【真[sjien]・ま】 水薦(みこも)苅(かる)信濃(しなの)の真弓(まゆみ)吾(わが)引(ひか)ば宇真人(うまひと)さびて不欲(いな)と将レ言(いはむ)かも(万96) 田兒(たご)の浦(うら)従(ゆ)打(うち)出(いで)て見(みれ)ば真白(ましろ)にぞ不盡(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は零(ふり)ける(万318) 古代中国語の「真」は真[sjien] である。日本語の「ま」は中国語の頭音[sj-] が口蓋化の影響で脱落したものであろう。 例:身[sjien] み、山[shean] やま、臣[sjien] おみ、世[sjiai/sjiat] よ、色[shiək] いろ、 折[tjiat] をる、織[tjiək] おる、など 漢字の「真」は「まこと」と読まれることもある。日本語の「まこと」は真言(まこと)と同源であろう。 如レ聞(きくがごと)真(まこと)貴(たふと)く奇(くすしく)も神(かむ)さび居(をる)かこれの水嶋(みづしま)(万245) ○同源語: 苅(かる)、弓(ゆみ)、吾(わが)、田(た)、兒(こ・<睨>)、打(うつ)、出(いづ)、見(みる)、嶺(みね)、降(ふる・零)、神(かむ・かみ・<坤>)、洲(しま・島)、●言(いふ)、水(みづ)、 【免[mian]・まぬかる】 生(いける)者(もの) 死(しぬと)云(いふ)事(こと)に 不レ免(まぬかれぬ) 物(もの)にし有(あれ)ば、、(万460) 古代中国語の「免」は免[mian] である。日本語の「まぬかる」の「まぬ」は中国語の免[mian]であろう。「まぬかる」の「かる」の語系は不明である。 ○同源語: 生(いけ)る、死(しぬ)、物(もの)、●云(いふ)、 【儛[miua]・まひ】 池神(いけがみの)力士(りきし)儛(まひ)かも白鷺(しらさぎ)の桙(ほこ)啄(くひ)持(もち)て飛(とび)渡(わたる)らむ(万3831) 「儛」の古代中国語音は儛[miua] である。日本語の「まひ」「まふ」は中国語の「舞」「儛」と同源であろう。 王力の『同源字典』によれば巫[miua] は舞[miua] と同源であるという。巫女(みこ)は舞子なのである。 ○同源語: 神(かみ・<坤>)、力士(リキシ)、鵲(さぎ・<鷺>)、 【眉[miei]・まよ】 如レ眉(まよのごと)雲居(くもゐ)に所レ見(みゆる)阿波(あは)の山(やま)懸(かけ)て榜(こぐ)舟(ふね)泊(とまり)不レ知(しらず)も(万998) 月(つき)立(たち)て直(ただ)三日月(みかづき)の眉根(まよね)搔(かき)氣(け)長(ながく)戀(こひ)し君(きみ)に相(あへ)るかも(万993) 古代中国語の「眉」は眉[miei] である。日本漢字音は眉(ビ・まゆ)である。バ行音はハ行音の濁音だとされているが、音韻的にはマ行音の濁音でもある。ハ行、マ行、バ行はいずれも調音の位置が同じ(唇音)であり、転移しやすい。 清音 鼻濁音 濁音 (ハ行) (マ行) (バ行) 日本語の「まゆ」は中国語の「眉」と同源である。 ○同源語: 雲(くも)、見(みる)、山(やま)、懸(かける)、盤(ふね・舟)、知(しる)、立(たつ)、三(み)、根(ね)、長(なが)く、君(きみ)、合(あふ・<相>)、●月(つき)、日(か・ひ・<気>)、 【まろ(丸[huan/(h)muan*]】 旅(たび)に尚(すら)襟(ひも)解(とく)物(もの)を事(こと)繁(しげ)み丸宿(まろね)吾(わが)為(する)長(ながき)此(この)夜(よを)(万2305) 古代中国語の「丸」は丸[huan] である。日本漢字音は丸(ガン・まろ・まる)である。「丸」の祖語(上古中国語音)は丸[h(m)uan*] に近い音であり、入りわたり音[h] が発達したものが丸(ガン)になり、[h] が脱落したものが丸(まろ・まる)になった。 ○同源語: 絆・繙(ひも・<襟>)、物(もの)、言(こと・<事>)、寐(ね・<宿>)る、吾(わが)、長(なが)き、此(こ)の、夜(よ)、 【御[ngia]・み】 吾(わが)御門(みかど)千代(ちよ)常(とこ)とばに将レ榮(さかえむ)と念(おもひ)て有(あり)し吾(われ)し悲(かなし)も(万183) 春日野(かすがの)の藤(ふじ)は散(ちり)去(に)て何(なにを)かも御狩(みかり)の人(ひと)の折(をり)て将来レ挿頭(かざさむ)(万1974) 古代中国語の「御」は御[ngia] である。日本漢字音では御(ギョ・ゴ・み・お・おん)であらわれる。 御(お)は御[ngia]の語頭音が脱落したものである。御(ゴ・ギョ)は日本が本格的な文字時代になって、中国語の影響で語頭に濁音が立つようになってから受け入れられた発音である。古代日本語では鼻濁音[ng] が語頭に立つことはなかったので、御[ngia] は調音の方法が同じ(鼻音)マ行に転移した。 例:芽[ngea] め、眼[ngean] め、元[ngiuan] もと、雅美[ngea] みやび、、迎[ngyang] む かへる、 ○同源語: 吾(わが)、門(かど)、千(ち)、世(よ・<代>)、常(とこ)、盛(さかえ・<榮>)、野(の)、散(ちる)、獦(かり・<狩>)、折(をる)、冠挿(かざす・<挿頭>)、●日(が・ひ)、 【身[sjien]・み】 戀(こひ)為(するに)死(しに)為(する)物(ものに)有(あらませ)ば我(わが)身(みは)千遍(ちたび)死(しに)反(かへらまし)(万2390) 露(つゆ)霜(しも)の消(け)安(やすき)我(わが)身(み)雖レ老(おいぬとも)又(また)若(をち)反(かへり)君(きみ)をし将レ待(またむ)(万3043) 古代中国語の「身」は身[sjien] である。