第276話 万葉語辞典・わ行

 

【我[ngai]・吾[nga] わが・われ】

石見乃(いはみの)や高角山(たかつのやま)の 木際(このま)従(より)我(わが)振(ふる)袖(そで)を妹(いも)見(み)つらむか(万132)

我(われ)こそは告(のら)め、、(万1)

小竹(ささ)の葉(は)は三山(みやま)も清(さや)に乱(みだる)とも吾(われ)は妹(いも)思(おもふ)別(わかれ)來(きぬ)れば(万133)

 

 「我」「吾」の古代中国語音は我[ngai]・吾[nga] である。我[ngai]・吾[nga] は頭子音が脱落して我(あ)・吾(あ)であらわれることが多いが我(わ)・吾(わ)であらわれることもある。

 中国語の疑母[ng-]は鼻音であるが、唇を丸めて発音するので、合口音であるワ行音に転移した。現代の北京音では「我」「吾」はいずれも合音で、我(wo)・吾(wu)である。

 中国語の疑母[ng-]が日本語でワ行であらわれる例としては鵞[ngai] わし、鰐[ngak] わに、岳[ngak] をか、などをあげることができる。

 一人称をあらわすことがが中国語と同源であることは、万葉集の時代の日本語がいかに中国語からの語彙を多く受け入れていたかを示すものである。

 二人称の名詞も汝(な)も中国語の汝[njia]と同源である。現代の日本語でも僕(ボク)、君(きみ)は中国語と同源である。

○同源語:

山(やま)、袖(そで)、妹(いも)、見(みる)、葉(は)、清(さやか)、来(くる)、言(かたり・<語>)、此(こ)の、吾(われ・<朕>)、●告(のる)、云(いふ)、

 

【吾妹兒・吾妹子・わぎもこ】

吾妹兒(わぎもこ)が形見(かたみ)の服(ころも)下(したに)著(き)て直(ただに)相(あふ)までは吾(われ)不レ脱(ぬがめ)やも(万747)

吾妹子(わぎもこ)が殖(うゑ)し梅樹(うめのき)毎レ見(みるごとに)情(こころ)咽(むせ)つつ涕(なみだ)し流(ながる)(万453)

問(とは)まくの 欲(ほしき)我妹(わぎも)が 家(いへ)の不レ知(しらな)く

(万1742)

 

 万葉集の時代の「妹(いも)」は現代日本語の妹(いもうと)より意味の範囲が広く、男から妻や恋人・姉妹など親しい女性を呼ぶのにも使われ、女どうしで親しんで呼ぶときにも使われている。

 古代日本語では母音が二つ続くのを避ける傾向があった。吾妹(わぎも)はwaga imoのように、母音ではじまるimoが前のことばの母音wagaと連続するのを避けたものである。「我家」が「わぎへ」となるのも母音の連続を避けたものである。

○同源語:

見(み・みる)、合(あふ・<相>)、脱(ぬぐ)、梅(うめ)、心(こころ・<情>)、知(しる)、●涕(なみだ)、

 

【若[njiak/miak*]・わかい】

若草の 其(その)嬬(つま)の子は さぶしみか 念(おもひ)て寐(ね)らむ、、

(万217)

和可(わか・若)ければ道行(みちゆき)之(し・知)らじ末比(まひ・幣)は世(せ・為)む黄泉(したへ)の使(つかひ)於比弖(おひ・負)て登保(とほ・通)らせ

(万905)

 

 「若」の古代中国語音は若[njiak] である。日母[nj] は明母[m] に近く、転移しやすい。日母[nj] は明母[m] が口蓋化したものであり、若[njiak] の祖語(上古音)は若[miak*]に近い音であったものと考えられる。

  明母[m]は唇音であり、合音[w-]に転移しやすい。日本語の若(わかい)は中国語の祖語の若[miak*]の合音化したものであろう。

 日本語では中国語の日母[nj]がワ行・ヤ行であらわれることがある。ワ行は合音であり、ヤ行は拗音であり、ア行・ヤ行・ワ行は互いに親和性がある。

 ヤ行であらわれる例:弱[njiôk] よわし、柔[njiu] やわらか、譲[njiang] ゆづる、

 ワ行であらわれる例:若[njiak] わかい、餌[njiə] ゑ、

 日本漢字音ではヤ行であらわれることばが訓ではワ行であらわれる例ある。

 例:湧(ユウ・わく)、涌(ヨウ・わく)、訳(ヤク・わけ)、夜(よる)・腋(わき)、

● 日母[nj] は朝鮮漢字音では規則的に脱落する。(--)は朝鮮漢字音である。日本語の柔(やはら)、譲(ゆずる)などは朝鮮語音の影響があると思われる。

 例:汝(yeo)、乳(yu)、柔(yu)、譲(yang)、潤(yul)、熱(yeol)

