第214話
夕顔の巻を読む
この頃、源氏は六条の御息所のところに通ってい
た。ある日、六条の御息所を訪ねる途中に、五条の乳母のところに寄る。乳母の家は五条の町屋の中にあった。乳母は病気が重く、頭を丸めて尼になっている。
そこで、源氏は、乳母の家の外で門の開くのを待っている間に隣の家の垣根に咲く夕顔の花に惹かれた。夕顔の花が取り持つ縁で、源氏はその家の女を知り通う
ようになる。
ゆふがほ【日本古典文学大系】
六條わたりの御忍(しの)びありきのころ、内裏(うち)よりまかで給(たま)ふ中宿 (なかやど)りに、「大貮の乳母(めのと)の、いたく、わづらひて、尼(あま)になり
ける、とぶらはん」とて、五條なる家(いへ)、たづねておはしたり。
御車(くるま)入(い)るべき門(かど)は、さしたりければ、人して、惟光(これみつ) 召(め)させて、またせ給ひけるほど、むつかしげなる大路(おほぢ)のさまを、見わた
し給(たま)へるに、この家のかたはらに、檜垣(ひがき)といふもの、新(あたら)
しうして、上(かみ)は、半蔀(はじとみ)四五間(けん)許(ばか)り上(あ)げ渡 (わた)して、簾垂(すだれ)なども、いと白(しろ)う涼(すゞ)しげなるに、をか
しき額(ひたひ)つきの透影(すきかげ)、あまた見(み)えてのぞく。
漢語起源のことば 「夕顔(ゆふがほ)」の「夕」は夜[jya]に関係のあることばであろう。「かほ」は顔[ngean]貌[meô]であろう。中国語で「顔貌」は顔かたちを意味す
る。 数字にはかなり早くから漢語が入ってきていたもの
と思われる「大貮」、「五條」、「六條」、「四五けん(間)」はいずれも漢語読みである。 「はじと
み(半蔀)」の「は」は「半」である。「こよひ(今宵)」の「こ(今)」と同じように中国語音の韻尾[-n][-m]が脱落したものである。中国語では半[puan]、今[kiəm]で一音節になっている。しかし、日本語は母音で終わる
開音節であるため、半(ハン)、今(コン)とすると二音節になってしまう。日本語でも一音節で発音しようとすると、半(ハ)、今(コ)となってしまわざる
をえなかったのであろう。蔀は板を張った格子で、半蔀(はじとみ)は上部だけ、つり上げられるようになったものである。
○ 漢語(漢音・呉音):六條、大貮、五條、四五けん(間)、はじ
とみ(半蔀)、 ○ 漢語起源のことば:御、乳母(めのと)、尼(あま)、とぶらふ、家(いへ) 、車(くるま)、 入(い)る、見(み)わたす、檜垣(ひがき)、渡(わた)す、 簾垂(すだれ)、透影(すきかげ)、 ○ 訓(やまとことば):しの(忍)ぶ、うち(内裏)、たま(給)ふ、なか
やど(中宿)り、 わづらふ、たづねる、かど(門)、人、め(召)
す、むつかし、 おほぢ(大路)、かたはら、あたら(新)しい、かみ(上)、 はじ
とみ(半蔀)、ばか(許)り、あ(上)げる、しろ(白)い、 すゞ(涼)しい、をかしき、ひた
ひ(額)、あまた、
○ うち(内裏) 「内裏」と書いて、ここでは内裏(うち)と読ませ
ている。文字は漢字で、読みは「やまとことば」である。内裏(ダイリ)と読むのは内裏[nuəi-liə]の日本漢字音である。「内」の呉音は、内(ナイ)、
漢音は内(ダイ)である。
○ 乳母(めのと) 「乳母」の古代中国語音は乳母[njia-mə]である。「めのと」は「乳母」と書いているが、原
義は「乳人」であろう。日母[nj-] は[m-] が口蓋化したものであり、「乳」の祖語は乳[ma] に近い音があったものと思われる。現在は日母に
なっている漢字でもマ行音の痕跡を留めたことがいくつかある。
例:女[njia](め)、稔[njiəm](みのる)、認[njiən](みと)める、燃[njian] (も)える、
「人」を「と」と短縮して呼ぶことは、現在でも行わ
れていて、素人(しろうと)、弟(おとうと)、舅(しゅうと)などの「と」は人(ひと)の短縮形である。
○ 尼(あま) 「尼」の古代中国語音は尼[niei]である。日本語の「あま」は中国語の「尼」と関係
のあることばであろう。鼻音[n-]は同じく鼻音の[m-]と調音の方法が同じであり、しかも調音の位置が近
い。調音の方法や位置の近い音は転
移しやすい。現代の日本語でも、ナ行とマ行で発音されることばがいくつかある。
例:韮・蒜(にら・みら)、蜷(にな・みな)、壬[njiəm]生(みぶ)、乳[njia]部(みぶ)
また、同じ声符をもった漢字でもナ行に読まれるも
