第271話  万葉語辞典・な行

 

【汝[njia]・な・なれ】

淡海(あふみ)の海(うみ)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴(なけ)ば情(こころ)もしのに古(いにしへ)所念(おおほゆ)(万266)

霍公鳥(ほととぎす) 獨(ひとり)所レ生(うまれ)て 己(なが)父(ちち)に 似(に)ては不レ鳴(なかず) 己(な)が母(はは)に 似(に)ては不レ鳴(なかず)、、

(万1755)

常世(とこよ)邊(へに)可レ住(すむべき)物(もの)を劔(つるぎ)刀(たち)己(な)が行(こころ)から於曾(おそ)や是(この)君(きみ)(万1741)

事(こと)繁(しげみ)君(きみ)は不二來益一(きまさず)霍公鳥(ほととぎす)汝(なれ)だに來(き)鳴(なけ)朝戸(あさと)将レ開(ひらかむ)(万1499)

 

 万葉集では「な」には「汝」と「己」という二つの漢字があてられている。読み方は「な」だが、汝(な)は二人称であり、己(な)は一人称に用いられている。また、汝[njia] は汝(なれ)と読まれることもある。

 また、「己」は己(おのれ・おの)と読まれることもある。この場合はもちろん一人称である。

 

前玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼(ぬま)に鴨(かも)ぞ翼(はね)きる己(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有斯(あらし)

(万1744)   

 

● 金思燁の『韓譯萬葉集』では、最初の歌(万266)の「汝(な)」は二人称で、朝鮮語訳はne<そなた>と訳されている。

 三番目の歌(万1741)の「己(な)」は「自分の心によって」という意味である。朝鮮語の一人称(私)はnaeであり、二人称(君、お前)はneである。しkし、日本語ではnae(私)とne(お前)は両方とも「な」になってしまう。

 一人称のnaeは中国語の我[ngai] の転移したものであり、二人称のneは汝[njia] から派生したことばであろう。

 朝鮮語では一人称のnaenae ga<私が>というときにはnaeであらわれるが、na neun<私は>のときはnaであらわれる。

 また、二人称のnene ga<お前が>というときはneであらわれるが、neo neun<お前は>のときはneoであらわれる。

 朝鮮語の「あなた」には当身(tang-sin)(万787)ということばもあり、現代朝鮮語ではよく使われる。 

○同源語

海(うみ)、浪 (なみ)、千鳥(ちどり)、鳴(なく)、心(こころ・<情・行>)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、似(にる)、常(とこ)、世(よ)、邊(へ)、物 (もの)、刀薙(たち・<刀>)、是(こ)の、君(きみ)、言(こと・<事>)、来(くる)、鴨(かも)、尾(を)、降(ふる・<零>)、置(おく)、霜 (しも)、拂(はらふ・<掃>)、●朝(あさ)、沼(ぬま)、

 

【魚[ngia]・な・<菜>】

籠(こ)もよ 美籠(みこ)もち 布久思毛(ふくしも)よ 美夫君志(みぶくし)持(もち) 此(この)岳(をか)に 菜(な)採(つま)す兒(こ)、、(万1)

たらし比賣(ひめ・媛)可尾(かみ・神)の美許等(みこと・命人)の奈(な・魚)都良須(つらす・釣)と美(み・見)多々志(たたし・立)せりし伊志(いし・石)を多礼(たれ・誰)美吉(みき・見)(万869)

伊勢(いせ)の白水郎(あま)の朝(あさ)魚(な)夕(ゆふ)菜(な)に潜(かづくと)云(いふ)鰒(あはびの)貝(かひ)の獨念(かたもひ)にして(万2798)

 

 万葉集の時代の「な」は「菜」にも「魚」にも用いられる。「菜」「魚」の古代中国語音は菜[tsə]、魚[ngia] である。二番目(万867)の歌の「奈」は「魚」の音表記である。三番目の歌(万2798)で「魚」「菜」を「な」と読ませているのは借訓である。

 「魚」は魚(うを)ともいう。魚(うを)は中国語の頭音[ng] [-i-] 介音の影響で脱落したものである。「魚」の朝鮮漢字音は魚(eo)である。次の歌の「宇乎(うを)」は魚である。

 

思可能宇良(しかのうら・浦)に 伊射里(いざり・漁)する安麻(あま・海人) 伊敝(いへ・家)妣等(びと・人)の 麻知(まち・待)古布(こふ・戀)らむに 安可思(あかし・明)都流(つる・釣)宇乎(うを・魚)(万3653)

 

● 金思燁の『韓譯萬葉集』では、一番目の歌(万1)の「野菜(な)採(つま)す兒(こ)」の「菜」は菜(na mul)<青菜>と訳されている。「野菜(な)」は朝鮮語のna mulと同源であろう。

 二番目の歌(万869)の「奈(な)都良須(つらす)」は「魚(な)釣らす」である。

金思燁の『韓訳萬葉集』では「ko gi <魚>reul nakk eu<釣る>」と訳されている。ko giは「プルコギ」の「コギ」である。朝鮮語ではko giは肉にも魚にも使われている。魚と肉を区別するときは、魚にはmul ko gi<水+肉>といってko gi<肉>と区別する。  

○同源語:

籠(こ)、美(み)、此(こ)の、岳(をか)、兒(こ・<睨>)、媛(ひめ)、神(かみ・<坤>)、命人(みこと)、釣(つり)、見(みる)、立(たつ)、海女・海人(あま・白水郎)、鮑鰒(あはび・<鰒>)、蛤(かひ・<貝>)、●串(くし)、朝(あさ)、云(いふ)、

 

【名[mieng]・な】

妹(いも)が名(な)喚(よび)て 袖(そで)ぞ振(ふり)つる(万207)

劔(つるぎ)太刀(たち)名(な)の惜(をしけ)くも吾(われ)は無(なし)君(きみ)に不相(あはず)て年の経(へ)ぬれば(万616)

 

 古代中国語の「名」は名[mieng] である。日本語の「な」は中国語の頭音[m-] がナ行に転移したものである。韻尾の[ng] は脱落した。

 頭音[m] がナ行に転移した例:鳴[mieng] なく、苗[miô] なへ、猫[miô] ねこ、

  眠[myen]ねむる、など

 韻尾[ng] が脱落した例:黄[huang] き、湯[thang] ゆ、網[miuang] あみ、

    [miuəng] いめ、方[piuang] へ、など

○同源語:

