第223話
葵の巻を読む
桐壺帝が譲位して、東宮が帝位につき、世の中が一
新する。源氏は近衛の中将から大将に昇進し、身分があがられたためか、忍び歩きもつつしまれるようになる。藤壺の院は、御退位後の今では、世間一般の夫婦
のように、藤壺の宮とお二人で睦まじく暮らしています。新帝の母なので皇太后になられた今后(いまきさき)は、宮中にはかりおいでになります。 源氏は葵の上の懐任以来、葵の上につききりで安産
の加持祈祷などをさせている。葵の上には物の怪が取りついて苦しめる。
1.あふひ【日本古典文学大系】
世≪の≫中變(かは)りて後(のち)、よろづ物憂(う)く思(おぼ)され、御身のやむごとなさ も、添(そ)ひ給へば、かるがるしき御忍(しの)びありきもつゝましう、こゝもかしこも、おぼ つかなさのなげきを重(かさ)ね給ふ報(むく)いにや、なほ、われ
につれなき人の御心を、 つ きせずのみ思(おぼ)しなげく。 今(いま)は、ましてひまなう、たゞ人(うど)のやうにて、そひおはしますを、いま今后(いま きさき)は、心(こころ)やましう思(おぼ)すにや、内裏(うち)にのみ侍(さぶら)ひ給へ ば、たちならぶ人なう、心やすげなり。
漢語起源のことば 「あふひ」は現代の日本語では葵「あおい」であ
る。「葵」の古代中国語音は葵[kiui] であり、「あふひ」はやまとことばであろう。古代日
本語は二重母音を避ける傾向があった。Aoiでは母音つながりになってしまうのでAhuiと子音を入れた。会(あ)ふ、言(い)ふ、上(う
へ)、葉(えふ)、多(おほ)い、負(お)ふ、なども同じである。
○ 漢語(漢音・呉音):憂(う)し、 ○ 漢語起源のことば:世(よ)、中(なか)、物(もの)、思(おぼ)
す、御身、かるい、御、 おぼつかない、われ、報(むく)い、御心、今(いま)、ひま、たちな
らぶ、 ○ 訓(やまとことば):かは(變)る、のち(後)、よろづ、やむごとな
き、そ(添)ふ、給ふ、 ここ、かしこ、しの(忍)ぶ、なげく、かさ(重)ねる、つれなし、人、御心、つきる、 うど(人)、きさき(后)、うち(内裏)、さぶら(侍)ふ、たちならぶ、やすい、
○ 憂(う)し 「憂(う)し」の憂[iu] は漢語である。日本漢字音は呉音・憂(ウ)、漢
音・憂(ユウ)である。優婆塞(うばそく)など仏教用語には呉音が多い。「憂(う)し)」は漢語の語幹を日本語に取り入れ活用させたものである。(参照:
第213話)
○ 輕(かる)い 「輕」の古代中国語音は輕[khieng] である。日本語の「かるい」あるいは「かろんずる」など
は中国語の語幹から出たものである可能性がある。 中国語の韻尾[-ng] が日本語でラ行に転用されたと思われる例としては
次のようなものをあげることができる。
例:經[kyeng] ふる、
降[hoəm] ふる、
通[thong] とほる、
香[xiang] かほる、荒[xuang] あれる、 狂[giuang] くるう、
輕[khieng] かるい、廣[kuang] ひろい、弘[huəng] ひろい、
中国語の韻尾[-ng]は調音の位置は[-k]に近く、調音の方法は鼻音であり[-m]に近い。日本語で韻尾がラ行であらわれるものは用
言で活用するものが多い。
「經[kyeng](ふ)る」の「る」は中国語の韻尾[-ng]に相当するものであると見ることもできるし、經[kyeng] は語幹の「ふ」だけで、「る」は日本語の活用形の
一部だとみることもできる。「輕[khieng](かる)い」の場合はどうであろうか。輕[khieng] の「かる」
は中国語の韻尾[-ng] に相当するものであると見ざるをえないのではある
まいか。
○ 報(むく)い 「報」の古代中国語音は報[pu] だとされている。中国の音韻学者王力の『同源字
典』によると報[pu]は幽[u] 韻に属する。幽韻は陰声であり、それに対応する陽
声は冬[ung] 韻であり、入声は覺[uk] 韻であるという。(参照:白川静『字通』・字通の
