第212話  賢い女について~帚木~

  賢い女は尊ばれる。かつては良妻賢母を育てるためには、女大学まであった。しかし、一方で、賢い妻は敬遠されることもある。男の本音はどの辺にあるのだろうか。時代は一夫多妻の平安時代である。現代のジェン ダー論とは異次元の世界が展開する。平安時代の宮廷は男が主役で、女は脇役の世界であった。官位につくのは男であり、女を選ぶもの男であった。馬頭(うまの かみ)は男性の立場から女性論をくりひろげる。

  賢い女について~ははきぎ~【日本古典文学大 系】

  まだ、文章(もんじやう)の生(しやう)に侍りし時、賢(かしこ)き女のためしをな
 ん見給へし。 かの、馬頭の申し給へるやように、公事(おほやけごと)をもい言(い)ひ
 合(あ)はせ、私(わたくし)ざまの、世(よ)に住(す)まふべき心おきてを、思ひ
  めぐらさむ方(かた)も、いたく深(ふか)く、才(ざえ)のきは、なまなまの博士
 (はかせ)はづかしく、すべて、口(くち)あかすべくなん、侍らざりし。
  それは、ある博士(はかせ)のもとに、「學問など侍≪り≫」とて、まかり通(かよ)ひ
  し程に、「主人(あるじ)の女(むすめ)ども、多(おほ)かり」と聞(き)き給へて、
  はかなきついでに、いひ寄(よ)り侍りしを、親(おや)、聞(き)きつけて、盃
 (さかづき)もて出(い)でゝ、「我(わ)≪が≫、二(ふた)つの道うたふをき聞(き)け」
 となん、聞( きこ)えごち侍りしかど、をさをさ、うちとけてもまからず、かの親(おや)
 の心 を憚(はばか)りて、さすがに、かゝづらひ侍りし程に、いと、あはれにおもひ後見
 (うしろみ)、寝覺(ねざめ)の語(かた)らひにも、身の才(ざえ)つき、おほやけに
 仕(つか)うまつるべき、道々しきことを教(をし)へて、いと清(きよ)げに、消息
 (せうそこ)文にも、假名(かんな)といふ物を、書(か)きませず、むべむべしく言
 (い)  ひまはし侍るに、おのづから、え罷(まか)り絶(た)えで、その者を師としてなん、
  わづかなる腰折文(こしをれぶみ)作(つく)ることなど、習(なら)ひ侍りしかば、
 今(いま)に、その恩(おん)忘(わす)れ侍らねど、なつかしき妻子(さいし)とう
  ち頼(たの)まむに、無才(むさい)の人、なまわろならん振舞(ふるまひ)など、見
 (み)えんに、恥(は)づかしくなん見(み)え侍りし。

  漢語起源のことば

 「我(わ)が、二(ふた)つの道うたふを聞(き) け」といのは、白氏文集にある「聴我歌両途、富家女易嫁早軽其夫、貧家女難嫁嫁晩孝於姑」による。「我が両途を歌ふを聞け。貧家の女であるが、夫にもよ く仕えるぞ」ということで、博士は貧家の娘こそ嫁にはよいとほのめかしたのである。
「腰折文」とは、和歌の第三句と第四句との接続が悪い 下手な和歌のことである。
 ひらがなは表音文字だから源氏物語の時代の日本語の発音を知ることができる。また、漢字をどのように読んだかについての手がかりを えることもできる。例えば、「文章」という漢字は文章(もんじやう)であり、「消息」は消息(せうそこ)と表記されている。

  漢語(漢音・呉音):文章(もんじやう)、生(しやう)、才(さえ)、博士(はかせ)、
   學問、消息(せうそこ)文、師(し)、恩(おん)、妻子(さいし)、無才(むさい)、

 ○ 漢語起源のことば:時(とき)、馬頭(うまの かみ)、合(あは)せる、世(よ)、
  住(す)む、 口(くち)、女(むすめ)、寄(よ)る、出(い)で、我(わ)、
  寝覺(ねざめ)、語(かた)る、身(み)、物(も の)、書(か)く、絶(た)える、
  腰 折文(こしをりぶみ)、作(つく)る、今(いま)、忘(わす)れる、振舞(ふるまひ)、
  見(み)る、