妹(いも)、袖(そで)、太刀(たち)、吾(われ)、無(な)し、君(きみ)、合(あふ・<相>)、經(へる)、

 

【勿[miuət]・莫[mak]・な】

秋山(あきやま)に落(おつる)黄葉(もみちば)しましくは勿(な)散(ちり)亂(まがひ)そ妹(いも)が當(あたり)将見(みむ)(万137)

十六(しし)待(まつ)如(ごとく) 床(とこ)敷(しき)て 吾(わが)待(まつ)公(きみを) 犬(いぬ)莫(な)吠(ほえ)そね(万3278)

今日(けふ)耳(のみ)は 目(め)串(ぐし)も勿(な)見(みそ) 事(こと)も咎(とがむ)莫(な)(万1759)

 

 勿(な)は勿来の関の「勿」である。「勿」の古代中国語音は勿[miuət] である。莫[mak]も勿[miuət]に近く、「勿」と同じように使われる。日本語の否定の「な」は漢文訓読などでよく使われることばであり、日本語では「な、、、そ」と係り結びという名で知られている。係り結びの語順は否定が先に来る中国語の語法に従ったものである。

 中国語では否定する動詞の前に置かれる。しかし、三番目の歌(万1759)では莫[mak] は日本語の語順に従って動詞の後に置かれている。これは、日本語の語法に従って否定の「莫」を文末にもってきたものである。 [m] [n] は調音の方法が同じ(鼻音)であり転移しやすい。

 例:名(メイ・ な)、苗(ギョウ・ なへ)、猫(ビョウ・ ねこ)、無(ム・ ない)、

   鳴(メイ・ なく)、眠(ミン・ ねむる)、

 

○同源語:

山(やま)、堕(おちる・<落>)、葉(は)、散(ちる)、妹(いも)、當(あたる)、見(みる)、床(とこ)、吾(わが)、公(きみ)、犬(いぬ)、今日(けふ・<矜>)、耳(のみ・みみ)、目(め)、言(こと・事)、●十六(しし)、串(くし)、

 

【中[tiong]・なか】

狭夜(さよ)深(ふけ)て夜中(よなか)の方(かた)に鬱(おぼぼ)しく呼(よび)し舟人(ふなびと)泊(はてに)けむかも(万1225)

中々(なかなか)に人(ひと)と不有(あらず)は酒壺(さかつぼ)に成(なりに)てしかも酒(さけ)に染(しみ)なむ(万343)

 

 「中」の古代中国語音は中[tiong] である。語頭の[t] [n] と調音の位置が同じであり転移したものであろう。韻尾の[ng] は上古音では[k*] に近かったと考えられている。日本語の「なか」は中国語の「中」と同系のことばであろう。

○同源語:

夜(よる)、更(ふけ・<深>)る、盤(ふね・<舟>)、泊(はて)、酒(さけ)、染(しむ)、

 

【長[diang]・ながし】

今(いまより)は秋風(あきかぜ)寒(さむく)将吹(ふきなむ)を如何(いかにか)獨(ひとり)長(ながき)夜(よ)を将宿(ねむ)(万462)

ぬばたまの昨夜(きそ)は令還(かへしつ)今夜(こよひ)さへ吾(われ)を還(かへす)莫(な)路(みち)の長手(ながて)(万781)

 

 古代中国語の「長」は長[diang] である。日本語の「ながい」は中国語の長[diang] の頭音[d-]がナ行に転移したものである。古代日本語では濁音が語頭に立つことはなかったので中国語の頭音[d-] はナ行に転移した。定母[d] は泥母[n] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 語頭の[d]がナ行に転移した例:濁[diok] にごる、塗[do] ぬる、鈍[duən] にぶい、

  乗[djiəng] のる、陳[dien] のべる、など

 唐代の韻尾の[ng] は唐代以前には[k*] に近かったと考えられている。中国語の韻尾[ng] は訓ではカ行であらわれることが多い。

 韻尾の[-ng] がガ行で現われる例:影[kyang*] かげ、塚[tiong] つか、楊[jiang] やぎ・

  やなぎ、清[tsyeng] すがし、鳴[mieng] なく、咲[siong] さく、双[sheong]六・すごろ

  く、相[siang]模・さがみ、

○同源語:

今(いま)、夜(よ)、寐(ね・<宿>)る、還(かへ)る、吾(われ)、手(て)、●如何(いか)に、

 

【泣[khiəp/(h)liəp]・なく】

磐(いは)金(がね)のこごしき山(やま)を超(こえ)かねて哭(ね)には泣(なく)とも色(いろ)に出(いで)めやも(万301)

 

 古代中国語の「泣」は泣[khiəp]である。「泣」の声符は立[liəp] である。「泣」の祖語には入りわたり音があり泣[(h)liəp*] であったと想定できる。入りわたり音[h]の痕跡を留めたのが泣[khiəp]であり、入りわたり音[h-]が脱落したのが立[liəp]である。

○同源語:

金(かね)、根(ね)、山(やま)、越(こえる・<超>)、音(ね・<哭>)、色(いろ)、出(いづ)、

 

【鳴[mieng]・なく・なる】

鸎の 生卵(かひご)の中(なか)に 霍公鳥(ほととぎす) 獨(ひと)り所生(うまれて) 己(な)が父(ちち)に 似(に)ては鳴(なかず) 己(な)が母(はは)に 似(に)ては鳴(なかず) 宇(う・卯)の花(はな)の 開有(さきたる)野邊(のべ)ゆ 飛(とび)び翻(かけ)り 來(き)鳴(な)き令響(とよもし)、、、

(万1755)

赤根(あかね)刺(さす) 晝(ひる)はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 此(この)床(とこ)の ひしと鳴(なる)まで 嘆(なげき)つるかも(万3270)

 

 古代中国語の「鳴」は鳴[mieng] である。日本語の「なく・なる」は中国語の鳴[mieng] の語頭の[m-]がナ行に転移したものである。明母[m] と泥母[n-] は調音の方法が同じ(鼻音)であり、音価も近く、転移しやすい。韻尾の[-ng] は古代日本語ではカ行であらわれることが多い。中国語音韻史では、唐代の中国語の韻尾[ng]の上古音は[k*] に近かったと考えられている。

○同源語:

鸎(うぐひす・ <隹・す>)、中(なか)、霍公鳥(ほととぎす・<隹・す>)、我(な・<己>)、似(に)る、花(はな)、咲(さく・<開>)、野(の)、邊(へ)、來 (くる)、赤(あか)い、根(ね)、刺(さ)す、夜(よる)、此(こ)の、床(とこ)、●己(な)、晝(ひる・<日>)

 

【無[miua]・なき】

浦(うら)も無(なく)去(いに)し君(きみ)故(ゆゑ)朝(あさな)旦(あさな)もとなそ戀(こふる)相(あふ)とは無(なけ)(万3180)

秋津野(あきづの)に朝(あさ)居(ゐる)雲(くも)の失(うせ)去(ゆけ)ば前(きのふ)も今(けふ)も無(なき)人(ひと)所念(おもほゆ)(万1406)

 

 古代中国語の「無」は無[miua] である。無[miua] も日本語ではナ行であらわれている。

 二番目の歌は原文では「無人所念」と表記されている。無[miua] は亡[miuang] と同系のことばであり、「亡き人思ほゆ」である。

 日本語の「なし」は中国語の「無」と同源である。勿[miuə](な)、莫[mak](な)も無[miua] と音が近く、「無」と同じ意味に使われる。

○同源語:

君(きみ)、合(あふ・<相>)、津(つ)、野(の)、雲(くも)、行(ゆく・<去>)、今(けふ・<矜>)、●朝・旦(あさ)、

 

【梨[liet]・なし】

露(つゆ)霜(しも)の寒(さむき)夕(ゆふべ)の秋風に黄葉(もみち)にけらし妻(つま)梨(なし)の木(き)は(万2189)

右の一首は少納言大伴宿祢家持、當時(そのかみ)梨黄葉(なしのもみちをみて)此歌(このうたをつくれり)。(万4259注)

 

 最初の歌(万2189)では梨(なし)は無(なし)の意味に使われている。二番目の歌(万4259注)の「梨」は「梨子」であろう。

 古代中国語の「梨」は梨[liet] である。古代日本語ではラ行音が語頭にくることばはなかったからは日本語ではナ行に転移した。来母[l] と泥[n-] は調音の位置が同じであり転移しやすい。 日本語の「なし」は「梨子」と同源であろう。

● 朝鮮漢字音では中国語の[l] [n] に転移することが多い。古代日本語の音韻構造は朝鮮語に近かった。

 朝鮮漢字音の例:浪(nang)、龍(nong)、楽天(nak-cheon)、洛陽(nak-yeong)、来年

  (nae-nyeon)、労働(no-dong)、冷房(naeng-bang)、冷麺(naeng-myeon)、緑茶(nok-cho)

○同源語:

霜(しも)、妻女(つま・<妻>)、見(みる)、此(こ)の、作(つく)る、

 

【熱[njiat]・なつ<夏>】

石麻呂(いはまろ)に吾(われ)物(もの)申(まをす)夏(なつ)痩(やせ)によしと云(いふ)物(もの)ぞ武奈伎(むなぎ・鰻)取(とり)喫(めせ)(万3853)

 

● スウェーデンの言語学者カールグレンはその著書『言語学と古代中国』のなかで、日本語の「夏」は中国語の熱[njiat] の借用語ではないかとしている。

 朝鮮語の夏はyeo reumである。朝鮮語のyeo reumも中国語の熱[njiat]と関係のあることばではあるまいか。「熱」の朝鮮漢字音は熱(yeol)である。朝鮮語では中国語の日母[nj-] は規則的に脱落する。

 日本語でも熱[njiat]は頭音が脱落して熱(あつい)になる。

○同源語:

吾(われ)、物(もの)、鰻魚(むなぎ)、取(とる)、●云(いふ)、

 

【靡[miai]・なびく】

阿騎(あき)の野(の)に宿(やどる)旅人(たびびと)打(うち)靡(なびき)寐(い)も宿(ね)らめやも古部(いにしへ)念(おもふ)に(万46)

墓上(はかのうへ)の木枝(このえ)靡有(なびけり)如レ聞(ききしごと)陳努壮士(ちぬをとこ)にし依(よりに)けらしも(万1811)

 

 古代中国語の「靡」は靡[miai] である。漢字には「麻+非」を靡(なびく)、「戸+非」を扉(とびら)、「麻+呂」を麿(まろ)、「馬+句」を駒(こま)とするような表記法がある。

 「靡」の「麻」は麻[mea]、「非」は非[piuəi] である。靡(なびく)では「麻」の頭音[m]がナ行に転移している。

● 朝鮮語の「靡(なびく)」はna pu khiである。日本語の「なびく」は朝鮮語のna pu khiと同系のことばであろう。

○同源語:

野(の)、打(うつ)、寐(いぬ・<宿>)、墓(はか)、依(よる)、●海(わた)、

 

【苗[miô]・なへ】

三嶋(みしま)菅(すげ)未(いまだ)苗(なへ)なり時(とき)待(また)ば不著(きず)や将成(なりなむ)三嶋(みしま)菅笠(すげがさ)(万2836)

 

 古代中国語の「苗」は苗[miô] である。日本語の「なへ」は古代中国語の頭音[m] が日本語ではナ行に転移したものである。明母[m-] と泥母[n-] は調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移することが多い。

○同源語:

三(み)、洲(しま・<嶋>)、未(いまだ)、時(とき)、●嶋(しま)、笠(かさ)、 

  

【浪[lang]・瀾[lan]・なみ)】

奥浪(おきつなみ邊波(へなみ)立(たつとも)和我(わが)世故(せこ)が三船(みふね)の登麻里(とまり)瀾(なみ)立(たた)めやも(万247)

明(あけ)來(くれ)ば 浪(なみ)こそ來(き)依(よれ) 夕(ゆふ)去(され)ば 風(かぜ)こそ來(き)依(よれ) 浪(なみ)の共(むた) 彼(か)依(より)此(かく)依(よる) 玉藻(たまも)成(なす) 靡(なび)き吾(わが)宿(ね)し、、

(万138)

 

 古代中国語の「浪」は浪[lang] であり、「瀾」は瀾[lan] である。浪[lang] と「瀾」は音義ともに近い。古代日本語ではラ行音が語頭に立つことがなかったので日本語ではナ行に転移した。韻尾の[n][ng] は調音の方法が同じ(鼻音)であり音価が近い。「浪」も「瀾」も日本語の「なみ」と同源であろう。波(なみ)は「波浪」などの成句もあり、「浪」と同義である。

