第213話
空蝉の巻を読む
源氏は紀伊の守(かみ)の若い後妻、空蝉と無理や
りに契る。しかし、空蝉はその後きびしい態度で源氏を寄せ付けない。源氏は空蝉の弟の小君(こぎみ)を文使いにして、またしても空蝉に迫ろうとする。空蝉
はそれを察知して身一つで難を逃れる。一緒に寝ていた妹を空蝉だと思い契った源氏は、空蝉の脱ぎ残した小袿を持ち帰り、残り香をなつかしむ。
「うつせみ」の「蝉」は日本漢字音は蝉(ゼン)で
あり、訓は蝉(せみ)である。古代中国語音は蝉[zjian] である。日本語の「せみ」は中国語の蝉[zjian] と同源である。
1.う
つせみ【日本古典文学大系】
寝(ね)られ給(たま)はぬまゝに、「我は、かく、人に憎(にく)まれてもならはぬを、今宵(こひょひ)なむ、はじめて、「憂(う)し」と、世(よ)を思
(おも)ひ知(し)りぬれば、はづかしくて、ながらふまじくこそ思(おも)ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥(ふ)したり。
「いとらうたし」とおぼす 手(て)さぐりの、細(ほそ)く小(ちひ)さき程、髪(かみ)の、いと長(なが)からざりしけはひの、似通(にかよ)ひたるも、思(おも)ひなしにや、あはれなり。
○
漢語起源のことば
「こよひ(今宵)」の「こ」は今(コン)の韻尾
(ン)が脱落したものでるある。「よひ」は「ゆふ(夕)」と関係のあることばであろう。「宵」の古代中国語音は宵[siô] であり、夕[syak] と音義ともに近い。「よひ」は宵[siô] あるいは、夕[syak] の頭音が介音の発達によって脱落したものであろう。 「憂」の古代中国語音は憂[iu] である。呉音は「憂(ウ)」、漢音は「憂(ユウ)」であ
る。 「憂(う)し」は中国語の「憂」を日本語として活用させたもので、音義ともに「憂」に近い。「うし」は「あはれ」とともに源氏物語の通奏底音になっていることばであるが、中国語の「憂」の概念を日本的に発展させたものである。 「けはひ」はひらがな表記であるが、漢語の「氣配」
である。
◎
漢語:けはひ(気配)、 ◎漢語起源のことば:今宵(こよひ)、憂(う)い、寝(ね)る、我(われ)、世(よ)、 思(おも)す、知(し)る、臥(ふ)す、手(て)、長(なが)い、あはれ、 ◎やまとことば:給(たま)ふ、人(ひと)、憎(にく)む、、はづかし、のたまふ、こぼす、 細(ほそ)い、小(ちひ)さい、程(ほど)、髪(かみ)、似通(にかよ)ふ、 ◎朝鮮語と関係の深いことば:涙(なみだ)、
○ね(寝)る 日本語の「ねる」に「寝」の字があてられている。しかし、古代中国語の「寝」は寝[tsiəm] であり、義は近いが音は共通点がない。日本語の「ねる」は中国語の眠[myen] あるいは寐[muət] と関係のあることばであろう。
眠[myen] の頭音[m-] は鼻音であり、同じく鼻音である[n]と調音の方法が同じである。調音の位置も、[m-]は両脣音であり、[n-]は前口蓋音(歯茎の裏)であり、お互いに近い。調音
の位置や方法が同じ音は転移しやすい。(参照:第209話・な(名))、
例:苗[miô] なへ、猫[miô] ねこ、鳴[mieng] なく、寐[muət] ねる、無[miua] ない、名[mieng] な、
また、韻尾の[-n][-t] は[-l] と調音の位置が同じであり、日本語ではラ行であらわ
れることが多い。
[-n]の例:換[xuan] かえる、還[hoan] かへる、限[heən] かぎる、漢[xan] から、寛[khuan] ひろい、 雁[ngean] かり、薫[xiuən] かをり、巾[kiən] きれ、塵[dien] ちり、辺[pyen] へり、 [-t]の例:刷[shoat] する、擦[tsheat] する、出[thiuət] でる、払[piuət] はらふ、掘[giuat] ほる、
○知(し)る 「知」の古代中国語音は知[tie]である。「しる」は[t-]が摩擦音化してサ行に転移したものである。「知」
の現代北京音は知(zhi)である。
○涙 「涙」の古代中国語音は涙[liuei]であった。古代の日本語にはラ行ではじまることば
はなかったから、中国語の[l-] は調音の位置が同じナ行に
