第216話  病気平癒祈願~夕顔~

 源氏はついに夕顔を町屋から連れ出すのに成功しま す。二人はひたすら愛し合い、永遠の愛を誓いあうのでした。短い期間ながら心を尽くして愛し合ったのに、夕顔は物の怪につかれたように脅え、苦しんで、や がて思いがけなくも息絶えてしまいます。
 そして、今度は源氏の君自身が気分が悪くなってし まいます。病気平癒を祈願して、陰陽師の行う神の祭りやお祓い、仏教の加持祈祷など、ありとあらゆる御祈祷が行われます。

1.病気平癒祈願~夕顔~【日本古典文学大系】

  まことに、臥(ふ)し給(たむげに、弱(よわ)るやうにし給ふ。 内裏(うち)に、聞(きこ)し めし、嘆(なげ)く事かぎりなし。 御祈(いの)り、かたがたに、ひまなくのゝしる。
 祭(まつり)・祓(はらへ)・修法(すほふ)など、言(い)ひ盡(つ)くすべくもあらず。 世 (よ)に類(たぐひ)なく、ゆゆしき御有様(ありさま)なれば、「世(よ)に長(なが) くおは しますまじきにや」と、天(あめ)の下(した)のさわぎなり。

  漢語起源のことば

 修法(すほふ)というのは漢 語である。古代中国語音は修法[siu-piuap] である。修[siu]の介音[-i-]ははぶかれて修(す)になっている。
 誦經(ずきやう)なども誦
[ziong] の介音[-i-]が脱落した例である。宿禰(すくね)なども古代中国語音は宿禰[siuk-myei] であり、介音[-i-] は脱落して宿[suk] のように発音されている。これらは、朝鮮漢字音でも 修(su)、宿(suk)、誦(song) となっており、源氏物語の頃の日本漢字音は朝鮮漢 字音に近い。
 「すほふ」の「ふ」は中国語の韻尾[-p] を忠実に再現したものである。旧仮名使いでは蝶[thyap] も「てふ」「てふてふ」であった。

  漢語(漢音・呉音):修法(すほふ)、
 ○ 漢語起源のことば:臥(ふ)す、いたく、苦(くる)しむ、弱(よを) る、限(かぎ)り、
  御、ひま、祭(まつり)、祓(はらへ)、世(よ)、長(なが)き、天(あめ)、騒(さわ    ぎ)、

 ○ 朝鮮語と同源のことば:二三日(ふつ)、
 ○ 訓(やまとことば):たま(給)ふ、ふつか(二三日)、 うち(内裏)、きこ(聞)す、
  なげ(嘆)く、こと(事)、いの(祈)り、い(言) ふ、ひつ(盡)くす、たぐひ(類)、
  ゆゆし、おはす、した(下)、わざ、
むげ(無下)に、ありさま(有様)、

 ○ 痛(いた)く
 「痛」の古代中国語音は痛
[thong]である。「いたい」は痛[thong]の頭音[th]の前に母音「い」がついたことばである可能性があ る。中国語の[th-]は次清音とよばれ、濁音に近い。日本語では濁音で はじまる音節がなかったから、母音をつけて発音しやすくした。

  例:討[thu] うつ、打[tyeng/thyeng] うつ、弟[dyei] おと、頭[do] あたま、

  「痛」と同じ声符をもったかんじとしては、次のよう なものをあげることができる。

    例:通[thong] とほる、樋[thong] とい、涌[jiong] わく、桶[dong] おけ、

  通、樋[thong ]は通・樋[tong] と調音の位置が同じである。涌[jiong] は頭音が介音[-i-] の発達によって脱落したものである。桶[dong](おけ)には介音[-i-]発達により、桶[diong]のような音価をもった段階があり、頭音[d] 脱落によって桶(おけ)となったのであろう。

 ○ 苦(くる)しむ
 「苦」の古代中国語音は苦
[kha] である。「苦」と同じ声 符を持った漢字に[hak] があり、韻尾に入声音[-k] がみられる。「苦(く) しむ」の「る」、「古(ふ)い」の「る」は中国語音の[-k] の転移したものであろう。

 ○ 弱(よわ)る
 「弱」の古代中国語音は弱
[njiôk]である。日本語の「よわ(弱)い」「よわ(弱) る」は弱[njiôk] の頭音[nji-] が脱落したものである。朝鮮漢字音では中国語の日 母[nji-]は規則的に脱落する。

