第75話 記 紀万葉時代の日本語

奈 良時代に成立した万葉集、古事記、日本書紀は漢字だけで書かれている。日本語の起源をたどるには、まず記紀万葉など初期の文字資料を解読して、そのなかに 文献時代以前の日本語の痕跡を探す必要がある。現代の日本語から、いきなり日本語の祖語にたどり着くことはできない。文字に残された最古の日本語のなかか ら、文字時代以前の日本語の姿を復元することによって、はじめて日本語の成立過程を解明することができる。日本語はどこからきたのか。最古の日本語はどの ような言語だったのか。これらの問いに答えるには、初期の文字記録である古事記、日本書紀、万葉集のなかに隠されている。『古事記』には120首あまりの 歌謡が伝えられている。(上段=読み下し、下段=原文)

八雲立つ  出雲八重垣   妻籠みに  八重垣 作る   その八重垣を
  夜久毛多都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微爾 夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁

やまとは 国のまほろば  たたなづく 青垣   山ごもれる  やまとしうるはし
夜 麻登波 久 爾能麻本呂婆 多々那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯 

は じめの歌は須佐之男の命が出雲の須賀の地で詠んだ歌とされている。つぎの歌は倭建の命が能煩野(のぼの)で詠んだ歌と伝えられている。能煩野は現在の三重 県鈴鹿郡のあたりである。古事記歌謡は漢字の音だけを使って書かれている。漢字の音だけを使って書き表されているので、漢字の意味はまったく無視されてい る。

古 事記、日本書紀に記録されている8世紀の日本語を解読するには、隋唐の時代の中国語音を復元しなくてはならない。日本語の音韻構造は中国語と違うから、唐 代の音をそのまま日本語にあてはめたのでは8世紀の日本語音はよみがえってこない。古事記歌謡の漢字音は、現在の漢字音とは違う。その違いを比較してみる と、つぎのようになる。(カタカナは現代の読み方を示し、ひらがなは古事記での読みを示す。)

久 (キュウ・く)、流(リュウ・る)、毛(モウ・も)、豆(トウ・づ)、能(ノウ・の)、
弊(ヘイ・へ)、禮(レイ・れ)、都(ト・つ)、微(ビ・み)、母(バ・も)、爾(ジ・に)、
袁(エン・を)、本(ホン・ほ)、
 

久 (キュウ)、流(リュウ)は久(く)、流(る)と単音節にあてられている。毛(モウ)、豆(トウ)、能(ノウ)、弊(ヘイ)、禮(レイ)も単音節の日本語 にあてられている。「都」は現代の漢字音は都(ト)であるが、古事記では都(つ)に用いられている。微(ビ)、母(ボ)はマ行に用いられている。袁(エ ン)、本(ホン)は韻尾の「ン」が失われて、袁(を)、本(ほ)にあてられている。いずれも単音節で日本語の開音節に適合させられている。

こ れは唐代の中国語音に依拠しているというよりも、中国語とはまったく音韻構造の異なる日本語にあてはめるために、むりやり中国語音を日本語にあてはめてい るために起こったことだと考えざるをいない。現代の日本語には「キュウ」、「リュウ」、「モウ」、「トウ」、「ノウ」、「ヘイ」、「レイ」、「エン」、 「ホン」というような音節があるが、それは中国語音の影響で発達した音節であって、古代の日本語はあくまでも子音+母音の単音節である。 

これらの漢字の唐代音を示すと、つぎのようにな る。

  久/kiu/、 流/liu/、 毛/mô/、 豆/do/、 能/nə/、 弊/biai/、 禮/lyei/、 都/ta/、 微/miuəi/、 母/mə/、/njiei/
/iuan/、 本/puən/

 中国語の原音を基準にして考ええると、古事記歌 謡では久/kiu/、流/liu/ のわたり音/-i-/ が失われている。袁/iuan/、本/puən/は中国語の韻尾/-n/が 失われている。中国語の二重母音は日本語では單母音にあてられていることがわかる。借用語の発音は、受け入れる言語の音韻構造に合わせて、一定の法則にし たがって変化すから、中国語からの借用語音が当時の日本語でどのように変化しているかを調べれば、8世紀の日本語の音韻構造を知る手がかりになる。

古 事記では「やまと」は「夜麻登」と表記されている。万葉集では「やまと」は「夜麻登」、「夜麻等」、「夜末等」、「夜萬登」、「也麻等」のように音で表記 された例もあるが、「倭」、「日本」、「山跡、「山常」、「八間跡」などのように訓をまじえて書かれた例もある。万葉集は漢字の音だけでなく、訓で書かれ た歌も多い。たとえば、柿本人麻呂の歌はつぎのように表記されている。

 軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌

  東 野炎 立所見 而 反見為者 月西渡(万 48)

 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌

  左散難弥乃 志我能大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛(万31)

