第269話 万葉語辞典・さ行

 

【逆[ngyak/xyak*]・さか】

是川(うぢかはの)水阿和(みなわ)逆(さか)纏(まき)行(ゆく)水(みずの)事(こと)不反(かへらずぞ)思(おもひ)始(そめ)たる(万2430)

保里江(ほりえ)より美乎(みを・澪)佐香(さか・逆)能保流(のぼる)梶(かぢの)音(おと)の麻(ま・間)奈久(なく・無)そ奈良(なら)は古井(こひ・戀)しかりける(万4461)

 

 「逆」の古代中国語音は逆[ngyak] である。日本漢字音には「逆立ち」などのように逆(さか)という読み方もある。

 「逆」と同じ声符を持つ漢字に、朔(サク)、遡・溯(ソ)がある。逆[ngyak]の頭音[ng-]は喉音[x-]に調音の位置が近く、逆[xyak*] に近い音価をもっていたものと思われる。

 同じ音符をもった喉音[h][x] の漢字がカ行であらわれるものとサ行であらわれるものがある。中国語の喉音[h][x]はすでに唐代には摩擦音化がはじまっていたものと思われる。

 例:活[huat](カツ)・舌[djiat](ゼツ)、宦[huan](カン)・臣[sjien](シン)、感[həm]

   (カン)・鍼[tjiəm](シン)、勘[khaəm](カン)・甚[zjiəm] (ジン)、狭[heap](キ

   ョウ)・陝[thiam](セン)、賢[hyen](カン)・腎[zjiən](ジン)、給[həp](キュウ)・

   拾[zjiəp](シュウ)、赫[xeak](カク)・赤[thjyak]](セキ・シャク)、訓[xiuən](ク

   ン)・川[thjyuan](セン)、喧[xiuan]・宣[siuan](セン)、

 また、日本語では訓「さ行」であらわれ、音が「カ行」であらわれるものが見られる。

 例:園[hiuan](エン・その)、寒[han](カン・さむい)、吸[xiəp](キュウ・すふ)、幸[hiəng] 

   (コウ・さち)、更[keang](コウ・さらに)、肴[heô](コウ・さかな)、

○同源語:

川(かは・<訓>)、行(ゆく)、還(かへる・<反>)、音(おと)、間(ま)、無(な)く、●水(みづ)、

 

【盛[zjieng]・榮[hiueng]・さかり・さかゆ】

吾(わが)瀬子(せこ)に吾(わが)戀(こふ)らくは奥山(おくやま)の馬酔木(あしびの)花(はな)の今(いま)盛(さかり)なり(万1903)

酒(さか)見附(みづき・宴) 榮(さかゆ)る今日(けふ)の あやに貴(たふと)さ(万4254)

開木代(やましろの)來背(くぜの)社(やしろの)草(くさ)勿(な)手折(たをりそ)己(わが)時(ときと)立(たち)雖レ榮(さかゆとも)草(くさ)勿(な)手折(たをりそ)(万1286)

 

 日本語の「さかり」には盛[zjieng] が使われている。古代中国語語の「盛」は盛[zjieng]、であり、盛(さかり)は盛[zjieng] の韻尾[ng] がカ行であらわれたものである。

 一方、「榮(エイ)」は榮[hiueng] の語頭の喉音[h]が介音[i] の影響で摩擦音化したものであろう。中国語の語頭の喉音などが「さか」であらわれるものとしては、前項の逆[ngyak](ギャク)・朔[sjiək](サク)などがある。

 日本漢字音の盛(セイ)と榮(エイ)はかなり違うが、古代中国語音では音価は近い。日本語の「さかり」は中国語の盛[zjieng]・榮[hiueng] と同系のことばであろう。

○同源語:

吾(わが)、奥(おく)、山(やま)、花(はな)、今(いま)、酒(さけ)、今日(けふ・<矜>)、來(くる)、勿(な)、手(た・て)、折(をる)、我(わが・<己>)、時(とき)、立(たつ)、

 

【幸[heang]・さき・さち】

言(こと)幸(さきく) 真(ま)福(さきく)座(ませ)と 恙(つつが)無(なく) 福(さきく)座(いまさ)ば 荒礒(ありそ)浪(なみ) 有(ありて)も見(みむ)と、、(万3253)

 

 「幸」の古代中国語音は幸[heang] であり、現代北京語音は摩擦音化して幸(xing)である。日本語の幸(さき)は幸[heang] が摩擦音化したものであろう。

 「福」を「さき」と読ませているのは訓借である。「福」は「幸福」の「福」であり、「幸」と「福」は同義である。

○同源語:

言(こと)、真(ま)、無(な)く、浪(なみ)、見(みる)、

 

【鵲[syak]・さぎ<鷺>)】

池神(いけがみの)力士(りきし)儛(まひ)かも白鷺(しらさぎ)の桙(ほこ)啄(くひ)持(もち)て飛(とび)渡(わたる)らむ(万3831)

白鳥(しらとり)の鷺坂(さぎさか)山(やま)の松影(まつかげに)宿(やどり)て徃(ゆか)な夜(よ)も深(ふけ)徃(ゆく)を(万1687)

 

 「鷺」の古代中国語音は鷺[lak] である。万葉集などでは日本語の「さぎ」には「鷺」が使われているが、日本語の「さぎ」は中国語の鵲[syak] と対応することばであろう。現代の日本語では「鵲」は鵲(かささぎ)に使われている。

 動物や植物の名前は必ずしも現代の生物学的分類の一致しないことがある。例えば、鮎は「なまず」であり、羊は「やぎ」である。「朝顔」は現代の「桔梗」であり、「あやめぐさ」は「しょうぶ」であり、「うのはな」は「うつぎ」であるという。

○同源語:

神(かみ・<坤>)、力士(リキシ)、儛(まひ・<舞>)、鳥(とり)、山(やま)、影(かげ)、行・往(ゆく・<徃>)、夜(よ)、更(ふける・<深>)、

 

【咲[syô]・さく】

青丹(あをに)吉(よし)寧樂(なら)の京師(みやこ)は咲(さく)花(はな)の薫(にほふが)如(ごとく)今(いま)盛(さかり)なり(万328)

 

 「咲」の古代中国語は咲[syô] である。中国語の韻母宵[ô] の上古音は[ôk*]に近く、咲[syô] は咲[syôk*] に近い音をもっていたと考えられる。王力の『同源字典』では超[thiô] と卓[teôk]、少[sjiô] と叔[sjiuk] は音義が近く同源だとしている。

 日本漢字音でも猫[miô] ねこ、暁[ngiô] あけ・あかつき、焼[ngyô] やく、焦[tziô] こげる、など宵韻[ô] の漢字の韻尾がカ行であらわされている。日本語の「さく」は中国語の咲[syô] と同源であろう。

