第267話  万葉集のなかの中国語・朝鮮語~万葉語辞典・あ行~

 万葉集二十巻の最後は歌は大伴家持の歌で終わっている。

 

 新年乃始乃 波都波流能 家右敷流由伎能 伊夜之家餘其騰(万4516)

 

 この歌は天平 宝子3年(759年)の初春に歌われたものであり、万葉集は大体この時期に成立したものと考えられている。万葉集の時代にはまだひらがなやカタカナはな かったので、漢字だけで書かれている。このため万葉集は平安時代には解読できない部分が発生しており、源順などが注釈をしている。現在高校の教科書などに は次のように漢字かな交じり文で掲載されている。

 

 新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(大伴家持)

 

 万葉集には壬申の乱(629年)くらいからの歌が集められており、万葉集の編者は『人麻呂歌集』などの、古い歌集を参考にしながら万葉集を編纂したようである。しかし、その原本は伝えられていない。

 平城京遷都(710年)以降『古事記』(712)、『日本書紀』(720)が成立しているがいずれも中国語を表記するために作られた漢字で表記されている。

 注目すべき は、万葉集以前にすでに漢詩集が編纂されていることである。日本最初の漢詩集である『懐風藻』は751年に編纂されている。懐風藻には僧侶の漢詩が多く載 せられている。752年には東大寺大仏開眼会を行われていて、漢字は仏教のひろがりとともに普及していったものと思われる。

 万葉集の時代 の日本は古墳時代の雰囲気が残っている時代であり、壁画で有名になった高松塚古墳ができたのは700年ごろとされているから、万葉歌人の時代と重なってい る。朝鮮半島の風俗も宮廷や貴族の間に入ってきていたと考えられる。文字を扱う専門職である文人(ふひと)はほとんどが朝鮮半島出身者だったともいわれて いる。

 万葉集はやまとことばで書かれているとされているが、そのやまとことばのなかには漢語起源のことばや朝鮮語との同源語が含まれていたとしても不思議はない。

 

 万葉集で使われている日本語のなかで中国語との同源語、朝鮮語と関係があると思われるを取り上げて検証する。ここに取り上げられている語彙については原則として、原文にある漢字を使っている。

 

                ○「古代中国語音」とは主として隋唐の時代の長安で規範とされた音である。

                ○「上古音」とは隋唐の時代以前の中国語音であり、星印[ *]が示されている。

                ● 印は朝鮮漢字音、あるいは朝鮮語との同源語を示す。

 

万葉語辞典・あ行

 

【我[ngai]・吾[nga]・あ・あれ】

吾(あ)を待(まつ)と君(きみ)が沾(ぬれ)けむあしひきの山(やま)の四附(しずく)に成(なら)益(まし)物(もの)を(万108)

紫草(むらさき)の尓保敝類(にほへる)妹(いも)をにくく有(あら)ば人嬬(ひとづま)故(ゆえ)に吾(あれ)戀(こひ)めやも(万21)

春(はる)去(され)ば水草(みづくさ)の上(うへ)に置(おく)霜(しも)の消(け)つつも我(あれ)は戀(こひ)度(わたる)かも(万1908)

 

 「我」「吾」の古代中国語音は我[ngai]、吾[nga] である。日本漢字音は我(ガ)、吾(ゴ)である。しかし、中国語の原音は鼻濁音で我(カ゜)、吾(コ゜)である。日本語では鼻濁音が語頭にくることがない。そのため、中国語の疑母[ng-] は脱落して我・吾(あ)となった。

「我」「吾」は我・吾(あれ・われ)としても使われこともある。音表記の歌では「阿礼、安礼、阿例」、「和礼、和例」のように表記されている。中国語の疑母[ng]は合口音であり、発音の方法が日本語のワ行に近い。

● 中国語の疑母[ng-]は朝鮮語では語頭にたつことがない音であり、介音[i]を伴う場合などは朝鮮漢字音では脱落する。

 例:我(a) 、吾(o)、魚(eo)、御(eo)

 朝鮮語の我(a)、吾(o)、魚(eo)、御(eo) 、はいずれも日本語の我(あ)、吾(あ)、魚(うお)、御(お)に近い。万葉集の時代の日本語の訓は朝鮮漢字音に近い。

○同源語:

君(きみ)、濡(ぬれる・<沾>)、山(やま)、妹(いも)、妻嬬(つま・<嬬>)、春(はる)、置(おく)、霜(しも)、消(きえる)、

 

【赤[thjiak]・あか】

赤帛(あかきぬ)の純裏衣(ひたうらごろも)長(ながく)欲(ほり)我(わが)思(おもふ)君(きみ)が不見(みえぬ)ころかも(万2972)

 

 「赤」の古代中国語音は赤[thjyak]である。日本語の赤(あか)は中国語の赤[thjyak]の語頭子音が口蓋化の影響で脱落したものだと考えられる。同じ声符をもった漢字で語頭の[th-]あるいは[d]が脱落した例をいくつかあげることができる。

 例:脱[thuat]・悦[jiuat]、抽[thiu]・由[jiu]、除[dia]・餘[jia]、秩[diet]・佚[jiet]、澤[deak]

  驛[jyak]、談[dam]・炎[jiam]、誕[dan]・延[jian]、濯[diôk]・躍[jiôk]、桶[dong]・甬[jiong]

 頭音[thj-][d-]の脱落例(訓)天[thyen](あめ)、湯[thang](ゆ)、桶[dong](をけ)、

 湯(ゆ)、桶(をけ)と同じ声符をもった漢字に陽[jaing]、甬[jiong]がある。

○同源語:

絹・巾(きぬ・<帛>)、裏(うら)、長(なが)き、我(われ)、君(きみ)、見(みる)、

 

【朝(あさ)】

朝日(あさひ)弖流(てる)佐太(さた)の岡邊(をかへ)に群(むれ)居(ゐ)つつ吾等(わが)哭(なく)涙(なみだ)息(やむ)時(とき)も無(なし)(万177)

 

● 朝鮮語で朝のことをa chimという。大野晋は『日本語の起源』(旧版)のなかで、日本語の朝(asa)と朝鮮語のa chimとは子音に音韻対応があるとしている。また、『岩波古語辞典』でも、「朝鮮語の朝(a chim)と同源か」としている。

 金思燁『韓譯萬葉集』では「朝日」a chim haeと訳されている。

○同源語:

照(てる)、岳・陵(をか・<岡>)、邊(へ)、群(むれ)、吾(わが)、泣(なく)、時(とき)、無(なし)、●日(ひ)、涙(なみだ)、、

 

【熱[njiat]・あつし】

二並(ふたならぶ) 筑波(つくば)の山(やま)を 欲見(みまくほり) 君(きみ)來(き)座(ませり)と 熱(あつけく)に 汗(あせ)かきなげ 木根(このね)取(とり)、、(万1753)

 

「熱」の古代中国語音は熱[njiat] である。中国語の日母[nj-] は朝鮮語音では規則的に脱落する。

例:熱(yeol)、肉(yuk)、児(a)、耳(i)、乳(yo)、日(il)、若(yak)、柔(yu)、譲(yang)、入(ip)など、

 日本語の熱(あつい)、若(わかい)、柔(やわら)、譲(ゆずる)、入(いる)などは中国語の日母[nj-] の脱落したものである。

同源語:

山(やま)、見(みる)、君(きみ)、来(くる)、根(ね)、取(とる)、

 

【合[həp]・あふ】

左散難弥乃(ささなみの)志我(しが)の大和太(わだ)与杼六(よどむ)とも昔人(むかしのひと)に亦(また)も相(あは)めやも(万31)

戀(こひし)けく氣(け)長(ながき)物(もの)を合有(あふべかる)夕(よひ)だに君(きみ)が不來益有(きまさざる)らむ(万2039)

風(かぜ)不吹(ふかぬ)浦(うら)に浪立(なみたち)無(なき)名(な)をも吾(われ)は負(おへる)か逢(あふ)とは無(なし)に(万2726)

月かさね吾(わが)思(おもふ)妹(いもに)會(あへる)夜(よ)は今(いま)し七夜(ななよを)續(つぎ)こせぬかも(万2057)

中々(なかなか)に 辭(こと)を下延(したばへ)遇(あはぬ)日(ひ)の 數多(まねく)過(すぐれ)ば、、(万1792)

 

 万葉集では日本語の「あふ」に相[siang]・合[həp]・逢[biong]・會[huat]・遇[ngio]、が使われている。「相」がもっとも多く使われているが、「相」は日本語の「あふ」とは音が乖離している。

 相[siang] は省[sieng] と音義が近く、中国語では「視る」という意味である。万葉集で多く使われている相[siang]の祖語は相[xang*] に近い音であったのではなかろうか。相[xiang]*[i]介音の発達により相[xiang*]となり、それが唐代には摩擦音化して相[sieng]になったと考えられる。

 中国語の[h][x] は喉音であり脱落することがある。

例:回(カイ・ヱ)、懐(カイ・ヱ)、黄(コウ・オウ)、行(コウ・ゆく)、横(オウ・ゆ

  く)、恨(コン・うらむ)、

○同源語:

浪(なみ)、澱(よどむ)、長(ながい)、物(もの)、君(きみ)、來(くる)、立(たつ)、無(な)き、名(な)、吾(われ)、妹(いも)、夜(よる)、今(いま)、續(つぐ)、言(こと・<辭>)、●日(け・<氣>)、

 

【天[thyen]・あめ】

秋風(あきかぜの)吹(ふき)ただよはす白雲(しらくも)は織女(たなばたつめ)の天(あま)つ領巾(ひれ)かも(万2041)

天原(あまのはら)振(ふり)放(さけ)見(みれ)ば大王(おほきみ)の御壽(みいのち)は長(ながく)天足(あまたらし)たり(万147)

 

 「天」の古代中国語音は天[thyen] である。中国語の声母[th] は有気音(閉鎖音のあと強い吐気を発する)であり、日本語にはない音である。声母[th] は後に[y] などの介音が来るとき脱落することがある。日本語の天(あま)は古代中国語の声母透[th] が脱落したものである。

