第224話
賢木の巻を読む
六条の御息所は、源氏との仲に失望して、伊勢下向
の決心をします。葵の上は良家のご出身でもあり、正妻として、けむたくもあったのですが、お亡くなりになってから後は、世の人も宮中でも、今度こそは御息
所が正妻になるのではと、いう噂が絶えませんでした。しかし、源氏の君のお通いは、途絶えてしまったのでした。 そこで、今度こそは断ち難い思いを一切断ち切っ
て、憂き世を離れて伊勢へ出発しよと決心したのでした。源氏の君は、さすがに名残惜しくて、お手紙(消息)だけは、たびたびお届けになります。御息所も、
ご対面することは、今更かなわないことだと、あきらめておられます。 源氏の君は春秋2回の御読経(みどきょう)の会の
ほかにも、さまざまな法会をなさいます。また漢詩の会を開いたり、韻塞(いんふたぎ)なども会も催されて、楽しまれます。源氏は詩文の才能にも長けているのでした。
1.さかき【日本古典文学大系】
齊宮の御下(くだ)り、近(ちか)うなり行≪く≫まゝに、御息所、もの心ぼそく思(おも)ほす。
やむごとなく、煩(わづら)はしき物におぼえ給へりし、大殿のきみも、失(う)せ給ひて後、「さりとも」と、世≪の≫人も聞(きこ)えあつかひ、宮の内
(うち)にも、心(こころ)ときめきせしを、そのゝちしも、かき絶(た)え、あさましき御もてなしを、見給ふに、「『まことに憂(う)し』と、おぼす事こ
そありけめ」と、しりはて給ひぬれば、よろづのあはれを、思(おぼ)しすてゝ、ひたみちに、いで立(たち)給ふ。 親(おや)、添(そ)ひて下
(くだ)り給ふ例(れい)も、殊(こと)になけれど、いと、見放(みはな)ちがたき御有様(ありさま)なる事つけて、「うき世を行(ゆ)き離(はな)れな
ん」と、思(おぼ)すに、大将の君、さすがに、「『今は』と、かけ離(はな)れ給ひなん」も、口惜(くちを)しく思(おぼ)されて、御消息(せうそこ)ば
かりは、あはれなるさまにて、たびたび通(かよ)ふ。 對面(たいめむ)し給はん事をば、「今更(いまさら)にあるまじき事」と、女君も思(おぼ)す。
漢語起源のことば 「さかき」は「賢木」とも書くが「榊」とも書く。
神事用の木で「榊」は日本人が作った国字である。「賢」の古代中国語音は賢[hyen]である。日本漢字音は呉音・ゲン、漢音・ケンであ
る。常用訓は「かしこい」である。 賢木という木は漢和字典にのっていないから、おそ
らく中国に「賢木」というのはないだろう。「かしこい」ことは「さかし」ともいうから賢木(さかき)はそこからきたことばであろう。万葉集に「古(いにし
へ)の賢(さか)しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも」(万1725)という歌がある。万葉集の表記は「賢人之」である。 「賢」を「かしこい」あるいは「さかし」とするの
は、はたして「やまとことば」を同じ意味をもつ漢字「賢」にあてたものであろうか。同じ声符をもつ堅[kyen] は堅(ケン・かたい)であり、堅(かたい)は漢語
起源の倭音である。堅[kyen] の韻尾の[-n] は[-t] と調音の位置が同じであり、転移したものであると
説明できる。入声音の[-t] のほうが古く、[-n] は唐代の音である。 しかし、賢[hyen](かしこ・さかし)となると、似ている点はあるもの
の倭音であると決めつけるには傍証がなさすぎる。(参照:第221話)
○ 漢語(漢音・呉音):齊宮、憂(う)し、例(れい)、消息
(せうそこ)、對面(たいめむ)、 ○ 漢語起源のことば:御、行≪く≫、御息
所、もの心、物、思(おも)ほす、物(もの)、 大殿(おほとの)、きみ、世
