≪れ≫て、五葉(え ふ)の枝につけて、紺瑠璃(こむるり)の壺(つぼ)どもに、御薬(くすり)ども入(い)れて、 藤・櫻などに
つけて、ところにつけたる御贈(おく)り物(もの)ども、さゝげたてまつり給ふ。
君、聖(ひじり)よりはじめ、讀經しつる法師(ほふし)の布施(ふせ)、まうけのもの
ども、さ まざまに取(と)りに遣(つか)はしければ、そのわたりの山がつまで、さる
べき物(もの)ども 給ひ、誦(ず)經などして出≪で≫給ふ。
漢語起源のことば
獨鈷(とこ)、はインドでは武器であったといわ
れるが、仏教では法具として使われる。金剛子(こむがうじ)の「金剛」は堅い、
「子」は木の実。真っ黒く、極めて堅いから数珠の玉としてよく使われた。主として朝鮮産である。紺瑠璃(こむるり)、は紺色のガラスである。正
倉院の御物にも紺瑠璃坏、紺瑠璃壺があり、イラン方面からもたらされたものとされている。
○ 漢語(漢音・呉音):獨鈷(とこ)、僧都、聖徳太子(さうとくたいし)、數珠(すゞ)、 金剛子(こむがうじ)、装束(さうぞく)、紺瑠璃(こむ
るり)、五葉(えふ)、讀經、 法師(ほふし)、布施(ふせ)、誦(ず)經、 ○ 漢語起源のことば:御、まもり、み(見)る、くだら(百濟)、くに(國)、
い(入)れる、 はこ(箱)、から(唐)、す(透)く、もの(物)、
君、さまざまに、と(取)る、 やま(山)、出≪で≫る、 ○ 訓(やまとことば):ひじり(聖)、たてまつる、たま(給)ふ、え
(得)る、たま(玉)、 藤、櫻、ふくろ(袋)、枝、つぼ(壺)、くすり
(薬)、藤、櫻、ところ、つける、 おく(贈)る、さゝげる、わたり、山が
つ、つか(遣)はす、
○ まもり 日本語の「まもり」は中国語の護[ngio] であろう。中国語の疑母[ng-]は鼻音であり、調音の方法が[m-]と同じである。日本語の「まもり」の護[ngio]の頭音がマ行であらわれたものである。「まもり」は「ま+も+り」とマ行音が重複しているが、古代日本語では語頭のマ行音は重複することが多い。 例:馬[mea] むま、梅[mea] むめ、鰻[miuan] むなぎ、牧[miuək] むまき、など、
日本語の「まもり」は音義ともに中国語の護[ngio] に近く、「まもり」は中国の護[ngio] の転移したものであろう。では(例えば周の時代の漢字音は護[mo]に近く、日本語の「まもる」は中国語音の語頭音を
重複させたものであろう。同じく疑母[ng-] をもった御[ngea] も御(み)であらわれる。 (参照:第208話・御) ○ 百濟(くだら) 「百濟」と書いてなぜ「くだら」と読むのかは明ら
かではない。古代中国語音は百濟[peak-tzyei] であり、朝鮮漢字音は百(paek)濟(jae)である。「くだ
ら」の「く」は百[peak]の韻尾の[-k]であり、頭音の[p-]は介音の影響で脱落したものと考えることができる。 「くだら」は広開土王碑には「百殘」と書かれてお
り、「殘」は殘[dzan]である。殘[dzan] の祖語は殘[dan]に近い音であった可能性がないわけではない。も
し、この仮説が受け入れられるとすれば、「くだら」は百殘[peak-dan] の転移したものだということになる。中国語の韻
尾[-n]が倭音でラ行であらわれる例はかなり多くみられ
る。
例:漢[xan] から、寛[khuan] ひろい、換[xuan] かえる、還[hoan] かえる、雁[ngean] かり、 巾[kiən] きれ、玄[hyuen] くろ、昏[xuən] くれ、算[suan]盤 そろばん)、塵[dien] ちり、 駿[tziuən]河 するが、敦[tuən]賀 つるが、
播[puan]磨 はりま、
邊[pyen] へり、片[phian] ひら、
○ 國(くに) スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレ
ン (1889-1978) は『言語学と古代中国』の中で、日本語の「くに」
は中国語の「郡」であろうとしている。古代中国語の「郡」は郡[giuən]である。朝鮮半島の北部には漢の時代から楽浪郡、帯方郡などの植民地がおかれていた。そこに住む人びとは、「郡」を「くに」に近いものと考えていたとしてもおかしくない。もし、そうだとすれば日本語の「くに」は郡[giuən]