○同源語:

其(そ)の、妻嬬(つま・<嬬>、子(こ)、寐(ね)る、行(ゆく)、知(し)る、負(おふ)、通(とほる)、

 

【腋[jyak]・わき】

小兒(わらは)等(ども)草(くさ)は勿(な)苅(かりそ)八穂(やほ)蓼(たで)を穂積(ほづみ)の阿曾(あそ)が腋(わき)草(くさ)を可礼(かれ・苅)(万3842)

 

 古代中国語の「腋」は腋[jyak] である。日本語では「液」は「エキ」であらわれるが、「腋」はワ行で、腋(わき)であらわれる。ア行・ヤ行・ワ行は転移しやすい。

                                          ア行                     ヤ行                     ワ行

[jiong]                                                                      ユウ                     わく

[jiong]                                                                      ヨウ                     わく

[jyak]                                                         ヤク                     わけ

液・夜・腋[jyak]            エキ                     よる                     わき

○同源語:

勿(な)、苅(かる)、

 

【王子(わくご)】

開木代(やましろの)來背(くせの)若子(わくごが)欲(ほしと)云(いふ)余(われ)相(あふ)さわに吾(われ)を欲(ほしと)云(いふ)開木代(やましろの)來背(くせ)

(万2362)

伊祢(いね・稲)都氣(つけ・舂)ばかかる安我(あが)手(て)を許余比(こよひ・今夜)かも等能(との・殿)の和久胡(わくご)が等里(とり・取)て奈氣(なげ・嘆)かむ(万3459)

 

 「若子」は一般に「御殿の若様」あるいは「若い子」と解されている。しかし、日本書紀や古事記をみてみると「わけ」というのは、天皇のおくり名に多く使われていることばである。

天皇のおくり名

漢風諡号 和風諡号                                 日本書紀の表記

開化   ワカヤマトネコヒコオホヒヒ 稚日本根子彦大日日

景行   オホタラシヒコオシロワケ  大足彦忍代別

成務   ワカタラシヒコ       稚足彦

応神   ホムタワケ                   誉田別

履中   イザホワケ         去来穂別

反正   ミツハワケ         瑞歯別

允恭   ヲアサヅマワクゴノスクネ  雄朝津間稚子宿禰

雄略   オホハツセノワカタケ    大泊瀬幼武

清寧   シラカノタケヒロクニオシワケヤマトネコ 白髪武広国押稚日本根子

武烈   ヲハツセノワカサザキ    小泊瀬稚

天智   アメミコトヒラカスワケ      天命開別

 

 日本書紀では「わか」「わけ」に「稚」、「別」、「幼」などの漢字があてられている。しかし、これだけ多くの天皇のおくり名に「わか」「わけ」が使われていることから、「わか」「わけ」は王[hiuang] あるいは皇[huang]と関係のあることばである可能性がある。「王」は現代北京語では王(wang) である。万葉集でも「和氣(わけ)」ということばが使われた歌がある。

 

黒樹(くろき)取(とり)草(くさ)も苅(かり)つつ仕(つかへ)めど勤(いそしき)和氣(わけ)と将誉(ほめむ)とも不有(あらず)(万780)

 

 万葉集の時代の「わけ」は王[hiuang] の頭音[h] が脱落したものであろう。韻尾の[ng] の上古音は入声音[k] に近い音であったことは中国語音韻史では定説になっている。

 中国語の韻尾[-ng] は、日本の古地名などでは、當麻(たま)、相楽(さらか)、望多(また)、相模(さみ)などのように、カ行で読まれている。

 万葉集の時代には「王」はすでに王(わけ)とは読めなくなってしまっていたたため、「わくご」を「若子」あるいは「稚子」と解釈したものである。

○同源語:

吾(われ・<余>)、合(あふ・<相>)、秈(いね)、舂(つく)、我(あが・<安我>)、手(て)、殿(との)、取(とる)、黒(くろ)、苅(かる)、●云(いふ)、

 

【鵞鷲[ngai dzu]・わし】

澁谿(しぶたに)の二上山(ふたがみやま)に鷲(わし)ぞ子(こ)産(む)と云(いふ)指羽(さしは)にも君(きみ)が御為(みため)に鷲(わし)そ子生(こむ)と云(いふ)(万3882)

 

