第203話  りきし(力士)の語源

 
【りきし(力士)】
池 神の力士儛(まひ)かも白鷺の桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて飛びわたるらむ(万3831)

  「力士儛」というのは伎楽の一種であり、金剛力士の面をつけ、桙を持っ た男が舞ったものである。古代の日本語や朝鮮語にはラ行ではじまることばは なかった。万葉集に出てくるラ行ではじまることばは「力士儛」がほとんど唯一である。
 「力士」もまた外来語であった。「相撲」は古語で は「すまひ」などと「やまとことば」めかしく書いているが、相撲
[siang-phuk] が転移したもので、「あひ+撲(する)」が原義で あろる。「撲」は打つ、倒すの意味であり、相撲の原義は四つに組む相撲ではなく、突き相撲であったものと思われる。いすれにしても、国技の相撲も元をただせば中国を 経由して外国からきたものであり、その初めから国際的な広がりをもったスポーツであった。

 【ろくろ(轆轤)】
「轆 轤手湯戸盆」「年料、、油一升一合≪一升塗轆 轤軸料≫、、 鉄百二十四廷二斤≪続轆 轤鉇刃料」(延喜式)
「轆 轤≪鹿廬、俗云六路≫」(和 名抄)

  古代中国語の「轆轤」は轆轤[lok-lo] である。古代日本語でラ行ではじまることばとして記録されていることばはすべて借用語である。轆轤は当時の文明の利器であある。記紀万葉の時代の日本語でラ行ではじまるものは仏教用語が多い。

 例:瑠璃(るり)、蝋燭(ろうそく)、輪廻(りん ね)、流転(るてん)、蓮華(れんげ)、

  朝鮮語では今でも[l-]が語頭に立つことはない。中国語の語頭音[l-][n-]に転移する。[l-][n-]とは調音の位置が同じであり、転移しやすい。ま た、[l-] の後に[-i-]介音を伴う場合は[l-]は規則的に脱落する。古代日本語でも中国語の語頭 のラ行音は転移するか脱落するかしている。

 ナ行に転移した例:流[liu] ながれ、梨[liet] なし、浪[liang] なみ、嶺[lieng] ね、練[lian] ねる、
 頭音
[l-]が脱落した例:梁[liang] やな、柳[liu] やなぎ、燎[liô] やく、

  五十音図はサンスクリットの音図を 模してつくられたから、ラ行が入っているが、古代日本語にはラ行ではじまる音節はない。
 明治以降は西欧からラ行ではじまることばが西洋文明とともに輸入された。

 例:ラジオ、ラシャ、ラムネ(レモネードの転)、 ランプ、リボン、レコード、レストラン、
   レモン、ロザリオ、

 【わ・われ(我・吾)】
吾 (わ)が舟は明石の湖(みと)に榜(こ)ぎ泊(は)てむ奥(おき)へ莫(な)放(さか)りそ夜深(ふ)けにけり(万1229)
和 我(わが)命を長門の島の小松原幾代(いくよ)を經(へ)てか神(かむ)さびわたる
(万3621)
處 女(をとめ)らを袖振る山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ念(おも)ひけり吾等(われ)は
(万1096)

  古代中国語の「我」「吾」は我[ngai]・吾[nga]である。万葉集では「あ・あれ・あが」・「わ・わ れ・わが」などであらわれる。中国語の語頭音[ng-] が日本語でワ行であらわれ例がいくつかある。

 例: 鵞[ngai] わし、鰐[ngak] わに、岳[ngak] をか、

 中国語の疑母[ng-] は古代日本語では語頭に立つことがないから、頭音 が脱落してア行「我・吾(あ)」に転移する。また疑母[ng-] は鼻音であり[m-] に近く、合口音であるワ行「我・吾(わ)」に転移することもあった。ワ行音は両唇を合わせて、呼氣が鼻に抜ける 音であり、鼻音である[ng-] に調音の方法が近い。日本語の「わ」「われ」「わ が」は中国語の疑母[ng-] の転移したものである。
参照:第162話【あ(我・吾)】、

 【わかし(若)】
白 髪し子らに生(お)ひなば是(かく)の如(ごと)若(わか)けむ子らに罵(の)らえかねめや
(万3793)