日本語の身(み)は「身」の頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。日本語では口蓋化の影響などで注置く語の頭音が脱落することがしばしばある。 例:眞[sjien] ま、臣[sjien] おみ、息[siək] いき、色[shiək] いろ、秈[shean] いね、 織[tjiək] おる、射[djyak] いる、天[thyen] あめ、赤[thjyak] あか、 ○同源語: 死(しに)す、物(もの)、我(わが)、千(ち)、還(かへる・<反>)、霜(しも)、消(きえる)、君(きみ)、 【三[səm]・み】 月(つき)立(たち)て直(ただ)三日月(みかづき)の眉根(まよね)掻(かき)氣(け)長(ながく)戀(こひ)し君(きみ)に相有(あへる)かも(万993) 白細(しろたへ)の 紐(ひも)緒(を)も不レ解(とかず) 一重(ひとへ)結(ゆふ) 帯(おび)を三重(みへ)結(ゆひ)、、(万1800) 古代中国語の「三」は三[səm] である。「み」は三[səm] の頭音が失われてものである。 例:身[sjien] み、真[tjien] ま、臣[sjien] おみ、山[shean] やま、 ○同源語: 立(たつ)、眉(まよ・まゆ)、根(ね)、長(なが)く、君(きみ)、合(あふ・<相>)、絆・繙(ひも・<紐>)、●月(つき)、日(け・か・<氣>)、 【御子[ngia]・皇子[huang/(h)muang*]・みこ】 言(いは)まくも ゆゆしきかも 吾王(わごおほきみ) 御子(みこ)の命(みこと) 万代(よろづよ)に、、(万475) 高照らす 日の皇子(みこ)は 飛鳥(とぶとり)の 浄(きよみ)の宮に、、(万167) 万葉集では御子(みこ)とも書き、皇子(みこ)とも書いている。貴人の子、皇子である。「御子」の「御」の古代中国語音は御[ngia]である。疑母[ng]は明母[m]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。 「皇子」を「皇」の古代中国語音は皇[huang]である。「皇」の祖語には皇[h(m)uang*]に近い音があったと考えることができる。皇[h(m)uang*]の[m]が脱落したものが皇(コウ)であり、[h]が脱落したものが皇(オウ)である。また、[m]の痕跡を留めるのが皇(みこ)であろう。 ○同源語: 吾(われ)、命(みこと・<命人>)、世(よ・<代>)、照(てる)、鳥(とり)、浄(きよみ)、廟(みや・<宮>)、●言(いふ)、日(ひ)、 【御言[ngia ngian/ngiat*]・みこと・<御命>】 三吉野(みよしの)の玉松(たままつ)が枝(え)は波思吉(はしき)かも君(きみ)が御言(みこと)を持(もち)て加欲波久(かよはく)(万113) 天皇(おほきみ)の 御命(みこと)恐(かしこみ) 百礒城(ももしき)の 大宮(おほみや)人(ひと)の 玉桙(たまほこ)の 道(みちに)も不レ出(いでず)戀(こふる)此(この)日(ころ)(万948) 日本語の「みこと」は最初の歌(万113)では「お言葉」であり、二番目の歌(万948)では「ご命令」である。 「言」の古代中国語音は言[ngian] である。唐代の韻尾[‑n] の上古音は[‑t] に近かったと考えられている。日本語の「こと」は上古音の言[ngiat*] を継承したものである。 白川静の『字通』によると、「命[mieng] と令[lieng] は古くは令の一字で示されており、初期の金文では令をその二義に用いる。」とある。 ○同源語: 三(み)、野(の)、君(きみ)、皇(きみ)、廟(みや・<宮>)、出(いづ)、此(こ)の、●城(き)、 【水(みづ)】 石走(いはばしる)垂水(たるみ)の水(みづ)のはしきやし君(きみ)に戀(こふ)らく吾(わが)情(こころ)から(万3025) ● 朝鮮語の「みず」はmulである。日本語の「みづ」は朝鮮語の水(mul)と同源であろう。 ○同源語: 垂(たる)、君(きみ)、吾(わが)、心(こころ・<情>)、 【満[muan/muat*]・みつ・<盈>】 世間(よのなか)は空(むなしき)物(もの)と将レ有(あらむ)とそ此(この)照(てる)月(つき)は満(みち)闕(かけ)為(し)ける(万442) 隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山(やま)に照(てる)月(つき)の盈(みち)県(かけ)為(し)けり人(ひと)の常(つね)無(なき)(万1270) 古代中国語の「満」は満[muan] である。満[muan] の祖語(上古音)は満[muat*] に近い音であったと考えらる。日本語語の「みつ」は上古中国語音の痕跡を留めている。 例:腕[uan/uat*] うで、肩[kyan/kyat*] かた、言[ngian/ngiat*] こと、断[duan/duat*] たつ、楯[djiuən/duət*] たて、 盈[jieng] の意味はやはり「みちる」である。