(よ)、宮、絶(た)える、見(み)る、しる、あはれ、 いで立(た)つ、思(おぼ)す、すてる、見放(みはな)つ、御有様(ありさま)、 うき世、行(ゆ)く、あはれ、さま、たびたび、今更(いまさら)、女君、 ○ 訓(やまとことば):くだ(下)る、ちか(近)い、御息
所、心ぼそい、やむごとなし、 わづら(煩)はし、給ふ、大殿(おほとの)、う(失)せる、
後(のち)、人、 きこ(聞)える、うち(内)、心、ときめく、その、のち、あさましい、もてなし、 よろづ、事、おや(親)、そ(添)ふ、くだ(下)る、殊
(こと)、はな(離)れる、 かよ(通)、いまさら(今更)、
○ 捨(す)てる 「捨」の古代中国語音は捨[sjya] である。日本漢字音は呉音・漢音とも捨(シャ)で
ある。 しかし、古代日本語では中国語の口蓋化や介音[-i-] の発達はあまり反映されない傾向にある。 「捨(す)てる」は「捨」の倭音である可能性が高
い。
例:射[djya](シャ・さす)、
朱[tjio] 雀(シュ・す)、修[siu] 法(シュウ・すほふ)、 受[zjiu] 領(ジュ・ずりやう)、誦[ziong] 經(ショウ・ずきやう)、數[sheo] 珠[tjio](ずず)、 従[dziong] 者(ジュウ・ずさ)宿[siuk] 禰(シュク・すくね)、州・洲[tjiu](シュウ・す)、 摺[tjiəp](シュウ・する)、渚[tjia](ショ・す)、障[tjiang](ショウ・さはる)、 勝[sjiəng](ショウ・すぐれ)、状[dziang](ジョウ・さま)、
○ 無(な)けれど 「無」の古代中国語音は無[miua]である。[m] と[n] はいずれも鼻音であり、中国語音の[m]は倭音ではナ行にあらわれる場合が多い。「ない」
は中国語の「無」の倭音である。
例:無[miua](ム・ない)、名[mieng](メイ・な)、鳴[mieng](メイ・なく)、 苗[miô](ビョウ・なえ)、猫[miô](ビョウ・ねこ)、撫[miua](ブ・なでる)、
○ 行≪く≫ 「行」の古代中国語音は行[heang] である。日本漢字音は呉音・行(ギョウ)、漢音・
行(こう)、唐音・行(アン)とされている。日本語では行(ゆく)あるいは行(いく)である。日本語の「ゆく」あるいは「いく」は古代中国語の行[heang] である。ヤ行はア行の拗音であり、中国語原
音の介音[-i-]などの影響で転移しやすい。
○ 御息所(みやすどころ) 六條の御息所である。御息所の御(み)であ
る。「息」の古代中国語音は息[siək]である。訓の息(いき)は中国語の頭音[s] が介音[i] の影響で脱落した倭音であろう。息の動詞は「いこ
ふ」であり、息(やすむ)は「いこふ」の同義語である。(参照:第208話) 「所」の古代中国語音は所[shia/thjia] である。「ところ」の「とこ」は中国語の「所」と
関係のあることばである可能性がある。照[tj] 系の文字は端[t]系の文字の口蓋化したものであり、随唐の時代に口
蓋化される以前の所[shia/thjia] は所[tha] に近かった可能性がある。大野晋『岩波古語辞典』
によると「所」「処」は「トコ(床)と同根。ロは接尾辞。」だという。「所」「処」と同系の漢字について調べてみると、次のような音訓の対応をあげること
ができる。
例:床[dzhiang](ショウ・とこ)、照[tjiô](ショウ・てる)、衝[thjiong](ショウ・つく)、 丈[diang](ジョウ・たけ)、常[zjiang](ジョウ・とこ)、畳[dyap](ジョウ・たたみ)、
○ 宮 「宮」は斎宮(さいぐう)、春宮(とうぐう)、東
宮(とうぐう)などが出てくる。「宮」の古代中国語音は宮[kiuəm]であるとされている。もし古層の中国語音に入りわ
たり音があって、「宮」に宮のような音があったとすれば、宮(みや)は入りわ