転移したものであろう。浪(ロウ・なみ)、流(リュウ・ながれ)、臨(リン・のぞむ)などもその例である。「なみだ」の「みだ」は「水」である。 「涙」の朝鮮漢字音は涙(nu)である。日本語の「なみだ」は涙(nu)と朝鮮語で水をあらわす(mul)のあわさった複合語である、という説もある。
○臥(ふ)す 「臥」の古代中国語音は臥[ngua] である。臥(カ゜)と「ふす」とは一見関係なさそ
うにみえる。しかし、古代日本語のハ行には中国語の疑母[ng-] があらわれることもある。疑母[ng-] は調音の位置が喉音[h] に近い。臥(ふす)のほかにも疑母[ng-] が日本語でハ行であらわれる例としては、牙[ngea] (は)、脛[ngyeng](はぎ)などをあげることができる。古代日本語のハ行は必ずしも中国語の声母[p-] と対応していない。
例:降[hoəm] ふる、羽[hiua] は・はね、灰[huəi] はい、宏[hoəng] ひろい、弘[huəng] ひろし、 華[hoa]・花[xoa] はな、揮[xiuəi] ふるう、古[ka] ふるい、蓋[kat] ふた、骨[kiuat] ほね、 干・乾[kan] ひる、廣[kuang] ひろい、經[kyeng]ふる、寛[khuan] ひろい、堀[giuət] ほり、
○手(て) 「手」の古代中国語音は手[sjiu] である。「手」は手[tjiu] に近い音もあったのではあるまいか。手[sjiu] は掌[tjiang] に近い。中国語音韻学では照系[tj]は端系[t]から派生したと考えられている。サ行の音はタ行の音が口蓋化
される前にはタ行の音であった漢字がいくつかある。
例:取[tsio](シュ・とる)、種[doing](シュ・たね)、収[sjiu](シュウ・とらえる)、
就[dzyu](シュウ・とる)、出[thiuət](シュツ・でる)、楯[djiuən](ジュン・たて)、
床[dzhiang](ショウ・とこ)、照[tjiô](ショウ・てる)、衝[thjiong](ショウ・つく)、
丈[diang](ジョウ・たけ)、常[zjiang](ジョウ・つね)、津[tzien](シン・つ)、
同じ声符をもった漢字のなかにもタ行とサ行に読み
分けるものがいくつかみられる。タ行音が介音(i)の発達などで摩擦音化したものである。
例 : 透 トウ・秀 シュウ、調 チョウ・周 シュウ、鈍 ドン・純 ジュン、途 ト・除 ジョ、 桶 トウ・誦 ショウ、探 タン・深 シン、
○長(なが)き 「長」の古代中国語音は長[diang]である。古代日本語には濁音ではじまる音節はな
かったので語頭の[d]はナ行であらわれることがあった。日本語
の「ながい」は中国語の長[diang]と音義ともに近く、同源であろう。 タ行[t]、ダ行[d]、ナ行[n]は調音の位置が同じであり、転移しや
すい。中国語には有声音があり、透韻[th-] もまたナ行音であらわれることがある。
例:啼[dyei](テイ・なく)、塗[da](ト・ぬる)、投[do](トウ・なげる)、
逃[do](トウ・にげる)、濤[du](トウ・なみ)、鈍[duən](ドン・にぶい)、
脱[thuat](ダツ・ぬぐ)、嘆[than](タン・なげく)、呑[thən](ドン・のむ)、
○あはれ 「あはれ」は平安時代の王朝文学を知るうえでの重要な文学的、美学的概念のひとつである。本居宣長は『源氏物語』は「もののあはれ」という一語に集約でき
る、とまで言った。 「あはれ」ということばは日本語のなかでその意味を深めていった。しかし、語源をたどると漢語の
「哀憐」からきているのではあるまいか。「哀憐」の古代中国語音は哀憐[əi-lien] である。漢語に「哀憐」という成句があり、「悲し
みあわれむ]ことをいう。「あは
れ」も漢語起音であり、平安朝文学のなかで、その意味を「やまとことば」として昇華していったのではあるまいか。 参照: 我(208話)、世(よ)(第
209話)、思(おも)ふ(第210話)、
○
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~空蝉~
お寝(やす)みになれませんので、「私(わたし)はこのように人に憎まれたりしたこと