編集についてp.19) つまり、報[pu] は報[pung] あるいは報[puk] とも通ずる。[p-] は両唇音であるから、同じ両唇音でもある[m-] と通じる。 したがって、日本語の「むくい」は古代中国語の
「報」と同源であり、音義ともに「報」に近い。「むく(報)い」は「報」の倭音である、と考えることはできないであろうか。古代の音韻変化は証明すること
は困難である。ただ、その復元が蓋然性があると認められるかどうかにある。 幽韻[u]の漢字で日本語の訓に韻尾の[-k]の痕跡を残していると思われるものをいくつかあげ
ることができる。これをもって傍証とすることにする。
例:酒[tziu](シュ・さけ)、
柳[liu](リュウ・やぎ・
やなぎ)、流[liu](リュウ・ながれ)、 就[dzyu](シュウ・つく)、
中[tiuəm](チュウ・なか)、
富[piuə](フ)・福[piuək](フク)、 宙[diu](チュウ)・軸[diuk](ジク)、繍[siu](シュウ)・粛[siuk](シュク)、
○ 参照:物 もの(第208話)、御身・御心(第208話)、我 われ(第208話)、 世 よ(第209話)、思(おぼ)す(第210話)、、今 いま(第211話)、 おぼつかない(第210話・思(おぼ)
す、閑 ひま 第(216話)、 立(たち)ならぶ(第219話)、中 なか( 第221話)、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~葵~
御代(みよ)が変りまして後は、何事も億劫(おっくう)にお感じになり、官位も高くなられたせ いもありましょうか、軽々しいお忍び歩きもなさりにくく
て、ここかしこのおん方々が心もとない 思いをさせられていらっしゃるのでしたが、その報(むく)いでか、相変らず自分につれないかの おん方のお心を、
限りもなく嘆いてばかりおいでになります。
前(さき)の帝(みかど)は、今はまして尋常人(ただびと)のような御自由さで、絶えず藤壺の 宮と御一緒にお暮し遊ばされますのを、今后(いまぎさき)
は面白からずお思いになってか、いつ も内裏(うち)にばかりいらっしゃいますので、もはやこちらには肩を並べる人もなくて、お気楽 そうに見えるので
す。
2.物の怪~あふひ~【日本古典文学大系】 源氏物語の時代は物の怪が病気を引き起こす原因だ
と考えられていた。葵の上に物の怪が憑いて苦しめる。源氏は葵の上の病床で六条の御息所の生霊をみてしまう。
大殿には、御物の怪(け)めきて、いたう、わづらひ給へば、誰(たれ)もたれも思(おぼ)し嘆 (なげ)くに、御ありきなど、便(びん)なき頃(ころ)なれば、二條の院にも時々(ときどき) ぞ渡り給ふ。
さはいへど、やむ事なき方(かた)は、殊(こと)に思ひ聞(きこ)え給へる人の、珍(めづら) しきことさへ添(そ)ひ給へる御腦(なや)みなれば、心ぐ
るしう思(おぼ)し嘆(なげ)きて、 御修法(みずほふ)や何(なに)やと、わが御方(かた)にて多(おほ)く行(おこな)はせ給 ふ。
物の怪(け)、生霊(いきすだま)などいうもの、多(おほ)く出(い)で來(き)て、さまざま の名(な)のりする中に、人に更(さら)に移(うつ)ら
ず、たゞ、みづからの御身に、つき添 (そ)ひたるさまにて、殊(こと)におどろおどろしう、わづらはし聞こゆる事もなけれど、ま た、片時(かたと
き)離(はな)るゝ折(をり)もなきもの、一(ひと)つあり。 「いみじき驗者(けむさ)どもにも從(したが)はず、しふねき、氣色(けしき)、おぼろげの物 にあら
ず」と見る(み)えたり。
漢語起源のことば 「けむさ(驗者)」。「驗」の古代中国語音は驗[ngiem] であり、「けむさ」の「む」は中国語の韻尾[-m] を忠実にあらわすために「ん」をさけたのであろ
う。 「者」の古代中国語音は者[tjya] である。現代の日本漢字音では拗音化を反映して者