春 雨を待つとにしあらし吾(わ)が屋戸(やど)の若木(わかき)の梅も未(いま)だ含(ふふ)めり(万792)

  古代中国語の「若」は若[njiak] である。日母[nj-][m-] が口蓋化したものであり、日母[nj-] の漢字のなかには古代日本語ではマ行であらわれ事例がい くつかある。

 例:稔[njiəm] みのる、汝[njia] みまし、耳[njiə] みみ、女[njia] め・むすめ、乳[njia]部・めのと、
   若
[njiak]・如[njia] もし、燃[njian] もえる、

 前項【わ・われ(我・吾)】でも述べた如く、マ行 とワ行は親和性がある。日母[nj-]はヤ行であらわれることもあり、ワ行であらわれる こともなる。ヤ行は拗音であり、ワ行は合音であり、ア行・ヤ 行・ワ行は互いに転移しやすい参照:第200話【もし(若・如)】、

 ヤ行であらわれる例:弱[njiôk] よわし、柔[njiu] やわらか、譲[njiang] ゆづる、
 ワ行であらわれる例:餌
[njiə] ゑ、女[njia] をみな、

【わき(腋)】
小 兒(わらは)等(ども)草は勿(な)刈りそ八穂蓼(よほたで)を穂積(ほづみ)の朝臣(あそ)が腋(わき)草を刈れ(万3842)
「御 眞津日子(みまつひこ)訶恵志泥命(かゑしねのみこと)、葛城(かつらぎ)の掖上宮(わきがみのみや)に坐(ま)して天下(あめのした)治(しらしめ)し き。」(記、 孝昭)

古代中国語の「腋」は腋[jyak]である。日本語では「液」は「えき」であらわれる が、「腋」はワ行で腋(わき)であらわれる。ヤ行・ワ行は中国語の介音[-i-]・[-u-] あるいは[-iu-] などに対応したもので、転移しやすい。

                                                 ア行                 ヤ行                     ワ行

 湧 [jiong]                                                         ユウ                     わく
 涌
[jiong]                                                         ヨウ                     わく
 訳
[jyak]                                                          ヤク                     わけ
 我
[ngai]・吾 [nga]                                                                 
 顎
[ngak]・鰐 [ngak]          あご                                                 わに
 液
[jyak]・腋 [jyak]             エキ                                                 わき
 委
[iuai]・倭 [iuai]                                                                  
 域
[hiuak]・惑 [hiuək]        イキ                                                 ワク

 湧(ユウ・わく)、涌(ヨウ・わく)についてみる と、訓はワ行でわく)、涌(わく)であり、音はヤ行で湧(ユウ)、涌(ヨウ)である。
 「
」・「鰐」の場合は、同じ声符をもつ漢字がア行とワ 行にわたってわらわれる。
 液(エキ)・腋(わき)の場合は、同じ声符をもった漢字が、訓ではワ行の腋(わき)となり、音ではア行の液(エキ)より古い。さらに「夜」では夜(ヤ・よ・よる)となってあらわれる。
 「委」・「倭」の場合は、
[iuai] では介音[-i-] が反映され、[iuai] では介音[-u-] が生かされている。
 「域」・「惑」の場合は、頭音[h-] は脱落し、 域(イキ)では介音[-i-] が反映され、惑(ワク)では介音[-u-] が生かされて  ア行とワ 行にわかれている。同じ声符をもつ「國」の古代中国語音は國[kuət] とされており、頭音の[k-] が生かされている。

【わく(沸)】
「夜 は熛火(ほほ)の若(もころ)に喧響(おとな)ひ、晝は五月蠅(さばへ)如(な)す沸(わ)き騰(あが)る。」(神代紀下)
「膿 (うみ)沸(わ)き蟲(うじ)流(たか)る。」(神代紀上)

  古代中国語の「沸」は沸[piuət] である。日本語の「わく」は中国語の沸[piuət] の頭音が[-i-]介音の影響で脱落し、韻尾の[-t][-] と弁別されなかったために「わく」となったもので あろう。日本語の「わく」には「沸」のほかに涌[jiong]、湧[jiong] がる。

