第274話  万葉語辞典・や行

【矢[sjiei]・や】

大夫(ますらを)の弓上(ゆずゑ)振(ふり)起(おこし)射(い)つる矢(や)を後(のち)将見(みむ)人(ひと)は語(かたり)繼(つぐ)がね(万364)

三雪(みゆき)落(ふる) 冬(ふゆ)の林(はやし)に 飃(つむじ)かも い巻(まき)渡(わたる)と 念(おもふ)まで 聞(きき)し恐(かしこ)く 引(ひき)放(はなつ) 箭(や)の繁(しげ)けく、、(万199)

大夫(ますらを)の得物矢(さつや)手挿(たばさみ)立向(たちむかひ)射(い)る圓方(まとかた)は見(みる)に清潔(さやけ)し(万61)

 

 日本語の「や」には「矢」が使われている。「矢」の古代中国語音は矢[sjiei] である。日本語の「や」は矢[sjiei]の頭音が脱落したものである。中国語の[s-]は口蓋化により脱落するこおが多い。

 例:舎[sjia](シャ・や)、世[sjiai](セ・よ)、山[shean](サン・やま)、

● 朝鮮語の「矢」はsalである。万葉集には「得物矢(さつや)」という表現がしばしば出てくるが、「さつ+や」の「さつ」は朝鮮語のsalと同源であろう。朝鮮語では韻尾の[-t]は規則的に[-l]であらわれる。

 「得物矢(さつや)」は朝鮮語のsal(矢)と日本語の矢(や)を併記した、いわゆる両点(二か国語併記)である。

○同源語:

弓(ゆみ)、起(おこす)、射(いる)、見(みる)、言(かたる・<語>)、續(つぐ・<継>)、挟(はさむ・<挿>)、立(たつ)、向(むかふ)、圓(まと)、●得物矢(さつや)

 

【焼[ngyô]・熾[thjiək]・やく】

冬(ふゆ)隱(こもり)春(はる)の大野(おほの)を焼(やく)人(ひと)は焼(やき)足(たらぬ)かも吾(わが)情(こころ)熾(やく)(万1336)

網(あみ)の浦(うら)の 海處女(あまをとめ)等(ら)が 焼(やく)塩(しほ)の念(おもひ)ぞ所焼(やくる)吾(わが)下情(したこころ)(万5)

 

 古代中国語の「焼」は焼[ngyô] である。同じ声符をもった漢字に繞・橈・饒[njiô] があり、焼[ngyô] [njiô] とも発音が近い。日本語の「やく」は中国語の焼[ngyô] の語頭音が介音[-y-] の影響で脱落したものである。

 韻尾の[-ô]の上古音は[-ôk]* に近く、王力の『同源字典』によると超[thô]・卓[teôk]、照[tjiô]・燿[jiôk]、燋[tziô]・爝[tziôk]などは同源であるという。

 日本語の「やく」には「熾」も用いられている。「熾」の原義は「盛ん」ということだが、「火の燃える」ことも「熾」という。「熾」の古代中国語音は熾[thjiə] あるいは[thjiək] であり、頭音[thj] が脱落したと考えれば日本語の「やく」とも通じる。

○同源語:

隠(こもる)、春(はる)、野(の)、吾(わが)、心(こころ・<情>)、網(あみ)、女(め)、潮(しほ・<塩>)、●足(たる)、

 

【樑[liang]・やな】

古(いにしへ)に樑(やな)打(うつ)人(ひと)の無有(なかり)せば此間(ここに)も有(あら)まし柘(つみ)の枝(えだ)はも(万387)、

 

 古代中国語の「樑」は樑[liang] である。日本語の「やな」は樑[liang] の頭音[l] [i] 介音の影響で脱落したものである。 

 例:柳[liu] やなぎ、良[liang] よき、陸[liuk] をか、陵[liəng] をか、

 韻尾の[ng]はナ行に転移している例。

 例:常[zjiang] つね、嶺[lieng] みね、種[diong] たね、胸[xiong] むね、

● 現代朝鮮語音では[l-] [-i-] 介音の前では規則的に脱落する。「梁」の朝鮮漢字音は梁(yang)である。

 例:李(i)、利(i)、里(i)、離(i)、理(i)、履(i)、罹(i)、臨(im)、立(ip)

同源語:

