第272話  万葉語辞典・は行


【齒[thjiə]・牙[ngea]・は】

泊瀬川(はつせがは)流(ながるる)水沫(みなわ)の絶(たえ)ばこそ吾(わが)念(おもふ)心(こころ)不遂(とげじ)と思(おも)歯(は)め(万1382)

氏河(うぢかは)歯(は)与杼(よど)湍(せ)無之(なからし)阿自呂(あじろ・網代)人(ひと)舟(ふね)召(よばふ)音(こゑ)をちこち所レ聞(きこゆ)(万1135)

 

 古代中国語の「齒」は齒[thjiə] である。万葉集には「歯」のことを詠んだ歌ではないが、万葉集の時代の日本語で「歯」のことを「は」と云ったことが分かる。日本語の歯(は)は中国語の歯[thjiə] と関係があるのだろうか。

 中国語の歯[thjiə] は有気音[th]であり、日本語ではハ行であらわれることがある。

 例:春[thjiuən] はる、禿[thuk] はげ、恥[thiə] はぢ、太[that] ふとい、肚[tha] はら、  

   吐[tha] はく、榛[tzhen] はり、など

 一方、現代の中国語では歯科医のことを牙科という。日本語の「は」は牙[ngea] の転移したものである可能性もある。万葉集では芽子(はぎ)という例もある。

 

娘部思(をみなへし)秋(あき)芽子(はぎ)交(まじる)蘆城野(あしきの)今日(けふ)を始(はじめ)めて萬代(よろずよ)に将レ見(みむ)(万1530)

 

 中国語の疑母[ng-]が日本語でハ行であらわれる例:原[ngiuan] はら、脛[ngyang] はぎ、  

  臥[nguai] ふす、芽[ngea]子・はぎ、など

 「牙」は現代の日本語では牙(きば)である。万葉集でも牙(き)ともいわれていた。

 

莵原壮士(うなひをとこ)い 仰レ天(あめあふぎ) 叫(さけび)おらび 蹋レ地(あしずりし) 牙(き)喫(かみ)建怒(たけび)て、、(万1809)、

 

 万葉集の時代の日本語ではカ行音はハ行音に近く、交替することっが多い。

 例:匣(コウ・はこ)、挟(キョウ・はさむ)、荷子(カ・はす)、花(カ・はな)、灰(カ 

   イ・はい)、火(カ・ひ)、原(ゲン・はら)、檜(カイ・ひ)、干・乾(カン・ほす)、

   廣(コウ・ひろい)、経(ケイ・ふる)、蓋(ガイ・ふた)、古(コ・ふるい)、掘(ク

   ツ・ほる)、骨(コツ・ほね)、

 中国語の「歯」は「歯牙にかけ」などの表現もある。歯[thjiə]も牙[ngea]も音義ともに日本語の「は」に近い。

○同源語:

泊(はつ)、川(かは・<訓>)、断(たえる・<絶>)、吾(わが)、心(こころ)、氏(うぢ)、河(かは)、澱(よど)、無(なし)、盤(ふね・<舟>)、聲(こゑ・<音>)、

女(をみな・<娘>)、芽子(はぎ)、野(の)、今日(けふ・<矜>)、世(よ・<代>)、見(みる)、天(あめ)、●水(み・みづ)、城(き)、

 

【葉[jiap]・は】

小竹(ささ)の葉(は)は三山(みやま)も清(さや)に乱(さやげ)ども吾(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(き)ぬれば(万133)

橘(たちばな)は實(み)さへ花(はな)さへ其葉(そのは)さへ枝(え)に霜(しも)雖降(ふれど)いや常葉(とこは)の樹(き)(万1009)

 

 古代中国語の「葉」は葉[jiap] である。日本語の「は」は中国語の韻尾[p] が独立して一音節をなしたものである。

 中国語の韻尾[p] は旧かなづかいではハ行で表記された。

 例:蝶[thyap](チョウ・てふ)、塔[təp](トウ・たふ)、合[həp](カイ・あふ)、

   頬[kyap](キョウ・ほほ)、峡[heap](キョウ・かひ)、渋[shiəp](ジュウ・しぶし)、

●「葉」の朝鮮漢字音は葉(ipp)である。日本語の葉(は)、朝鮮語の葉(ipp)はいずれも中国語の葉[jiap] と同源である。

○同源語:

山(やま)、清(さやか)、吾(われ)、妹(いも)、來(くる)、花(はな)、其(そ)の、霜(しも)、降(ふる)、常(とこ)、

 

【羽[hiua]・は】

葦邊(あしべ)徃(ゆく)鴨(かも)の羽音(はおと)の聲(おと)耳(のみに)聞(きき)つつもとな戀(こひ)度(わたる)かも(万3090)

水鳥(みづとり)の可毛(かも・鴨)羽(は)伊呂(いろ・色)の青馬(あをうま)を家布(けふ・今日)美流(みる・見)人は可藝利(かぎり)奈之(なし)と伊布(いふ)

(万4494)

 

 古代中国語の「羽」は羽[hiua] である。日本漢字音は羽(ウ)である。音の羽(ウ)は羽[hiua]の頭音が脱落したものであり、訓の羽(は)中国語音の喉音[h] を継承したものである。

 同じ声符をもった漢字でも中国語の喉音[h] が失なわれたものと、カ行などであらわれるものがある。

例:例:域[hiuək](イキ)・國[kuək](コク)、運[hiuən](ウン)・軍[kiuən](グン)、

 また、日本語の訓のなかに喉音[h][x] の痕跡をハ行で留めているものがいくつかみられる。

 例:火[xuəi](カ・ひ)、灰[huəi](カイ・はい)、降[hoəm](コウ・ふる)、戸[ha](コ・

   へ)、匣[heap](コウ・はこ)、挟[hyap](キョウ・はさむ)、閑[hean](カン・ひま)、

   花[xoa]・華[hoa](カ・はな)、脛[hyeng](ケイ・はぎ)、惚[xuət](コツ・ほれる)、

   宏[heang](コウ・ひろい)、弘[huang](コウ・ひろい)、揮[xiuəi](キ・ふるう)、

 

 古代日本語のハ行は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」のような両唇音であったと云われていが、記紀万葉の時代の用例で見る限り中国語の脣音[p] 系ばかりでなく喉音[h][x] 系の音が合流している。

○同源語:

邊(へ)、行(ゆく・<徃>)、鴨(かも)、音(おと・<聲>)、耳(のみ・みみ)、鳥(とり)、色(いろ)、馬(うま)、今日(けふ・<矜>)、見(みる)、限(かぎり)、無(なし)、●水(みづ)、云(いふ)、

 

【墓[mak]・陵[liang/(h)liang*]・はか】

墓上(はかのうへ)の木(こ)の枝(え)靡有(なびけり)如聞(ききしごと)陳奴(ちぬ)壯士(をとこ)にし依(よりに)けらしも(万1811)

やすみしし 和期(わご)大王(おほきみ)の 恐(かしこき)や 御陵(みはか)奉仕(つかふ)る 山科(やましな)の 鏡山(かがみのやま)に、、(万155)

 

 万葉集では日本語の「はか」に「墓」「陵」が使われている。古代中国語の「墓」は墓[mak] であり、「陵」は陵[liəng] である。

 日本語の「はか」は中国語の墓[mak] と同源であろう。日本漢字音は墓(ボ)は墓[mak]の韻尾[-k]が脱落したものである。墓と声符を同じくする漢字に、莫[mak](バク)、爆[mak](バク)などがある。莫(バク)は韻尾[-k]が保たれていて、墓(ボ)では失われている。万葉集の時代の日本語では濁音が語頭にくることがなかったので、鼻濁音の墓[mak] の頭音はハ行であらわれている。

 「陵」の古代中国語音は陵[liəng] である。「陵」は大墓のことであり、皇帝の墓などに用いられる。「陵」の祖語には入りわたり音があり、陵[(h)liəng*] のような音であったと推定できる。陵(はか)は入りわたり音[h] が発達したものであろう。韻尾の[ng]は隋唐の時代以前には[k]に近かったことが中国語音韻史では知られている。

○同源語:

靡(なび)く、依(よる)、我(わご・わが)、王(きみ)、御(み)、山(やま)、鏡(かがみ)、

 

【芽[ngea/hea*][tzia/xia*]・はぎ】

春日野(かすがの)に咲(さき)たる芽子(はぎ)は片枝(かたえだ)は未(いまだ)含(ふふ)めり言(こと)勿(な)絶(たえ)そね(万1363)

霍公鳥(ほととぎす)音(こゑ)聞(きく)小野(をの)の秋風(あきかぜ)に芽(はぎ)開(さきぬ)れや聲(こゑ)の乏(ともし)き(万1468)

 

 万葉集では「はぎ」に「芽子」「芽」「波疑」などの漢字があてられている。古代中国語の「芽」は芽[ngea] である。芽[ngea] の疑母[ng] は調音の位置(後口蓋)が喉音[h] に近い。中国語のは牙音系([k][kh][g][ng])は日本語でハ行にあらわれることがある。

 例:干・乾[kan] ほす、姫[kiə] ひめ、古[ka] ふるい、骨[kuət] ほね、広[kuang] ひろ

   い、光[kuang] ひかり、経[kyeng] へる、堀[khuət] ほり、掘[giuət] ほる、牙[ngea]

   は、臥[ngua] ふす、

○同源語:

野(の)、咲(さく)、未(いまだ)、包含(ふふむ<含>)、言(こと)、勿(な)、断(たえる・<絶>)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、聲(こゑ・<音>)、小(を)、咲(さく・<開>)、聲(こゑ・<馨>)、

 

【剥[peok]・はぐ】

あしひきの 此(この)片山(かたやま)の もむ尓礼(にれ・楡)を 五百枝(いほえ)波伎(はぎ・剥)垂(たれ)、、(万3886)

 

