第208話  桐壺の巻を読む

  源氏物語冒頭に据えられた桐壺の巻は、光源氏の 父 桐壺帝の物語である。桐壺帝は多くの美女を後宮に擁しながら、あまり身分の高くない桐壺の更衣をこよなく寵愛する。その寵愛は他の妃たちの嫉妬をあおり、 ついに心身ともに衰弱して死んでゆく。
 後には三歳の皇子が残された。帝は母を失った皇子を宮中に引き取り、更衣の形見として育てる。それが光源氏である。

 仮名の発明によって、はじめて日本語が表音文字 で書写 できるようになったともいえる。『源氏物語』は物語文学のひとつの頂点であると同時に、当時の日本語の姿を写したものとして、かけがえのないモニュメント で もある。

 ここからは、源氏物語を通して平安時代の日本語 の 姿を復元してみることにしたい。日本古典文学大系の表記によって原本の表記にできるだけ近い形に復元を試みることにする。
 「いづれの御(おほん)とき(時)にか。」と表記 されているものは、原本では「いづれの御ときにか」と( )なしで表記されているものとする。
 また、源氏物語 の本文の雰囲気を伝える現代文として、参考までに谷崎源氏を合わせて引用させてもらった。谷崎源氏は谷崎潤一郎自身が序文で述べているとおり「原文と対照 して読むためのものではない」としているが、紫式部が現代に生きていたら、これに近い日本文になったのではないかという思いから、日本語の変遷のひとつの 例証とし て読んでみたい。

 1.きりつぼ【日本古典文学大系】
 桐壺は源氏の父である。源氏は桐壺帝の妃である藤 壺への、密かな恋心などが描かれている。

   いづれの御時(とき)にか。女御・更衣、あまたさぶらひ給ひけるなかに、
 いと、やむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時(とき)めき給(たま)ふ、
 ありけり。
  はじめより、「われは」と、思(おも)ひあがり給へる御かたがた、めざましき者に、お
 としめそねみたまふ。
  おなじ程、それより下﨟(らふ)の更衣たちは、まして、やす(安)からず。

  『源氏物語』の原文はほとんどひらがなで書かれ て いるが、漢語や漢語起源のことば(倭音)が交っていないわけではない。『源氏物語』は弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代など長い間の中国大陸、ある いは朝鮮半島との交流の歴史の痕跡をその日本語のなかに留めている。

 漢語と漢語起源のことば
 桐壺の巻の日本語 を解剖してみると、概ね次の3種 類に分かれる。

 ○ 漢語(漢音・呉音):女御(にようご)・更衣(かうい)、下らふ (﨟)、
  漢語起源のことば:  御(おほん・おん)、とき(時)、われ(我)、お も(思)ひ、者(もの)、
  訓(やまとことば): 給(たま)ひける、きは(際)、程(ほど)、やす(安) い、

  ここでは、一般に「やまとことば」と考えられて い ることばのなかで、倭音(漢語起源のことば)について考えてみたい。

 ○ 御(お・おん・おほん・み・ゴ・ギョ)
 「御とき」は通常「おほんとき」と読まれている。「女御」は「にようご」であり、「御かたがた」は漢字で書いてあるが「おんかたがた」である。 源氏物語には「御息所」と書いて「みやすどころ」と読ませるところもある。また、つぎのような例もみられる。
 

  「御(お)しのび」、「御(お)もてなし」、「御(おん)身」、「御(おん)前」、
 「御(み)心」、「御(み)くだり」、

  王力の『同源字典』によれば、「御」の古代中国 語 音は御[ngia] である。疑母[ng-] は後口蓋で発せられる音である。疑母[ng-] は[m-] と 同じく鼻音でありり、マ行であらわれることがある。
 また、中国語の疑母[ng-] が、日本語でナ行であらわれ る例もいくつかある。ナ行は調音の方法がマ行と同じ鼻音であり、調音の位置も近いので転移したものである。