打(うつ)、無(な)き、

 

【柳[liu]・楊[jiang]・やなぎ】

春雨(はるさめ)に毛延(もえ)し楊奈疑(やなぎ)か烏梅(うめ)の花(はな)ともにおくれぬ常(つね)の物能(もの)かも(万3903)

梅花(うめのはな)取(とり)持(もち)見(みれ)ば吾(わが)屋前(やど)の柳(やなぎ)の眉(まよ)し所レ念(おもほゆる)かも(万1853)

春楊(はるやなぎ)葛山(かつらぎやまに)發(たつ)雲(くも)の立(たちても)座(ゐても)妹(いもをしぞ)念(おもふ)(万2453)

 

 「楊」の古代中国語音は楊[jiang] である。最初の歌(万3903)では「楊奈疑」と表記しているが、「楊の木」と考えたからであろう。しかし、中国語音韻史を調べてみると、中国語の韻尾[ng]は唐代以前には[‑k] に近く、「楊」は一文字で楊(やぎ)と読めたはずである。万葉集の時代には楊(ヤウ)となっていたので韻尾に「疑」を添加したものであろう。

 「柳」の古代中国語音は柳[liu] である。柳(やなぎ)は中国語の頭音[l-] が介音[-i-] の影響で脱落したものである。古代日本語にはラ行ではじまることばなかったので、頭音[l-] は脱落した。柳(やなぎ)も「柳[jiu]+の+木」の連想である。

 「楊」は川柳であり、「柳」は柳一般をさすというが、楊[jiang] と柳[liu] とは音義ともに近い。

● 「柳」の朝鮮漢字音は柳(yu)である。朝鮮語ではラ行音が語頭に立つことがなかったので語頭の[l-] は介音[-i-] を伴う場合は脱落した。

 例:柳(yu)、流(yu)、留(yu)、陸(yuk)、李(i)、利(i)、理(i)、隣(in)、日本(il-bon)、など

 「柳」の朝鮮漢字音は柳(yu) であり、楊(yang)と柳(yu)は朝鮮語では音義ともに近い。

○同源語:

春(はる)、萌(もえ)る、梅(うめ・烏梅)、花(はな)、常(つね)、物(もの・物能)、取(とる)、見(みる)、吾(わが)、眉(まよ)、葛(かつら)、山(やま)、立(たつ・<發>)、雲(くも)、妹(いも)、

 

【山[shean]・やま】

あしひきの山(やま)のしづくに妹(いも)待(まつ)と吾(わが)立(たち)所沾(ぬれぬ)山(やま)のしづくに(万107)

山常(やまと)には 村山(むらやま)有(あれ)ど 取(とり)よろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま)、、(万2)

 

 古代中国語の「山」は山[shean] である。現代北京音でも山(shan)であり、日本語で表記すれば山(シャン)に近い。日本語の「やま」は山[shean] の頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。

● 金思燁の『韓訳萬葉集』では「群山」は「mot <多くの>moi<山>」であり、「香具山」はka gu moiと訳されている。朝鮮語の山(moi)は日本語の「森」と同源であるとされている。

○同源語:

妹(いも)、吾(わが)、立(たつ)、濡(ぬれ・<沾>)る、群(むら・<村>)、取(とる)、天(あめ)、香(か)、

 

【闇[əm/iəm]・やみ】

照(てる)月(つき)を闇(やみ)に見成(みなし)て哭(なく)涙(なみだ)衣(ころも)沾(ぬらし)つ干(ほす)人(ひと)無(なし)に(万690)

闇夜(やみ)有(なら)ばうべも不來座(きまさじ)梅(うめ)の花(はな)開(さけ)る月夜(つくよ)に伊而(いで)まさじとや(万1452)

闇夜(やみのよ)に鳴(なく)なる鶴(たづ)の外(よそ)耳(のみに)聞(きき)つつか将レ有(あらむ)相(あふ)とはなしに(万592)

 

 古代中国語の「闇」は闇[əm] である。「闇」の声符は音[iəm] であることから「闇」も闇[iəm] に近い音であった可能性がある。日本語の「やみ」は中国語の闇[iəm] と同源であろう。

○同源語:

照(てる)、見 (みる)、泣(なく・<哭>)、濡(ぬら・<沾>)す、干(ほ)す、無(な)し、來(くる)、梅(うめ)、花(はな)、咲(さく・<開>)、夜(よ)、出 (いで)、鳴(なく)、耳(のみ・みみ)、合(あふ・<相>)、●月(つき・つく)、涙(なみだ)、鶴(たづ)、

 

【湯[thang]・ゆ】

湯原(ゆのはら)に鳴(なく)蘆(あし)多頭(たづ)は如レ吾(わがごとく)妹(いも)に戀(こふ)れや時(とき)不定(わかず)鳴(なく)(万961)

 

 古代中国語の「湯」は湯[thang] である。「湯」と同じ声符をもった漢字に陽[jiang]、揚[jiang]、がある。湯[thang] [i] 介音の発達によって湯[thjiang] になり、さらに頭音が脱落して湯[jiang] になったものであろう。

○同源語:

原(はら)、鳴(なく)、吾(わが)、妹(いも)、時(とき)、●鶴(たづ)、

 

【行[heang]・ゆく】

奥山(おくやま)の木葉(このは)隱(かくり)て行(ゆく)水(みづ)の音(おと)聞(ききし)従(より)常(つね)不忘(わすらえず)(万2711)

物乃部(もののふ)の八十氏(やそうぢ)河(がは)の阿白木(あじろき)にいさよふ浪(なみ)の去邊(ゆくへ)白不(しらず)も(万264)

 

 「行」の古代中国語音は行[heang] であり、日本漢字音は音が行(コウ)、訓が行(ゆく)である。漢字のなかには、同じ声符をもった漢字をカ行とア行に読み分けるものがある。ア行音は頭音[h][k]が介音[i]の発達によって脱落したものである。

例:軍[kiuən](グン)・運[hiuən](ウン)、完[huan](カン)・院[hiuan](イン)、

  黄[huang](オウ・コウ・き)、

 また、日本漢字音のなかには音訓ともに古代中国語の頭音[h]を喪失したものもある

例:往[hiuang](オウ・ゆく)、詠[hyuang](エイ・よむ)、雄[hiuəng](ユウ・を)、

  泳[hyuang](エイ・およぐ)、

 中国語音韻史によると、韻尾の[ng] の上古音は[k] に近い音であったという。日本の古地名などでは中国語の韻尾[ng] がカ行であらわれることが多い。

例:相[sinag] 模・さがみ、香[xiang] 山・かぐやま、愛宕[dang] あたご、餘稜[ləng] よろ

    ぎ、美嚢[nang] みなぎ、望[miuang] 多・まぐた、勇[jiong] 礼・いくれ、英[yang] 太・

    あがた、双[seong] 六・すごろく、

 日本語の「ゆく」は行[heang] あるいは往[hiuang] の頭音が脱落したものである。「ゆく」には去[khia] も用いられている。「去」は「行」と義(意味)が近く、訓借である。

○同源語:

奥(おく)、山(やま)、葉(は)、隠(かくる)、音(おと)、常(つね)、物(もの)、氏(うぢ)、河(かは)、浪(なみ)、邊(へ)、不知(しらず・<不白>)、●水(みづ)、

 

【弓[kiuəm]・ゆみ】

梓弓(あづさゆみ) 弓腹(ゆはら)振(ふり)起(おこし) 志乃伎羽(しのきは)を 二(ふたつ)手挟(たばさみ) 離(はなち)けむ 人(ひと)し悔(くやしも) 戀(こふ)らく思(おもへ)ば(万3302)

大夫(ますらを)の弓上(ゆずゑ)振(ふり)起(おこし)獦高(かりたか)の野邊(のへ)副(さへ)清(きよく)照(てる)月夜(つくよ)かも(万1070)

 

 古代日本語の「弓」は弓[kiuəm] である。日本語の「ゆみ」は弓[kiuəm] の頭音[k] が介音[i] の影響で脱落したものである。同じ声符をもった漢字で頭音が脱落した例もある。

 例:乞[khiət] コツ・乙[eat] オツ、渇[khat] カツ・謁[iat] エツ、

 また、日本語の訓で頭音の脱落した例もある。

 例:今[kiəm] いま、犬[khyuan] いぬ、寄[kiai] よる、居[kia] ゐる、拠[kia] よる、

     禁[kiəm] いむ、及[kiuəng] およぶ、吉[kiet] よし、

○同源語:

腹(はら)、起(おこ)す、羽(は)、手(た・て)、挟(はさむ)、悔(くや)し、獦(かり)、野(の)、邊(べ)、清(きよく)、照(てる)、夜(よる)、●月(つき)、

 

【世[sjiai]・よ】

うつせみの世(よ)の事(こと)なれば外(よそ)に見(み)し山(やま)をや今(いま)は因鹿(よすか)と思(おもは)む(万482)

遠(とほき)代(よ)に 有(あり)ける事(こと)を 昨日(きのふ)しも 将見(みけむ)がごとも 所念(おもほゆる)かも(万1807)

 

 古代中国語の「世」は世[sjiai] である。日本語の「よ」は古代中国語の世[sjiai] の語頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。日本漢字音の世(セ)では世[sjiai] の頭音が発音されている。

 中国語には「世代」という成句もあって「世」と「代」は意味が近い。代(よ)は訓借である。

○同源語:

見(みる)、山(やま)、今(いま)、因(よる)、

 

【夜[jyak]・よる】

夜(よる)光(ひかる)玉(たま)と言(いふ)十方(とも)酒(さけ)飲(のみ)て情(こころ)を遣(やる)に豈(あに)しかめやも(万346)

茜(あかね)刺(さす)日(ひ)は雖二照有一(てらせれど)烏玉(ぬばたま)の夜(よ)渡(わたる)月(つき)の隠(かく)らく惜(をし)も(万169)

渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗之(さし)今夜(こよひ)月夜(つくよ)清明(きよらけく)こそ(万15)

 

  「夜」の古代中国語音は夜[jyak] だと考えられている。同じ声符をもった漢字に液[jyak] があり、液(えき)は現在でも韻尾[k]を残している。日本語の「よる」は夜[jyak] の韻尾[k]がラ行に転移したものであろう。夜(よ・ヤ)の古代中国語の夜[jyak] の韻尾が脱落したものである。夜(よる)が古く、夜(ヨ・ヤ)が新しい。

 韻尾の[-k] がラ行であらわれる例:色[shiək] いろ、黑[xək] くろ、殻[khək] から、

 日本語では夜(ヤ)が漢字音であり、夜(よ・よる)は「やまとことば」(日本古来のことば)だと考えられているが、夜(ヤ・よ・よる)は同系のことばであろう。

○同源語:

光(ひかる)、 酒(さけ)、呑(のむ・<飲>)、心(こころ・<情>)、刺(さす)、照(てらす)、隠(かくる)、津(つ)、海(うみ)、幡(はた・<旗>)、雲(く も)、入(いる)、射(さす)、清(きよし)、●言(いふ)、日(ひ)、月(つき)、海(わた)、日(ひ)、

 

【横[hoang]・よこ】

青山(あをやま)を横(よこ)ぎる雲(くも)のいちしろく吾(われ)と咲(ゑま)して人(ひと)に所知(しらゆ)な(万688)

垣保(かきほ)なす人(ひと)の横辭(よこごと)繁(しげみ)かも不遭(あはぬ)日(ひ)數多(まねく)月(つき)の経(へぬ)らむ(万1793)

 

 古代中国語の「横」は横[hoang] である。横(オウ)は横[hoang] の頭音[h]が脱落したものであろう。中国語の韻尾[ng] の上古音は[k] に近い音であったと考えられていて、「よこ」の「こ」は上古音を継承している。

 「横」と同じ声符をもつ「黄」の古代中国語音は黄[huang] であり、日本漢字音は黄(コウ・オウ)である。黄(コウ)は頭音[h] がカ行であらわれたものであり、黄(オウ)は頭音[h] が脱落したものである。

○同源語:

山(やま)、雲(くも)、吾(われ)、知(しる)、言(こと・<辭>)、合(あふ・<遭>)、経(へる)、●日(ひ)、月(つき)、

 

【淑[zjiuk]・良[liang]・よき】

淑(よき)人の良(よし)と吉(よく)見(み)て好(よし)と言(いひ)し芳野(よしの)吉(よく)見(み)よ良(よき)人(ひと)四來(よく)三(み)(万27)

月夜(つくよ)吉(よし)河音(かはと)清(さやけ)し率(いざ)此間(ここに)行(ゆく)も不去(ゆかぬ)も遊(あそび)て将歸(ゆかむ)(万571)