  例:(yak)(yak)、耳(i)、乳(yu)、柔(yu)、熱(yeol)、入(ip)、日本(il-bon)

  朝鮮漢字音では肉[njiuk] は肉(yuk)「ユッケ」である。日本語でも日母[nji-]は失われてア行、ヤ行、ワ行などに転移するものが ある。

  例:弱[njiôk] よわい、若[njiak] わかい、譲[njiang] ゆずる、柔[njiu] やわら、入[njiəp] いる、
     餌
[njiə] え、熱[njiat] あつい、

 ○ 限(かぎ)り
 「限」の古代中国語音は限
[hean]である。古代日本語では語頭に濁音がくることはな かったから、まず清音を先行させて「かぎり」のように、音節を重ねることによって日本語の音韻体系に取り入れられた。「かぎ」の「り」は韻尾[-n]が転移したものである。[-n][-l]は調音の位置が同じであり、 転移しやすい。

 中国語の濁音の前に清音の音節を添加した例として は次のようなものがある。
 (参照:第224話・續く)

 例:屈[khiuət] かがむ、係[hye] かかり、懸[hiuen] かける、静[dzieng] しずか、
  進
[tzien] すすむ、続[ziok] つづく、畳[dyap] たたみ、停[dyeng] とどめる、

 ○ 閑(ひま)
 「閑」の古代中国語音は閑
[hean]である。平安時代の日本語のハ行音は「ファ、 フィ、フ、フェ、フォ」であったといわれるが、源氏物語にあらわれるハ行音のことばのなかには、漢語の喉音[h]を継承したと思われるものがいくつかみられる。

  例:華[hoa] はな、降[hoəm] ふる、媛[hiuan] ひめ、宏[heang] ひろい、
   弘
[huəng] ひろい、浩[hu] ひろい、含[həm] ふくむ、艦[heam] ふね、

 ○ 祭(まつり)
 「祭」の古代中国語音は祭
[tziai]である。同じ声符を持つ漢字に、察[tziat]、擦[tziat] があり、「祭」の祖語も韻尾に入声音[-t]があったものと考えられる。「擦」は「する」であり、「祭」(まつり)は中国語の祖語、祭[tziat]と関係があるのであろう。
 「つ り」の「ま」については不明である。「祭」の原義は「供え物をそなえ祭壇を清める儀式」の ことで、中国語には「墓祭」「禡祭」「軷祭」などがある。墓
[mai/mak]祭は先祖の祭り、禡[mea]祭は軍神を祭り兵士の士気を高める祭り、軷[buat]祭 は道祖神の祭りである。「まつり」はこれらのことばと関係があるかもしれない。

 ○ 祓(はらへ)
 「お祓い」の「祓」の古代中国語音は
[buat]である。韻尾の[-t][-l] と調音の位置が同じであり、動詞ではラ行に転移すること が多い。朝鮮漢字音では中国語の韻尾[-t]は規則的に[-l]に転移する。

 例:祓(pul)、抜(pal)、佛(pul)、地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)

 日本語の祓「はらへ」は中国語の「祓」と同源である。払(はらう)も同様である。

 ○ ありさま(有様)
 「ありまさま」は漢字で「有様」と書かれることがあるが、国字である。しかし、日本語の「ありさま」に「有様」をあてるのは、それなりの理由がなければならない。
 古代中国語の「有」は有
[hiuə] であり、「様」は様[jiang] である。「ある」は[hiuə] の頭音[h-] の脱落したものに対応する。「様」の声符は羊[jiang]であり、同じ声符をもつ漢字に祥[ziang]、詳[ziang]などがある。様[jiang][ziang][ziang] の頭音が脱落したものであり、「様」の祖語は様[ziang] に近い音価をもっていたものと思われる。中国語の韻尾[-ng] は調音の方法が[-m] と同じであり、日本語ではマ行であらわれることも多い。