 【わし(鷲)】
渋谿の二上山に鷲(わし)ぞ子産(こむ)と ふ、、、(万3882)
「鵞≪和之(わし)≫、鶚大鵰也。鷲小鵰也。」 (和名抄)

  日本語の「わし」には鷲[dziuk]があてられているが、語源は鵞[ngai]であろう。中国語の疑母[ng-] は古代日本語ではしばしばワ行であらわれる。

 例;[ngai] わし、鰐[ngak] わに、岳[ngak] をか、[ngai]・吾[nga]  われ、

 「わし」の「し」は中国語の[tjiuəi] であろう。「」 は「とり」である。日本の鳥の名前には「す」あるいは「し」のついたものがかなりみられる。

 例:カラス、カケス、ウグイス、ホトトギス、モズ、

 動物の名前をあらわす漢字は、現代の名前と語源とが微妙に違うことがままある。( )内は古代日本語の動物名である。

 例:烏う(からす)、鴇とき(のがん)、鵲か ささぎ(さぎ)、鴻ひしくい(おおとり)、
   鮎あゆ(なまず)、鮭さけ(ふぐ)、

 【わする(忘)】
明 日香川明日(あす)だに見むと念(おも)へやも吾王(わごおほきみ)の御名(みな)忘(わす)れせぬ(万198)
あ ら玉の年の緒(を)長く相見てし彼(そ)の心引き忘(わす)らえめやも(万4248)
萓 草(わすれぐさ)吾が紐に付く香具山の故(ふ)りにし里を忘(わす)れむがため(万334)

  古代中国語の「忘」は忘[miuang] である。介音[-i-]が発達する前の「忘」は忘[munag] に近い形であったものと推定される。[m-] は両唇をすぼめて呼気が鼻に抜ける鼻音であり、[w-] は両唇をすぼめて息を吐く合音であるため、転移しや すい。日本語の「わする」は「わ(忘)+する」であろう。
参照:【わ・われ(我・吾)】、

【わた(綿)】
し らぬひ筑紫の綿(わた)は身に著(つ)けて未(いま)だは著(き)ねど暖(あたた)けく見ゆ
(万336)

「夏 四月、、、己亥(つちのとゐのひ)に西の風吹きて雹(あられ)ふれり。天寒し。人綿袍(わたきぬ)三領(みつ)を著(き)る。」(皇極紀2年)

  古代中国語の「綿」は綿[mian]である。[m-] は調音の方法が[w-]に近く、聴覚的にも近いため転移しやすい。日本語の「わた」は綿[mian]の頭音[m-] が日本語としてワ行であらわれたものである。韻尾 の[-n]は上古音では[-t] であったと考えられる。中国語の[m-] は日本語ではワ行であらわれることも多い。

 例:綿[mian] わた、忘[miuang] わする、罠[mien] わな、尾[miuəi] を、

 中国語の韻尾[-n]・[-m] がタ行であらわれる例としては次のようものをあげることができる。

 例: 楯[djiuən]  たて、本[puən]  もと、元[ngiuan] もと、[ngian]  こと、[kyen]  かたい、管[kuan]  くだ、
    琴
[giəm]  こと、音[iəm]  おと、

 【わた(海)】
海 神(わたつみ)の手に纏(ま)き持てる玉故(ゆゑ)に磯の浦廻(うらみ)に濳(かづ)きするかも(万1302)
渡 津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたくも)に入日さし今夜(こよひ)の月夜清明にこそ(万15)

  海は朝鮮語で海(pa-da)である。古代日本語の「わた」は朝鮮語起源だと考 えられている。枕詞の「わたつみの」は「海(朝鮮語のpa-da)+つ+海(日本語の「うみ」)を重ねたものであ る。「つ」は「沖つ波」「庭つ鳥」の「つ」で現代日本語の「の」にあたる。
 このように外来語と母語を重ねる方法を朝鮮語では 両点とい言語学者の金澤庄三郎
(1872-1967)の『朝鮮研究と日本書紀』によると、朝鮮では今日 でも「天」は「ハナル・チョン」、「地」は「スト・チ」というように朝鮮語(ハナル)と中国語(チョン)を重ねて両点で読むという。「天」「地」は朝鮮語で天(ha-neul)、地(stə)である。朝鮮漢字音では天(cheon)、地(ji)である。朝鮮語研究の第一人者である小倉進平も「国語及朝 鮮語のために」(『小倉進平博士著作集(四)』)のなかで、次のように書いている。

