第210話
雨夜の品定め
女性についてはいずれ劣らぬ遍歴をもつ男たちが、
経験談や、とっておきの打ち明け話などを披露する。左馬の頭(かみ)の話は、女を上、中、下の階級に分けて、中流の女にこそ、掘り出し物がある、という説
を出す。 源氏物語の帚木の巻は「雨夜の品定め」でも知られ
た巻である。次にその一節をとりあげて、この時代の日本語を分析してみることにする。ここは源氏と藤式部の丞、それに馬頭(うまのかみ)の男三人が集まっ
て、女についての意見を交わす場面である。
日本古典文学大系では「左の馬のかみ(頭)」と書いてあるが原文は「左
の馬のかみ」である。日本古典文学大系の校注者である山岸徳平が、現代の読者の便宜を考えて、古注などを参考に「かみ」を「頭(かみ)」と漢字を
あてはめたものである。 「御物忌≪ものいみ≫」とあるところは、原本に「御物忌」と書いてあるが、校注者は「物忌」を「ものいみ」とルビをふったことを示し
ている。 「馬」「藤式部」「世」「中将」などは原文も漢字で書いてある。なお、原文には句読点や濁点、「 」などはないが、古典文学全集
にしたがって表記した。
雨夜の品定め~ははきぎ~【日本古典文学大
系】
左の馬の頭(かみ)、藤式部の丞(じょう)、「御物忌(ものいみ)に籠(こも)らん」
とて、參(まゐ)れる、世のすきものにて、ものよく言(い)ひ通(とは)れるを、中将、 待(ま)ちとりて、この品(しな)々を、わきまへ定(さだ)めあらそふ。いと、 聞(き)き憎(にく)きこと多かり。
「なりのぼれども、もとより、さるべきすぢならぬは、世の人の思(おも)へることも、
さはいへど、なほ異(こと)なり。
又、もとは、やんごとなきすぢなれど、世に經(ふる)たづきすくなく、時世うつろひ
て、おぼえ衰(おとろ)へぬれば、心は心(こころ)として事(こと)足(た)らず、
わろびたる事ども、出(い)で來(く)るわざなめれば、とりどりにことわりて、中の
品(しな)にぞおくべき。 受領(ずりやう)と言(い)ひて、人の國(くに)の事(こと)に、かゝづらひいとな
みて、品(しな)、定(さだ)まりたる中にも、又、きざみきざみありて、中の品(しな)
の、けしうはあらぬ、えり出(い)でつべき頃(ころ)ほひなり。 なまなまの上達部(かむだちめ)よりも、非參議の四位どもの、世のおぼえ口惜(くちを)し からず、もとの根(ね)ざし賤(いや)しからぬが、安(やす)らかに身をもてなし、 ふるまひたる、いと、かはらかなりや。
漢
語・朝鮮語起源のことば
○「紫式部」 「式部」は式部省の略で、礼式、文官の人事を扱う。式部省、
民部省、治部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内庁などは役所の名称である。大学も式部省の管轄で、学者出身者が任ぜられることが多いとい
う。式部は女官の呼び名でもある。平安時代には女性は名前がなかったから、式部省の役人ファミリーに属する女官で、ニックネームは紫というところであろ
う。 「紫・式部」は「紫」が名前で「式部」ば属性であ
る。「光・源氏」にしても、「光」が名前(ニックネーム・呼称)で源氏が姓である。現代の日本語では「式部の紫」「源の光」とう語順になりそうな気がする
が、どうだろうか。 ○「中将」 「中将」は歴史的仮名使いでは「ちうじやう」で
ある。仮名は開音節(音節が母音で終わる)日本語を表記するために発明されたものだから、多くが漢語である役所やその役人の職位を表記するには必ずしも適
していなかった。中国語は一文字が一音節だから「中将」は二音節で中[tiuəm] 将[tziang] となる。しかし、ひらがな表記にすると「ちうじや
う」と五文字になってしまう。 中将は近衛府の次官である。近衛府には左近と右近
のふたつがあった。 ○「受領(ずりやう)」 「受領」は国守(地方行政官)であ
る。受領は中国語音では受[zjiu] 領[lieng] と二音節であるが、かなで表記すると「ずりやう」
と四文字になってしまう。「受」は現代の漢字音では受(ジュ)だが、平安時代の漢字音では介音[-i-] が表記されていない。受(ず)領(りやう)の受
(ず)は恐らく、中国語で介音[-i-] が発達する随の時代以前の中国語音を継承したもの