 例:浪[lang]なみ、[dziang]  さま、[siang]さま、[shiang] しも、[kiuəng]  ゆみ、[kiuəng]  きみ、

 ○ 天(あめ)
 「あめ」は天
[thyen]の頭音が脱落したものであろう。

 漢字を学ぶ初期の教科書として『千 字文』というものがある。『古事記』によれば百済の王仁がわが国にもたらしたという。わが国でも飛鳥奈良時代以降、漢字の教科書として用いられた。その冒 頭に「天地玄黄。宇宙洪荒。」という四文字成句があり、「テンチのあめつちは、クヱンクワウと黒く、黄なり。ウチウのおほぞらは、コウクワウとおほいにおほ きなり。」と文選読みに読んだ。文選読みとは、漢文の音読みにつづけて訓で意味を翻訳して読む読み方である。「天地」は「あめつち」と訓読されている。天地(テンチ)は漢字の音読みで、天地(あめつち)は「やまとことば」とされている。
 「天地」の古代中国語音は天地
[thyen-diet]である。これが天地(テンチ) となる。しかし、天地(あめつち)も古代中国語音に依拠したことがである可能性がある。「あめ」は天[thyen]は頭音[th]が介音[-y-] の影響で脱落したものであり、韻尾の[-n]はマ行に転移し た。韻尾[-n] は同じく鼻音である[-m] と調音の方法が同じであり転移しやすい。日本語では[-n] と[-m] は弁別されたいない
「つち」の古代中国語音は地
[diet] である。古代日本語では濁音ではじまる音節がなかった ので清音「ち」になった。韻尾の入声音は唐代には失われているが、古い中国語音の痕跡を留めている。つまり、文選読みは「音+訓」ではなくて、「唐代 の音+弥生音(周代の漢字音に依拠する古い漢字音で8世紀に日本が本格的な文字時代になる前に、すでに「やまとことば」として日本語のなかに定着してしまっていた漢字音)」ということになる。

 ○ 騒(さわぎ)
 「騒」の古代中国語音は騒
[su] である。 騒[su] の母音は合口音であり、ワ行音に近い。また、中国の音韻学者、王力によれば幽韻[u] は冬韻[ung]、覺韻[uk] とも通ずるという。日本語の「さわ(騒)ぎ・さわ (騒)ぐ」は中国語の騒[su] と同源であり、中国語音の転化したことばであろう。

 ○ 二三日(ふつ
 「日」の古代中国語音は日
[njiet]である。朝鮮語では 「日」のことを日(hae)という。日本語の日(ひ)は朝鮮語の日(hae) と同源である可能性が高い。朝鮮語の日(hae) は喉音であり、後口蓋音の(k)に調音の位置が近く、転移しやすい。「ふつ」「み」の「か」は朝鮮語の(hae) の転移したものである。

参照:御(第208話)、世(よ)(第 209話)、臥(ふ)す(第213話)、
   長(なが)き(第213話)、

  歴史的仮名使い

 『源氏物語』の日本語では修法(ずほふ)のように、現在 では拗音化している音が直音で読まれることが多い。

 ○「す」・「しう」・「しゆう」
 拗音「しう」あるいは「しゆ う」の直音の「す」であらわれることがしばしばある。その理由は二つ考えられる。

  1.中国 語音で介音[-i-]の発達する以前の音を留めている可能性がある。
 2.日本語に拗音がなかったために、中国語の拗音 は日本語としては直音として定着した。

 『源氏物語』の時代の仮名使いでは「す」「しう」「しゆう」などがみられる。
  は後のことであろう。

  []:修[siu] 業・ぎ やう、誦[ziong] 經・き やう、數[sheo] [tjio] すず
       朱
[tjio] 雀院・ざ くゐん、受[zjiu] 領・り やう、宿[suk] 世・すくせ、
    従
[dziong][tjya] ずざ、洲[tjiu] 、 巣[dzheô] 、 寿[zjiu] 、 主[tjio] 、 住[dio] む、
    上
[zjiang][sjiu] じやう、 周[tjiu] 防・は )、駿[tziuən] 河・するが、
 [しう]:主[tjio]、州[tjiu]、秀[siu]、祝[tjiuk]言、
 [しゆう]:衆[tjiuəm]、主[tjio]、宗[tzuəm]旨、主従[dziong]

  祝言(しうげん)の「しう」は[tjiuk] の韻尾が音便化したもので、ほかに、格子(かうし)、拍子( はうし)などがある。「格」「拍」の韻尾はいずれも入声音で、[keak]、拍[peak] である。

