第268話 万葉語辞典・

 

【香[xiang]・か】

宇梅(うめ)の波奈(はな)香(か)を加具波之美(かぐはしみ)等保(とほ)けども己許呂(こころ)もしのに伎美(きみ)をしぞ於毛布(おもふ)(万4500)

神風(かむかぜ)の伊勢(いせ)の國(くに)は奥(おき)つ藻(も)も靡(なびき)足(し)波(なみ)に塩氣(しほけ・潮)のみ香乎礼流(かをれる)國(くに)に味凝(うまこり)あやに乏(とも)しき高照(たかてらす)日(ひ)の御子(みこ)(万162)

 

 古代中国語の「香」は香[xiang] である。喉音[x-]は日本語ではカ行で現われる。現代中国語の[x-]は摩擦音であるが、古代中国語では破裂音であったと考えられる。

 香(か)は中国語の韻尾[ng] が脱落したものである。日本語は開音節(母音で終わる音節)なので中国語の韻尾[ng] は脱落しやすい。

 韻尾[-ng]が脱落する例:黄[huəng](き)、名[mieng](な)、夢[miuəng](いめ)、湯[jiang]

  (ゆ)、方[piuang](へ)

 万葉集では香久山を「香具山」「香來山」「香山」んどと表記しているが、「香山」は香[xiang] を「かぐ」と読んだものであり、「香具山」「香來山」は香[xiang] の韻尾[ng] を「具」あるいは「來」であらわしたものである。万葉集の時代には、すでに香[xiang] の韻尾が失われかけていたことが分かる。

○同源語:

梅(うめ)、花 (はな)、香(かぐ)はし、心(こころ)、君(きみ)、神(かみ・<坤>)、國(くに・<県・郡>)、澳(おき・<奥>)、靡(なび)く、浪(なみ・ <波>)、潮(しほ・<塩>)、氣(き・け)、味(うま)し、凝(こる)、照(てる)、御(み)、子(こ)、●日(ひ)、

 

【鏡[kyang]・かがみ】

白銅鏡(まそかがみ)手(て)に取(とり)持(もち)て見(みれ)ど不レ足(あかぬ)君(きみ)に所贈(おくれ)て生(いけり)とも無(なし)(万3185)

 

 古代中国語の「鏡」は鏡[kyang] である。古代の鏡は金属製で中国から渡来したものである。日本語の「かがみ」は中国語の「鏡」と同源であろう。白川静の『字通』によると、「鏡・景kyangは同声。監・鑑keam、光kuang、曠khuang、煌・晃huangは畳韻で、いずれも音義が近い」という。

 日本語では頭音節が濁音や喉音[h-] などの場合、語頭に清音をつけて、濁音が語頭にこないようにすることがある。

 例:鑑[heam](カン・かがみ)、懸[hiuen](ケン・かかる)、限[hean](ゲン・かぎり)、

   續[ziok](ゾク・つづく)、

 また、韻尾の[ng] [m] と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。

 例:灯[təng](トウ・ともる)、停[dyeng](テイ・とまる)、醒[syeng](セイ・さめる)、

   霜[shiang](ソウ・しも)、公[kong](コウ・きみ)、

○同源語:

手(て)、取(とる)、見(みる)、君(きみ)、生(いきる)、無(な)し、

 

【限[hean]・かぎり】

袖(そで)振(ふらば)可見(みゆべき)限(かぎり)吾(われは)雖有(あれど)其(その)松枝(まつがえに)隠在(かくれたりけり)(万2485)

 

 古代中国語の「限」は限[hean] である。頭音の[h] は日本語にはない喉音であり、濁音なので清音を先に立てて日本語として発音しやすくした。韻尾の[n] はラ行音 に転移した。

古代日本語ではラ行音は語頭にあらわれることはないが、語中・語尾にはあらわれる。[n]はラ行音と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 韻尾の[-n]がラ行であらわれる例:漢(から)、韓(から)、巾(きれ)、雁(かり)、塵(ち

  り)、

○同源語:

袖(そで)、見(みる)、吾(われ)、其(その)、隠(かくれる)、

 

【畫[hoek]・かく】

和我(わが)都麻(つま)も畫(ゑ)に可伎(かき)等良無(とらむ)伊豆麻(いづま・暇)もが多妣(たび)由久(ゆく)阿礼(あれ)は美(み・見)つつ志努波牟(しのばむ)(万4327)

 

 この歌では「絵に描きとらむ」という部分を「畫尒可伎当良無」と表記している。「畫」の古代中国語音は畫[hoek] であり、意味は「え」「えがく」である。「畫」は「画」とも書き絵[huat] とも音が近い。万葉集では「ゑ」は「畫」と書き、「かき」は「可伎」と表記されているが、「ゑ」も「かき」も畫[hoek] と同源のことばであろう。

 書[sjia] は「畫」と字体は似ているが音が対応していない。「書」も上古音は喉音で書[xjia*] に近い音であった可能性がある。しかし、これはもう少し漢字の音韻史の研究が進まないと確証を得られそうにない。

○同源語:

我(わが・あれ)、妻女(つま・<妻女>)、絵(ゑ・<畫>)、畫(かく)、取(とる)、行(ゆく)、見(みる)、

 

【闕[khiuat]・かける】

千歳(ちとせ)に 闕(かくる)事(こと)無(なく) 万歳(よろづよ)に 有(あり)通将(かよはむ)と、、(万3236)

世間(よのなか)は空(むなしき)物(もの)と将レ有(あらむ)とそ此(この)照(てる)月(つき)は満(みち)闕(かけ)為(し)ける(万442)

 

 「闕」の古代中国語音は闕[khiuat] で、(欠)と通用する。日本語の「かく」「かける」は中国語の闕[khiuat] と音義ともに近く、同源であろう。中国語音の[kh] は有気音であり、日本語では子音を重ねて「かく」「かけ」となってあらわれている。

 韻尾[-t]は日本語ではカ行に転移している。王力は『同源字典』のなかで遞・逓[dyek] と迭[dyet] は音が近く同源である、としている。中国語でも江南音では[p][ t][k] は区別されていない。

 韻尾の[-t]がカ行であらわれる例:突[thuət](トツ・つく)、説[sjiuat](セツ・とく)、

  柵[tshek](サク)・冊[tshek](サツ)、

 最初の歌(万323)の「通将(かよはむ)と」は日本語の語順であり、二番目の歌(万442)の「将レ有(あらむ)とそ」はレ点があり、中国語の語順で表記されている。

○同源語:

千(ち)、無(な)き、世(よ)、中(なか・<間>)、物(もの)、此(こ)の、照(てる)、満(みち)る、●月(つき)、

 

【隠[iən/(h)iən*]・かくる・かくす】

茜(あかね)刺(さ)す日(ひ)は雖照有(てらせれど)烏玉(ぬばたま)の夜(よ)渡(わたる)月(つき)の隠(かく)らく惜(をし)も(万169)

三輪山(みわやま)を然(しか)も隠(かくす)か雲(くも)だにも情(こころ)有(あら)なも可苦佐布(かくさふ)べしや(万18)

 

 古代中国語の「隠」は隠[iən] である。隠[iən] の祖語(上古音)には入りわたり音[h] があり隠[(h)iən*] のような音であったものだったのではなかろうか。古代中国語音は唐代の長安音を中心に復元されている。唐代以前の音が隠[hiən*]であり、唐代にはすでに頭音[h-]が消滅していたとかんがえれば、日本語の隠(かくる)は中国語の唐代以前の音の痕跡を残しているといえる。

 日本漢字音には訓に頭音[h] の痕跡が残り、音では頭音[h] を喪失しているものがいくつか見られる。

 例:雲[hiuən](くも・ウン)、熊[hiuəm](くま・ユウ)、媛[hiuan](ひめ・エン)、

   羽[hiuə](は・ウ)、煙[hyen*](けむり・エン)、

 また、音に両方の読みがある例もみられる。

 例:絵[huat](カイ・ヱ)、回[huəi](カイ・ヱ)、黄[huəng](コウ・オウ)、

○同源語:

刺(さ)す、照(てる)、夜(よる)、山(やま)、雲(くも)、心(こころ・<情>)、●日(ひ)、月(つき)、

 

【影[yang/kyang*]・かげ】

度(わたる)日(ひ)の陰(かげ)も隠(かくら)ひ照(てる)月(つき)の光(ひかり)も不見(みえず)、、(万317)

燈(ともしび)の陰(かげ)にかがよふ虚蝉(うつせみ)の妹(いも)が咲(ゑ)まひし面影(おもかげ)に所見(みゆ)(万2642)

 

 上の歌はそれぞれ、「大空を渡る太陽の光も隠れ、照る月の光も見えず、、、」「燈火の陰にちらちらする現実の妹のほほえみが、今、面影に浮かんで見える」という意味である。  

 日本語の「かげ」には陰[iəm] があてられているが、「かげ」は「影」と同系のことばである。 影[yang] は景[kyang] と同じ声符をもっている。影[yang]は影[kyang*]の頭音が脱落したものだと考えられる。「日本語の「かげ」は中国語「影」の祖語、影[kyang*]に依拠したものであろう。

 古代日本語の「かげ」には影(日の当らないところ)と光(日のあたるところ)という二つの意味がある。現代の日本語でも「月影」といえば「月の光」のことである。中国語には売買(バイバイ)、授受(ジュジュ)などのように同じ音で反対の意味をもつことばがある。

 一方、「光」の古代中国語音は光[kuang] であり、影[kyang*] と音が近い。「かぐや姫」の「かぐ」は光[kuang] であり、「光姫」ということになる。

 「陰」は陰[iəm] であり、隠[iən]、暗・闇[əm] に音義が近い。

○同源語:

隠(かくれる)、照(てる)、光(ひかり)、見(みる)、燈火(ともしび・<燈>)、蝉(せみ)、妹(いも)、面(おも)、●日(ひ)、月(つき)、

 

【懸[hiuen]・かける】

天原(あまのはら)振(ふり)離(さけ)見(みれ)ば白眞弓(しらまゆみ)張(はり)て懸有(かけたり)夜路(よみち)は将吉(よけむ)(万289)

吾(わが)戀(こひ)は千引(ちびき)の石(いは)を七(なな)ばかり頸(くび)に将繋(かけむ)も神(かみ)のまにまに(万743)

 

 古代中国語の「懸」は懸[hiuen] である。古代日本語は語頭に濁音がくることがなかったので、懸(かかる)と清音を重ねて発音しやすくしている。中国語の頭音[h][k] は日本語では清音と濁音を重ねてあらわわれることがある。

 例:限[heən] かぎり、係[hye] かかり、鏡[kyang] かがみ、鑑[keam] かがみ、

   懸[huen] かかり、掲[kiat] かかげる、掛[kyue] かける、鉤[ko] かぎ、

 韻尾の[-n] は[-l] と調音の位置が同じであり、転移した。

 例:漢・韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、昏(コン・くれ)、邊(ヘン・へり)、玄 

   (ゲン・くろい)、嫌(ケン・きらう)、薫(クン・かをり)などがある。

「繋」の古代中国語音は繋[kye] であり「かける」という意味である。

○同源語:

天(あめ)、原(はら)、見(みる)、真(ま)、弓(ゆみ)、夜(よる)、吾(わが)、千(ち)、頸(くび)、神(かみ・<坤>)、

 

【蓋[kat]・かさ】

人(ひと)皆(みな)の笠(かさ)に縫(ぬふと)云(いふ)有間(ありま)菅(すげ)在(あり)て後(のち)にも相(あはむ)とぞ念(おもふ)(万3064)

 

 「笠」は古語では、頭上にかぶり、あるいはかざすもので、菅を材料とするものもを菅笠といった。『和名抄』には「蓋 岐沼加散」とあり、蓋[kat]も日本語の「かさ」と関係のあることばであろう。

● 朝鮮語の「笠」はkatである。「笠」は昔、成年男子が頭にかぶった冠である。日本語の「かさ(笠)」は朝鮮語のkatと同源であろう。朝鮮語のkatは中国語の蓋[kat] と同源である可能性もある。

○同源語:

間(ま)、合(あふ・<相>)、●云(いふ)、

 

【樫[kyen/kyet*]・橿[giang]・かし】

橿實(かしのみ)の 獨(ひとり)か将宿(ぬらむ) 問(とは)まくの 欲(ほしき)我妹(わぎも)が 家(いへ)の不知(しらな)く(万1742)

麻衣(あさごろも)著(けれ)ば夏樫(なつかし)木國(きのくに)の妹背(いもせ)の山(やま)に麻(あさ)蒔(まく)吾妹(わぎも)(万1195)

 

 「かし」には「橿」「樫」などの漢字があてられている。「橿」の古代中国語音は橿[giang] である。「樫」は国字である。樫の声符「堅」は堅[kyen] である。

 二番目の歌では日本語の「なつかし」に「樫」が使われていることから、「樫」が樫(かし)と読まれていたことがわかる。

 堅[kyen] の祖語(上古音)は堅[kyet*] に近い音であったと考えられている。中国語の韻尾には[-s] はないが、日本語の「かし」は堅[kyet*] を継承したものであろう。

○同源語:

寐(ぬ・ねる・<宿>)、我・吾(われ)、妹(いも)、知(し)る、國(くに・<県・郡>)、山(やま)、播(まく・<蒔>)、

 

【霞霧[hea miu]・かすみ】

霞(かすみ)立(たち) 春日(はるひ)の霧(きれ)る 百磯城(ももしき)の 大宮處(おおみやどころ) 見(みれ)ば悲(かなし)も(万29)

都奇(つき・月)餘米婆(よめば)伊麻太(いまだ)冬(ふゆ)なりしかすがに霞(かすみ)たなびく波流(はる)多知奴(たちぬ)とか(万4492)

 

 古代中国語の「霞」は霞[hea] である。日本語の「かすみ」は中国語の「霞」から派生したことばであろう。「かすみ」は「霞・霧」である可能性がある。

 白川静は『字訓』の「かすみ」の項で次のように述べている。『華厳音義私記』に「晨霞 可須美」、『最勝王経音義』に「霧 加須美」とあって、霞と霧との区別も明らかでないところがあるという。

○同源語:

立(たつ)、春(はる)、宮(みや・<廟>)、見(みる)、未(いまだ)、春(はる)、●日(ひ)、城(き)、月(つき)、

 

【肩[kyan/kyat*]・かた】

木綿(ゆふ)手次(たすき) 肩(かた)に取(とり)懸(かけ) 忌戸(いはひべ)を 齊(いはひ)穿(ほり)居(すゑ)、、(万3288)

綿(わた)も奈伎(なき) 布(ぬの)可多(かた・肩)衣(ぎぬ)の 美留(みる・海松)の其等(ごと・如) わわけさがれる かかふのみ 肩(かた)に打懸(うちかけ)、、

(万892)

 

 古代中国語の「肩」は肩[kyan] である。韻尾の[n] [t] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。同じ声符をもった漢字で[n] [t] の両方の読み方があるものがみられる。

例:本(ホン)・鉢(ハチ)、吻(フン)・物(ブツ)、因(イン)・嗚咽(オエツ)、

  産(サン)・薩摩(サツマ)など、

 中国語音韻史では、入声音[t] の多くが隋唐の時代になると[n] に転移したことが知られている。肩[kyan]の祖語は肩[kyat*] に近い音であったと思われる。日本語の「かた」は中国語の上古音、肩[kyat*] に依拠したものであろう。

 例:腕[uan](ワン・うで)、[djiuən](ジュン・たて)、幡[phiuan](バン・はた)、

     [kyen](ケン・かたい)など

○同源語:

手(た・て)、取(とる)、懸(かける)、掘(ほる・<穿>)、綿(わた)、無(な)き、絹・巾(きぬ・<衣>)、打(うつ)、

 

【堅[kyen/kyet*]・かたし】

在有(ありあり)て後(のち)も将相(あはむ)と言(こと)耳(のみ)を堅(かたく)要(いひ)つつ相(あふ)とは無(なし)に(万3113)