 日本語の「わし」には現代は「鷲」があてられている。「鷲」の古代中国語音は鷲[dziuk] である。「わし」は中国語の鵞[ngai]+鷲[dzyu]から派生したものであろう。動物の名前などは中国語と日本語で必ずしも一致にないことがある。「鷲」は「鵞」と似た鳥であり、「わし」は「鵞+鷲」である可能性がある。

 同じような例としては「かすみ」・「霞+霧」がある。

○同源語:

澁(しぶ)、山(やま)、子(こ)、指(さ)す、羽(は)、君(きみ)、御(み)、●云(いふ)、

 

【綿[mian/miat*]・わた】

しらぬひ筑紫(つくし)の綿(わた)は身(みに)著(つけ)て未(いまだ)は伎祢(きね・著)ど暖(あたたけく)将見(みゆ)(万336)

 

 古代中国語の「綿」は綿[mian] である。 [m][w] はいずれも合口音であり、転移しやすい。日本語の「わた」は綿[mian] の頭音[m] がワ行に転移したものである。

[m-] がワ行であらわれる例:尾[miuəi] を、綿[mian] わた、罠[mien] わな、

○同源語:

身(み)、著(つけ・<着>)る、未(いまだ)、見(みる)、

 

【海(わだ)】

渡津海(わたつみ)の豐旗雲(とよはたくも)に伊理比(いりひ)紗之(さし)今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(きよらけく)こそ(万15)

左散難弥(ささなみ)の志我(しが)の大和太(おほわだ)與杼六(よどむ)とも昔人(むかしのひと)に亦(また)も相(あは)めやも(万31)

ありねよし對島(つしま)の渡(わたり)海中(わたなか)に幣(ぬさ)取(とり)向(むけ)て早(はや)還(かへり)り許(こ・来)ね(万62)

 

● 朝鮮語では海のことをpa daという。「わたつみの」は「わた(朝鮮語の海pa da)つ海(み・日本語の海(うみ)」ということになる。「つ」は「沖つ波」「庭つ鳥」の「つ」で現代日本語の「の」にあたる。

 このように外来語と母語を重ねる方法を朝鮮語では両点とい言語学者の金澤庄三郎(1872-1967)の『朝鮮研究と日本書紀』によると、朝鮮では今日でも「天」は「ハナル・チョン」、「地」は「スト・チ」というように朝鮮語と中国語を重ねて両点で読むという。「天」「地」は朝鮮語で天(ha-neul)、地(stə)であり、朝鮮漢字音では天(cheon)、地(ji)である。

 朝鮮語研究の第一人者である小倉進平も「国語及朝鮮語のために」(『小倉進平博士著作集(四)』)のなかで、次のように書いている。

  朝鮮語では訓と音とを必ず併唱する。例へば國語で「人」「犬」なる漢字を讀む場合に

  は「人」は「ひとといふ字」、「犬」は「犬といふ字」と訓でこそいふが、更に進んで

  之を「ひとのジンの字」、「いぬのケンの字」ちいふ風に唱へることをしない。然るに

  朝鮮語にありては、「人」なる漢字を讀む場合には、必ず(sa-ramin)、犬なる漢字を

  讀む場合には、必ず(kaekyeon)と訓音併唱することを必要条件とするのである。(注:

  ハングル表記の部分はローマ字に書き換えた)

 日本語でも「浅草寺」という場合、英語ではSensouji Temple などと「寺」とtempleを重複されることがある。

 二番目の歌(万31)の「大和太(おほわだ)」は金思燁の『韓訳萬葉集』では「kheun <大きな>pa da<海>」と訳されている。「志賀の大和太」は琵琶湖のことであり、pa daは海にも湖にも使われている。

○同源語:

海(うみ)、幡 (はた・<旗>)、雲(くも)、射(さす)、清(きよら)、浪(なみ)、澱(よどむ)、合(あふ・<相>)、洲(しま・<島>)、中(なか)、絹・巾(き ぬ・<幣>)、取(とる)、向(むけ)、還(かへり・かへる)、來(こ・くる)、●日(ひ)、月(つき)、島(しま)、

 

【罠[mien]・わな)】

安思我良(あしがら)の乎弖毛(をても)許乃母(このも)に佐須(さす・刺)和奈(わな・罠)のかなる麻(ま・間)之豆美(しづみ)許呂(ころ・兒等)安礼(あれ・吾)比毛(ひも・繙)等久(とく・解)(万3361)

 

 この歌は全体が音表記で「和奈」は「罠」である。古代中国語の「罠」は罠[mien] であるが、日本語の「わな」は中国語の罠[mien] の頭音がワ行に転移したものであろう。[p][b][m] はいずれも合口音であり、ワ行に転移しやすい。