 ○「ず」・「づ」
 歴史的仮名使いでは「ず」と「づ」とは原則として区別されて いる。「づ」は「つ」の濁音であり、中国語原音が定母
[d-] あるいは透[th-] のものに使われている。

 [];図[da](づ)、頭[do](づ)、豆[do](づ)、[da](づ)、[thjiuət](づ)

しかし、『源氏物語』の時代には「ず」には中国語原音が澄母[dj-] あ徹母[thj-] であったものがふくまれている。

  []:誦[ziong](ず)、受[zjiu](ず)、従[dziong](ず)、[djiuət](ずち)、[djiuən](ずん)、
    随[duai](ずい)、[tjiuk](ず)、

 中国漢字音の澄母[dj-] は定母[d-] から派生したといわれ、徹母[thj-] は透母[th-] から口蓋化によって生まれたと考えられている。『源氏物語』の仮名使いはすでに始まっていた口蓋化の影響を受けて、澄系[dj-] 、徹系[thj-] の漢字が「ず」に使われている

 ○「ほふ」・「ほう」
  「ほふ」は原則として中国語の韻尾が
[-p]のものに用いられ、そのほかは「ほう」と書く。

  [ほふ]:法[piuap] ほふ、
  [ほう]:方[piuang] ほう、奉[biong] ほう、峰[phiong] ほう、宝[pu] ほう、豐[phiuəm] ほう、
         蓬
[beong]莱・ほうらい、鳳[biuəm]凰・ほうわう、暴[bôk/bong] ぼう、謀[miuə] ぼう、

 し かし、実際には「法師」を法師(ほうし)と書いた写本もあることから、平安時代に実際に「ほふし」と「ほうし」の区別がどの程度守られていたかは明らかではない。法 (ほふ)は中国語原音の[piuap] を意識した多分に規範的な表記法であったものと思われる。その後は、法(ほふ)は法(ほう)に合流し、現代 の仮名使いにいたる。

  谷崎潤一郎訳『源氏物語』~夕顔・病気平癒祈 願~

  君はほんとうにおわずらいなされて、たいそう苦しがらせ給い、二日三日たつうちに、 すっかり御 衰弱の御様子なのです。 内裏(うち)でもそれを聞(きこ)し召して限りなく御心痛になります。
  御平癒の御祈禱が方々でしきりに催されます。 祭、祓(はらえ)、修法(ずうふ)など、言いつく すべくもありません。
  世にたぐいなく、怪しいまでにお美しい御器量なので、御短命なのではあるまいかなど と、天(あ め)が下の人々がこぞって心配をします。      

2.野辺の送り~夕顔~【日本古典文学大系】

 かつて契りを結んだ人(夕顔)は、火葬によって煙 となってしまった。その煙を、夕顔だと思って眺めていると、夕方の空までむつまじく感じられる。

  空(そら)の、うち曇(くも)りて、風ひややかなるに、いと、いたく、うちながめ給 ひて、
 見(み)し人のけぶりを雲と眺(なが)むれば 夕の空もむつましきかな
 と、 ひとりごち給へど、え、さしいらへも聞(きこ)えず、「かやうにて、おはせましかば」と思 ふにも、胸(むね)ふたがりておぼゆ。
 耳(みゝ)かしがましかりし、砧(きぬた)の音(おと)をおぼし出(い)づるさへ、戀しくて、 「まさに長(なが)き夜」と、うち誦(ずん)じて、臥(ふ)し給 へり。

  漢語起源の日本語

 「まさにながき(長)き夜」は白楽天の詩「聞夜砧」の一節による。『白氏文集』平安時代に伝えられて、貴族の間で愛読されていた。

 誰家思婦秋擣帛    誰(た)が家の思婦(しふ)ぞ、秋帛(きぬ)を打つ
 月苦風凄砧杵悲    月苦(さ)え、風凄(すさま)じく、砧(きぬた)の音悲し
 八九月正長夜        陰暦八月、九月は、正に長いことよ、

「ずん(誦)ず」は古代中国語の誦[ziong]の転移したものであり、漢語といえる。動詞で漢語 が使われている例としては、「御覧ずる」、「奏す」などをあげることができる。