寒(さむく)し安礼婆(あれば) 堅塩(かたしほ)を 取(とり)つづしろひ、、

(万892)

 

 古代中国語の「堅」は堅[kyen] である。堅[kyen]の祖語は堅[kyet*] であり、日本語の「かたし」は古代中国語の堅[kyet*] に依拠したものである。前出の樫(かし)、や堅魚[kyen-ngia](かつを)も中国語と同源である。

 

水江(みづのえ)の 浦嶋兒(うらしまのこ)が 堅魚(かつを)釣(つり)、(万1740)

 

○同源語:

合(あふ・<相>)、言(こと)、耳(のみ・みみ)、無(な)し、潮(しほ・<塩>)、取(とる)、洲(しま・<嶋>)、兒(こ・<睨>)、釣(つる)、●云(いふ)、嶋(しま)、

 

【語[ngai/ngiat*]・言[ngian/ngiat*]・かたる】

不聴(いなと)雖謂(いへど)語礼(かたれ)々々(かたれ)と詔(のらせ)こそ志斐(しい)いは奏(まをせ)強語(しいがたり)と言(いふ)(万237)

あしひきの山橘(やまたちばな)の色(いろ)に出(いで)よ語言(かたらひ)繼(つぎ)て相(あふ)事(こと)も将有(あらむ)(万669)

 

 日本語の「かたる」には語[ngia]、言[ngian] が使われている。王力の『同源字典』によると、「語」と「言」は同源であるという。言(こと)は名詞であり、語・言(かたる)は動詞である。日本語でも「かたる」は動詞であり、言葉(ことば)の「こと」は名詞である。「言」と「語」は音義ともに近い。

  唐代の中国語の韻尾[n] の上古音は[t*] に近かったと考えられている。日本語の「かたる」は「言」の上古音、言[ngiat*] に依拠したものであろう。

疑母[ng]がカ行であらわれる例:御[ngia] ご、雁[ngean] かり、牙[ngea] きば、

  顔[ngean] かほ、瓦[ngoai] かはら、崖[nge] がけ、刈[ngiat] かる、凝[ngiəng] こる、

韻尾[n]がタ行であらわれる例:管[kuan] くだ、幡[phiuan] はた、肩[kyan] かた、

  腕[uan] うで、本[puən] もと、断[duan ]たつ、満[muan] みつ、

● 朝鮮語の「かたる(語)」はmal ha daである。malは中国語の言[ngian] と関係のあることばであろう。中国語の疑母[ng] [m] と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。また、韻尾の[n][l]とは調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 日本語の「かたる」と朝鮮語のmalはまったく違ったことばのようにみえるが、両方とも中国語の言[ngian] の転移したものである。

○同源語:

山(やま)、色(いろ)、出(いづ)、續(つぐ・<継>)、合(あふ・<相>)、弓(ゆみ)、起(おこ)す、射(い)る、矢(や)、見(みる)、母(おも)、妻女(つま・<妻>)、子(こ)、等(ども)、立(たつ)、●告(のる・<謂>)、言(いふ)、日(ひ)、

 

【歩行(かち)】

馬(うま)替(かは・買)ば妹(いも)歩行(かち)将レ有(ならむ)よしゑやし石(いし)は雖レ履(ふむとも)吾(わ)は二(ふたり)行(ゆかむ)(万3317)

 

● 「かち」ということはば時代劇などで、「徒歩(かち)にて参ろう」などと使われている。また、御徒町などと地名にもつかわれている。

 朝鮮語の「歩行(かち)」にあたることばにkeolがある。朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に(-l)であらわれる。例えば万年筆(man-nyeon-phil)、地下鉄(ji-ha-cheol)、の如くである。[-t][-l]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。朝鮮語のkeolが日本語の「歩行(かち)」に対応することばであろう。

 大野晋は日本古典文学大系の補注61で「朝鮮語の語末のlは日本語ではtに対応するものが少なくない」として「kəl(徒歩)→kati(徒歩)」を例にあげている。

○同源語:

馬(うま)、妹(いも)、吾(わ・われ)、行(ゆく)、

 

【葛[kat]・かづら】

玉葛(たまかづら)花(はな)耳(のみ)開(さき)て不成有(ならざる)は誰(たが)戀(こひ)尓有(なら)め吾(あ)は孤悲(こひ)念(おもふ)を(万102)

 

 古代中国語の「葛」は葛[kat] である。日本語の「かづら」は「葛[kat]+ら」であろう。「ら」は朝鮮語の木(na-mu)と関係のあることばである可能性がある。「ら」と「な」は調音の位置が同じであり転移しやすい。

○同源語:

花(はな)、耳(のみ・みみ)、咲(さき・<開>)、吾(あ・あれ)、

 

【堅[kyen/kyet*] [ngia]・かつを】

水江(みづのえ)の 浦嶋兒(うらしまのこ)が 堅魚(かつを)釣(つり) 鯛(たひ)釣(つり)矜(ほこり)、、(万1740)

 

 「かつを」は現代では「鰹」とも書くが、堅[kyen]+魚[ngia]である。「堅」の祖語(上古音)堅[kyet*] に近い音だったものと思われる。唐代の韻尾[n] の上古音は入声音[t]であったものが多い。

 例:本[puən] もと、盾[djiuən] たて、幡[piuan] はた、管[kuan] くだ、肩[kyan] かた、 

   腕[uan] うで、言[ngian] こと、満[muan] みつる、断[duan] たつ、

 魚[ngia] を「うを」と読むのは中国語の疑母[ng] が脱落したものである。古代日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので鼻濁音の[ng] が脱落した。朝鮮漢字音では「魚」は魚(eo)である。古代日本語の音韻構造は朝鮮語に近かった。

例:顎[ngak] あご、岳[ngək] をか、御[ngia] お、吾[nga]・我[ngai] あ・あれ、

  暁[ngyô](あか+とき・時)、牛[ngiuə](う+し(so))、蟻[ngiai](あ+り)、

    [ngak](わ+に・魚)、

○同源語:

洲(しま・<嶋>)、兒(こ・<睨>)、堅(かたい)、魚(うお)、釣(つる)、●水(みづ)、嶋(しま)、魚(うお)、

 

【門[miuən/(h)muət*]・かど】

妹が門(かど)将見(みむ)靡け此の山(万131)

門(かど)立て戸は雖闔(さしたれど)盗人の穿(ほれる)穴より入(いり)て所レ見(みえけ)む(万3118)

 

 「門」の古代中国語音は門[muən] である。「門」には入りわたり音[h-] があって、祖語(上古音)は門[(h)muən*] であった。韻尾の[n] の上古音は[t] であったと考えられるので、日本語の門(かど)は中国語の門[(h)muət*] と同源である。

○同源語:

妹(いも)、見(みる)、靡(なびく)、此(この)、山(やま)、立(たつ)、戸(と)、掘(ほる・<穿>)、入(いる)、

 

【兼[hyam]・かぬ】

真玉(またま)付(つく)をちこち兼(かね)て言(こと)は五十戸(いへ)ど相(あひ)ての後(のち)こそ悔(くい)には有(あり)と五十戸(いへ)(万674)

真玉(またま)就(つく)をちこち兼(かね)て結(むすび)つる言(わが)下紐(したひも)の所解(とくる)日(ひ)有米(あらめ)や(万2973)

 

 古代中国語の「兼」は兼[hyam] である。語頭の喉音[h] は日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[m] は日本語ではマ行またはナ行であらわれる。

 現代の北京語では韻尾の[m] [n] の区別は失われている。広東語、朝鮮漢字音などでは韻尾の[m] [n] は弁別されているが、日本語では弁別されない。日本語の五十音図には最後に「ン」があるが、中国語韻尾の[n][m]の両方に用いられている。

○同源語:

真(ま)、言(こと)、合(あふ・<相>)、悔(くい)、衝(つく・<就>)、我(わが・<言>)、絆・繙(ひも・<紐>)、.●云(いへ・いふ・<五十戸>)、

 

【金[kiəm]・かね】

銀(しろがね)も金(くがね)も玉(たま)も奈尓(なに)せむに麻佐礼留(まされる)多可良(たから)古(こ・子)にしかめやも(万803)

皆(みな)人(ひと)を宿(ね)よとの金(かね)は打(うつな)れど君(きみ)をし念(おもへ)ば寐(いね)不勝(かてぬ)かも(万607)

 

 古代中国語の「金」は金[kiəm] である。日本語の「かね」は中国語の「金」の韻尾[m] に母音を添加したものである。日本語は開音節(母音で終わる音節)であり、古代日本語には[m] [n] で終わる音節はなかったので、母音を添加した。

 例:兼[hyam] かねる、稔[njiəm] みのる、闇[əm] やみ、苫[sjiam/tjiam] とま、

   染[njiam] そめる、渗[shiəm] しみる、など

 「金」は金属一般であり、黄金(くがね)、銀(白金)、鉄(眞金)、銅(赤金)などと区別された。二番目の歌の「金」は「鐘」である。

○同源語:

子(こ・<古>)、真(ま)、寐(ねる・<宿>)、打(うつ)、君(きみ)、寐(いぬ)、

 

【河[hai]・かは】

隠國(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の川(かは)に 舼(ふね)浮(うけ)て 吾(わが)行(ゆく)河(かは)の 川(かは)隅(くま)の 八十(やそ)阿(くま)不落(おちず)、、(万79)

天漢(あまのがは)棚橋(たなはし)渡(わたせ)織女(たなばた)のい渡(わたら)さむに棚橋(たなはし)渡(わたせ)(万2081)

秋(あき)去(され)ば川霧(かはぎり)立(たてる)天川(あまのがは)河(かはに)向(むき)居(ゐ)て戀(こふる)夜(よそ)多(おほき)(万2030)

吉野(よしの)なる夏實(なつみ)の河(かは)川(かは)淀(よど)に鴨(かも)ぞ鳴(なく)なる山陰(かげ)にして(万375)

 

 河(かは)古代中国語の「河」は河[hai] である。日本語の「かは」は中国語の河[hai] と同源である。中国語の「かは」には河[hai] のほかに、川[thjyuən]、江[kong] がある。

 河(カ)と江(コウ)は似ているが、川(セン)は「河」や「江」とは違う系統のことばのようにみえる。しかし、川と同じ声符をもった漢字に訓[xiuən] があり、「川」の上古音も川[xiuən*] に近い音をもっていたものと考えられる。川[xiuən*]、江[kong] も河[hai] と同義であり、音も上古音までさかのぼれば同系のことばであるとみることができる。

 「天漢」は「あまのがは」に使う漢字であり、古代中国語音は漢[xan] である。「漢」は「漢水」というごとく、もともと川の名である。漢[xan] も川[xiuən*]・河[hai] に近い。

○同源語:

隠(こもる)、國(く・くに・<郡・県>)、泊(はつ)、盤(ふね・<舼>)、吾(わが)、行(ゆく)、天(あめ)、立(たつ)、夜(よる)、野(の)、淀(よど)、鴨(かも)、鳴(なく)、山(やま)、影(かげ・<陰>)、

 

【峡[heap]・かひ】

旦今日(けふ)々々々(けふ)と吾(わが)待(まつ)君(きみ)は石水(いしかは)の貝(かひ)に<一云 谷(たに)に>交(まじり)て有(あり)と不言(いはず)やも

(万224)

夜麻我比迩(やまがひに)佐家流(さける)佐久良(さくら・櫻)を多太(ただ)比等米(ひとめ)伎美(きみ)に弥西(みせ)てば奈尓(なに)をか於母(おも)はむ

(万3967)

 

 最初の歌は 「柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌」ということば書きがあるものである。「貝」という文字が使われているため、 「今日は来られるか今日は来られるかと、私の待つ君は、石川の貝にまじっているというではないか」という解釈である。

 一方、「一云ふ、谷に」という割注がついていることから「貝」は「峡谷」であるとみることができる。古代中国語の「峡」は峡[heap] である。古代日本語では[p] は蝶[thyap](てふ)のようにハ行であらわれる。万葉集の時代にはすでに峡[heap] は峡(かひ)とは読めなくなっていたので「貝」と書いたものと思われる。しかし歌の意味からいえば「山峡」なので「一云ふ、谷に」という補注をしたのであろう。

 高知県の「いぶすき」は「揖宿」と書いていたが揖[iəp] は揖(ユウ)と読まれるようになり「いぶ」とは読めなくなってしまったので、「指宿」と表記するようになった。また、地名の「甲斐」は「山峡」の「峡」であったと思われるが、好字を選んで甲[keap] となり、「甲」一字では「かひ」と読めなくなってしまったので、甲斐(かひ)と漢字の韻尾を「斐」で添記したものである。「斐」は「甲」の末音添記である。

 

 表音文字を使う英語などでは、knifeknightと表記してあれば、古代英語では語頭のkを発音していたといことが分かる。しかし、漢字は発音が変わっても同じ文字を使うことが多いので、音韻変化の歴史をたどるには漢詩の韻を調べたり、同じ声符をもった漢字の読み方などを分析して、音韻変化の法則を見つけ出していかなければならない。

○同源語:

今日(けふ・<矜>)、吾(わが)、君(きみ)、山(やま)、咲(さく)、目(め)、見(み)せる、●言(いふ)、

 

【蛤[həp]・かひ】

伊勢(いせ)の白水郎(あま)の朝(あさ)な夕(ゆふ)なに潜(かづくと)云(いふ)鰒(あはびの)貝(かひ)の獨念(かたもひ)にして(万2798)

暇(いとま)有(あら)ば拾(ひりひ)に将徃(ゆかむ)住吉(すみのえ)の岸(きし)に因(よると)云(いふ)戀(こひ)忘(わすれ)貝(かひ)(万1147)

 

 古代中国語の「貝」は貝[puai] であり、日本語の「かい」は中国語の「貝」とは関係がなさそうである。日本語の「かい」は蛤[həp] と同源のことばであろう。「蛤」は訓では蛤(はまぐり)にあてられているが、旧仮名使いでは蛤(カフ)である。

 中国語の韻尾[p] は旧仮名使いでは蝶(テフ)、答(タフ)、塔(タフ)、甲(カフ)、合(ガフ)などのようにハ行であらわれる。

○同源語:

海女(あま)、鮑鰒(あはび・<鰒>)、拾(ひりふ)、行(ゆく・<徃>)、因(よる)、●朝(あさ)、云(いふ)、

 

【蛺蠱[heap ka]・かひこ】

たらちねの母(ははが)養子(かふこ)の眉(まよ)隱(ごもり)隠在(こもれる)妹(いもを)見(みむ)依(よしも)がも(万2495)

たらちねの母(はは)が養蚕(かふこ)の眉隱(まよこもり)馬聲蜂音石花蜘蛛(いぶせくも)あるか異母(いも・妹)に不相(あはず)て(万2991)

 

 現代の漢字表 記では「かいこ」は「蚕」である。しかし蚕(サン)と「かひこ」とは音が離れすぎている。万葉集では「養蠶」あるいは「養子」と書いて「かひこ」と読ませ ている。しかし、「養子」あるはい「養蚕」と書いて「かひこ」と読ませるのは、民間語源説(フォーク・エティモロジー)に近い。

 日本語の「かひこ」の語源は蛺蠱[heap-ka] ではなかろうか。蛺(かひ)は蝶であり、蠱(こ)は虫である。万葉集の時代にはすでに「蛺」を蛺(かひ)とは読めなくなっていたので、「養子」あるいは「養蚕」という漢字をあてたのであろう。

○同源語:

子(こ)、眉(まよ)、隠(こもる)、妹(いも)、見(みる)、合(あふ・<相>)、

 

【還[hoam]・かへる】

手(て)もすまに殖(うゑ)し芽子(はぎ)にや還(かへり)ては雖見(みれども)不飽(あかず)情(こころ)将盡(つくさむ)(万1633)

真十鏡(まそかがみ)取(とり)雙(なめ)懸(かけ)て己(おの)が杲(かほ)還氷(かへらひ)見(み)つつ、、(万3791)

 