 例:御[ngia] み、雅[ngea]美・みやび、芽[ngea] め、眼[ngean] め、元[ngiuan] もと、
  護
[ngo] まもる、迎[ngyang] むかえる、詣[ngyei] もうでる、
  訛
[nguai] なまり、偽[ngiuai] にせ、額[ngeak] ぬか、願[ngiuan] ねがう、

 一方、疑 母[ng-] は鼻濁音である。古代の日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので、中国語の御[ngia] は頭音[ng-] が脱落して御(お・おん)となった。朝鮮語音は御(eo)であり、倭音の「お」「おん」は朝鮮語音に近い。
  漢和字典を引いてみると、「御」はゴ(呉音)、 ギョ(漢 音)とある。漢音の御(ギョ)は唐代に発達した中国語の介音[-i-] を反映したものである。  

 結論として御(み)は日本漢字音(呉音・漢音)成 立以前の中国語音に依拠した音である。

○ 時(とき)
 日 本古典文学大系の『源氏物語』では、「とき」はひらがなで表記されている。漢和字典を引くと「時」は呉音・時(ジ)、漢音・時(シ)となっている。また、訓は時(とき)とされている。
王力の『同源字典』によれば、古代中国語 音は時[zjiə] である。
 声符の「寺」には、特 (トク)、寺(ジ・てら)、時(ジ・とき)などの読みがある。これらの漢字は、ある時、あるところで同じ発音を共有していたものと考えられる。もし、「時」に特
[dək]と同じ音価をもった時代があったとすれば、日本語 の「とき」は中国語の古代音時[dək] を継承していると考えることができる。「とき」は中国語の「時」と同源であり、時(とき)の祖語は中国語の「時」である。

○ 我(われ)
 「われ」はひらがな表記であるが、日本語の「われ」は中国語の「我」あるいは「吾」であろう。「我」「吾」の古代中国語音は我
[ngai]、吾[nga]である。日本漢字 音は我(ガ)、吾(呉音・グ、漢音・ゴ)とされているが、中国語音では正確には鼻濁音であり、我(カ゜)、吾(コ゜)である。
 我(カ゜)、吾(コ゜)と「われ」とは 一見関係なさそうにみえるが、
中国語の疑母 [ng-] は鼻音であり、[m-] と調音の方法が同じである。また、れ」の「わ」は合口音であり、[m-] に近い。両方とも両唇を閉じ る、あるいはすぼめるという点で調音の方法はきわめて似ている。調音の方法が似ている音は、聴覚印象も近い。
 古代日本語では鼻濁音が語頭に来ることがなかった ので、我
[ngai]、吾[nga]は倭音では語頭の[ng-]が脱落して、「あ」「あれ」になり、一方[ng-]は鼻音から合口音に転移して「わ」に転移した。古代日本語の「あ」「あが」「あれ」、「わ」「わが」「われ」は、中国語の「我」と意味は同じであり、音も近い。

 中国語音の[ng-]が日本語でマ行に転移した例は多い。

  例:御[ngia](ゴ・み)、眼[ngean](ガン・め)、元[ngiuan](ゲン・もと)、
   芽
[ngea](ガ・め)、迎[ngyang](ゲイ・むかえる)、

  源氏物語の時代には一人称をあらわすことばに「まろ」がある。 漢字では「麻呂」「麿」「丸」などと書き、奈良時代には多く男性に使われた。平安時代には男女ともに自称として使われるようになったが、「まろ」も中国語 の[ngai]、吾[nga] と関係のあることばであろう。
 

○「物」「者」
 源氏物語の底本では「物」が使われているが、「日本古典文学大系」では「者」になおしている。
現在では人間には「者」が使われ、物品には「物」が使われているが、『源氏物語』の底本には「物」とある。物(もの)は中国語起源のことばであり、古代中 国語音の物
[miuət] に依拠している。
 者(もの)は借訓である。古代中国語では人間には「者」、それ以外のものには「物」を用いたのに対して、古 代日本語では人間にも物にも同じ「もの」をもちいていたようである。
参照:第207話 ひらがなの発明