○同源語:

花(はな)、今(いま)、盛(さかり)、

 

【酒[tziu/tziuk*]・さけ】

中々(なかなか)に人(ひと)と不有(あらず)は酒壺(さかつぼ)に成(なり)にてしかも酒(さけ)に染(しみ)なむ(万343)

酒(さけの)名(な)を聖(ひじり)と負(おはせ)し古昔(いにしへの)大(おほき)聖(ひじり)の言(こと)の宜(よろし)さ(万339)

 

 「酒」の古代中国語は酒[tziu] である。「酒」の祖語(上古音)は酒[tziuk*] に近かったものと考えられる。

 白川静の『字通』によると「酒[tziu] は就[dziuk]、造[dzuk] と旁紐・対転の関係の字ではあるが、声義において通ずるところはない」という。

 王力の『同源字典』によると柔[njiu] と弱[njiôk]、臭[thjiu] と嗅[thjiuk]、捜[shiu] と索[sheak]、報[pu] と復[biuk] は音義ともに近く同源だという。

 中国語の韻尾[-k]はしばしば脱落することがある。現代の北京語では韻尾の[k]はすべて失われている。日本語の「さけ」は中国語の酒[tziuk*] と同源であろう。

● 朝鮮語では「酒」のことをsulという。sulは音義ともに日本語の「さけ(酒)」に近い。「酒」はは酢[dzak] あるいは醋[syak] に近く、酒の上古音は酒[tsiuk*] に近い音であったとものと考えられる。日本語の酒(さけ)、朝鮮語の酒(sul)は中国語の「酒」のは上古音、酒[tsiuk*]の韻尾[k]の痕跡を留めているものであろう。

○同源語:

中(なか)、染(しむ)、名(な)、負(おふ)、言(こと)、

 

【紗[sjiô]、刺[tsiek]、挿[tsheap]、指[tjiei]・さす】

渡津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたぐも)に伊理比(いりひ)紗(さ)し今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)こそ(万15)

秋芽子(あきはぎ)は盛(さかり)過(すぐる)をいたづらに頭刺(かざし)挿(ささず)還去(かへりな)むとや(万1559)

葛城(かづらぎ)の高間(たかまの)草野(かやの)早(はや)知(し)りて標(しめ)指(ささ)ましを今(いまぞ)悔(くや)しき(万1337)

 

 万葉集では「さす」に紗[sjiô]、刺[tsiek]、挿[tsheap]、指[tjiei] などが使われている。

いずれも日本語の「さす」に音義ともに近い。

 中国語には動詞の活用はないが、日本語の動詞は活用するので「す」を添加して日本語として活用するようになった。また、古代日本語には紗(シャ)、挿(ソウ)などの音節はなかったので、日本語では直音になって紗(さ)す、挿(さ)す、となった。

○同源語:

津(つ)、海 (うみ)、幡(はた・<旗>)、雲(くも)、入(いる)、夜(よ)、清(きよし)、芽子(はぎ)、盛(さか)り、冠刺(かざし・<頭刺>)、還(かへる・ <還去>)、葛(かづら)、間(ま)、野(の)、知(し)る、今(いま)、悔(くや)し、●海(わた・<渡>)、日(ひ・<比>)、月(つき)、城 (き)、

 

【矢[sjiei/sjiet*]・さつや】

大夫(ますらを)が得物矢(さつや)手(た)挿(はさみ)立(たち)向(むかひ)射(いる)圓方(まとかた)は見(みる)に清潔(さやけ)し(万61)

あしひきの山(やまに)も野(のに)も御(み)獦人(かりびと)得物矢(さつや)手(た)挟(はさみ)さわきて有(あり)所見(みゆ)(万927)

 

 得物矢(さつや)とは狩猟に用いる矢のことである。猟(しし)矢であるという説もある。「矢」の古代中国語音は矢[sjiei] である。同じ声符をもった漢字に疾[dziet] があり、「矢」の祖語(上古音)は矢[sjiet*] に近い形であったものと思われる。日本語の「さつや」は「矢[sjiet*](さつ)+矢[jiei](や)」の両点(二音併記)ではあるまいか。

● 大野晋は岩波古典文学大系のなかで次のように述べている。

  「朝鮮語で矢をsalという。朝鮮語の語末のlは日本語ではtに対応するものが少なく

   ない。例えば、pəl(蜂)→pati(蜂)、kəl(徒歩)→kati(徒歩)、keul(複数形の語

  尾)→tati(たち、複数接尾辞)、kul(口)→kuti(口)などである。従って朝鮮語の

  salは日本語のサツ、サチ satusatiと対応するものであろう。」(補注61)

 矢(さつや)は朝鮮語のsalと日本語の矢(や)を重ねた、いわゆる両点(二か国語併記)である可能性がある。

○同源語:

手(た・て)、挟(はさむ・<挿>)、立(たつ)、向(むかふ)、射(いる)、圓(まと)、見(みる)、清(さやか・<清潔>)、山(やま)、野(の)、御(み)、獦(かり)、

 

 古事記、日本書紀に海幸彦、山幸彦の物語が出てくるが、「幸」は原文では「佐知」であり、朝鮮語の矢(sal)と関係のあることばではなかろうか。物語の最後には佐比持(さひもち)の神という神が出てくるが、佐比は刀剣をもっている神と解釈されている。

 

【小網(さで)】

三川(みつかは)の淵瀬(ふちせ)も不レ落(おちず)左提(さで・小網)刺(さす)に衣手(ころもで)潮(ぬれぬ・濡)干(ほす)兒(こ)は無(なし)に(万1717)

 

●「さで」とは「さで網」のことで、魚をすくい取るのに使う網である。大野晋は岩波古典文学大系の頭注で「小網―さであみ。手もとを狭く浅く、前方を深く広くした網。魚をすくいとる。」としている。

 大野晋によると小網(さで)は「朝鮮語sadul (A dipper shaped fishing net with a long handle.Prov.)Galeの韓英辞典)と同源であるという。

 金思燁の『韓譯萬葉集』では「小網(さで)」はsa do loと訳している。

○同源語

川(かは・<訓>)、淵(ふち)、堕(おちる・<落>)、刺(さす)、手(て)、濡(ぬれる・<潮>)、干(ほす)、兒(こ・<睨>)、無(なし)

 

【寒[han]・さむし】

流経(ながらふる)妻(つま)吹(ふく)風(かぜ)の寒(さむき)夜(よ)に吾(わが)勢(せ・背)の君(きみ)は獨(ひとり)か宿(ぬ)らむ(万59)

 