で、受[zu] に近かったのではなかろうか。 ○「参議」 「参議」は朝議に参与する、の意味で太政官にお
かれた。大納言、中納言に次ぐ重職である。 「雨夜の品定め」で使われていることばも、漢語、漢語起源のやまとことば、朝鮮語と同源のやまとことば、本来のやまとことば、に分けることができる。
○ 漢語(漢音・呉音):左、藤式部、じよう(丞)、中将、時世、中、ずり
やう(受領)、 かむだちめ(上達部)、非參議、四位、
○ 漢語起源のことば:馬(うま)、御物忌(ものいみ)、籠(こも)る、
世(よ),通(とほ)る、 品(しな)、定(さだ)める、思(おも)ふ、經(ふ)る、出(い)で、
來(く)る、國(くに)、中(なか)、出(い)づ、頃(ころ)、 口(くち)、惜(を)し、根(ね)、身(み)、
○ 朝鮮語と同源のことば:た(足)る、
○ 訓(やまとことば):かみ(頭)、藤(ふじ)、まゐ(參)る、言(い)
ふ、ま(待)つ、
き(聞)く、にく(憎)い、おほ(多)い、ひと(人)、こと(異)なる、 また(又)、おとろ(衰)へる、こころ(心)、こと(事)、四位、 いや(賤)しい、やす(安)らか、
○ 夜(よ) 漢和字典によると夜(ヨ)が漢字音で夜(よ・よる)は訓とある。「夜」の古代中国語音は夜[jya/jyak] である。「夜」は「液」と同じく中国語の祖語は韻
尾に[-k]という子音をもっていたと考えられる。訓の夜
(よる)の(る)は古代中国語の韻尾[-k] の転移したものであろう。唐代の中国語音では韻尾
の[-k] が脱落して夜[jya] となった。日本語の夜(よ・ヤ)はいづれも、唐代の
中国語音に依拠した借用語である。古い順に並べると夜(よる→よ→ヤ)ということになる。 ○ 馬(うま・むま) スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978)は英語の著書『言語学と古代中国』(1920年・オスロ)のなかで日本語の「うま」「うめ」は
中国語の「馬」「梅」の借用語ではないかと指摘した。中国語の馬[mea]、梅[muə] は両唇音であり、唇を合わせて発音する。万葉集で
は馬(むま)、梅(むめ)とも呼ばれている。馬、梅は呉音・漢音以前の漢字音と考えて間違いないであろう。「馬頭」は「馬(うま)の頭(かみ)」と読むが、「左馬頭」となると「左馬頭(さまのかみ)」と読む。源氏物語の時代には、すでに両方の読み方が通用していた。 ○ 忌(い)む 日本語の「いむ」には「忌」の漢字があてられている。古代中国語音は忌[giə]である。「物忌み」とは平安時代の陰陽道でたたり
を恐れて物事を避けたこと。禁忌ということばもあり、習慣上避けることである。「禁」の中国語音は禁[kiəm]であり、日本語の「いむ」は禁[kiəm] の頭音[k] が介音[-i-] の影響で脱落したものである可能性が高い。 ○ 籠(こも)る 万葉集第一番目の歌に「籠毛與美籠母乳(こもよみこもち)」(万1)ではじまる雄略天皇の歌とされる歌がある。ここでは「籠」は「こ」にあてらていて
「も」には「毛」あるいは「母」をあてている。「籠」の古代中国語音は籠[long] である。 スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレ
ンによると中国語の来母[l] には入りわたり音があり、時代を更に遡ると、[kl]のようなおとであったのではないかとしている。その証拠に同じ声符
をもった漢字がラ行でもあらわれ、カ行でもあらわれるということがある。
例:裸(ラ)・果(カ)、洛(ラク)・各(カ
ク)、涼(リョウ)・京(キョウ)、
斂(レン)・験(ケン)、藍(ラン)・監(カン)、簾(レン)・兼(ケン)、
これは、古代中国語に[kl-] あるいは[hl-] のような入りわたり音があったと仮定すると、整合的に説明できる。
「籠」の古形は籠[klong]であって、入りわたり音の発達したものが籠[kong]となり、入りわたり音の脱落したものが籠[long]となった、と考えられる。 籠(ロウ)は籠[klong]の入りわたり音が脱落したものであり、籠(かご・