たり音が脱落したものであり、音の宮(キュウ・グウ)は入りわたり音が発達したものだと、見ることができる(参照:第211話・見る)。 もし、宮[hmiuəm](みや)が古代中国語の入りわたり音[h-] を失ったものであると
するならば、京[kyang](キョウ・みやこ)は京[hmyang] の入りわたり音[h-] が発達したものが京(キョウ)であり、入りわたり音[h-] の脱落したのが京(みやこ)に継承されたということになる。
○ いで立(た)つ 「出」の古代中国語音は出[thjiuət] である。日本語の出(でる)は中国語の出[thjiuət] の転移したものである。語頭の[th] は中国語では次清音であり、日本語では濁音であら
われることが多い。韻尾の[-t] は調音の位置が[-l] と同じであり、ラ行に転移しやすい。中国語の韻尾[-t] は朝鮮漢字音では規則的に[-l] に転移する。(参照:第210話・い(出)で)。 「立」の古代中国語音は立[liəp] である。古代日本語にはラ行ではじまる音節はな
かったので、中国語の頭音[l] はタ行に転移した。
例:立[liəp] たつ、龍[liong] たつ、滝[leong] たき、粒[liəp] つぶ、蓼[lyu] たで、
「立」の韻尾の[-p]は日本漢字音ではしばしばタ行に転移する。
例:立[liəp] リツ、接[tziap] セツ、摂[siap] セツ、雜[dzəp] ザツ、
○ 見放(みはな)つ 「はな(放)つ」は中国語の「放」に関係あるかも
しれない。「放」の古代中国語音は放[piuang] である。(参照:第211話・見る)
○ うき世 「うき世」は「憂き世」であるともいい、「浮き
世」であるともいう。「う(憂)き」は呉音であり、「浮(う)き」はやまとことばである。谷崎潤一郎訳の『源氏物語』では「浮き世」となっている。(参
照:第213話・憂し)、
○ 参照:物(もの)心(第207話・物)、御 (第208話)、世(よ)(第209話)、 思(おぼ)す(第210話)、今更(いまさら)(第211話)、しる(第213話)、 消息(せうそこ)(第212話)、絶(た)える(第212話)、 見(み)る(第213話)、たびたび(第
213話)、あはれ(第213話)、 憂(う)し(第213話)、御有様(ありさま)(第216話)、 君(きみ)(第
217話)、大殿(おほとの)(第219話)、
歴史的仮名使い
○ 對面(たいめむ) 「面」の古代中国語音は面[mian] であり、韻尾は[-m] ではない。中国語音の韻尾[-m]・[-n] についての源氏物語の表記はゆれている。(参照:
第208話)、
○ 消息(せうそこ)(参照:第212話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~賢木~
齊宮(さいぐう)の伊勢へお下(くだ)りなさいます日が近づくにつれて、御息所(みやすどころ)はもの心細(こころぼそ)くお思いになります。
御本妻として気の置けるものにお思いになっていらしった、大殿(おおいとの)の姫君がお亡くなりなされましてからは、何と言っても今度こそはこのお方が
と、世の人々も 噂(うわさ)を申し、宮の内の人々も胸をときめかしていましたものを、そののちはなおさらふっつりと打ち絶えて、心外なまでに冷(つめ)
たいお仕打ちをお示しになるのは、全く自分を忌まわしいものとお思いになるわけがあったに違いないと、分っておしまいになりましたので、いろいろの愛着を
振り捨て給うて、一途(いちず)に思い立たれるのです。
母親が附き添ってお下りになるという例も、別段にないのですけれども、とても手放しにくいおん有様(ありさま)であるというのをかこつけに、浮世を遠く離