はないのに、今宵(こよい)始めて世の中の辛(つら)さを知ったので、もう恥かしく
て、生きている空もないような気がして来た」などと仰せられますと、涙をさえこぼし
て臥(ね)ています。
たいそう可愛らしいとお思いになります。手さぐりで触(さわ)ってごらんになります
と、ほっそりした小柄な体(からだ)つき、髪がそんなに長くはなかったけはいの、思
いなしか似ているようなのも哀れなのです。
2.碁を打つ女~うつせみ~【日本古典文学大系】
現在では、女性棋士もいるが、碁は主に男性が打
つ。しかし、源氏物語の時代に、は宮廷で女房たちが打ち興じたらしい。源氏物語絵巻にも碁を打つ女性の姿が描かれている。碁は大陸伝来のものであり、正倉院
御物にも漆塗りの碁盤がみられる。
碁打(う)ちはてゝ、けちさすわたり、心とげに見えて、きはゞゝしうさうどけば、奥 (おく)の人は、いと静(しづ)かにのどめて、
「待(ま)ち給へや。そこは、持(ぢ)にこそあらめ。このわたりの劫(こふ)をこそ」
などいへど、
「いで、この度(たび)は負(ま)けにけり、隅(すみ)のところゞゝゝ、いでゝゝ」
と指(および)を屈(かが)めて、
「十(とを)、二十(はた)、三十(みそ)、四十(よそ)」
など數(かぞ)ふるさま、伊豫(いよ)の湯桁(ゆげた)もたどゝゞしかるまじう見(み)
ゆ。少(すこ)し品(しな)おくれたり。
○
漢語起源のことば
「碁(ご)」の古代中国語音は碁[giə]である。「碁」の声符は「其」である。将棋の「棋」と「碁」は同源である。棋院といえば碁会所のことであり、日本棋院といえば碁の団体のことである。 現在の日本語でも『戦艦大和の最期』などと使われることがある。「碁」の祖語は碁[gə] であり、介音[-i-] が発達によって棋[giə] と発音されるようになった。したがっ
て、碁(ゴ)のほうは古く、棋(キ)のほうが新しい。 「持(ぢ)」は試合などで勝負の決まらない状態を
いう。「持碁」ともいう。「持」の古代中国語音は持[diə]である。 「劫(こふ)」とは力で相手をおじけさせることを
いう。囲碁では、敵と味方が一目の石を取り合う場合、互いに他の一手を打ってからでないと、とることができない形をいう。「劫」の古代中国語音は劫[kiap]であり、「こふ」
の「ふ」は入声韻尾[-p]をあらわす。 「伊豫(いよ)」 日本の古地名には二文字の好字をあてたものが多い。伊豫國も古くから開けた土地で『和名抄』には「國府在越智郡行程上十六日下八日」とある。つまり、当時は京都か
ら伊予まで船で上りに十六日、行きにも八日もかかったことになる。
◎漢語(漢音・呉音):碁(ご)、持(ぢ)、劫(こふ)、伊豫(いよ)、 ◎漢語起源のことば:打(う)つ、見(み)える、奥(おく)、静(しづ)か、度(たび)、 屈(かゞ)める、湯(ゆ)、品(しな)、 ◎訓(やまとことば):こころ(心)、ま(待)つ、たま(給)ふ、ま(負)ける、すみ
(隅)、 よび(指)、とを(十)、はた(二十)、みそ(三十)、よそ(四十)、 かぞ(數)ふ、けた(桁)、すこ(少)し、
○打(う)つ 「打」の古代中国語音は打[tyeng]である。漢和字典によると、日本漢字音は呉音・打
(ちょう)、漢音・打(テイ)、慣用音・打(ダ)とある。「打」と同じ声符をもった漢字にはつぎのようなものがある。
例:灯[təng]、丁[tyeng]、訂[deny]、停[dyeng]、亭[dyeng]、釘[tyeng]、貯[tio]、庁[thyeng]、
頂[tyeng]、町[thyeng]など
「打」は打[dyeng]に近い音だったのではないかと考えられる。「打」
が濁音だったとすれば「うつ」は、濁音である打[dyeng]の前に母音を添加したものであろう。古代の日本語
には濁音ではじまる音節がなかったから、濁音の前に母音などを添加して、日本語として発音しやすくした。
例:痛[thong] いたい、弟[dyei] おと、頭[do] あたま、渡[dak] わたる、
○奥(おく) 漢和字典を調べてみると、日本漢字音は呉