 例:尾[miuəi](を・ビ)、綿(わた・メン)、沸[piuət](わく・フツ)、

○同源語:

刺(さす)、間(ま)、兒(こ・睨)、吾(あれ)、絆・繙(ひも)、

 

【絵[huai/huat]・ゑ、畫[hoek]・かく・<描>】

和我(わが)都麻(つま・妻)を畫(ゑ)に可伎(かき・描)等良無(とらむ・取)伊豆麻(いづま・暇)もが田妣(たび)由久(ゆく)阿礼(あれ)は美都々(みつつ)志努波牟(しのはむ)(万4327)

 

 この歌では日本語の「ゑ」に「畫」が用いられている。しかし日本語の「ゑ」は絵[huai]であり、畫[hoek] は描(かく)にあたる漢字であろう。

 現代の日本漢字音では「繪」は呉音が繪(ヱ)、漢音が繪(カイ)とされている。また、「畫」は「画」と表記され、呉音が画(ヱ)、漢音が画(カク)とされている。しかし、語源的には中国語の絵[huai] は日本語の絵(え)、中国語の畫[hoek] は日本語の描(かく)に対応することばであろう。

 現在でも「会」は盂蘭盆会(うらぼんえ)など仏教用語では「え」に使われている。

○同源語:

我(わが・<和我>)、妻女(つま)、取(とる)、行(ゆく)、吾(あれ)、見(みる)、

 

【尾[miuəi]・を】

念(おもへ)ども念(おもひ)もかねつあしひきの山鳥(やまどり)の尾(を)の永(ながき)此(この)夜(よ)を(万2802)

 

 古代中国語の「尾」は尾[miuəi] である。日本語の「を」は中国語の尾[miuəi] の頭音[m-] がワ行に転移したものである。中国語の[m] は合口音であり、[w] に転移しやすい。古代中国語の[m-]は現代北京語では(w-)になっているものが多い。[ ]内は古代中国語。

例:網[miuang]wang、微[miuəi]wei、尾[miuəi]wei、文[miuəi]wen、聞[miuən]wen

    [miuən]wen、舞[miua]wu、無[miua]wu、武[miua]wu、霧[miu]wu

○同源語:

山(やま)、鳥(とり)、長(なが・<永>)き、此(こ)の、夜(よ)、

 

【小[siô]・を】

武庫浦(むこのうら)を榜(こぎ)轉(みる)小舟(をぶね)粟嶋(あはしま)を背(そがひ)に見つつ乏(ともしき)小舟(をぶね)(万358)

事(こと)出(で)しは誰言(たがこと)なるか小山田(をやまだ)の苗代(なはしろ)水(みづ)の中(なか)与(よど)にして(万776)

 

 古代中国語の「小」は小[siô] であるとされている。日本語の「を」は小[siô] の頭音が介音[-i-] が発達したことにより脱落したものである可能性がある。

 万葉集の時代にもすでに「小」には小(を)と小(こ)の二つの読み方があった。古代中国語音の小[siô] の祖語(上古音)は小[xiô*] 近い喉音だったものと考えられる。日本語の小(を)は小[siô/xiô*] の頭音が脱落したものであり、小(こ)は上古音の小[xiô*] の頭音がカ行であらわれたものである。

  現代の北京音は小(xiao) で摩擦音である。しかし、上古音の小[xiô*] はカ行音に近い喉音は閉鎖音系列のものであった。

○同源語:

廻(みる・<轉>)、盤(ふね・<舟>)、洲(しま・<嶋>)、見(みる)、言(こと・<事>)、出(でる)、山(やま)、田(た)、苗(なへ)、中(なか)、澱(よど)、●嶋(しま)、水(みづ)、

 

【岳[ngak]・をか】

此(この)岳(をか)に菜(な)採(つま)す兒(こ)家(いへ)吉閑(きかな)告(のら)さね、、、(万1)

 

 古代中国語の「岳」は岳[ngak] である。古代日本語には[ng] ではじまる音節はなかったので中国語の疑母[ng] は脱落した。

例:我[ngai]・吾[nga] あ・わ・われ、顎[ngak] あご、仰[ngiang] あふぐ、魚[ngia]うを、

  焼[ngyô] やく、鵞[ngai] わし、

● 朝鮮漢字音では語頭の[ng-] は規則的に脱落する。「岳」の朝鮮漢字音は岳(ak) であり、日本語の岳(をか)は朝鮮漢字音と同じように岳[ngak] の頭音が脱落したものである。古代日本語は古代朝鮮語に近い音韻構造をもっていたものと考えられる。

○同源語:

此(こ)の、兒(こ・<睨>)、●告(のる)、

 