と同源であり、現在使われている漢字の「國」は律令制度が定着してからのものであるということになる。しかし、これを証明するのはむずかしい。 ○ 箱(はこ) 「箱」の古代中国語音は箱[siang]であり、日本語の「はこ」と意味は近いが、音のう
えでは関係がありそうにない。日本語の「はこ」は匣[heap]であろう。中国語音の[h-]はしばしばハ行であらわれる。「はこ」に
は篋[heap]、筐[kiuang]もあり、いずれも日本語の「はこ」に音義ともに近
い。
○ 君 古代中国語音の「君」は君[giuən] である。日本語の君(きみ)は古代中国語音の君[giuən] と同源であろう。中国語の韻尾[-n]を日本語でマ行であらわれる例は多い。 (参照:第209話・「ん」
と「む」)。
1.中国語の韻尾[-n]が倭音でナ行であらわれるもの。 絹[kiuen] きぬ、秈[shean] しね、段[duan]・壇[dan] たな、殿[dyən] との、 2.中国語の韻尾[-n]が倭音でマ行であらわれるもの。 肝[kan] きも、簡[kean] かみ、混[huən] こむ、困[khuən こまる、蝉[zjian] せみ、弾[dan]たま、 填[dyen] つめる、屯[duən] たむろ、繙[piuan] ひも、蟠[buan] へび・へみ、浜[pien] はま、 嬪[pien] ひめ、文[miuən] ふみ、眠[myen] ねむる、純[zjiuən] すむ、
○ 取(と)る 「取」の古代中国語音は取[tsio]である。取[tsio] は介音[-i-]の発達によって摩擦音化したもので、「取」の祖語は取[tso]あるいは取[to]に近かったものと考えられる。日本語の「とる」は
中国語の古代音の痕跡を残したことばであろう。
○参照:物(もの)(第207話)、御(第
208話)、出(で)る(第210話)、 入(い)れる(第211話)、見る(第213話)、透(す)く(第214話)、 さまざまに(第216話)、
歴史的仮名使い
○ 僧都(そうづ) 古代中国語の僧都(そうづ)
の「僧」は僧[tzəng]である。歴史的仮名使いでは中国語の韻尾が蒸韻[-əng] のものを「そう」と表記した。 装束(さうぞ
く)の「装」は装[tzhiang] である陽韻[-ang] のものは「さう」と表示した。装[tzhiang] には[-i-] 介音があるはずだが、中国語の介音は日本語音には反映されていない。 (参照:第216
話・さうぞく(装束))
○ 聖徳太子(さうとくたいし) 「聖」の古代中国語音は聖[sjieng] である。日本漢字音は呉音・聖「ショウ」、漢音・
聖「セイ」、である。聖[sjieng] は耕韻[-eng] であり、[-i-] 介音があるはずだが、日本語音には反映されていない。(参
照:第215話・精進、第216話・装束)
歴史的仮名使いで「さう」と表記される漢字には、耕韻[-eng] のものと陽韻[-ang] のものがある。日本漢字音は呉音「ショウ」、
漢音「セイ」のものが多い。歴史的には「さう」のほうが古く、「しやう」は介音[-i-] の発達を反映して拗音化したものである。
例:聖[sjieng]、精[dzieng]進、請[tsieng]、正[tjieng]、装[tzhiang]束、文章[tjiang]、相[siang]、 象[ziang]、像[ziang]、床[dzhiang]、桑[sang]、菖[thjiang]蒲、常[zjiang]、蔵[dzang]、倉[tsang]、
○ 數珠(すゞ) 「數」の古代中国語音は數[sheok] あるいは[sheo] である。「珠」は珠[tjio] である。日本漢字音は珠「シュ」である。數珠
(すゞ)は介音[-i-] が反映されていない。ちなみに、朝鮮漢字音は數(su)珠(ju)である。源氏物語の日本漢字音は朝鮮漢字音に近
い。(参照:第216話・修法)
○ 五葉(ゑふ) 「葉」の古代中国語音は葉[jiəp]である。「ゑふ」
の「ふ」は葉[jiəp] の中国語韻尾[-p] を反映している。
○讀經(どきやう)・誦經(ずきやう) 「讀」の古代中国語音は讀[dok]である。「經」は經[kyeng]である。讀經(どきやう)は讀[dok]の韻尾[-k]と經[kyeng]の頭音[k-]がひとつになったものである。 「誦經(ずき