 

 最初の歌(万27)は韻を遊びにした民謡風の歌である。さまざま漢字が「よき・よし」に使われている。

例:淑[zjiuk] よき、良[liang] よき、吉[kiet] よく、好[xu] よし、芳[phiuang] よし、 

 淑[zjiuk]・良[liang](よき)はいずれも介音[-i-]の発達により頭音が脱落したものである。

良(よし)は良[liang](よき)の韻尾が転移したものである。

○同源語:

見・(みる)、野(の)、夜(よ)、河(かは)、音(おと)、清(さやか)、此(こ)こ、行(ゆく・<去・歸>)、●言(いふ)、月(つき)、

 

【澱[dyen]・よどむ】

麻都良(まつら・松浦)我波(がは)奈々勢(ななせ)の與騰(よど)は与等武(よどむ)とも和礼(われ)は与騰麻受(よどまず)吉美(きみ)をし麻多(また)む(万860)

 

 上の歌の「よどむ」はいずれも音表記である。日本語の「よどむ」は中国語の澱[dyen] にあたることばであろう。古代日本語では濁音が語頭に立つことがなかったので「よ」を語頭に添加した。

○同源語:

河(かは)、我(われ)、君(きみ)、

 

【寄[kiai/kiat*]、依[iəi/iət*]、因[ien]、縁[djiuan]・よる】

大伴(おほとも)の名(な)に負(おふ)靫(ゆき)帯(おび)て萬代(よろづよ)に慿(たのみ)し心(こころ)何所(いづく)か寄(よせむ)(万480)

浪(なみ)こそ來(き)縁(よれ) 浪(なみ)のむた 彼(か)縁(より)此(かく)依(よる) 玉藻(たまも)成(なす) 依(より)宿(ね)し妹(いも)を、、

(万131)

秋田(あきのた)の穂(ほ)向(むき)の縁(よれる)異所(かた)縁(よりに)君(きみ)に因(より)なな事痛(こちたく)有(あり)とも(万114)

 

 日本語の「よる」は中国語の寄[kiai] あるいは縁[djiuan] の頭音が介音[-i-]の影響で脱落したものであろう。「よる」には依[iəi/iət*]、因[ien] も使われている。、寄[kiai] の上古音は寄[kiat*] に近い音であり、依[iəi] の上古音は依[iət*] に近い音であった考えられる。「よる」の「る」は韻尾の[t*] が転移したものである。[t] [l] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。 「縁」には「因縁」という成句もあって、音義ともに近い。

 日本語のア・ヤ・ワ行は転移しやすい。ヤ行は直音の拗音化したものである。

 例:闇(アン・やみ)、役(エキ・やく)、往(オウ・ゆく)、横(オウ・よこ)、など

○同源語:

名(な)、負(おふ)、世(よ・<代>)、心(こころ)、浪(なみ)、來(くる)、此(か)く、寐(ね・<宿>)、妹(いも)、田(た)、向(むき)、君(きみ)、言(こと・<事>)、痛(いた)き、

 

【弱[njiôk]・よわし】

玉緒(たまのを)を片緒(かたを)に搓(より)て緒(を)を弱(よわ)み乱(みだるる)時(とき)に不戀有(こひざら)めやも(万3081)

石戸(いはと)破(わる)手力(たぢから)もがも手弱(たよわ)き女(をみなにし)有(あれ)ば為便(すべ)の不知(しらな)く(万419)

 

 古代中国語の「弱」は弱[njiôk] である。日本語の「よわし」は中国語の弱[njiôk] の頭音が脱落してものである。

 弱[njiôk] は柔[njiu] と音義ともに近い。中国の音韻学者、王力は『同源字典』のなかで「柔」と「弱」は同源であるとしている。日本語では弱(よわし)・柔(やはら)であり、日本語ではいずれも頭音[nj] が脱落している。

 日本語の「よわし」「やわら」も「柔」「弱」と同系のことばである。

● 朝鮮漢字音では日母[nj] は規則的に脱落するので「弱」の朝鮮漢字音は弱(yak)であり、「柔」は柔(ju) である。日本語の「よわし」は朝鮮漢字音に近い。

○同源語:

時(とき)、手(た・て)、知(し)る、

 
 

 





もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第268話 万葉語辞典・か行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など