 同じ声符をもった漢字でも口蓋化の影響で頭音の脱落したものがみられる。

声母[th-]脱落の例:脱[thuat]・悦[jiuat]、痛[thong]・俑[jiong]、他[thai]・也[jia]、湯[thang]

   陽[jiang]、抽[thiu]・由[jiu]

○同源語:

雲(くも)、女(め)、天(あめ)、原(はら)、見(みる)、王(きみ)、御(み)、長(なが)き、●足(たる)

 

【海部[xuə/(h)muə*]・海人・あま】

然(しか)の海部(あま)の礒(いそ)に苅(かり)干(ほす)名告(なのり)藻(そ)の名(な)は告(のり)てしを何如(なにか)相(あひ)難(がた)き(万3177)

然(しかの)海人(あま)は軍布(め)苅(かり)塩(しほ)焼(やき)無レ暇(いとまなみ)髪梳(くしげ)の小櫛(をぐし)取(とり)も不レ見(みな)くに(万278)

大王(おほきみ)の塩(しほ)焼(やく)海部(あま)の藤衣(ふぢころも)穢(なれ)は雖レ為(すれども)弥(いや)めづらしも(万2971)

 

 「海」の古代中国語音は海[xuə] である。海の声符は毎[muə] であり、隋唐の時代以前の上古中国語音には語頭に入り渡り音[x-]あるいは[h-]があったものと考えられる。毎[hmuə*]の入り渡り音が発達したものが海[xuə](カイ)であり、入り渡り音が退化したものが毎[muə](マイ)になった。

 海女(あま)は海[muə] の頭音に母音(あ)を添加したものであろう。マ行音の語頭には母音(う)が添加されることもある。海(うみ)、梅(うめ)、馬(うま)、などがその例である。

● 金思燁『韓譯萬葉集』では最初の歌(万3177)の「海部(あま)」はeo pu<漁夫>と訳している。中国語の漁夫[ngia piua] であり、朝鮮漢字音の漁夫(eo pu)は漁[ngia] の頭音が脱落したものである。朝鮮語では濁音が語頭にくることはないので中国語の疑母[ng] は次に[i] 介音がくるときは規則的に脱落する。

  二番目の歌(万278)の「海人(あま)」はhae nyoeと訳している。hae nyeoは音訳でhae(海)nyeo(女)である。

 三番目の歌(万2971)の「海人(あま)」はpa tas sa ramと訳している。pa taは朝鮮語の「海」であり、sa ramは「人」である。

○同源語:

苅(かる)、干(ほす)、名(な)、潮(しほ)、焼(やく)、無(なし)、取(とる)、見(みる)、王(きみ)、弥(いや)、●告(のる)、

 

【網[miuang]・あみ】

ひさかたの天(あま)歸(ゆく)月(つき)を網(あみ)に刺(さし)我大王(わごおほきみ)は蓋(きぬがさ)にせり(万240)

霍公鳥(ほととぎす)雖聞(きけども)不足(あかず)網取(あみとり)に獲(とり)てなづけなかれず鳴(なく)がね(万4182)

 

 「網」の古代中国語音は網[miuang] である。日本語の網(あみ)は頭子音[m]の前に母音「あ」が添加されたものである。中国語の明母[m]は日本語の訓では母音が添加されることが多い。[m-]の前に母音(あ)が添加された例としては、網[miuang] のほかに、虻[meang](あむ)、母[mə](あも)、海[hmuə*]人(あま)などをあげることができる。韻尾の[-ng] は失われている。

○同源語:

天(あめ)、行(ゆく)、刺(さ)す、我(わが)、王(きみ)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、取(とる)、鳴(なく)、

 

【母[mə]・あも】

都乃久尒(津の國)の宇美(うみ・海)の奈伎佐(なぎさ)に布奈餘曾比(ふなよそひ・船装)たしでも等技(とき・時)に阿母(あも)が目(め)もがも(万4383)

 

 この歌の阿母(あも)は「母」のことである。万葉集では母[mə] は「あも」「おも」「はは」などと呼ばれている。「あも」「おも」は中国語の母[mə]の語頭に母音が添加されたものである。

 

祖名(おやのな)も 繼(つぎ)徃(ゆく)物(もの)と 母父(おもちち)に 妻(つま)に子等(こども)に 語(かたらひ)て 立(たち)にし日(ひ)より たらちねの 母(ははの)命(みこと)は、、(万443)

 

●朝鮮語の「母」は母(eo meo ni)である。母(eo meo ni)(ni)は女[mjia]であろう。日本語の母(あも・おも)、中国語の母[mə]と同系のことばである。

○同源語:

津(つ)、海(うみ)、盤(ふね)、時(とき)、目(め)、名(な)、続(つぎ・つぐ・<継)、徃(ゆく)、物(もの)、妻(つま・<妻女>)、子(こ・<兒>)、等(ども)、言(かたる)、立(たつ)、命(みこと・<命人>)、●日(ひ)、

 

【綾[lieng]・あや】

錦(にしき)綾(あや)の 中(なか)につつめる 齊兒(いはひご)も 妹(いも)に将及(しかめや)、、(万1807)

 

 「綾」の古代中国語音は綾[liəng] である。綾は光る部分と光らない部分をつくり、模様を織りだす絹織物である。

 日本語の綾(あや)は中国語の綾[liəng]の頭音が介音[i]の影響で脱落したものである。

例:柳[liu](やなぎ)、梁[liang](やな)、陸[liuk](をか)、陵[liəng](をか)、良[liang](よ

  き)、

● 朝鮮漢字音では中国語の[l-]は次に介音[i] を伴う場合は規則的に脱落する。(介音[i] を伴わない場合は[n-] に転移する。)

例:柳(yu)、梁(yang)、陸(yuk)、良(yang)、両(yang)、旅(yeo)、力(yeok)、歴(yeok)、連(yeon)、  

  (yeon)、戀(yeon)、列(yeol)、劣(yeol)、猟(yeop)、領(yeong)、零(yeong)、例(ye)

○同源語:

中(なか)、兒(こ)、妹(いも)、

 

【嵐[lam]・あらし】

窓(まど)超(ごし)に月(つき)おし照(てり)てあしひきの下風(あらし)吹(ふく)夜(よ)は公(きみ)をしぞ念(おもふ)(万2679)        

 

 この歌では「あらし」に「下風」が用いられている。日本語の「あらし」は「嵐」と関係のあることばであろう。

 「嵐」の古代中国語音音は嵐[lam] である。古代日本語ではラ行音が語頭にくることはなかったので、母音「あ」を添加して、「あらし」とした。

 「嵐」と同じ声符をもった漢字に風[piuəm] がある。李思敬の『音韵』(商務印書館、1985)によると「風」の上古音は風[plam*] であったという。日本語の嵐(あらし)は風[plam*]の頭音が脱落したものである。

● 現代の朝鮮語で「風」はpa ramであり、上古中国語音の痕跡を留めている。

○同源語:

照(てる)、夜(よ)、公(きみ)、●月(つき)、

 

【如何[njia hai]・いかに】

二人(ふたり)行(ゆけ)ど去(ゆき)過(すぎ)難(がた)き秋山(あきやま)を如何(いかにか)君(きみ)が獨(ひとり)越(こゆら)む(万106)

 

 古代中国語の「如何」は如何[njia-hai] である。日本語の如何(いか)漢語であり、「いかに」の「い」は如[njia]の頭音が脱落したものである。

● 古代中国語の日母[nj-] は朝鮮漢字音では規則的に脱落する。「如何」の朝鮮漢字音は如何(yeo ha)であり、日本語の如何(いかに)は朝鮮漢字音と同じである。

 記紀万葉の時代の史(ふひと)は朝鮮半島出身の人が多く、八世紀の日本語は朝鮮語音の影響を強く受けている。

日母[nj-]の朝鮮漢字音の例:日(il)、潤(yun)、熱(yeol)、若(yak)、柔(yu)、譲(yang)、入(ip)

 日本語の潤(うるおふ)、熱(あつい)、若(わかい)、柔(やはら)、譲(ゆづる)、入(いる)も中国語と同源であり、朝鮮漢字音と読み方が同じである。

○同源語:

行(ゆく)、山(やま)、君(きみ)、越(こゆ)、

 

【息[siək]・いき】

日(ひる)は うらさび 晩(くら)し 夜(よる)は息(いき)衝(づき)明(あか)し雖嘆(なげけども) 為便(せむすべ)不知(しらに)、、(万213)

黒(くろ)かりし 髪(かみ)も白(しら)けぬ ゆなゆなは 氣(いき)さへ絶(たえ)て 後(のち)遂(つひに) 壽(いのち)死(しに)ける、、(万1740)

 

 万葉集では「いき」は息、伊企、伊伎、伊吉、氣などと表記されている。日本語の「いき」は中国語の息[siək]と同源であろう。心母[s]、山母[sh] などの頭音は介音[-i-]の前では脱落しやすい。

 例:秈[shean](セン・いね)、山[shean](セン・やま)、色[shiək](ショク・いろ)、生

   [sheng](セイ・ショウ・いく・いきる)、宵[siô](ショウ・よひ)、夕[zyak](セキ・

   ゆふ)、矢[sjiei](シ・や)、世[sjiat/sjiai](セ・よ)、逝[zjiat/zjiai](セイ・ゆく)、

   洗[syən](セン・あらう)、舎[sjia](シャ・や)、相[siang](ソウ・あふ)など

 日本語でサ行で発音される漢字のなかには中国語音が照母[tj-]、神母[dj-]に由来するものもある。

 例:射[djyak/djyai](シャ・いる)、折[tjiat](セツ・をる)、織[tjiək](ショク・おる)、

 同じ声符の漢字をサ行とヤ行に読みわけている漢字もある。

 例:除(ジョ)・餘(ヨ)、序(ジョ)・予(ヨ)、施(シ)・也(ヤ)、侈(シ)・移(イ)、

   失(シツ)・佚(イツ)など

 同じ声符号の漢字の音に頭音の脱落したものとそうでないものがあることから、このような頭音の脱落は日本に来てからおこったものではなく、なく中国で隋唐の時代以前に起こっていたものと考えられる。