れて行こうとお思いになりますので、大将(だいしょう)の君も、さすがにこれなりお別れになるのが名残り惜しく、おん消息ばかりは、あわれを籠(こ)めて
たびたびお取り交(かわ)しになります。
ご対面なさいますことは、今さらにあるべきでないと、女君も思っていらっしゃいます。
2.歌比べ~さかき~【日本古典文学大系】 平安時代の宮廷ではしばしば漢詩や和歌の歌比べが
行われている。歌比べは順位を競う歌合戦であり、賞品も出た。歌比べはまた社交の場でもあった。
夏(なつ)の雨(あめ)、のどかに降(ふ)りて、つれづれなる頃(ころ)、中将、さるべき集(しふ)ども、あまた持(も)たせて、まゐり給へり。
とのにも、文殿(ふどの)あけさせ給ひて、まだ開(ひら)かぬ御厨子(みづし)ども≪の≫珍(めづら)しき古集(しふ)の、故(ゆゑ)なからぬ、すこし選(え)り出(い)でさせ給ひて、その道(みち)みちの人、わざとはあらねど、あまた召(め)したり。
殿上人も大學(がく)のも、いと多(おほ)う集(つど)ひて、左右にこまどりに、かたわかせ給へり。賭(かけ)物どもなど、二(に)なくて、挑(いど)みあへり。 塞(ふた)ぎもてゆくまゝに、難(かた)き韻(ゐん)の文字(もじ)ども、いと多(おほ)くて、おぼえある博士(はかせ)どもなどの、惑(まど)ふところどころを、時(とき)どき、うちの給ふさま、いとこよなき御才(さえ)の程なり。
「いかでかうしも、足(た)らひ給ひけん。なほ、さるべきにて、かくよろづの事、人には、勝(すぐ)れ給へるなりけり」と、めで聞(きこ)ゆ。
漢語起源のことば
ここにはいくつかの漢語が使われている。「古し
ふ」「みづし」「大がく」「ゐん」「もじ」「はかせ」「さえ」などかな表記のものも漢語である。 「しふ」は「集」であり、「ふ」は集[dziəp] の韻尾の[-p] を忠実に写している。 「づし」は「厨子」で「厨」の古代中国語音は厨[dio] である。日本漢字音は呉音・厨(ズ・ジュウ)であ
り、漢音・厨(チュウ)である。現代の漢字音では厨房(チュウボウ)の厨(チュウ)であるが、源氏物語では介音(i)が脱落して厨(づ)である。介音[-i-] は中国では随の時代に発達してきたものと考えられ
ている。 「さえ」は才[dzə] であり、之韻[ə] である。現代の北京語では之(zhi) であるが古代の中国語音は之[tjiə] のようなあいまい母音であったと考えられており、
才[dzə] は「さえ」と表記されている。日本語の「え」は[ai] あるいは[ia] に近い音であったと考えられている。
○ 漢語(漢音・呉音):中将、古集(しふ)、御
厨子(みづし)、殿上人、大學(がく)、左右、 二(に)、韻(ゐん)、文字(もじ)、博士(はかせ)、才(さえ)、 ○ 漢語起源のことば:降(ふ)る、頃(ころ)、文殿(ふどの)、御厨子(みづ
し)、 出(い)で、物(もの)、挑(いど)む、塞(ふた)ぎ、時(とき)、勝(すぐ)れる、 ○ 朝鮮語と同源のことば:た(足)る、 ○ 訓(やまとことば):なつ(夏)、あめ(雨)、も(持)つ、給ふ、ひら
(開)く、程、 めづら(珍)しき、ゆゑ(故)、え(選)る、みち
(道)、人、め(召)す、殿上人、 おほ(多)く、つど(集)ふ、かけ(賭)、かた(難)き、
まど(惑)ふ、事、 きこ(聞)ゆ、
○ 降(ふ)る 「降」の古代中国語音は降[hoəm] である。日本漢字音は降(コウ)である。中国語の
喉音[h]は日本語にはない音である。日本漢字音(呉音・漢
音)では調音の位置の近いカ行に転移するが、倭音(奈良時代以前に日本語に受け入れられた漢語音)ではハ行に転移するものが多い。 (参照:第210話・經
る第218話・經る・降る)
○ 文殿(ふどの) 「文」の古代中国語音は文[miuən] である。日本漢字音は呉音・文(モン)、漢音・文
