第225話
花散里を読む
橘の花が咲き、ほととぎすが鳴く時節に、五月雨
(さみだれ)の間の晴れた日に、源氏は桐壺帝の女御の一人を見舞いに出かけたことがあります。目ざすお方のところは、全く想像していた通り
で、人影も少なく、ひっそりとしていて、たいそう哀れな感じでした。故院のことなども偲ばれて、源氏は思わずお泣きに
なるのでした。 「古の事語らへば時鳥(ほととぎす)いかに知りて
か古声(ふるこゑ)のする」などという古歌などを思いだします。
1.花ちるさと【日本古典文学大系】
人しれぬ、御心づからの物思(おも)はしさは、いつとなきことなめれど、かく、大方(おほかた)の世につけてさへ、わづらはしう、思(おぼ)し亂(みだ)
るゝ事のみまされば、物(もの)心ぼそく、世の中、なべて厭(いと)はしう、おぼしならるゝに、さすがなる事、多(おほ)かり。
漢語起源のことば 「花ちるさと」の「花」は漢語起源のやまとことばである。「花」の古
代中国語音は花[xoa ] である。中国語の喉音[x]・[h] は倭音ではハ行であれわれる。(参照:第218
話) 「散(ち)る」の古代中国語音は散[san] である。漢字音で同じ声符がサ行とタ行にまたがっ
てあらわれるものはある。
例:除[ziə](ジョ)・途[da](ト)、純[zjiuən](ジュン)・屯[duən](トン)、 石[zjyak](セキ・シャク)・拓[thak](タク)、秀[siu](シュウ)・透[thu](トウ)、 占[tjiam](セン)・点[tyam](テン)、深[sjiəm](シン)・探[thəm](タン)、
日本漢字音でも音がサ行で、訓がタ行のものはみら
れる。この場合タ行が古く、サ行は新しい。訓は倭音であり、音は中国語で介音[-i-] の発達によって摩擦音化したものを反映していると
考えることができる。
例:時[zjiə](ジ・とき)、寺[ziə](ジ・てら)、辰[zjiən](シン・たつ)、 常[zjiang](ジョウ・つね・とこ)、苫[sjiam](セン・とま)、
散[san](サン・ちる)の場合もこれにあてはまると考える
ことができる。しかし、散[san] には介音[-i-] がない。日本語の散(ち)るが古代中国語音に依拠
した倭音であるかどうかは決めかねるといわざるをえない。「さと(里)」はやまとことばである。
○ 漢語起源のことば:しる、御、物(もの)、思(おも)ふ、思(おぼ)す、世(よ)、 中(なか)、厭(いと)ふ、 ○ 訓(やまとことば):さと、人、心、つたなきこと、おほかた(大方)、
わづらはし、 みだ(亂)るゝ、事、まさる、おほ(多)し、
○ しる 「知(し)る」の古代中国語音は知[tie] である。日本漢字音は音が知(チ)、訓は知(し
る)である。知(しる)のほうが古く、知(チ)のほうが新しいということになる。一般にタ行音が介音(i)の影響で摩擦音化してサ行音に転移することはあっ
ても、その逆はない(参照:散る)。 考えられる可能性としては、古代中国語音の知[tie] には[sjie] や[tsie] に近い音がかなり古くからあって、倭音では知
(し)として受け入れた。しかし、日本漢字音(呉音、漢音)では知(チ)を規範音として受け入れた、ということではなかろうか。現代の北京音は知(zhi) であり、朝鮮漢字音では知(ji)である。
○ 厭(いと)ふ 「厭」の古代中国語音は厭[iap] である。日本漢字音は厭(エン・ヨウ・アツ・オ
ウ・オン)である。「厭(いと)ふ」は中国語の韻尾[-p] がタ行に転移したものである。古代中国語の韻尾[-p] は蝶[thyap](てふ)のように忠実に再現される場合もあるが、
日本漢字音では多くの場合タ行に転移する。
例:立[liəp] リツ、接[tziap] セツ、摂[siap] セツ、雜[dzəp] ザツ、
○ 参照:物(もの)心(第207話)、御心(第208話)、世(よ)(第209話)、 思(おも)ふ・思(おぼ)す(第210話)、中(なか)(第221話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~花散里~
われから求めて人に知られぬ物思いをなさることは、今に始まったことではないのでしょ