 韻尾[ng] がマ行であらわれる例:公[kong] きみ、霜[siang] しも、鏡[gyang] かがみ、

  澄[diəng] すむ、醒[tsyeng] さめる、停[dyeng] とまる、燈[təng] ともす、

  嘗[zjiang] なめる、など

 韻尾[n] がマ行であらわれる例:浜[pien] はま、君[giuən] きみ、文[miuən] ふみ、

  肝[kan] きも、天[thyen] あめ、呑[thən] のむ、など

○同源語:

澳(おき・<奥>)、邊(へ)、立(たつ)、我(わが)、盤(ふね・<船>)、停(とまり)、來(くる)、依(よ)る、靡(なび)く、吾(わが)、寐(ね・<宿>)、

 

【涙(なみだ)】

朝日(あさひ)弖流(てる・照)佐太(さた)の岡邊(をかべ)に群(むれ)居(ゐ)つつ吾等(わが)哭(なく)涙(なみだ)息(やむ)時(とき)も無(なし)(万177)

大夫(ますらを)と念(おも)へる吾(われ)や水莖(みづぐき)の上(うへ)に泣(なみだ)拭(ぬぐ)はむ(万968)

 

● 朝鮮語の「なみだ」はnun mulである。nun mulは複合語でありnun<眼>-mul<水>である。日本語の「なみだ」は朝鮮語の(nun-mul)と音義ともに近い。

 万葉集では日本語の「なみだ」には涙[liuei] のほかに、涕[thyei](万453)、渧[dyəi](万1520)のほか、泣[khyəp](万968)が泣(なみだ)に使われている。

○同源語:

照(てる)、岳(をか・<岡>)、邊(へ)、群(むれ)、吾(わが・<吾等>)、泣(なく・<哭>)、時(とき)、無(なし)、●朝(あさ)、日(ひ)、

 

【嘗[zjiang/djiang*]・なむ】

中々(なかなか)に人(ひと)とあらずは酒壺(さかつぼ)に成(なり)にてしかも酒(さけ)に染(しみ)嘗(なむ)(万343)

吉野川(よしのがは)河浪(かはなみ)高(たか)み多寸(たき)の浦(うら)を不レ視(みず)か成(なり)嘗(なむ)戀(こひ)しけまくに(万1722)

 

 二首とも嘗(なむ)は助動詞の「なむ」に使われているであるが、「嘗」に「なむ」の読みがあったことが分かる。

 「嘗」の古代中国語音は嘗[zjiang] である。嘗[zjiang] の祖語(上古音)は嘗[djiang*] に近かったものと思われる。日本語の嘗(なむ)は上古音、嘗[djiang*] の痕跡を留めている。

 語頭の[dj-][di-] がナ行であらわれる例:乗[djieng] のる、縄[djieng] なは、

    [djiuət] のべる、長[diang] ながい、陳[dien] のべる、中[tiuəm] なか、など

○同源語:

中(なか)、酒(さけ)、染(しむ)、野(の)、川・河(かは)、浪(なみ)、瀧(たき)、見(みる・<視>)、

 

【汝爾[njia njiai]・なむち・<汝>】

大汝(おほなむち)小(すくな)彦名(ひこな)の将レ座(いましけむ)志津(しづ)の石室(いはや)は幾代(いくよ)将レ経(へぬらむ)(万355)

 

 万葉集では汝(な)は汝(なれ)、あるいは汝(なむち)と読まれることもある。

 「なむぢ」は汝爾[njia-njiai] であろう。「汝」も「爾」も二人称をあらわすことばである。中国語ではよく「汝」と「爾」のように同義のことばを重ねていうことがある。白川静の『字通』によれば「中国語では汝[njia]、爾[njiai]、而[njiə]、若[njiak]、乃[nə] などみな同系のことばとして二人称に使う。」という。

 万葉集では同義の漢字を同じ訓に使う例が数多く見られる。

 例:祈・祷(いのる)、禁・忌(いむ)、怨・恨(うらむ)、興・起(おきる)、堕・落(お

   ちる)、音・聲(おと・こゑ)、陰・影(かげ)、言・語(かたる)、河・川(かは)、  

   清・浄(きよし)、心・情(こころ)、幸・福(さち)、断・絶(たつ)、満・足(た

   る)、衝・突(つく)、継・続(つぐ)、造・作(つくる)、土・地(つち)、夫・妻(つ

   ま)、停・留(とどまる)、波・浪(なみ)、柔・和(にき・にこ)、歯・牙(は)、陵・

   墓(はか)、経・歴(ふる)、船・舶(ふ・ね)、文・書(ふみ)、零・落(ふる)、滅・

   亡(ほろびる)、眼・目(め)、燃・焼(もえる)、世・代(よ)、絵・畫(ゑ)、

○同源語:

名(な)、世(よ・<代>)、経(へる)、

 

【柔[njiu/njiôk*]・にき・にこ・<和>】

靡相(なびかひ)し 嬬(つま)の命(みこと)の たたなづく 柔膚(にきはだ)すらを 劔刀(つるぎたち) 於身(みに)副(そへ)不寐(ねね)ば ぬばたまの 夜床(よとこ)も荒(ある)らむ、、(万194)

射(いゆ)鹿(しし)をつなぐ河邊(かはべ)の和草(にこぐさの)身(み)の若(わか)かへにさ宿(ね)し兒(こ)らはも(万3874)

 

 古代中国語の「柔」は柔[njiu] であり、古代日本語の「にき・にこ」は中国語の[njiu] あるいは弱[njiôk] と同源であろう。中国語には「柔弱」という成句もあり、柔と弱とは音義ともに近い。 董同龢の『上古音韻表稿』では「柔」の上古音は柔[njiôk] とされている。

 「にこ」には「和」も使われている。「和」の古代中国語音は和[huai] であり、日本語の「にこ」とは音が対応していない。しかし、「柔和」ということばもあるごとく「柔」と「和」は意味が近い。「和」と書いて「にこ」と読むのは借訓である。

○同源語:

靡(なび)く、合(かふ・あふ・<相>)、妻嬬(つま・<嬬>)、命(みこと・<命人>)、刀薙(たち・<刀>)、身(み)、寐(ね・<宿>)る、夜(よ)、床(とこ)、射(い)ゆ、河(かは)、邊(へ)、若(わか)き、、兒(こ・<睨>)、●鹿(しし)、

 

【濁[diok]・にごる】

驗(しるし)無(なき)物(もの)を不念(おもはず)は一坏(ひとつき)の濁酒(にごれるさけ)を可飲(のむべく)有(ある)らし(万338)

價(あたひ)無(なき)寶(たから)と言(いふ)とも一坏(ひとつき)の濁酒(のごれるさけ)に豈(あに)益(まさ)めやも(万345)

 

 古代中国語の「濁」は濁[diok] である。古代日本語では濁音が語頭に来ることがなかったので、語頭の[d] はナ行に転移した。また、古代日本語では第二音節以降では清音(ダク)が濁音(にご)になった。日本語の「にごる」は中国語の「濁」と音義ともに近く、同源である。

○同源語:

無(な)き、物(もの)、酒(さけ)、呑(のむ・<飲>)、●言(いふ)、

 

【似[ziə/diəg*]・にる】

痛(あな)醜(みにく)賢(さか)しらを為(す)と酒(さけ)不飲(のまぬ)人(ひと)をよく見(み)ば猿(さる)にかも似(にる)(万344)

吾妹兒(わぎもこ)が家(いへ)の垣内(かきつ)の佐由理(さゆり)花(ばな)由利(ゆり)と云(いへる)は不欲(いなと)云(いふ)に似(にる)(万1503)

 

 古代中国語の「似」は似[ziə] である。董同龢の『上古音韻表稿』では似[ziəg] であるとしている。藤堂明保の『学研漢和大辞典』では「似」の上古音を似[diəg*]に再構している。

 似[ziə] の祖語(上古音)は似[diəg*] に近い音であり、それが隋唐の時代になって摩擦音化して似[ziə] になったものであろう。古代日本語では語頭に濁音がくることがなかったので、日本語では似[diəg*] の頭音はナ行に転移した。それが摩擦音化して似[ziə]となったと考えて間違いないであろう。

 古代中国語音韻史の研究者は数少ないが、それぞれ研究者によって古代中国語語音の復元のしかたは違うことがある。似(にる)の場合は似[diəg*][ziə]とする説に説得力がありそうである。

○同源語:

酒(さけ)、呑(のむ・<飲>)、見(みる)、猿(さる)、吾妹兒(わぎもこ)、花(はな)、●云(いふ)、

 

【茹[njia]・にる・<煑>】

春日野(かすがの)に煙(けぶり)立(たつ)所見(みゆ)[女+感]*嬬(をとめ)らし春野(はるの)の菟芽子(うはぎ)採(つみ)て煑(に)らしも(万1879)

 

 古代中国語の「煑」は煑[thya] である。煑[thya] は茹[njia] とも音義ともに近い。「茹」は日本語では「ゆでる」にも使われるが、「にる」とも同源であろう。茹[njia] は「ゆでる」に使われる。「ゆでる」は茹[njia] の頭音が脱落したものである。

 中国語の[t](清音)、[th](有気音)、[d](濁音)、[n](鼻濁音)は調音の位置が同じであり、音価も近い。

 例:灘[than] なだ、脱[thuat] ぬぐ、沾[tham] ぬれる、呑[thən] のむ、

○同源語:

野(の)、煙(けぶり)、立(たつ)、見(みる)、春(はる)、芽子(はぎ)、

 

【寐[miuət]・ぬる・ねる】

人(ひとの)寐(ぬる) 味眠(うまいは)睡(ねず)て 大舟(おほふね)の 徃(ゆく)ら行(ゆく)らに 思(おもひ)つつ 吾(わが)睡(ぬる)夜(よ)らを 讀(よみ)も将敢(あへむ)かも(万3274)

夕霧(ゆふぎり)に衣(ころも)は沾(ぬれ)て 草枕(くさまくら) 旅宿(たびね)かも為(す)る 不レ相(あはぬ)君(きみ)故(ゆゑ)、、(万194)

蟋蟀(こほろぎ)の吾(わが)床(とこの)隔(へ)に鳴(なき)つつもとな起(おき)居(ゐ)つつ君(きみ)に戀(こふる)に宿(いね)不レ勝(かてなく)に(万2310)

 

 万葉集では日本語の「ね・ねる」に寐[muət]、眠[myen]、睡[zjiuai]、寝[tsiəm]、宿[suk]などが使われている。日本語の「ね」「ねる」は中国語の寐[muət]、眠[myen] と同系のことばであろう。

 睡[zjiuai]は音が対応していない。しかし、睡眠という成句があるごく、「眠」と同義なので、借訓として用いられたものである。

 中国語の頭音[m]は調音の方法が[n] と同じ(鼻音)であり、転移しやすい。「ね+る」の「る」は眠[myen] あるいは寐[muət] の韻尾]がラ行に転移したものである。韻尾の[t][ n][ l] も調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 三番目の歌(万2310)では「ねる」に母音が添加されて「いぬ」という形になってりう。寐[muət] の前に母音が添加されたもので、馬(うま)、梅(うめ)などに見られるものと同じである。

○同源語:

味(うま)し、盤(ふね・<舟>)、行(ゆく・<徃>)、吾(わが)、夜(よ)、濡(ぬれる・<沾>)、合(あふ・<相>)、君(きみ)、床(とこ)、邊(へ・<隔>)、鳴(なく)、起(おき)る、

 

【額[ngək]・ぬか】

肥人(こまひと)の額(ぬか)髪(がみ)結在(ゆへる)染(しめ)木綿(ゆふ)の染(しみにし)心(こころ)我(われ)忘(わすれめ)や(万2496)

相念(あひおもはぬ)人(ひと)を思(おもふ)は大寺(おほでら)の餓鬼(がき)の後(しりへ)に額衝(ぬかづく)如(ごとし)(万608)

 

 古代中国語の「額」は額[ngək] である。古代日本語では額田(ぬかた)王などの人名にも使われている。額[ngək] は鼻濁音であり、調音の方法が[n]と同じ(鼻音)なので、ナ行に転移した。古代日本語には鼻濁音ではじまる音節はなかった。