 古代中国語の「寒」は寒[han] である。中国語の喉音[h][x]は介音[i] などの発達によって摩擦音化した。寒(さむい)も寒[han] の摩擦音化したものである可能性がある。同じ声符の漢字をカ行とサ行に読み分けるものをいくつかあげることができる。

 例:寒[han](カン)・塞[sək](ソク)、賢[hyen](ケン)・腎[zjieən](ジン)、感[həm](カ

   ン)・鍼[tjiəm](シン)、喧[xiuan](ケン)・宣[siuan](セン)、訓[xiuən](クン)・

   川[thjyuan](セン)、絢[xyuen](ケン)・旬[ziuən](ジュン)、嚇[xeak](カク)・赤

   [thjyak](セキ)、

● 朝鮮語の「寒い」にchanである。金思燁の『韓譯萬葉集』では「風の寒(さむき)夜」は「chan<寒い> pa ram<風>  pul<吹く> eo chi neun  i<この> pam<晩>」と訳されている。日本語の「さむい(寒)」は朝鮮語のchanとも同源であろう。

○同源語

経(ふる)、妻女(つま・<妻>)、夜(よ)、吾(わが)、君(きみ)、寐(ぬ・ねる<宿>)、

 

【清[tsieng]・さやか】

小竹(ささ)の葉(は)は三山(みやま)も清(さや)に乱(みだる)とも吾(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(きぬ)れば(万133)

吾(わが)背子(せこ)が挿頭(かざし)の芽子(はぎ)に置(おく)露(つゆ)を清(さやかに)見(み)よと月(つき)は照(てる)らし(万2225)

 

 古代中国語の「清」は清[tsieng] である。「清」には清(さやか・すがし・きよし)などの訓がある。清(さやか)、清(すがし)はともに古代中国語の清[tsieng] と同源であろう。韻尾の[ng]はカ行であらわれている。

 清(きよし)は上古音の清[xieng*] である。清[tsieng] は清[xieng*] が摩擦音化したものである。清(きよし)のほうが清(さやか)あるいは清(すがし)より古い。

○同源語:

葉(は)、山(やま)、吾(われ)、妹(いも)、來(くる)、冠挿(かざし・<挿頭>)、芽子(はぎ)、置(おく)、見(みる)、照(てる)、●月(つき)、

 

【猿[hiuan]・さる】

あな醜(みにく)賢(さかし)らを為(す)と酒(さけ)不飲(のまぬ)人(ひと)をよく見(みれ)ば猿(さる)にかも似(にる)(万344)

 

 古代中国語の「猿」は猿[hiuan] である。日本語の猿(さる)は古代中国語の喉音[h] が摩擦音化したものである。日本漢字音の猿(エン)は猿[hiuan] の頭音[h]が介音[iu] の影響で脱落したものである。

 喉音[h] がサ行であらわれる例:園[hiuan](エン・その)、狭[heap](キョウ・せまい)、

  寒[han](カン・さむい)、幸[hiəng](コウ・さき・さち)、など

 干支では「さる」は申[sjien] である。申[sjien]は日本語の「さる」に音義ともにに近い。

○同源語:

酒(さけ)、呑(のむ)、見(みる)、似(にる)、

 

【城(しき・き)】

礒城嶋之(しきしま)の 日本國(やまとのくに)に 何方(いかさまに) 御念(おもほし)食(めせ)か つれも無(なき) 城上(きのへの)宮(みや)に 大殿(おほとの)を つかへ奉(まつり)て、、(万3326)

咲花(さくはな)の色(いろ)は不レ易(かはらず)百石城(ももしき)の大宮人(おほみやびと)ぞ立(たち)易(かはり)ける(万1061)

 

● 「ももしきの」は「大宮」あるいは「日本(やまと)」にかかる枕詞である。記紀万葉では「城」を城(き)あるいは城(しき)と読むことが多い。

 李基文の『韓国語の歴史』によると、「百済語で「城」を意味する語が、(己、只)であったことは確実である。例。悦城県ハ本百済ノ悦己県、儒城県ハ本百済ノ奴斯只県、潔城県ハ本百済ノ結己郡。この語は新羅語にも高句麗語にも見ることができないものである。古代日本語の(城、柵)はこの百済語の借用だと考えられる。」(p.48)という。また、「古代日本語のtsasi(城)は、新羅語のcas(城)であるに違いない。」(p.77)ともいう。

 朝鮮語のcasも中国語の城[zjieng] あるいは塞[sək] と関係のあることばであろう。日本書紀では「城」は「さし」と読まれている。

 

三月(やよひ)に、伴跛(はへ)、城(さし)を子呑(しとん)・帯沙(たさ)に築きて、、(継体8年)

 

○同源語

洲(しま・<嶋>)、國(くに・<県・郡>)、無(な)し、廟(みや・<宮>)、殿(との)、咲(さく)、花(はな)、色(いろ)、立(たつ)、●島(しま)、

 

【猪[tjio]・しし・<鹿猪・十六>】

朝(あさ)獦(かり)に 鹿猪(しし)踐(ふみ)起(おこし) 暮(ゆふ)獦(かり)に 鶉雉(とり)履(ふみ)立(たて)、、(万478)

朝(あさ)獦(かり)に 十六(しし)履(ふみ)起(おこ)し 夕(ゆふ)狩(かり)に十里(とり)蹋(ふみ)立(たて)、、(万926)

十六(しし)こそは いはひ 拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ いはひ廻(もとほ)れ 四時自物(ししじもの) いはひ拝(をろが)み、、、(万239)

 

 「しし」とは、猪や鹿など狩猟の対象となる動物一般やその肉をあらわす。最初の歌(万478)では「鹿猪」と書いて「しし」と読ませている。二番目の歌(万926)の「十六」は掛け算で4x4=16、つまり「しし」を表す、いわゆる戯書である。

 戯書とはいっても戯れに書いたものではない。例えば、有名は広開土王碑には「國岡上廣開土境平安好太王二九登祚號永樂太王」とあり、広開土王は「二九」つまり2x9=18、つまり「十八歳で王位についた」とあり、正式の碑文にも用いられている書記法なのである。

● 朝鮮語では「鹿」のことを鹿(sa seum)という。これも、日本語の「しし」と同系のことばであろう。万葉集の時代には猪も鹿も「シシ」といった。

 金思燁の『韓譯萬葉集』では(万3885)の「宍待つと」の「宍」にはsa seumをあて、「さ男鹿」にはsus<雄> sa seum<鹿>をあてている。また、「吾(わが)宍(しし)」にはsal<動物の肉>をあてている。

○同源語:

獦(かり・<狩>)、起(おこ)す、鳥(とり・<鶉雉・十里>)、立(たつ)、●朝(あさ)、

 