(ブン)である。「ふみ」は「文」の倭音である。「文殿(ふどの)」の「ふ」は「ふみ」の「ふ」である。「文字
(もじ)」という場合の「も」は呉音の文(モン)の「も」である。「文箱(ふばこ)ということばもある。「殿」の古代中国語音は殿[dyən] である。「どの」は「殿」の倭音である。 (参照:第212話・文(ふみ)、第219
話・大との、第222話・文字、)
○ いど(挑)む 「挑」の古代中国語音は挑[dyô] である。古代の日本語には濁音ではじまる音節はな
かったから「ど」の前に母音を添加した。「挑(いど)む」は倭音であろう。
○ ふた(塞)ぎ 「塞」の古代中国語音は塞[sək] である。日本漢字音は呉音、漢音ともに塞(サク・
サイ)である。意味は砦である。日本語の「ふさぐ」は閉塞[pyei-sək] であろう。日本語の
「せき」、は現代では「関」の字が当てられているが、語源的には「せき」は塞[sək] である。
○ 勝(すぐ)れる 「勝」の古代中国語音は勝[sjiəng] である。日本漢字音は呉音、漢音ともに勝(ショ
ウ)である。常用訓は勝(かつ・まさる)である。倭音では中国語の口蓋化する以前の痕跡を留めている場合が多い。「勝(すぐ)る」は勝[sjiəng] の倭音であろう。中国語の韻尾[-ng] は[-k][-g] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語
の韻尾[-ng] のなかには、古くは入声音[-k] であったものが多いとされている。
例:誦[ziong] 經 (ずき
やう)、修[siu] 法 (すほふ)、數珠[shio-tjio] (すゞ)、 上手[sjiu] (じやうず)、捨[sjya](すて)、射[djyak] (さす)、
袖[siəu]手( そで)、
○ 参照:物 もの(第207話)、時 とき(第208話)、足(た)る(第210話)、 頃 ころ(第223話)、出(い)で(第223話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~歌比べ・さかき~
夏の雨がのどかに降ってつれづれの折から、中将がしかるべき詩集どもをたくさんお持ちになって参上されました。
君も書殿(ふどの)を開(あ)けさせ給うて、まだお開(ひら)きになったことのない御厨子(みずし)どもの中から、珍しい古集の由緒ありげなのを少しお選(え)り出しなされて、その道の人々を、目立たぬように大勢お召しになりました。 殿上人も大学の人々もたいそう多く集まって来ましたのを、左方(ひだりかた)と右方(みぎかた)と、一人置きにお分けになりました。
賭物(かけもの)なども、類(たぐい)なく立派なものをかけて競争するのでした。
だんだん塞(ふさ)いで行くにつれて、むずかしい韻の文字が多くて、名高い博士などがまごつくようなところどころを、ときどきお口添えなさる御学才のめでたさ。
「どうしてこうもいろいろの徳が備わっていらっしゃるのであろう。」
「勝(すぐ)る」は勝[sjiəng] の倭音であろう。中国語の韻尾[-ng]は[-k][-g]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。中国語
の韻尾[-ng] のなかには、古くは入声音[-k] であったものが多いとされている。 2.和漢朗詠~さかき~【日本古典文学大系】 歌比べでは「やまとの和歌」ばかりでなく「唐の漢詩」も作られ、競われた。
皆(みな)、この御事を褒(ほ)めたるすぢにのみ、大和(やまと)のも唐(から)のも作(つく)り續(つづ)けり。 我≪が≫御心地(ち)にも、いたう思(おぼ)しおごり