 現代の東京方言では鼻濁音が失われているが、東北弁などでは語頭には「ガ」が来て、語中・語尾では鼻濁音「カ゜」となる。音楽(オンカ゜ク)、学校(ガッコウ)である。 中国語の疑母[ng-]は日本語ではマ行であらわれることが多いが、ナ行であらわれることもある。

例:魚[ngia] な、偽[ngiuai] にせ、業[ngiap] なり、訛[nguai] なまり、睨[ngye] にらむ

○同源語:

染(しみる)、心(こころ)、我(われ)、合(あふ・<相>)、寺(てら)、餓鬼(ガキ)、衝(つく)、

 

【脱[thuat]・ぬぐ】

夜(よるも)不寐(ねず)安(やすくも)不有(あらず)白細布(しろたへの)衣(ころもも)脱(ぬかじ)直相(だだにあふまでに)(万2846)

玉有(たまなら)ば 手(て)に巻(まき)持(もち)て 衣有(きぬなら)ば 脱(ぬぐ)時(とき)も無(なく) 吾(わが)戀(こふる) 君(きみ)そ伎賊(きぞ・昨)の夜(よ) 夢(いめに)所見(みえ)つる(万150)

 

 古代中国語の「脱」は脱[thuat] である。中国語の[th] [n] と調音の位置が同じであり転移しやすい。日本語の「ぬぐ」は中国語の「脱」と同源であろう。

 韻尾の[-t] はカ行に転移している。中国語には時代により、地域により同じ漢字にも異音があった。例えば、江南音では韻尾の[p][ t][ k] は弁別されていない。

 入声音[t][k]の転移した例としては、匹(ヒキ・ヒツ)、冊(サツ)・柵(さく)、叱(シツ・しかる)などをあげることができる。、

○同源語:

夜(よる)、寐(ねる)、合(あふ・<相>)、手(て)、絹・巾(きぬ・<衣>)、時(とき)、無(な)く、吾(わが)、君(きみ)、夢(いめ)、見(みる)、

 

【縫(ぬふ)】

安波牟(あはむ・合)日(ひ)の可多美(かたみ)にせよと多和也女(たわやめ・手弱女)の於毛比(おもひ・念)美太礼(みだれ・乱)て奴敝流(ぬへる・縫)許呂母(ころも・衣)ぞ(万3753)

人(ひと)皆(みな)の笠(かさ)に縫(ぬふと)云(いふ)有間(ありま)菅(すげ)

在(あり)て後(のち)にも相(あはむ)とそ念(おもふ)(万3064)

 

● 大野晋は岩波古典文学大系(万3064)の頭注で「縫ふ―nuFu(縫)は朝鮮語nupi(縫)と同源か。」としている。朝鮮語の辞書によるとnu piは「刺し縫いをすること」とある。「縫ふ」は朝鮮語のnu piと同系のことばであろう。

○同源語:

合(あふ・<相>)、手(た・て)、弱(わやい)、女(め)、間(ま)、●日(ひ)、笠(かさ)、云(いふ)、

 

【沼(ぬま)】

前玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼(ぬま)に鴨(かも)そ翼(はね)きる己(おのが)尾(を)に零(ふり)置(おけ)る霜(しも)を掃(はらふ)とに有斯(あらし)

(万1744)

 

● 朝鮮語の「ぬま(沼)」はneuppであり、日本語の「ぬま」に音義ともに近い。[p] [m]と調音の位置が同じ(唇音)であり、転移しやすい。

 注目すべきは、アイヌ語にnup(野原)、nupuri(山)ということばがあることである。アイヌ語の文法構造は日本語とも朝鮮語ともかなり違うが、語彙の交流があった可能性がある。

○同源語:

鴨(かも)、尾(を)、降(ふる・<零>)、霜(しも)、拂(はらふ・<掃>)、

 

【潤[njiuən]・ぬれる・<霑・沾>】

はしきやし不レ相(あはぬ)子(こ)故(ゆえに)徒(いたづらに)是川(うぢかは)の瀬(せ)に裳欄(もすそ)潤(ぬらしつ)(万2429)

雨(あめ)零(ふら)ば将盖(きむ・着)と念有(おもへる)笠(かさ)の山(やま)人(ひと)に莫(な)令蓋(きせそ)霑(ぬれ)は漬(ひづ)とも(万374)

苞(つと)もがと乞(こは)ば令取(とらせむ)貝(かひ)拾(ひりふ)吾(われ)を沾(ぬらす)莫(な)奥津(おきつ)白浪(しらなみ)(万1196)

 

 日本語の「ぬらす」「ぬれる」には潤[njuən]、霑[tiam]、沾[tiam] が使われている。潤[njiuən] は現代の日本語では潤(うるおう)に使われるが「うるおう」は潤[njiuən]の頭音が脱落したものであり、「ぬらす」「ぬれる」は日母[nj] がナ行であらわれたものである。

 霑[tiam]、沾[tiam] は頭音[t-]がナ行であらわれたものである。[t] [n] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。韻尾の[n][ m] はラ行に転移している。中国語には[l] という韻尾はないが、[n] [l] と調音の位置が同じ(歯茎の裏)であり、転移しやすい。

 現代の日本語では濡[njio] が「ぬれる」にあてられるが、万葉集には用例がない。潤[njuən]、濡[njio]、霑[tiam]、沾[tiam] はいずれも音義ともに近く、同系のことばである。

○同源語:

合(あふ・<相>)、子(こ)、川(かは・<訓>)、降(ふる・<零>)、山(やま)、莫(な)、取(とる)、蛤(かひ・<貝>)、吾(われ)、澳(おき・<奥>)、津(つ)、浪(なみ)、●裳(も)、笠(かさ)、

 

【塗[da]・ぬる】

香(こり)塗(ぬれる)塔(たふ)に莫(な)依(よりそ)川隅(かはくま)の屎鮒(くそぶな)喫有るはめる)痛(いたき)女奴(めやつこ)(万3828)

 

 この歌は長歌の一部で、解説書によれば「陶人の作った瓶を、今日行ってすぐ明日持って来て、それに入れて醤(ひしお)を作り、それを私の目に塗って、腊(魚の肉の丸干し)にして賞味してください」という意味である。

 古代中国語の「塗」は塗[da] である。中国語音の[t][d][n] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。日本語の「ぬる」は中国語の「塗」と音義ともに近く、同源であろう。

○同源語:

香(こり)、塔(たふ)、莫(な)、依(よる)、川(かは・<訓>)、鮒(ふな・<付+魚>)、痛(いた)き、女(め)、

 

【音[iəm]・ね】

朝(つと)に徃(ゆく)鴈(かり)の鳴(なく)音(ね)は如吾(わがごとく)物(もの)念(おもへ)かも聲(こゑ)の悲(かなしき)(万2137)

高(たか)知為(しらす) 布當(ふたぎ)の宮(みや)は 河(かは)近(ちか)み 湍音(せのと)ぞ清(きよき) 山(やま)近(ちか)み 鳥(とり)が鳴(ね)慟(とよむ)、、(万1050)

 

 古代中国語の「音」は音[iəm] である。日本語では音(ね)、音(と)であらわれる。音(ね)は音[iəm] [m] がナ行に転移したものである。音(と)は[m] がタ行に転移したものである。

 中国語の韻尾[n] は隋唐の時代以前は[t]であったものが多いと考えられている。[m][ n] [t] は調音の位置が近く、転移しやすい。

 「鳴」の古代中国語音は鳴[mieng] である。一番目の歌では鳴(なく)であり、二番目の歌では鳴(ね)と読まれている。中国語では四声の違いによって、動詞が名詞になったり、名詞が動詞になったりすることがよくある。

 

鴈鳴(かりがね)の寒(さむく)鳴(なきし)従(ゆ)水茎(みづくき)の岡(をか)の葛葉(くずは)は色(いろ)付(づき)にけり(万2208)

 

○同源語:

行・往(ゆく・ <徃>)、鴈(かり)、鳴(なく・ね)、吾(わが)、物(もの)、聲(こゑ・<馨>)、廟(みや・<宮>)、河(かは)、音(おと)、清(きよ)き、山 (やま)、鳥(とり)、茎(くき)、岳(をか・<岡>)、葛(くず)、葉(は)、色(いろ)、●水(みづ)、

 

【根[kən]・ね】

奥山(おくやま)の磐本菅(いはもとすげ)を根(ね)深(ふか)めて結(むすび)し情(こころ)忘(わすれ)かねつも(万397)

大伴(おほとも)の高師(たかし)の濱(はま)の松(まつ)が根(ね)を枕(まくらき)宿(ぬれ)ど家(いへ)し所偲(しのは)ゆ(万66)

 

 古代中国語の「根」は根[kən] である。根(ね)は根[kən] の頭音[k] が脱落したものである。中国の頭音[k][h] は古代日本語では脱落することが多い。

 声符が同じ文字で頭音が脱落する例:國・域、區・歐、軍・運、葛・謁、完・院、

  甲・鴨、

 訓で頭音[k] が脱落した例:甘[kam](カン・あまい)、犬[khyuan](ケン・いぬ)、

  禁[kiəm](キン・いむ)、今[kiəm](コン・いま)、居[kia](キョ・ゐる)、弓[kiuəm]  

  (キュウ・ゆみ)、寄[kiai](キ・よる)、

○同源語:

奥(おく)、山(やま)、本(もと)、心(こころ・<情>)、濱(はま)、寐(ぬる・ねる<宿>)、

 

【練[liam]・ねる】

百千(ももち)遍(たび)戀(こふ)と云(いふ)とも諸弟(もろと)等(ら)が練(ねり)の言羽(ことば)は吾(われ)は不信(たのまじ)(万774)

焼(やき)太刀(たち)の 手頴(たかみ)押(おし)弥利(ねり) 白檀弓(しらまゆみ) 靫(ゆき)取(とり)負(おひ)て、、(万1809)

 

 古代中国語の「練」は練[lian] である。古代日本語ではラ行音が語頭に立つことはなかったので、日本語ではナ行に転移した。

 練[lian] では韻尾の[n]はラ行であらわれている。古代日本語ではラ行音が語頭に立つことはなかったが、第二音節ではラ行音を許容した。

 例:韓[han]・漢[xan] から、雁[ngean] かり、塵[dien] ちり、潤[njiuən] ぬらす、

○同源語:

千(ち)、弟(おと)、言(こと)、羽(は)、吾(われ)、焼(やく)、刀薙(たち・<太刀>)、手(た・て)、弓(ゆみ)、取(とる)、負(おふ)、●云(いふ)、

 

【野[jya/dia*]・の】

東(ひむがしの)野(の)に炎(かぎろひ)の立(たつ)所見(みえ)て 反(かへり)見(み)為(すれ)ば月(つき)西渡(かたぶきぬ)(万48)

阿騎(あき)の野(の)に宿(やどる)旅人(たびびと)打(うち)靡(なびき)寐(い)も宿(ぬ)らめやも古部(いにしへ)念(おもふ)に(万46)

たまきはる内(うち)の大野(おほの)に馬(うま)數(なめ)て朝(あさ)布麻須(ふます・踏)らむ其(その)草(くさ)深野(ふかの)(万4)

 

 古代中国語の「野」は野[jya] である。「野」と同じ声符を持つ漢字には序・杼・舒[zia] などがある。二番目の歌でも「屋杼礼(やどれ)りし」では杼[zia] は杼(ジョ)ではなく杼(ド)に使われている。

 古事記歌謡では「野」と同じ声符をもつ「杼」が「と」または「ど」にあてられている例が多い。

 例:蘇邇理能(そにりの)、袁佐閉比迦礼(をさへひかれ)、袁登賣母(をと

   めも)、知理(ちり)、伊耶古杼母(いざこも)、 

 このことから「野」の祖語(上古音)には野[dia*] に近い音があったのではないかという想定が成り立つ。万葉集にも「杼」を杼(ど)に用いた用例がある。

 「野」の声符「予」は杼[dia*]→序[zia]→野[jya] という音韻変化の過程を経たのではあるまいか。野[dia*] は介音[i] の影響で摩擦音化して野[zia] になり、さらに頭音が脱落して野[jya] になったが、祖語は野[dia*]である。古代日本語では濁音が語頭に来ることはなかったので、野[dia*]はナ行に転移した。

○同源語:

立(たつ)、見(みる)、還(かへる・<反>)、打(うつ)、靡(なびく)、寐(いぬ)、馬(うま)、其(その)、●月(つき)、朝(あさ)、

 

【登[təng]・騰[dəng]・のぼる】

筑波嶺(つくばね)に 登(のぼり)て見(みれ)ば 尾花(をばな)散(ちる)、、

(万1757)