【舌[djiat]・した】

百年(ももとせ)に老(おい)舌(した)出(いで)てよよむとも吾(われ)は不猒(いと)はじ戀(こひ)は益(ます)とも(万764)

 

 古代中国語の「舌」は舌[djiat] である。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかったので、頭音が清音になって、舌(した)となった。

○同源語:

出(いで)、吾(われ)、猒(いとふ)、

 

【静寂[dzieng tzyak]・しずか】

静(しづけく)も岸(きしに)は波(なみ)は縁(よせ)けるか此(この)屋(いへ)通(とほし)聞(きき)つつ居(をれ)ば(万1237)

暁(あかとき)と夜烏(よがらす)雖鳴(なけど)此(この)山上(をか)の木末(こぬれ)の上(うへ)は未(いまだ)静(しづけ)(万1263)

 

 古代中国語の「静」は静[dzieng] である。記紀万葉時代には日本語の「しづか」には寂[tzyek] も使われている。「静」と「寂」は音義ともに近く、「静寂」という熟語もある。日本語の「しづか」は中国語の静寂[dzieng-tzyak] から派生したものであろう。

 

「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて寂然(しづか)に長く隠れましき。」(神代紀上)

 

○同源語:

浪(なみ・<波>)、此(この)、通(とほす)、暁時(あかとき・<暁>)、夜(よ)、鴉隹(からす・<烏>)、鳴(なく)、岳(をか・<山上>)、未(いまだ)、

 

【沈[diəm]・しづむ】

難波(なには)方(がた)塩(しほ)干(ひ)勿(な)有(あり)そね沈(しづみに)し妹(いも)が光儀(すがた)を見(み)まく苦(く)るしも(万229)

古(ふりに)し嫗(をみな)にしてや如此(かく)ばかり戀(こひ)に沈(しづまむ)手童兒(たわらわのごと)(万129)

 

 古代中国語の「沈」は沈[diəm] である。日本語の「しづむ」の「し」は鎮[tien](し+づめ)の場合と同じで、語頭の濁音を避けるために清音を添加したものであろう。

○同源語:

潮(しほ・<塩>)、干(ひる)、勿(な)、妹(いも)、見(みる)、苦(く)るしい、古(ふるい)、手(た・て)、

 

【鎮[tien]・しづめ】

真木(まき)柱(ばしら)太(ふとき)心(こころ)は有(あり)しかど此(この)吾(わが)心(こころ)鎮(しづ)めかねつも(万190)

 

 古代中国語の「鎮」は鎮[tien]である。白川静の『字通』によると「鎮[tien]、塡、寘[dyen] は声義近く、塡、寘はともに塡塞の意」とある。鎮[tien](しづめ)は、前項の「沈[diəm](しずむ)と同じく、語頭に清音「し」を添加したものであろう。韻尾の[n]は日本語ではしばしばマ行であらわれる。

例:浜[pien] はま、君[giuən] きみ、文[miuən] ふみ、雲[hiuən] くも、困[khun] こまる、  

    [myen] ねむる、呑[thən] のむ、など

○同源語:

真(ま)、心(こころ)、此(この・これ)、吾(わが)、

 

【死[siei]・しす】

鯨魚(いさな)取(とり)海(うみ)や死(しに)する山(やま)や死(しに)する死(しぬれ)こそ海は潮(しほ)干(ひ)て山(やま)は枯(かれ)すれ(万3852)

戀(こひ)死(しなば)戀(こひ)も死(しねと)や我妹(わぎもこが)吾家(わぎへ)の門(かど)を過(すぎて)行(ゆくらむ)(万2401)

 

 古代中国語の「死」は死[siei] である。日本語の「しぬ」は中国語の「死」をナ行変格活用に活用させたものである。「死」は古代日本語では「死する」とか「死にする」といった。

○同源語:

魚(な)、取(とる)、海(うみ)、山(やま)、潮(しほ)、干(ひる)、枯(かれ)る、

我妹子(わぎもこ)、門(かど)、行(ゆく)、

 

【秈[shean]・しね・いね<稲>】

「右の一首は、或は云はく、吉野の人味稲(うましね)の柘枝(つみのえ)の仙媛(やまひめ)に与へし歌なり。」(万385左注)

住吉(すみのえ)の岸(きし)を田(た)に墾(はり)蒔(まきし)稲(いね)さて及苅(かるまでに)相(あは)ぬ公(きみ)かも(万2244)

伊祢(いね・稲)都氣(つけ)ばかかる安我(あが)手(て)を許余比(こよひ)かも等能(との)の和久胡(わくご)が等里(とり)て奈氣可武(なげかむ)(万3459)

 

 古代中国語の稲[du]である。万葉集では「稲」と書いて「しね」あるいは「いね」と読んでいる。スウェーデンの言語学者カールグレンは”Philology and Ancient China”(1920)のなかで、日本語の「いね」は中国語の「秈」と関係のあることばではないかとしている。「秈」はうるち米のことである。「秈」の古代中国語音は秈[shean] であり、頭音が脱落して日本語の「いね」になった可能性がある。サ行音はイ段では[i]介音の影響で脱落することが多い。

 例:赤[thyjak](シャク・あか)、上[zjiang](ジョウ・あがる)、枝[tjie](シ・え)、

   臣(シン・おみ)、織[tjiək](ショク・おる)、射[djyak](シャ・さす)、折[thjiat](セ

     ツ・をる)、矢[sjiei](シ・や)、世[sjiatt](セ・よ)、山[shean](サン・やま)、 

 弥生時代の初期に稲作が伝わってきたとすれば、ことばも一緒に使わってきた可能性がある。日本語の「いね」は中国語の「秈」と同源であろう。

○同源語:

野(の)、味(うまし)、仙(やま)、媛(ひめ)、田(た)、墾(はり)、播(まく・<蒔>)、苅(かる)、合(あふ・<相>)、公(きみ)、舂(つく)、我(あが・<安我>)、手(て)、殿(との)、王子(わくご)、取(とる)、嘆(なげく)、●云(いふ)、  

 

【椎[diuəi]・しひ】

家(いへに)有(あれ)ば笥(け)に盛(もる)飯(いひ)を草枕(くさまくら)旅(たび)にし有(あれ)ば椎(しひ)の葉(は)に盛(もる)(万142)

片岡(かたをか)の此(この)向(むかつ)峯(をに)椎(しひ)蒔(まか)ば今年(ことしの)夏(なつ)の陰(かげ)に将化(ならむ)か(万1099)

 

 「椎」の古代中国語の「椎」は椎[diuəi] である。声符の「隹」には隹[tjiuəi]、推[thuəi]、堆[tuəi]、唯・惟・維[jiuəi]、などの発音もある。中国語の[t][d] は介音[i] の前では口蓋化してサ行に転移することが多い。日本語の「しひ」は古代中国語の椎[diuəi]から派生したことばであろう。「し+ひ」の「ひ」については不明である。