 「波伎」は音表記だが、「楡の皮をはぎ」のだから剥(はぎ)であろう。「剥」の古代中国語音は剥[peok]である。剥(ハク・はぐ)は音訓ともに中国語の剥[peok] に由来するものである。古代日本語では語頭では清音の音が第二音節以下にくると濁音になるという音韻規則があったから、訓では剥(はぐ)となって濁音であらわれている。

○同源語:

此(この)、山(やま)、垂(たれ)る、

 

【匣[heap]、筥[kia]、篋[khyap]、箱[siang/xiang*]・はこ】

白玉(しらたま)を手(て)には不纏(まかず)に匣(はこ)耳(のみに)置有(おけり)し人(ひと)ぞ玉(たま)令詠(なげかす)る(万1325)

此(この)筥(はこ)を開(ひらき)て見(み)てば 如本(もとのごと) 家(いへ)は将有(あらむ)と 玉篋(たまくしげ) 小(すこし)披(ひらく)に 白雲(しらくも)の 箱(はこより)出(いで)て 常世(とこよ)邊(へに) 棚引(たなびき)去(ぬれ)ば、、(万1740)

東人(あづまひと)の荷向(のさきの)篋(はこ)の荷(に)の緒(を)にも妹(いもは)情(こころ)に乗(のり)にけるかも(万100)

 

 日本語の「はこ」は匣・筥・箱・篋などと表記されている。「たまくしげ」も「篋」のことである。これらの漢字の古代中国語音は、匣[heap]、筥[kia]、箱[siang]、篋[khyap]、である。

 万葉集では中国語の[h][k] などが「は行」であらわれることが多い。日本語の「はこ」は匣[heap]、篋[khyap] と同系のことばであろう。

 [h][x]の例:華[hoa] はな、戸[ha] へ、羽[hiua] は、火[xuəi] ひ、灰[huəi] はい、閑[hean]  

  ひま、幌[huang] ほろ、弘[huang] ひろい、惚[xuət] ほれる、降[hoəm] ふる、

 [k]の例:姫[kiə] ひめ、機[kiəi] はた、古[ka] ふるい、蓋[kat] ふた、骨[kuat] ほね、

   広[kuang] ひろい、経[kyeng] へる、

 箱[siang](はこ)だけが違う系統の音のように見える。しかし、箱[siang] の祖語(上古音)は箱[xiang*] であったのではないかと考えられる。上古音の[x] は摩擦音ではなく、カ行音に近かったから、「箱」もまた「匣」「篋」と同系のことばである可能性がある。

 三番目の歌(万100)の意味は「東国人の貢物を入れた箱の緒のように、妹は私の心をつかまえている」というほどの意味であろう

○同源語:

手(て)、耳(のみ・みみ)、置(おく)、此(こ)の、見(みる)、本(もと)、雲(くも)、出(いづ)、常(とこ)、世(よ)、邊(へ)、壇・段(たな・<棚>)、妹(いも)、心(こころ)、乗(のる)、

 

【挾[hyap]・はさむ】

緑兒(みどりご)の 乞(こひ)哭(なく)ごとに 取(とり)まかす 物(もの)し無(なけれ)ば 男自物(をとこじもの) 腋(わき)挾(はさみ)持(もち) 吾妹子(わぎもこ)と 二(ふたり)吾(わが)宿(ね)し 枕(まくら)附(づく) 嬬屋(つまやの)内(うち)に、、(万213)

 

 古代中国語の「挟」は挾[hyap] である。日本語の「はさむ」は中国語の「挟」と同源であろう。韻尾の[p] はマ行に転移している。

 喉音[h][x]がハ行であらわれる例:羽[hiua] は、華[hoa] はな、灰[huəi] はひ、降[hoəm]  

  ふる、荷子[hai] はす、火[xuəi] ひ、花[xoa] はな、惚[xuət] ほれる、揮[xiuəi] ふる 

  ふ、

 韻尾の[p] がマ行であらわれる例:汲[kiəp] くむ、湿[sjiəp] しめる鴨[keap*] かも、

    [dyap] たたみ、

○同源語:

兒(こ・<睨>)、泣(なく・<哭>)、取(とる)、物(もの)、無(な)し、腋(わき)、吾妹子(わぎもこ)、吾(わが)、寐(ね・<宿>)る、妻嬬(つま・<嬬>)、

 

【幡[phiuan/phiuat*]・はた・<旗>】

青旗(あをはた)の木旗(こはた)の上(うへ)をかよふとは目(め)には雖視(みれども)直(ただ)に不相(あはぬ)かも(万148)

諸人(もろびと)の 恊(おびゆ)るまでに ささげたる 幡(はた)の靡(なび)きは、、

(万199)

 

 日本語の「はた」には旗[giə]、幡[phiuan] が使われている。日本語の「はた」な中国語の「幡」と同源であろう。韻尾の[n] は上古音では入声音[t] に近かった。

 同じ声符の文字をタ行とナ行に読み分ける例:産[san](サン)・薩[sat*](サツ)、珊[san] 

  (サン)・冊[tshek](サツ)、因[ien](イン)・咽[yet*](エツ)、散[san](サン)・撒[sat]

  (サツ)、吻[niuət](フン)・物[miuət](ブツ)、乾[kan](カン)・乞[khiət](コツ)、

 日本漢字音でも音では「ン」であらわれ、訓では「た行」であらわれるものがある。訓の方が古く、音の方が新しい。

 音・訓で読みわける例:腕[uan](ワン・うで)、肩[kyan](ケン・かた)、楯[djiuən](ジ

  ュン・たて)、本[puən](ホン・もと)、元[ngiuan](ゲン・もと)、言[ngian](ゲン・

  こと)、綿[mian](メン・わた)、面[mian](メン・おもて)、管[kuan](カン・くだ)、

  鞭[bian](ビン・むち)、堅[kyen](ケン・かたい)、断[duan](ダン・たつ)、満[muan]

  (マン・みつ)、

 中国語音韻史によると、唐代の韻尾[n] の上古音は[t]であったとされている。[t] [n] は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。日本語の「幡(はた)」は中国語の上古音の痕跡を留めているといえる。

○同源語:

目(め)、見(みる・<視>)、合(あふ・<相>)、靡(なび)く、

 

【機[kiəi/kiəd*]・はた】

棚機(たなばた)の五百(いほ)機(はた)立(たて)て織(おる)布(ぬの)の秋(あき)去(さり)衣(ごろも)孰(たれか)取(とり)見(みむ)(万2034)

 

 「機」の古代中国語音は機[kiəi]である。中国語の見母[k]は訓では「は行」であらわれることがある。

例:姫[kiə](ひめ)、古[ka](ふるい)、蓋[kat](ふた)、骨[kuət](ほね)、頬[kyap](ほほ)、

    [kan](ひる)、光[kuang](ひかり)、廣[kuang](ひろい)、経[kyeng](へる)、

 台湾の音韻学者、董同龢は『上古音韻表稿』のなかで「機」の上古音は機[kiəd*]であるとしている。もし、「機」の上古音が機[kiəd]であったとすれば、「はた」の「た」は上古音の韻尾を継承したものであろう。

 古事記には機織りについて次のような記述があり、機織りは神代の時代から行われていたことになっている。

 

 天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)して、神御衣(かむみそ)織らしめたま

 ひし時、その服屋(はたや)の頂(むね)を穿ち、天(あめ)の斑馬(ふちこま)を逆

 剥(さかは)ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時に、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、

 梭(ひ)に陰上(ほと)を衝(つ)きて死にき。

 

 実際に弥生時代の遺跡から木製の織機が出土している。

● 朝鮮語の「機織」はpe theulである。日本語の「はた」は朝鮮語のpe theulと同系のことばであろう。

○同源語:

立(たてる)、織(おる)、取(とる)、見(みる)、

 

【畑(はたけ)】

宇恵之(うゑし・植)田(た)も 麻吉之(まきし・播)波多氣(はたけ)も 安佐(あさ)ごとに 之保美(しぼみ)可礼(かれ・枯)由苦(ゆく)、、(万4122)

 

● 朝鮮語の「はた」にあたることばはpattである。朝鮮語のpattは田と畑の両方をさす。朝鮮語の「田」にあたる語にはnon(万1710)があって、nonは田だけに使われる。nonは中国語の田[dyen] と同源であろう。

  大野晋は『日本語の起源』(旧版)で日本語の農作関係の語彙に朝鮮語と類似したものが多いとして、畑(pat)、鉈(nat)、𣑥(tak)、小網(sadul)、鉏(stapo)、鍬(xomai)、串(kot)などをあげている。そして「いかに日本の農業が朝鮮半島軽油の技術によって開発されたものであるかをよく示している。」(p.124)としている。

 朝鮮語のpattは田にも畑にも使われるが、日本語の「はた」水田に対して陸田にだけ使われる。

○同源語:

田(た)、播(まく)、枯(かれ)る、行(ゆく)、●朝(あさ)、

 

【荷子[hai tziə]・はちす<蓮>)】

勝間田(かつまた)の池(いけ)は我(われ)知(しる)蓮(はちす)無(なし)然(しか)言(いふ)君(きみ)が鬚(ひげ)無(なき)如し(万3835)

御佩(みはかし)を 劔池(つるぎのいけ)の 蓮葉(はちすは)に 渟(たま)れる水の 徃方(ゆくへ)無(なみ)、、(万3289)

 

 万葉集では「蓮」を「はちす」と読んでいる。「蓮」の中国語音は蓮[lian] である。記紀万葉の時代には「はちす」を「荷」と表記した例もある。『和名抄』には「荷、芙蕖、其子蓮(波知須乃美)・其根藕(波知須乃祢)」とある。

 日本語の「はちす」「はす」は「荷子」から派生したことばである可能性がある。「荷」の古代中国語音は荷[hai]であり、羽[hiua] は、匣[heap] はこ、挟[hyap] はさむ、などでも日本語ではハ行であらわれる。意味は「蓮」である。