うけれども、こんな具合に一般の世の中のことにつけてさえ、煩(わずら)わしくて気苦労なことばかりが殖(ふ)えて行きますので、何となく心細く、なべての浮世が厭(いや)におなりになりながら、さすがに残り惜しいことも多いのでした。
2.昔語り~花ちるさと~【日本古典文学大系】
かの本意(ほい)の所は、思(おぼ)しやりつるもしるく、人目(め)なく静(しづ)かにて、おはする有様(ありさま)を見給ふにも、いとあはれなり。まづ、女御の御方(かた)にて、昔(むかし)の物語(がたり)など聞(きこ)え給ふに、夜更(ふ)けにけり。 廿日の月、さし出(い)づる程(ほど)に、いとゞ木高(たか)き陰(かげ)ども、木暗(こぐら)う見(み)えわたりて、近(ちか)き橘の薫(かを)り、懐(なつか)しう匂≪ひ≫て、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意(ようい)あり、あてに、らうたげなり。 「勝(すぐ)れて花(はな)やかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましう懐(なつか)しきかたに、おぼしたりし物を」など、思(おも)ひ出(い)で聞(きこ)え給ふにつけても、むかしの事、かきつらね思(おぼ)されて、うち泣(な)き給ふ。 郭公(ほととぎす)、ありつる垣根(かきね)≪の≫にや、おなじ聲(こゑ)にうち鳴(な) く。「したひ來(き)にけるよ」とおぼさるゝ程(ほど)も、艶(えん)なかりし。 「いかに知(し)りてか」など、忍(しの)びやかに、うち誦(ず)し給ふ。
橘(たちばな)の香(か)をなつかしみ郭公花散(ち)る里(さと)をたづねてぞとふ
漢語起源のことば まず冒頭に「ほい」ということばが出てくる。「ほ
い」は「本意」である、「本」は本[puən] である。漢和字典を引いても本(ほ)という読みは出てこな
い。しかし、中国語韻尾の[-n] はしばしば脱落する。今宵(こよひ)、文殿(ふどの)などの例がある。日本の古地名にも例が多い。
例:安房 あは、安曇 あづみ、
安藝 あき、因幡 いなば、
仁田 にた、飛騨 ひだ、隠岐 おき、
○ 漢語(漢音・呉音):本意(ほい)、女御、御けはひ、用意(ようい)、艶(えん)、 誦(ず)す、 ○ 漢語起源(倭音):思(おぼ)す、目(め)、静(しづ)か、有様(ありさま)、見る、 あはれ、物語(がたり)、夜、出(い)づる、陰(かげ)、薫(かを)り、御、 勝(すぐ)れる、 花(はな)やか、御おぼえ、なかりし、物
(もの)、思(おも)ひ、 思(おぼ)す、泣(な)く、 鳴(な)く垣
根(かきね)、、來(き)にける、いかに、 知(し)る、香(か)、散(ち)る、 ○ 鮮語と同源:廿日(か)、ほ
ととぎす(郭公)、 ○ 訓(やまとことば):かの、所、しるし、人、おはす、給ふ、かた
(方)、むかし(昔)、 ふ(更)ける、きこ(聞)える、月、廿日、ほど(程)、木、たか(高)き、 こぐら(木暗)
う ちか(近)き、橘、なつか(懐)しき、かた、匂≪ひ≫、ねぶ、 らうたし、むつまじく、事、おなじ、こゑ(聲)、ほど(程)、しの(忍)ぶ、 さと(里)、たづねる、
○ 陰(かげ) 「かげ」には陰[iəm] と影[yang] がある。陰は闇であり、影は日影にも光にも使う。
月影などというときは月の光の意味である。影[yang] は光[kuang] に音義ともに近い。日本古典文学大系では「陰」という漢字があてられ
ているが、ここでは月影のことだから「影」を使うべきではなかろうか。 (参照:第214話・すきかげ(透影))、
○ 薫(かを)り 「薫」の古代中国語音は薫[xiuən] である。中国語の喉音[x]・[h] は日本漢字音ではカ行であらわれることが多い。
「かをり」の「を」は介音[-iu-] に対応して、合口音であることをあらわす。また、
韻尾の[-n]はラ行に転移している。[-n] と[-l] は調音の位置が同じ(歯茎の後、前口蓋)であり、
転移しやすい。香[xiang]も音義ともに薫[xiuən] に近く、香(かおり、かおる)などの漢字にあてら
れる。
○ おぼえ 「おぼえ」は「思(おも)ほえ」だという。現在の
日本語では「覚え」と書くが中国語の慕[mak] であろう。万葉集には「母」を「おも」とする例がある。朝鮮語の「おもに」も、中国語の[m-] の前に母音「お」を添加した例である。 (参照:第210話)