○同源語:

夜(よる)、衝(つく)、嘆(なげ)く、知(し)る、黒(くろ)い、断(たえる・<絶>)、死(し)ぬ、●日(ひる・ひ)、

 

【生[sheng]・いきる】

生死(いきしに)の二海(ふたつのうみ)を厭(いとはし)み潮干(しほひ)の山(やま)を之努比(しのび)つるかも(万3849)

死(しに)も生(いき)も 公(きみ)がまにまと 念(おもひ)つつ 有(あり)し間(あひだ)に、、(万1785)

 

 古代中国語の「生」は生[sheng] である。日本漢字音は生(セイ・ショウ・いきる)である。中国語の[sh][sj][si] などの音は口蓋化によって頭音が脱落することが多い。

 例:釋[sjyak]・驛、舒[sjia]・預[jia]、錫[syek]・易[jiek]、秀[siu]・誘[jiu]

   詳[ziang]・羊[jiang]、誦[ziong]・甬[jiong]、涎[zian]・延[jian]

 

 日本漢字音でも訓では頭母音が脱落した例がいくつかみられる。

 例;山[shean](セン・やま)、矢[sjiei](シ・や)、世[sjiat](セ・よ)、宵[siô](ショウ・ 

   よひ)、洗[syən](セン・あらふ)、相[siang](ソウ・あふ)、赦[sjyak](シャク・

   ゆるす)、逝[zjiat](セイ・ゆく)、

 

 日本語の「いきる」も、生[sheng] の頭音が脱落し、韻尾の[ng] がカ行に転移したと考えれば、中国語の「生」と同系のことばである可能性がある。

○同源語:

死(しに)す、海(うみ)、潮(しほ)、干(ひる)、山(やま)、

 

【幾[kiəi]・いく】

相(あひ)見(み)ては幾日(いくか)も不經(へぬ)をここだくも久流比(くるひ)に久流必(くるひ)所念(おもほゆる)かも(万751)

白浪(しらなみ)の濱松(はままつ)が枝(え)の手向(たむけ)草(くさ)幾代(いくよ)までにか年(とし)を經(へ)ぬらむ(万34)

 

 「幾」の古代中国語音は幾[kiəi] である。日本語の「いく」は幾[kiəi]に母音「い」を添加したものであろう。同様の例としては次のようなものをあげることができる。

 例:垢[ko](あか)、碁[giə](いご)、気[khiət](いき)、起[khiə](おきる)、

○同源語:

合(あふ・<相>)、見(みる)、經(へる)、浪(なみ)、濱(はま)、手(て)、向(むけ)る、世(よ)、●日(か・ひ)、

 

【痛[thong]・いたし】

今朝(けさ)の旦開(あさけ)鴈(かり)が鳴(ね)聞(きき)つ春日山(かすがやま)黄葉(もみちに)けらし吾(わが)情(こころ)痛(いた)(万1513)

霞(かすみ)立(たつ) 長(ながき)春日(はるひ)の 晩(くれに)ける わづきも之良受(しらず) 村(むら)肝(きも)の 心(こころ)を痛(いた)み、、、(万5)

 

 「痛」の古代中国語音は痛[thong] である。日本語の痛(い+たし)は中国語の痛[thong] の語頭に母音「い」を添加したものであろう。悼(い+たむ)も悼[dô]の語頭に母音「い」が添加されたものである。

 古代日本語では濁音が語頭にくることはなかった。そのため、語頭に濁音のある語には母音が添加された。出[thiuət] 出(い+づる)となり、泉[dziuan] は泉(い+づみ)となったと考えることができる。

○同源語:

鴈(かり)、音(ね・<鳴>)、山(やま)、吾(わが)、心(こころ)、霞霧(かすみ・<霞>)、立(たつ)、長(なが)い、春(はる)、昏(くれ)、不知(しらず)、郡(むら・<村>)、肝(きも)、●朝・旦(あさ)、日(ひ)、

 

【至[tjiet]・到[tô]・いたる】

渡守(わたりもり)船(ふね)度(わた)せをと呼(よぶ)音(こゑ)の至(いたらね)ばかも梶聲(かぢのおと)の不為(せぬ)(万2072)

待(まつらむ)に到(いたら)ば妹(いも)が懽(うれしみ)と咲(ゑまむ)儀(すがた)を徃(ゆき)て早(はや)見(みむ)(万2526)

吾(わが)背子(せこ)が著(はける)衣(きぬ)薄(うすし)佐保風(さほかぜ)は疾(いたく)莫(な)吹(ふきそ)家(いへにいたる)まで(万979)

 

 「いたる」には至[tjiet]、到[tô]、及[giəp] が使われている。至[tjiet]、到[tô] は音義が近い。日本語の「いたる」は至[tjiet] に母音が添加されたものであろう。韻尾の[t] [l] に転移している。

 及[giəp] は意味は「いたる」に近いが、音が対応していない。訓借である。

○同源語:

盤(ふね・<船>)、聲(こゑ・<音>)、音(おと・<聲>)、妹(いも)、行・往(ゆく・<徃>)、見(みる)、吾(わが)、巾・絹(きぬ・<衣>)、

 

【出[thjiuət]・いづ】

あしひきの従山(やまより)出(いづ)る月(つき)待(まつ)と人(ひと)には言(いひ)て妹(いも)待(まつ)吾(われ)を(万3002)

椋橋(くらはし)の山(やま)を高(たかみ)か夜隱(よごもり)に出(いで)來(くる)月(つき)の光(ひかり)乏(ともし)き(万290)

 

 古代中国語の「出」は出[thjiuət] である。中国語の頭音[th-] は中国語音韻学で次清音と呼ばれるもので、日本語では濁音であらわれることが多い。古代日本語では語頭に濁音がくることがなかったから、出(でる)には母音「い」が添加された。出(いづる)の「る」は中国語の韻尾[t]の転移したものである。中国語には[l]という韻尾はないが、[t][l]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

○同源語:

山(やま)、妹(いも)、吾(われ)、倉(くら・<椋>)、夜(よる)、隠(こもる)、來(くる)、光(ひかり)、●言(いふ)、月(つき)、

 

【泉[dziuan]・いづみ】

家人(いへひと)に戀(こひ)過(すぎ)めやも川津(かはづ)鳴(なく)泉(いづみ)の里(さと)に年(とし)の歴(へ)去(ぬれ)ば(万696)

山代(やましろ)の泉(いづみの)小菅(こすげ)なみなみに妹(いもが)心(こころを)吾(わが)不念(おもはなくに)(万2471)

 

 古代中国語の「泉」は泉[dziuan] である。日本語の「いづみ」は一般に「出(いづ)+水(みづ)」と解釈されているが、音韻的には古代中国語の泉[dziuan] の語頭に「い」が添加されたものである。

○同源語:

鳴(なく)、經(へる・<歴>)、山(やま)、小(こ)、妹(いも)、心(こころ)、吾(わが)、

 

【猒・厭[iap]・いとふ】

何為(なにす)とか君(きみ)に猒(いとはむ)秋芽子(あきはぎ)の其(その)始花(はつはな)の歎(うれし)き物(もの)を(万2273)

霍公鳥(ほととぎす)厭(いとふ)時(とき)無(なし)菖蒲(あやめぐさ)蘰(かづらに)将為(せむ)日(ひ)従此(こゆ)鳴(なき)度(わた)れ(万1955)

 

 「猒」「厭」の古代中国語音は猒・厭[iap] であり、日本漢字音は猒・厭(エン・ヨウ・アツ・オウ・オン)である。猒・厭[iap] の祖語(上古音)は猒・厭[diap*] のような音であったのではないかと考えられる。上古音の[d-]は介音[-i-]の前ではしばしば脱落する。

例:除・余、脱・悦、桃・姚、湯・陽、蝶・葉、談・炎、

 中国語の韻尾[-p]は日本漢字音ではタ行で現われることが多い。

例:立[liəp]・リツ、湿[siəp]・シツ、接[tziap]・セツ、摂[siap]・セツ、など

 結論として、日本語の「いとふ」は中国語の猒・厭[iap]と同源である。

○同源語:

君(きみ)、芽子(はぎ)、其(そ)の、花(はな)、物(もの)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、時(とき)、無(な)し、葛(かづら・<蘰>)、此(これ)、鳴(なく)、

 

【寐[muət]・いぬ・ぬる】

阿騎(あき)の野(の)に宿(やどる)旅人(たびびと)打(うち)靡(なびき)寐(い)も宿(ね)らめやも古部(いにしへ)念(おもふ)に(万46)

山(やま)越(こし)の風(かぜ)を時(とき)じみ寐(ぬる)夜(よ)不落(おちず)家(いへ)なる妹(いも)を懸(かけ)てしのびつ(万6)

 

 一番目の歌(万46)では「寐(い)も寝(ねら)め」と「寐」を寐(い)、「寝」を寝(ねる)と読ませているが、日本語の「いぬ」は寐[muət] の語頭に母音が添加されたものである。寐[muət] も寝[tsiəm] も意味は「ねる」である。中国語の明母[m] は日本語ではしばしばナ行であらわれる。

 例:無[miua] ない、名[mieng] な、鳴[mieng] なく、眠[myen] ねむる、

 日本語の「ねる」に近いことばには眠[myen] がある。「眠」は「ねむる」ことである。

○同源語:

野(の)、打(うつ)、靡(なびく)、山(やま)、越(こす)、時(とき)、夜(よる)、妹(いも)、懸(かける)、

 

【秈[shean]・いね】

住吉(すみのえ)の岸(きし)を田(た)に墾(はり)蒔(まきし)稲(いね)さて及苅(かるまでに)不相見(あはぬ)公(きみ)かも(万2244)