○同源語:

間(ま)、田(た)、我(われ)、知(し)る、無(な)し、君(きみ)、御(み)、佩(はく)、葉(は)、行・往(ゆく・<徃>)、方(へ)、●言(いふ)、水(みづ)、

 

【はな(花)】

和我(わが)夜度(やど)の花(はな)橘(たちばな)を波奈(はな)ごめに多麻(たま)にぞ安我(あが)ぬく麻多(また)ば苦流之美(くるしみ)(万3998)

青丹吉(あをによし)寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲(さく)花(はな)の薫(にほふが)如(ごとく)今(いま)盛(さかり)有(なり)(万328)

 

 古代中国語の「花」は花[xoa] である。日本語の「はな」は中国語の花[xoa] から派生したことばであろう。花[xoa] は華[hoa] とも同系のことばである。「は+な」の「な」の語源は不明である。

 董同龢の『上古音韻表稿』では「華」の上古音を華[hwag*]と再構している。日本語の「はな」の「な」は中国語の韻尾の痕跡を伝えている可能性がある。

○同源語:

吾(わが)、花(はな)、我(あが)、苦(くるし)、咲(さく)、今(いま)、盛(さかり)、

 

【灰[huəi]・はひ】

汝(なが)戀(こふる) 妹(いも)は座(ます)と 人(ひとの)云(いへ)ば 石根(いはね)割(さく)見(み)て なづみ來(こ)し 好(よけ)くもぞ無(なき) うつそみと 念(おもひ)し妹(いも)が 灰(はひ)にて座(ませ)ば(万213)

紫(むらさき)は灰(はひ)指(さす)物(もの)ぞ海石榴市(つばきち)の八十(やそ)の街(ちまた)に相(あへる)兒(こ)や誰(たれ)(万3101)

 

 古代中国語の「灰」は灰[huəi] である。古代中国語の喉音[h-] は弥生時代・古墳時代の弥生音ではハ行で受け入れられ、日本が本格的な文字時代に入った8世紀以降の日本語ではカ行に転移したものと考えられる。

 現代の中国語の広東音では花(fa)、火(fo)、灰(fui)である。日本漢字音は唐代の長安の音を正音としているが、日本語の発音は江南音の影響も無視できない。日本語の「はひ」は中国語の灰[huəi] と同源である。

○同源語:

汝(な)、妹(いも)、根(ね)、見(みる)、来(くる)、無(な)き、指(さす)、物(もの)、合(あふ・<相>)、兒(こ・<睨>)、●云(いふ)、

 

【匍匐[bua-biuk]・はふ】

若子(みどりこ)の匍匐(はひ)たもとほり朝夕(あさよひに)哭(ね)耳(のみ)ぞ吾(わが)泣(なく)君(きみ)無(なし)にして(万458)

 

 「はふ」と「匍匐」は音義ともに近い。日本語の「はふ」は中国語の匍匐[bua-biuk] と同源であろう。

○同源語:

子(こ・<兒>)、音(ね・<哭>)、耳(のみ・みみ)、吾(わが)、泣(なく)、君(きみ)、無(な)し、●朝(あさ)、

 

【濱[pien]・はま】

粟路(あはぢ)の野嶋(のしま)の前(さき)の濱風(はまかぜ)に妹(いも)が結(むすびし)紐(ひも)吹(ふき)返(かへす)(万251)

大夫(ますらを)は御獦(みかり)に立(たた)し未通女(をとめ)等(ら)は赤裳(あかも)須素(すそ)引(ひく)清(きよき)濱備(はまび)(万1001)

 

 古代中国語の「濱」は濱[pien] である。古代日本語には「ン」で終わる音節はなかったので、韻尾に母音を添加して濱(はま)とした。

 韻尾の[n] [m] は調音の方法が同じであり、転移しやすい。現代の北京語では[n] [m] は合流して[n] だけになっている。

 中国語の韻尾[n] がマ行であらわれる例:肝[kan] きも、君[giuən] きみ、文[miuən] ふ 

  み、蝉[zjian] せみ、点[tyan] ともす、混[huən] こむ、困[khuən]こまる、 [thən]

  む、眠[myen] ねむる、など。

○同源語:

野(の)、洲(しま・<嶋>)、妹(いも)、絆・繙(ひも・<紐>)、還(かへす・<反>)、御(み)、獦(かり)、立(たつ)、赤(あか)い、清(きよき)、邊(び・べ)、●嶋(しま)、裳(も)

 

【原[ngiuan]・はら】

明日香(あすか)の 真神(まかみ)の原(はら)に 久堅(ひさかた)の 天(あま)つ御門(みかど)を 懼(かしこく)も 定(さだめ)賜(たまひ)て、、(万199)

秋去(さら)ば今(いま)も見(みる)如(ごと)妻(つま)戀に鹿(か)将鳴(なくらむ)山そ高野原の宇倍(うへ)(万84)

飫(おうの)海(うみ)の河原(かはら)の乳鳥(ちどり・千鳥)汝(なが)鳴(なけ)ば吾(わが)佐保河(さほがは)の所レ念(おもほゆら)くに(万371)

 

 古代中国語の「原」は原[ngiuan] である。古代日本語には鼻濁音[ng] ではじまる音節はなかったので、語頭の[ng] はカ行またはハ行に転移した。また、韻尾の[n] はラ行に転移した。

語頭の[ng] がハ行であらわれる例:牙[ngea] は、芽子[ngea] はぎ、臥[nguai] ふす、

語頭の[ng] がカ行であらわれる例:雁[ngean] かり、刈[ngiat] かる、凝[ngiəng] こる、

韻尾の[n] がラ行であらわれる例:漢[xan]・韓[han] から、雁[ngean] り、塵[dien] ちり、 

   [njiuən] ぬらす、練[lian] ねる、嫌[hyam] きらふ、薫[xiuən] かをる、

 最初の歌(万199)の「原」の朝鮮語訳はpeolである。

 二番目の歌(万84)の「原」はteul phanとなっている。teulは野であり、teul phanは野原である

 日本語の原(はら)、朝鮮語のpeolあるいはphan とも同系のことばであろう。

○同源語:

真(ま)、神(かみ・<坤>)、堅(かたい)、天(あめ)、御(み)、門(かど)、今(いま)、見(みる)、妻女(つま・<妻>)、鳴(なく)、山(やま)、野(の)、海(うみ)、河(か・かは)、千鳥(ちどり・<乳鳥>)、汝(な)、吾(わが)、

 

【腹[piuək]・はら】

皇(おほきみ)は神(かみ)にし座(ませ)ば赤駒(あかごま)の腹(はら)婆布(ばふ)田(た)ゐを京師(みやこ)となしつ(万4260)

 

 古代中国語の「腹」は腹[piuək] である。日本語の「はら」は中国語の腹[piuək] と同源であろう。

 韻尾の[k] がラ行であらわれる例:色[shiək] いろ、黒[xək] くろ、夜[jyak] よる、織

  [tjiek] おる、射[djyak] いる、涸[hak] かれる、足[tziok] たる、悪[ak] わるい、など

 また、日本語の「へそ」は中国語の腹臍[piuək-dzei] から派生したことばであろう。

○同源語:

皇(きみ)、神(かみ・<坤>)、赤(あかい)、駒(こま・<句+馬>)、匍匐(はふ)、田(た)、

 

【拂[piuət]・祓[buat]・はらふ・<掃>】

國(くに)看(み)之(し・為)せして 安母里(あもり・天降)麻之(まし・坐) 掃(はらひ)平(たひらげ) 千代(ちよ)累(かさね)、、(万4254)

奈加等美(なかとみ・中臣)の敷刀能里等(ふとのりと・祝詞)其等(ごと・言)伊比(いひ)波良倍(はらへ・祓)安賀布(あかふ・贖)伊能知(いのち)も多(た)が多米(ため)に奈礼(なれ)(万4031)

安豆左(あづさ)由美(ゆみ・弓)欲良(よら)の夜麻(やま・山)邊(べ)の之牙可久尓(しげかくに・繁)伊毛(いも・妹)ろを多弖天(たてて・立)左祢度(さねど・寐處)波良布(はらふ・拂)(万3489)

 

 古代中国語の「掃」は掃[su] あるいは掃[tjiu] である。二番目の歌(万4031)の「波良倍」は「祓へ」である。三番目の歌(万3489)の「波良布」は「拂ふ」である。日本語の「はらふ」は拂[piuət] あるいは祓[buat] と同系のことばであろう。韻尾の[t] はラ行に転移した。[t] [l] は調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。中国語の韻尾[t] がラ行に転移したものをいくつかあげることができる。

 例:出[thiuət] でる、掘[giuət] ほる、擦[tziat] する、没[muət] うもる、渇[khat] かれ 

   る、刈[ngiat] かる、徹[diat] とほる、惚[xuət] ほれる、越[hiuat] こえる、絶[dziuat]

   たえる、折[tjiat] る、垂[zjiuai/zjiuat*] たれる、など

● 朝鮮漢字音では中国語の韻尾[t] は規則的に[l] に転移する。「拂」「祓」の朝鮮漢字音は拂(pul)、祓(pul)である。

○同源語:

国(くに・<県・郡>)、見(みる・<看>)、天降(あもり)、平(ひら・たひらげる)、千(ち)、世(よ・<代>)、中臣(なかとみ)、言(ごと)、弓(ゆみ)、山(やま)、邊(へ)、妹(いも)、立(たつ)、寐(ね)、●告言(のりと)、云(いふ)

 

【鍼[tjiəm/hiəm*]・はり・<針>】

針(はり)は有(あれ)ど妹(いも)し無(なけれ)ば将著(つけめ)やと吾(われ)を令煩(なやまし)絶(たゆる)紐(ひも)の緒(を)(万2982)

吾(わが)背子(せこ)が盖(け)せる衣(ころも)の針目(はりめ)落(おちず)入(いり)にけらしも我(わが)情(こころ)さへ(万514)