て、「文王の子(こ)、武王の弟(おとうと)」と、うち誦(ず)し給へる、御名(な)のりさへぞ、げにめでたき。 「成王の何(なに)」とかの給はんとすらん。そればかりや、また心もとなからむ。
漢語起源のことば 「文王のこ(子)、武王のおとうと(弟)」。史記
に「我(周公)文王子、武王弟、成王伯父云々」とある。桐壺院を文王に、朱雀帝を武王に比している。「成王のなに(何)」とすると成王は春宮にあたる
ので、気が咎めるであろう。 「誦(ず)す」は「誦(ずん)ず」ともいわれた。誦(ず)は呉音である。
(参照:第216話)
○ 漢字音(呉音・漢音):御心地(ち)、
文王、武王、誦(ず)す、成王、 ○ 漢字起源のことば:褒(ほ)める、唐(から)、作(つく)る、續(つづ)ける、 我≪が≫、御心地(ち)、思(おぼ)す、弟(おとうと)、御名(な)、 ○ 訓(やまとことば):みな(皆)、御事、やまと
(大和)、御心ち(地)、こ(子)、給ふ、 なに(何)、こころ、
○ 褒(ほ)める 「褒」の古代中国語音は褒[pau] である。日本語の「ほむ」は褒美[pau-miei] に由来するのではなるまいか。中国語には「褒美」
で「ほめる」という意味がある。
○ 唐(から) 「唐」の古代中国語音は唐[dang] である。日本語で唐を「から」とするのは、漢[xan] に由来するものと考えられる。漢[xan] の韻尾の[-n] は[-l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏、前口蓋)であり、
転移しやすい。中国語の韻尾[-n] が倭音でラ行であらわれる例としては次のようなも
のをあげることができる。
例:漢[xan](カン・から)、韓[han](カン・から)、寛[khuan](カン・ひろい)、 換[huan](カン・かえる)、還[hoan](カン・かえる)、巾[kiən](キン・きれ)、 玄[hyuen](ゲン・くろい)、昏[xuən](コン・くれ)、辺[pyen](ヘン・へり)、 怨[iuan](エン・うらむ)、
○ 續(つづ)ける 「續」の古代中国語音は續[ziok] である。古代の日本語には獨音で始まる音節はな
かったので、頭に清音を添加して発音しやすくしたものであろう。このような例としてはたくさんの例をあげることができる。(参照:第213話・静(しず)
か)、
例:續[ziok](ゾク・つづく)、限[heən](ゲン・かぎる)、願[ngiuan](ガン・ねがう)、 授[zjiu](ジュ・さずける)、静[dzieng](セイ・しずか)、沈[diəm](チン・しずむ)、 鎮[tien/dyen](チン・しずめる)、忠[tiuəm/diuəm](チュウ・ただしい)、 直[diək](チョク・ただちに)、綴[tiuat/thjiuat](テイ・テツ・つづる)、 集[dziəp](シュウ・つどう)、逗[do](トウ・とどまる)、
中国語の一音節が日本語の一音節とうまく対応する
わけではない。濁音あるいは鼻濁音が語頭に来る中国語の音節については、まず、日本語としてなじみやすい音節を先行させて次に濁音節を続かせるという方法
が古代日本語では行われていたのである。
万葉集の時代に梅が梅(むめ)、馬が馬(むま)と
同系統の音を重複させて発音されていたことはよく知られている。「梅」は梅(むめ)→梅(うめ)→梅(マイ)→梅(バイ)という順序で漢語の日本語音は形
成されていったようである。明母[m-] ばかりでなく、日母[nj-] についても頭子音の重複がみられる。
例:梅[muə](バイ・マイ・むめ・うめ)、馬[mea](バ・マ・むま・うま)、 眠[myen](ミン・ねむる)、母[mə](ボ・はは)、婆[buai](バ・ばば)、 南[nəm](ナン・みなみ)、耳[njiə](ジ・ニ・みみ)、揉[njiu](ジュウ・ニュウ・もむ)、 撚[njian](ネン・もむ)、稔[njiəm](ネン・みのる)、