 古代中国語の「還」は還[hoan] である。日本語の「かへる」は中国語の「還」と同源であろう。語頭の喉音[h] は日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[n] はラ行に転移することが多い。中国語の韻尾[n]は調音の位置が日本語のラ行に近く、転移しやすい。現代の日本語でも、算盤(ソロバン)などは算(サン)の「ン」をラ行で読む例である。

 例:漢・韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、塵(ジン・ちり)、昏(コン・くれ)、

○同源語:

手(て)、芽子(はぎ)、見(みる)、心(こころ)、真(ま)、鏡(かがみ)、取(とる)、懸(かける)、顔貌(かほ・<杲>)、

 

【顔貌[ngean mau]・かほ】

石走(いはばしる)間々(ままに)生有(おひたる)皃花(かほばな)にし有(あれ)けり在(あり)つつ見(みれ)ば(万2288)

容艶(かほよきに)縁(より)てぞ妹(いも)は、、(万1738)

 

  最初の歌(万2288)の「皃」は「貌」の異体字である。日本語の「かほ」は「顔[ngean] [mau]」であろう。「貌」は「容貌」の「貌」である。中国語には「顔貌」という成句もあり、「顔かたち」の意味である。

○同源語:

間(ま)、花(はな)、見(みる)、縁(より)、妹(いも)、

 

【鎌[liam/(h)liam*]・かま】

玉掃(たまばはき)苅(かり)來(こ)鎌麻呂(かままろ)室(むろ)の樹(きと)與棗本(なつめがもとと)かき将掃(はかむ)為(ため)(万3830)

 

 鎌は農機具であり、あまり万葉集の歌に出てくることばではない。この歌の場合も「鎌」は擬人化されて鎌麻呂と呼ばれている。「鎌麻呂よ、玉箒を刈りとって来い。室の木と棗の木の下を掃き清めるために」の意である。

 「鎌」の古代中国語音は鎌[liam] であり、日本漢字音は鎌(レン・かま)である。「鎌」と同じ声符をもった漢字に二通りの読み方がある。兼(ケン)・嫌(ケン):廉(レン)・簾(レン)である。「兼」の訓は兼(かねる)、であり「嫌」の訓は嫌(きらい)である。

 スウェーデンの言語学者カールグレンは古代中国語には複合子音があって、語頭の子音は複合子音で[kl-*] だったのではないかという解釈を提案している。確かに同じ声符をもった漢字でカ行とラ行に読みわけるものは多い。

 例:各 カク・落 ラク、監 カン・藍 ラン、京 キョウ・涼 リョウ、剣 ケン・斂 レン、

   果 カ・裸 ラ、格 カク・洛 ラク、諫 カン・練 レン、樂 ガク・ラク、など、、

 また、中国の音韻学者、王力も『漢語語音史』のなかでカールグレンの提案を受入れている。

 「鎌」の祖語は鎌[hliam*] のような入りわたり音をもっていたと考えられる。鎌(レン)は鎌[hliam*] の入り渡り音が脱落したものであり、鎌(かま)は入り渡り音が発達したものである。

○同源語:

苅(かる)、來(くる)、本(もと)、

 

【神[djien/khuən*]・かみ】

皇(おほきみ)は神(かみ)にし坐(ませ)ば真木(まき)の立(たつ)荒山中(あらやまなか)に海(うみ)を成(なす)かも(万241)

韓国(からくに)の 虎(とらと)云(いふ)神(かみ)を 生取(いけどり)に 八頭(やつ)取(とり)持(もち)來(き) 其(その)皮(かは)を 多々弥(たたみ・畳)に刺(さし)、、(万3885)

 

 古代の日本では大君も神、虎も雷も神であった。本居宣長は『古事記傳』のなかで次のように述べている。

 

  迦微(かみ)と申す名義(なのこゝろ)未だ思ひ得ず。さて凡そ迦微(かみ)とは、

  古御典等(いにしへのふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、

  其(そ)を祀(まつ)れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、

  鳥(とり)獣(けもの)木草のたぐひ海山など其餘(そのほか)何(なに)にまれ、

  尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)

  とは云なり。

 

 古代中国語の「神」は神[djien] である。神(シン)と神(かみ)とは関係なさそうに見えるが、「神」と声符が同じ漢字に天地乾坤の「坤」があり、古代中国語音は坤[khuən] である。「神」の祖語(上古音)に神[khuən*] という音があった可能性がある。日本語の「かみ」は神[khuən*] と同源であると考えることができる。

 

 漢字には同じ声符をカ行とサ行に読み分けるものがかなりみられる。カ行音が介音[-i-]などの影響で摩擦音化したものである。

 例:技(ギ)・枝(シ)、耆(キ)・旨(シ)、期(キ)・斯(シ)、庫(コ)・車(シャ)、

     赫(カク)・赤(セキ・シャク)、牙(ガ)・邪(ジャ)、合(ゴウ)・拾(シュウ)、

   嗅(キュウ)・臭(シュウ)、屈(クツ)・出(シュツ)、訓(クン)・川(セン)、

   拠(キョ)・處(ショ)、公(コウ)・松(ショウ)、狭(キョウ)・陝(セン)、

   暁(ギョウ)・焼(ショウ)、宦(カン)・臣(シン)、言(ゲン)・信(シン)、

   勘(カン)・甚(ジン)、感(カン)・ 箴・鍼(シン)、賢(ケン)・腎(ジン)、

 

 埼玉県行田市の稲荷山鉄剣には「獲加多支鹵大王」という刻銘があって、「ワカタケル」と読めることが判明した。5世紀の日本では「支」をカ行で読んでいたのである。

 

 また、インド・ヨーロッパ語族では「百」をあらわすことばカ行であらわすかサ行であらわすかでcenntum languagessatem languagesの大きな語群に分けることが行われている。インド・ヨーロッパ語族は百(英語のhundred)をcenntum (ケンタム)と発音する系統のことばとsatem (サテム)と摩擦音で発音する系統のことばに大きく二つに分けられ、インド・イランなどのことばはsatem系であり、ラテン語などはcentum系である。

英語のhundredcentum系の属する。

 人間の発声器官は同じだから、インド・ヨーロッパ語族の言語でも同じような転移が起こるのだろう。

● 朝鮮語の「かみ」はkeum nimである。nimは「、、さま」にあたることばである。「神」の朝鮮漢字音は神(sin)であり、訓(古来の朝鮮語)は神(keum)である。日本語の神(かみ)と、朝鮮語のkeumは中国語の神[khuən*] と同系のことばであろう。アイヌ語では神は「カムイ」である。

○同源語

皇(きみ)、真(ま)、立(たつ)、山(やま)、中(なか)、海(うみ)、韓国(からくに)、生(いき)る、取(とる)、來(くる)、其(そ)の、畳(たたみ)、刺(さ)す、●云(いふ)、

 

【亀[kiuə(n)]・かめ】

我國(わがくに)は 常世(とこよ)に成(なら)む 圖(ふみ)負(おへ)る 神(くすしき)龜(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉(いづみ)の河(かは)に 持(もち)越(こせ)る 真木(まき)の嬬手(つまで)を、、(万50)

千磐破(ちはやぶる) 神にも莫(な)負(おはせ) 卜部(うらべ)座(すゑ) (かめ)も莫(な)焼(やき)曾(そ) 戀(こひ)しくに 痛(いたき)吾(わが)身(み)ぞ、、(万3811)

 

 一番目の歌(万50)の意味は「わが国は不老不死の理想郷なのだろう。甲羅に模様のある不思議な亀が泉の河にあらわれた」というのである。亀は吉兆のしるしとされていた。「龜」の古代中国語音は龜[kiuə(n)] である。「亀」は久[kiuə] に通ずるところから「久しい」という意味に使われることもある。「亀は万年」というのも、「亀」が「久」と音が通じるからであろう。

 藤堂明保の『学研漢和大辞典』によれば「亀」には三つの読み方があるという。

 1.支韻:キ(呉音)、キ(漢音)

 2.尤韻:ク(呉音)、キュウ(漢音)

 3.眞韻:コン(呉音)、キン(漢音)

 日本語の亀(かめ)は眞韻の音を継承しているといえる。

 「かめ」はまた、甲[keap] とも関係の深いことばである。[-p] [-m] と調音の位置が同じであり転移しやすい。

● 朝鮮語の亀はkeo bukである。朝鮮語のkeo bukkeoは古代中国語音は亀[kiuə] と同源であろう。

○同源語:

我・吾(わ が)、國(くに・<県・郡>)、常(とこ)、世(よ)、文(ふみ・<圖>)、負(おふ)、世(よ・<代>)、泉(いづみ)、河(かは)、越(こす)、真 (ま)、妻嬬(つま・<嬬>)、手(て)、千(ち)、神(かみ・<坤>)、莫(な)、焼(やく)、痛(いたき)、身(み)、

 

【鴨[ap/keap*]・かも】

水鳥(みづとり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の春山(はるやま)のおぼつか無(なく)も所念(おもほゆる)鴨(かも)(万1451)

葦邊(あしべ)行(ゆく)鴨(かも)の羽我比(はがひ)に霜(しも)零(ふり)て寒(さむき)暮夕(ゆふべ)は倭(やまと)し所レ念(おもほゆ)(万64)

前玉(さきたま)の小埼(をざき)の沼(ぬま)に鴨(かも)ぞ翼(はね)きる己(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有(あら)し

(万1744)

 

 「鴨」の日本漢字音は鴨(オウ)である。古代中国語音は鴨[ap] とされている。しかし、鴨と同じ声符をもつ「甲」は甲[keap] である。鴨[ap]にも甲[keap] と同じように頭音[k]があり、それが後に脱落したのではないかと考えられる。

 古代の中国語音は唐代に規範とされた音を基準点として再構されている。日本漢字音もそれにならって決められている。「鴨」を鴨(オウ)とするのも中国語の[ap]を基準点としているからである。 唐代にはすでに鴨[keap]*の頭音は失われていた。

 日本語の「かも」は「鴨」が鴨[keap*] という頭音をもっていた時代の痕跡をとどめているものであろう。日本語では第二音節は濁音化する傾向があるから韻尾の[p] [m] に転移した。

○同源語:

鳥(とり)、羽(は)、色(いろ)、春(はる)、山(やま)、無(なき)、邊(べ)、行(ゆく)、交(がひ)、霜(しも)、降(ふる・<零>)、小(を)、尾(を)、置(おく)、拂(はらふ・<掃>)、●水(みづ)、沼(ぬま)、

 

【漢[xan]・韓[han]・から】

鴈(かりが)鳴(ね)の來(き)鳴(なき)しなへに韓(から)衣(ころも)裁田之山(たつたのやま)は黄(もみち)始有(そめたり)(万2194)

韓國(からくに)の虎(とらと)云(いふ)神(かみ)を生取(いけどり)に、、

(万3885)

絹帯(きぬのおび)を 引帯(ひきおび)成(なす) 韓帯(からおび)に取為(とらせ)、、

(万3791)

 

 古代中国語の「韓」「漢」は韓[han]、漢[xan] である。[h][x] はいずれも日本語の発音にはない喉音であり、調音の位置が近いことから日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[n] は調音の位置が[l] と同じであり、訓ではラ行であらわれることが多い。

 日本語では韓 (朝鮮)も漢(中国)も「から」である。「唐物」と書いて「からもの」と読まることもある。唐代になっても中国は漢(から)のまま残った。古事記などでは 「唐錦(からにしき)」「唐鏡(からかがみ)」などと表記することもあるが、読みは唐(から)である。ことばは保守的なのである。

○同源語:

鴈(かり)、音(ね・<鳴>)、來(くる)、鳴(なく)、田(た)、山(やま)、國(くに・<県・郡>)、神(かみ・<坤>)、生(いき)る、取(とる)、絹(きぬ)、●云(いふ)、

 

【辛[sien/xien*]・からし】

樂浪(ささなみ)の思賀(しが)の辛碕(からさき)幸有(さきくあれど)大宮人(おほみやびと)の船(ふね)麻知(まち)兼(かね)つ(万30)

壮鹿(しかの)海部(あま)の火氣(けぶり)焼(やき)立(たて)て燎(やく)塩(しほ)の辛(から)き戀(こひを)も吾(われは)為(する)かも(万2742)

 

 「辛」の古代中国語音は辛[sien] であり、現代中国語音は辛(xin)である。「辛」の祖語(上代音)は辛[xien*]であったのではなかろうか。上古音の[x-]は閉鎖音であり、現代中国語の[x]は摩擦音である。同じ[x]であらわすので分かりにくいが、日本漢字音の辛(からい)は閉鎖音[x-]を伝えており、辛(シン)は摩擦音[x-]を継承していると考えることができる。

 現在の漢字のローマ字表記は拼音(ピンイン)によって行われているが、それまではWade式という表記法が行われていた。「辛」はWade式では辛(hsin)である。Wade式では(hs-)と表記される音は喉音であり、拼音で表記すれば(x)である。Wade式で(hs-)と表記される漢字のなかには音がカ行で訓がサ行てあらわれるものが多い。

音がサ行で訓がカ行の例:消(hsiao)(ショウ・きえる)、小(hsiao)(ショウ・こ)、屑(hsie) 

  (セツ・くづ)、削(hsue)(サク・けづる)、心(hsin)(シン・こころ)、臭(hsiu)(シュ

  ウ・くさい)

 中国語音のカ行とサ行の関係については「神」の項ですでにふれたが、日本語の訓がか行で音がサ行の漢字にはつぎのようなものがある。

 例:神(シン・かみ)、辛(シン・からい)、子(シ・こ)、此(シ・これ)、斯(シ・こ

   れ)、事(ジ・こと)、車(シャ・くるま)、樹(ジュ・き)、鐘(ショウ・かね)、小

   (ショウ・こ)、消(ショウ・きえる)、焦(ショウ・こげる)、心(シン・こころ)、

   是(ゼ・これ)、声(セイ・こえ)、清(セイ・きよい)、切(セツ・きる)、屑(セ

   ツ・くづ)、川(セン・かは)、

 これだけの対応例があるということは、音韻変化の法則性をしさしているように思われる。

 漢字の音韻の研究は唐詩の正しい韻のふみ方を調べるために発達してきた。漢字の音を漢字であらわす切韻という方法が行われ、やがて韻図が作られるようになるが、漢字はアルファベットのよう表音文字ではないため、音韻の変化をたどることは困難を伴う。

 反切では漢字 の頭音と韻尾に分けてその音価を示す。例えば「辛」の反切は「西因」であり、「神」の反切は「舌寅」である。しかし、反切に使われている文字(例えば、 「西」・「舌」)の音価が定まっているわけでもないので、循環論になってしまうことが多い。「舌」と同じ声符をもった漢字に「活」があり、「活」の反切は 活(胡末)である。 

 切韻は隋唐の時代の規範音を示しているので、日本に中国文明が波及し、ことばも入ってくるようになった弥生時代に対応する中国語の漢字音を調べることはさらにむずかしい。参考のために上記の漢字の切韻を示せば次のようになる。

 例:子(咨此)、此(采紫)、斯(塞貲)、事(仕異)、車(菊於)、樹(殊裕)、鐘(朱邑)、 

   小(洗夭)、消(西腰)、焦(即腰)、心(西音)、是(石蟻)、声(詩嬰)、清(七嬰)、

   切(千結)、屑(息噎)、川(出淵)、

 日本の弥生時代に対応する中国語の漢字音を調べるには『詩経』(前600年ころ成立)の韻を調べることになる。しかし、韻では韻尾音だけしかわからない。

 そこで、同じ声符をもった漢字を手がかりに上古音を復元することになる。漢字音はその漢字ができた時代の漢字音の痕跡を伝えてくれる。

  例:神[djien]・坤[kuən]、斯[sie]・基[giə]、車[kia]・庫[kho]、鐘[tjiong]・童[dong]

    [shiəng]・馨[khyeng]、川[thjyuən]・訓[xiuən]

○同源語:

浪(なみ)、廟(みや・<宮>)、盤(ふね・<船>)、海部(あま)、煙(けぶり・<火氣>)、燎・焼(やく)、立(たつ)、潮(しほ・<塩>)、吾(われ)、

 