こ・こもる)は入りわたり音の[k] が発達したものである。 中国語の韻尾[-ng] は調音の位置は[-k][-g] と同じであり、籠(かご)は中国語の韻尾が[-g] に近い音であった時代の発音を継承している。籠(こも)は中国語の韻尾[-ng] がマ行に転移したものである。中国語の韻尾[-ng] は鼻濁音であり、調音の方法が[-m][-n] と同じである。調音の位置や方法が同じ音も転移しやすい。 ○ 通(とほ)る 「通」の古代中国語音は通[thong] である。「通」の声符は用[jiong] である。「用」を声符とする漢字には「用」「甬」
「通」「痛」「桶」「樋」などがある。通(とほる)は通[thong] と同源である。
痛(いたい)は痛[thong] の語頭音の前に母音「い」が添加されたものである。桶(おけ)は語頭音が[-i-] 介音の発達によって脱落して桶(おけ)になったものである。韻尾の[-ng] は中国語の祖語では入声音[-k] に近い音であったと考えられている。 ○ 品(しな) 「品」の古代中国語音は品[phiəm] である。日本漢字音は呉音「ホン」、漢音「ヒ
ン」、訓「しな」ということになっている。九品仏(クホンブツ)、品挌(ヒンカク)、品川(しながわ)である。 東京の下町方言ではヒとシの区別がつかない場合が
多い。訓の品(しな)は中国語の品(ヒン)の転移したものである可能性がある。品[phiəm] は[-i-] 介音の発達によって摩擦音化した。 ○ 思(おも)へる 古代中国語の「思」は思[siə]である。中国語音の思(シ)と日本語の思(おもふ・おぼす)は関係がないようにみえる。 日本語の「おもふ・おぼす」には通常中国語の
「思」の字があてられているが、語源的には思慕の慕[ma/mak]ではないかと思われる。中国語では意味の同じこと
ば、あるいは意味の似ている漢字を並べて成句をつくることがある。「思」「慕」は意味が近い。日本語には濁音ではじまることばがなかったから、慕[ma/mak] の語頭に
母音「お」をつけたものであろう。 ○ 經(ふ)る 「經」の古代中国語音は經[kyeng]である。中国語には喉音[x][h]があり、日本語のカ行に調音の位置(後口蓋音)が
近いことから、日本漢字音(呉音・漢音)ではカ行であらわれる。訓ではハ行であらわれるものが多い。經[kyeng] は喉音ではないが、古代中国語の喉音[x][h] は日本語では[k][kh][g] と弁別されなかったいから、「經」は經(ケイ・ふる)となったのであろう。
古代中国語の[k-][kh-][x-][h-]が現代の漢字文化圏でどのような音としてあらわれ
ているかを調べてみると次のようになる。
古代中国語音
現代北京音 広東音
朝鮮漢字音
日本漢字音(音・訓) 經[kyeng]
jing
ging kyeong
ケイ・ふる 古[ka]
gu
gu ko
コ・ふるい 廣[kuang]
guang
gwong kwang
コウ・ひろい 檜[kuat]
gui
wuih hwi
カイ・ひのき 墾[khən]
ken
han kan
コン・はり 掘[giuət]
jue
gwaht kul
クツ・ほる 減[ngiuam]
jian
gaam kam
ゲン・へる 火[xuəi]
huo
fo hwa
カ・ひ 花[xoa]
hua
fa
hwa
カ・はな 華[hoa]
hua
wah
hwa
カ・はな
注目すべきは、広東音で火(fo)、花(fa)と発音されていることである。日本語では[k-][kh-][g-][ng-] と[x-][h-] はいずれもハ行に転移したと考えられる。 ○ 出(い)で 「出」は現代の日本語では「出(で)る」であり、「出」は「で」と読む。しかし、源氏物語では「い(出)でく(來)る」となっていて「出」は「い」である。 「出」の古代中国語音は出[thjiuət]である。古代中国語の[th]は中国語音韻学では次清音とよばれ、清音[t]と濁音[d]の間に相当する。日本語には次清音はないので日本
漢字音では濁音になることが多い。 例:土[tha](ド)、唾[thuai](ダ)、呑[thən](ドン)、などである。
古代日本語には濁音ではじまる音節がなかったので、