 

 古代中国語の「針」は針[tjiəm] である。「はり」は箴・鍼[tjiəm] とも書く。「箴」「鍼」と同じ声符をもつ漢字に「感」があり、古代中国語音は感[həm] である。「箴」「鍼」の祖語(上古音)は箴・鍼[hiəm*] に近い音であったと考えることができる。それが[-i-] 介音の発達により箴・鍼[hiəm*] になり、更にそれが口蓋化して箴・鍼[tjiəm] になったものであろう。

 白川静は『字通』で「針 正字は鍼に作り、咸(かん)声。咸に箴(しん)の声があり、[説文] に箴を咸声とするが、あるいは鍼の省声かもしれない。」としている。

 喉音[h]が「は行」であらわれる例:降[hoam] ふる、匣[heap] はこ、灰[huəi](はひ)、 

  戸[ha] へ、閑[hean] ひま、華[hoa] はな、脛[hyeng] はぎ、宏[hoəng] ひろい、

 韻尾の[m] がラ行であらわれる例:降[hoam] おる・ふる、嫌[hyam] きらふ、沾[tham]

  ぬれる、など

● 朝鮮語の針はpa neulである。pa neulは日本語の「はり」に音義ともに近い。日本語の「はり」は上古中国語の鍼[hiəm*]、あるいは朝鮮語のpa neulと同系のことばであろう。

○同源語:

妹(いも)、無(な)し、著(つけ)る、吾(われ)、断(たゆる・<絶>)、絆・繙(ひも・<紐>)、吾・我(わが)、目(め)、堕(おちる・<落>)、入(いる)、心(こころ・<情>)、

 

【榛[tzhen/hen*]・はり】

和我(わが)勢故(せこ)が 垣都(かきつ)の谿(たに)に あけされば 榛(はり)の狭枝(さえだ)に 暮(ゆふ)されば 藤(ふじ)の繁美(しげみ)に はろはろに 鳴(なく)霍公鳥(ほととぎす)、、(万4207)

引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入乱(いりみだり)衣(ころも)にほはせ多鼻(たび・旅)のしるしに(万57)

 

 古代中国語の「榛」は榛[tzhen] であるとされている。日本漢字音は榛(シン・はり)である。同じ声符をもった漢字の「秦」があり、日本漢字音は秦[dzyen](シン・はた)である。サ行の音とハ行の訓はほとんど関係ないように見えるが、鍼灸などの「鍼」「箴」の場合も箴・鍼[tjiəm](シン・はり)のような対応がある。

 後口蓋音[k][g] や喉音[h][x] が日本漢字音ではサ行であらわれることがある。  

 例:榛(シン・はり)、秦(シン・はた)、箴・鍼(シン・はり)、神(シン・かみ)、

   辛(シン・からい)、嗅(シュウ・かぐ)、切(セツ・きる)、小(シ ョウ・こ)、 

   子(シ・こ)、消(ショウ・きえる)、削(サク・けずる)、など

 また、同じ声符の漢字がカ行とサ行に読み分けられるものが多くある。

例:技(ギ)・枝(シ)、期(キ)・斯(シ)、耆(キ)・旨(シ)、祇(ギ)・氏(シ)、訓(ク

    ン)・川(セン)、堅(ケン)・腎(ジン)、坤(コン)・神(シン)、宦(カン)・臣(シ 

    ン)、絢(ケン)・旬(ジュン)、赫(カク)・赤(セキ)、言(ゲン)・信(シン)、活(カ

    ツ)・舌(ゼツ)、逆(ギャク)・朔(サク)、嗅(キュウ)・臭(シュウ)、勘(カン)・

    甚(ジン)、庫(コ)・車(シャ)、馨(ケイ)・声(セイ)、

 これれの事実を総合的に考えると、後口蓋音[k][g] にも口蓋化が起こり、摩擦音化したと考えると整合的な説明ができる。榛(はり)は上代中国語音の痕跡をとどめた音であり、日本語の「はり」と中国語の「榛」は同源であろう。「榛」は「榛名」などでは榛(はる)となる。

○同源語:

我(わが)、鳴く(なく)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、馬(ま・うま)、野(の)、原(はら)、入(いる)、

 

【春[thjiuən]・はる】

石(いは)激(ばしる)垂見(たるみ)の上(うへ)の左和良妣(わわらび)の毛要(もえ)出(いづる)春(はる)に成(なりに)けるかも(万1418)

春楊(はるやなぎ)葛山(かづらきやま)に發(たつ)雲(くもの)立(たちても)座(ゐても)妹(いもをしそ)念(おもふ)(万2453)

 

 「春」の古代中国語音は春[thjiuən] である。春[thjiuən] の頭音[th-]は日本語にはない有気音で、口の中にためた空気を勢いよく吐き出す音である。日本漢字音では春(シュン)であるが、中国語の[t][th]系の音は介音[i]を伴う場合、訓が「は行」であらわれることがある。介音[i]を伴うものには日本語の訓がハ行であらわれるものがいくつか見られる。  

 中国語の[th]が「は行」であらわれる例:禿[thuk](トク・はげ)、紐[thio](チュウ・ひ

  も)、恥[thiə](チ・はぢ)、

 これを偶然の一致とみるか、音韻転移の法則にあったものとみるかは、判断の別れるところであろう。

●「春」の朝鮮語はpomである。pompは日本語のハ行に対応している。韻尾の[m] が日本語ではラ行であらわれ事例についてはすでに述べた。

 例:鍼[tjiəm/hiəm*] はり、嫌[hyam] きらふ、減[kiam] へる、降[hoəm] ふる、など

 朝鮮語のpom(春)も日本語の「はる」と同源であろう。

○同源語:

垂(たれる)、見(みる)、萌(もえ)る、出(いづる)、楊(やなぎ)、葛(かづら)、山(やま)、立(たつ・<發>)、雲(くも)、妹(いも)、

 

【火[xuəi]・ひ・ほ】

能登海(のとのうみ)に釣(つり)為(する)海部(あま)の射去火(いさりび)の光(ひかり)にい徃(ゆけ)月(つき)待(まち)がてり(万3169)

螢(ほたる)成(なす) 髣髴(ほのかに)聞(きき)て 大土(おほつち)を 火穂(ほのほ)と跡(ふみ)て 立(たちて)居(ゐ)て 去方(ゆくへ)も不知(しらず)、、

(万3344)

春野(はるの)焼(やく) 野火(のび)と見(みる)まで 燎(もゆる)火(ひ)を 何如(なにかと)問(とへ)ば、、(万230)

 

 古代中国語の「火」は火[xuəi] である。中国語の火[xuəi] は訓では火(ひ・ほ)であり、音は火(カ)である。一般に火(ひ)は「やまとことば」であり、火(カ)は中国語音であると考えられているが、火(ひ)も火(カ)も中国語の火[xuəi] と同源であろう。

  火(カ)は 日本語が本格的な文字時代に入った8世紀以降、中国では唐の時代の中国語音を取り入れたものであり、火(ひ)は日本が中国文明の影響を受けはじめた弥生時 代の初期から古墳時代をとおして約1000年にわたって中国と接触するなかで、多分江南地方の音に依拠した発音である。

 中国語の喉音[h][x]など が訓では「は行」であらわれ、音では「カ行」であらわれるものにはつぎのような例がある。

 例:灰[huəi](カイ・はひ)、華[hoa](カ・はな)、幌[huang](コウ・ほろ)、惚[xuat] (コ

   ツ・ほれる)、寛[khuan] (カン・ひろい)、

 現代の中国語でも、日本漢字音でカ行であらわれるものが、広東音ではfであらわれるものがある。。

 例:火(fo)、灰(fui)、花(fa)、惚(fat)、幌(fong)、寛(fun)

 8世紀の人の 視点でみれば、火(ひ)は以前から日本で行われていた発音であり、火(カ)は新しく唐から入ってきた発音であったに違いない。「やまとことば」とは日本古 来のことばばかりでなく、8世紀以前に日本語のなかに取り入れられた中国語や朝鮮語の語彙も含んだ呼び名である。

● 朝鮮語の「火」はpulである。日本語の「ひ(火)」は朝鮮語のpulと音義ともに近い。

○同源語:

海(うみ)、釣(つり)、海部(あま)、射(いる)、光(ひかり)、行(ゆく・<徃>)、地(つち・<土>)、立(たつ)、行方(ゆくへ・<去方>)、知(しる)、春(はる)、野(の)、焼(やく)、見(みる)、燃(もゆる・<燎>)●月(つき)、

 

【日(ひ)】

比(ひの・日)具礼(くれ・昏)に宇須比(うすひ)の夜麻(やま・山)を古由流(こゆる・越)日(ひ)は勢奈(せな・兄等)のが素[亻+弖]*(そで・袖)もさやに布良思(ふらし・振)つ(万3402)

春日(はるひ)を 春日(かすがの)山(やま)の 高座(たかくら)の 御笠(みかさ)の山(やま)に、、(万372)

天地(あめつち)の 遠(とほき)が如(ごとく) 日(ひ)月(つき)の 長(ながき)が如(ごとく) おし照(てる) 難波(なには)の宮(みや)に、、(万933)

 

● 朝鮮語の「日」はhaeである。日本語の「ひ」は朝鮮語の日(hae) と同源であろう。

 金思燁の『韓譯萬葉集』をみると、一番目の歌(万3402)の最初の「比(ひ)」はhaeと訳し「古由流(こゆる)日(ひ)」の「日」はnalと訳している。朝鮮語ではhaeは主に太陽(the sun) に使われ、nalは日(day) に使われる。

 「日」の朝鮮漢字音は日(il)である。朝鮮語の訓(古来)のnalは古代中国語の日[njiet]と同源であろう。朝鮮語では中国語の韻尾[t]は規則的に[l]に転移する。