戀(こひ)つつも稲葉(いなば)搔(かき)別(わけ)家(いへ)居(をれ)ば乏(ともしくも)不有(あらず)秋(あき)の暮(ゆふ)風(かぜ)(万2230)

 

 「稲」の古代中国語音は稲[du] であり、日本語の稲(いね)とは音韻的に関係はなさそうである。しかし、弥生時代に稲(いね)が中国から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたことは間違いないことである。スウェーデンの言語学者カールグレンは、日本語の「いね」の語源は秈[shean] の語頭音が脱落したものではないかと提案している。「秈」は「うるち米」のことである。山[shean] の声母は脱落することが多いので、この説明はかなり説得力がある。中国語の[sh-][sj-]が脱落する例としては次のようなものをあげることができる。

 例:山[shean](サン・やま)、色[shiək](シキ・いろ)、生[sheng](セイ・ショウ・いき

   る)、矢[sjiei](シ・や)、世[sjiat](セ・よ)、宵[siô](ショウ・よひ)、夕[zyak](セ

   キ・ゆふ)、相[siang](ソウ・あふ)、息[siək](ソク・いき)、

 同じ声符をもった漢字でもサ行の頭音が脱落するものがみられる。

 例:説・悦、徐・余、舒・野、涎・延、詳・羊、

同源語:

田(た)、墾(はり)、播(まく・<蒔>)、苅(かる)、合(あふ・<相>)、公(きみ)、葉(は)、

 

【犬[khyuan]・いぬ】

吾(わが)待(まつ)公(きみを) 犬(いぬ)莫(な)吠(ほえ)そね(万3278)

狗上(いぬかみ)の鳥籠山(とこのやま)なる不知也河(いさやがは)不知(いさ)二五(とを)寸許瀬(きこせ)余(わが)名(な)告(のらす)な(万2710)

 

 「犬」古代中国語音は犬[khyuan] である。見母[k-]、渓母[kh-] の語頭音も次に[-i-][-y-] などの介音が来ると脱落することが多い。王力は『同源字典』で影[yang] と景[kyang] は同源であるとしている。

 例:奇[kiai](キ)・椅[iai](イ)、季[kiuet/kiuei](キ)・委[iuai](イ)、貴[kiuəi](キ)・

  遺[jiuəi](イ・ユイ)などである。国[kuək](コク)・域[hiuək](イキ)、黄[huang](コ

  ウ・オウ)、

 中国語で頭音[k]が脱落するばかりでなく、日本語の訓でも頭音[k]が脱落する例がみられる。いずれも介音[i]の発達と関係があるようである。

 例:弓[kiuəm]・(キュウ・ゆみ)、今[kiəm]・(コン・いま)、寄[kiai]・(キ・よる)、居[kia]

  (キョ・ゐる)、挙[kia]・(キョ・あげる)、禁[kiəm]・(キン・いむ)、

 日本語の「いぬ」は犬[khyuan] の頭音が脱落したものであり、「犬」と同源である。狗[ko] は現代の中国語では「犬」一般に使われているが、原義は「子犬」である。

○同源語:

吾(わが)、公(きみ)、莫(な)、吠(ほえ)る、鳥(とり)、籠(こ・かご)、山(やま)、名(な)、

 

【言・いふ】

乞(いで)如何(いかに)吾(わが)幾許(ここだく)戀(こふ)る吾妹子(わぎもこ)が不レ相(あはじ)と言(いへ)る事(こと)も有(あら)莫(な)くに(万2889)

 

● 朝鮮語の「いふ」はmal-ha-daである。malは朝鮮語で「ことば」の意味である。malは動詞になるとmal-ha-daとなる。

 朝鮮語のmalは中国語の言[ngian] と関係のあることばではあるまいか。中国語の疑母[ng] は調音の方法が明母[m] 同じであり、韻尾の[n] [l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 一方、朝鮮語訳にはip<口>ということばがある。「口にする」というような使い方もあり、日本語の「いふ(言)」は朝鮮語のipと同系のことばではないかという説もある。

 ヨーロッパの言語でも英語のlanguage、ラテン語のlingua<ことば>はtongue<舌>と関係のあることばである。

○同源語:

吾(わが)、吾妹子(わぎもこ)、合(あふ・<相>)、莫(な)、●如何(いかに)、

 

【今[kiəm]・いま】

今更(いまさらに)何(なに)をか将念(おもはむ)打(うち)靡(なびく)情(こころ)は君(きみ)に縁(より)にし物(もの)を(万505)

秋(あき)去(さら)ば今(いま)も見如(みるごと)妻戀(つまごひ)に鹿(か)将レ鳴(なかむ)山(やま)そ高野原(たかのはら)の宇倍(うへ)(万84)

 

 「今」の古代中国語音は今[kiəm] である。日本語の今(いま)も中国語の頭子音が脱落したものである。

○同源語:

打(うつ)、靡(なび)く、心(こころ)、君(きみ)、縁(よる)、物(もの)、見(みる)、妻女(つま・<妻>)、鳴(なく)、山(やま)、野(の)、原(はら)、

 

【未[miuət]・いまだ】

暁(あかとき)と夜烏(よがらす)雖鳴(なけど)此(この)山上(もり)の木末(こぬれ)の於(うへ)は未(いまだ)静(しづけ)し(万1263)

妹(いもが)門(かど)入(いり)出見(いづみ)川(かは)の床奈馬(とこなめ)に三雪(みゆき)遺(のこれり)未(いまだ)冬(ふゆ)かも(万1695)

 

 「未」の古代中国語音は未[miuət] である。中国語の明母[m] は古代日本語では語頭に母音が添加されることが多い。日本語の「いまだ」は中国語の「未」と音義ともに近く、同源である。

 例:夢[miuəng] いめ、妹[muət] いも、梅[muə] うめ、馬[mea] うま、味[miuət] うま

   し、美[miei] うまし、埋[məi] うもる、

○同源語:

暁時(あかとき・<暁>)、夜(よる)、烏(からす・<鴉+隹>)、鳴(なく)、此(こ)の、静寂(しづか・<静>)、妹(いも)、門(かど)、入(いる)、出(でる)、見(みる)、床(とこ)、馬(め・うま)、

 

【禁[kiəm]・いむ】

隠沼(こもりぬ)の従裏(したゆ)戀(こふれ)ば無乏(すべをなみ)妹(いもが)名(な)告(のりつ)忌(いむべき)物(もの)を(万2441)

 

 「忌」の古代中国語音は忌[giə] である。記紀万葉では「いむ」に忌、斎などの文字が用いられているが、『名義抄』には「禁、諱、忌、斎・イム」としてあり、日本語の「いむ」は音義ともに禁[kiəm] に近い。「いむ」は禁[kiəm] の頭音が脱落したものであろう。禁忌は成語であり、日本語の「いむ」は「禁」「忌」と同源であろう。

○同源語:

隠(こもる)、無(な)む、妹(いも)、名(な)、物(もの)、●沼(ぬま)、告(のる)、

 

【夢[miuəng]・いめ】

夢(いめ)の相(あひ)は苦有(くるしかり)けり覺(おどろき)て掻(かき)探(さぐれ)ども手(て)にも不觸(ふれね)ば(万741)

あしひきの夜麻(やま・山)伎(き・来)敝奈利(へなり・隔)て等保(とほ・遠)けども許己呂(こころ)し遊氣(ゆけ・行)ば伊米(いめ)に美要(みえ)けり

(万3981)

 

 「夢」の古代中国語音は夢[miuəng] である。日本漢字音は夢(ム・ボウ・いめ・ゆめ)である。万葉集の「いめ」は夢[miuəng] の語頭に母音が添加され、韻尾の[ng] が失われたものである。

○同源語:

合(あふ)、苦(くる)しき、索(さぐる・<探>)、手(て)、山(やま)、来(くる)、心(こころ)、行(ゆく)、見(みえる)、

 

【妹[muət/muəi]・いも】

石見乃(いはみの・野)や高角山(たかつのやま)の木際(このま)より我(わが)振(ふる)袖(そで)を妹(いも)見(み)つらむか(万132)

言(こと)不問(とはぬ)木(き)すら妹(いも)と兄(せ)と有(ありと)云(いふ)を直(ただ)獨子(ひとりご)に有(ある)が苦(くるし)さ(万1007)

妹(いも)が名(な)も吾(わが)名(な)も立(たた)ば惜(をしみ)こそ布仕(ふじ)の高嶺(たかね)の燎(もえ)つつ渡(わたれ)(万2697)

 

 古代日本語の「いも」は男から妻や恋人、姉妹などの親しい女性を呼ぶ名称である。「妹」古代中国語音は妹[muət] である。韻尾の[t] は唐代には失われて妹[muəi]となった。語頭の「い」は夢(いめ)、梅(うめ)、馬(うま)などのように母音が添加されたものである。  

 万葉集の時代の「妹(いも)」は現代日本語の妹(いもうと)より意味の範囲が広く、男から妻や恋人・姉妹など親しい女性を呼ぶのにも使われ、女どうしで親しんで呼ぶときにも使われている。 現代日本語の「いもうと」は「妹人」である。

● 朝鮮語にはimということばがあって「恋慕う人」という意味である。金思燁は『韓訳萬葉集』では三番目の歌(万2697)の「妹(いも)」をim<恋慕う人>と訳している。

朝鮮語のimも中国語の妹[muəi] と同源である。

 金思燁の『韓譯萬葉集』では、その意味に応じて「妹(いも)」はnim<恋人>(万508)、nae nim<私の恋人>(万1856)、keu tae<そなた>(万91)、cheo nyeo<私(謙譲語)の女>(万1886)、ma nu ra<妻>(万2982)などがあてられいている。

○同源語:

野(の)、山(やま)、我・吾(わが)、袖(そで)、見(みる)、言(こと)、子(こ)、苦(くるし)、名(な)、立(たつ)、嶺(ね・みね)、燎(もえ)る、●云(いふ)、

 