 ○ 訓(やまとことば):はべ(侍)る、かしこ(賢)い、たま(給)ふ、うまのかみ(馬)、
  おほやけごと(公事)、い(言)ふ、わた くし(私)、かた(方)、ふか(深)い、
  かよ(通)ふ、あるじ(主人)、おほ(多) い、き(聞)く、おや(親)、さかづき(盃)、
  ふた(二)つ、みち(道)、こころ(心)、はばか(憚)る、ほど(程)、うしろみ(後見)、
  つか(仕)へる、をし(教)へ る、きよ(清)い、まか(罷)る、もの(者)、
  こしを りぶみ(腰折文)、なら(習)ふ、たの(頼)む、ひと(人)、ふるまひ(振舞)、
  は(恥)づかし

 ○ 文(ふみ)
 「文」の古代中国語音は文
[miuən]である。古代日本語では鼻濁音[m-] 語頭にくることが困難だったたので[miuən] は文(ふみ)となった。韻尾の[-n]がマ行であらわれる例としては、君(クン・き み)、浜(ヒン・はま)、鎌(ケン・レン・かま)、困(コン・こまる)などをあげることができる。

 ○ 合(あ)はせる
 「合」の古代中国語音は合
[həp]である。日本漢字音は合(音・ゴウ、訓・あふ)で ある。中国語の喉音[x-]・[h-] は日本語にはない音であり、日本漢字音では脱落す ることが多い。
参照:第208話・ゑ(絵)、第210話・ね (根)、第211話・あらうみ(荒海)、

同じ喉音[x]・[h]でも漢字によって転移のしかたがちがう。

古代中国語音

呉音

漢音

[həp]

あふ

ゴウ

ゴウ

[huat/huai]

あふ

カイ

[huai]

カイ

[hən]

コン

コン

[huang]

あれる

コウ

コウ

[xuə]

うみ

カイ

カイ

 これを整理してみると、つぎのようなことが分かる。

   1.倭音(訓)ではすべての喉音は脱落している。
2.「会」「絵」では呉音でも喉音は脱落している。
3.うみ(海)では基層音が海[hmuə]であったため、喉音が脱落して海[muə]となり、語頭に母    音「う」が添加された。
4.恵(倭音・めぐみ、呉音・ヱ、漢音・ケイ)、回 (倭音・まわる、呉音・カイ、漢音・カ    イ)などの場合も基層音は恵[hmiuei]、回[hmuəi]だったものと思われる。倭音にマ行の音    があわわれ ている。

 さらに、次のような 例もある。

中国古代音

呉音

漢音

[huang]

オウ

コウ

[hoang]

よこ

オウ

コウ

[huang]

きみ

オウ

コウ

[heang]

いく・ゆく

ギョウ・ゴウ

コウ

  あることばは古代日本語の段階で頭音を失い、またあるこ とばは呉音の段階で頭音を脱落させている。しかし、訓、呉音、漢音はそれぞれ、別系統の音ではなく、一連の音韻変化のなかの一つの段階を示している。一 般論として、歴史的には訓がもっとも古く、次に呉音がきて、最後に漢音がくるものと考えられるが、倭音にカ行音が残っているものもある。
 上にあげた例のほかにも雲
[hiuən](訓・くも、音・ウン)、越[hiuat](訓・こえる、音・エツ)などがある。

ヨーロッパの言語学では「音韻法則に例外なし」な どといって、音韻変化は一斉に起こるものとされている。しかし、借用語の場合は、いつの時代に、どの地方のことばを、どのような経路で借用したのかによって変化 の起こる時期が違うように思われる。

 ○ 寄(よ)る
 「寄」の古代中国語音は寄
[kiai] である。漢和字典では「音・寄(キ)、訓・寄(よる)」とあるが声符「奇」には奇[iai]という音もあり、寄(よる)は中国語の[kiai] と同源である。