  漢語(漢音・呉音):ずん(誦)ず、
 ○
漢語起源のことば:曇(くも)り、見る、雲、眺(なが)める、むつま じい、思ふ、
    耳(みゝ)、音(おと)、出(い)づる、 戀、長(なが)き、夜、臥(ふ)す
 ○
訓(やまとことば):そら(空)、風、ひややか、給ふ、夕、ひとり、き こ(聞)える、
 おはす、むね(胸)、きぬた(砧)、

 ○ 曇(くも)り
 「曇」の古代中国語音は曇
[dəm]である。日本語の「くもり」はむしろ雲[hiuən]と関係のあることばであろう。
 「雲」の日本漢字音 は雲(ウン)、訓は雲(くも)である。雲(ウン)は古代中国語音の喉音
[h-]が介音(i)の影響で脱落したもので、唐代の中国語音に依拠し ている。訓の雲(くも)は唐代より前の時代の中国語の喉音[h] の痕跡をとどめたものである。古代中国語の韻尾[-n][-m] は日本漢字音では弁別されていない。(参照:第 209話)

 ○ 眺(なが)める
 「眺」の古代中国語音は眺
[thyô] である。音の眺(チョウ)と訓、眺(ながめる)はあまり関係がなさそうである。透母[th-]  は調音の位置が泥母[n-]  と同じであり、ナ行に転移しやすい。また、宵韻[ô]は薬韻[ôk]と相通ずる。
 古代中国語の
[d-][th-]などが倭音でナ行であらわれる例としては次のよ うものをあげることができる。

  例:長[diang](ながい)、陳[dien](のべる)、直[diək](なおる)、値[diə/diək](ね)、
   暢
[thiang](のびる)、抽[thiu](ぬく)、中[tiuəm](なか)、

 日本語の「ながめる」は中国語の眺望 [thyô-miuang] と関係のあることばではあるまいか。中国語で「眺望」とは「遠 くを見渡すこと」である。

 ○ 睦(むつ)まじい
 「睦」の古代中国語音は睦
[miuk]である。日本漢字音は呉音・モク、漢音・ボク、 訓・むつむである。睦(むつ)もまた中国語の睦[miuk]に依拠したことばである。「睦」と同じ声符の漢字に陸[liuk]  がある。マ行とラ行は意外に近親性がある。[l-] は調音の位置は[m-] に近い。中国語で[l-] の音価をもった漢字が、日本語ではマ行であらわれることがある。

  例:漏(ロウ・もる)、嶺 (レイ・みね)、両(リョウ・もろ)、亂(ラン・みだる)、
   濫(ラン・みだりに)、緑(リョク・みどり)、戻(レイ・もど る)、

 中国の音韻学者、王力は『同源字 典』のなかで令[lieng]と命[mieng]は同源であると指摘している。日本語では「陸奥」と書いて「むつ」と読ませてい るが、もともと「陸」は一字で「むつ」とも読めるのである。

 ○ 耳(みゝ)
 「耳」の古代中国語音は耳
[njiə]である。日母[nj-] は明母[m-] が口蓋化して生まれたものであると考えられる。日本語の「みみ」は「耳」が耳[miə] に近い音価をもっていた時代の痕跡をとどめているものと思われる。(参照:第214話・乳母)
 日本語の「みみ」は中国語の「耳」の頭音を重ねた ものである。古代日本語ではマ行の頭音は重複することが多い。

  例:馬(むま・うま)、梅(むめ・うめ)、名(な まえ)、眠(ねむる)、など。

 ○ 音(おと)
 「音」の古代中国語音は音
[iəm]である。日本語の「おと」は中国語の音[iəm] と同源である可能性がある。
 中国語の韻尾[-n] はさらに時代を遡ると入声音[-t] に近い音だったと考えられている。また、中国語の韻尾[-m]  は、入声音[-p]  であったと考えられている。

陽 音(唐代)

[-m]

[-n]

[-ng]

入声音(古音)

[-p]

[-t]

[-k]

 しかし、古代日本語では韻尾の[-m][-n] を弁別しなかった。また中国語の韻尾[-p] はタ行であらわれることが多い。「音」の祖語は音[-iəp] に近い音価をもったものであり、それが日本語ではタ行(お)に転移したと考えることができる。(参照:第209話・「ん」と 「む」)