 二番目の歌(万372)の「春日(かすが)」の日(ガ)は朝鮮語の日haeが日本語でカ行であらわれたものである。朝鮮語の(h)は日本漢字音では一般にカ行であらわれる。

 例:賀(ha) ガ、下(ha) ゲ、學(hak) ガク、虐(hak) ギャク、限(han) ゲン、含(ham)

   ン、合(hap) ゴウ、害(hae) ガイ、該(hae) ガイ、現(hyeon) ゲン、玄(hyeon) ゲン、

   豪(ho) ゴウ、護(ho) ゴ、互(ho) ゴ、畫(hwa) ガ、幻(hwan) ゲン、後(hu) ゴ、

 日(ひ)には三日などのように日(か)という読み方がある。日(か)も朝鮮語の日(hae)と同系のことばである。

○同源語:

昏(くれ)、山 (やま)、越(こゆる)、袖(そで)、春(はる)、御(み)、夜(よ・<夕>)、耳(のみ・みみ)、合(あふ・<相>)、更(ふける・<深>)、行・往 (ゆく・<徃>)、天(あめ)、地(つち)、長(ながい)、照(てる)、廟(みや・<宮>)、●ひ(ひ)、春日(かすが・<が・日>)、笠(かさ)、月 (つき)、

 

【氷[pieng]・ひ】

吾(わが)衣袖(ころもで)に 置(おく)霜(しも)も 氷(ひ)に左叡(さえ)渡(わたり) 落(ふる)雪(ゆき)も 凍(こほり)渡(わたり)ぬ、、、(万3281)

𣑥(たへ)の穂(ほ)に 夜(よる)の霜(しも)落(ふり) 磐床(いはとこ)と 川(かは)の氷(ひ)凝(こごり) 冷(さむき)夜(よ)を、、、(万79)

 

 古代中国語の「氷」は氷[piəng] である。古代日本語の氷(ひ)は中国語の氷[piəng] の韻尾が脱落したものでる。

  ちなみに、日本語の氷(こほり)は凝[ngiəng] と同源であろう。

○同源語:

吾(わが)、袖(そで)、置(おく)、霜(しも)、降(ふる・<落>)、凝(こほる・<凍>)、夜(よる)、床(とこ)、川(かは・<訓>)、凝(こごる)、

 

【檜[huai]・ひ】

衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 真木(まき)さく 檜(ひ)の嬬手(つまで)を、、、(万50)

 

 古代中国語の「檜」は檜[huai] である。日本語の「ひ」「ひのき」は中国語の檜[huai] と同源であろう。中国語の喉音[h][x]は日本語の訓では「は行」であらわれるものが多い。音はか行であらわれるが、「は行音」は隋唐の時代以前の中国語音を継承している。

例:匣[hea](コウ・はこ)、挟[hyap](キョウ・はさむ)、荷子[hai-](カ・はす)、花[xoa]

  華[hoa](カ・はな)、灰[huəi](カイ・はひ)、火[xuəu](カ・ひ)、など。

○同源語:

手(て)、田(た)、山(やま)、真(ま)、妻嬬(つま・<嬬>)、

 

【稗[pie]・ひえ】

打田(うつたには)稗(ひえは)數多(あまたに)雖有(ありといへど)擇(えらえ)為(し)我(われぞ)夜(よを)一人(ひとり)宿(ねる)(万2476)

水(みづ)を多(おほみ)上(あげ)に種(たね)蒔(まき)比要(ひえ・稗)を多(おほみ)擇擢(えらえ)し業(なり)ぞ吾(わが)獨(ひとり)宿(ねる)(万2999)

 

 古代中国語の「稗」は稗[pie] である。日本語の「ひえ」は中国語の稗[pie] と同源である。

 『古事記』を誦述したのは稗田阿礼とされている。稗(ひえ)も田(た)も中国語と同源である。

 弥生時代の初期には稗は米、麦、などとともに重要な作物であった。稗[pie] も米[hmei*] も麥[muək] も中国語と同源である。

 

 日本語のハ行は中国語の頭音[p] に対応するものと、中国語の喉音[h][x] に対応するものとがある。[p] は必ずハ行であらわれる。喉音[h][x] も訓では「は行」であらわれるものがある。古代日本語のハ行は唇音であり「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」に近かったというのが、国語学会の通説であるが、それは源氏物語の時代のことであり、万葉集の時代の日本語のハ行には喉音が含まれていた。

○同源語:

打(うつ)、田(た)、我(われ)、夜(よ)、寐・眠(ねる・<宿>)、種(たね)、播(まく・<蒔>)、吾(わが)、●水(みづ)、

 

【ひかり(光)】

天原(あまのはら) 振(ふり)放(さけ)見(みれ)ば 度(わたる)日(ひ)の 陰(かげ)も隠(かくら)ひ 照(てる)月(つき)の 光(ひかり)も不レ見(みえず)、、(万317)

 

 「光」の古代中国語音は光[kuang] である。中国語の「光」は日本語の「ひかり」にも「かげ」にも使われる。日本語の「ひかり」は中国語の光[kuang]の頭音[k-]が「は行」に転移したものである。「かげ」は中国語の光[kuang] が「か行」であらわれたものである。

 中国語の[k] はしばしば日本語で「は行」であらわれる。

 例:廣[kuang] ひろい、寛[khuan] ひろい、頰[kyap] ほほ、蓋[kat] ふた、骨[kuət]

      ね、干[kan] ひる、經[kyeng] ふる、減[kəm] へる、

 中国語では陰(かげ)も光の意味に使われることがある。

 

落(おち)多藝知(たぎち)流(ながるるる)水(みづ)の磐(いはに)觸(ふれ)与杼賣類(よどめる)与杼(よど)に月影(つきのかげ)所レ見(みゆ)(万1714)

 

 この歌(万1714)の「月影」は「月の光」である。

 「影」の古代中国語音は影[yang] である。しかし、同じ声符をもった漢字に景[kyang]があり、「影」の祖語も影[kyang*] という音をもっていたと考えられる。影[kyang*]は光[kuang] に音が近い。中国語では売買、授受、のように音価の近いことばを反対の意味に使うことがある。

 「かぐや姫」の「かぐ」は「光」で「光り耀く姫」であろう。

○同源語:

天(あめ)、原(はら)、見(みる)、光・影(かげ・<陰>)、隠(かくる)、照(てる)、堕(おちる・<落>)、澱(よど)む、●日(ひ)、月(つき)、水(みづ)、

 

【姫女[kia/hia* njia/mia*]・ひめ】

夏野(なつのの)の繁(しげ)みに開(さけ)る姫(ひめ)百合(ゆり)の不知(

しらえぬ)戀(こひ)は苦(くるしき)物(もの)ぞ(万1500)

夜麻(やま・山)の奈(な・名)と伊賓(いひ)都夏(つげ・續)とかも佐用比賣(さよひめ)がこの野麻(やま・山)の閉(へ・上)に比例(ひれ)を布利(ふり)けむ

(万872)

 

 万葉集では姫は彦に対して成人女性一般をさすことばである。「姫」の古代中国語音は姫[kiə] である。「姫」の祖語(上古音)は姫[hiə*] に近い音だったのではあるまいか。日本語の「ひめ」は姫女[hia* mia*]と同源である。

 日本書紀には「媛(ひめ)蹈鞴(たたら)五十鈴(いすず)媛(ひめ)命(みこと)」(神武前紀)の名がみえ、「媛」が使われている。愛媛県の「媛」である。「媛」の古代中国語音は媛[hiuan] であり、日本語の「ひめ」に音義ともに近い。

○同源語:

野(の)、咲(さく・<開>)、知(しる)、苦(くる)しい、物(もの)、山(やま)、名(な)、續(つげ・つぐ)、●云(いふ)、

 

【繙[biuan]・絆[puan]・ひも】

粟路(あはぢ)の野嶋(のじま)の前(さき)の濱風(はまかぜ)に妹(いも)が結(むすび)し紐(ひも)吹(ふき)返(かへす)(万251)

旅にすら襟(ひも)解(とく)物(もの)を事(こと)繁(しげ)み丸宿(まろねそ)吾(あが)する長(ながき)此(この)夜(よを)(万2305)

 

 万葉集では「ひも」に「紐」「襟」が用いられている。古代中国語の「紐」は紐[thiô] であり、「襟」は襟[kiəm] である。「襟」は現代の日本語では襟(えり)である。

 日本語の「ひも」は中国語の繙[biuan] や絆[puan] と音義が近い。現代の日本語では

「繙」は「ひもとく」と動詞に使われ、「絆」は絆(きずな)として定着している。しかし、日本語の「ひも」は「繙」「絆」と同系のことばであろう。

○同源語:

野(の)、洲(しま・<嶋>)、濱(はま)、妹(いも)、還(かへす・<返>)、物(もの)、言(こと・<事>)、丸(まる)、寐(ねる・<宿>)、吾(あ)、長(ながき)、此(こ)の夜(よ)、●嶋(しま)、

 

【平[bieng]・ひら】

樂浪(ささなみ)の平(ひら)山風(やまかぜ)の海(うみ)吹(ふけ)ば釣(つり)為(する)海人(あま)の袂(そで)變(かへる)見ゆ(万1715)

 

 古代中国語の「平」は平[bieng] である。日本語の「ひら」は中国語の「平」と同源であろう。古代日本語では濁音が語頭にくることはなかったので中国語の頭音[b-] は清音になった。韻尾の[ng] は古代日本語にはない音であり、ラ行に転移した。

韻尾の[ng]がラ行に転移した例:乗[djəng] のる、狂[giuang] くるふ、香[xiang] かをり、 

  凝[ngiəng] こる、通[thong] とほる、など

○同源語:

浪(なみ)、山(やま)、海(うみ)、釣(つり)、海人(あま)、袖(そで・<袂>)、還(かへる・<變>)、見(みる)、

 