【入[njiəp]・いる】

天原(あまのはら)雲(くも)無(なき)夕(よひ)にぬばたまの宵(よ)度(わたる)月(つき)の入(いら)まく(をし)も(万1712)

 

 古代中国語の「入」は入[njiəp] である。日母[nj] は広東語や朝鮮語では脱落することが多い。また、現代北京語では日本(ri ben) のようにrに転移している。

 古代中国語の韻尾[p] は広東語や朝鮮語では保たれているが、上海語では[p][ t][ k] の区別が失われている。また、現代北京語では入声韻尾[p][t][k] は完全に失われている。日本漢字音では中国語の韻尾[p] はタ行で発音されることが多い。

例:厭[iap]アツ、立[liəp]・リツ、湿[siəp]シツ、接[tziap]セツ、摂[siap]セツ、

 日母[nj-]は転移しやすい音で、地方によっても発音が異なる。

 

古代中国語音

広東語

上海語

北京語

朝鮮漢字音

 入[njiəp]

[njiet]

[njiek]

yahp

yuht

yuhk

zek

zek

nik

ru

ri

rou

ip

il

yuk

同源語:

天(あま・あめ)、原(はら)、雲(くも)、無(な)き、夜(よ・<宵>)、●月(つき)、

 

【弥[miai]・いや】

去年(こぞ)見(み)てし秋(あき)の月夜(つくよ)は雖照(てらせれど)相(あひ)見(み)し妹(いも)は弥(いや)年(とし)放(さかる)(万211)

蘆邊(あしべより)満(みち)來(くる)塩(しほ・潮)の弥(いや)益(まし)に念(おもへ)か君(きみ)が忘(わすれ)かねつる(万617)

昔(むかひ)見(み)し象(きさ)の小河(をがは)を今(いま)見(みれ)ば弥(いよよ)清(さやけく)成(なり)にけるかも(万316)

 

 古代中国語の「弥」は弥[miai] である。「弥」の声符は爾[njiai] である。「爾」と同じ声符をもった漢字にはさまざまな読み方がある。

 例:瀰漫(ビマン)、爾(ニ・ジ)、邇(ニ・ジ)、璽(ジ)、彌(ミ)、彌生(やよい)、

 声符「爾」は時代とともに変化したものと思われる。

 瀰[miai]→(介音[-i-]の発達)→邇[njiei]→(頭音の脱落)→彌[jiai]

 彌(ミ)を彌(いや)と読むのは「爾」の頭音が脱落したものである。

●朝鮮漢字音では中国語の日母[nj-] は規則的に脱落して爾(i)、邇(i) (i)になる。日本語の弥栄(いやさか)、弥太郎(やたろう)、なども中国語の日母[nj]が脱落したものである。  

 朝鮮漢字音で日母[nj]の頭音が失われてものには次のような例がある。

 例:如(yeo)、入(ip)、弱い(yak)、柔(yu)

 これらの漢字は日本語の訓ではそれぞれ次のようになる。

 例:如何[njia-] いかに、入[njiəp] いる、弱[njiôk] よわし、柔[njiu] やわら、

○同源語:

見(みる)、夜(よる)、照(てる)、合(あふ・<相>)、妹(いも)、邊(へ)、満(みつ)、來(くる)、潮(しほ・<塩>)、君(きみ)、象(きさ・<牙+朝鮮語の牛(so)>)、小(を)、河(かは)、今(いま)、清(さやけ)し、●月(つき)、

 

【射[djyak]・いる】

大夫(ますらを)の得物矢(さつや)手挿(たばさみ)立(たち)向(むかひ)射(い)る圓方(まとかた)は見(みる)に清潔(さやけ)し(万61)

射(いゆ)鹿(しし)をつなぐ河邊(かはべ)の和草(にこぐさの)身(みの)若(わか)かへに佐宿(さね)し兒(こ)らはも(万3874)

 

 「射」の古代中国語音は射[djyak] である。日本語の射(いる)は語頭子音が脱落したものである。日本漢字音でも射(シャ)の韻尾[k] は失われている。「いる」の「る」は古代中国語の韻尾[k]の痕跡であろう。

 矢(や)も中国語の矢[sjiei]の頭音が失われたものである。

○同源語:

矢(や)、立(たつ)、向(むか)ふ、圓(まと)、見(みる)、清潔(さやけし)、河(かは)、邊(へ)、柔(にこ・<和>)、身(み)、若(わか)き、寐(ねる・<宿>)、兒(こ・<睨>)、●鹿(しし)、

 

【色[shiək]・いろ】

秋時(あきの)花(はな)種(くさぐさ)に有(あれ)ど色(いろ)ごとに見(め)し明(あき)らむる今日(けふ)の貴(たふと)さ(万4255)

色(いろに)出(いで)て戀(こひ)ば人(ひと)見(み)て應知(しりぬべし)情(こころの)中(うち)の隠妻(こもりづま)はも(万2566)

 

 「色」の古代中国語音は色[shiək] である。日本語の色(いろ)は語頭子音が脱落したものである。韻尾の[k] [l] に転移している。

 中国語の韻尾[k]がラ行であらわれるものとしては次のような例をあげることができる。

 例:射[djyak](さす)、夜[jyak](よる)、腹[piuək](はら)、織[tjiək](おる)、

○同源語:

花(はな)、見(みる)、今日(けふ)、出(いづ)、知(し)る、心(こころ)、隠(こもる)、妻女(つま・<妻>)、

 

【烏[a]・う】

上瀬(かみつせ)に 鵜(う)を八頭(やつか)漬(づけ) 下瀬(しもつせ)に 鵜(う)を八頭(やつか)漬(づけ) 上瀬(かみつせ)の 年魚(あゆ)を令レ咋(くはしめ)、、(万3330)

 

 日本語の「う(鵜)」は中国語の鴉[ea]、烏[a]に近い。鵜(う)は中国語の烏[a]と同源であろう。

○同源語:

漬(つける)、

 

【鸎[eng]・うぐひす】

春野(はるのの)に霞(かすみ)たなびきうら悲(かなし)この暮影(ゆふかげ)に鸎(うぐひす)奈久(なく)も(万4290)

春山(はるやま)の霧(きり)に惑(まと)へる鸎(うぐひすも)我(われに)益(まさりて)物(もの)念(おもはめ)や(万1892)

 

 「鸎」「鶯」の古代中国語音は鸎・鶯[eng] である。「ウグヒス」の「ウグ」は中国語の鶯[eng] に対応する。古代中国語の韻尾[ng] は調音の位置が[k][g]と同じであり、日本語の訓ではカ行であらわれることがある。 「ウグヒス」の「ス」は中国語の隹[tjiuəi] で鳥を意味する。

 日本語の古地名には中国語の韻尾[ng] をカ行であらわしているものが多い。

 例:相模(さがみ)、相楽(さがらか)、伊香(いかごが)、當麻(たぎま)、望多(まぐた)

 本居宣長は『地名字音転用例』で、地名を二字で書くようになったために、漢字音を転じて用いるようになったとしている。

 

 尋常(ヨノツネ)の假字ノ例ニテハ。二字に約(ツゞ)メガタク。字ノ本音ノマゝニテ

 ハ、其名ニ叶ヘ難キガ多キ故ニ。字音ヲサマザマニ轉ジ用ヒテ。尋常ノ假字ノ例トハ。

 異ナルガ多キコオト。相模(サガミ)の相(サガ)、信濃(シナノ)の信(シナ)ナドノ

 如シ。

 

 本居宣長は「相」は相(ソウ)が正音であり、相(サガ)が転音であるとしている。しかし、相(ソウ)は唐の時代の中国語音に準拠したものであり、相(さが)のほうが中国の上古音の痕跡を伝えているといえる。

● 朝鮮語では鳥のことを(sae)という。朝鮮語の鳥(sae)も「ウグヒス」の「ス」も中国語の「隹」と同源であろう。「ス」のつく鳥には鴉「カラス」、雉「キギス」、百舌鳥「モズ」、「カケス」、「ホトトギズ」などがある。

○同源語:

春(はる)、野(の)、霞霧(かすみ・<霞>)、影(かげ)、鳴(なく)、山(やま)、我(われ)、物(もの)、

 

【牛[ngiuə]・うし】

馬(うま)にこそ 布毛太志(ふもだし・絆)可久(かく・掛)物(もの) 牛(うし)にこそ 鼻縄(はななは)はくれ、、、(万3886)

 

● 古代中国語の「牛」は牛[ngiuə] である。朝鮮漢字音では語頭子音が脱落して牛(u)となる。また、朝鮮語では牛のことを牛(so)という。日本語の「うし」は朝鮮漢字音の牛(u)と朝鮮語の牛(so)を合わせたものであろう。

 新羅の万葉集 といわれる郷歌(ヒヤンガ)には両点といって中国語+朝鮮語訳を併記する方法がしばしば用いられている。日本でも『千字文』の冒頭にある「天地玄黄 宇宙 洪荒」を「テンチのあめつちは クエンクワウとくろく・きなり。ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり」などと読んだ。これも朝鮮半島の両 点と同じく音訓両読で、「文選読み」といった。

○同源語:

馬(うま)、絆・繙(ひも)、懸(かける)、物(もの)、

 

【氏[zjie]・うぢ】

伊尒之敝(いにしへ)よ 伊麻(いま)の乎追通(をつつ・現)に 奈我佐敝流(ながさへる・流) 於夜(おや・親)の子(こ)等毛(ども)ぞ 大伴(おほとも)と佐伯(さへき)の氏(うぢ)は、、(万4094)

物乃部(もののふ)の八十氏(やそうぢ)河(かは)の阿白木(あじろぎ)にいさよふ浪(なみ)の去邊(ゆくへ)白不(しらず)も(万264)

 