(シャ)となっているが、源氏物語では者(さ)である。渚[tjia] は渚(ショ・す)であり、州・洲[tjiu] は州・洲(シュウ・す)である。 ちなみに、「者」の朝鮮漢字音は者(sa) である。朝鮮漢字音では四(sa)、死(sa)、私(sa)、事(sa)、射(sa)、沙(sa)、舎(sa) であり、漢語の[i]あるいは介音(i)が(a)になる傾向がみられる。(参照:第216話・「御修法(みずほふ)」)
○ 漢語(漢音・呉音):便(びん)、二條の院、御修法(み
ずほふ)、驗者(けむさ)、 ○ 漢語起源のことが:大殿(との)、御物(もの)の怪(け)、思(おぼ)
す、頃(ころ)、 時(とき)、渡る、腦(なや)み、くるしい、御
修法(みずほふ)、もの、出(い)で、 來(く)る、さまざま、名(な)のり、中(なか)、御身(み)、さま、片時
(かたとき)、 折(をり)、見(み)える、しふねき、おぼろげ、 ○ 訓(やまとことば):おほ(大殿)、わづらふ、給ふ、たれ(だれ)、嘆(なげ)く、ありく、 なに(何)、いふ、やむ事なき、かた(方)、こと(殊)に、きこ(聞)える、そ(添)ふ、 こと、 めづら(珍)しい、おほ
(多)く、おこな(行)ふ、いきすだま(生霊)、人、 さら(更)に、うつ(移)る、みづから、つきそ(添)る、こと(殊)に、わづらはし、 聞こゆる、事、か
たとき(片時)、はな(離)るゝ、ひと(一)つ、いみじき、したが(從)ふ、
○ 物(もの)の怪(け) 「怪」の古代中国語音は怪[kuəi] である。日本漢字音は呉音・怪(ケ)、漢音・怪
(カイ)である。古代日本語は重母音をさける傾向にあったので、怪(ケ)となった。同様の例としては、介(カイ・ケ)、会(カイ・ケ)、界(カイ・ケ)、
皆(カイ・ケ)、開(カイ・ケ)などをあげることができる。「物の怪」の物(もの)は倭音、怪(け)は呉音で
ある。(参照:第207話・物(もの))
○頃(ころ) 「頃」の古代中国語音は頃[khiueng] である。中国語の韻尾[-ng] は倭音ではしばしばラ行であらわれることがある。
(参照:かる≪輕≫い)
○ 腦(なや)み 「腦」の古代中国語音は腦[nu] である。白川静の『字通』によると、「腦[nu]は怒[na]、擾[njiu] と声近く、心に恨み怒って、情の擾(みだ)れるこ
とをいう。」とある。「腦」は音義ともに日本語の「なやみ」に近い。
「なやみ」は「腦」の倭音が転移したものであろう。
○ 出(い)で 「出」の古代中国語音は出[thjiuət] である。日本漢字音は呉音・出(スチ・スイ)、漢
音・出(シュツ)である。訓は出(でる・だす・いでる)である。透[th] 声は端[t] 声、定[d] 声と調音の位置が同じであり、端[t]声は清音、透[th] 声は次清音、定[d] 声は濁音である。日本語の「でる」は中国語の出[thjiuət] の頭音[th] が濁音のダ行に転移し、韻尾の[-t] がラ行に転移したものである。古代日本語には濁音
ではじまる音節はなかったので語頭に母音を添加したのが「い(出)で」である。「で」は送り仮名ではなく中国語の
「出」に対応している。むしろ「い出(で)」とでもかくべきものであろう。 韻尾の[-t] がラ行に転移する例は用言などに多い。
例:払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)、刷
(サツ・する)、没(ボツ・うもる)、
朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。
例:出(chul)、払(pul)、祓(pul)、刷(swal)、没[mol]、地下鉄[ji-ha-cheol]、万年筆[man-nyeon-ppil]、
○ 來(く)る 「來」の古代中国語音は來[lə] である。スウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978)は古代中国語の[l] は[kl] あるいは[gl] であったのではないかとしている。確かに同じ声符
をもった漢字でカ行とラ行に読み分けられるものは数多くある。
例:果(カ)・裸(ラ)、各(カク)・洛(ラ