 中国語韻尾の[-p] がタ行であらわれる例:立[liəp] リツ、接[tziap] セツ、雜[dzəp] ザツ、

 中国語の韻尾[-m] あるいは[-n] が日本語でタ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。

  例:琴[giəm](キン・こと)、幡[phiuan](バン・はた)、堅[kyen](ケン・かたい)、
   灘
[nan](ナン・なだ)、本[puən](ホン・もと)、満[muan](マン・みつる)、
   言
[ngian](ゲン・こと)、面[mian](メン・おもて)、楯[djiuən](ジュン・たて)、

 ○戀
 「戀」の古代中国語音は戀
[liuan]である。中国語の来母[l]は語頭に入りわたり音があり、「戀」の祖語は戀[hliuan] に近い音価をもっていたものと考えられてい る。同じ声符をもった漢字がカ行とラ行に読み分けられている例は多い。

 例:裸(ラ)・果(カ)、各(カク)・洛(ラ ク)、兼(ケン)・簾(レン)
   監(カン)・藍(ラン)、樂(ラク・ガク)、 来(ライ・くる)、栗(リツ・くり)、

  [liuan] 中国古代音が[hliuan] のような音だったとすれば、戀(レン)は入 りわたり音[h-] が脱落したものであり、變(ヘン)は入りわた り音が発達したものだった可能性がある。
 日本語の戀(こひ)は、
[hliuan] の入りわたり音がカ行に転移し たものだということになり、すべては整合的に説明できる。

 古代中国語には語頭に複合子音があったという説は、 スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978) が最初に提出したものであり、現在ではかなり広 く受け入れられている。もし、この説が正しいとすれば、日本語の戀(こひ)は 古代中国語の痕跡を留めたことばである可能性がある。

 ○ 誦(ずん)ず
 「誦」の古代中国語音は誦
[ziong]である。日本漢字音は呉音は、誦「ズ」、漢音は、誦 「ショウ」とされている。「ずんす」は中国語の[ziong] と同源であろう。(参照:修 法(すほふ))、

 ○ 参照:出(い)づる(第210話)、夜(第210話)、見(み)る(第213話)、
     思(おも)ふ(第213話)、臥(ふ)す(第213話)、

  谷崎潤一郎訳『源氏物語』~夕顔・野辺の送り ~

  空がいつか曇って、風が冷たくなって来たあたりの景色を、たいそうしみじみとお眺め なされて、
    見し人の煙を雲とながむれば ゆふべの空もむつまじきかな
  と、ひとりごとを仰せになるのですけれども、御返歌もよう申し上げません  亡き女君が今この所 にいらっしたならばと、思うだけで胸が一杯になるのです。
  君はあの晩お耳についてやかましかった砧(きぬた)の音を、思い出し給うさえ恋しく て、「正長 夜(まさにながきよ)」と打ち誦(ずん)じてお寝みになりました。

 3.四十九日の法要~夕顔~【日本古典文学大系】

 現在でも四十九日の法要は行われている が、源氏物語の時代にも四十九日の法要はひとつの節目であった。日本古典文学大系の編者は「四十九日」を「なゝなぬか」と読ませているが、中国語で は四十九日のことを「七七日」という。

  かの人の四十九日(なゝなぬか)、忍(しの)びて、比叡(ひえ)の法(ほ)花堂(だう) にて、 ことそがず、装束(さうぞく)より初(はじ)めて、さるべきものどもこまかに、誦(ず)經など させ給(たま)ふ。經・佛のかざりまで、おろそかならず。
 惟光(これみつ)が兄(あに)の阿闍梨(あざり)、いと尊(たふと)き人にて、二(に) なうし けり、御文(ふみ)の師(し)にて、むつましく思(おぼ)す文章博士(もんざうはかせ)召   (め)して、願文(ぐあんもん)作(つく)らせ給ふ。
  その人となくて、あはれと思ひし人の、はかなきさまになりたるを、阿彌陀(あみだ)佛 にゆづり 聞(きこ)ゆるよし、あはれげに、書(か)き出(い)で給へれば、
  「たゞ、かくながら、加(くは)ふべき事侍らざめり」 と申す。

 漢語起源のことば

 日本の仏教はインドから直接入って来たのではな く、中国を介してはいってきたので漢語が多く使われている。「ほとけ」という日本語も、やまとことばのなかにもともとあった語彙を中国語の「佛」にあてたも のではなく、「ほとけ」の「ほと」は中国語の「佛」の転移したものである。○