  例:寄[kiai] キ・椅[iai]子・イス、國[kuək] コク・域[hiuək] イキ 、完[huan] カン・院[hiuan] イン、

 ○ 腰折文(こしをりぶ み)
 「折」の古代中国語音は折
[tjiat]である。折(をる)は中国語の頭子音[tjiat]が介音(i)の影響で脱落したものである。日本語の「をる」は中国語の[tjiat] と同源である。
参照: よ(世)(第209話)、身(み)(第210話)

 ○ 絶(た)える
 「絶」の古代中国語音は絶
[dziuat]である。漢字には同じ声符をサ行とタ行に読み分け るものが多くみられる。この場合、サ行音はタ行音の摩擦音化したものである。摩擦音化は介音[-i-]の発達によって起こった。タ行音が古く、サ行音の方が新しい。

  例:占(セン)・点(テン)、専(セン)・傳(デ ン)、喘(ゼン)・端(タン)、
   戦(セン)・単(タン)、説(セツ)脱(ダツ)、尺(シャ ク)・択(タク)、
   石(シャク)・拓(タク)、純(ジュン)・屯(トン)、惇(ジュン)・敦 (トン)、
   氈(セン)・壇(ダン)、

  音がサ行で訓がタ行の例もみられる。音と訓は音義ともに近く、同源である。

  例:絶(ゼツ・たえる)、楯(ジュン・たて)、苫 (セン・とま)、出(シュツ・でる)、

 ○ 忘(わす)れる
 「忘」の古代中国語音は忘
[miuang] である。語頭の[m-] は両唇を合わせて調音する音であり、合口性が強い。 忘[miuang] は介音[-iu-]をともなっており、ワ行[w-] に近い。中国語の[m-] がワ行に転移した例としては、綿[mian](メン・わた)、罠[mien](ミン・わな)をあげることができる。現代の北京語では古代中国語の頭音[m-]がしばしば(w)であらわれる。

  例:文(wen)、聞(wen)、無(wu)、鳴(wu)、舞(wu)、未(wei)、味(wei)、尾(wei)、武(wu)

 ○ 舞(まひ)
 「舞」の古代中国語音は舞
[miua]である。舞は(訓・まひ、呉音・ム、漢音・ブ)で あるとされている。しかし、訓の「まひ」もやまとことばではなく、中国語の「舞」の転移したものである。

 以下については既に述べた。
 参照:物(もの) (第207話)、語(かた)る(第207話)、
わ(我)が(第208話)、
    書(か)く(第208話)、世(よ)(第209話)、 思ひ(第210話)、
       今(いま)(第211話)、作(つく)る」(第211話)、見(み)る(第211話)、

 
 歴史的仮名使い

 ○ 消息(せうそこ)文
 「消息」とは便りのことで、これを「せうそこ」と 表記している。旧仮名使いでは逍遥(せうえう)、焼香(せうか う)、少将(せうしやう)、少納言(せうなごん)、焼酎(せうちう)である。戦前の教科書には「学校へ行きませう」と書いてあった。

  大槻文彦の『言海』で は、「どぜう [泥鰌] どぢやうノ條ヲ見ヨ。」とある。「どぜう」は「どぢやう」と書くのが正式だと大槻文彦は考えていたようである。『言海』の改訂版である『大言海』をみると「どぢやう」の項には次のように書いてあ る。

  どぢやう [塵 添壒嚢鈔ニ、土長ノ音ヲ當テタリ、或云、泥鰌ノ音ノ轉化カト、或泥生又、
  土生ノ音ノ轉トイフ。常ニどぜうト記スハイカガ
]  魚ノ名、淡水ニ産ス。形鰻ニ似テ短
  ク、黒キ斑アリテ、腹白ク、鬚アリ、泥中ニ潜ミ、時時、水面ニ浮ビテ沫ヲ吐ク。泥
  ノモノハ、肥エテ、斑薄ク、沙中ノモノハ痩セテ、斑、分明ナリ。泥鰌。

  日本語の仮名が 発明されてから、約千年たって明治の時代になっても、話し言葉の日本語をどうやって「かな」で表記したらいいのかよくわからないということがあったのである。