ク)、諫(カン)・練(レン)、 監(カン)・藍(ラン)、験(ケン)・斂(レ
ン)、兼(ケン)・簾(レン)、 京(キョウ)・涼(リョウ)、樂(ガク・ラ
ク)、
古代中国語の頭音に重子音はなかったにしても、入
りわたり音[h]のようなものがあって、それが発達したものがカ行
音になり、それが脱落したものがラ行音になったと考えるカールグレンの説は蓋然性があるように思われる。(参照:第211話・海(カイ・うみ))
○ 折(をり) 「折」の古代中国語音は折[tjiat] である。日本語の「をる」は古代中国語の折[tjiat]の頭音が口蓋化の影響で脱落したものではなかろう
か。中国語の頭母音が脱落した例としてはつぎのようなものをあげることができる。
例:折[tjiat](セツ・をる)、織[tjiək](ショク・おる)、射[djyak](シャ・いる)、 床[dzhiang](ショウ・ゆか)、色[shiək](シキ・いろ)、緒(ショ・を)、 邪[zya](ジャ・や)、
倭音は頭音が脱落し日本漢字音になると頭音があら
われている。注目すべきことは頭音の脱落は中国語音においても起こっていることである。同じ声符をもった漢字でも頭音の脱落しているものと、痕跡を留めて
いるものがある。
例:勺[tjiôk]・約[jiôk]、尺[thjyak]・訳[jyak]、説[sjiuat]・悦[jiuat]、 除[zia]・余[jia]、詳[ziang]・羊[jiang]、誦[ziong]・甬[jiong]、
○しふねき 日本語の「しふねき」は中国語の「執念」にあた
り、執念深いことをいうという。古代中国語の執念は執念[tzhiəp-niəm] である。「執」の日本漢字音は呉音・漢音ともに執
(シュウ)であり、慣用音として執(シツ)があると漢和字典には書いてある。源氏物語のいう「しふねき」の「ふ」
は中国語の韻尾[-p]を表記したものである。(参照:第216話・すほ
ふ(修法)) 「しふねき」
の「き」は中国語音の念[niəm] を忠実に継承しているとはいいがたい。「執念深き」の意味であろう。
○ おぼろげ 「おぼろげ」朧氣であろう。古代中国語の朧氣は朧[long/liong] 氣[khiəi] である。「おぼろ
げ」の「お」は母音添加である。古代日本語では語頭にラ行音がくることがなかったので、「お」を添加した。語頭の[l-] は[b-] と調音の位置が近い。調音の位置の近い音は聴覚的にも近く、転移しやすい。
○参照:物・もの (第207話)、 時・とき(第208話)、名(な)のり(第209
話)、 御身(み)(第208話、第210話)、思(おぼ)す(第210話 )、 中(なか)(第211話)、見(み)える(第213話)、渡る(第214話)、 苦(くる)しい(第216話)、さまざま(第216話・ありさま(有様))、 大殿(との)(第219話)、
谷崎源一郎訳『源氏物語』~物の怪・葵~
大殿(おおいとの)ではおん物怪(もののけ)の御様子で、ひどくお苦しみなされますのを、誰も 誰も心痛していらっしゃいますので、君も当分お忍び歩きなどは具合が悪く、二条院へも時たまに しかお越しになりません。
何といっても御身分の上からは、どなたよりも大切に思っていらっしゃいますお方の、おめでたい ことまで取り添えた御病気ですから、たいそう御心配にたって、御修法(みすほう)や何やかや と、御自分のお部屋でいろいろおさせになります。
物怪、生霊(いきりょう)などというものがたくさん出て来まして、さまざまの名告(なの)りを します中に、憑人(よりまし)にはどうしても乗り移らず、
ただ御病人のおん身にじっと取り憑 (つ)いているらしくて、別に物凄くお責め申すのではありませんが、片時もお体を離れずにいる のが一つあります。
すぐれた験者(げんじゃ)どの法力(ほうりき)にも調伏(ちょうぶく)されず、執念深くくっつ いています様子が、並大抵(なみたいてい)のものではないと思えるのでした。
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