○同源語:

葉(は)、岳・陵(をか・<岡>)、此(この)、向(むかふ)、播(まく・<蒔>)、影(かげ・<陰>)、

 

【澁[shiəp]・しぶし】

衣手(ころもで)に水澁(みしぶ)つくまで殖(うゑ)し田(た)を引板(ひきた)吾(わが)はへ眞守有(まもれる)栗子(くるし・苦)(万1634)

澁谿(しぶたに)の二上山(ふたかみやま)に鷲(わし)ぞ子(こ)産(む)と云(いふ)指羽(さしは)にも君(きみ)の御(み)為(ため)に鷲(わし)ぞ子(こ)生(む)と云(いふ)(万3882)

 

 「澁」と書いて澁(しぶ)と読むのは古代中国語音の澁[shiəp] に依拠したものである。中国語の韻尾[p]は日本語の訓では「は行」であらわれることががる。

 例:蝶[thyap](てふ・チョウ)、甲[keap](かふ・かぶと・コウ)、葉[jiap](は・ヨウ)、

   合[həp](あふ・ゴウ)、吸[xiəp](すふ・キュウ)、雑[dzəp](さひ<雑賀・さひが>・

   ザツ・ゾウ<雑煮>)、

 日本語の「しぶい」も中国語の渋[shiəp] と同源である。奈良時代の日本語では韻尾の[-p]は音便化して澁(ジュウ)となった。播磨風土記には「渋」を渋(しぶい)という意味に使った明らかな用例がある。

 

「此の栗の子(み)もと刊(けづ)れるに由(よ)りて後(のち)も澁(しぶ)なし。」

(播磨風土記楫保郡)

 

○同源語:

手(て)、田(た)、吾(わが)、苦(くるし・<栗子>)、山(やま)、鵞鷲(わし・<鷲>)、子(こ)、指(さ)す、羽(は)、君(きみ)、御(み)、●水(みづ)、云(いふ)、

 

【潮[diô]・しほ・<塩>】

𤎼田津(にぎたつ)に船(ふな)乗(のり)せむと月(つき)待(まて)ば潮(しほ)もかなひぬ今(いま)はこぎ乞(いで)な(万8)

櫻田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴(なき)渡(わたる)年魚市方(あゆちがた)塩(しほ・潮)干(ひ)にけらし鶴(たづ)鳴(なき)渡(わたる)(万271)

 

 古代中国語の「潮」は潮[diô] である。日本語の潮(しほ・うしほ)は古代中国語の潮[diô] の頭音が介音[i] の影響で摩擦音化したものである。「し+ほ」の「ほ」は不明であるが、古代中国語の母音[ô]が日本語でハ行であらわれる例としては鯛[dyô](たひ)宵[siô](よひ)をあげることができる。

 「潮」は「う+しほ」ともいう。古代日本語では語頭に濁音がくることがなかったので、潮[diô] の前に「う」をつけて潮(う+しほ)とした。

 日本語の「しほ」には「塩」も使われる。

 

志賀の安麻(あま)の一日(ひとひ)もおちず也久(やく)之保(しほ)の可良伎(からき)戀をも安礼(あれ)はするかも(万3652)

志賀の海人(あま)は軍布(め)苅(かり)塩(しほ)焼(やき)暇(いとま)無(な)み髪梳(くしげ)の小櫛(をぐし)取(とり)も見(み)なくに(万278)

 

 「塩」の古代中国語音は塩[iem] であるとされているが、「塩」の祖語(上古音)は塩[diem*]であった可能性がある。董同龢は「塩」の上古音を塩[d’iɔg*] と再構している。日本漢字音では潮(チョウ)・塩(エン)でかなりかけ離れているが、上古音にさかのぼると潮[diô]・塩[d’iɔg*] であり、ほとんど同系統のことばである。

○同源語:

柔(にき・ <𤎼>)、田(た)、津(つ)、盤(ふね・<船>)、乗(のる)、今(いま)、鳴(なく)、干(ひる)、海人(あま)、焼・灼(やく)、辛(からき)、 我(あれ)、苅(かる)、無(な)み、小(を)、取(とる)、見(みる)、●月(つき)、鶴(たづ)、日(ひ)、

 

【洲[tjiu/tiog*]・しま・<嶋>】

をちこちの 嶋(しま)は雖多(おほけど) 名(な)ぐはし 狭岑(さみね)の嶋(しま)の 荒礒面(ありそも)に 廬作(いほり)て見(みれ)ば、、(万220)

春(はる)去(され)ばををりにををり鸎(うぐひす)の鳴(なく)吾(わが)嶋(しま)そ不息(やまず)通(かよは)せ(万1012)

 

 万葉集の時代には「しま」は島にも築山などにも用いられている。二番目の歌の「しま」は築山である。

 古代中国語の「嶋」は嶋[tô] である。白河静は『字通』のなかで「島[tô]、州・洲[tjiu] は声近く、海中にあるものを島、水中に居るべきところを州という。わが国では、みな「しま」という。」としている。

● 朝鮮語では島のことをseomという。日本語の「しま」は朝鮮語のseomと同源であろう。 

○同源語:

名(な)、狭(せまい)、嶺(みね・<岑>)、面(も・おも)、見(みる)、春(はる)、鸎(うぐひす・<鸎+隹>)、鳴(なく)、吾(わが)、

 

【染[njiam/djiam]・しむ・そむ】

中々(なかなか)に人と不有(あらず)は酒壺(さかつぼ)に成(なり)にてしかも酒(さけ)に染(しみ)なむ(万343)

浅緑(あさみどり)染(そめ)懸有(かけたり)と見(みる)るまでに春楊(はるのやなぎ)は目生(もえに)けるかも(万1847)

 

 古代中国語の「染」は染[njiam] である。中国語の音韻学では日母[nj] は唐代以降に[dj][zj] に変化した。万葉集の染(しむ)あるいは染(そむ)は染[djiam](あるいは染[zjiam])に依拠したものであろう。意味は現代の日本語では「染める」と「滲みる」の両方にあたる。

 日本漢字音の日(ニチ)は唐代の中国語音に依拠しており、「元日」の日(ジツ)は唐代以降の中国語音に依拠しているものである。日本をJapanとするのも日(ジツ)に依拠したものである。

○同源語:

中(なか)、酒(さけ)、懸(かけ)る、見(みる)、春(はる)、楊(やなぎ)、萌(もえる・<目生>)、

 

【標[piô]・しめ】

茜草(あかね)指(さす)武良前(むらさき)野(の)逝(ゆき)標野(しめの)行(ゆき)野守(のもり)は不見(みずや)君(きみ)が袖(そで)布流(ふる)(万20)