【鴉[ea/ngea*]・からす】

暁(あかとき)と夜烏(よがらす)雖レ鳴(なけど)此(この)山上(をか)の木末(こぬれ)の於(うへ)は未(いまだ)静(しづけ)し(万1263)

朝烏(あさがらす)早(はやく)勿(な)鳴(なきそ)吾(わが)背子(せこ)が旦開(あさけ)の容儀(すがた)見(みれ)が悲(かなし)も(万3095)

 

 万葉集では「からす」には烏[a]があてられている。『名義抄』に「鴉、鵲、鸒、烏 カラス」とある。鴉は鴉[ea] であり、烏[a] に音義ともに近い。「鴉」の声符は牙[ngea] であり、「鴉」の祖語(上古音)は鴉[ngea*] であったものと思われる。「からす」の「か」は中国語の鴉[nga*]であり、「からす」の「す」は「隹」である。「隹」は鳥である。日本語で「ス」のつく鳥には「からす」のほか「かけす」「うぐひす」「きぎす(雉)」「はやぶさ」などがある。

● 最初の歌(万1263)の烏(からす)の朝鮮語訳はkha ma gwiである。kha ma gwikha は中国語の「鴉」 である。

 二番目の歌(万3095)の「朝烏」の朝鮮語訳はa chim <朝>ui kha chi<かささぎ>と訳されている。「かささぎ」は「からす」に近い鳥で、中国、朝鮮半島に多く分布する鳥であるが、九州地方にも棲息する。

○同源語:

暁時(あかとき・<暁>)、夜(よ)、鳴(なく)、此(この)、未(いまだ)、静寂(しづか・<静>)、勿(な)、吾(わが)、見(みる)、●云(ふ)、朝・旦(あさ)、

 

【獵[liap/(h)liap*]・獦[kat]・かり】

日雙斯(ひなみしの)皇子命(みこのみこと)の馬(うま)副(なめ)て御獵(みかり)立(たた)しし時(とき)は來(き)向(むかふ)(万49)

かきつはた衣(きぬ)に須里(すり)つけ麻須良雄(ますらを)の服曾比(きそひ)獦(かり)する月(つき)は伎(き・來)にけり(万3921)

 

 古代中国語の獵は獵[liap] である。スウェーデンの言語学者カールグレンは古代中国語の[l-] には複合子音があり、獵[kliap*] という原型があったのではないかと分析している。日本語の「かり」は上古中国語の獵[kliap*] の痕跡を留めているものと考えることができる。   

 中国語の[l] が日本語でカ行であらわれるものとしては、鎌[liam] かま、廉[liam] かど、栗[liet] くり、來[lə] くる、などをあげることができる。

 「獦」の古代中国語音は獦[kat]である。獵[(k)liap*] と獦[kat] の古代中国語音は音価が近く、日本語の「かり」は「獵」「獦」と同系のことばであろう。

○同源語:

御子(みこ・<皇子>)、命人(みこと・<命>)、馬(うま)、時(とき)、來(くる)、向(むかふ)、巾・絹(きぬ・<衣>)、摺(する)、●朝(あさ)、月(つき)、

 

【鴈・雁[ngean]・かり】

家(いへさかり)旅(たび)にしあれば秋風(あきかぜの)寒(さむき)暮(ゆふべ)に鴈(かり)喧(なき)度(わたる)(万1161)

 

 古代中国語の「雁」「鴈」はいずれも雁・鴈[ngean] である。日本語の「かり」は中国語の雁・鴈(ガン)と同源である。雁[ngean] の頭音[ng] は鼻濁音であり、日本語では語頭では清音の「カ」となり語中・語尾では「カ゜」となる。韻尾の[n] は調音の位置が[-l]と同じであり、転移しやすい。

○同源語:

鳴(なく・<喧>)、

 

【苅[ngiat]・かる】

このころの戀の繁(しげ)くは夏草(なつくさ)の苅(かり)掃(はらへ)ども生(おひ)しく如(ごとし)(万1984)

中々(なかなか)に君(きみ)に不戀(こひず)は枚浦(ひらのうら)の白水郎(あま)ならましを玉藻(たまも)苅(かり)つつ(万2743)

 

 古代中国語の「苅」は苅[ngiat] である。日本漢字音の刈(ガイ)は韻尾の[t] は失われているが、古代中国語では韻尾に[t] があった。韻尾の[t] [l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏)おなじであり、転移しやすい。日本語の「かる」は古代中国語の「苅」と同源である。

○同源語:

拂(はらふ・<掃>)、中(なか)、君(きみ)、海人(あま・<白水郎>)、

 

【涸[hak]・枯[kha]・干[kan]・かれる】

無耳(みみなし)の池(いけ)し恨(うらめ)し吾妹兒(わぎもこ)が來(き)つつ潜(かづか)ば水(みづ)は涸(かれなむ)(万3788)

夕(ゆふ)去(されば)野邊(のべ)の秋(あき)芽子(はぎ)末(うら)若(わかみ)露(つゆに)枯(かれけり)金(あき)待(まち)難(がてに)(万2095)

うれたきやしこ霍公鳥(ほととぎす)今(いま)こそは音(こゑ)の干(かる)がに來(き)喧(なき)響(とよめ)め(万1951)

 

 枯[kha]、涸[hak] は同系である。干[kan]の韻尾[n] [l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。日本語の「かる」は古代中国語「枯」「涸」あるいは「干」と同系のことばである。

○同源語:

無(なし)、耳(みみ)、恨(うら)む、吾妹兒(わぎもこ)、來(くる)、野(の)、邊(へ)、芽子(はぎ)、若(わかい)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、今(いま)、聲(こゑ・<音>)、鳴(なく・<喧>)、●水(みづ)、

 

【城(き)】

天皇(おほきみ)の 等保(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫國(つくしのくに)は 安多(あた・賊)麻毛流(まもる) 於佐倍(おさへ)の城(き)そと 聞(きこし)食(をす)、、(万4331)

 

● 日本の故地 名などには「城(き)」ということばがしばしば出てくる。水城(みづき)、磐城(いはき)、稲城(いなぎ)、頸城(くびき)、結城(ゆふき)、城崎(きの さき)、茨城(いばらぎ)などである。「き」は百済のことばで「城」を意味するという。李基文の『韓国語の歴史』によれば、「城(き)」は百済語だとい う。

  百済語で「城」を意味する語が、(己、只)であったことは確実である。例。悦城県

  ハ本百済ノ悦己県、儒城県ハ本百済ノ奴斯只県、潔城県ハ本百済ノ結己郡。、、古代日

  本語の(城、柵)はこの百済語の借用だと考えられる。(p.48)

 金沢庄三郎は「地名人名等に関する日鮮語の比較」などのなかで次のように述べている。

  我國の古語に城をキといふ。これは柵壁其他の防備物を以て四邊を取り圍んだ一郭の

  地の名で、馬を放養するをウマキ(牧)、稲を貯積するイナギ(稲城)などのキがそれ

  である。      

 「キ」と並ん で「シキ」という語もあり、磯城島(しきしま)、百磯城(ももしき)をはじめとして、飛鳥(あすか)、出雲の須賀(すが)、近江の滋賀、信濃の佐久(さ く)、薩摩の揖宿(いぶすき)などもその系列のことばであるという。(金沢庄三郎「地名人名等に関する日鮮語の比較」)

○同源語:

皇(きみ)、國(くに・<県・郡>)、

 

【牙[ngea]・き(ば)】

莵原壮士(うなひをとこ)い 仰レ天(あめあふぎ) 叫(さけび)おらび あしずりし 牙(き)喫(かみ)建怒(たけび)て、、(万1809)

 

 この歌は「莵原處女(うなひをとめ)の墓を見る歌一首」という長歌の一部で、莵原處女(うなひをとめ)の死を悲しんで莵原壮士(うなひをとこ)が、天を仰ぎ、叫び、歯ぎしりをする様を詠んでいる。

 「牙」は歯のことである。この歌の「牙」は牙(きば)の連想から牙(き)と読みならわしているが、牙(は)と読むこともできないわけではない。

 古代中国語の「牙」は牙[ngea] である。現代中国語では歯医者のことを「牙医」といい、歯科のことを「牙科」という。万葉集では「芽子」とかいて「はぎ」と読む例が数多くみられる。中国語の疑母[ng] は調音の位置が喉音[h] に近く、音価も近い。臥[ngua](ふす)などもその例である。

○同源語:

天(あめ)、仰(あふぐ)、

 

【象[ziang]・きさ】

昔(むかし)見(み)し象(きさ)の小河(をがは)を今(いま)見(みれ)ば弥(いよよ)清(さやけく)成(なり)にけるかも(万316)

三吉野(みよしの)の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも散和口(さわく)鳥(とり)の聲(こゑ)かも(万924)

 

● 象山は吉野にある山の名前である。「象」の古代中国語音は象[ziang] である。象は日本にはいなかった動物であるが、その存在は古くから知られ、『和名抄』には「象、岐佐(きさ)、、、大耳、長鼻、眼細、牙長者也」とある。

 日本語の「き+さ」は、「牙[ngea]so(朝鮮語の牛)」から派生したものである可能性がある。「象」の祖語(上古音)は喉音[hiang*] であり、それが摩擦音化して象[ziang] になったと考えることもできる。

○同源語:

見(みる)、小河(をがは)、今(いま)、見(みる)、弥(いよよ)、清(さやけ)し、野(の)、山(やま)、間(ま・<際>)、騒(さわく)、鳥(とり)、聲(こゑ)、

 

【絹[kyuan]・きぬ】

西市(にしのいち)にただ獨(ひとり)出(いで)て眼(め)不並(ならべず)買(かひ)てし絹(きぬ)の商(あき)じこりかも(万1264)

山藍(やまあゐ)もち 摺(すれる)衣(きぬ)服(き)て 直(ただ)獨(ひとり) い渡(わたら)為(す)兒(こ)は、、(万1742)

 

 古代中国語の「絹」は絹[kyuan] である。日本語の「きぬ」は中国語と同源である。「絹」は蚕とともに中国からもたらされた。

 万葉集では「きぬ」に「絹」のほかに「衣」という字を使っている。衣(きぬ)は布一般のことであり、絹(きぬ)とは少し違う。衣(きぬ)は巾[kiən] であろう。布巾(ふきん)、雑巾(ぞうきん)の「巾」である。巾[kiən] は「きれ」とも読む。

○同源語:

酉(とり)、出(いづ)、眼(め)、山(やま)、摺(する)、兒(こ・<睨>)、

 

【窮[giuəm]・きはみ・きはまる】

吾(わが)命(いのち)の生(いけらむ)極(きはみ)戀(こひ)つつも吾(われ)は将度(わた)らむ、、(万3250)

言(いはむ)為便(すべ)将為便(せむすべ)不知(しらず)極(きはまりて)貴(たふとき)物(もの)は酒(さけ)にし有(ある)らし(万342)

 

 古代中国語の「極」は極[giək] である。白川静の『字通』によると、極[giək] は窮[giuəm] と通用の義がある、という。中国語の熟語には音義が近いものが多い。「窮極」もよく使われる熟語である。日本語の「きはみ」「きはまる」は中国語の極[giək]あるいは窮[giuəm] と音義ともに近い。

○同源語:

吾(われ)、生(いき)る、知(し)る、物(もの)、酒(さけ)、●言(いふ)、

 

【君[giuən]・公[kong]・皇[huang]・王[hiuang]・きみ】

茜草(あかね)指(さす)武良前(むらさき)野(の)逝(ゆき)標野(しめの)行(ゆき)野守(のもり)は不見(みずや)君(きみ)が袖(そで)ふる(万20)

昨日(きのふ)こそ公(きみ)は在(あり)しか不思(おもはぬ)に濱松(はままつ)が於(うへに)雲(くもに)棚引(たなびく)(万444)

天皇(おほきみ)の 等保(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫國(つくしのくに)は 安多(あた・賊)麻毛流(まもる) 於佐倍(おさへ)の城(き)そと 聞(きこし)食(をす)、、(万4331)

物部(もののふ)の臣(おみ)の壮士(をとこ)は大王(おほきみ)の任(まけ)のまにまに聞(きく)と云(いふ)物(もの)そ(万369)

 

 万葉集の時代の「君」は天皇から親しい人まで使われる。女性から男性に対して使うのが一般的である。

 古代中国語の「君」は君[giuən] である。古代日本語には「ン」で終わる音節がなかったので[-n]に母音を添加して君(きみ)とした。

例:濱[pien] はま、肝[kan] きも、絆[puan] ひも、文[miuən] ふみ、雲[hiuən] くも、

    [thən] のむ、困[khuən] こまる、混[huən] こむ、

 古代中国語の「君」は現代日本語の君(きみ)は中国語と同源だが、現代日本語の二人称の君(きみ)ほど親しみをこめたことばではない。天子、あるいは主君という意味合いが強い。女性が男性の恋人を呼ぶときにも君(きみ)が使われることがある。

 二番目の歌(万444)の「公」の古代中国語音は公[kong] である。公(きみ)は韻尾[ng] がマ行に転移したものである。[ng] [m] と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。

  例:浪[lang] なみ、霜[shiang] しも、状[dziang] さま、灯[tang] ともる、

    [diang] すむ、停[dyeng] とまる、渟[dyeng] たまる、醒[syeng] さめる、

 三番目の歌(万4331)の皇(きみ)の古代中国語音は皇[huang]であり、日本漢字音では皇太子(コウタイシ)、天皇(テンノウ)などとしてあらわれる。「

 皇太子の皇は皇[huang]の頭音[h-]が日本漢字音ではカ行であらわれたものである。また、天皇の「皇」は頭音[h]が脱落したものである。天皇(テンノウ)の皇(ノウ)は天[thyen]の韻尾とリエゾンしたものである。日本語は開音節(母音で終わる音節)であり、次にくる母音とリエゾンする。中国語にはリエゾンはないが、朝鮮語にもリエゾンがある。

 四番目の歌(万469)では「大王」を「おほきみ」と読ませている。「王」の古代中国語音は王[hiuang]であり、音義ともに皇[huang]と音義ともに近い。

○同源語:

指(さ)す、野(の)、逝・行(ゆく・<去>)、見(みる)、袖(そで)、濱(はま)、雲(くも)、壇・段(たな・<棚>)、國(くに・<県・郡>)、物(もの)、臣(おみ)、●如何(いかに)、城(き)、云(いふ)、

 

【肝[kan]・きも】

霞(かすみ)立(たつ)長(ながき)春日(はるひ)の晩(くれに)けるわづ肝(きも)之良受(しらず・知)村肝(むらきも)の心(こころ)を痛(いた)み、、(万5)

村肝(むらきも)の情(こころ)くだけて如此(かく)ばかり余(わが)戀(こふ)らくを不知(しらず)かあるらむ(万720)

 

 万葉集の時代の日本語では肝(きも)は内臓一般のことで、肺、腎臓などはあまり知られていない。「むらきも」は「群肝」で五臓のことである。心は内臓の働きにによると信じられていたことから「むらきもの」は「心」にかかる枕詞である。

 古代中国語の「肝」は肝[kan] である。日本語の「きも」は中国語の「肝」と同源である。

○同源語:

霞霧(かすみ)、立(たつ)、長(なが)き、春(はる)、昏(くれ・<晩>)、不知(しらず)、郡(むら・<村>)、心(こころ)、痛(いたむ)、我(わが・<余>)、●日(ひ)、

 

【消[siô/xiô*]・きゆ】

暮(ゆふべ)置(おき)て旦(あした)は消(きゆ)る白露(しらつゆ)の消(けぬべき)戀(こひ)も吾(われ)は為(する)かも(万3039)

雪(ゆき)こそは春日(はるひ)消(きゆ)らむ心(こころ)さへ消失(きえうせ)たれや言(こと)も不徃來(かよはぬ)(万1782)

 