○ 無(な)かりし 「無」の古代中国語音は無[miua] である。日本語の「ない」と中国語の「無」は同義
である。同義の語にやまとことばを当てるのが訓である。ところが、同義同音あるいは、同義で音も近ければ、それは中国語からの借用、あるいは転用である可
能性がある。(参照:第224話・無(な)けれど) 中国語の[m] と日本語のナ行はともに鼻音である。調音の方法が
同じ音は転移しやすいから、古い時代の転移音(倭音)である可能性も考えてみなければならない。中国語の[m] が古代日本語でナ行にあらわれる例としては、次のような語
をあげることができる。
例:無[miua](ム・ない)、名[mieng](メイ・な)、猫[miô](ビョウ・ねこ)、 苗[miô](ビョウ・なえ)、鳴[mieng](メイ・なく)、眠[myen](ミン・ねむる)、
○ つらねる 「つらねる」は「連ねる」あるいは「列なる」であ
る。「連」の古代中国語音は連[lian] であり、「列」は列[liat] である。古代の日本語にはラ行ではじまる音節はな
かった。そのため語頭にタ行音を添加して「連(つら)ねる」「列(つら)ねる」とした。 中国語の[l] は調音の位置が[t]・[n] と同じ(歯茎の裏、前口蓋音)であり、調音の位置
が同じ音は転移しやすい。[l] がタ行音あるいはナ行音に転移したものと思われる
例としては、次のようなものをあげることができる。
タ行に転移した例:龍[liong](リュウ・たつ)、滝[leong](ロウ・たき)、立[liəp](リツ・たつ)、 粒[liəp](リュウ・つぶ)、卵[luan](ラン・たまご)、
陵[liəng](リョウ・つか)、 力[liək](リキ・ちから)、留[liu](リュウ・とどまる)、隣[lien](リン・となり)、 ナ行に転移した例:浪[lang](ロウ・なみ)、梨[liet](リ・なし)、練[lian](レン・ねる)、 涙[liuei](ルイ・なみだ)、流[liu](リュウ・ながれ)、臨[liəm](リン・のぞむ)、
朝鮮漢字音では語頭の[l] は規則的に[n] に転移する。また介音[-i-]をともなう場合は、規則的に脱落する。
頭音[l] が脱落した例:龍(yong/ryong)、滝(rong)、立(ip/rip)、粒(ip/rip)、力(yok/ryok)、 留(yu/ryu)、隣(in/rin)、梨(i/ri)、練(yon/ryon)、流(yu/ryu)、臨(im/rim)、
頭音[l] が[n] に転移した例:浪(nang/rang)、卵(nan/ran)、陵(neung/reung)、涙(nu/ru)、
[r] の音が併記されているのは、中国語の原音が規範として意識されて
いるからである。韓国人の人名などで「李」は李(i) と発音されるが、規範は李(ri) であることが意識されている。北朝鮮では李(ri) と発音するようにしているという。 「涙」の朝鮮漢字音は涙(nu) である。日本語の「なみだ」は朝鮮語の涙(nu) と「水」の朝鮮語の水(mul) の複合語である可能性がある。
○ 泣(な)く 「泣」の古代中国語音は泣[khiəp] である。一方、「泣」
の声符は立[liəp]である。ウウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978) によると中国語の[l] は語頭に入りわたり音があり、「立」
は立[kliəp]・[hliəp] のような音であったのではないかという。(参照:
第221話・夕立) 立(リツ)は入りわたり音[k] が脱落したものであり、泣(キュウ)は入りわたり
音が発達したものであると考えることができる。 日本語の「なく」には「鳴」も用いられる。古代中国語の「鳴」は鳴[mieng] である。中国語の語頭音[m] は鼻音であり、[n] も鼻音であり、調音の方法が同じである。また[m] は両唇音であり、[n] は歯茎の後で調音されるので、調音の位置も近い。
調音の方法が同じ音や調音の位置が近い音は転移しやすい。 中国語の「泣」も、もし古第中国語に泣[liəp] という音があったとすれば音義ともに鳴[mieng] に近いといえる。 結論として、日本語の「泣く」「鳴く」はともに古