葛城(かづらき)の高間(たかま)の草野(かやの)早(はや)知(しり)て標(しめ)指(ささ)ましを今(いまぞ)悔(くや)しき(万1337)

 

 標(しめ)は土地などの縄張りを示す標識である。「標」の古代中国語音は標[piô] である。標(ヒョウ)が標(しめ)とサ行であらわれるのは韻韻転移の法則にあっていないようにも見えるが、中国語でも「ハ行」が摩擦音化して「サ行」であらわれることがある。

 例:秒(ビョウ)・少(ショウ)、品(ヒン・しな)、

 東京の下町ことばでは「ひ」と「し」の区別がつきくいというが、ハ行音はイ段で摩擦音化することがある。標(ヒョウ)には標(しめす)という読みがあり、表[piau] は表(しるし)という読みがある。

○同源語:

指(さ)す、野(の)、行(ゆく・<逝>)、見(みる)、君(きみ)、袖(そで)、葛(かづら)、間(ま)、治(しる・<知>)、今(いま)、悔(くや)し、●城(き)、

 

【霜[shiang]・しも】

葦邊(あしべ)行(ゆく)鴨(かも)の羽(は)我比(がひ・交)に霜(しも)零(ふり)て寒(さむき)暮夕(ゆふべは)倭(やまと)し所念(おもほゆ)(万64)

在(あり)つつも君(きみ)をば将待(またむ)打(うち)靡(なびく)吾(わが)黒髪(くろかみ)に霜(しも)の置(おく)までに(万87)

 

 古代中国語の「霜」は霜[shiang]である。中国語韻尾の[ng] は調音の方法が[m] と同じ(鼻濁音)であるために、日本語ではマ行であらわれることがある。

 例:醒[syeng] さめる、公[kong] きみ、相[siang] さま、灯[təng] ともる、 [kiuəng]

   み、夢[miuəng] ゆめ、浪[lang] なみ、城[zjieng] しろ、停[dyeng] とまる、

 日本語の「しも」は中国語の「霜」と同源であろう。

○同源語:

邊(へ)、行(ゆく)、鴨(かも)、羽(は)、交(がひ)、降(ふる・<零>)、君(きみ)、打(うつ)、靡(なび)く、吾(わが)、黒(くろ)い、置(おく)、

 

【しる(知)】

借(かり)薦(こも)の 心(こころ)もしのに 人(ひと)知(しれず) 本名(もとな)ぞ戀(こふ)る 氣(いき)の緒(を)にして、、(万3255)

葛城(かづらぎ)の高間(たかまの)草野(かやの)早(はや)知(しり)て標(しめ)指(さし)ましを今(いまぞ)悔(くや)しき(万1337)

 

 古代中国語の「知」は知[tie] である。日本語の「しる」は中国語の知[tie] が摩擦音化したものである。日本漢字音でも同じ声符の文字をタ行とサ行に読み分ける例を数多くあげることができる。

例:多・侈、途・除、都・者、陀・蛇、楕・随、堆・推、隊・墜、唾・垂、澤・釋、

  脱・説、獨・蜀、直・植、的・酌、秩・失、窒・室、蟄・執、探・深、単・戦、

  探・深、傳・専、顛・真、屯・純、冬・終、透・秀、統・充、湯・場、抽・袖、

 日本語の「しも」は中国語の「霜」と同源であろう。

 二番目の歌の「知(しり)」は治[diə] で「治める」「占有する」の意味である。

○同源語:

苅(かり・かる<借>)、薦(こも)、心(こころ)、本(もと)、名(な)、息(いき・<氣>)、葛(かづら)、間(ま)、野(の)、標(しめ)、指(さ)す、今(いま)、悔(くや)し、●城(き)、

 

【城[zjieng]・しろ】

開木代(やましろの)来背(くせの・久世)社(やしろの)草(くさ)莫(な)手折(たをりそ)己(おのが)時(ときと)立(たち)雖レ榮(さかゆとも)草(くさ)勿(な)手折(たをりりそ)(万1286)

 

 「開木代」は「やましろ」と読む。「城」の古代中国語音は城[zjieng]である。日本語の「しろ(城)」は中国語の城[zjieng] の韻尾[-ng] がラ行に転移したものである。

 中国語の韻尾[ng]が日本語でラ行にあらわれる例:軽(かるい)、平(ひら)、萌(もえ

   る)、幌(ほろ)、広(ひろい)、経(へる)、倉(くら)、蔵(くら)、狂(くるう)、

○同源語

莫・勿(な・なき)、手(た・て)、折(をる)、時(とき)、立(たつ)、盛(さかゆ・<榮>)、

 

【皺[tzhio]・しわ】

若有(わかかり)し 皮(はだ)も皺(しわみ)ぬ 黒有(くろかり)し 髪(かみ)も白斑(しらけ)ぬ、、(万1740)

 

 古代中国語の「皺」は皺[tzhio] である。日本語の皺(しわ)は中国語の皺[tzhio] から派生したことばであろう。

同源語:

若(わか)き、黒(くろ)、

 

【巣[dzheô]・栖[syei]・す】

可麻度(かまど・竈)には 火氣(ほけ)布伎(ふき・吹)多弖(たて・立)ず 許之伎(こしき・甑)には 久毛(くも・蜘蛛)の須(す・巣)かきて、、(万892)

鳥座(とくら)立(たて)飼(かひ)し鴈(かり)の兒(こ)栖(す)立(たち)なば檀(まゆみの)岡(をか)に飛(とび)反(かへり)来(こ)ね(万182)

 

 一番目の歌では須[sio] が使われている。「久毛(もの)の須(す)」とあるから「蜘蛛の巣」のことであろうが、音借である。

 二番目の歌では「栖(す)立(たち)」とあるから現代の日本語では「巣立ち」である。

古代中国語の「栖」は栖[syei] である。「栖」は現代では栖(すむ)に使われている。

 万葉集には「巣」の用例はないが、「巣」の古代中国語音は巣[dzheô] である。日本語の「す」は巣[dzheô] と同源である。

○同源語:

火氣(ほけ)、立(たつ)、鳥(とり)、鴈(かり)、兒(こ・<睨>)、岳(をか・<岡>)、還(かへる・反)、來(くる)、●久毛(くも・蜘蛛)

 

【洲[tjiu]・渚[tjia]・す】

夏麻(なつそ)引(ひく)海上(うなかみ)滷(かた)の奥(おきつ)洲(す)に鳥(とり)は簀(す)だけど君(きみ)は音(おと)も不為(せず)(万1176)