   谷崎 潤一郎訳『源氏物語~桐壺~』

 谷崎潤一郎はこの部分を、現代の日本語として次のように訳している。ルビは( )で示した。

 何という帝(みかど)の御代(みよ)のことでしたか、女御(にょうご)や更衣(こう
 い)が大勢伺候(しこう)していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰(だれ)
 よりも時めいているがありました。
  最初から自分こそはと思い上がっていたおん方々は、心外なことに思って蔑(さげす)
 んだり嫉(ねた)んだりします。
  その人と同じくらいの身分、またはそれより低い地位の更衣たちは、まして気が気では
 ありません。

2.長恨歌~きりつぼ~【日本古典文学大系】
 長恨歌は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を題材にした詩 で、その絵に添えてある伊勢や紀貫之の和歌などとか漢詩でも、恋人との死別の悲しみを歌ったものが多い。

   このごろ、あけくれ御覧ずる長恨歌の、御繪(ゑ)、亭子院の書(か)かせ給ひて、伊勢・
 貫之(つらゆき)に詠(よ)ませ給へる、やまとことの葉をも、唐土(もろこし)の歌
 をも、たゞ、そのすぢをぞ、枕(まくら)ごとに、せさせ給ふ。いと、こまやかに、あ
 りさまを問(と)はせたまふ。あはれなりつる事、忍(しの)びやかに奏(そう)す。

 漢語起源のことば
 「長恨歌」、 「亭子院」などの名詞だけでなく、「御覧ずる」、「そう(奏)す」などの動詞にも漢語が使われている。源氏物語はひらがなで書かれてはいるが、「やまとこ とば」だけの文学ではない。律令制国家成立以降の日本にとって、漢語は政治にも宮廷生活にとっても不可欠なものになっていた。『源氏物語』が書かれた時代の 宮廷では和歌や漢詩が読まれていた。

  ○ 漢語(漢音・呉音):御覧ずる、長恨歌、亭子院、伊勢、そう(奏)す、
 ○ 漢語起源のことば(倭音):ゑ(繪)、か (書)く、よ(詠)む、葉(は)、
 ○ 訓(やまとことば):給ふ、もろこし(唐土)、うた(歌)、つらゆき(貫之)、 まくら(枕)、
           と(問)ふ、事(こと)、しの(忍)ぶ、

 ○ 繪(ゑ)
 「絵」は呉音が絵(ヱ)、漢音が絵(カイ)である。呉音と漢音の間にかなりの乖離がある。「絵」の古代中国語音は絵
[huat/huai]である。中国語の[h-]は喉音であり、日本語にはない音である。同じ声符 を持つ「会」も会[huat/huai](呉音ヱ・漢音カイ)であり、会釈(エシャク)、 法会(ホウエ)などと読む。呉音系、あるいは仏教系の用語では会(ヱ)である。

 例:回[huəi](呉音・ヱ、漢音・カイ)、恵[hiuei](呉音・ヱ、漢音・ケイ)、
   壊
[hoəi](呉音・ヱ、漢音・カイ)、

 これらの漢字は呉音では回向(エコウ)、壊疽(エソ)な どと読まれる。中国語の喉音は呉音で失われているが、日本語で訓 とされている漢字の読み方のなかにも倭音の痕跡を留めているものがいくつか見られる。

  例:[həp](音・ ゴウ、訓・あふ)、 恨[hən](音・ コン、訓・うらむ)、
   穴
[hyet](音・ ケツ、訓・あな)、 荒[huang](音・ コウ、訓・あれる)、
   行
[heang](音・ コウ、訓・ゆく)、横[hoang](呉 音・オウ、漢音・コウ、訓・よこ)