 古代中国語の「氏」は氏[zjie] である。古代日本語では濁音が語頭に來ることがなかったので、語頭に母音を添加した。

 なお、中国語音は氏[zjie] であるが、日本語では氏(うじ)となることが期待されるのだが、万葉集では氏(うぢ)とタ行になっている。同じ声符の文字に底[tyei] がある。「氏」の祖語(上古音)は氏[die*] であった可能性がある。タ行音とサ行イ段の音は万葉集の時代から混同されることがあったようである。現代の日本語では「ジ」と「ヂ」の区別は失われている。

○同源語:

今(いま)、子(こ)、等(ども)、物(もの)、河(かは)、網(あみ)、浪(なみ)、行(ゆく・<去>)、邊(へ)、不知(しらず・<白不>)、

 

【打[tyeng]・うつ】

面(おも)忘(わすれ)だにも得為(えす)やと手(た)握(にぎり)て打(うてども)寒(こりず)戀(こひと)云(いふ)奴(やつこ)(万2574)

打(うつ)田(たに)稗(ひえは)數多(あまた)雖有(ありといへども)擇(えらえ)し我(われそ)夜(よを)一人(ひとり)宿(ねる)(万2476)

 

 「打」の古代中国語音は打[tyeng] である。日本漢字音は打(ダ・うつ)である。日本漢字音が濁音の打(ダ)であることから、「打」は日本に入って来た時の音は打[dyeng] に近いものであったのではないかと考えられる。日本語は濁音ではじまることばがなかったので、語頭に「う」を添加して打(うつ)とした可能性がある。

○同源語:

面(おも)、手(て)、田(た)、稗(ひえ)、我(われ)、夜(よる)、寐(ねる・<宿>)、●云う(いふ)、

 

【馬[mea]・うま・むま】

日雙斯(ひなみしの)皇子(みこの)命(みこと)の馬(うま)副(なめ)て御(み)獦(かり)立(たた)しし時(とき)は來(き)向(むかふ)(万49)

馬音(うまのおと)のとどともすれば松陰(まつかげ)に出(いでて)そ見(み)つる若(けだし)君(きみ)かと(万2653)

玉(たま)きはる内(うち)の大野(おほの)に馬(うま)數(なめ)て朝(あさ)布麻須(ふます)らむ其(その)草(くさ)深野(ふかの)(万4)

 

 「馬」の古代中国語音は馬[mea] である。スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978)は『言語学と古代中国』(1920年・オスロ)のなかで、「馬(うま)、梅(うめ)は文化史的にも音韻学的にも、中国語からの借用語である。古代中国語の明母[m] は唇を突き出して発音した。そのため日本語では語頭に「う」が添加された。」としている。

 古代日本語では馬(むま)であった。万葉集には馬(むま)という表記もみられる。鼻濁音である[m] は古代日本語では語頭に立ちにくかった。「うま」は「宇麻」「宇万」「牟麻」とも表記されている。

 

牟麻(むま・馬)の都米(つめ・爪) 都久志(つくし)の佐伎(さき)に 知麻利(ちまり・留)為弖(ゐて・居) 阿例(あれ)は伊波々牟(いははむ・齊)、、(万4372)

 

● 朝鮮語の馬はmalである。アルタイ系騎馬民族のことばはmalが多い。モンゴル語では馬のことをmoirという。中国語の馬[mea] はアルタイ系のことばからの借用である可能性がある。

○同源語:

御子(みこ・<皇子>)、命(みこと・<命人>)、御(み)、獦(かり)、立(たつ)、時(とき)、來(くる)、向(むかふ)、音(おと)、影(かげ・<陰>)、出(いづ)、見(みる)、君(きみ)、野(の)、其(そ)の、●朝(あさ)、

 

【味[miuət]・うまし】

飯(いひ)喫(はめ)ど味(うまく)も不在(あらず)雖行徃(ゆきゆけど)安(やす)くも不有(あらず)あかねさす君(きみ)が情(こころ)し忘(わすれ)かねつも

(万3857)

 

 「味」の古代中国語音は味[miuət] である。唐の時代には韻尾の[t]は脱落して味[miuəi] になっていたと思われる。日本語の「うまし」「うまい」は中国語の味[miuəi] の語頭に母音「う」を添加したものである。日本語の未[miuət](いまだ)では韻尾[t] は失われていない。

 古代日本語では「うましくに」などということばもある。「美しい国」の意味である。「うまし国」の「うまし」はやはり中国語の美[miei] の語頭に母音「う」を添加したものである。

 中国語の頭音[m] の前に母音が添加される例としては、梅(うめ)、馬(うま)などをあげることができる。

○同源語:

行往(ゆく・<徃>)、君(きみ)、心(こころ・<情>)、

 

【海[muə/(h)muə*]・うみ】

渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗(さ)し今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)こそ(万15)

淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(なが)鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所レ念(おもほゆ)(万266)

樂浪(ささなみ)の平山(ひらやま)風(かぜ)の海(うみ)吹(ふけ)ば釣(つり)為(する)海人(あま)の袂(そで)變(かへる)所見(みゆ)(万1715)

 

 この歌は中大兄(なかのおほえ)、後の天智天皇の歌とされている。「海」の古代中国語音は海[xuə] である。しかし、「海」の声符である「毎」は毎[muə] である。隋唐の時代より前の時代の中国語音には入り渡り音[h-]があり、海・毎[hmuə*] であったのではないかと理論上想定される。入りわたり音[h-] が脱落したものが毎[muə] になり、入りわたり音[h-]が発達したものが海[xuə]になったと考えることができる。日本語の海(うみ)は海[muə] に由来するものであろう。海(カイ)は海[hmuə*] の入りわたり音[h-]を継承するものものである。

 宮田一郎編著『上海語常用同音字典』(光生館)によると上海語では現在でも「毎」「美」「馬」などの前に喉門閉鎖音[?] が聞こえるという。

 同じ声符の漢字がマ行とカ行に読み分けられているものには物[miuət]・惚[xuət]、黒[xək]・黙[mək]・墨[mək]などがある。これらのことから古代中国語の[m-] には語頭に入り渡り音があり[hm] に近い音であったことが想定できる。

 古代中国語音の明母[m] の前に入り渡り音が訓で「か行」であらわれた例として、次のようなものをあげることができる。

 例:米[mei]・(ベイ・マイ・こめ)、門[muən](モン・かど)、毛[mô](モウ・け)、

● 一番目の歌(万15)の「わたつみの」は金思燁の『韓譯萬葉集』ではhan pa da<大海>と訳されている。「わたつみ」は「海」にかかる枕詞である。「わた+つ+み」は「朝鮮語の海(pa da)+つ(助詞)+日本語の海(うみ)」の両点(二か国語併記)である。

 「伊理比(いりひ)」もかけことばになっている。「入」の朝鮮漢字音は入(ip)である。日(hae)は朝鮮語の訓(古来の朝鮮語)であるが、「日」の朝鮮漢字音は日(il)でもある。つまり、「入日」は入(ip)であるとともに朝鮮漢字音の日(il)でもある。

 万葉集で使われていることばのなかには、海(pa da)だけでなく、朝鮮語との同源語が多い。

 例:pa da(海)、pheol(幡)、ku reum(雲)、hae(日)、pam(晩)、tal(月)、

 二番目の歌(万266)の「うみ(海)」はho su<湖水>と訳されている。この歌は柿本人麻呂の歌で「淡海(あふみ)の海(うみ)」は琵琶湖のことである。万葉集の時代の日本語では湖も海と呼ばれていたことがわかる。人麻呂は近江に都があった時代のことを懐かしく思い、偲んでいる。

○同源語:

幡(はた・ <旗>)、雲(くも)、入(いる)、射(さす・<紗>)、夜(よ)、清(きよき)、浪(なみ)、千鳥(ちどり)、汝(な)、鳴(なく)、心(こころ・ <情>)、平(ひら)、山(やま)、釣(つり)、海人(あま)、袖(そで・<袂>)、見(みゆ・みる)、●日(ひ)、月(つき)、

 

【梅[muə]・うめ】

吾(わが)勢子(せこ)に令見(みせむ)と念(おもひ)し梅花(うめのはな)それとも不見(みえず)雪(ゆき)の零(ふれ)れば(万1426)

梅枝(うめがえ)に鳴(なき)て移徙(うつろふ)鸎(うぐひす)の翼(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)そ落(ふる)(万1840)

 

 古代中国語の「梅」は梅[muə] であった。日本語の「うめ」は梅[muə] の語頭に母音「う」を添加したものである。中国語の明母[m] は鼻濁音であり、古代日本語では語頭に立つことがむすかしかった。馬(うま・むめ)のように、「梅」も梅(うめ)として日本語に受け入れられた。

 梅は中国から渡来した花で万葉集では桜を詠んだ歌よりも梅をうたった歌のほうが圧倒的に多い。万葉集では「烏梅」「宇梅」「于梅」「宇米」「有米」などと語頭に母音を添加して表記されていることが多い。

 現代の日本語では五十音図の最後の「ン」が付け加えられているが、「ン」は語頭に立つことはない。「こまいぬさん「あ」「うん」では「ン」の前に、やはり母音の「う」が添加される。

○同源語:

吾(わが)、見(みる)、花(はな)、降(ふる・<零・落>)、鳴(なく)、鸎(うぐひす・<隹・す>)、

 

【芋[h(m)iua*]・蕪[miua]・うも】

蓮葉(はちすは)は如是(かく)こそある物(もの)意吉麻呂(おきまろ)が家在(いへなる)物(もの)は宇毛(うも)の葉(は)に有(あら)し(万3826)

 

 「芋」の古代中国語音は芋[hiua] である。「芋」の祖語は芋[h(m)iua*]のような音であったと想定できる。日本語の芋(うも)は入りわたりの脱落した芋[miua]の語頭に母音「う」が添加されたものであり、音の芋(ウ)は芋[hiua]の頭音[h-]が失われてものである。