 「消」の古代中国語音は消[siô] である。「消」の祖語(上古音)は消[xiô*]である可能性がある。「消」の現代北京音は消(xiao)である。消[xio*] の上古音が訓で消(きゆ)であらわれたと考えることができる。音の消(ショウ)はそれが摩擦音化したものであろう。喉音[x-]は現代では摩擦音であるが、上古音は破裂音であった。

 例:小[siô](こ・ショウ)、子[tzia](こ・シ)、之[tjiə](これ・シ)、此[tsie](これ・シ)、

   狩[sjiu](かり・シュ)、首[sjiu](くび・シュ)、樹[zjio](き・ジュ)、臭[thjiu](く

   さい・シュウ)、削[siôk](けずる・サク)、焦[tziô](こげる・ショウ)、鐘[tjiong]

   (かね・ショウ)、浄[dzieng](きよい)、情[dziəng](こころ・ジョウ)、心[siəm](こ

   ころ・シン)、辛[sien](からい・シン)、

 また、同じ声符をカ行とサ行に読み分けるものもある。カ行が古く、サ行が新しい。

 例:技(ギ)・枝(シ)、祇(ギ)・氏(シ)、耆(キ)・指(シ)、期(キ)・斯(シ)、睨

   (ゲイ)・児(ジ)、庫(コ)・車(シャ)、坤(コン)・神(シン)、言(ゲン)・信(シ

   ン)、

○同源語:

置(おく)、吾(われ)、春(はる)、心(こころ)、言(こと)、●旦(あした)、日(ひ)、

 

【清[tsieng/xieng*]・浄[dziəng/hiəng*]・きよし】

千鳥(ちどり)鳴(なく)佐保(さほ)の河門(かはと)に清(きよき)瀬(せ)を馬(うま)打(うち)和太思(わたし・渡)何時(いつ)か将通(かよはむ)(万715)

大瀧(おほたき)を過(すぎ)て夏箕(なつみ)に傍(そばり)居(ゐ)て浄(きよき)川瀬(かはせを)見(みる)が明(さやけ)さ(万1737)

 

 古代中国語の「清・浄」は清[tsieng]・浄[dziəng] であり、音義ともに近い。「清・浄」はいずれも摩擦音であるが、祖語(上古音)は清[xieng*]・浄[hiəng*] であった可能性がある。現代北京語の喉音[h][x] は摩擦音であるが、上古音は破裂音であり、日本語のカ行に近かった。喉音が摩擦音化したのは介音[i]の影響によるもので、日本語音の方もそれに対応してサ行に転移した。

 漢字は基本的に象形文字であるため、古代の漢字音を復元することは容易ではない。しかし、中国語には同じ声符がカ行とサ行にあらわれる漢字がいくつかある。

例:堅(ケン)・臣(シン)、感(カン)・鍼(シン)、坤(コン)・神(シン)、庫(コ)・車 

  (シャ)、嗅(キュウ)・臭(シュウ)、喧(ケン)・宣(セン)、など

 また、訓がカ行で、音がサ行であるわれる漢字もある。

例:神(かみ・シン)、辛(からい・シン)、臭(くさい・シュウ)、など

 「清・浄」の上古音が清[xieng*]・浄[hiəng*]であったとすれば、清(きよい・セイ)、浄(きよい・ジョウ)、についても整合的に説明ができる。

 清[tsieng]には「さやか」という読みもある。清(きよし)の方が古く、清(さやか)の方が新しい。

 

吾背子(わがせこ)が挿頭(かざし)の芽子(はぎ)に置(おく)露(つゆ)を清(さやかに)見(み)よと月(つきは)は照(てる)らし(万2225)

 

○同源語:

千鳥(ちどり)、鳴(なく)、河・川(かは)、門(かど)、馬(うま)、打(うつ)、瀧(たき)、見(みる)、清(さやか・<明>)さ、吾(わが)、冠挿(かざし・<挿頭>)、芽子(はぎ)、置(おく)、照(てる)、●月(つき)、

 

【鑚[tzuan/xuan*]・斬[tzheam/heam*]・きる】

然有(しかれ)こそ 年(とし)の八歳(やとせ)を 鑚髪(きりかみ)の 吾同子(よちこ)を 過(すぎ)、、(万3307)

汝(な)は如何(いか)に念(おもふ)や 念(おもへ)こそ 歳(としの)八年(やとせ)を 斬髪(きりかみの) 与知子(よちこ)を過(すぎ)、、(万3309)

 

 「鑚」「斬」の古代中国語音は鑚[tzuan]・斬[tzheam] である。いずれも鑚(きる・サン)、斬(きる・ザン)であり、訓がカ行で音がサ行であらわれている。古代中国語の[ts] はさらに時代をさかのぼると[x][h] 系の音であった可能性がある。「鑚」「斬」の祖語(上古音) [xuan*]・斬[heam*] に近い音であったと思われる。漢字のなかには同じ声符をカ行とサ行に読み分けるものがたくさんある。

 例:活[huat](カツ)・舌[djiat](ゼツ)、訓[xiuən](クン)・川[thjyuan](セン)、技[gie]

   (ギ)・枝[tjie](シ)、期[giə](キ)・斯[sie](シ)、耆[giei](キ)・脂[tjiei](シ)、祇

   [gie]・氏[zjie]、屈[khiuət](クツ)・拙[tjiuat](セツ)、庫[kha](コ)・車[kia](シ

   ャ)、睨[ngye](ゲイ)・児[njie](ジ)、

 また、古代中国語音が摩擦音系の漢字の訓がカ行であらわれるものがいくつか見られる。

 例:此[tsie](シ・これ)、子[tziə](シ・こ)、草[tsu](ソウ・くさ)、叢[dzong](ソウ・

   くさ)、桑[sang](ソウ・くは)、焦[tziô](ショウ・こげる)、蔵[dzang](ゾウ・く

   ら)、倉[tsang](ソウ・くら)、清[tsieng](セイ・きよき)、

 日本語の「きる」は「鑚」「斬」の上古音を継承したことばであろう。

○同源語:

汝(な)、●如何(いか)に、

 

【莖[heng]・くき】

大夫(ますらを)と念在(おもへる)吾(われ)や水莖(みづくき)の水城(みづき)の上(うへ)に泣(なみだ)将拭(のごはむ)(万968)

秋風(あきかぜ)の日(ひ)に異(け)に吹(ふけ)ば水莖(みづくき)の岡(をか)の木葉(このは)も色(いろ)づきにけり(万2193)

 

 古代中国語の「莖」は莖[heng] である。語頭の喉音[h]は日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[ng] は隋唐の時代以前の上古語では[k] に近かったと考えられている。日本語の「くき」の語源は中国語の「莖」と同源である。

 同じ声符の漢字でも二通りの読み方のある漢字がみられることがある。例えば、広[kuang](コウ):拡[khuak](カク)、交[keô](コウ):較[keôk](カク)などである。この場合、拡(カク)、較(カク)のほうが広(コウ)、交(コウ)より古い。

 また、日本語の訓が韻尾[k]の痕跡を留めているものもみられる。

 例:嗅(キュウ・かぐ)、景・影(エイ・ケイ・かげ)、塚(チョウ・つか)、双六(ソウ・

   すごろく)、相模(ソウ・さがみ)など、

○同源語:

吾(われ)、岳・陵(をか・<岡>)、葉(は)、色(いろ)、●水(みづ)、城(き)、涙(なみだ・<泣>)、日(ひ)、日(け・<異>)、

 

【串[hoan/hoat*]・くし】

五十(いつ)串(くし)立(たて)神酒(みわ)すゑ奉(まつる)神主部(はふりべ)のうずの玉(たま)蔭(かげ)見(みれ)ば乏(ともし)も(万3229)

籠(こ)もよ 美(み)籠(こ)母乳(もち) 布久思(ふくし・串)もよ 美(み)夫久志(ふくし・串)持(もち)、、(万1)

 

 「串」の古代中国語は串[hoan] である。日本漢字音は串(カン)である。「串」の祖語(上古音)は串[hoat*]に近い音であった可能性がある。中国語音韻史では入声音の[t] が随唐の時代になって[n] に変化したものがみられる。

例:咽(エツ)→因(イン)、鉢(ハツ)→本(ホン)、薩(サツ)→産(サン)など

 中国語には[-s]という韻尾はないが、「串」に串[hoat*] という音があったとすれば、日本語では「くし」は「串」と同系のことばである可能性がある。

● 大野晋は岩波の『日本古典文学大系・萬葉集一』の頭注で「クシは朝鮮語kos(串)と同源」(p.8) としている。また、金思燁も『韓訳萬葉集』で「串」の訓はkotであると注に記している。

○同源語:

立(たて)る、影(かげ・<蔭>)、見(みる)、籠(こ・かご)、美(み)、

 

【釧[thjyuən]・くしろ】

珠(たま)手次(だすき) 不レ懸(かけぬ)時(とき)無(なく) 口(くち)不レ息(やまず) 吾(わが)戀(こふる)兒(こ)を 玉釧(たまくしろ) 手(て)に取(とり)持(もち)て、、(万1792)

 

 釧の古代中国語音は釧[thjyuən] である。「釧」と同じ声符をもった漢字に訓(クン)があり、釧(セン)は釧(クン)に近い音価をもっていたものと思われる。参照:神[djien]・(ジン・かみ)・坤[khuən]・(コン)、

●「釧」の朝鮮語はku seul である。朝鮮語のku seulも中国語の釧[thjyuən]と同系のことばであろう。

 朝鮮語のku seulは「珠(たま)」(万12)、「玉の緒」(万3081)にも用いられている。北海道の地名の釧路は「釧」一字だけでは釧(くしろ)と読めなくなってしまったため「路」を付け加えて読みやすくしたものである。

○同源語:

手(た・て)、懸(かける)、時(とき)、無(なし)、口嘴(くち・<口>)、吾(わが)、兒(こ・<睨>)、取(とる)、●釧(くしろ)、

 

【葛[kat]・かづら】

鴈鳴(かりがね)の寒(さむく)鳴従(なきしゆ)水莖(みづぐき)の岡(をか)の葛葉(くずは)は色(いろ)づきにけり(万2208)

玉葛(たまかづら)花(はな)耳(のみ)開(さき)て不成有(らざる)は誰(たが)戀(こひ)ならめ吾(あは)孤悲(こひ)念(おもふ)を(万102)

 

 「葛」は日本語の「くず」にも「かづら」にも使われている。「くづ」はまめ科の多年生植物で、根から葛粉がとれる。「かづら」は植物の「つる」のことだが、「葛」が使われるようになった。古代中国語の「葛」は葛[kat] である。

 現代の日本語では「づ」と「ず」の弁別は失われて「ず」に合流しているが、万葉集の時代にも葛(くず)は「久受」と表記され、葛(かづら)は「づ」である。万葉集の時代にも「づ」と「ず」は必ずしも正確に弁別されていたとは言い難い。

 旧かなづかいでは「屑」は屑(くづ)、「葛」は葛(くず)として区別している。葛(くず)は韻尾[-t]が摩擦音化してサ行に転移したものである。

 「かづら」は「葛(かづ)+ら」である。「ら」は「菜(な)」と関係のあることばであろう。

○同源語:

鴈(かり)、音(ね・<鳴>)、鳴(なく)、莖(くき)、岳・陵(をか・<岡>)、葉(は)、色(いろ)、花(はな)、耳(のみ・みみ)、咲(さく・<開>)、吾(あ)、●水(みづ)、

 

【口嘴[kho tziue]・くち】

暮(ゆふ)獵(かり)に鶉雉(とり)履(ふみ)立(たて)大御馬(おほみま)の口(くち)おさへとめ、、(万478)

波流(はる・春)の野(の)に久佐(くさ)波牟(はむ)古麻(こま)の久知(くち)やまず安(あ・吾)をしのぶらむ伊敝(いへ)の兒(こ)ろはも(万3532)

珠(たま)手次(だすき) 不レ懸(かけぬ)時(とき)無(なく) 口(くち)不レ息(やまず)、、(万1792)

 

 古代中国語の「口」は口[kho]である。現代北京語では「口」のことを嘴(ziu)と言う。日本語の「くち」は口[kho]+嘴[tziue] である可能性がある。

●「口(くち)」は朝鮮語の訓では口(ip)である。日本語の「云う」は朝鮮語のipと同系のことばではないかと云われている。

 大野晋の『日本語の起源』(旧版)によれば朝鮮語の南部方言では「口」のことを口(kul)というという(p.178)。朝鮮語では中国語の韻尾[-t]は規則的に(-l)に転移するから、朝鮮語の南部方言の口(kul)も日本語の口(くち)と同源であろう。

○同源語:

獦(かり・<獵>)、鳥(とり・<鶉雉>)、立(たて)る、御(み)、馬(うま)、春(はる)、野(の)、駒(こま)、吾(あ)、兒(こ・<睨>)、手(た・て)、懸(かける)、時(とき)、無(ない)、

 

【國[kuək]・くに】

志貴嶋(しきしまの)倭(やまとの)國(くに)は事霊(ことだま・言霊)の所佐(たすくる)國(くに)ぞ真福(まさきく)在(あり)こそ(万3254)

天神(あまつかみ) 阿布藝(あふぎ)許比(こひ)乃美(のみ・禱) 地祇(くにつかみ) 布之弖(ふして)て額(ぬか)つき、、(万904)

燕(つばめ)来(くる)時(とき)に成(なり)ぬと鴈(かり)が鳴(ね)は本郷(くに)思(おもひ)つつ雲(くも)隠(がくり)喧(なく)(万4144)

家(いへ)吉閑(きかな) 名(な)告(のら)さね そらみつ 山跡(やまと)の國(くに)は、、(万1)

 

 万葉集では「くに」は國、邦、地祇、本郷などと表記されている。「國」の古代中国語音は國[kuək]である。「くに」は国家のことも、郷土のことも、天や海にたいして土地のこともいう。

 日本語の國(くに)は中国語の國[kuək]と韻尾が対応していない。中国語の韻尾は次のように転移するのが一般である。

  [p][m][t][n][k][ng]

  しかし、王力は『同源字典』のなかで「莫[mak] と晩[miuan] は同源である。」(p.16)としていることから、國[keuk]が國(くに)に転移することもないとはいえない。卑近な例では雀(ジャク)・麻雀(マージャン)などがあげられるかもしれない。

 現代の上海音では[‑p][‑t][‑k] の弁別は失われており、[‑n] [‑ng] も転移っすることがある。

 同じ声符の韻尾をカ行とナ行に読み分ける例としては次のようなものをあげることができる。

 例:柵(サク)・冊(サツ)、益(エキ)・溢(イツ)、陸(リク)・睦(むつむ)、泊(ハ

   ク・はつ)、克(コク・かつ)、など

 韻尾の[-k][-t]と弁別されないことがあるとすれば、中国語の「國」は日本語の「くに」と同源である可能性がある。

 一方、スウェーデンの言語学者カールグレンは日本語の「くに」の語源は郡[giuən] ではないかとしている。朝鮮半島には漢の時代から楽浪郡、帯方郡などが置かれて行政の単位として機能していた。朝鮮半島などでは「郡」が「國」と考えられたとしてもおかしくない。

 『名義抄』には「郡 クニ、コホリ」とある。「郡」は「くに」とも「こほり」とも読まれていたことがわかる。

 郡[giuən] ばかりでなく県[huen] も日本語の「くに」に近い。「県」は王畿以外の集落、農耕地で、郡県制が敷かれてからは郡も県も地方行政の単位である。日本語の「くに」は郡[giuən]、県[huen] と同系のことばであろう。國[kuək]は義(意味)が日本語の「くに」にもっとも近く、日本語の「くに」は國[kuək] から派生した可能性もある。

● 金思燁の『韓譯萬葉集』では「山跡(やまと)の國」はya ma to<大和>na ra<国>」と訳されている。朝鮮語はna raは國である。古代日本の首都である奈良も朝鮮語のna raと同源ではないかといわれている。

○同源語: 