のとマ行に読まれるものがある。声符「爾」の音価は「ミ」→「ニ」→「ジ」と変化したものと思われる。 例:爾[njiai](呉音「ニ」、漢音「ジ」)、邇[njiei](呉音「ニ」、漢音「ジ」)、 璽[njiai](呉音・漢音「シ」、慣用音「ジ」)、彌[miai](呉音「ミ」・漢音「ビ」)、 彌勒(みろ
く)・阿彌陀(あみだ)、
○ とぶらふ 「とぶらふ」は漢字では「弔」と書く。日本語の
「とぶらふ」、は中国語の「弔」あるいは「弔問」と関係のあることばであろう。「弔問」の古代中国語音は弔問[tyô-miuən]である。
○ 家(いへ) 古代中国語の「家」は家[kea]である。「家」の日本漢字音は呉音・「ケ」、漢
音・「カ」である。家は頭子音が脱落すると家「や」になり、また、頭子音が転移すると家「ヘ」になる。日本語の「いへ」は家(へ)に母音「い」が添加されたものであろう。 万葉集では「吾が家」を
「和伎覇(わぎへ)」、「和企弊(わぎへ)」などと表記している。「家」
は「へ」でもああった。中国語の家[kea] 聴覚印象は家[hea] に近かったのであろう。 (参照:第211話・經
る)。
○ 車(くるま) 「車」の古代中国語音は車[kia] であると考えられている。日本漢字音は車「シャ」
である。しかし、車と同じ声符をもった「庫」は庫(コ)である。また、「車」の朝鮮漢字音は車(cha/keo) である。日本語の「くるま」は古代中国語の「車」
と関係の深いことばであろう。「車輪」の「輪」も日本語の「くるま」と同系のことばであろう。 「車輪」の古代中国語音は車輪[kia-liuən]であり、日本語の「くるま」と音義ともに近い。
○ 檜垣(ひがき) 「檜」の古代中国語音は檜[huai]である。日本漢字音は檜(カイ)であり、訓は檜
(ひのき)である。中国語の喉音[h]は訓ではしばしばハ行であらわれる。カ行音と喉
音のハ行音は調音の位置が近く転移しやすい。日本語の檜(ひ)は古代中国語の檜[huai]が転移したものであろう。 (参照:第211話・經
る)。
「垣」の古代中国語音は垣[hiuan]であり、日本漢字音は垣(エン)である。中国語の
喉音[h-] が介音[-iu-] の前では脱落する。
例:禾[hua] カ・和[huai] ワ、螢[hyueng] ケイ・營[jueng] エイ、緩[hiuan] カン・援[hiuan] エン、 絵[huai]((カイ・ヱ)、壊[huəi] (カイ・ヱ)、恵[hyuei] (ケイ・ヱ)、皇[huang]((コウ・オウ)、 黄[huang](コウ・オウ)、横[hoang](オウ・よこ)、恨[hən](コン・うらむ)、 行[heang](コウ・ゆく・いく)、合[həp](ゴウ・あう)、
日本語の垣「かき」は
中国語の垣[hiuan]の語頭音の痕跡を留めたものである。訓読みの漢字のなかには
喉音[h-] の痕跡を残しているものもある。
例:熊[hiuəm](ユウ・くま)、雲[hiuən](ウン・くも)、越[hjiuat](エツ・こえる)、
○ 渡(わたす) 「わたる」「わたす」は漢字で書くと「渡」であ
る。「渡」の古代中国語音は渡[dak] である。日本語の「わたる」は「過渡」ではなかろうか。過[kua] であろうか。[k-][h-]は介音(u)のまえで脱落することが多い。和[huai]、話[huat]、は「ワ」であり、割[kat] は割(カツ・わる)である。また、朝鮮漢字音では元(won)、原(won) である。韻尾の[-k][-t][-p] は古代日本語ではしばしばラ行であらわれる。
○ 簾垂(すだれ) 「すだれ」の「簾」は簾[liam]である。「垂」は垂[zjiuai]である。しかし、「垂」と同じ声
符をもった唾は唾[thuai]である。垂[zjiuai] は唾[thuai] が口蓋化したものであり、「垂」の祖語は垂[thuai] に近い音価をもっていた可能性がある。日本語の訓、垂(たれる)は中国語祖語の痕跡をとどめている。 「すだれ」の「す」には「簾」の字があてられているが、
語源的には簀[tzhek]であろう。簀とは竹を編んだもののことで、また、
細い木や竹を並べて床にしく物のことである。日本語の「すだれ」は中国語の簀垂[tzhek-thuai] に依拠したことばである。
○ 透影(すきかげ) 「透」の古代中国語音は透[thu]である。透の声符は「秀」は秀[siu]である。秀[siu] は透[thu] が介音[-i-]の発達によって口蓋化したものである。「す