 ○ 漢語(漢音・呉音):比叡(ひえ)、法(ほ)花堂(だう)、装束(さうぞく)、誦(ず)經、   經・佛、阿闍梨(あざり)、二(に)、師(し)、文章博士(もんざうはかせ)、願文(ぐわん
  もん)、阿彌陀(あみだ)佛、
 ○ 
漢語起源のことば:もの、かざり、御、文(ふみ)、思(おぼ)す、作(つく)る、あはれ、思  ふ、さま、書(か)き、出(い)でる、加(くは)ふる、
 ○
 朝鮮語と同源:四十九日(なゝなぬ)、
 ○
 訓(やまとことば):人、四十九日≪なゝなぬか≫、 しの(忍)ぶ、はじ(初)め、こまかに、  たま(給)ふ、おろそか、あに(兄)、た ふと(尊)き、め(召)す、はかなき、きこ(聞)ゆ  る、事、侍る、申す、

  ○ 佛
 「佛」の古代中国語音は佛
[biuət]である。「佛」はサンスクリット語のbuddhaの音訳で「浮屠」などの文字があてられたこともある。「ほと」 の「け」は「物の怪(け)」の「け」ではないかといわれている。

 ○ 飾(かざり)、
 「飾」の古代中国語音は飾
[sjiək]である。「かざり」は中国語の華飾[hoa-sjiək]に依拠したことばであろう。中国語には華飾と いう成句があって、美しい飾りを意味する。[sjiək]  の韻尾は転移している。

 ○ 加(くは)ふる
 「加」の古代中国語音は加
[keai]である。中国語の「加」と日本語の「くはふる」は 音韻的には完全には対応しないが、意味は同じである。日本語の「くはふる」は中国語の「加」の転移したことばである可能性が高い。

 ○ 参照:もの(第207話)、御(第 208話)、書(か)く(第208話)、
  出(い)でる(第210話)、作(つく)る(第211話)、
文(ふみ)(第212話)、
  あはれ(第213 話)、思(おぼ)す(第213話)、さま(第216話)、

  歴史的仮名使い

 ○ 四十九日≪なゝなぬか≫
 中国では三月三日は上巳、五月五日は端午の節句、 七月七日は七夕、九月九日は重陽節などを節目の日として節句を祝っている。死後四十九日(なゝなぬか)も節目の日としている。四十九日を
「なゝなぬか」 というのは掛け算である。
 広開土王碑文にも同じような例があって、「好太王二九登祚」という文章が刻まれている。これは「好太王は二九(2×9 =18)にして天子の位についた」と解される。つまり二十九歳ではなく、十八歳で天子の位についた、という意味である。中国文化圏ではかなり早くから掛け算 が行われていたことになる。

 ○ 法(ほ)花堂(だう)
 現在では法華堂と書いて「ホッケドウ」と読む。源 氏物語では「ほけだう」である。法
[hiuap] の韻尾[-p] だから法花堂(ほふけだう)となるべきものが促音化したものである。中国語韻尾の[-p] はハ行であらわれることは少なく、歴史的仮名使いでも法華堂(ほつけだう)という表記がないわけではない。

 花[xoa]は華[hoa]と字は違うが同源である。「花」と「華」は音義ともに近い。 現代の北京語では両方とも花(hua)、華(hua) である。中国の音韻学者、王力は『同源字典』を著して「音 近ければ、義近し」としている。声符の異なる漢字でも音が近ければ同源語である可能性があるというのである。
 
話し言葉は文字ができるよりずっと以前からあった。漢字は一時期に全部ができたわけではなく、長い年月にわたって、さまざまな地域でできてきた ものを集めたものである。したがって、同じ意味のことばにさまざまな文字があてられれる結果になっている。(参照:第215話「だう」・「どう」)

○「さう」・「そう」
 歴史的仮名使いでは「さう」と「そう」が区別されている。

 [さう]:装[tzhiang]束・さうぞく、穀倉[tsang]院・こくさうゐん 、障[tjiang]子・さうじ、
    懸想
[siang]さう、 文章[tjiang]博士・もんざうは かせ、蔵[dzang] さう、
    精
[dzieng]さうじ、 筝[tzheng/tzhieng]曲・さうき よく、笙[sheng]さう、
    正
[tjieng]身・さうじ )、草[tsu]さう、曹[dzu]司・さうじ、
 [そう]:奏[tzo](そう)す、総[tzong]領・そうり やう、僧[tzəng]正・そうじ やう、
    贈
[dzəng]ぞう、