洲(しま・<嶋>)、言(こと・<事>)、真(ま)、天(あめ)、神(かみ・<坤>)、仰(あふぐ)、伏(ふす)、額(ぬか)、來(くる)、時(とき)、鴈(かり)、音(ね・<鳴>)、雲(くも)、隠(かくる)、鳴(なく・<喧>)、名(な)、●嶋(しま)、告(のる)、

 

【頸[kieng]・くび】

吾(わが)戀(こひ)は千引(ちひき)の石(いは)を七許(ななばかり)頸(くび)に将繋(かけむ)も神(かみ)のまにまに(万743)

 

 古代中国語の「頸」は頸[kieng] である。日本語の「くび」は音義ともに中国語の「頸」に近い。韻尾の[ng] は鼻音であり、同じく鼻音である[m] に転移することも多い。「くび」の「び」は[m]と調音の位置が同じ(唇音)であり、転移しやすい。

例:霜(ソウ・しも)、灯(トウ・ともる)、醒(セイ・さめる)、統(トウ・すめる)、

    登(トウ・のぼる)など

○同源語:

吾(わが)、千(ち)、懸(かける・<繋>、神(かみ・<坤>)、

 

【熊[hiuəm]・くま】

荒熊(あらくま)の住(すむと)云(いふ)山(やま)の師齒迫(しはせ)山(やま)責(せめ)て雖問(とふとも)汝(なが)名(な)は不告(のらじ)(万2696)

 

 「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm] である。日本語漢字音の熊(ユウ)は熊[hiuəm] の頭音[h-]が脱落したものである。日本語の熊(くま)は古代中国語の喉音[h-]の痕跡を留めている。

 同じ声符をもつ漢字でカ行とア行に読み分けるものもいくつかみられる。ア行音は上代中国語の喉音[h][x][k]などが介音[i-] などの影響で脱落したものである。

 例:緩(カン)・援(エン)、軍(グン)・運(ウン)、渇(カツ)・謁(エツ)、黄(コウ・

   オウ)・横(オウ)、景(ケイ)・影(エイ)、國(コク)・域(イキ)、甲(コウ)・鴨

   (オウ)、公(コウ)・翁(オウ)、可(カ)・阿(ア)、牙(ガ)・鴉(ア)、奇(キ)・

   椅(イ)、区(ク)・欧(オウ)、狂(キョウ)・王(オウ)、

 中国語の喉音[h-]は日本語にはない発音であるが、調音の位置が日本語のカ行(後口蓋音)に近く、日本語の訓ではカ行であらわれることが多い。

 例:雲[hiuən](くも・ウン)、越[hiuat](こえる・エツ)、煙(けむ・エン)、黄[huang]

   (き・オウ)、

● 朝鮮語では「くま」のことを(kom)という。日本語の「くま」の語源は朝鮮語の(kom)であるとする説もあるが、朝鮮語の熊(kom)も日本語の熊(くま)も古代中国語の熊[hiuəm] から派生したものであり、同源であろう。

○同源語:

山(やま)、汝(な)、名(な)、●云(いふ)、告(のる)、

 

【軍[kiuəm]・くめ<久米>】

皮(はだ)為酢寸(すすき)久米(くめ)の若子(わくご)が伊座(いまし)ける三穂(みほ)の石室(いはや)は雖見(みれども)不飽(あかぬ)かも(万307)

 

 『日本書紀』 顕宗即位前に「弘計天皇、またの名は久米の若子」とあり、久米部は久米氏によって率いられ、宮廷の警備にあたった部である。また、久米歌というものが久米 部には受け継がれていている。久米歌は神武天皇が大和を征服した時の戦闘歌謡ともいわれている。久米舞というのもあって、久米歌とともに戦勝を祝って踊っ た舞である。

 古代日本の「久米」は戦闘に関係の深いことばであり、中国語の軍[kiuən] と同源である可能しがある。

 また、若子(わくご)は一般に「年若い子」とされているが、弘計天皇のまたの名が若子であることからも、「わくご」は「王子」である。王の古代中国語音は王[hiuang] であり、現代中国語では王(wang)である。

○同源語:

若子(わくご・<王子>)、見(みる)、

 

【雲[hiuən]・くも】

三輪山(みわやま)を然(しか)も隱(かくす)か雲(くも)だにも情(こころ)有(あら)なも可苦佐布(かくさふ)べしや(万18)

瀧上(たきのうへ)の三船(みふね)の山(やま)に居(ゐる)雲(くも)の常(つね)に将有(あらむ)と和我(わが)念(おもは)なくに(万242)

春楊(はるやなぎ)葛山(かづらぎやまに)發(たつ)雲(くもの)立座(たちてもゐても)妹(いもをしぞ)念(おもふ)(万2453)

 

 古代中国語の「雲」は雲[hiuən] である。中国語の頭音[h] は次にくる介音[iu] の影響で脱落して唐代には雲[jiuən] となった。日本漢字音の雲(ウン)は唐代の中国語音に依拠している。訓の雲(くも)は唐代以前の上古中国語の喉音[h] の痕跡を留めている。

 同じような例として熊[hiuəm](ユウ・くま)、運[hiuən]・軍[hiuən]などをあげることができる。

● 朝鮮語の「くも」はku reumである。日本語の「くも」、朝鮮語のku-reumはいずれも中国語の雲[hiuən] と同源であろう。

 中国語の雲[hiuən] は一音節であるが、朝鮮語では雲(keu reum)と二音節に表記している。このことは古代朝鮮語が開音節(母音で終わる音節)であったことを示唆しているといえる。

○同源語:

山(やま)、心(こころ)、瀧(たき)、盤(ふね・<船>)、常(つね)、我(わが)、春(はる)、楊(やなぎ)、葛(かづら)、立(たつ・<發>)、妹(いも)、

 

【久毛・くも・<蜘蛛>】

可麻度(かまど)には 火気(ほけ)布伎(ふき・吹)多弖受(たてず) 許之伎(こしき・甑)には 久毛(くも・蜘蟵)の須(す・巣)かきて、、(万892)

 

● 久毛(くも)は音表記であるが、漢字では蜘蟵(くも)である。朝鮮語の「くも」はkeo-miであり、音義ともに日本語に近い。日本語の「くも」は朝鮮語と同源であろう。

○同源語:

火(ほ・ひ)、気(け・き)、立(たつ)、巣(す・<須>)、●火(ひ)、

 

【悔[xuə]・くやし・くいる】

悔(くやしく)も満(みち)ぬる塩(しほ・潮)か墨江(すみのえ)の岸(きし)の浦廻(うらみ)従(ゆ)行(ゆか)まし物(もの)を(万1144)

真玉(またま)つくをちこち兼(かね)て言(こと)は五十戸(いへ)ど相(あひ)て後(のち)こそ悔(くい)には有(あり)と五十戸(いへ)(万674)

 

 「悔」の古代中国語音は悔[xuə]である。日本語の「くやし」「くいる」は中国語の悔[xuə] と音義ともに近く、同源である。

○同源語:

満(みち)る、潮(しほ・<塩>)、行(ゆく)、物(もの)、真(ま)、兼(かね)る、言(こと)、合(あひ・<相>)、

 

【倉[tsang/xiang*]・蔵[dzang/hiang*]・くら】

枳(からたち)の棘原(うばら)苅(かり)そけ倉(くら)立(たてむ)屎(くそ)遠(とほく)まれ櫛(くし)造(つくる)刀自(とじ)(万3832)

荒城(あらき)田(だ)の子師(しし)田(だ)の稲(いね)を倉(くら)に挙蔵(あげ)てあな干稲(ひね)々々(ひね)し吾(わが)戀(こふ)らくは(万3848)

 

 古代中国語の「倉」は倉[tsang] である。「倉」の祖語(上古音)は倉[xang*] に近い音であったものと考えられる。それが、摩擦音化して倉[xiang*] になり、唐代には摩擦音化して倉[tsang] になったものと考えることができる。「蔵」は蔵[dzang] であり、倉[tsang] と音義ともに近い。 [*]は再構された上代音を示す。

              祖語(上代音)    <摩擦音化>       唐代                     現代北京音

    倉 [xang*]                                     [tsang]                 cang

    蔵 [hang*]                                    [dzang]                cang

  「くら」には庫[kho] も使われることがある。庫(コ)・車(シャ)の関係も、庫(コ)が古い音であり、車(シャ)は介音[i] の発達によって摩擦音化したものである。

 

 中国語の喉音[h][x]は古代中国語では破裂音であった。それが、現代の北京語では摩擦音になっている。日本語の倉(くら)が音では倉(ソウ)となり、蔵(くら)が蔵(ゾウ)になったのも中国語の喉音の摩擦音化と対応している。

○同源語:

原(はら)、苅(かる)、立(たつ)、造(つくる)、刀自(とじ)、田(た)、秈(いね・<稲>)、干(ひる)、吾(わが)、●城(き)、

 

【栗[liet/(h)liet*]・くり】

宇利(うり・瓜)はめば 胡(こ・子)藤母(ども)意母保由(おもほゆ) 久利(くり・栗)はめば ましてしのばゆ いづくより 枳多利斯(きたりし・来)物能(もの)そ、、、

(万802)

 

 『和名抄』には「栗 久利、一名撰子」とある。栗は縄文時代以来重要な食糧源だったと思われる。万葉集には「くり」を「栗」と表記した例はないが、「栗」の古代中国語音は栗[liet] である。「栗」の祖語(上古音)には入りわたり音があり栗[(h)liet*] のような音であったと推定される。

 日本語の「くり」は入りわたり音の[h] をカ行音であらわしたものであり、日本漢字音の栗(リツ)は入りわたり音[h] が失われたものであろう。同じような例としては来[(h)lə*](ライ・くる)、辣[(h)lat*](ラツ・からい)、廉[(h)liam*](レン・かど)、輪[(h)liuən*](リン・くるま)などをあげることができる。

 中国語には同じ声符の漢字をカ行とラ行に読みわけているものがいくつかみられる。

 例:果(カ)・裸(ラ)、各(カク)・落(ラク)、監(カン)・藍(ラン)、剣(ケン)・斂

   (レン)、兼(ケン)・簾(レン)、京(キョウ)・涼(リョウ)など、、

○同源語:

子(こ・<胡>)、等(ども)、來(きたり)し、物(もの・<物能>)、

 

【來[lə/(h)lə*]・くる】

倭(やまと)には鳴(なき)てか来(く)らむ呼兒鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山(なかやま)呼(よび)ぞ越(こゆ)なる(万70)

來(こむと)云(いふ)も来(こぬ)時(とき)有(ある)を不來(こじと)云(いふ)を将來(こむ)とは不待(またじ)不來(こじと)云(いふ)物(もの)を(万527)

 

 古代中国語の「來」は來[lə]である。來[lə]の祖語は來[(h)lə*] に近い発音だったと考えられる。日本語の「くる」は古代中国語の來[(h)lə*]と同源であろう。

○同源語:

鳴(なく)、兒(こ・<睨>)、鳥(とり)、象(きさ・<牙(き)+朝鮮語の牛(so)>)、中(なか)、山(やま)、越(こゆる)、時(とき)、物(もの)、●云(いふ)、

 

【苦[kha]・くるし】

念(おもひ)絶(たえ)わびにし物(もの)を中々(なかなか)になにか辛苦(くるし)く相(あひ)見(み)始(そめ)けむ(万750)

すべも無(な)く苦志久(くるしく)阿礼(あれ・我)ば出(いで)波之利(はしり)去(いな)なと思(おもへ)ど許(こ・子)らに佐夜利奴(さやりぬ)(万899)

 

 古代中国語の「苦」は苦[kha] である。日本語の「くるし」の「く」は中国語の苦[kha] と一致するが「く+るし」の「るし」については少し無理があるように思われる。

 董同龢は『上古音韻表稿』のなかで「苦」の上古音を苦[khag*] と再構している。同じ声符をもった「涸」に涸[hak] があり、訓は涸(かれる)であることから「苦」にも苦[khak*] のような韻尾があり、それがラ行に転移したものと考えられないだろうか。

○同源語:

断(たえる・<絶>)、物(もの)、中(なか)、合(あふ・<相>)、見(みる)、無(な)き、我(あれ)、出(いで)、往・行(いぬ・<去>)、兒(こ・<許>)、障(さやる)、

 

【車[kia/(h)lian*] [liuən/(h)liuən*]・くるま】

古部(いにしへ)の 賢(さかしき)人(ひと)も 後(のち)の世(よ)の 竪監(かがみに)将為(せむ)と 老人(おいびと)を 送(おくり)為(し)車(くるま) 持(もち)還(かへり)けり(万3791)

戀草(こひくさ)を力車(ちからぐるま)に七車(ななくるま)積(つみ)て戀(こふ)らく吾(わが)心(こころ)から(万694)

 

 古代中国語の「車」は車[kia] である。同じ声符をもつ漢字に庫[kho] がある。日本漢字音の車(シャ)は車[kia]が介音[i]の影響で口蓋化してサ行に転移したものである。車と同じ声符をもった漢字に連・輦 [lian] があり、車の上古音は車[klian*] あるいは車[(h)lian*]であった可能性がある。

 一方、日本語の「くるま」は車[kia]+輪[liuən] から派生したことばである可能性もある。「輪」の祖語(上古音)には入りわたり音があり輪[(h)liuən*] に近い音であったと考えられる。

 いずれにしても、車[kia]、輪[liuən]、連・輦 [lian] は同系のことばである

● 朝鮮漢字音では「車」は車(keo) であり、古代中国語音車[kia]に近い。自転車は朝鮮語でcha jeon geoであり、チャリンコは朝鮮語の自転車(cha jeon geo)からきている。

○同源語:

世(よ)、鏡・鑑(かがみ・<竪監>)、還(かへる)、吾(わが)、心(こころ)、

 

【昏[xuən]・くれ】

霞(かすみ)立(たつ) 長(ながき)春日(はるひ)の 晩(くれに)ける、、(万5)

明(あけ)闇(くれ)の朝霧(あさぎり)隠(がくり)鳴(なき)て去(ゆく)鴈(かり)は言戀(あがこひ)於妹(いもに)告(つげ)こそ(万2129)

豊國(とよくに)のきくの長濱(ながはま)去(ゆき)晩(くらし)日(ひ)の昏(くれ)去(ゆけ)ば妹(いもに)をしぞ念(おもふ)(万3219)

 

 万葉集では日本語の「くれ」に晩[miuan]、闇[əm]、昏[xuən] などがあてられている。日本語の「くれ」に音義が対応するのは中国語の昏[xuən] であろう。

 晩[miuan] の祖語(上古音)には入りわたり音[h-]があった可能性があり、[(h)miuan*] の入りわたり音[h-]が発達したものであると考えることもできる。また、闇[əm]も入りわたり音[h-]があったとすれば闇[(h)əm*]であり、音義ともに「くれ」に近い。

○同源語:

霞霧(かすみ)、立(たつ)、長(なが)い、春(はる)、鳴(なく)、行(ゆく・<去>)、鴈(かり)、我(あが・<言>)、妹(いも)、國(くに・<県・郡>)、濱(はま)、●日(ひ)、朝(あさ)、

 

【黒[xək]・玄[hyen]・くろ】

居(ゐ)明(あかし)て君(きみ)をば将レ待(またむ)ぬばたまの吾(わが)黒髪(くろかみ)に霜(しも)は零(ふれ)ども(万89)

黒玉(ぬばたま)の玄髪山(くろかみやま)を朝(あさ)越(こえ)て山下(やました)露(つゆ)に沽(ぬれに)けるかも(万1241)

 

 万葉集では日本語の「くろ」に黒[xək] [hyen] があてられている。中国語の喉音[h][x] は日本語にはない音であり、日本語ではカ行であらわれることが多い。また、韻尾の[n] [l] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。黒[xək]の韻尾[k] は江南音では[t] に合流するので、[l] に転移することがある。

韻尾[n]がラ行であらわれる例:漢[xan] から、塵[dien] ちり、雁[ngean] かり、邊[pyen]

    へり、干[kan] ひる、

韻尾[k]がラ行であらわれる例:色[shiək] いろ、腹[piuək] はら、殻[khək] から、識[sjiək]