 スウェーデンの言語学者カールグレンは古代中国語には語頭に二重子音があったと考えている。音ではカ行で読み、訓ではま行で読む漢字がいくつかある。

 例:見[kyan](ケン・みる)、観[kuan](カン・みる)、京[kyang](キョウ・みやこ)、

   宮[kiuəm](キュウ・みや)、看[khan](カン・みる)、曲[khiok](キョク・まがる)、

   群[giuən](グン・むれ)、胸[xiong](キョウ・むね)、向[xiang](コウ・むかふ)、

   護[hoak](ゴ・まもる)、丸[huan](ガン・まる)、回[huəi](カイ・まわる)、廻[huəi]

   (カイ・めぐる)、

 これらの漢字の祖語は入りわたり音[h-] があり、入りわたり音が発達したものがカ行になり、入りわたり音が脱落したものがま行になったと考えると整合的に説明ができる。

 もう一つの想定は、日本語の「いも」は中国語の芋[hiua]+蕪[miua]ではないかと考えることもできる。「蕪」は蕪(かぶ)である。「蕪」も祖語は蕪[(h)mua*] であり、語頭の[h-]の痕跡を残したものが訓の蕪(かぶ)であり、語頭の[h-]の失われたものが音の蕪(ブ)である。

○同源語:

荷子(はす・<蓮>)、葉(は)、物(もの)、

 

【埋[məi]・没[muət]・うもる】

真鉇(まかな)持(もち)弓削(ゆげの)河原(かはら)の埋木(うもれぎ)の不顕(あらはるましじき)事(こと)に不有(あらな)くに(万1385)

 

 古代中国語の「埋」は埋[məi] である。中国語には「埋没」という成句があって没[muət] も「うもる」という意味である。日本語の「うもる」は没[muət] の韻尾の[t] [l] に転移したものであろう。

● 朝鮮漢字音では韻尾の[t] は規則的に[l] に転移する。古代日本語でも中国語の韻尾[t] がラ行に転移する例は多い。[t][l]は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 例:苅[ngiat]かる、出[thjiuət]でる、拂[piuət]はらう、祓[buat]はらう、絶[dziuat]たえ

   る、越[huat]こえる、列[liat]つらなる、擦[tsheat]する、

○同源語:

真(ま)、弓(ゆみ)、河(かは)、原(はら)、

 

【裏[liə]・うら】

夏影(なつかげ)の房(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁(たつ)吾妹(わぎも)裏(うら)まけて吾(わが)為(ため)裁(たた)ばやや大(おほに)裁(たて)

(万1278)

 

 古代中国語の「裏」は裏[liə] である。日本語の「うら」は中国語の裏[liə]の前に母音「う」を添加したものである。古代日本語や朝鮮語では語頭にラ行の音がくることがないから、語頭に母音を添加することによって日本語として受け入れられた。

○同源語:

影(かげ)、絹・巾(きぬ・<衣>)、吾(わが)、妹(いも)、

 

【怨[iuan]・うらむ】

黄葉(もみち)をば 取(とり)てぞ思努布(しのぶ) 青(あをき)をは 置(おき)てぞ嘆(なげ)く そこし恨(うらめ) 秋山(あきやま)吾(われ)は(万16)

相(あはず)とも吾(われ)は怨(うらみじ)此(この)枕(まくら)吾(われ)と念(おもひ)て枕(まき)て左宿座(さねませ)(万2629)

 

 古代中国語の怨[iuan]、恨[hən] は音義ともに近い。日本語の「うらむ」は中国語の怨[iuan] 、恨[hən]と同源であろう。恨[hən] の頭音[h-] は脱落したものでもある。韻尾[-n]がラ行に転移した。韻尾の[-n] [-l] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。

例:巾[kiən] きれ、群[giuən] むれ、春[thjiuən] はる、昏[xuən] くれ、玄[hyuen] くろ、

  閏[njiuən] うるふ、潤[njiuən] うるおふ、濡[njio] ぬれる、練[lian] ねる、見[hmyan*]

    みる、

○同源語:

取(とる)、置(おく)、嘆(なげ)く、山(やま)、吾(われ)、合(あふ・<相>)、此(こ)の、寐(ね・<宿>)る、

 

【憂[iu]・鬱[iuət] うれふ】

草枕(くさまくら) 客(たび)の憂(うれへ)を 名草漏(なぐさもる) 事(こと)も有(あり)やと、、(万1757)

妻子(めこ)等母(ども)は 足(あと)の方(かた)に 圍(かくみ)居(ゐ)て憂(うれへ)さまよひ、、(万892)

 

 古代中国語の「憂」は憂[iu] である。憂[iu] は欝[iuət] と音義ともに近い。日本語の「うれふ」の「れ」は鬱[iuət] の韻尾[t] [l] に転移したものであろう。

○同源語:

名(な)、漏(もる)、女子(めこ・<妻子>)、等(ども)、

 

【魚[ngia]・うを】

思可能宇良(しかのうら・浦)に伊射里(いざり)する安麻(あま)伊敝妣等(いへびと)の麻知(まち)古布(こふ)らむに安可思(あかし)都流(つる・釣)宇乎(うを・魚)

(万3653)

 

 この歌の宇乎(うを)は音表記である。『和名抄』には「魚、宇乎(うを)、俗云、伊遠(いを」とあり、古代日本語では「魚」は「うを」であった。

 古代中国語の「魚」は魚[ngia] である。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかったので魚(ギョ)という読みはなかった。日本語の「うを」は中国語の魚[ngia] の頭音が失われたものであろう。

● 朝鮮漢字音では疑母[ng-]は脱落して魚(eo) となる。日本語の「うを」は朝鮮漢字音の魚(eo) と同系である。朝鮮漢字音では疑母[ng-] が介音[i] を伴う場合は規則的に脱落する。

 例:魚(eo)、御(eo)、我(a)、吾(o)、顎(ak)、牛(u)、仰(ang)

 日本語の訓でも中国語音の疑母[ng] が脱落した例がみられる。

 例:御[ngia] お、我[ngai] あ、吾[nga] あ、顎[ngak] あご、仰[ngiang] あふぐ、

 漢字音の転移のしかたは日本語と朝鮮語で似ている。このことは日本語の祖語と朝鮮語の祖語の音韻構造が似ていたことを示唆している。

 朝鮮語の「魚」の訓(古来の朝鮮語)はmul ko giである。朝鮮語では魚も肉もko giという。肉と魚を区別するときはmul ko giということもある。mulは水である。金思燁の『韓訳萬葉集』では「宇乎(うを)」をko giと訳している。

○同源語:

海人(あま)、釣(つる)、

 

【奥[uk]・おく・おき】

奥山(おくやま)の於レ石(いはに)蘿(こけ)生(むし)恐(かしこみ)と思(おもふ)情(こころ)を如何(いかにか)もせむ(万1334)

淡海(あふみ)の海(み)邊多(へた)は人(ひと)知(しる)る奥浪(おきつなみ)君(きみ)を置(おきて)は知(しる)人(ひと)も無(なし)(万3027)

淡海(あふみの)海(み)奥(おきつ)白浪(しらなみ)雖レ不レ知(しらずとも)妹所(いもがりと)云(いはば)七日(なぬか)越(こえ)來(こむ)(万2435)

 

 古代中国語の「奥」は奥[uk] である。現代の北京語音は奥(ao) である。日本語の音、奥(オウ)と訓、奥(おく)は同源である。奥(おく)の方が古く、奥(オウ)の方が新しい。

 日本語の「沖」もまた、語源は中国語の「澳」である。また、今はもう使われなくなったことばであるが燠(おき)もまた中国語語源である。「燠」は火種を火鉢の灰の中などに貯えておくもので、マッチの普及とともに死語になってしまった。

○同源語:

山(やま)、心(こころ・<情>)、海(うみ)、邊(へ)、知(し)る、浪(なみ)、君(きみ)、置(おく)、無(な)し、妹(いも)、越(こえる)、来(くる)、●如何(いか)に、云(いふ)、日(か・ひ)、

 

【起[khiə]・興[xiəng]・おきる】

吾(わが)門(かど)に千鳥(ちどり)數(しば)鳴(なく)起(おき)よ起(おき)よ我(わが)一夜妻(ひとよづま)人(ひと)に所レ知(しらゆ)な(万3873)

人眼(ほとめ)守(もる)君(きみ)がまにまに余(われ)さへに夙(つとに)興(おき)つつ裳裾(ものすそ)所沾(ぬれぬ)(万2563)

 

 古代中国語の「起」「興」は起[khiə]、興[xiəng] である。白川静の『字通』によれば「起[khiə]、興[xiəng]、熙[xiə] は声義近く、[説文]に「興は起すなり」、[爾雅、釈詁]に「熙は興なり」とあってみな興起の意がある。」とある。

 起[khiə]の頭音は有気音であり、興[xiəng] の頭音は喉音であり、いずれも日本語にはない音である。そのため語頭に母音(お)をつけて、日本語として発音しやすくした。「起」「興」は日本語の「おきる」に音義ともに近い。

○同源語:

吾・我(わが・われ・<余>)、門(かど)、千(ち)、鳥(とり)、鳴(なく)、夜(よる)、妻女(つま・<妻>)、知(しる)、眼(め)、君(きみ)、濡(ぬれ・<沾>)る、●裳(も)、

 

【置[tjiək]・おく】

夕凝(ゆふごりの)霜(しも)置(おきに)来(けり)朝(あさ)戸(と)出(で)に甚(はなはだ)踐(ふみ)て人(ひと)に所知(しらゆ)な(万2692)

宇(う・卯)の花(はな)の過(すぎ)ば惜(をしみ)か霍公鳥(ほととぎす)雨間(あまま)も置(おかず)此間(こゆ)喧(なき)渡(わたる)(万1491)

 

 古代中国語の「置」は置[tjiək] である。日本漢字音は置(チ)であるが、「置」は「直」と声符が同じであり、古代音は置[tjiək]である。日本語の「おく」は置[tjiək] の頭音が口蓋化の影響で脱落したものであろう。

 例:灼[tjiôk](シャク・やく)、射[djyak](シャ・いる)、織[tjiək]おる、折[tjiat]をる、

   眞[tjien]ま、矢[sjiei](シ・や)、舎[sjya](シャ・や)、赦[sjyak](シャ・ゆるす)、

   淑[zjiuk](シュク・よき)、身[sjien] み、色[shiək] いろ、山[shean] やま、

○同源語:

凝(こる)、霜(しも)、出(でる)、知(し)る、花(はな)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、間(ま)、此(これ)、鳴(なく・<喧>)、●朝(あさ)、

 

【堕[duai]・おつ】

其(その)雪(ゆき)の 時無(ときなきが)如(ごと) 其(その)雨(あめ)の 間無(まなきが)如(ごと) 隈(くま)も堕(おちず) 念(おもひ)つつぞ來(こし) 其(その)山道(やまみち)を(万26)

狛錦(こまにしき)紐(ひもの)片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落(おち)にける明夜(あすのよ)し将來(こむ)と云(いは)ば取(とり)置(おきて)待(またむ)

(万2356)

 

 古代中国語の堕[duai] である。古代日本語では濁音が語頭に立つことがないから語頭に母音「お」を添加した。落[lak] は義(意味)は近いが、音が対応していない。訓借であろう。「堕落」という成句があって、中国語では同義のことばを重ねて強調することが多い。「堕」も「落」も意味は同じである。

○同源語:

其(そ)の、時(とき)、間(ま)、無(な)き、來(くる)、山(やま)、繙・絆(ひも・<紐>)、方(へ)、床(とこ)、夜(よ)、取(とる)、置(おく),●云(いふ)、

 

【音[iəm]・おと】

大王(おほきみ)の御笠山(みかさのやま)の帯(おび)に為(せ)る細谷川(ほそたにがは)の音(おと)の清(さやけ)さ(万1102)

一松(ひとつまつ)幾代(いくよ)か歴(へぬ)る吹風(ふくかぜ)の聲(おと)の清(きよき)は年(とし)深(ふかみ)かも(万1042)

 

 古代中国語の「音」は音[iəm] である。中国語の韻尾[m]は日本語ではタ行であらわれることがある。琴[giəm](キン・こと)なども韻尾の[m]がタ行に転移した例である。

 日本語では中国語の韻尾[m][n]は弁別されていない [n][t]とは調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、[m][n]とは調音の方法が同じ(鼻音)である。調音の位置が同じ音や、調音の方法が同じ音は転移しやすい。日本語の音(おと)は古代中国語の音[iəm]と同源でああろう。

 二番目の歌では聲[thjieng]が日本語の「おと」にあてられている。借訓である。音と聲は発音は離れているが、「音聲」という成句もあり、義(意味)は近い。

○同源語:

王(きみ)、御(み)、山(やま)、川(かは・<訓>)、清(さやか・きよし)、世(よ・<代>)、經(へる・<歴>)、●笠(かさ)、

 

【弟[dyei]・おと】

父母(ちちはは)が 成(なし)のまにまに 箸(はし)向(むかふ) 弟(おと)の命(みこと)は、、(万1804)

 

 古代中国語の「弟」は弟[dyei] である。古代日本語は濁音ではじまることばはなかったので語頭に母音「お」が添加されて弟(おと)となった。万葉集の時代には弟(おと)は男女の別なく、弟と妹について使われた。現代日本語の「おとうと」は「弟人」、「いもうと」は「妹人」である。

○同源語:

向(むか)ふ、命(みこと・命人)、

 

【負[biua]・おふ】

此(これ)や是(こ)の倭(やまと)にしては我(わが)戀(こふ)る木路(きぢ)に有(ありと)云(いふ)名(な)に負(おふ)背(せ)の山(やま)(万35)

名(な)耳(のみ)を 名兒山(なごやま)と負(おひ)て 吾(わが)戀(こひ)の千重(ちへ)の一重(ひとへ)裳(も)なぐさめなくに(万963)

 

 古代中国語の「負」は負[biua] である。古代日本語では濁音が語頭に立つことがないから語頭に母音が添加されて負(おふ)となった。日本語の表記では「負(お)ふ」となるが、「お」は接頭辞で語源的には「お負(ふ)」である。

 最初の歌(万35)では「名に負(おふ)背の山」は「あの有名な背(兄)の山」と「背(兄)に会うという名の山」の両方の意味が込められているのであろう。

○同源語:

此(こ)れ、是(こ)の、我・吾(わが)、名(な)、山(やま)、耳(のみ・みみ)、兒(こ・<睨>)、千(ち)、●云(いふ)、裳(も)、

 

【大王[huang]・おほきみ】

やすみしし 吾(わご)大王(おほきみ)の 所レ聞食(きこしめす)、、(万36)

 

 王[huang]は頭音[h-]がカ行であらわれ、韻尾[ng]がマ行に転移して王(きみ)となる。喉音[h-]は調音の位置が日本語のカ行音に近い。また、韻尾の[ng]は鼻音であり、[m]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。日本語の「きみ」は中国語の君[giuən]、王[huang]、皇[hiuang]と同系のことばである。

○同源語:

吾(わご・わが)、

 

【臣[zjien]・おみ】

物部(もののふ)の臣(おみ)の壮士(をとこ)は大王(おほきみ)の任(まけ)のまにまに聞(きく)と云(いふ)物(もの)ぞ(万369)

 

 古代中国語の「臣」は臣[zjien] である。日本語の臣(しん)は口蓋化の影響で頭音が脱落したものである。「臣」には中臣(なかとみ)、豊臣(とよとみ)のように「とみ」という読み方もある。「臣」のベトナム漢字音は臣(than)であり、臣[zjien]の祖語(上古音)は臣[than*] であった可能性がある。漢字文化圏の周縁のことばが古い中国語音の痕跡を留めていることがしばしばある。

○同源語:

物(もの)、部(ふ)、王(きみ)、●云(いふ)、

 

【母[mə]・おも・<乳母>】

緑兒(みどりご)の為(ため)こそ乳母(おも)は求(もとむと)云(いへ)乳(ち)飲(のめ)や君(きみ)が於毛(おも・乳母)求(もとむ)らむ(万2925)

母父(おもちち)も妻(つま)も子等(こども)も高々(たかたか)に來(こむ)と待(まち)けむ人(ひと)の悲(かなし)さ(万3337)、

 

 古代中国語の「母」は母[mə] である。日本語の「おも」は中国語の母[mə]のが等に母音「お」が添加されたものである。古代日本語は母音が語頭に立つことがなかったので、弟[dyei](おと)、堕[duai](おつ)のように母音を添加して、日本語に取り入れることが多かった。明母[m]は半濁音であり、梅(うめ)、馬(うま)のように語頭に母音が添加されることが多かった。

 「おも」には「乳母」という表記も使われている。「乳」の古代中国語音は乳[njia] である。乳[njia] の祖語(上古音)は乳[mia*] に近い音であったものと考えられる。母[mə] と乳[mia*] は同系のことばであろう。

 二番目の歌(万3337)は日本語では「母父(おもちち)」と読みならわされている。日本語の母(おも)は朝鮮語の母(eo meo)と同源であろう。朝鮮語のeo meoは中国語の母[mə] の前に母音(eo)を添加したものであり、niは女[njia] であろう。

● 最初の歌(万2925)の乳母(おも)の朝鮮語では乳母(yu mo)と訳されている。yuは中国語の乳[njia]の頭音が脱落したものである。日本語の乳母(うば)も乳[njia]の頭音が脱落したものであろう。

○同源語:

兒(こ・<睨>)、呑(のむ)、君(きみ)、妻女(つま・<妻>)、等(ども)、来(くる)、●云(いふ)、日(ひ)、

 

【面[mian]・おも】

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)雖遠(とほけれど)面影(おもかげに)為(し)て所見(みゆと)云(いふ)物(もの)を(万396)

對面(あひみて)は面(おも)隠(かくさる)る物(もの)からに繼(つぎ)て見(み)まくの欲(ほしき)公(きみ)かも(万2554)

 

  古代中国語の「面」は面[mian] である。日本語の面(おも)は語頭に母音「お」を添加したものである。

 「面」は面(おもて)はともいう中国語の面[mian]の祖語(上古音)は面[miat*] であったと考えられる。韻尾の[t*] は隋唐の時代に入って[n] に変化した。歴史的には[t]が古く[n] が新しい。日本語の面(おもて)は唐代以前の古い中国語音の痕跡を留めたものである。万葉集には「面」を面(おもて)と読んだ例はないが、音表記の例がある。

 

久礼奈為(くれなゐ)の 意母提(おもて)の宇倍(うへ)に 伊豆久由(いづくゆ)か 斯和(しわ・皺)が伎多利(きたり)し、、(万804)

 

○同源語:

奥(おく)、真(ま)、野(の)、原(はら)、影(かげ)、見(みる)、物(もの)、隠(かくる)、續(つぎ・<継>)、公(きみ)、皺(しわ)、來(きたり)、●云(いふ)、

 

【織[tjiək]・おる】

我(わがため)と織女(たなばたつめ)の其(その)屋戸(やど)に織(おる)白布(しろたへは)織(おり)てけむかも(万2027)

未通女(をとめ)等(ら)が織(おる)機(はた)の上(うへ)を真(ま)櫛(くし)もち掻上(かかげ)𣑥嶋(たくしま)波間(なみのま)従(ゆ)所見(みゆ)(万1233)

 

 古代中国語の「織」は織[tjiək] である。日本語の「おる」は中国語の織[tjiək] の頭子音が口蓋化の影響で脱落したものである。韻尾の[k] はラ行に転移した。中国語の韻尾[t] はラ行に転移することが多いが、韻尾[k]がラ行に転移することもある。

 例:腹[piuk] はら、原[ngiuan] はら、色[shiək] いろ、黒[xək] くろ、夜[jyak] よる、

   殻[khək] から、悪[ak] わるい、或[hiuək] ある、

○同源語:

我(わが)、女(め)、其(そ)の、真(ま)、洲(しま・<嶋>)、浪(なみ・<波>)、間(ま)、見(みる)、●嶋(しま)、







もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第268話 万葉語辞典・か行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など