これらの歌は一般に、つぎのように解読され、日本 語に復元されている。

軽皇子の安騎野(あきの)に宿りましし時、柿本朝 臣人麻呂の作れる歌

  東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月傾きぬ

近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本朝臣人麻呂の作 れる歌

  ささなみの 志賀の大わだ 淀(よど)むとも 昔の人に またもあはめやも

題詞は漢文で書かれているから中国語を読み下すよ うに読めば、完全に解読することができる。中国語の文章は漢字による表記法が確立されていて、規範をはずれることはない。それにたいして、歌のほうは日本 語を漢字で書いているため、表記法が確立されているわけではない。

初 めの歌は訓で表記されているが、レ点も使われているので、語順は必ずしも日本語の通りではない。「所」、「而」、「者」、は日本語の助辞を示すためにつけ 加えられている。「而」は古事記や万葉集では、日本語の接続助詞「て」にあてられている。「者」は万葉集では日本語の助詞「は」を表わす字として使われて いる。「乃」「能」「二」「母」「毛」はいずれも、日本語の助詞にあてられたものである。しかし、日本語の助詞や活用語尾はすべてが表記されているわけで はない。

東   野炎   立所見 而  反見為者   月西渡
 東  野 立
見 而 反見 為者月 西渡きぬ

ここに平仮名で表記した部分は、原文では何も表記 されていない。読者は平仮名の部分を補って、はじめて日本語として読むことができる。この歌は江戸時代まで、読み方がなかなか確定しなかった。「東野(あ づまの)のけぶり立てるところ見て」などと読まれていたこともある。

次の歌はほとんどが音読みである。音読みの漢字を カナに書き換えてみるとつぎのようになる。

左 散難弥乃 志我能和太 與杼六友 昔人     亦相目八
 ささなみの
 しがのわだ よど六友 昔(の)人 亦相目八

音 読の文字と訓読の文字を識別して「大」、「六」、「友」、「人」、「亦」、「相」、「目」、「八」は訓で読む。しかも、そのなかの「六」、「友」、 「目」、「八」については、読み方は「訓」だが、漢字の意味とはまったく関係がない。音と訓を混用して書かれている万葉歌を解読することはかなり困難であ る。中国語を知り尽くしていても、漢字の中国語音と意味だけを理解している人には、まったく解読不能である。

万葉集には朝鮮半島で漢字で朝鮮語を書くために開 発された、吏読、誓記体、郷札などの表記法が使われている。万葉集を表記した史は、漢字を使って朝鮮語を表記する方法を知っていて、それを日本語の表記に 応用した。

万葉集には漢字の訓読みを転用したいわゆる「訓 借」も多い。不相妹鴨 (あはぬいもかも)、妹見(いもをぞみつる)、 相見鶴鴨(あひみつ るかも) などである。「鴨」や「鶴」は日本語の訓であり、鴨(かも)、鶴(つる)は、中国語の音とも意味とも関係がない。漢字は表意文字であるから「鶴」「鴨」を 日本語として「つる」「かも」と読んでも、漢字の原義である「つる」、「かも」という鳥のイメージがどうしてもつきまとう。しかし、借訓では漢字の義を捨 てて、便宜的に日本式の表音文字として使っている。平安時代に片仮名が考案されてはじめて、「つる」は「津流」の漢字の一部をとって「ツル」とし、「か も」は「加毛」と書くかわりに「カモ」と書くことができるようになった。

 日本で五十音図が考案されたのも平安時代のこと である。記紀万葉時代の日本語は次のような特色をもっていたと考えることができる。

 1.「ン」で終わる音節はなかった。(袁=を、 本=ほ)
 2.二重母音はなかった。(毛=も、豆=づ、能=の、弊=へ、禮=れ)
 3.拗音はなかった。(久=く、流=る)
 4.現在の濁音(バ行音)は鼻濁音(マ行音)だった。(微=み、母=も)
 5.現代の濁音(ジ)は「ニ」であった。(爾=に)
 6.中国語とちがい助詞(て、に、を、は)でことばをのりづけしてゆく膠着語であった。

 そのほかにも、この少ない用例だけでは証明でき ないいくつかの特色があった。例えば濁音は語頭にたたない、ラ行音は語頭にたたない、などである。古代日本語には五つではなく八つの母音があり、前舌母音 と後舌母音とにわかれ母音調和があったことも知られている。

もくじ

☆第60話 弥生音の痕跡

★第61話 弥生音の特色

☆第62話 やまとことばのなかの中国語   

★第63話 国語学者亀井孝の反論

☆第68話 『古事記伝』を読む

★第69話 本居宣長の古事記解読             

☆第70話 古事記解読の方法

★第71話 漢心をすすぎさる

☆第72話 古事記はやまとことばで書かれている か

★第73話 古事記は日本書紀とどう違うか

☆第74話 古事記はどのようしして成立したか

★第76話 大国主とは誰か

☆第77話 記紀のなかの朝鮮語の痕跡