盈満ということばもあり、訓借である。 ○同源語: 世(よ)、中(なか・<間>)、物(もの)、此(こ)の、照(てる)、闕(かけ)る、隠(こもる)、口嘴(くち・<口>)、山(やま)、常(つね)、無(な)き、●月(つき)、 【南[nəm]・みなみ】 南(みなみ)吹(ふき) 雪(ゆき)消(げ)益(まさり)て射水河(いみづがは)流(ながる)水沫(みなわ)の余留弊(よるべ)奈美(なみ)、、、(万4106) 御食(みけ)向(むかふ)南淵(みなふち)山(やま)の巖(いはほに)は落(ふりし)は太列(だれ)か削(きえ)遺有(のこりたる)(万1709) 最初の歌(万4106)の南は南風である。古代中国語の「南」は南[nəm] である。日本語の「みなみ」は中国語の南[nəm](なむ)の語頭に鼻音を重複させたものであろう。 中国語の鼻音[n][m][nj] が日本語で二音節であらわれる例な少なからずある。 例:眠[myen] ねむる、汝[njia] なむぢ、任[njiəm] になふ、馬[mea] むま・うま、梅[muə] むめ・うめ、牧[miuək] むまき、鰻[miuan] むなぎ、稔[njiəm] みのる、耳[njiə] み み、 ○同源語: 消(きえる)、射(いる)、河(かは)、寄邊(よるべ)、無(なみ)、御(み)、向(むかふ)、淵(ふち)、山(やま)、降(ふる・<落>)、●水(みづ)、 【嶺[lieng]・みね】 妹(いも)が家(いへ)も繼(つぎ)て見(み)ましを山跡(やまと)有(なる)大嶋嶺(おほしまのね)に家(いへ)も有(あら)ましを(万91) 山際(やまのま)ゆ出雲兒(いづものこ)等(ら)は霧(きり)有(なれ)や吉野山(よしののやまの)嶺(みねに)霏{雨/微]*(たなびく)(万429) 古代中国語の「嶺」は嶺[lieng] である。日本語の「みね」は中国語の嶺[lieng] と同源であろう。古代日本語ではラ行音が語頭に来ることがなかったので、頭音[l] が日本語ではマ行に転移した。同じ声符を持った漢字をラ行とマ行に読み分けるものもみられる。 マ行転移の例:漏[lo] もる、覧[lam] みる、両[liang] もろ、戻[lyet] もどる、 同じ声符を[l]と[m]に読み分ける例:陸[liuk]・睦[miuk]、令[lieng]・命[mieng]、 勵[liat]・萬[muan]、 嶺(ね)は嶺[lieng]の頭音[l]がナ行に転移し、韻尾の[‑ng] が脱落したものであろう。 ○同源語: 妹(いも)、續(つぐ・<繼>)、見(みる)、山(やま)、洲(しま・<嶋>)、出(いづ)、雲(も・くも)、兒(こ・<睨>)、野(の)、降(ふる・<零>)、取(とる)、手(て)、●嶋(しま)、 【峰[phiong]・みね】 平山(ならやま)の峰(みね)の黄葉(もみちば)取(とれ)ば落(ちる)鍾礼(しぐれ)の雨し無レ間(まなく)零(ふる)らし(万1585) 三芳野(みよしの)の青根(あをね)が峯(みね)の蘿席(こけむしろ・蓆)誰(たれか)将レ織(おりけむ)經緯(たてきぬ)無(なし)に(万1120) 日本語の「みね」には「峰」があてられることもある。古代中国語の「峰」は峰[phiong] である。中国語の[ph] は調音の位置が[m] と同じ(唇音)であり、転移しやすい。韻尾の[‑ng] は[‑n][ ‑m]と調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。日本語の「みね」は峰[phiong] と同源であろう。 峰[phiong] と嶺[lieng] はかなり違った音のようにみえるが、[l] と[ph][m] は調音の位置も近く、音価も近い。 同じ声符をもった漢字をラ行とマ行に読み分けるものもある。 例:陸[liuk]・睦[miuk]、令[lieng]・命[mieng]、來[lə]・麥[muək]、勵[liat]・萬[[muan]、 里[liə]・埋[məi]、 また、日本漢字音では「ラ行」であらわれるが、訓では「ま行」であらわれるものもある。 例:漏[lo](ロウ・もる)両[liang](リョウ・もろ)、戻[lyet](レイ・もどる)、李[liə] (リ・もも)、など ○同源語: 山(やま)、葉(は)、取(とる)、堕(ちる・<落>)、間(ま)、無(なし)、降(ふる・<零>)、此(こ)の、吾(わが)、見(みる)、野(の)、根(ね)、織(おる)、●月(つき)、 【耳[njiə/miə*]・みみ・のみ】 喧(なく)鳥(とり)の 音(こゑ)も更(かはら)ふ 耳(みみ)に聞(きき) 眼(め)に視(みる)ごとに うち嘆(なげき)、、(万4166) 吾(われ)耳(のみ)ぞ君(きみ)には戀(こふ)る吾(わが)背子(せこ)が戀(こふと)云(いふ)事(こと)は言(こと)の名具左(なぐさ)ぞ(万656) 古代中国語の「耳」は耳[njiə]である。日本漢字音は耳(ニ・ジ・みみ)である。「耳」の 祖語は耳[miə*]に近かったものと思われる。それが唐代には口蓋化して耳[njiə] になった。日本語の「みみ」は中国語の上古音の痕跡を留めている。 