  「回」では呉音で喉音[h-] が失われているのに対して「合」では訓では喉音[h-] は失われているが、音ではカ行であらわれている。これを「横」について時系列で並べてみると次のようになるのではあるまいか。  

   横[hoang]訓(横・よこ)→呉音(横・オウ)→漢音(横・コウ)

 喉音[h-] は音ではカ行であらわれないかというと、そうでもない。同じ声符をもった「或」について調べてみると次のようになる。

   或[hiuək]:訓(或・ある)→音(或・ワク)、
   域
[hiuək]:        音(域・イキ)、
   國
[hiuək]:        音(國・コク)

 喉音[h-] がカ行で読まれるようになったのは、ある時期に一斉に起こったことではなく、同じ声符をもった漢字でもカ行で読まれるもの、ア・ヤ・ワ行で読まれるものなどがある。例えば、[huai]の日本漢字音は和(ワ)であるが、同じ声符をもつ 「禾」は禾本科植物などでは禾(カ)と読まれる。また、黄[huang]は黄(呉音・オウ、漢音・コウ)であるが訓は黄 (き)とカ行音を留めている。

 漢字は象形文字であり、読み方が変わっても文字の 形はもとのままの姿を留めることが多いので、漢字の読み方がいつ変化したか、つきと めることは困難でる。

 ○ 書(か)く
 長恨歌の場合、絵をもとに歌を書かせたので「かく」が用いられている。現代では書であれば「書」、絵であれば「描」の文字を用いる。日本語の「かく」の語源は画
[hoek]であろう。

 ○ 詠(よ)む、
 「よ(詠)む」は現代では「読」が常用されているが、語源的には詠
[hyugang]、あるいは誦[ziong]であろう。詠[hyuang]の朝鮮語音は詠(yeong)であり、日本語の詠(よむ)は朝鮮語音に近い。誦[ziong] の声符は[jiong] であり、「誦」も誦[jiong] のような発音があった可能性がある。

 ○ 葉(は)
「葉(は)」の古代中国語語は葉
[jiap]である。日本語の「葉(は)」は中国語の[jiap] の韻尾が音節として独立したものであろう。

谷崎 潤一郎訳『源氏物語』~桐壺~

 谷崎潤一郎訳の現代日本語ではつぎのように読み下 されている。

   近頃は、明け暮れ亭子院(ていじのいん)がお書かせになった長恨歌(ちょうごんか)の
 絵をご覧になり、その絵に添えてある伊勢や貫之(つらゆき)の和歌だとか、または漢
 詩(からうた)だとか、そういう筋のことばかりを語り草にしていらっしゃいます。
  やがて命婦をお近づけになって、様子を細々(こまごま)とお尋ねになります。命婦は哀れであっ
 たことどもを忍びやかに申しあげます。

  現 代の日本語では漢字をかなり使った方が読みやすい。それは、日本語には単語と単語の間を分けて書く、分かち書きが行われておらず、ひらがなだけで書くと単 語の分かれ目がわからなくなってしまうからであろう。漢字は単語の分かれ目、特に語幹の部分を際立たせる役割をになっている。

 

[源氏物語を読む]

☆第207話 ひらがなの発明

★第208話 桐壺の巻を読む

第 209話 帚木の巻を読む

第 210話 雨夜の品定め~帚木~

第 211話 馬の頭(かみ)の女性観~帚木~

第 212話 賢い女について~帚木~

第 213話 空蝉の巻を読む

第 214話 夕顔の巻を読む

第 215話 町屋の朝~夕顔~

第 216話 夕顔の死~夕顔~

第 217話 若紫の巻を読む

第 218話 末摘む花の巻を読む

第 219話 紅葉賀の巻を読む

第 220話 青海波の舞の夕べ~紅葉賀~

第 221話 琴の調べ~紅葉賀~

第 222話 花の宴の巻を読む

第 223話 葵の巻を読む

第 224話 賢木の巻を読む

第 225話 花散里の巻を読む

もくじ