【乾[kan]・干[kan]・ひる・ほす】

妹(いも)が見(み)し屋前(やど)に花(はな)咲(さき)時(とき)は経(へ)ぬ吾(わが)泣(なく)涙(なみだ)未レ干(いまだひなく)に(万469)

春(はる)過(すぎ)て夏(なつ)來(きたる)らし白妙(しろたへ)の衣(ころも)乾有(ほしたり)天(あめ)の香來山(かぐやま)(万28)

 

 古代中国語の「乾」「干」はいずれも乾・干[kan] である。中国語の[k]は日本語では「は行」であらわれることがある。中国語の[k][g]は後口蓋音であり、喉音[h][x] に調音の位置が近い。

 例:干[kan](カン・ひる・ほす)、戸(コ・へ)、古[ka](コ・ふるい)、経[kyeng] (ケ

   イ・へる)、蓋[kat](ガイ・ふた)、骨[kuət](コツ・ほね)、頬[kyap](キョウ・ほ

   ほ)、

○同源語:

妹(いも)、見(みる)、花(はな)、咲(さく)、時(とき)、経(へる)、吾(わが)、泣(なく)、未(いまだ)、春(はる)、來(くる)、天(あめ)、香(か)、山(やま)、●涙(なみだ)、小網(さで)、

 

 古代日本語のハ行は中国語の唇音[p] ばかりでなく、喉音[h]や後口蓋音[k]も日本語では「は行」であらわれる。

 [k]の例:干[kan] ひる、經[kyeng] へる、古[ka] ふるい、蓋[kat] ふた、骨[kuət] ほね、

 [h]の例:羽[hiua] は、灰[huəi] はひ、匣[heap] はこ、華[hoa] はな、挟[hyap] はさむ、

 [p]の例:濱[pien] はま、腹[piuək] はら、拂[piuət] はらふ、剥[peok] はぐ、稗[pie]

  え、

 

【廣[kuang]・ひろい】

靫(ゆき)懸(かく)る伴(ともの)雄(を)廣(ひろ)き大伴(おほとも)に國(くに)将榮(さかえむ)と月(つき)は照(てる)らし(万1086)

大野路(おほのぢ)は繁道(しげぢ)森徑(もりみち)しげくとも君(きみ)し通(かよは)ば徑(みち)は廣(ひろ)けむ(万3881)

 

 古代中国語の「廣」は廣[kuang] である。「廣」と同じ声符をもつ「黄」は黄[huang] である。喉音[h] は調音の位置が後口蓋音[k]に位置が近く、音価も近い。万葉集の時代には中国語音の[k]は日本語でハ行にあらわれることがある。

 日本語の「ひろい」は中国語の「廣」と同源のことばである。

○同源語:

懸(かける)、國(くに・<県・郡)、盛(さかえる・<榮>)、照(てる)、野(の)、君(きみ)、●月(つき)、

 

【拾[zjiəp/həp*]・ひろふ】

机(つくゑ)の嶋の 小螺(しただみ)を い拾(ひろひ)持(もち)來(き)て 石(いし)以(もち) 都追伎(つつき)破夫利(やぶり)、、(万3880)

暇(いとま)有(あら)ば拾(ひりひ)に将徃(ゆかむ)住吉(すみのえ)の岸(きしに)因(よると)云(いふ)戀(こひ)忘(わすれ)貝(かひ)(万1147)

 

 古代中国語の「拾」は拾[zjiəp] である。白河静の『字通』によれば、「拾[zjiəp] は合[həp] を声とするが、その変化については洽[kheap]、翕・歙[xiəp] というような過程が考えられている。」という。つまり、「拾」の祖語(上古音)は拾[həp] のような喉音(破裂音)であり、それが介音[-i-]の発達により拾[xiəp]になり、それがさらに摩擦音化して拾[zjiəp] になったと考えられるというのである。

 東京の下町方言などではヒとシの区別がつかないといわれるが、中国語音韻史のなかでも「ヒ」は口蓋化によって「シ」に変化したことが分かる。

○同源語:

卓(つくゑ・<机>)、洲(しま・<嶋>)、來(くる)、行・往(ゆく・<徃>)、因(よる)、蛤(かひ・<貝>)、●嶋(しま)、云(いふ)、

 

【経[kyeng]・ふる】

妹(いも)が見(み)し屋前(やど)に花(はな)咲(さき)時(とき)は経(へ)ぬ吾(わが)泣(なく)涙(なみだ)未干(いまだひなく)に(万469)

年(とし)も歴(へず)反(かへり)來(こ)なむと朝(あさ)影(かげ)に将待(まつらむ)妹(いも)し面影(おもかげ)に所見(みゆ)(万3138)

 

 古代中国語の「経」は経[kyeng] である。頭音[k] はハ行に転移し、韻尾の[ng] がラ行に転移した。[k] は喉音[h] に調音の位置が近く、音価も近い。日本語の訓ではハ行であらわれることがある。ハ行の訓が古く、カ行の音のほうが新し。

 日本語の「ふ」には歴[lyek]も使われているが、借訓である。「歴」には「経歴」などの成句もあり、義(意味)は「経」に近い。

○同源語:

妹(いも)、見(みる)、花(はな)、咲(さく)、時(とき)、吾(わが)、泣(なく)、未(いまだ)、干(ひる)、還(かえる・<反>)、來(くる)、影(かげ)、面(おも)、●涙(なみだ)、朝(あさ)、

 

【伏[biuək]・臥[ngua/hua*]・ふす】

神風(かむかぜ)の伊勢(いせ)の濱荻(はまをぎ)折(をり)伏(ふせて)客宿(たびね)や将為(すらむ)荒(あらき)濱邊(はまべ)に(万500)

蒸(むし)被(ぶすま)なごやが下(した)に臥(ふせれども)妹(いもとし)不宿(ねね)ば肌(はだ)し寒(さむ)しも(万524)

 

 「伏」の古代中国語音は伏[biuək] である。中国語の韻尾には[p][ t][k] はあるが[s] はない。日本語の「ふす」は「伏(フク)+す」であろう。

 「臥」の古代中国語音は臥[ngua] である。疑母[ng] は後口蓋音音であり、喉音[h] に調音の位置が近く、転移することがある。

 疑母[ng] がハ行であらわれる例:牙[ngea] (は)、芽子(はぎ・<芽[ngea]・は>)、原

 [ngiuan](はら)、涯[ngai] はて)、

 日本語の「ふす」は中国語の「伏」「臥」と同源であろう。

○同源語:

神(かみ・<坤>)、濱(はま)、折(をる)、邊(べ)、妹(いも)、寐(ね・ねる・<宿>)、

 

【蓋[kat]・ふた】

[女+感]*嬬(をとめ)らが 手(て)に取(とり)持(もて)る 真鏡(まそかがみ) 蓋上山(ふたがみやま)に 許(こ・木)の久礼(くれ・昏)の 繁(しげ)き谿邊(たにべ)を 呼びとよめ、、(万4192)

 

 「盖上山」は「二上山」をあらわしている。中国語の「蓋」の日本漢字音は蓋(ガイ)であるが、万葉集の時代に「蓋」には「ふた」という読みがあったことが分かる。

 「蓋」の古代中国語音は蓋[kat]である。日本語の訓では中国語の[k]が「は行」であらわれることがある。

 例:干[kan] ひる、廣[kuang] ひろし、古[ka] ふるい、經[kyeng] へる、骨[kuət] ほね、

○同源語:

手(て)、取(とる)、真(ま)、鏡(かがみ)、山(やま)、昏(くれ)、邊(へ)、

 

【淵[yuen/(h)yuet*]・ふち】

吾(わが)行(ゆき)は久(ひさに)は不有(あらじ)夢(いめ)の和太(わだ)湍(せに)は不成(ならず)て淵(ふちに)有毛(あらぬかも)(万335)

三川(みつかは)の淵(ふち)瀬(せ)も不落(おちず)左提(さで・小網)刺(さす)に衣手(ころもで)潮(ぬれぬ)干(ほす)兒(こ)は無(なし)に(万1717)

 

 古代中国語の「淵」は淵[yuen] である。中国語の喉音[h] は介音[i] の前で脱落することが多いので「淵」の祖語(上古音)は淵[hyuet*] に近い音であったと推測できる。淵(ふち)上古中国語音の喉音[h] がハ行であらわらたものであろう。 

 古代中国語の頭音の[h] は日本語の音では脱落するものが多い。 

  例:圓[hiuən] エン、垣[hiuan] エン、媛[hiuan] エン、園[hiuan] エン、猿[hiuan] エ  

   ン、 [hiuan] エン、員[hiuən] イン、院[hiuan] イン、運[hiuən] ウン、雲[hiuən]

  (ウン・ くも)、熊[hiuəm](ユウ・くま)、

 古代中国語韻尾の[n]は上古音は[t]であったと考えられている。日本語の訓では「た行」であらわれることがある。

  例:堅[kyen/kyet*](かたい)、楯[djiuən/djiuət*](たて)、鞭[bian/biat*](むち)、言[ngian/

      ngiat*](こと)、満[muan/muat*] (みつ)、

○同源語:

吾(わが)、行(ゆく)、夢(いめ)、川(かは・<訓>)、堕(おち・<落>)る、刺(さ)す、手(て)、濡(ぬれる・<潮>)、干(ほす)、兒(こ・<睨>)、無(な)し、●海(わだ)、小網(さで)、

 

【筆[piet]・ふで】

吾(わが)爪(つめ)は 御弓(みゆみ)の弓波受(ゆはず) 吾(わが)毛(け)らは 御筆(みふで)はやし 吾(わが)皮(かは)は 御(み)箱(はこ)の皮(かは)に、、(万3885)

 

 国語学の世界では日本語の筆(ふで)の語源は文手(ふみて)の略であるという説が有力である。筆(ふで)が日本に古来からある「やまとことば」であり、中国語の筆(ヒツ)とは関係がない、と考えればもっともでむある。