語頭に母音「い」を添加して出(いで)として日本語の音韻構造に適応させた。韻尾の[t] は調音の位置が同じ[l](日本語ではラ行)に転移した。「出」にふりがな
をつけるとしたら、語源的には「い出(でる)」である。
現在の日本語では「い」がなぜ冒頭にあるかわから
なくなってしまっているので、「井出(いで)」とか「伊達(だて)」、「井戸(いど)」「和泉(いづみ)」、
などのように「い」に相当する文字を添加して書いて読みやすくしている。しかし漢字の「出」は「でる」であって、「い」は母音が添加されたものに過ぎない。 ○ 來(く)る 「來」の古代中国語音は來[lə]である。スウェーデンの言語学者ベルンハルト・
カールグレン(1889-1978)によると古代中国語の[l] には[kl] のような入りわたり音があったのではないかという。日本語の來(くる)は古代中国語音の入りわたり音の痕跡を留めたものであろう。 参照:こ
も(籠)る ○ 口(くち) 日本語の「くち」は中国語の口(コウ)に似ている。これが他人のそら似なのか、関係のあることばなのかは明らかでない。一つの推論として日本語の「くち」
は中国語の「口嘴」と関係があるのではあるまいか。古代中国語の「口」「嘴」は口[kho]、嘴[tsie]である。日本語の「くち」は中国語の「口嘴」の転
移したものである可能性がある。 ○ 根(ね) 古代中国語の「根」は根[hən]である。日本語の「ね」は古代中国語の
根[hən]の頭音[h]が脱落したものであろう。古代中国語の[h]は介音[-i-] の前ではよく脱落する。
例:為[hiuai](イ)、域[huiək](イキ)、運[hiuən](ウン)、和[huai](ワ)、
黄[huang](コウ・オウ)、皇[huang](コウ・オウ)、
日本漢字音では呉音に喉音[h-] の脱落したものが多く、漢音で
はカ行であらわれるものが多い。
例:会[huai](呉音・エ、漢音・カイ)、壊[huəi](呉音・エ、漢音・カイ)、 恵[hyuei](呉音・エ、漢音・ケイ)、
さらに音と訓の関係をみてみると、訓に語頭音の脱落
したものが多く、音ではカ行であらわれるものがみられる。
例:会[huai](カイ・あう)、合[həp](ゴウ・あう)、恨[hən](コン・うらむ)、
行[heang](コウ・ゆく)、荒[xuang](コウ・あらい)、穴[hyuet](ケツ・あな)、
さらに解釈を困難にするのは訓がカ行であらわれ、
音ではア行であらわれる例があることである。
例:雲[hiuən](ウン・くも)、越[hiuat/jiuat](エツ・こえる)、影[yang](エイ・かげ)、
煙[yen](エン・けむり)、
これらの事象を整合的に説明するには、例えば会[huai]は次のような段階を経て変化したと考えるしかない
であろう。
1.会[huai](あふ) 日本語には喉音がないから、頭音は脱落し
て訓(あふ)になった。
2.会[huai](ヱ) 古代日本語には二重母音がなかったから、「会」は
「ヱ」であらわした。
3.会[huai](カイ) 頭音の[h-] は調音の位置の近いカ行に転移した。
「雲」の場合は、おそらく次のようになる。
1.雲[hiuən]の介音[-iu-] は発達しておらず、雲[hən] が日本語で雲(くも)になった。 2.雲[hiuən]の介音[-iu-] が発達してきたため、頭音[h] は脱落して雲(ウン)となった。 「影」の場合は、次のように説明できるであろう。 1.影[yang]の古代中国語音は「景」のように景[kyang] であった。 古代中国語の韻尾[-ng]は古くは[-k][-g] に近かったから、影[kyang] は影(かげ)になった。 2.頭音[k-]が介音[-y-] の影響で脱落した。また、韻尾の[-k] が[-ng] に変化したため、日本漢 字音では影(エイ)になった。
○ 身(み) 「身」の古代中国語音は身[sjien] である。中国語の身[sjien] は口蓋音であり、
頭音が脱落して身(み)になった。介音[-i-]の影響で頭音が脱落した例としては、次のよう
ものをあげることができる。
例:身[sjien] (シン・み)、矢[sjiei](し・や)、世[sjiai](セ・よ)、息[siək](ソク・いき)、