  「さう」は陽韻[-ang]、耕韻[-eng]などの漢字音にあてられている。「そう」は東韻[-ong]、蒸韻[-əng]などの漢字音にあてられている。
 
「さう」という表記のほかに「しやう」という書き 方も行われていた。恐らく介音[-i-] の発達にともなって「しやう」とも書かれるように なったのであろう。

   [しやう]:文章[tjiang]もんじやう、 装[tzhiang]しやうそく、障[tjiang]しやうじ、
      上
[zjiang]手・じやうず、筝[tzheng/tzhieng]しやう、精[dzieng]進・しやうじん、
      浄土
[dzieng]じやうど、正[tjieng]身・しやうじみ、  

 中国語では随から唐にかけて介音[-i-] が発達してきたと言われている。「相」は相[sang]→相[siang]になり、「装」は装[tzhang]→装[tzhiang]に変化した。源氏物語の「さう」 は「しやう」になる前の中国語音の痕跡を留めているものと考えられる。
 これらの漢字の現在の朝鮮漢字音は相
(sang)、装(jang)、章(jang)、障(jang)、精(jeong)、正(jeong)で、拗音の発達はあまりみられない。「さう」は朝 鮮漢字音に近かったのではないかとも考えられる。

 ○ 阿闍梨(あざり)
 
阿闍梨はサンスクリットの音訳で、僧侶の称号である。「師」をあらわす。「闍」の声符は者[tjya]である。「者」と同じ声符をもった漢字に都[ta]、[da]、[tjya]、奢[sjya] などがある。「闍」は闍(ざ)は[ta] が摩擦音化したものである。現在では一般に阿闍梨(あじゃり)という。

 ○ 願文(ぐあんもん)
 「願」の古代中国語音は願
[nguan]である。中国語音には合口音と開音があり、合口音は脣をすぼめて発音するもので介音[-u-]あるいは(-iu-]をともなう。日本漢字 音の願(ぐわん)は中国語の合口音に依拠したものである。現在でも 九州方言では合音が残っているという。開音・合口音の例としてはつぎのようなものをあげ ることができる。

 開音:言[ngian]、眼[ngean]、顔[ngean]、厳[ngam]、雁[ngean]、岩[ngam]、岸[ngan]
 合口音:願[nguan]、元[ngiuan]、原[ngiuan]、頑[ngiuan]、月[ngiuat]

 

  谷崎潤一郎訳『源氏物語』~夕顔・四十九日 の法要~

  かの人の四十九日を、人目を忍んで、比叡山(ひえいざん)の法華堂(ほっけどう)で、 諸事を省 かず、装束(しょうぞく)から始めて何もかも手落ちなく、ねんごろに誦経(ずきょう)などをお させになります。
  経や佛の飾りまでもおろそかにはなさいません。惟光の兄の阿闍梨(あじゃり)はたい そう尊い人 なので、たぐいなく立派に勤めます。
  御学問の師匠で、親しくしていらっしゃる文章博士(もんじょうはかせ)を召して、願 文(がんも ん)を作らせられます。誰ということは書かず、可愛く思っていた人がはか なくなってしまったに ついては、阿弥陀佛(あみだほとけ)のお手にお任せ申しますとい う意味を、あわれげに書いてお 見せになりますと、
  「このままで結構でございます。一字も附け加えることはございますまい」 と申します。

 

[源氏物語を読む]

☆第207話 ひらがなの発明

第208話 桐壺の巻を読む

第209話 帚木の巻を読む

第210話 雨夜の品定め~帚木~

第211話 馬の頭(かみ)の女性観~帚木~

第212話 賢い女について~帚木~

第213話 空蝉の巻を読む

第214話 夕顔の巻を読む

第215話 町屋の朝~夕顔~

★第216話 夕顔の死~夕顔~

第217話 若紫の巻を読む

第218話 末摘む花の巻を読む

第219話 紅葉賀の巻を読む

第220話 青海波の舞の夕べ~紅葉賀~

第221話 琴の調べ~紅葉賀~

第222話 花の宴の巻を読む

第223話 葵の巻を読む

第224話 賢木の巻を読む

第225話 花散里の巻を読む

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