 しかし、日本語の「ふで」は中国語の筆[piet] と 関係のあることばではあるまいか。文化史的に見ても筆(ふで)も中国文明とともに日本列島にもたらされたものであり、中国文明との接触以前からこの國に あったとは考えられない。「ふみ」を「文手」と考えるのは、日本語の語源をすべて日本語のなかに求めることによるもである。

○同源語:

吾(わが)、爪女(つめ・<爪>)、御(み)、弓(ゆみ)、毛(け)、筐(はこ)、

 

【盤[buan]・ふね・<船・舟・舶>】

何所(いづく)にか船泊(ふなはて)為(す)らむ安礼(あれ)の埼(さき)榜(こぎ)たみ行(ゆき)し棚(たな)無(なし)小舟(をぶね)(万58)

海若(わたつみ)の何(いづれの)神(かみ)を齊祈(いのら)ばか徃方(ゆくさ)も來方(くるさ)も舶(ふね)の早(はや)けむ(万1784)

樂浪(ささなみ)の思賀(しが)の辛崎(からさき)雖二幸有一(さきくあれど)大宮人(おほみやびと)の船(ふね)麻知(まち・待)かねつ(万30)

 

 日本語の「ふね」にあたる漢字としては「船」「舟」「舶」があてられている。これらの漢字の古代中国語音は船[jiuan]、舟[tjiu] [peak] である。「舶」は大船である。「船」は「沿」と同声であり、沿岸航路に用いる船である。白川静の『字通』によると「舟は、もと盤と同形で、盤の初文般は舟に従う。」という。

 盤の古代中国語音は盤[buan] であり、日本語の「ふね」は中国語の盤[buan] と同源であろう。

 スウェーデンの言語学者ベルンハルト・カールグレン(1889-1978)は、その著書『言語学と古代中国』(1920年、オスロ)のなかで、「現代の日本語では「ふね」は「舟」しか意味しないが、古事記では「盆」の意味にも使われている。英語でもvesselは船を意味するばかりでなく、窪んだ容器を意味する。」としている。

 中国では江南地方を中心に早くから水運がひらけ、船に関する文字も多い。舫[piuang]、舨[piuan]、艀[biu]、艦[heam]、帆[biuəm]、 などいずれも船に関係のある文字である。「舫」は「もやいぶね」であり「舟を並べてもやる」ことをいう。「帆」は「ほ」あるいは「ほかけぶね」である。 「舨」は「舢舨」などとして使われ「小舟」である。「艀」は小舟であり、わが国では「はしけ」を言う。「艦」は「戦い船」である。舫[piuang]、舨[piuan]、艦[heam]、帆[biuəm]、も「ふね」と同系のことばであろう。

● 朝鮮語の船はpaeである。長崎の船漕ぎ競争「ペーロン」の「ペー」は朝鮮語のpaeである。 朝鮮語のpaeも中国語の盤[buan] の韻尾[n] は脱落したものであろう。日本語の「ふね」の「ふ」は朝鮮語のpaeと音義ともに近い。

○同源語:

泊(はつ)、行(ゆく・<徃>)、壇・段(たな・<棚>)、無(な)し、小(を)、海(うみ)、神(かみ・<坤>)、来(くる)、浪(なみ)、辛(から)い、幸(さき・さち)、廟(みや・<宮>)、●海(わた)、

 

【包含[peu-həm]・ふくむ】

春雨(はるさめ)を待(まつ)とにし有(あら)し吾(わが)屋戸(やど)の若木(わかき)の梅(うめ)も未(いまだ)含有(ふふめり)万792)

 

 古代日本語では現代日本語の「ふくむ」を「ふふむ」ともいった。「含」の古代中国語音は含[həm] である。日本語の「ふくむ」は中国語の包含[peu-həm]であろう。

○同源語:

春(はる)、吾(わが)、若(わか)い、梅(うめ)、未(いまだ)、

 

【文[miuən]・ふみ】

我國(わがくに)は 常世(とこよ)に成(なら)む 圖(ふみ)負(おへ)る 神(くすしき)龜(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉(いづみ)の河(かは)に、、

(万50)

書殿(ふみどの)にて餞酒(うまのはなむけ)せし日の倭歌(万876題詞)

 

 万葉集では「ふみ」に圖[da]、書[sjia] が使われている。図書寮を「ふみのつかさ」とも言った。

 万葉集では「ふみ」に「文」は使われていないが、日本語の「ふみ」は文[miuən] と同源であろう。日本語では中国語の韻尾[n] がナ行にもマ行音であらわれることがある。

韻尾の[n] がマ行であらわれる例:濱[pien] はま、絆[puan] ひも、眠[myen] ねむる、

  呑[thən] のむ、絹[kyuan] きぬ、肝[kan] きも、蝉[zjian] せみ、進[tzien] すすむ、

○同源語:

我(わが)、國(くに・<県・郡>)、常(とこ)、世(よ)、負(おふ)、亀(かめ)、世(よ・<代>)、泉(いづみ)、河(かは)、殿(との)、●日(ひ)、

 

【零[lyeng/(h)lyeng*]、落[lak/(h)lak*]、降[hoəm]・ふる】

田兒(たご)の浦(うら)ゆ打(うち)出(いで)て見(みれ)ば真白(ましろに)ぞ不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に雪(ゆき)は零(ふり)ける(万318)

三吉野(みよしの)の 耳我(みみがの)嶺(みね)に 時無(ときじく)ぞ 雪(ゆき)は落(ふり)ける 間(ま)無(なく)ぞ 雨(あめ)は零(ふり)ける、、(万25)

 

 万葉集の日本語では「ふる」に「零」「落」などが使われている。「零」の原義は「雨が降る」ことである。

 古代中国語の「零」「落」は零[lyeng]・落[lak] である。「零」「落」の祖語(上古音)には入り渡り音があったと考えられているから、上古音は零[(h)lyeng*]、落[(h)lak*] に近い音であったと推定できる。日本語の「ふる」は零[(h)lyeng*]、落[(h)lak*]の入り渡り音[h]が「は行」であらわれたものであろう。

 現代の日本語では「ふる」には普通「降」が使われている。「降」の古代中国語音は降[hoəm] である。日本語の「ふる」は降[hoəm] と同源であろう。

 

 スウェーデンの言語学者カールグレンは中国語の上古音では[l] の前に入りわたり音[h*] のような音があったのではないかとしている。中国の音韻学者王力も『漢語音韻史』のなかでその説を受け入れている。

 同じ声符をもった漢字がラ行とカ行に読み分けられるものがいくつかある。同じ声符をもった漢字はその漢字ができた時点では同じ音価をもっていたと考えられるから、カ行音は入りわたり音[h]が発達したものであり、ラ行音は入りわたり音[h] が脱落したものである。

例:果(カ)・裸(ラ)、各(カク)・洛(ラク)、監(カン)・藍(ラン)、兼(ケン)・簾(レ

  ン)、京(キョウ)・涼(リョウ)、験(ケン)・斂(レン)、楽(ガク・ラク)など

○同源語:

田(た)、兒(こ・<睨>)、打(うつ)、出(いづ)、見(みる)、真(ま)、嶺(みね)、野(の)、耳(みみ)、時(とき)、間(ま)、無(な)く、

 

【古[ka/(h)la*]・故[ka/(h)la*]・ふるし】

立(たち)易(かはり)古(ふるき)京(みやこ)と成(なりぬれ)ば道(みち)のしば草(くさ)長(なが)く生(おひ)にけり(万1048)

古(いにしへ)の人(ひと)に和礼(われ)有(あれ)や樂浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見(みれ)ば悲(かなし)き(万32)

 

 古代中国語の「古」「故」は古[ka]・故[ka] である。「故」も「温故知新」(故(ふる)きを温(たづ)ね新しきを知る)のように「古い」の意味がある。

 日本語の「ふるい」は中国語の古・故[ka] の頭音[k] がハ行であらわれたものでる可能性がある。後口蓋音[k] は喉音[h] と調音の位置が近く、転移しやすい。「古」と同じ声符をもつ漢字でも古代中国語音は[k][kh][h] などに分かれるものがある。 

 例:古[ka]、故[ka]、固[ka]、箇[kai]、枯[kha]、胡[ha]、湖[ha]、涸[hak]

○同源語:

立(たつ)、長(ながい)、我(われ)、浪(なみ)、見(みる)、

 

【邊[pyen]・方[piuang]・へ】

奥(おきつ)波(なみ)邊波(へなみ)の來(き)縁(よる)左太(さだ)の浦(うら)の此(この)佐太(さた)過(すぎ)て後(のち)将戀(こひむ)かも(万2732)

春草(はるくさ)の繁(しげき)吾(わが)戀(こひ)大海(おほうみの)方(へに)徃(ゆく)浪(なみ)の千重(ちへに)積(つもりぬ)(万1920)

 

 古代中国語の「邊」は邊[pyen] である。また、「方」は方[piuang] である。日本語の「へ」は邊[pyen] あるいは方[piuang] の韻尾が脱落したものである。

中国語の韻尾[n][ ng] が脱落した例:田[dyen] た、帆[biuəm] ほ、眼[ngean] め、

  名[mieng] な、黄[huang] き、湯[thang] ゆ、など 

○同源語:

澳(おき・<奥>)、浪(なみ・<波>)、来(くる)、縁(よる)、此(こ)の、春(はる)、吾(わが)、海(うみ)、行・往(ゆく・<徃>)、千(ち)、

 

【帆[biuəm]・ほ】

海人(あま)小船(をぶね)帆(ほ)かも張(はれ)ると見(みる)までに鞆(とも)の浦廻(うらみ)に浪(なみ)立有(たてり)所見(みゆ)(万1182)

 

 古代中国語の「帆」は帆[biuəm] である。日本語の「ほ」は中国語の帆[biuəm] の韻尾が脱落したものであろう。古代日本語では濁音が語頭に立ことがなかったので語頭の[b]は清音になった。