代中国語音に依拠したことばである。 (参照:第221話・な(鳴)く)
○ 垣根(かきね) 「垣根」の「垣」の古代中国語音は垣[hiuan] である。「根」は根[kən] である。日本語の「かき」は垣[hiuan] に対応するものであろう。「ね」は根[kən] の頭音が脱落したものであろう。 参照:第220
話・垣代(かいしろ)、第210話・根(ね)、第214話・檜垣(ひがき)
○ 郭公(ほととぎす) 「ほととぎす」は中国語で郭公(カッコウ)ともい
う。日本語の「ほととぎす」の「す」は朝鮮語で鳥を意味する鳥(sae) と関係のあることばである。日本語の鳥の名前には
「す」のつくものが多い。鴉(からす)、鴬(うぐいす)、鴃(もず)、
かけす、などである。「す」は更にさかのぼれば古代中国語の「隹」にたどりつくものと思われる。現代では「鳥」が
用いられているが、隹[tjiuəi]もまた鳥の意味がある。
○ 参照:物 もの(第207話)、物語(がたり)(第207話)、御(第208話)、 夜(第210話)、出(い)づる(第210話)、來(き)に
ける(第210話)、 思(おぼ)す・思(おも)ひ(第210話)、目 め(第211話)、 見る(第211話)、静(しづ)か(第213話)、あはれ(第213話)、 誦(ず)す(第216話)、ありさま(有様)(第216話)、花 はな(第218話)、 如何(いか)に(第218話)、廿日(第222話)、勝(すぐ)れる(224話)、
歴史的仮名使い
○えん(艶) 「艶」の古代中国語音は艶[jiam]である。「宴」は宴[yan]、「怨」は怨[iuan] である。歴史的仮名使いでは艶(エン)、宴(エ
ン)、怨(ヱン)である。 艶[jiam]、宴[yan] が開口音であるのに対して怨[iuan] の介音は[-iu-] であり、中国語音韻学でいう、いわゆる合口音であ
る。「ヱ」はワ行音であり、「エ」と「ヱ」の区別は、唇をせばめて合口で発音するかどうかにかかっている。(参照:第222話・宴(えん))、
○ようい(用意) 「用意」の「用」の古代中国語音は用[jiong] である。歴史的仮名使いには「よう」と「やう」が
ある。「よう」と表記される漢字音と「やう」と書かれる漢字を比べてみると次のようになる。
[よう]:用[jiong]、俑[jiong]、容[jiong]、 [やう]:陽[jiang]、楊[jiang]、羊[jiang]、様[jiang]、養[jiang]、
「よう」と表記されている漢字の韻は東韻[ong]であり、「やう」と表記されている漢字の韻は陽韻[ang] であることが分かる。源氏物語の時代の宮廷でこと
二つが区別して用いられていたかどうかは分からないが、宮廷では漢詩が盛んに作られており、中国語の韻を知らないと正しく押韻した漢詩を作ることができな
かったから、文字(漢字)を書く人は知識として知っていたであろうことは想像に難くない。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~昔語り・花散里~
目ざすおん方の御殿へおいでになりますと、推量しておれれた通り人気(ひとけ)も稀(まれ) に、ひっそりとしていらっしゃるおん有様なので、たんそう哀れなのです。
まず女御のおん方で、昔のおんものがたりなどをなさいますうちに、夜が更(ふ)けて来ました。
二十日の月がさし出ますと、丈(たけ)の高い木立ちの下影がひとしお小暗く見えわたっ
て、軒端 (のきは)に近い橘(たちばな)の薫(かお)りがなつかしく匂(にお)って来まして、女御のお んけはいは年は召されましたけれども、飽(あ)くまで嗜(たしなみ)があって、上品に、可愛ら しいのです。
故院がおいで遊ばした頃は、そう際立(きわだ)って花やかな御寵愛こそありませなんだけれど も、気の置けない、なつかしいお相手に思し召していらしったものをなどと、思い出されますにつ れて、昔のことがつぎつぎに偲ばれ給うて、お泣きになります。
ほととぎすが、さっきの垣根のでしょうか、同じ声で啼きます。自分のあとを慕って来たのかと、 お思いになる御様子も艶(えん)なのです。
「いかに知りてか」などと、忍びやかに吟詠(ぎんえい)なさいます。
橘の香をなつかしみほととぎす花ちるさとをたづねてぞ訪(と)ふ
|