日母[nj]が日本語でマ行であらわれる例:女[njia/mia*] め、燃[njian/mian*] もえる、稔 [njiəm] みのる、壬[njiam/miam*]生・みぶ、 「耳」は耳(のみ)と訓借で読まれることもある。[m-]と[n-]は調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。耳(みみ)も耳(のみ)も語頭の鼻音を重複させている。古代日本語では語頭の鼻音は重複させることがしばしばあった。(参照:みなみ・南) ○同源語: 鳴(なく・<喧>)、鳥(とり)、聲(こゑ・<音>)、眼(め)、見(みる・<視>)、嘆(なげ)く、吾(われ)、君(きみ)、言(こと)、●云(いふ)、 【宮[kiuəm/(h)miuəm*]・廟[miô]・みや)】 樂浪(ささなみ)の思賀(しが)の辛碕(からさき)雖二幸有一(さきくあれど)大宮人(おほみやびと)の船(ふね)麻知(まち)兼(かね)つ(万30) 内(うち)日(ひ)刺(さす)宮(みや)にはあれど鴨頭草(つきくさ)の移(うつろふ)情(こころ)吾(わが)思(おもは)なくに(万3058) 古代中国語の「宮」は宮[kiuəm] である。「宮」の祖語(上代音)は宮[(h)miuəm*]のような音であったと考えられる。 宮(キュウ)は入りわたり音[h] が発達したものであり、宮(みや)は入りわたり音[h] が脱落したものである。 同様の例としては海[xuə/(h)muə*](カイ・うみ)をあげることができる。海(カイ)は入りわたり音[h] が発達したものであり、毎(マイ)は入入りあたり音[h] が脱落したものである。 古代日本語ではラ行ではじまる音節はなかったので中国語の[l] はマ行に転移した。 日本語の「みや」は廟[miô] に音義ともに近い。中国語の「廟」は祖霊を祀る所の意味もあるが、王宮、宮の意味もある。 ○同源語: 浪(なみ)、辛(から)い、盤(ふね・船)、幸(さき・さち)、兼(かねる)、刺(さ)す、心(こころ・<情>)、吾(わが)、●日(ひ)、 【京[kyang/(h)myang*]・みやこ・<京師>】 古(いにしへの)人(ひと)に和礼(われ・吾)有(あれ)や樂浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見(みれ)ば悲(かなし)き(万32) 然(しか)と不レ有(あらぬ)五百代(いほしろ)小田(をだ)を苅(かり)乱(みだり)田廬(たぶせ)に居(をれ)ば京師(みやこ)し所レ念(おもほゆ)(万1592) 古代中国語の「京」は京[kyang] である。京(キョウ)も宮(キュウ)と同じく、訓がマ行で京(みやこ)で、音はカ行音の京(キョウ)である。「京」と同じ声符をもった漢字に涼[liang] である。 「京」の祖語(上古音)は京[(h)myang*] に近い音だったと思われる。京(キョウ)は入りわたり音[h] が発達したものであり、京(みやこ)は入りわたり音[(h)-] が脱落したものである。 海[xə] は毎[muə] と声符が同じであるが、片方は海(カイ)であり、もう一方は毎(マイ)である。この場合祖語(上古音)は海[(h)muə*] と再構されている。 ○同源語: 吾(われ)、浪(なみ)、故(ふる)き、見(みる)、小(を)、田(た)、苅(かる)、乱(みだる)、 【見[hyan/(h)myan*]・みる】 淑(よき)人(ひと)の良(よし)と吉(よく)見(み)て好(よし)と言(いひ)し芳野(よしの)吉(よく)見(み)よ良(よき)人(ひと)よくみ(万27) 喧(なく)鳥(とり)の 音(こゑ)も更(かはら)ふ 耳(みみ)に聞(きき) 眼(め)に視(みる)ごとに うち嘆(なげき)、、(万4166) 古代中国語の「見」は見[hyan] である。「見」の祖語(上古音)は見[(h)myan*] に近い音であったと思われる。入りわたり音[h-]が発達したものが見(ケン)になり、語頭の[h-] が脱落したものが見(みる)になった。 二番目の歌(万4166)の視(みる)は偏の「示」の部分が声符になっているが、意味は「見」と同じである。 中国語の後口蓋音[k][kh] あるいは喉音[h] が、音では「カ行」であらわれ、訓では「ま行」であらわれるものが多い。これらの漢字の祖語(上古音)は[hm-*] という語頭音をもっていたと考えられる。 例:観[k(m)uan](カン・みる)、看[kh(m)an](カン・みる)、監[k(m)eam](カン・みる)、 巻[k(m)iuan](カン・まき)、還[h(m)oan](カン・めぐる)、丸[h(m)uan](ガン・ま る)、 また、覧[lam](ラン・みる)も祖語(上古音)は覧[(h)lam*] であったと考えられ、見[h(m)yan*] と同系のことばである。 ○同源語: 淑(よき)、良(よし)、野(の)、鳴(なく・<喧>)、鳥(とり)、聲(こゑ・<音>)、耳(みみ)、眼(め)、嘆(なげ)く、●言(いふ)、 【麥[muək]・むぎ】 柜楉(うませ・馬柵)越(ごし)に麦(むぎ)咋(はむ)駒(こま)の雖レ詈(のらゆれど)猶(なほし)戀(こひし)く思(おもひ)不レ勝(かねつ)も(万3096) 古代中国語の「麦」は麦[muək] である。古代日本語では語頭に濁音が立つことはなかったので訓では麦(むぎ)となり、音では麦(バク)となった。