やう)」の「誦(ず)」は誦[ziong] であり、介音[-i-] は日本語音に反映されていない。 韻尾の[-ng]は脱落している。「誦」の朝鮮漢字音は誦(song)であり、やはり、介音[-i-]は反映されていない。日本語や朝鮮語の祖語には拗音はなかったのではなかろうか。 (参照:第216話・修法、装
束)、
○ 法師(ほふし) 法師の「法」の古代中国語音は法[piuap]である。「ほふし」
の「ふ」は古代中国語音の韻尾[-p]を写したものである。 日本漢字音では中国語の韻尾[-p]はタ行であらわれることがある。立[liəp](リツ)、接[tziap](セツ)、雜[dzəp](ザツ)などである。法華堂(ホッケドウ)、法被(ハッピ)、法度(ハット)のように促音化することもある。「法師」の朝鮮漢字音は法師(peop-sa)である。朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-p]は規則的に(-p)であらわれる。 (参照:第213話・劫、第216話・修法)
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~若紫・満願成就~
聖は君のおん守りに、独鈷(とつこ)をお贈り申し上げます。
僧都はそれを見られて、聖徳太子が 百済(くだら)からお取り寄せになった金剛子(こ
んごうじ)の数珠(じゅず)の、玉の飾りのつ いたのを、昔その国から入れて送って来
たままの唐風(からふう)の箱に納めて、透(すか)しの ある袋に入れて、五葉(ごよ
う)の枝に結いつけてお贈り申し、また紺瑠璃(こんるり)の壺など にお薬を入れて、
藤、桜などの枝に結いつけたのや、山里にふさわしい土産物(みやげもの)など も取り添えて差し上げられます。
君は聖を始めとして、読経を勤めた法師への布施(ふせ)、その他用意の品々をいろいろ
と京へ取 りにおやりになりまして、そのあたりの山樵(やまがつ)へまで相応の物を下
しおかれ、御誦経 (みずきょう)の布施などをして立ち出でられます。
「かな」書きには句読点がなかった
ひらがなの発明によって日本語は表音文字で表記で
きるようになった。当時は活字がないからすべて写本であり、筆書きである。中国語にも句読点をつける習慣はなかった。平安時代の日本にも、分かち書きや句
読点をつける習慣はなかったから、祐筆が書いたものでも判読はかなり困難だったにちがいない。若紫の一節を底本の通りに活字にしてみると次のようになる。
漢字も一部交ってはいるが、かなの部分はどこに単語の区切りがあるのか、判読はむずかしい。
ひじり御まもりにとこたてまつる見たまひて僧都さうとくたいしのくだらよりえたまへ
りけるこむがうじのすゞのたまのさうぞくしたるをやがてそのくによりいれたるはこの
からめいたるをすきたるふくろに入て五えふの枝につけてこむるりのつぼどもに御くす
りどもいれて藤櫻などにつけてところにつけたる御おくりものどもさゝげたてまつり給
ふ君ひじりよりはじめ讀經しつるほふしのふせまうけのものどもさまざまにとりにつか
はしければそのわたりの山がつまでさるべきものども給ひず經などして出給ふ
日本では日本語をあらわす文字として「かな」が発明
されたのに、結局現在でも漢字仮名交じり文が普通であり、「かな書き」は普及しなかった。源氏物語を原文で読んでみると、かなだけでは単語の単位をみつけることがむずかしい。現代の日本語の文章では、漢字は分かち書きの役割をはたしているともいえる。単語
がみつからなければ辞書を引くこともできないし、意味をとることもできない。
英語やヨーロッパの言語では単語を分かち書きして
いる。朝鮮語でもハングルは句(単語+助詞や活用語尾)を分かち書きしている。中国語は漢字そのものが語の単位になっているから、分かち書きをする必要がない。中国語の表記には句読点もはなかったが、最近は中国語でも活字本では句読点をつける。
日本でも小学校3年生くらいまでの国語の教科書
では、仮名書きが多くて読みにくいから分かち書きを取り入れている。外国人に日本語を教える日本語教室では、分かち書きが取り入れられている。分かち書きがな
いと辞書を引けないからである。
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