韻尾の[m][ n]が脱落した例:田[dyen] た、津[tzien] つ、邊[pyen] へ、など

○同源語:

海人(あま)、小(を)、盤(ふね・<船>)、見(みる)、浪(なみ)、立(たつ)、

 

【吠[biuat]・吼[xo]・ほえる】

十六(しし)待(まつが)如(ごと) 床(とこ)敷(しき)て 吾(わが)待(まつ)公(きみを) 犬(いぬ)莫(な)吠(ほえ)そね(万3278)

雷(いかづち)の 聲(おと)と聞(きく)まで 吹(ふき)響(なせ)る 小角(くだ)の音(おと)も 敵(あだ)見有(みたる) 虎(とら)か叫吼(ほゆる)と 諸人(もろびと)の 恊(おびゆ)るまでに、、(万199)

 

 「吠」「吼」の古代中国語音は吠[biuat]、吼[xo] である。日本漢字音は吠(ハイ)、吼(コウ)であり、かなり違った音になっているが、現代の広東音では「吠」は吠(fai) であり、日本語の「ほえる」に近い。また、中国語の喉音[x][h] は日本語の訓では「は行」であらわれることが多い。

例:火[xuəi] ひ、灰[huəi] はい、花[xoa] はな、揮[xiuəi] ふるう、化[xuai] ばける、

  響[xiang] ひびく、華[hoa] はな、戸[ha] へ、荷[hai]子・はす、脛[hyeng] はぎ、

    [huəng] ひろい、宏[hoəng] ひろい、含[həm] ふふむ、降[hoəm] ふる、

 古代日本語のハ行には中国語の唇音([p][b][m])系のことばと喉音([h][x])系のことばの二つの系統のことばが弁別されずに使われている。

○同源語:

床(とこ)、吾(わが)、公(きみ)、犬(いぬ)、莫(な)、音(おと)、見(みる)、●十六(しし)、

 

【桙[miu/miog*]・ほこ】

池神(いけがみ)の力士儛(りきしまひ)かも白鷺(しらさぎ)の桙(ほこ)啄(くひ)持(もち)て飛(とび)渡(わたる)らむ(万3831)

 

 古代中国語の「桙」の古代音はいずれも桙[miu] である。「ほこ」には「矛」があてられることもあるが、「矛」も矛[miu] である。「桙」と「矛」は同音同義である。

 董同龢は「矛」「牟」の上古音を矛・牟[miog*] と再構している。「ほこ」は上古中国語音の痕跡をとどめているものであろう。

 鼻濁音[m] [p][b]と調音の位置が同じ(唇音)であり、日本語ではハ行に転移した。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかったので清音になったものと思われる。

○同源語:

神(かみ)、力士(リキシ)、儛(まひ)、鵲(さぎ・<鷺>)、

 

【星(ほし)】

天海(あめのうみ)に雲(くも)の波(なみ)立(たち)月船(つきのふね)星(ほし)の林(はやし)に榜(こぎ)隠(かくる)所レ見(みゆ)(万1068)

 

● 朝鮮語では「ほし」はpyeoである。日本語の「ほし」は「朝鮮語のpyeol(星)+中国語の星[syeng]」を併記した両点(二か国語併記)である可能性がある。

 朝鮮語では両点といって、中国語と朝鮮語を併記する方法が、新羅の万葉集といわれる郷歌(ヒヤンガ)などで行われていたことが知られている。例えば、「天」は朝鮮語でha neulであり、朝鮮漢字音では天(cheon)であるが、これを併記して天(ha neulcheon)とする造語法である。日本でも文選読みという方法が行われていた。

 だからといって、日本語の星(ほし)が朝鮮語のpyeoと中国語の星[syeng]との両点であることを立証するのはむずかしい。しかし、可能性のあるものを切り捨ててしまえば、語言論は成り立たなくなってしまう。

○同源語:

天(あめ)、海(うみ)、雲(くも)、浪(なみ・<波>)、立(たつ)、盤(ふね・<船>)、隠(かくる)、見(みる)、●月(つき)、

 

【佛[biuət]・ほとけ】

佛(ほとけ)造(つくる)真朱(まそほ)不足(たらす)は水(みづ)渟(たまる)池田(いけだ)の阿曾(あそ・朝臣)が鼻上(はなのうへ)を穿(ほ)れ(万3841)

 

 「佛」の語源はサンスクリットのBuddhaである。漢字の「佛」はサンスクリットの音写であり、初期の中国仏典では中国語に音訳されて、仏陀、浮図、浮屠などと表記された。

 古代中国語の「佛」は佛[biuət] である。日本語の「ほとけ」は「佛」から派生したことばであろう。「ほと+け」の「け」は不明だが、仏教伝来以前に「ほとけ」ということばが「やまとことば」にあったとは考えられない。

○同源語:

造(つくる)、真(ま)、渟(たま)る、田(た)、掘(ほる・穿)、●足(たる)、水(みづ)、

 

【霍公鳥(ほととぎす)】

掻(かき)霧(きら)し雨零(あめのふる)夜(よ)を霍公鳥(ほととぎす)鳴(なき)て去(ゆく)成(なり)あはれ其(その)鳥(とり)(万1756)

 

 日本語の「ホトトギス」の「ス」は中国語の隹[tjiuəi] である。「隹」は鳥のことで、カラス、カケス、ウグイスなどの「ス」も中国語の「隹」と同源である。

● 朝鮮語のsaeは「鳥」である。「ほととぎす」はtu kyeon saeである。「ほととぎす」は中国語では「霍公鳥」ともいう。日本語でも「カッコー」と呼ばれるが、擬声語である。

○同源語:

降(ふる・<零>)、夜(よ)、鳴(なく)、行(ゆく・<去>)、其(その)、鳥(とり)、

 

【褒美[biu miei]・ほむ】

黒樹(くろき)取(とり)草(くさ)も苅(かり)つつ仕(つかへ)めど勤(いそしき)和氣(わけ)と誉(ほめむ)とも不有(あらず)(万780)

 

 「誉」の古代中国語音は誉[jia] である。中国語には「毀誉褒貶」ということばがあって、「誉」は「褒」と同義である。日本語の「ほむ」は褒[biu] と美[miei] の複合語ではなかろうか。

○同源語:

黒(くろ)い、取(とる)、苅(かる)、王(わけ)、

 

【穿[thjyuən/hjyuən*]・ほる・<掘>】

安志妣(あしび・馬酔木)成(なす)榮(さかえ)し君(きみ)が穿(ほり)し井(ゐ)の石井(いしゐ)の水(みづ)は雖飲(のめど)不飽(あかぬ)かも(万1128)

佛(ほとけ)造(つくる)真朱(まそほ)不レ足(たらす)は水(みづ)渟(たまる)池田(いけだ)の阿曾(あそ・朝臣)が鼻上(はなのうへ)を穿(ほ)(万3841)

 

 古代中国語の「穿」は穿[thjyuən] である。「穿」の日本漢字音は穿(セン・うがつ)である。日本語の「ほる」は穿[thjyuən] が日本語にはない有気音であるため穿[hjyuən*] として受け入れられたと考えることができる。古事記には「ほる」に掘[giuət] が使われている。

 

「又難波之堀江而、通海、又小椅江(記仁徳)

 

 [k][g]は調音の位置が[h][x]に近く、日本語には喉音[h][x] がないので、[k][g] [h][x] も訓では「は行」であらわれ、音では「カ行」であらわれるものものが多い。

 古代日本語のハ行は「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」であったと云われるが、万葉集ではハ行に脣音[p]-[b][m]系の漢字のほかに、中国語の後口蓋音[k][g] や喉音[x][h] が使われている。

[k][g] 系の例:蓋[kat](ガイ・ふた)、骨[kuət](コツ・ほね)、頬[kyap](キョウ・ほほ)、

  閑[kean](カン・ひま)、家[kea](カ・ケ・へ)、古[ka](コ・ふるい)、広[kuang](コ

  ウ・ひろい)、干[kan](カン・ひる・ほす)、減[kəm](ゲン・へす・へる)、経[kyeng]

  (ケイ・へる)、など、

 [x][h] 系の例:灰[huəi](カイ・はひ)、火[xuəi](カ・ひ)、羽[hiuə](ウ・)は、戸[ha]

  (コ・へ)、匣[heap](コウ・はこ)、華[hoa](カ・はな)、檜[huai](カイ・ひのき)、

  挟[hyap](キョウ・はさむ)、荷[hai-]子(カシ・はす)、弘[huəng](コウ・ひろい)、

  含[həm](ガン・ふふむ)、降[hoəm](コウ・ふる)、惚[xuət](コツ・ほれる)、など

○同源語:

盛(さかえ・<榮>)、君(きみ)、呑(のむ・<飲>)、佛(ほとけ)、造(つくる)、真(ま)、渟(たまる)、田(た)、●水(みづ)、足(たる)、

 

【滅亡[miat miuang]・ほろびる】

君(きみ)が由久(ゆく)道(みち)の奈我弖(ながて)を久里(くり)多々祢(たたね)也伎(やき)保呂煩散牟(ほろぼささむ)安米(あめ)の火(ひ)もがも(万3724)

 

 万葉集のこの歌では「保呂煩散」と音表記になっているが、記紀などでは「ほろぶ」「ほろぼす」には「滅」「亡」の文字が用いられている。

 古代中国語の「滅」「亡」は滅[miat]、亡[miuang] である。王力は『同源字典』のなかで「亡」と「滅」は同源であるとしている。語頭の[m] は日本語ではハ行に転移した。韻尾の[t] [l] に転移した。亡[miuang] の韻尾[ng] は日本語ではカ行であらわれることがもあるが、この場合はラ行に転移している。

○同源語:

君(きみ)、行(ゆく)、長手(ながて)、畳(たたね)、焼(やく)、天(あめ)、火(ひ)、

 





もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第268話 万葉語辞典・か行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など