宵[siô](ショウ・よい)、臣[sjien](シン・おみ)、洗[syən](セン・あらう)、 山[shean](サン・や
ま)、生[sheng](セイ・いきる)、色[shiək](ショク・いろ)、 射[djyak](シャ・いる)、折[tjiat](セツ・おる)、真[tjien](シン・ま)、 赤[thjyak](セキ・あか)、織[tjiək](ショク・おる)、灼[tjiôk](シャク・やく)、 床[dzhiang](ショウ・ゆか)、
介音[-i-]の影響で頭音が脱落するという現象は中国語音のなかでも起こっている。口蓋化などによって頭音が脱落するというのは日本語だけの特色ではなく、一般的な現象でもある。
例:除[dia]・余[jia]、説[sjiuat]・悦[jiuat]、誦[ziong]・甬[jiong]、札[tzheat]・乙[eat]、
詳[ziang]・羊[jiang]、勺[tjiôk]・約[jiak]、尺[thjyak]・訳[yak]、錫[syek]・易[jiek]、
○ た(足)る 朝鮮語で足のことを訓で足(ta-ri)という。日本語で「たる」を「た(足)る」と表記
するのは、朝鮮語の足(ta-ri)の借用である。 朝鮮語の足(ta-ri)は更にその起源をたどれば、古代中国語の足[tziok]にたどりつく可能性がある。足[tziok] の祖語は、介音[-i-] の影響で摩擦音化する前には足[tok] に近い音であった可能性があり、足[tok]が足[tol]に転移したものであると考えることができる。 ○ 世(よ)(参照:第209話)、
歴史的仮名使い
○ じよう(丞)・中将(ちうじやう)、 古代中国語の「丞」は丞[sjiəng]であり、「将」は将[tziang]である。丞[sjiəng]は「じよう」と表記されているのに対して、将[tziang]は「しやう」と表記されている。「しよう」と表記
される漢字と「しやう」と表記される漢字は次のように分かれる。
[しよう]:丞[zjiəng](じよう)、追従[dziong](ついじよう)、
[しやう]:中将[tziang](ちうじやう)、
文章[tjiang](もんじやう)、
上[zjiang]手(じやうず)、
吉祥[ziang](きちじやう)、
生[sheng](しやう)、本性[sieng](ほんじやう)、
蒸韻[əng]、東韻[ong]の漢字は「しよう」と表記され、陽韻[ang]、耕韻[eng]の漢字は「しやう」と表記されている。しかし、「文章」などは夕顔の巻では「文章博士
(もんぜうはかせ)」と書かれているので漢字音の表記には揺れもあったものとみられる。
谷崎
潤一郎訳『源氏物語~帚木・雨夜の品定め』
左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)とが、おん物忌の宿直(との
い)にやって来ました。
両人ながら世の好色者(すきもの)で、弁舌の達者な人たちですから、中将が持ち構えて
いたようにして、このしなじなの判定について議論を闘(たたか)わします。
中には随分 聞き苦しい話なども多く出るのでした。
「いくら成り上りましても、もともと筋目のよくない者は、何といっても世間の人の思
わくも違います。
また本来はやんごとない生れでありながら、世渡りのたつきを失い、時勢が変わって来
て、人々の気受けも衰えてきますと、気位(きぐらい)ばかりは高くとまっていまして
も、生活が不自由になり、体裁の悪いことなどもも出来てくるわけですから、これらは それぞれの理由によって、中(ちゅう)の品に入れるべきでしょう。
受領(ずりょう)といって、地方の政務にたずさわっている人々、これは大体身分が定 (さだ)まっていま
す中にも、またいくらかずつ等級がありまして、そういう中から中 (ちゅう)の品として恥かしくないようなのを、選び出すのに都合のいい御時勢です。
なまなかの上達部よりは、非参議の四位の者どもで、世間の気受けもまんざらでなく、
素性(すじょう)もいやしくないっといったようなのが、安楽な暮しを立ててのんびり
と振舞っているのなどは、たいそう朗かで、気持のいいものです。
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