【桶[dong]・をけ】

安左乎(あさを・麻苧)らを遠家(をけ)に布須(ふす)さに宇麻受(うまず・績)とも安須(あす・明日)伎西(きせ・着)さめや伊射(いざ)西(せ・為)乎騰許(をどこ・小床)に(万3484)

處女(をとめ)等(ら)が 麻笥(をけ)に垂有(たれたる) 紡麻(うみを)成(なす) 長門(ながと)の浦(うら)に、、(万3243)

 

 最初の歌(万3484)の「安左乎(あさを)らを遠家(をけ)に」は「麻の苧(を)を麻笥(をけ)に」の意味である。「麻笥(をけ)」は「績んだ麻を入れたり、水を汲んでおく器」のことである。

 『和名抄』では「桶 乎計(をけ)、俗有火桶、水菜桶、腰桶等之名、汲水於井之器也」とある。

 日本語の「をけ」は古代中国語の桶[dong] の頭音が脱落したものであろう。「桶」と同じ声符をもった漢字に甬[jiong] がある。日本語の桶(をけ)は中国語の桶[dong] が介音[i] の発達によっ頭音が脱落したものであろう。

○同源語:

伏(ふす)、小床(をどこ)、女(め)、垂(たれ)る、長(ながい)、門(かど)、

 

【踊[jiong/diong*]・をどる】

椙野(すぎのの)にさ乎騰流(をどる)[矢+鳥]*(きぎし・雉)いちしろく啼(ね)にしも将哭(なかむ)己母利(こもり・籠)豆麻(づま・妻)かも(万4148)

 

 「をどる」は万葉集の例では音表記であるが、「踊」であろう。「踊」と同じ声符をもった漢字に桶[dong] があり、踊[jiong] の祖語(上古音)は踊[diong*] に近い音であったと考えられる。日本語の「をどる」は中国語の「踊」と同源であろう。

○同源語:

野(の)、音(ね・<啼>)、鳴(なく・<哭>)、籠(こもる)、妻女(つま)、

 

【女[njia/mia*]・をみな】

石戸(いはと)破(わる)手力(たぢから)もがも手弱(たよわ)き女(をみな)にしあればすべの知らなくに(万419)

 

 古代中国語の「女」は女[njia] である。「女」の祖語(上古音)は女[mia*] であり、それが唐代には口蓋化して女[njia] になったものと考えられる。「女」の訓は女(め)である。また、同じ声符をもった汝[njia] の訓は汝(な)である。日本語の「を+み+な」は中国語の上古音女[mia*] から派生したものであろう。

 中国語の日母[nj] や明母[m] は日本語では二音節になってあらわれる場合が多い。

 例:耳[njiə] みみ、稔[njiəm] みのる、眠[myen] ねむる、牧[miuak] むまき、

   鰻[miuan] むなぎ、梅[muə] むめ、馬[mea] むま、

○同源語:

手(て・た)、弱(よわき)、知(しる)、

 

【折[tsyet]・をる】

時(ときごと)に彌(いや)めづらしく咲(さく)花(はな)を折(をり)も不折(をらず)も見(み)らくし余志(よし)も(万4167)

暇(いとま)有(あら)ばなづさひ渡(わたり)向峯(むかつを)の櫻(さくらの)花(はな)も折(をら)まし物(もの)を(万1750)

 

 古代中国語の「折」は折[tsyet] である。日本語の「をる」は折[tsyet] の頭子音が介音[y] が引き金となって脱落したものであろう。韻尾の[t] [l ]と調音の位置が同じ(歯茎の裏)で、訓では「ら行」に転移したものがある。

 例:掘[giuət] ほる、拂[piuət] はらう、祓[buat] はらう、刷[shoat] する、擦[tsheat]

      る、

 朝鮮漢字音では規則的に[l]に転移する。

 例:掘(kul)、拂(pul)、祓(pul)、刷(chal)、筆(phil)、物(mul)、折(jeol)、節(jeol)、切(jeol)

   雪(seol)、舌(seol)、一(il)、越(wol)、乙(ul)、活(hwal)、骨(kol)、札(chal)、室(sil)

    鉄(cheol)、日(il)、八(phal)

 古代日本語の音韻構造は朝鮮語に近かったといえる。それは、古代の史(ふひと)たちが朝鮮半島出身者だったからというだけでなく、日本語そのものが朝鮮語と近い言語だったからではなかろうか。

○同源語:

時(とき)、彌(いや)、咲(さく)、花(はな)、見(みる)、物(もの)、





もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第268話 万葉語辞典・か行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第271話 万葉語辞典・な行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第277話 参考文献など