麦(むぎ)と麦(バク)は同源であり、麦(むぎ)の方が古く、麦(バク)の方が後の発音である。 韻尾の[‑k] は日本語では第二音節にあたるので濁音になってあらわれている。 麥[muək] と同じ声符をもった漢字に來[lə] がある。[m](唇音)と[l](歯茎の裏)は調音の位置が近く、中国語でも転移することがある。 ○同源語: 馬(うま)、柵(せ・さく)、越(こす)、駒(こま・<句+馬>)、●告(のる・<詈>)、 古事記に五穀の起源を述べた部分がある。 すなはちその大宜津比賣(おほげつひめ)を殺しき。故(かれ)、殺されし神の身に生 (な)れる物は、頭(かしら)は蠶(かひこ)なり、二つの目は稲穂(いなほ)なり、 二つの耳は粟(あは)なり、鼻は小豆(あづき)なり、陰(ほと)に麥(むぎ)なり、 尻は大豆(まめ)なりき。 岩波古語辞典は「陰(ほと)は朝鮮語のpōtʃi(女陰)と同源か」としている。大野晋の『日本語の起源』(旧版)では、日本語の「女陰(ほと)」にあたる朝鮮語はpočiであるとされている(p.177)。古事記の「陰(ほと)に麥(むぎ)なり」というのは日本語の「陰(ほと)」と朝鮮語のpoči はかけことばでになっていることになる。 【鰻魚[muan ngia]・むなぎ】 石麻呂(いしまろ)に吾(われ)物(もの)申(まをす)夏(なつ)痩(やせ)に吉(よし)と云(いふ)物(もの)そ武奈伎(むなぎ)取(とり)喫(めせ)(万3853) 「武奈伎」は「鰻」である。「鰻」の古代中国語音は鰻[muan] である。中国語の[m] の前には馬[mea](うま・むま)、梅[muə](うめ・むめ)のように語頭に母音が添加されることがある。日本語の「うなぎ」は鰻[muan]+魚[ngia] であろう。 ○同源語: 吾(われ)、物(もの)、痩(やせ)る、取(とる)、●云(いふ)、 【胸[xiong/(h)miong*]・むね】 今更(いまさらに)妹(いも)に将レ相(あはめ)やと念(おもへ)かも幾許(ここだく)吾(あが)胸(むね)欝悒(いぶせく)将レ有(あるらむ)(万611) 夜(よ)のほどろ出(いで)つつ来(く)らく遍(たび)多數(まねく)成(なれ)ば吾(あが)胸(むね)截(たち)焼(やく)如(ごとし)(万755) 古代中国語の「むね」は胸[xiong] である。「胸」も音がカ行・胸(キョウ)で訓がマ行・胸(むね)であらわれる一連の漢字のひとつである。「胸」の祖語(上古音)は胸[h(m)iong*] に近い音であり、入りわたり音が脱落したものが胸(むね)であり、入りわたり音が発達したものが胸(キョウ)であろう。 日本漢字音のなかには音がカ行で、訓(倭音)がマ行のものが数多くみられる。
[h][x] の例: 廻[huəi/(h)muət*](カイ・まはる)、丸[huan/(h)muan](ガン・まる)、 還[hoan/(h)moan*](カン・めぐる)、見[hyan/(h)myan*](ケン・みる)、向[xiang/ (h)miang](コウ・むかう)、 [k][kh][g]
の例:観[kuan/(h)muan*](カン・みる)、京[kyang/(h)myang*](キョウ・ みやこ)、宮[kiuəm/(h)miuəm*](キュウ・みや)、看[khan/(h)man*](カン・みる)、 曲[khiok/(h)miok](キョク・まがる)、 [ng]
の例:芽[ngea](ガ・め)、眼[ngean](ガン・め)、迎[ngyang](ゲイ・むかへる)、 元[ngiuan](ゲン・もと)、御[ngia](ゴ・ギョ・み)、 ○同源語: 今(いま)、妹(いも)、合(あふ・<相>)、吾(あが)、夜(よ)、出(いづ)、來(くる)、断(たつ・<截>)、焼(やく)、 【馬[mea]・むま】 牟麻(むま)の都米(つめ)都久志(つくし)の佐伎(さき)に知麻利(ちまり・留)為(ゐ・居)て阿例(あれ・吾)は伊波々牟(いははむ・齊)、、、(万4372) 万葉集では「うま」は宇摩、宇麻、宇麼、宇馬、宇万、牟麻などと表記されている。古代中国語の「馬」は馬[mea] である。古代日本語の「うま」は中国語の馬[mea]の語頭に母音「う」を添加したものである。同様の例としては梅(うめ)、埋・没(うもる)、などをあげることができる。 宮田一郎編『上海語常用同音字典』によると「馬」は現代の上海語では馬(hmo)である。日本語の駒(こま)は中国語の入りわたり音[h] を継承している可能性がある。 ○同源語: 爪女(つめ)、吾(あれ)、 【郡[giuən/(h)miuən*]・むら・<村>】 庭草に村雨落(ふり)て蟋蟀(こほろぎ)の鳴く音(こゑ)聞けば秋づきにけり (万2160) 村肝(むらきも)の 心(こころ)を痛(いた)み、、(万5)、 古代中国語の「村」は村[tsuən]である。白川静の『字通』によれば、「正字は邨に作り、会意。屯(とん)に屯集の意がある。」とある。「屯」は屯[duən]であり、屯(たむろ)とも読む。 村雨(むらさめ)の「むら」は群[giuən]であろう。日本語の村(むら)は郡[giuən] と同系のことばである可能性がある。しかし、万葉集では「郡」は「こほり」と読まれている。 「村肝の」は「心」にかかる枕詞である。心は肝(内臓)にあると考えられていたのであろう。 ● 朝鮮語で「村」はma eulである。