きかげ」の「すき」は透[thu] の口蓋化した音を継承したものであろう。「透」には「すける」という訓もある。 「影」の古代中国語音は影[yang]である。「影」と同じ声符をもった漢字に景[kyang]がる。影[yang]は景[kyang ] の頭子音が脱落した
ものである。影(かげ)は声符、景[kyang] の頭音を継承したものであろう。「影」と「景」は声義において通用する。日本語でも景虎(かげとら)など人名にも使われている。
○い≪入≫る(参照:第211話)。
歴史的仮名使い
「四條」、「五條」は漢語である。漢字で書いてあるが、歴史的
仮名使いで書けば四條(しじやう)、五條(ごじやう)である。現代の日本語で「じょう」と表記するもののなかには、歴史的仮名使いでは「じやう」と書くもの
と「じよう」と書くものがある。
[じやう]:條[dyu]、精[dzieng]進、浄[dzieng]土、成[zjieng]仏、上[zjiang]手、 装[tziang]束、菖[thjiang]蒲、将[tziang]軍、筝[tzheng]、笙[sheng]の笛、
[じよう]:丞[zjiəng]、承[zjiəng]、乗[djiəng]、勝[sjiəng]、證[tjiəng]、鍾[tjiong]、
中国語の韻で、陽韻[-ang]、耕韻[-eng] のものは「じやう」と書き、蒸韻[-əng]、東韻[-ong]のものは「じよう」と表記している。
「精進」は精進(さうじ)と書かれていることもある
(参照:第215話)。「装束」は装束(せうぞく)とも書く。「菖蒲」は菖蒲(さうぶ)とも書く。筝(しやう)は筝(さう)とも書く。また、笙(しやう)は笙(さ
う)とも書く。
これらのことば
に二つの異なる読み方があったの
か、表記の揺れなのかは明らかでない。恐らく現在の漢字に相(ソウ・ショウ)、装
(ソウ・ショウ)と二つの読み方があるのと同様に、直音のものと拗音のものが併存していたのではあるまいか。
谷崎潤一郎訳『源氏物語』~夕顔~
六条あたりに人目を忍んでお通いの頃、内裏(うち)からそちらへお出ましになる中宿
(なかやど)りに、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病気で尼になったのを見舞 っ
てやろうとお思いになって、五条にあるその家を尋ねて、お立ち寄りになりました。
御車(みくるま)を入れるべき門がとざしてありましたので、惟光(これみつ)を呼び
におやりになって、待っていらっしゃる間、むさくろしい大路(おおじ)のさまを見渡
されますと、この家の傍(かたわ)らに、檜垣(ひがき)というものを新しく作って、
上の方は半蔀(はじとみ)にして、四五間ばかり吊り上げてあり、簾(すだれ)なども たいそう清
く涼しそうに垂らしてある向うから、美しい額(ひたい)つきをした透影 (すきかげ)
が数多(あまた)ちらちらして、こちらを覗(のぞ)いているのが見えます。
源氏物語には句読点がないから、どこで文章が切れて
いるのか、分かりにくい場合が多い。日本語では主語などが省略されることが多いから、文脈で補っていかないと意味が通じないことがある。日本語は動詞など用言中心の言語だということができる。主語や目的語
は省略されていることがある。
主語のない日本語
日本語の文章は主語をよく省くので、源氏物語を読ん
でいても主語が誰だか分からなくなることがある。なかには目的語が省かれていることもある。上の文章の主語を≪ ≫で補い、述部の部分をア
ンダーラインで示すと次のようになるであろう。
≪
源氏が≫六條わたりの御忍びありきのころ、≪源氏が≫内裏よりまかで給ふ中
宿りに、 ≪
源氏は≫「大貮の乳母の、いたく、わづらひて、尼になりける≪者を≫、と
ぶらはん」
とて、≪乳母の≫五條なる家、≪源氏が≫たづねておはしたり。 ≪
乳母の家の≫御車いるべき門は、さしたりければ、≪源氏は≫人して、惟光召させて、 ≪
開門を≫またせ給ひけるほど、むつかしげなる大路のさまを、≪車から≫見わたし給
へるに、
≪乳母の≫この家のかたはらに、檜垣といふもの、新しうして、≪檜垣の≫上
は、半蔀四五間ばかり上げ渡して、簾垂なども、いと白う涼しげなる≪家≫
に、をかし
き額つきの透影、あまた見えて≪車の方を≫のぞく。
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