 源氏物語にも「しやう」という仮名使いがないわけ ではない。

  例:床子(しやうじ)、正日(しやうにち)、正三位(しやうさんみ)、殿上(でんじやう)、
   吉祥天女(きちじやうてんによ)、文章(もんじやう)、衆性(すじやう)、
   本性(ほんじやう)、

 「せう」と表記された漢語と「しや う」と表記された漢語の言音はどのように違うのだろうか。

 [せう]: 消[siô]、逍[siô]、焼[ngyô]、少[sjiô]
 [しやう]:将[tziang]、床[dzhiang]、正[tjieng]、上[zjiang]、祥[ziang]、生[sheng]、性[sieng]
     章
[tjiang]

  旧仮名使いで「せう」と表記されている漢字の韻尾 は中国語音韻学でいうところの䔥(宵)韻であり、「しやう」と表記されている漢字の韻尾は陽韻であり、区別されていることが分かる。王力の 『同源字典』の表記法を使えば「せう」は[iô]であり、「しやう」は[iang]であり、混同されることはほとんどない。「少将」 は「せうしやう」と表記することになる。
 源氏物語をひらがなで書写した人は、漢語の音韻についても正確な知識をもっていたことが分かる。おそらく紫式部も雨夜の品定めで評定されている賢 い女のように漢詩も書き、正確に韻を踏むことができたのであろう。

 谷崎潤一郎訳『源氏物語』~帚木・賢い女につ いて~

  「まだ大学の文章(もんじょう)の生(しょう)でございました時分、賢い女というも
  のの実例を見ましたことがございます。あの馬頭が言われましたように、公(おおやけ)
  向きの話なども分り、私様(わたくしざま)の世渡りの道などを考える方も深く心得て
  おりまして、学才の程度も、なまなかの博士など恥かしいくらいで、すべて、相手に口
  を開かせないほどでした。
 それは、私が、或る博士のもとへ学問などをしに通いました 頃、その先生に娘たちが大勢
 あることを聞きまして、ふとした折に言い寄ったのでござ いましたが、親が聞きつけて、
 固めの盃(さかずき)を持ち出しまして、「聴我歌両途(我 が二つの道を歌うを聴け)」
 などと申したことでございましたけれども、こちらはそんな に深入りはいたしませず、
 ただ親の心を察しまして、さすがにいくらかは情に絆(ほだ)されておりますと、先(さき)
 はたいそう親切に世話をしてくれまして、寝ざめの語ら いにも、身のためになる学問の話や、
 役人として知っていなければならない道々のことを教えてくれますし、消息なども非常に見事に、
 仮名(かな)ちうものを交(ま)ぜないで、しかつめらしく書いてよこしますので、なかなか
 縁を切ることができず、その女を師匠にしまして、ちょっとした下手な詩文などを作ることを
 習いましたので、今もその恩は忘れませんが、それでも可愛い妻子(さいし)として頼りに
 しようというのには、無学な男は何かにつけてふつつかな振舞いを見られますから、きまりが
 悪うございます。

  源氏物語の時代にも、手紙などを仮名をまじえず、漢 字ばかりで書く女性がいたことがわかる。しかし、そのような女性は無学な男性にはけむたい存在で、打ち解けた妻として頼りにするには、気がひけた、といの が頭の中将の意見である。

[源氏物語を読む]

☆第207話 ひらがなの発明

第208話 桐壺の巻を読む

第209話 帚木の巻を読む

第210話 雨夜の品定め~帚木~

第211話 馬の頭(かみ)の女性観~帚木~

★第212話 賢い女について~帚木~

第213話 空蝉の巻を読む

第214話 夕顔の巻を読む

第215話 町屋の朝~夕顔~

第216話 夕顔の死~夕顔~

第217話 若紫の巻を読む

第218話 末摘む花の巻を読む

第219話 紅葉賀の巻を読む

第220話 青海波の舞の夕べ~紅葉賀~

第221話 琴の調べ~紅葉賀~

第222話 花の宴の巻を読む

第223話 葵の巻を読む

第224話 賢木の巻を読む

第225話 花散里の巻を読む

もくじ