第76話 大国主とは誰か 

  『古事記』には因幡の白兎の話で知られる大国主の命の物語がある。大国主はまた、大黒さまとしても親しまれている。『古事記』では大国主はオホナムヂ(大 穴牟遅)の神という名でも登場する。「ムヂ」は日本書紀では「貴」とも書かれて、神や人を尊び親しんで呼ぶときに使われている。本居宣長は『古事記傳』の なかで、つぎのように書いている。

大穴牟遅(おほなむぢ)神。此御名の訓は、萬葉に大汝(おほなむぢ)とかき、又於保奈牟知(おほなむち)と見え、古語拾遺には大己貴とかきながら、古語於保那武智(おほなむち)神と云ひ、姓氏録に大奈牟智(おほなむち)神、文徳實録に大奈母智(おほなもち)、三代實録に大名持(おほなもち)、延喜式に大名持、また於保奈牟智(おほなもむち)とある、此等以て知べし。遅は濁音 なり。さて大穴と書るは、此記を始として、萬葉に大穴道(おほなむち)、出雲國造神賀詞、又神名帳、又出雲風土記などに、大穴持(おほなもち)、姓氏録に大穴牟遅(おほなむぢ)命などあり。(中略)かくて御名の意は、師説に、穴は那(な)の假字、牟(む)は母(も)の轉れるにて、大名持(おほなもち)なり。(『古事記傳九の巻』)

師の説にというのは賀茂真淵の説のことである。「大国主」は「大汝」、「大穴持」、「大名持」などの別称があるが、「大名持」のことだというのが本居宣長の 結論である。地名や人名の由来はわからなくなってしまうことが多い。ここでは『日本書紀』についての言及はないが、『日本書紀』には、つぎのように書かれ ている。

大国主神(おほくにぬしのかみ)、亦の名は大物主神(おほものぬしのかみ)、亦は国作大己貴命(くにつくりのおほあなむちのみこと)と号す。亦は葦原醜男 (あしはらのしこを)と日す。亦は八千戈神(やちほこのかみ)と日す。亦は大国玉神(おほくにたまのかみ)と日す。亦は顕国玉神(うつしくにたまのかみ) と日す。(『日本書紀神代上第八段』)

古事記の編者にとっても、日本書紀の編者にとっても、また万葉集の編者にとっても、「大国主」あるいは「大名持ち」の原義はすでに不明になっていた。大汝 (おほなむぢ)、大名持(おほなもち)、大穴道(おほなむち)、大物主(おほものぬし)などはいずれも発音からその字義を類推して漢字で表記したものであ る。大国玉神(おほくにたまのかみ)は文字のうえで「大国主神」が誤って転写されたものであろう。大国主(おおくにぬし)を大黒(だいこく)というのも、 大国(おほくに)を大国(だいこく)と音で読んで大黒(だいこく)と書いたことからきたものとして説明できる。しかし、大黒天は本来ヒンドウ教の神であ り、仏教とともに日本に入ってきたものの、大国主とは何の関係もない神である。

しかし、「大名持ち」がなぜ「大国主」なのかは不明である。それを解く鍵は、朝鮮語にありそうである。李基文の『韓国語の歴史』(日本語版p.44) によると、「な」とは高句麗語で「土地」あるいは「国」のことである。金印の「漢委奴国王」は「漢の倭の奴(な)の国王」であり、奴(な)は国のことだと されている。また奈良の奈(な)は国の意味ではないかとされている。「なむぢ」の「な」が「地」を表わすとすると、「おほなもち」は「大土地持」というこ とになる。「おほなもち」の「な」は「名」ではなく、高麗語の「土地」あるいは「国」だったのである。

現代日本語の「名主」は名前の主ではなくて、「土地の主」であることとも整合する。奈良の都の「奈」も、金印の「奴国」も、官位の奈率の「奈」も、「なむ ぢ」の「な」も高句麗語の「な」であり、「地」あるいは「国」を意味する。「むぢ」は貴人を表わす。「大国主」は「大国(な)貴人(むぢ)」である。「大 国主」の由来は中国語ではなくて、高麗語であると考えると本居宣長の疑問は解ける。しかし、残念なことに本居宣長の時代には金印は発見されていなかった。 また、朝鮮半島の言語についての関心や知識もないに等しかった。

もくじ

☆第36話 金印の国「奴国」とは何か      

★第50話 日本語のなかの朝鮮語

☆第77話 記紀のなかの朝鮮語の痕跡