朝鮮語の村はma eulであり音義ともに日本語の「村(むら)」に近い。 19870年代に韓国ではセマウル運動が起こり、セマウル号という特急も走った。sae ma eulとは「sae<新しい>ma eul<村>」という意味である。 ○同源語: 降(ふる・<落>)、鳴(なく)、聲(こゑ・<音>)、肝(きも)、心(こころ)、痛(いたむ)、 【群[giuən/(h)miuən*] むらがる・むれ】 夕(ゆふべに)は 召(めし)て使(つかひ) 遣(つかはし)し 舎人(とねり)の子(こ)等(ら)は 行(ゆく)鳥(とり)の 群(むらがり)て待(まち)有(あり)雖レ待(まてど) 不レ召賜(めしたまはね)ば、、(万3326) 朝(あさ)鳥(とり)の 朝(あさ)立(たち)為(し)つつ 群鳥(むらとり)の 群(むら)立(たち)行(いな)ば 留(とまり)居(ゐ)て 吾(あれ)は将レ戀(こひむ)な 不レ見(みず)久(ひさ)有(なら)ば(万1785) 古代中国語の「群」は群[giuən] である。「群」の祖語(上古音)は群[h(m)uən*] に近い音であったと考えられる。日本語の群(むれ)は上古中国語の群[h(m)uəm*] の入りわたり音[h-] が脱落したものであり、音の群(グン)は入りわたり音[h-]の発達したものである。 古代中国語の[m] の上古音に、入りわたり音[h] があったことはスウェーデンの言語学者B.カールグレンなども主張していて、その例として毎(マイ)と海(カイ)がよく取り上げられる。毎と海が同じ声符をもちながら頭音が違うのは毎[muə]の上古音に入りわたり音[h-]があり、毎[hmuə*] の[h] が発達したものが海[xuə] になり、[h] が脱落したものが毎[muə] になったと説明すると毎(マイ)と海(カイ)の関係は整合的に説明できる。中国の音韻学者、王力などもこの考え方を支持している。 ○同源語: 子(こ)、行(ゆく)、鳥(とり)、立(たつ)、留(とま)る、吾(あれ)、見(みる)、●朝(あさ)、 【目[miuk]・眼[ngean]・め】 人目(ひとめ)多(おほみ)眼(め)にこそ忍(しのぶ)れ小(すくなく)も心(こころの)中(うち)に吾(わが)念(おもは)莫(な)くに(万2911) 天雲(あまぐも)を 日(ひ)の目(め)も不レ令レ見(みせず) 常闇(とこやみ)に 覆(おほひ)賜(たまひ)て、、(万199) 日本語の目(め)、眼(め)は古代中国語の目[miuk]、眼[ngean]の韻尾が脱落したものである。「眼」の頭音[ng]は[m]と調音の方法が同じ(鼻音)である。疑母[ng] は日本語では語頭にくることはないので「ま行」に転移した。眼[ngean] の頭音[ng] と[m] は調音の方法が同じ(鼻音)であり、転移しやすい。 例:御[ngia] み、芽[ngea] め、元[ngiuan/ngiuat*] もと、 王力は『同源字典』のなかで「目[miuk] と眸[miu] は同源である」としている。 ○同源語: 目・眼(め)、心(こころ)、吾(わが)、莫(なく)、天(あめ)、雲(くも)、見(みる)、常(とこ)、闇(やみ)、●日(ひ)、 日
本語の身体をあらわすことばには中国語と同源と思われることばが多い。日本語と中国語とは文法の構造、音韻構造などは異なるものの、基本語彙に共通なもの
が多いということは、日本語の形成にあたって中国語の影響がかなり早い時期から、長期間にわたってあったことを示している。 例:目[miuk]・眼[ngean] め、眉[miei] まゆ、耳[njiə] みみ、口[kho]嘴[tsiue]・くち、舌 [djiat] した、歯[thjiə]・牙[ngea] は、頬[kyap] ほほ、腕[uan] うで、手[sjiu/tjiu*] て、 頸[kieng] くび、肩[kyan] かた、脛[ngyang] はぎ、肝[kan] きも、腹[piuək] はら、 腹臍 [piuək tzyei] ほぞ・へそ 【女[njia/mia*]・娘[njiang/miang*]・め・をみな】 石戸(いはと)破(わる)手力(たぢから)もがも手弱(たよは)き女(をみなにし)有(あれ)ば為便(すべ)の不レ知(しらな)く(万419) 父母(ちちはは)は 飢(うゑ)寒(こゆ)らむ 妻子(めこ)等(ども)は 乞(こひ)て泣(なく)らむ(万892) 娘部思(をみなへし)秋(あき)芽子(はぎ)交(まじる)蘆城野(あしきの)今日(けふ)を始(はじめ)めて萬代(よろずよ)に将レ見(みむ)(万1530) 万葉集では「女」は「め」あるいは「をみな」であらわれる。「女」の古代中国語音は女[njia] である。「女」の祖語(上古音)は女[mia*] であり、それが口蓋化したものが女[njia] になり、日本漢字音では女(ニョ・ジョ)になった。妻(め)、娘(をみな)は女(め)の訓借である。 古事記歌謡では「女」は音で売[me] と表記されている。 賢(さか)し売(め)をありと聞かしてくはし売(め)をありと聞こして、、(記歌謡) 吾(あ)はもよ売(め)にしあれば、、(記歌謡)