中国語の語頭子音が濁音である場合に、日本漢字音
(倭音)では必ずしも「清音+濁音」という重複によって語頭濁音を避けるだけでなく、「清音」を重複させて中国語の語頭濁音にかえるということも行われた
ようである。
例:進[tzien/dzien](シン・すすむ)、前[tzian/dzuan](ゼン・すすむ)、係[hye](ケイ・かかり)、 薦[tzian/dzyak](セン・すすめる)、啜[thjiuat](テツ・セツ・するる)、 懸[huen](ケン・かける)、滌[dyuk](ジョウ・すすぐ)、畳[dyap](ジョウ・たたみ)、 傳[diuen](デン・つたえる)、拙[tjiuat](セツ・つたない)、土[tha](ド・つち)、 地[diet](チ・つち・とち)、槌[diuəi](ツイ・タイ・つち)、慎[zien](シン・つつしむ)、 調[dyô](チョウ・ととのえる)、
○ 我≪が≫ 日本古典文学大系では「我御心ち(地)にも」と底
本にあるところを「我≪が≫御心ち(地)にも」と≪が≫を補っている。これは現代の読者の便宜のために補ったのであって、万葉集などでは主語、主題に関す
る助詞は通常表記されていない。(参照:第208話・われ)
例:我衣手乃(万1994)わがころもでの、我背子之(万2841)わがせこの、 吾住坂乃(万504)わがすみさかの、吾戀流(万210)わがこふる、
○ 心地(ち) 「地」の古代中国語音は地[diet] である。日本漢字音は呉音・地(ジ)、漢音・地
(チ)とされている。「心」の古代中国語音は心[siəm] であり、日本語の「こころ」とは関係がなさそうで
ある。日本語の「こころ」に近い漢語としては魂[khuən] をあげることができる。 魂[khuən] の頭音[kh-] は次清音であり、日本漢字音では濁音であらわれる
場合が多い。 中
国語の濁音は倭音っでは重複してあらわれることが多い。また、魂[khuən] の韻尾[-n] は[-l] と調音の位置が同じであり転移することが多い。
「魂」の意味は人の生命のもとになるもので、人が死ぬと肉体から離れ天にのぼると考えられていた。日本語の「こころ」にも近い。「魂」の訓は「たましい」とされていが、語源的に
は日本語の「こころ」は漢語の「魂」と関連の深いことばであろう。
○ 弟(おとうと) 「弟」の古代中国語音は弟[dyei] である。日本漢字音は呉音・弟(ダイ)、漢音・弟
(テイ)、慣用音・弟(デ)である。兄弟(ダイ)、師弟(テイ)、弟子(デシ)、のごとくである。 「おとうと」は「弟人」であろう。中国語の「弟」
は弟[dyei] あり、頭音が濁音なので倭音では母音(お)が添加
された。「おとうと」の「と」は「おとひと」の「と」であろう。 結論として、日本語の「おとうと」は中国語の
「弟」の転移したことばである。
○ 参照:御(第208話)、名(な)(第
209話)、思(おぼ)す(第210話)、 作(つく)る(第211話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~和歌と漢詩・さかき
~
皆がこの君をお褒め申すような意味にばかり、歌だの詩だのを作りつづけたのでした。
御自分でも得意におなりなされて、「文王子(ぶんのうのこ)、武王弟(ぶおうのおとうと)」と 打ち誦(ずん)じ給うたのは、いかにも結構なおん名のりです。
でも、成王(せいおう)の何とおっしゃろうとするのでしょうか、こればかりは、はっきりとおっ しゃれますまい。
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