三沙呉(みさご)居(ゐる)渚(す)に居(ゐる)舟(ふね)の榜(こぎ)出(で)なばうら戀(こひ)しけむ後(のち)は會(あひ)ぬとも(万3203)

 

 古代中国語の「洲」「渚」は洲[tjiu]・渚[tjia] である。古代日本語には洲(シュウ)、渚(ショ)という音節はなかったので、日本語では直音で洲(す)、渚(す)として定着した。

 「渚」は渚(なぎさ)と読まれている。日本語の「なぎさ」は「浪+渚」であろう。一番目の歌の「簀」は「巣」の意味で使われている。

○同源語:

海(うみ)、澳(おき・<奥>)、鳥(とり)、巣(す・<簀>)、君(きみ)、音(おと)、盤(ふね・<舟>)、出(でる)、會(あふ)、

 

【酢[dzak]・す】

醤(ひしほ)酢(す)に蒜(ひる)つき合(かて)て鯛(たひ)願(ねがふ)吾(われ)に勿(な)所見(みせそ)水葱(なぎ)の煮物(あつもの)(万3829)

 

 古代中国語の「酢」は酢[dzak] である。日本語の酢(す)は古代中国語の酢[dzak] の韻尾[-k] が脱落したものである。同じ声符をもった漢字でも入声音[-k] で読むものと、脱落するものがみられる。現代の北京語では韻尾の[-k]はすべて脱落している。

例:悪・亞、億・意、獲・護、核・該、割・害、式・試、祝・呪、的・約、特・時、

  莫・墓、福・富、壁・避、北・背、

 日本語では酢[dzak](す)では韻尾が脱落し、酒[tziu](さけ)は[-k]の痕跡を伝えている。

○同源語:

鯛(たひ)、吾(われ)、勿(な)、見(みる)、茹(にる・<煮>)、物(もの)、●水(みづ)、

 

【雙六[sheong-liuk]・すごろく】

吾妹兒(わぎもこ)が額(ぬか)に生(おふ)る雙六(すぐろく)のことひの牛(うし)の倉(くらの)上(うへ)の瘡(かき)(万3838)

一二(いちに)の目(め)耳(のみに)不有(あらず)五六三(ごろくさむ)四(し)さへ有(あり)けり雙六(すごろく)の佐叡(さえ)(万3827)

 

 双六は大陸渡来の遊戯で賭けごととして万葉集の時代にも行われていた。サイコロを二つ使うことから「双六」という。正倉院には紫檀の盤など豪華な道具が伝えられている。

 双六は「雙六」の簡略字である。古代中国語の「雙六」は雙六[sheong-liuk] である。しかし、同じ声符をもった漢字に隻[tjyak](セキ)がある。中国語の韻尾[-ng]は唐代以前には[-k]だったものが多い。中国語音韻史では韻尾の[k]は音便化して[ng]になったことが知られている。日本語の「すごろく」は雙六の上古音、双六[shek-tjyak*] に依拠したものである。

 日本の古地名の相模(さがみ)、楊生(やぎふ)、當麻(たぎま)、望多(まぐた)、香山(かぐやま)、なども上古音を継承している。日本漢字音には訓がカ行であらわれ、音が音便化しているものが多い。

例:床(とこ・ショウ)、影(エイ・かげ)、茎(くき・ケイ)、筺(かご・キョウ)、塚(つ 

  か・チョウ)、丈(たけ・じょう)、楊(やぎ・やなぎ・ヨウ)、桶(おけ・トウ)、

○同源語:

吾妹兒(わぎもこ)、額(ぬか)、倉(くら)、目(め)、耳(のみ・みみ)、賽(さえ)、●牛(うし)、

 

【進[tzien]・すすむ】

家(いへおもふ)と情(こころ)進(すすむ)莫(な)風候(かざまもり)好(よく)為(し)ていませ荒(あらし)其(その)路(みち)(万381)

 

 古代中国語の「進」は進[tzien] である。日本語の「すすむ」は中国語の進[tzien] と音義ともに近く、同源であろう。進(すすむ)は頭子音を声音で重複させたものである。

○同源語:

心(こころ・<情>)、莫(な)、良(よく・<好>)、其(そ)の、

 

【摺[ziuəp]・擦[tziat]・刷[shoat]・する】

鴨頭草(つきくさ)に服(ころも)色(いろ)取(どり)揩(すら)めども移變(うつろふ)色(いろ)と偁(いふ)が苦(くるし)さ(万1339)

 

「揩」の古代中国語音は揩[khəi] であり、「拭う」という意味である。「揩」は日本語の「する」と意味は近いが音は対応していない。日本語の「する」は摺[ziuəp]、擦[tziat]、刷[shoat] などと同系のことばであろう。

○同源語:

色(いろ)、取(とる)、苦(くるし)、●云(いふ・偁)

 

【兄[hiuəng]・せ】

言(こと)問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ獨子(ひとりご)にあるが苦しさ(万1007)

吾勢子(わがせこ)は借廬(かりいほ)作(つく)らす草(かや)無(なく)は小松(こまつが)下(もと)の草(かや)を苅(から)さね(万11)

吾背子(わがせこ)が古家(ふるへ)の里(さと)の明日香(あすか)には乳鳥(ちどり・千鳥)鳴(なく)成(なり)嬬(つま)待(まち)不得(かね)て(万268)

 

 「せこ」は「背子」「勢子」などと表記されることが多い。兄(せ)は夫、恋人、兄弟、友人など男子を親しみをこめて呼ぶ名称である。「わが背子」といのは、ほとんどが妻から夫に対して使われる。

 日本語の「せ」の原義は「兄」であろう。古代中国語の「兄」は兄[hiuəng]である。喉音[h] は介音[i]の影響で摩擦音化した。現代北京語では「兄」は兄(xiong) である。

○同源語:

言(こと)、妹(いも)、子(こ)、苦(くるし)、作(つく)る、無(な)く、苅(かる)、古(ふる)い、千鳥(ちどり・<乳鳥>)、鳴(なく)、妻嬬(つま・<嬬>)、

 

【塞[sək]・せき】

出(いでて)行(ゆく)道(みち)知(しら)ませば豫(あらかじめ)妹(いも)を将留(とどめむ)塞(せき)も置(おか)ましを(万468)

關(せき)無(なく)は還(かへり)にだにも打(うち)行(ゆき)て妹(いも)が手枕(たまくら)卷(まき)て宿(ね)ましを(万1036)

 

 現代日本語の「せき」には「関」の字があてられている。しかし、万葉集では日本語の「せき」に「塞」「關」の文字が使われている。「塞」の古代中国語音は塞[sək]であり、日本語の「せき」に音義ともに近い。

 「塞」は名詞(せき)にも動詞(せく)にも使われている。日本語の「ふさぐ」は中国語の「閉塞」から派生したことばであろう。

○同源語:

出(いづ)、行(ゆく)、知(しる)、妹(いも)、停(とどめ・<留>)る、置(おく)、無(なく)、還(かへる)、打(うつ)、手(た・て)、寐(ねる・<やど>)、

 

【狭[heap]・せまし】

谷(たに)迫(せばみ)峯(みね)邊(へに)延(はへ)る 玉葛(たまかづら) 令レ蔓(はへて)し有(あら)ば 年(とし)に不レ來(こず)とも(万3067)

天(あめ)地(つち)は比呂之(ひろし)と伊倍(いへ)ど 安我(あが)多米(ため)は狭(さく)や奈里(なり)ぬる 日(ひ)月(つき)は安可之(あかし)と伊倍(いへ)ど 安我(あが)多米(ため)は 照(てり)や多麻波(たまは)ぬ、、(万892)

 

 一番目の歌(万3067)では 「せまい」に「迫」があてられている。「迫」には迫(せまる)という訓がある。「迫」の古代中国語音は迫[peak]である。「迫」を日本語の「せまし」に使うのは「せまる」の連想で、借訓である。

 二番目の歌(万892)では「狭」を狭(さく)と読んでいる。「狭」の古代中国語音は狭[heap] であり、現代の北京語音は摩擦音になって狭(xia)である。日本語の「せばし」は中国語の狭[heap] の頭音[h] が摩擦音化したものであろう。『名義抄』では「狭」を「せばし」としている。

 狭(キョウ)と同じ声符をもった漢字に「陝」があり陝西省と書いて陝西省(センセイショウ)と読む。漢字のなかには同じ声符をカ行とサ行に読み分けるものがある。サ行音はカ行音が摩擦音化したものである。

 例:技・枝、企・止、期・斯、耆・旨、臼・舅、嗅・臭、拠・処、暁・焼、

 狭[heap] の韻尾[p] はバ行であらわれている。韻尾の[p] が日本語でバ行・マ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。古代日本語では語頭では清音であらわれる音が第二音節では濁音になることが多い。

 例:渋[shiəp] しぶい、甲兜[keap-to] かぶと、鴨[keap] かも、汲[xiəp]くむ、湿[sjiəp] し 

   める、

○同源語:

邊(へ)、葛(かづら)、來(くる)、天(あめ)、地(つち)、広(ひろし)、我(あが)、照(てる)、●云(いふ)、日(ひ)、月(つき)、

 

【蝉[zjian]・せみ】

伊波婆之流(いはばしる)多伎(たき・瀧)もとどろに鳴(なく)蝉(せみ)の許恵(こゑ・聲)をし伎氣(きけ・聞)ば京師(みやこ)し於毛保由(おもほゆ)(万3617)

 

 日本語の「せみ」は中国語の蝉[zjian] と同源であろう。日本語では[n] [m] を弁別しないので、中国語の韻尾[n] はナ行であらわれるものもあり、マ行であらわれることもある。

マ行の例:肝[kan] きも、浜[pien] はま、文[miuən] ふみ、君[kiuən] きみ、

ナ行の例:絹[kyuan] きぬ、殿[dyən] との、段[duan] たな、秈[shean] しね・いね、

○同源語:

瀧(たき)、鳴(なく)、聲(こゑ)、

 

【袖[ziəu]・そで】

茜(あかね)指(さす)武良前(むらさき)野(の)逝(ゆき)標野(しめの)行(ゆき)野守(のもり)は不見(みず)や君(きみ)が袖(そで)布流(ふる)(万20)

婇女(うねめ)の袖(そで)吹(ふき)反(かへす)明日香(あすか)風(かぜ)京都(みやこ)を遠(とほ)み無用(いたづら)に布久(ふく)(万51)

 

 日本語の「そで」は古代中国語の袖[ziəu] から派生したことばであろう。「そで」は「袖」+「手」の類推から生まれたことばであろう。同じような造語の例として、楊(やなぎ)がある。「楊[jiang](ヨウ・やぎ)の+木」の連想から「楊(ヤン)の木(き)」が生まれた。

 朝鮮語の袖(そで)はso maeであり、日本語の「そで(袖)」に酷似している。日本語の「袖(そで)は朝鮮語の袖(so mae)と同源であろう。

 金思燁の『韓訳萬葉集』では日本語の「衣手(ころもで)」(万508)あるいは「衣」(万2063)もso maeと訳している。

○同源語:

指(さす)、野(の)、逝・行(ゆく)、標(しめ)、見(みる)、君(きみ)、女(め)、

 

【苑[iuan/(h)iuan*]・その】

春(はる)の苑(その)紅(くれなゐ)尓保布(にほふ)桃(ももの)花(はな)下照(したてる)道(みち)に出(いで)立(たつ)[女+感*]嬬(をとめ)(万4139)

 

 古代中国語の「苑」は苑[iuan] である。「苑」は北京音では苑(yuan)である。現代北京語で苑(yuan)と同じ発音の漢字に園、遠、猿、援、媛、淵、院、員、圓、元、原、願、縁、淵、怨、などがある。

 これらの漢字の古代中国語音は、園[hiuan]、遠[hiuan]、猿[hiuan]、援[hiuan]、媛[hiuan],院[hiuan]、員[hiuən]、圓[hiuən]、元[ngiuan]、原[ngiuan]、願[ngiuan]、縁[djiuan]、淵[yuen]、怨[iuan]であり、頭音が脱落したものが多いことがわかる。

  中国語の「苑」にも語頭に喉音[h] があった可能性がある。「苑」の祖語(上古音)は苑[hiuan*] であり、頭音[h]が摩擦音化して苑(その)となったものであろう。

 日本語の「その」には「苑」のほかに「園」があてられることもある。「園」の古代中国語は園[hiuan] であり、日本漢字音は園(エン・その)である。

○同源語:

春(はる)、花(はな)、照(てる)、出(いで)、立(たつ)、女(め・<嬬>)、

 

  中国語の喉音[h][x]は破裂音であったものが摩擦音に変化したものと考えられる。日 本語は万葉集ができる約1000年も前から中国の文化や中国語の語彙を受け入れてきており、「やまとことば」はさまざまな地方や時代の発音を継承している ものと思われる。中国語の発音は日本語と違うので中国語の語彙は日本語の音韻構造にあわせて転移する。日本漢字音は唐代の長安の規範音に依拠している。日 本語の漢音・呉音だけをっ中国の漢字音だと考えれば、上代の中国語音がわからなくなってしまう。「やまとことば」のなかに唐代以前の中国語音の痕跡を留め たものが多いので、唐代の中国語音だけに依拠して中国語と同源の語彙を探すのはそう簡単ではない。






もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第268話 万葉語辞典・か行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など