    しる、織[tjiək] おる、夜[jyak] よる、

  日本語の「くろ」、中国語の「黒」「玄」、朝鮮語のkeomは同系のことばであろう。

● 朝鮮語で「くろい」はkeom eulである。語幹のkeomは日本語の「くろ」に近い。

○同源語:

君(きみ)、吾(わが)、霜(しも)、降(ふる・<零>)、山(やま)、越(こえる)、濡(ぬれ・<沽>)る、●朝(あさ)、

 

【毛[mô/(h)mô]・け】

吾(わが)毛(け)等(ら)は 御(み)筆(ふで)はやし 吾(わが)皮(かは)は 御(み)箱(はこの)皮(かは)に、、(万3885) 

 

 「毛」の古代中国語音は毛[mô] である。古代中国語の明母[m] には入りわたり音[h] があったことが知られている。「毛」の祖語(上古音)は毛[(h)mô*] に近い音であったと考えることができる。

 日本語の毛(け)は入りわたり音[h] が発達したものであり、毛(モウ)は入りわたり音[h] が脱落したものである可能性がある。同じ声符をもった漢字でも、耗[hau](コウ)、毫[hu](ゴウ)、などは入りわたり音[h]の痕跡がカ行であらわれる。

○同源語:

吾(わが)、御(み)、筆(ふで)、筐(はこ・<箱>)、

 

【今[kiəm/kiəp*]・けふ】

川豆(かはづ)鳴(なく)清(きよき)川原(かはら)を今日(けふ)見(み)ては何時(いつ)か越(こえ)來(き)て見(み)つつ偲(しの)ばむ(万1106)

秋津野(あきづの)に朝(あさ)居(ゐる)雲(くも)の失(うせ)去(ゆけ)ば前(きのふ)も今(けふ)も無(なき)人(ひと)所念(おもほゆ)(万1406)

たまかぎる昨(きのふの)夕(ゆふべ)見(みし)物(ものを)今(けふの)朝(あしたに)可戀(こふべき)物(ものか)(万2391)

 

 「今日」は旧かなづかいでは今日(けふ)となる。「今」の古代中国語音は今[kiəm] であり、「今」と同じ声符をもった漢字に矜[kiəp] がある。「矜」は矜持などに使い、一時で矜(キョウ)と読む。二番目の歌(万1406)と三番目の歌(万2391)では「今」を一字で「けふ」と読ませている。

 「今」の祖語(上代中国語音)は今[kiəp*] に近い音であったと思われる。「今」はそれ自体で今(けふ)という読みがあったが、今[kiəm] の頭音が脱落して、今(いま)と読まれるようになったため、「けふ」は「今日」と表記するようになったのではあるまいか。

○同源語:

鳴(なく)、清(きよき)、川(かは・<訓>)、原(はら)、見(みる)、越(こえる)、來(くる)、津(つ)、野(の)、雲(くも)、行(ゆく・<去>)、無(な)き、物(もの)、●朝(あさ・あした)、

 

【煙・烟[yen/(h)yen*]・けぶり】

天(あめ)の香具山(かぐやま) 騰(のぼり)立(たち) 國見(くにみ)を為(すれ)ば 國原(くにはら)は 煙(けぶり)立(たち)龍(たつ・立)、、(万2)

我(わが)王(おほきみ)を 烟(けぶり)立(たつ) 春日(はるのひ)暮(くらし)、、(万3324)

 

 「煙」の日本漢字音は煙(エン)であり、訓は煙(けぶり・けむり)である。古代中国語の「煙」は煙[yen] であり、「烟」も烟[yen]である。

 「煙」「烟」の祖語(上古音)には喉音[h]があって、煙・烟[(h)yen*] に近い音であったと思われる。日本語の「けむり」は中国語の煙・烟[hyen*] の頭音[h] の痕跡を伝えるものである。音の煙(エン)、烟(エン)は唐代の中国語音を反映したもので、頭音[h*] が脱落したものである。

 日本漢字音には同じ声符がカ行とア行であらわれるものがある。ア行音は頭音が脱落したものである。これらはいずれも頭音が脱落したものである。

 例:國・域、奇・椅、貴・遺、軍・運、乞・乙、緩・援、景・影、区・欧、甲・鴨、

   絵(カイ・ヱ)、懐(カイ・ヱ)、黄(コウ・オウ)、

同源語:

天(あめ)、香(か)、山(やま)、立(たつ)、國(くに・<県・郡>)、見(みる)、原(はら)、立(たつ・<龍>)、我(わが)、王(きみ)、春(はる)、●日(ひ)、

 

【籠[long/(h)long*]・こ・かご】

籠(こ)もよ美籠(みこ)母乳(もち) 布久思(ふくし・串)もよ 美夫君志(みふくし・串)持(もち) 此(この)岳(をか)に 菜(な)採(つま)す兒(こ)、、(万1)

 

 万葉集の第一番目に載せられている歌である。「籠」の古代中国語音は籠[long] である。「籠」の祖語には入りわたり音があって、「籠」は籠[(h)long*] に近い音であったと想定できる。日本語の籠(こ)は上代中国語音籠[(h)long*] の入り渡り音[h-]が発達したものであろう。

 「籠」は「かご」の意味であり、「籠」は籠(こ、こも、かご、こもる)などと読む。籠(こもる)は韻尾の[ng] がマ行に転移したものであり、籠(かご)は韻尾の[ng] がカ行に転移したものである。[ng] は鼻音であり[m] と調音の方法が同じである。[ng] はまた、調音の位置が[k][g] と同じであり、カ行に転移しやすい。

  籠(こ、こも、かご、こもる)はいずれも中国語の籠[hlong*] から派生したことばである。「籠」は「こ」とも「こも」とも「かご」とも読めたので、「籠毛」と「毛」をつけて韻尾の読み方を示したものであろう。

○同源語:

御(み)、此(こ)の、岳(をか)、兒(こ・<睨>)、●串(くし)、

 

【子[tziə/xiə*]・兒[njie/ngiə*]・こ】

憶良(おくら)等(ら)は今(いま)は将レ罷(まからむ)子(こ)将レ哭(なくらむ)其(そを)被(おふ・負)母(はは)も吾(われ)を将レ待(まつらむ)そ(万337)

山際(やまのま)従(ゆ)出雲(いづもの)兒等(こら)は霧有(きりなれ)や吉野山(よしののやまの)嶺(みね)にたなびく(万429)

念有(おもへり)し 妹(いも)には雖レ有(あれど) 憑有(たのめり)し 兒等(こら)には雖レ有(あれど) 世間(よのなか)を 背(そむき)し不レ得(えね)ば、、

(万210)

 

 万葉集では日本語の「こ」に「子」「兒」などの文字があてられている。これらの漢字の古代中国語音は子[tziə]、兒[njie] である。

 子[tziə] の祖語(上古音)は子[xiə*] のような音であった可能性がある。子[xiə*] は摩擦音化して子[tziə]になった。

 兒[njie]と同じ声符をもった漢字に睨[ngie]があり、睥睨(へいげい)などに使われる。日母[nj-] と疑母[ng-] とは音が近く、児(こ)は上代中国語の兒[ngiə*] に依拠したものであると考えられる。

○同源語:

今(いま)、泣(なく・<哭>)、其(それ)、負(おふ・<被>)、吾(われ)、知(しる)、野(の)、来(くる)、山(やま)、出(いづ)る、雲(くも)、嶺(みね)、妹(いも)、世(よ)、中(なか・<間>)、

 

【蠱[ka]・こ、蛺蠱[kyap ka]・かひこ】

たらちねの母(はは)が養(かふ)蚕(こ)の眉(まよ)隠(ごもり)いぶせくもあるか異母(いも・妹)に不相(あはず)して(万2991)

 

 この歌では「かひこ」は「養ふ蚕」と表記されている。そのため、日本語の「かひこ」は「飼う子」であるという説もあるが、「かひこ」の「かひ」は蛺[kyap] であり、「こ」は古代中国語の蠱[ka] に依拠したものであろう。万葉集の時代には蛺[kyap](かひ)はすでに古語になってしまっていたので、「養ふ子」としたのであろう。一種の民間語源説である。

 「蛺」は蝶の仲間の総称である。中国では紀元前15世紀からすでに蚕を飼っていたという。日本書紀によれば、我が国でも天照大神がすでに蚕を飼って、機を織っていたことになっている。

○同源語:

眉(まゆ)、妹(いも)、合(あふ・<相>)、

 

【小[siô/xiô*]・こ・を】

浪間従(なみのまゆ)所見(みゆる)小嶋(こじま)の濱(はま)久木(ひさぎ)久(ひさ)しく成(なり)ぬ君(きみ)に不相(あはず)して(万2753)

真野(まのの)池(いけ)の小菅(こすげ)を笠(かさ)に不縫(ぬはず)為(して)人(ひと)の遠名(とほな)を可立(たつべき)物(もの)か(万2772)

 

 古代中国語の「小」は小[siô] である。現代北京語の「小」は小(xiao)であり、中国語の「小」の祖語(上古音)は小[xiô*] あるいは小[xo*]であったものと考えられる。現代中国語の(x-)は摩擦音であるが、古代中国語の喉音[x-]は閉鎖音であった。日本語の小(こ)も小[xô*] あるいは小[xio*]から発達したものであろう。「小」には小(を)という読みもある。小(を)は小[xiô*] の頭音が脱落したものでる。

 

佐丹(さに)塗(ぬり)の 小船(をぶね)もがも、、(万1520)

 

○同源語:

浪(なみ)、間(ま)、見(みる)、洲(しま・<嶋>)、濱(はま)、君(きみ)、合(あふ・<相>)、真(ま)、野(の)、名(な)、立(たつ)、物(もの)、塗(ぬる)、盤(ふね・<船>)、●嶋(しま)、笠(かさ)、

 

 インド・ヨーロッパ系の言語ではcentum language(ケントウム語)とsatem language(サテム語)という言語群がある。ケントウム語群というのは英語のhundredにあたることばを[k-](または[h-] で発音する語群である。 ケントウム語群はラテン語、ギリシャ語、イタリア語、ドイツ語(ドイツ語ではhになる)、英語、ケルト語、トカラ語、ヒッタイト語などである。ラテン語では「百」をcentumというところからケントウム語群と名づけられた。

 サテム語群というのは[s-]であらわす語群である。サテム語群はインド・イラン語、アルメニア語、アルバニア語、リトアニア語、バルト語、ロシア語、アヴェスト語などである。アヴェスタ語(イラン語系の言語)で「百」をsatemというところからサテム語群と名づけられた。カ行音がサ行音に変化することは世界の言語でかなり多くみられる現象なのである。

 

【心[siəm/xiəm*]・こころ】

他辭(ひとごと)を繁(しげみ)言痛(こちたみ)不相有(あはざり)き心(こころ)在(ある)如(ごと)莫(な)思(おもひ)吾(わが)背子(せこ)(万538)

淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(なが)鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所念(おもほゆ)(万266)

 

 万葉集では日本語の「こころ」に心、情、意、許己呂、己許呂、許々呂、などの漢字が当てられている。

 古代中国語の「心」は心[siəm] であり、現代北京語では心(xin)である。「心」の上古音は心[xiəm*] であった可能性がある。現代の中国語の喉音[x]は摩擦音であるが、古代中国語の喉頭[x] は閉鎖音であった。日本語の「こころ」は上古中国語の心[xiəm*] の痕跡を留めたことばであろう。

 中国語の喉音[x][h] は日本語にはない発音である。そのため、日本語では「ここ・ろ」とカ行音を二つ重ねて、日本語の音韻体系になじむように発音した。また、韻尾の[n] [l] に転移した。韻尾の[n]は調音の位置がラ行と同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 「情」の古代中国語音は情[dzieng] である。「心情」ということばがあるごとく「心」と「情」は義(意味)が近い。情[dzieng] の上古音は情[hieng*] に近い音であった可能性がある。情[dzieng] の祖語は情[hieng]*]であり、それが介音[i] の影響で摩擦音化したものと考えることもできる。

 中国語の魂[khuən] も日本語の「こころ」に音義ともに近い。

○同源語:

言(こと・辭)、痛(いた)し、合(あふ・<相>)、莫(な)、吾(わが)、海(うみ)、夜(ゆふ・<夕>)、浪(なみ)、千鳥(ちどり)、汝(な)、鳴(なく)、

 

【琴[giəm/giət*]・こと】

琴(こと)取(とれ)ば嘆(なげき)先立(さきだつ)蓋(けだしく)も琴(こと)の下樋(したび)に嬬(つま)や匿(こも)れる(万1129)

 

 「琴」の古代中国語音は琴[giəm] である。日本語では中国語の[g-]は頭音では清音になる。また、韻尾[m][n] は弁別しないので[m] がタ行であらわれる。[n][t]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 例:音[iəm/iət*](おと)、廉[liam/(h)liat*](かど)、疼[duəm/duət*](いたむ)、

 日本語の「こと」は中国語の「琴」と同源である。

○同源語:

取(とる)、立(たつ)、蓋(けだし)、妻嬬(つま・<嬬>)、

 

【言[ngian/ngiat*]・こと】

謂(いふ)言(こと)の恐(かしこき)國(くに)そ紅(くれなゐ)の色(いろに)莫(な)出(いで)そ念(おもひ)死(しぬ)とも(万683)

葦原(あしはらの) 水穂(みづほの)國(くに)は 神(かむ)ながら 事擧(ことあげ・言)為(せぬ)國(くに) 雖然(しかれども) 辞擧(ことあげ・言)ぞ吾(わが)為(する) 言(こと)幸(さきく) 真(ま)福(さきく)座(ませ)と つつが無(なく) 福(さきく)座(いまさ)ば 荒礒(ありそ)浪(なみ) 有(ありて)も見(みむ)と 百重(ももへ)波(なみ) 千重(ちへ)浪(なみ)に敷(しき) 言上(ことあげ)為(す)吾(われは) 言上(ことあげ)為(す)吾(われは)(万3253)

言(ことに)出(いでて)云(いはば)忌々(ゆゆしみ)山川(やまかは)のたぎつ心(こころを)塞(せか)耐(へ)在(たりけり)(万2432)

 

 「言」の古代中国語音は言[ngian] である。「言」の祖語(上古音)は言[ngiat*] に近い音だったものと考えられる。日本語の「こと」は上古中国語音の言[ngiat*] と同源である。

 「ことば」の「こと」も「言」である。また、「かたる」も言[ngiat*] の動詞化したことばである。

 日本語の訓で韻尾の[-n]がタ行であらわれる例:管[kuan] くだ、肩[kyan] かた、腕[uan]

    うで、堅[kyen] かたい、本[puən] もと、断[duan] たつ、満[muan] みつる、

○同源語:

國(くに・<県・郡>)、色(いろ)、莫(な)、出(いづ)、死(し)ぬ、原(はら)、神(かみ・<坤>)、吾(われ)、真(ま)、浪(なみ・<波>)、見(みる)、千(ち)、山(やま)、川(かは・<訓>)、心(こころ)、塞(せき)、●云・謂(いふ)、水(みづ)、

 

【郡[giuən]・こほり】

「右の一首朝夷(あさひなの)郡(こほり)上丁丸子の連(むらじ)大歳(おほとし)のなり」(万4353左注)

「右は、郡司(こほりのつかさ)巳下子弟巳上の諸人多く集二此會一(この會につどふ)」

(万4071左注)

 

 スウェーデンの言語学者B.カールグレンは日本語の「くに」は中国語の「郡」であろうとしている。ところが、記紀万葉の時代には「郡」を「こほり」と読みならわしている。「郡」の古代中国語音は郡[giuən] である。「郡」は「くに」とよめないこともないが、韻尾の[-n]は日本語ではラ行であらわれることが多い。「郡」を「こほり」にあてるのも可能ではなかろうか。