音漢音ともに奥(オウ)、慣用語音として奥(オク)があげられている。白川静の『字通』によれば「奥」の古代中国語音は奥[uk] であるという。奥(オウ)は奥(オク)の韻尾が脱落したものである可能性が高い。「奥」と同じ声符をもった漢字に「澳」「燠」がる。いずれも澳(おき)、燠(おき)で入声韻尾の痕跡をとどめている。「澳」は現代の慣用漢字をあてると「沖(おき)」であり、「燠」は、今はもう使われなく
なってしまったが火鉢などに火だねを貯えておく燠(おき)である。
○静(しづ)か
「静」の古代中国語音は静[dzieng] である。日本漢字音は静(呉音・静「ジョウ」、漢
音・静「セイ」)である。日本語の「しずか」は中国語の静[dzieng] の頭音が濁音であるために、語頭に清音を添加した
ものだと考えられる。韻尾の[eng] は[ek] に相通し、「静」の祖語は静[dziek] に近い音価をもっていた考えられている。 「しずか」はまた、静寂[dzieng-tzyek]が転移したものである可能性もある。
○度(たび) 「度」の古代中国語音は度[dak]である。支度(シタク)などという場合は現在でも
「度」は度(タク)と読む。日本語の「たび(度)」は度[dak]からは少し離れている。しかし、度(たび)は度[dak]の異音ではないかと思われる。 古代日
本語には濁音ではじまる音節はなかったので頭音の[d] は清音の「た」に転移した。韻尾の[-k] は[-p] と聴覚印象が近かったために混同された可能性がある。中国でも長江沿岸の上
海などでは古代中国語音の韻尾[-p][-t][-k]は弁別されず、みな咽喉閉鎖音[?]になる。
○屈(かゞ)める 「屈(かゞ)める」の「屈」の古代中国語音は屈[khiuət]である。中国語の[kh-]は次清音と呼ばれ、日本語漢字音ではしばしば濁音
であらわれる。古代の日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので、語頭の次清音[kh-] はまず清音を先行させ、「が」と重複させたとものと思われる。清音と濁音が重複する例としては次のようものあげることができる。
例:屈[khiuət](クツ・かがめる)、限[heən](ゲン・かぎる)、授[zjiu](ジュ・さずける)、
静[dzieng](セイ・しずか)、沈[diəm](チン・しずむ)、鎮[tien/dyen](チン・しずめる)、
續[ziok](ゾク・つづく)、綴[tiuat/thjiuat](テツ・つづる)、 集[dziəp](シュウ・つどふ)、 逗[do](トウ・とどまる)、
○湯(ゆ) 「湯」の古代中国語音は湯[thang] である。同じ声符をもった漢字に陽[jiang]、揚[jiang] などがあり、湯[thang] は口蓋化音の発達により、湯[jiang] に近い音に転移していたものと思われる。日本語の「ゆ」は湯[jiang] に依拠したものであろう。 湯桁とは湯槽(ゆぶね)のことである。古歌に「伊
予の湯の湯桁の数は左八つ右は九つ中は十六、すべて三十三ありといへり」とあり、伊予の道後温泉の湯槽は数が多いことで有名であった。
○品(しな)
(参照:第210話) ○見(み)える(参照:第211話)、
○歴史的仮名使い
歴史的仮名使いでは「こふ」と「こう」を
書き分けている。「劫」の古代中国語音は劫[kiap]であり、劫(こふ)とと表記されている。。
[こふ] の例:劫火[kiap](こふか)、
業[ngiap]苦(ごふく)、
[こう] の例:弘[huəng]徽殿(こうき
でん)、公[kong](こう)、口[kho](こう)、 後[ho]宮(こうき
う)、
○谷崎潤一郎訳『源氏物語』碁を打つ女~空蝉~
碁を打ち終って、駄目を押す具合がすばしこそうに見えて、何かてきぱきとしゃべりながら 躁(はしゃ)いでいますと、奥の人はえらく落ち着いて、 「待って下さい。そこは持(じ)でしょう。この劫(こう)のところを」などと言うのですが、 「いや、今度は負けました。
こことこの隅は何目(なんもく)でしょうか、どれどれ」 と指を折りながら、「十、二十、三十、四十」などと勘定する様子が、伊豫(いよ)の 湯桁(ゆげた)でも数えられそうにきびきびしています。
少し品(しな)が劣って見えます。
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