○同源語: 手(た・て)、弱(よは)き、知(し)る、女子(めこ・<妻子>)、泣(なく)、芽子(はぎ)、野(の)、今日(けふ・<矜>)、世(よ・<代>)、見(みる)、●城(き)、 【芽[ngea]・め】 秋柏(あきかしは)潤和(うるわ)川邊(かはべの)細竹(しのの)目(め・芽)の人(ひとには不顔面(しのび)公(きみに)無レ勝(あへなく)(万2478) この歌では「め」に目[miuk] が使われているが意味は「芽」である。古代中国語の「芽」は芽[ngea] である。[m] と[ng] は調音の方法が同じ(鼻濁音)であり転移しやすい。中国語の疑母[ng] は日本語の訓ではマ行であらわれることが多い。 例:芽[ngea] め、眼[ngean] め、御[ngia] み、群[ngiuən] むれ、元[ngiuan/ngiuat*] も と、迎[ngyang] むかへる、 ○同源語 潤(うる)おふ、川(かは<訓>)、邊(べ)、公(きみ)、無(な)く、 【方[piuang]・も】 天下(あめのした) 四方(よも)の人(ひと)の 大船(おほふね)の 思(おもひ)憑(たのみ)て 天水(あまつみづ) 仰(あふぎ)て待(まつ)に、、、(万167) 紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を尓苦久(にくく)有(あら)ば人嬬(ひとづま)故(ゆゑ)に吾(あれ)戀(こひ)め八方(やも)(万21) 古代中国語の「方」は方[piuang] である。頭音の[p] は[m] と調音の位置が同じであり転移しやすい。韻尾の[‑ng] は脱落した。二番目の歌の八方(やも)は借訓である。 「方」は方(へ)という読みもある。 ○同源語: 天(あめ)、盤(ふね・<船>)、仰(あふぐ)、妹(いも)、妻嬬(つま・<嬬>)、吾(あれ)、●水(みづ)、 【裳(も)】 為レ君(きみがため)山田(やまだ)の澤(さは)に恵具(ゑぐ)採(つむ)と雪消(ゆきげ)の水(みづ)に裳(もの)裾(すそ)所レ沾(ぬれぬ)(万1839) ● 裳(も)は女子がまとった長いスカートのような衣で、ひだのあるものが多い。日本語の裳(も)はchi maのmaと関係のあることばではなかろうか。裳(も)が腰から下につけるスカートのようなものであるのにたいして、cho go riは民族衣装の上衣である。高松塚古墳の壁画は古墳時代後期のものだから、万葉集の時代の貴人は高松塚古墳の壁画に描かれているような衣裳を身にまとっていたと考えて間違いあるまい。 ○同源語: 君(きみ)、山(やま)、田(た)、消(きゆる)、濡(ぬれる・<沾>)、●水(みづ)、 【萌[məng]・もえる】 石(いは)激(ばしる)垂見(たるみ)の上(うへ)の左和良妣(わわらび)の毛要(もえ)出(いづる)春(はる)に成(なり)にけるかも(万1418) 春雨(はるさめ)に毛延(もえ)し楊奈木(やなぎ)か烏梅(うめ)の花(はな)ともにおくれぬ常(つね)の物能(もの)かも(万3903) 「もゆ」「もえ」はいずれも音表記であるが、「萌」であろう。古代中国語の「萌」は萌[məng] である。日本語の「もゆ」は中国語の「萌」と音義ともに近く、同源である。 万葉集の歌では「もえ」は「毛要」「毛延」と表記されている。奈良時代の日本語では「延」はヤ行の延(ye)であり、ア行のエ(e)とも、ワ行のヱ(we)とも区別されていた。しかし、その区別は平安時代には失われていたので、平安時代にできた五十音図にはヤ行の(ye)はない。 ○同源語: 垂(たれる)、見(みる)、出(いづ)る、春(はる)、楊(やなぎ)、梅(うめ・<烏梅>)、花(はな)、常(つね)、物(もの・<物能>)、●垂水(たるみ・<垂見>)、 【黙[mək]・もだす】 辱(はぢ)を忍(しのび)辱(はぢ)を黙(もだして)無レ事(こともなく)物(もの)不レ言(いはぬ)先(さき)に我(われ)は将レ依(よりなむ)(万3795) 黙然(もだ)居(をり)て賢(さかし)ら為(する)は飲レ酒(さけのみ)て酔(ゑひ)泣(なき)為(する)に尚(なほ)不レ如(しかず)けり(万350) 古代中国語の「黙」は黙[mək] である。「もだす」は沈黙することで、音義ともに中国語の「黙」に近い。韻尾の[‑k] はカ行でなくタ行であらわれている。江南地方の中国語音では入声音[‑p][‑t][‑k] は弁別されていない。黙[mək] を日本語で「もだ」と読むのは江南地方の中国語音の影響と思われる。 ○同源語: 言(こと・<事>)、無(な)く、物(もの)、我(われ)、依(よ)る、酒(さけ)、呑(のむ・<飲>)、泣(なく)、●言(いふ)、 【望[miuang/muat*]・もち】 望月(もちづき)の 満有(たれる)面(おも)輪(わ)に 如レ花(はなのごと) 咲(ゑみ)て立有(たてれ)ば 夏蟲(なつむし)の 入火(ひにいる)が如(ごと)、、 (万1807) 望(もち)降(くたち)清(きよき)月夜(つくよ)に吾妹兒(わぎもこ)に令レ視(みせむ)と念(おもひ)し屋前(やど)の橘(たちばな)(万1508) 古代中国語の「望」は望[miuang] である。「もちづき」は「満月」のことである。満[muan] と望[miuang] は音義ともに近く、同源であろう。「望月」は「満月」である。満[muan]の上古音は満[muat*] であり「もち」の「ち」は「満」の上古音の痕跡を留めている。 ○同源語: 足(たる・<満>)、面(おも)、花(はな)、立(たつ)、火(ひ)、入(いる)、清(きよき)、夜(よ)、吾妹兒(わぎもこ)、見(みせ・みる・<視>)、●足(たる)、月(つき)、 【本[puən/puət*]・もと】 春霞(はるかすみ)立(たち)にし日(ひ)従(より)至二今日一(けふまでに)吾(わが)戀(こひ)不レ止(やまず)本(もと)の繁(しげ)けば(万1910) 此(この)筥(はこ)を 開(ひらき)て見(み)てば 如レ本(もとのごと) 家(いへ)は将レ有(あらむ)と 玉篋(たまくしげ) 小(すこし)披(ひらく)に 白雲(しらくも)の 自レ箱(はこより)出(いで)て、、(万1740) 古代中国語の「本」は本[puən] である。語頭の[p] は鼻音であり、[m] と調音の方法が同じである。調音の方法が同じ音は転移しやすい。 また、韻尾の[‑n] の上古音は一般に[‑t]であったと考えられている。日本語の「もと」は中国語の祖語(上古音)本[puət*] と同源である。 ○同源語: 春(はる)、霞霧(かすみ・<霞>)、立(たつ)、今日(けふ・<矜>)、吾(わが)、此(こ)の、筥・(はこ・<箱>)、見(みる)、雲(くも)、出(いづ)、●日(ひ)、 【物[miuət]・もの】 生(いける)者(もの)遂(つひに)も死(しぬる)物(もの)に有(あれ)ば今生(このよ)在(なる)間(ま)は樂(たのしく)を有(あら)な(万349) 橘(たちばな)の蔭(かげ)履(ふむ)路(みち)の八衢(やちまた)に物(もの)をぞ念(おもふ)妹(いも)に不レ相(あはず)して(万125) 古代中国語の「物」は物[miuət] である。日本の物(もの)は中国語の韻尾[-t] がナ行に転移したものである。[t] は調音の位置が[n] と同じであり、転移しやすい。 「物」の日本漢字音は物(ブツ)である。物(ブツ)は「ハ行」であり、物(もの)は「ま行」であり、五十音図でみると行がちがう。しかし、ハ行とマ行は調音の位置が同じ(唇音)であり、音価が近い。 また、タ行、ナ行の関係も同様である。 (ハ行)清音[p]
(マ行)鼻濁音[m] (バ行)濁音[b] (タ行)清音[t]
(ナ行)鼻濁音[n] (ダ行)濁音[d] ○同源語: 生(いける)、死(しぬ)、今世(このよ・<今生>)、間(ま)、影(かげ・<蔭>)、妹(いも)、合(あふ・<相>)、 【燃[njian/mian*]、焼[ngyô] 、燎[liô]・もゆる】 燃(もゆる)火(ひ)も取(とり)て褁(つつみ)て福路(ふくろ)には入(いる)と不レ言(いはず)や面(おも)知(しら)なくも(万160) 吾妹子(わぎもこ)に相(あふ)縁(よし)を無(なみ)駿河(するが)有(なる)不盡(ふじ)の高嶺(たかね)の焼(もえ)つつか将レ有(あらむ)(万2695) 不レ念(おもはぬ)に妹(いも)が咲(ゑ)まひを夢(いめに)見(みて)心(こころ)の中(うち)に燎(もえ)つつぞをる(万718) 日本語の「もゆ」には燃[njian]、焼[ngyô] 、燎[liô] が使われている。 燃[njian] の祖語(上古音)は燃[mian*] に近い音であり、それが唐代には口蓋化によって燃[njian] になったと考えられる。中国語の日母[nj] は音ではナ行であらわれ、訓ではマ行であらわれることがある。 例:女[njia/mia*](ニョ・ジョ・め)、汝[njia/mia*](ニョ・ジョ・な・みまし)、稔[njiəm/ miəm*](ネン・みのる)、耳[njiə/miə*](ニ・ジ・みみ)、認[njiəm/miəm*](ニン・ みとめる)、壬生[njiəm/miəm*](ジン・みぶ)、 焼[ngyô] は一般に「やく」にあてられている。焼[ngyô]の頭音[ng] は鼻濁音であり、[m] と調音の方法が同じであり、音価も近い。「燃焼」という成句もあり義(意味)も近い。 燎[liô]の頭音[l] は[m] は調音の位置が近い。同じ声符がラ行とマ行に読み分けられることもある。 例:陸[liuk]・睦[miuk]、命[mieng]・令[lieng]、麥[muək]・來[lə]、 日本語の音ではラ行であらわれ、訓ではマ行であらわれる例もある。 例:漏(ロウ・もる)、覧(ラン・みる)、両(リョウ・もろ)、緑(リョク・みどり)、乱 (ラン・みだる)、 日本語の「もゆ」は中国語の「燃」「燎」「焼」と同系のことばである。 ○同源語: 火(ひ)、取(とる)、入(いる)、面(おも)、知(しる)、吾妹子(わぎもこ)、合(あふ・<相>)、無(なみ)、嶺(みね)、夢(いめ)、見(みる)、心(こころ)、●言(いふ)、 【漏[lo]・もる】 天(あま)飛(とぶ)や鴈(かり)の翹(つばさ)の覆(おほひ)羽(ば)の何處(いづく)漏(もりて)か霜(しも)の零(ふり)けむ(万2238) 古代中国語の「漏」は漏[lo] である。中国語の[l] と[m] は調音の位置が近く、音価も近い。古代日本語にはラ行ではじまる音節はなかったのでマ行に転移した。日本語の「もる」は中国語の「漏」と同源である。 古代日本語にはラ行ではじまることばはなかった。万葉集でラ行ではじまる単語が出てくるのは四千首を超える歌のなかで「力士儛」という単語ひとつのみである。これも借用語である。 ○同源語: 天(あめ)、鴈(かり)、羽(は)、霜(しも)、降(ふる・<零>)、 |
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