山常(やまと)には 村山(むらやま)有(あれ)ど 取(とり)よろふ 天(あま)乃(の)香具山(かぐやま) 騰(のぼり)立(たち) 國見(くにみ)を為(すれ)ば、、(万2)

之加(しか)の白水郎(あま)の焼塩(しほやく)煙(けぶり)風(かぜ)を疾(いたみ)立(たち)は上(のぼらず)山(やま)に軽引(たなびく)(万1246)

 

 万葉集では日本語の「のぼる」には登[təng]、騰[dəng]、上[zjiang] などが用いられている。日本語の「のぼる」は登[təng]、騰[dəng] と音義が近い。頭音の[t-][d-] [n-] と調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 韻尾の[ng] [m] と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。古代日本語では第二音節以下では濁音になることが多かったので、中国語の韻尾[-ng] はバ行音となった。

 上[zjiang] も祖語(上古音)は上[diang*] に近い音であったと考えられるので、登[təng]、騰[dəng] と同系のことばといえるであろう。

○同源語:

嶺(みね)、見(みる)、尾(を)、花(はな)、散(ちる)、郡(むら・<村>)、山(やま)、取(とる)、天(あめ)、香(か)、立(たつ)、國(くに・<県・郡>)、海女(あま・<白水郎>)、潮(しほ・<塩>)、焼(やく)、煙(けむり)、

 

【呑[thən]・のむ】

驗(しるし)無(なき)物(もの)を不念(おもはず)は一坏(ひとつき)の濁酒(にごれるさけ)を飲(むべく)有(ある)らし(万338)

阿乎夜奈義(あをやなぎ・楊)烏梅(うめ)との波奈(はな・花)を遠理(をり・折)可射之(かざし)能彌(のみ・飲)ての能知(のち・後)は知利奴(ちりぬ・散)ともよし

(万821)

 

 「飲」の古代中国語音は飲[iəm] であり、日本語の「のむ」とは音が対応しない。日本語の「のむ」は呑[thən] と同源であろう。[t][th][d][n] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 万葉集には呑(のむ)の用例はないが、日本書紀ではヤマタノオロチ退治の条で「呑」が「のむ」に使われている。

 

「毎年(としごと)に八岐(やまたの)大蛇(をろち)の爲に呑(の)まれき。今此の少童(をとめ)且臨被呑(のまれ)むとす。」(神代紀上) 

 

○同源語:

無(な)き、物(もの)、濁(にご)る、酒(さけ)、楊・柳(やなぎ)、梅(うめ・<烏梅>)、花(はな)、折(をる)、冠挿(かざし)、散(ちる)、

 

【乗[djiəng]・のる】

塩津山(しほつやま)打(うち)越(こえ)去(ゆけ)ば我(わが)乗有(のれる)馬(うま)ぞ爪突(つまづく)家(いへ)戀(こふ)らしも(万365)

春(はる)去(されば)爲垂(しだり)柳(やなぎの)とををにも妹(いもは)心(こころに)乗(のりに)けるかも(万1896)

 

 古代中国語の「乗」は乗[djiəng] である。日本語には濁音ではじまる音節はなかったから[d]は日本語ではナ行に転移した。

 語頭の[d] がナ行であらわれる例:長[diang] ながし、濁[diok] にごる、逃[do] にげる、

  塗[da] ぬる、など。

 韻尾の[ng] がラ行であらわれる例:狂[giuang] くるふ、凝[ngiəng] こる、

  通[[thong] とほる、經[kyeng] へる、萌[məng] もえる、平[bieng] ひら、など。

○同源語:

潮(しほ・<塩>)、津(つ)、山(やま)、打(うつ)、越(こえ)る、行(ゆく・<去>)、我(わが)、馬(うま)、爪女(つめ・<爪>)、突(つく)、春(はる)、枝垂柳(しだりやなぎ・<枝(し)+垂(たれる)+柳(やなぎ)>、妹(いも)、心(こころ)、

 

【告(のる)】

此(この)岳(をか)に 菜(な)採(つま)す兒(こ) 家(いへ)吉閑(きかな) 名(な)告(のら)さね、、我(われ)こそは 告(のら)め 家(いへ)をも名(な)をも(万1)

然(しかの)海部(あま)の礒(いそ)に苅(かり)干(ほす)名告(なのり)藻(そ)の名(な)は告(のり)てしを如何(なにか)相(あひ)難(がた)き(万3177)

たまかぎる石垣(いはがき)淵(ふち)の隠(こもり)には伏(ふして)雖レ死(しぬとも)汝(なが)名(な)は不レ謂(のらじ)(万2700)

 

● 古語の「告(のる)」は神の託宣や、人に秘すべきことを告げるという意味で、天皇の仰せごとなどに用いる。

 「告(のる)」の朝鮮語訳はmal<言う>である。朝鮮語のmalは古代中国語の言[ngian] と同源である。疑母[ng] は明母[m-] と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。

 万葉集巻1の最初の歌(万1)の「告(のる)」について大野晋は岩波古典文学大系の頭注で「ノルは朝鮮語nil(話す)と同源」としている。

 日本語の「のる」は「祝詞(のりと)」「呪(のろ)う」「祈(いの)る」などと同系のことばであろう。

 朝鮮語にはno rae(歌う)ということばもあって、日本語の「告(のる)」に近い。次の歌の「歌」は金思燁の『韓訳萬葉集』では、no raeと訳されている。

 

はしきやし老夫(おきな)の歌(うた)におほほしき九(ここのの)兒等(こら)やかまけて将レ居(をらむ)(万3794)

 

○同源語:

岳(をか)、兒(こ・<睨>)、名(な)、海部(あま)、苅(かる)、干(ほす)、名(な)、藻(そ)、合(あふ・<相>)、淵(ふち)、隠(こもる)、伏(ふす)、死(し)ぬ、汝(な)、兒(こ・<睨>)、

 


 





もくじ

第265話 同源語

第266話 弥生語

第267話 万葉語辞典・あ行

第268話 万葉語辞典・か行

第269話 万葉語辞典・さ行

第270話 万葉語辞典・た行

第272話 万葉語辞典・は行

第273話 万葉語辞典・ま行

第274話 万葉語辞典・や行

第275話 万葉語辞典・ら行

第276話 万葉語辞典・わ行

第277話 参考文献など