   朝鮮語では訓と音とを必ず併唱する。例へば國語で「人」「犬」なる漢字を讀む場合には
  「人」は「ひとといふ字」、「犬」は「犬といふ字」と訓でこそいふが、更に進んで之を
  「ひとのジンの字」、「いぬのケンの字」ちいふ風に唱へることをしない。然るに朝鮮語
  にありては、「人」なる漢字を讀む場合には、必ず
(sa-ramin)、 犬なる漢字を讀む場合
 には、必ず(kaekyeon)と 訓音併唱することを必要条件とするのである。
 (注:ハングル表記の部分はローマ字に書き換えた)

 古代中国語の「海」は海[xuə] である。「海」と同じ声符をもつ「毎」は[muə]である。「毎」と「海」は共通の祖語、毎[hmuə] から分かれたものと考えられる。入りわたり音[h-]が発達したものが海(カイ)、あるいは上海の海 (ハイ)であり、入りわたり音[h-]が脱落したものが毎(マイ)であり、日本語の「う み」は海[muə] の語頭に母音(う)が添加されたものである。万葉集には「わたつみ」に「海神」の漢字をあてて いるものも見られる。朝鮮語の海(pa-da)はさらに遡れば、古代中国語の[muə]にたどりつく可能性もある。[p-][m-][w-] はいずれも脣音であり、転移しやすい。

【わたくし(私)】
住 吉(すみのえ)の小田(をた)を刈らす子賤(こやつこ)かも無き顇やつこ)あれど妹(いも)が御爲(みため)と私(わたくし)田刈る(万1375)
「妾 (あ)は妊身(はらみ)ぬ。今産(う)む時に臨(むか)ひぬ。是(こ)の天つ神の御子は私(わたくし)に産(う)むべくあらず。」(記、上)

 古代日本語では私(わたくし)とは、公に対して個 人的な立場をいう。古代日本語の「わたくし」、「わたし」は中国語の「我[ngai]+私[siei]」と関係のあることばではあるまいか。中国語には同義の漢字を重ねる用法がある。

 例:飢餓、柔弱、存在、窮極、強健、弁別、跳躍、 命令、改革、報復、冷涼、

 また、朝鮮語では中国語と朝鮮語を併記する両点と いう二カ国語併記の書記法があったことは前項【わた(海)】で述べた。日本語の「わたし」も「我(わ)+た+私(し)」ではなかろうかと考えられる。「わたく し」の「た」は「わたつみ」の「つ」にうたる。「く」の由来は不明である。

【わたる(渡)】
鈴 鹿河(すずかがは)八十瀬(やそせ)渡(わた)りて誰故か夜越えに越えむ妻もあらなくに
(万3156)

如 此(かく)のみし戀ひや度(わた)らむ秋津野(あきつの)にたな引く雲の過ぐとは無しに
(万693)

  古代中国語の「渡」「度」は渡[dak]・度[dak] である。上古中国語の度(ド)には支度(シタク) のように韻尾に[-k] があった。中国語には「越渡」「過渡」という成語 がある。日本語の「わ+たる」は中国語の越[hiuat]+渡[dak]あるいは過[kuai]+渡[dak] ではあるまいか。越[hiuat]・過[kuai] の頭音がが脱落して、渡[dak][-k] がラ行に転移したものであろう。

 【わな(罠)】
宇 陀の高城(たかき)に鴫(しぎ)和那(わな)張る我が待つや鴫は障(さや)らずいすくはし鯨障(さや)る、、、(記歌謡)
足 柄(あしがら)の彼面(をても)此面(このも)に刺す和奈(わな)のかなる間(ま)しづみ兒(こ)ろ吾(あれ)紐解く(万3361)

  日本語の「わな」は「罠」である。古代中国語の 「罠」は罠[mien] である。日本語の「わな」は中国語の罠[mien] の頭音がワ行に転移したものであろう。参照:【わた(綿)】、

 


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

☆つぎ第204話 わに(鰐)の語源