 例:漢(から)、韓(から)、塵(ちり)、昏(くれ)、巾(きれ)、雁(かり)、など、

● 朝鮮語で「郡」にあたることばにko-eulがある。朝鮮半島には紀元前108年、漢の武帝によって楽浪郡、帯方郡など四郡が植民地として置かれた。現代の朝鮮漢字音は郡(kun)であるが、楽浪郡などの時代には郡(ko eul)と呼ばれた可能性がある。日本語の郡(こほり)は朝鮮語のko eulと同系のことばではなかろうか。郡(ko eul)はまた、中国語の郡[giuən] と同源である可能性が高い。日本語の郡(こほり)、朝鮮語のko eulはいずれも中国語の「郡」から派生したことばであろう。

 

【駒[kio/(h)mea*]・こま】

青駒(あをこま)の足掻(あがき)を速(はやみ)雲居(くもゐに)そ妹(いも)が當(あたり)を過(すぎ)て来(きに)ける(万136)

乞(いで)吾(わが)駒(こま)早(はやく)去(ゆき)こそ亦打(まつち)山(やま)将待(まつらむ)妹(いも)を去(ゆき)て速(はや)見(み)む(万3154)

 

 「駒」の古代中国語音は駒[kio]で ある。万葉集では「古馬」と書いて駒(こま)と読ませているものもある(万3387)。また、『和名抄』では「駒 古万(こま)、馬子也」としているの で、「駒」とは仔馬のことだという説もある。しかし、『時代別国語大辞典・上代編』(三省堂)では「駒は子馬のことをいったが、転じて馬一般に用いられ る。」としている。

 宮田一郎編著の『上海語常用同音字典』(光生社)によると、現代上海語音では「馬」には入りわたり音があり、「馬」は馬(hma)と聞こえるという。日本語の馬(こま)の「こ」は江南音の馬(hma)あるいは中国語上古音の馬[(h)mea*] の入りわたり音[h]をカ行であらわしたものである可能性が高い。

 馬(うま)は馬[(h)mea*] の入りわたり音[h-]が失われたものである。駒(こま)は馬[(h)mea*] の入りわたり音[h-]が唐代には失われて「馬」では「こま」とは読めなくなってしまったので「句」を添加して「句+馬」としたものである。「駒」は「馬」の祖語であり仔馬とは関係の内ことばであろう。

 上代の中国語音に入りわたり音があったことは「海」についてもいえる。「海」の古代中国語音は海[xuə] である。同じ声符をもた「毎」は毎[muə] である。海の祖語(上古音)は海[(h)muə*] のような音であり、海(カイ)は入りわたり音[h-] の痕跡を留めたものであり、毎(マイ)は入りわたり音[h-]の失われたものである。日本語の海(うみ)は海[muə] の前に母音「う」が添加されたものである。

○同源語:

雲(くも)、妹(いも)、來(くる)、吾(わが)、行(ゆく・<去>)、山(やま)、見(みる)、

 

【高麗[kô lyai]・こま】

高麗(こま)錦(にしき)紐(ひも)の結(むすび)も解(とき)不放(さけず)齊(いはひ)て待(まて)ど驗(しるし)無(なき)かも(万2975)

高麗(こま)劔(つるぎ)己(な)が景迹(こころ)故(から)外(よそ)耳(のみに)見(み)つつや君(きみ)を戀(こひ)渡(わたり)なむ(万2983)

 

 日本では「高麗」のことを「こま」という。古代日本語ではラ行音が語頭にたつことがなかったので麗[lyai]はマ行に転移した。漢字のなかには同じ声符をラ行とマ行に読み分けるものがある。来母[l] と明母[m] は調音の位置が近く転移しやすい。

 例:陸(リク)・睦(ムツ)、來(ライ)・麥(バク)、令(レイ)・命(メイ)、漏(ロウ・

   もる)、戻(レイ・もどる)、乱(ラン・みだる)、両(リョウ・もろ)、緑(リョク・

   みどり)、嶺(レイ・みね)、

 また日本漢字音でラ行であらわれることばが、訓ではマ行であらわれることもある。

 例:嶺[lieng](レイ・みね)、漏[lo](ロウ・もる)、覧[lam](ラン・みる)、乱[luan](ラ

   ン・みだる)、戻[lyet](レイ・もどる)、両[liang](リョウ・もろ)、椋[liang](リョ

   ウ・むく)、

○同源語:

絆・繙(ひも・<紐>)、無(な)き、心(こころ・<景迹>)、耳(のみ・みみ)、見(みる)、君(きみ)、●己(な)、

 

【米[myei/(h)myei*]・こめ】

巻向(まきむく)の檜原(ひばら)に立(たて)る春霞(はるがすみ)おほにし思(おもは・<念>)ば名積(なづみ)米(こめ・<来>)やも(万1813)

 

 この歌の「米」は訓借で、「なづみ来(こめ)やも」という意味である。米(こめ)は歌の題になりにくかったのか、万葉集には米(こめ)を読んだ歌はない。しかし、この歌から万葉集の時代に「米」という字を米(マイ)ではなく米(こめ)と読まれていたことがわかる。

 「米」の古代中国語音は米[myei] である。「米」の祖語には語頭に入りわたり音[h] があって、「米」は米[(h)myei*]だったと考えられる。日本語の「こめ」は祖語(上古音)の米[(h)myei*] の痕跡を留めたことばである。音の米(ベイ・マイ)は入りわたり音が脱落したものである。

 日本書紀歌謡には次のような歌がある。これは音表記であるが、「渠梅」は「米」である。

 

伊波(いは)の杯(へ)に古佐屢(こさる・小猿)渠梅(こめ・米)野倶(やく)渠梅(こめ・米)だにもたげて騰褎囉(とほら・通)せ歌麻之々(かましし・宍)の烏膩(をぢ)

(日本書紀歌謡)

 

○同源語:

向(むく)、檜(ひ)、原(はら)、立(たつ)、春(はる)、霞霧(かすみ・<霞>)、名(な)、來(こめ・<米>)、

 

【薦[tzian/xian*]・こも】

三嶋江(みしまえ)の入江(いりえ)の薦(こも)を苅(かり)にこそ吾(われ)をば公(きみ)は念有(おもひたり)けり(万2766)

 

 「薦」は「推薦する」などの薦(スイ)であるが、草冠があるところから原義は草である。薦[tzian] の祖語(上古音)は薦[xian*] に近い音であった可能性がある。薦[xian*] が介音[-i-] の影響で摩擦音化して薦[tzian] になったのだとすれば、日本語の「こも」は「薦」の上古音の痕跡を留めているということになる。漢字には同じ声符をサ行とカ行に読み分けるものがある。

例:枝・技、嗜・耆、屈・出、企・止、虚・處、喧・宣、庫・車、公・頌、

 また、日本漢字音には音ではサ行、訓ではカ行であらわれるものがかなりある。これには法則性があり、偶然の一致とは言えそうにない。

 例:叢(ソウ・くさ)、草(ソウ・くさ)、此(シ・これ)、是(シ・これ)、子(シ・こ)

   小(ショウ・こ)、切(セツ・きる)、消(ショウ・けす)、削(サク・けづる)、桑

   (ソウ・くは)、蔵(ゾウ・くら)、倉(ソウ・くら)、聲(セイ・こゑ)、狩(シュ・

   かり)、臭(シュウ・くさい)、心(シン・こころ)、蚕(サン・かひこ)、

 結論として薦(セン・こも)も中国語の薦[tzian] あるいは薦[xian*] と同源であろう。薦(こも)の方が古く、薦(セン)は唐代の漢字音に依拠したもので、新しい。

○同源語:

洲(しま・<嶋>)、入(いる)、苅(かる)、吾(われ)、公(きみ)、●嶋(しま)、

 

【隠[iən/(h)iən*]・こもる】

たらちねの母(はは)が養(かふ)蚕(こ)の眉(まよ)隠(こもり)隠在(こもれる)妹(いも)を見(みむ)依(よしも)がも(万2495)

色(いろに)出(いで)て戀(こひ)ば人(ひと)見(み)て應知(しりぬべし)情(こころ)の中(なか)の隠妻(こもりづま)はも(万2566)

 

 古代中国語の「隠」は隠[iən] である。「隠」の祖語(上古音)は隠[(h)iən*] であった可能性がある。上古中国語の喉音[h] は唐代になると脱落することが多かった。

 例:緩[huan](カン)・援[hiuan](エン)、禾[hua](カ)・和[huai](ワ)、曷[hat](カツ)・

   謁[iat](エツ)、

 日本漢字音でも同じ声符をカ行とア行(あるいはワ行)に読み分けるものがある。

 例:黄[huang](オウ・コウ)、絵・會[huat](ヱ・カイ)、回[huəi](ヱ・カイ)、壊[hoəi] 

   (ヱ・カイ)、

 また、音と訓でカ行とア行(またはヤ行、ワ行)に読み分けるものがある。

 例:雲[hiuən](ウン・くも)、熊[hiuəm](ユウ・くま)、越[hiuat](エツ・こえる)、

   恨[hən](コン・うらむ)、行[heang](コウ・ゆく)、合[həp](ゴウ・あふ)、

 このことは隠[iən] の祖語(上古音)に隠[(h)iən*] に近い音があったことを示唆している。日本語の「こもる」は中国語の隠[(h)iən*] と同源であろう。

 「隠」は「かくる」にも使われている。喉音[h-]は濁音であり、日本語にはない音なので清音を重ねたものであろう。

 

茜(あかね)刺(さす)日(ひ)は雖照有(てらせれど)ぬば玉(たま)の夜(よ)渡(わたる)月(つき)の隠(かく)らく惜(をし)も(万169)

 

○同源語:

蛺蠱(かひこ・<養蚕・かふこ>)、眉(まよ)、妹(いも)、見(みる)、色(いろ)、出(いづ)、知(し)る、心(こころ・<情>)、中(なか)、妻女(つま・<妻>)、刺(さ)す、照(てる)、夜(よる)、●日(ひ)、月(つき)、

 

【越[jiuat/(h)jiuat*]・こゆ】

川豆(かはづ)鳴(なく)清(きよき)川原(かはら)を今日(けふ)見(み)ては何時(いつ)か越(こえ)來(き)て見(み)つつ偲(しの)ばむ(万1106)

泊瀬川(はつせかは)流(ながるる)水尾(みを)の湍(せ)を早(はやみ)井提(いで)越(こす)浪(なみ)の音(おと)の清(きよけ)く(万1108)

 

 「越」の古代中国語音は越[jiuat] である。「越」の祖語(上古音)には喉音[h-]があって越[(h)jiuat*] に近い音であったと考えられる。日本語の越(こゆ)の「こ」は越[(h)jiuat*]の頭音[h-]の痕跡ではなかろうか。それが隋唐の時代には脱落して越[jiuat] になったと考えれば越(こえる)が越(エツ)になったことを整合的に説明できる。

 同じ声符をもった漢字でも喉音[h]が脱落したものと発音されるものがみられる。

 例:軍[hiuən](グン)・運[hiuən](ウン)、國[kuək](コク)・域[hiuək](イキ)、

   完[huan](カン)・院[hiuan](イン)など

 また、頭音[h] が日本語でカ行あるいはハ行であらわれた例としては次のようなものをあげることができる。

 例:雲[hiuən](くも・ウン)、熊[hiuəm](くま・ユウ)、羽[hiuə](は・ウ)、、

○同源語:

鳴(なく)、清(きよき)、川(かは・<訓>)、原(はら)、今日(けふ・<矜>)、見(み・みる)、來(くる)、尾(を)、浪(なみ)、音(おと)、●水(みづ)、

 

【凝[ngiəng]・こる・こごる】

朝(あさ)月夜(つくよ) 清(さやか)に見(みれ)ば 𣑥(たへ)の穂(ほ)に 夜(よる)の霜(しも)落(ふり) 磐床(いはとこ)と 川(かは)の氷(ひ)凝(こごり) 冷(さむき)夜(よ)を 息(いこふ)言(こと)無(な)く、、(万79)

神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の國(くに)は 奥(おき)つ藻(も)も 靡(なび)たる波(なみ)に 塩氣(しほけ)のみ 香(か)をれる國(くに)に 味凝(うまこり) あやに乏(ともし)き 高照(たかてらす) 日(ひ)の御子(みこ)(万162)

 

 古代中国語の「凝」は凝[ngiəng] である。日本語の凝(こる)は中国語の凝[ngiəng] から派生したことばであろう。古代の日本語では濁音は語頭に来ないから清音を添加して凝(こごり)としたものである。

 中国語の疑母[ng-] が日本語でカ行清音であらわれることがある。

 例:言[ngian] こと・かたる、兒[ngye] こ、雁[ngean] かり、牙[ngea] きば、

     顔[ngiuan]貌・かほ、瓦[ngoai]礫・かはら、

 また、韻尾の[-ng]がラ行であらわれる例としては次のような例をあげることができる。

 例:狂[giuang] くるふ、經[kyeng] へる、城[zjieng] しろ、香[xiang] かをり、

      [huang] ほろ、広[kuang] ひろい、平[bieng] ひら、 [kyeng] かるい、

○同源語:

夜(よる)、清 (さやか)、見(みる)、霜(しも)、降(ふる・<落>)、床(とこ)、川(かは・<訓>)、氷(ひ)、息(いこ)ふ、言(こと)、無(な)く、神(か み・<坤>)、國(くに・<県・郡>)、澳(おき・<奥>)、靡(なび)く、浪(なみ)、潮(しほ)、香(か)をる、味凝(うまこり)、照(てる)、御子 (みこ)、●朝(あさ)、月(つき)、日(ひ)、

 

【此[tsie/xie*]・是[zjie/hie*]・これ】

五更(あかとき)の目不酔草(めさましぐさ)と此(これ)をだに見(み)つつ座(いまし)て吾(われ)を偲(しのば)せ(万3061)

此(これ)是(こ)の倭(やまと)にしては我(わが)戀(こふ)る木路(きぢ)に有(ありと)云(いふ)名(な)に負(おふ)勢能山(せのやま)(万35)

 

 「此」の古代中国語音は此[tsie] である。日本語の「これ」には是[zjie] や之[tjiə] が用いられる。「此」「是」の祖語(上古音)は此[xie*]、是[hie*] に近い音であったと思われる。中国語の喉音[x][h] は上古音は破裂音であったものが、隋唐の時代になって介音[i]の発達によって摩擦音化した。日本語の「これ」は中国語の「此」あるいは「是」の上代音を継承したものであり、此(シ)、是(ゼ)は摩擦音化した唐代の音に依拠している。

○同源語:

暁時(あかとき・<五更>)、目(め)、醒(さめる・<不酔>)、見(みる)、吾(われ)、我(わが)、名(な)、負(おふ)、山(やま)、●云(いふ)、

 

【聲[sjieng/khyeng*]・こゑ・<馨>】

朝霞(あさがすみ)鹿火屋(かひや)が下(した)に鳴(なく)蝦(かはづ)聲(こゑ)だに聞(きか)ば吾(われ)将戀(こひめ)やも(万2265)

氏河(うぢかは)は与杼(よど)湍(せ)無(なから)し阿自呂(あじろ)人(ひと)舟(ふね)召(よばふ)音(こゑ)をちこち所聞(きこゆ)(万1135)

 

 「聲」の古代中国語音は聲[sjieng] である。同じ声符をもった漢字に馨[khyeng] があり、「聲」の祖語(上古音)は声[khyeng*] に近い音があったものと推測できる。それが介音[i] の発達によって摩擦音化して聲[sjieng] になった。日本語の声(こえ)は上古音[khyeng*] を継承したものであり、声(セイ)は唐代の漢字音に依拠したものである。

 台湾の音韻学者、董同龢は『上古音韻表稿』のなかで「聲」の上古音を聲[xieng]と再構している。

  音(こえ)は声(こえ)と意味が同じであり、訓借である。

○同源語:

霞霧(かすみ・<霞>)、火(ひ)、鳴(なく)、蝦(かはづ)、吾(われ)、氏(うぢ)、河(かは)、澱(よど)、無(な)き、盤(ふね・<舟>)、●朝(あさ)、

 

 





もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など