第73話 古 事記と日本書紀はどう違うか 本居宣長は『古事記』はやまとことばで書かれたものであり、『日本書紀』は中国語で書かれているという。一般に、『古事記』では呉音が用いられ、『日本書 紀』では漢音が用いられているともいう。『古事記』、『日本書紀』に用いられている漢字の音価を知ることは、記紀成立の謎を解く鍵にもなる。 『古事記』と『日本書紀』には、それぞれ120首あまりの歌謡が記録されている。そのうちの50首あまりは、同じ伝承の歌が、記紀に重複して記録されてい る。記紀の歌謡は東洋のロゼッタ・ストーンともいえる。記紀の歌謡は同じことばを、ふたつの異なった音韻体系によって伝えたかけがえのない史料である。記 紀に使われている文字の体系を比較してみることにする。(上段=読み下し、中段=古事記歌謡、下段=日本書紀歌謡) 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重
垣作る その八重垣を やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣山こ
もれる やまとしうるはし 古事記と日本書紀ともに歌謡は漢字の音だけを使っ て書かれている。しかし、古事記と日本書紀では同じ歌に違う漢字が使われている。まず、「妻ごめに」と「八重垣」を唐代の中国語音を復元してみると、つぎ のようになる。 [古事記] 都
麻 碁 微 爾、 夜 弊 賀 岐 [日本書紀]
菟 磨 語 昧 爾、 夜 覇 餓 枳 「つまごめ に」の「ご」、「やえがき」 の「が」に注目してみると、日本書紀では鼻濁音の語[ngia]、餓[ngai] が使われているが、『古事記』では鼻濁音が使われ ず、碁[giə]、賀[hai] で表記されている。鼻濁音は発音するとき息が鼻に 抜ける音で、英語のsing a song の ような発音である。現代の日本語では、学校は「ガッコウ」と鼻濁音でなく発音するが、標準語では小学校は「ショウカ゚ッコウ」と鼻濁音で発音する。学校の 「ガ」は語中では鼻濁音「カ゚」になる。音楽学校は「オンカ゚ク・ガッコウ」である。アナウンサーの訓練では、鼻濁音を「カ゚」と書いて「ガ」と区別する ように指導している。しかし、鼻濁音は東京方言はじめ、日本各地の日常会話から消えつつある。 な ぜ『日本書紀』では鼻濁音が使われ、『古事記』では使われていないのだろうか。高木市之助によれば、「やへがき」の「餓」は日本書紀には62回の用例があ るのにもかかわらず、古事記には1回も使用されていない。反対に「賀」は古事記には122回も使われているのに、日本書紀では一回も用例がないという。 (高木市之助「記紀歌謡の比較に就いて」『吉野の鮎』所収) アルタイ系の言語である日本語や朝鮮語では、鼻濁 音は語頭にこない。現代の朝鮮語では、鼻濁音は脱落して、「餓」は餓(a) で あり、「語」は語(eo) である。古代の日本語でも、鼻濁音は語頭にはこな かった。鼻濁音ができない人が「夜覇餓枳」を読めば「ヤヘアキ」と なり、「菟磨語昧爾」は「ツマオメニ」になってしまう。古事記歌謡 を書いた史は、朝鮮語を母国語としていたために鼻濁音が発音できなかった可能性がある。 『日本書紀』が編纂された8世紀には、唐の都の正音を伝える音博士が招かれている。大和朝廷は『古事記』に使われている漢字音が江南地方の田舎音に依拠し ており、長安では軽ろんぜられているものであることを教えられたに違いない。また、文章も正式な漢文ではなく、朝鮮半島で用いられている吏読や誓記体であ ることに気づく。そこで『古事記』が編纂されてからわずか8年後には、新たに唐の都の正音にもとづいた、漢文の形式をそなえた国史として『日本書紀』を編 纂す ることになる。 古事記が編纂された712年から日本書紀が編纂された720年の間に、日本語のガ行鼻濁音が発生したとは考えられない。古事記と日本書紀は異なった音韻体 系をもった史によって記録されたと考えざるをえない。古事記と日本書紀の歌謡に用いられている漢字のうち、記紀で用いられている漢字が異なるものについ て、唐代中国語の音価を示すと、つぎのようになる。 [古事記] 久、 毛、 豆、 弊、 賀、 都、 麻、 碁、 微、 岐、 久、 流、 [古事記] 曾、 能、 袁、 麻、 登、 久、 爾、 本、 呂、 婆、 那、 袁、 [古事記] 加、 碁、 母、 禮、 流 古事記歌謡と日本書紀歌謡を対比することによっ て、いくつかのことが判明する。 1.古事記歌謡には鼻濁音の漢字は使われていない。
(古事記:日本書紀) 2.古事記歌謡では、日本書紀歌謡で濁音が使われてい
るところに、清音の漢字が使われているこ とが多い。 3.古事記歌謡では中国語の介音i が発音されていない。 4.古事記歌謡でも日本書紀歌謡でも中国語の韻尾/-n/、/-ng/が失われることがある。 古事記歌謡に鼻濁音が使われていないのは、古事 記の史が朝鮮漢字音の音韻体系を持っていたことを示唆している。また、古事記歌謡で清音に使われている漢字が、日本書紀歌謡では濁音に使われているところ もある。 例: (記) 曾/tzəng/、
登/təng/、
本/puən/、 日本書紀歌謡を古事記の史が読めば、贈廼夜覇餓岐(ぞの八重垣)、夜摩苔(やまど)、摩倍邏 摩(まぼろま)となってしまう。古事記の史にとっては贈 (ぞ)、苔(ど)、倍(ぼ)と読むべき同じ文字が、日本書紀の史にとっては贈(そ)、苔(と)、倍(ほ)と読めた。これは中国語における音韻変化の結果を 映している。中国では贈[dzəng]、苔[də] などの濁音は長い時間をかけて清音に変化して、唐 代には贈/tzəng/、苔/tə/ になった。日本書紀の史は、より新しい中国語音を 身につけていて、濁音を清音に読んでいる。 古事記で中国語音の介音iが失われるのは、朝鮮漢字音の影響である。 「久」、「碁」、「流」、「袁」、「呂」、「禮」は朝鮮漢字音では久(ku)、碁(ki)、流(lu)、袁(won)、呂(lyeo)、禮((le)であり、古事記歌謡の漢字音、久(く)、碁 (ご)、流(る)、袁(を)、呂(ろ)、禮(れ)、と極めて近い。古事記の史が朝鮮漢字音系の音韻体系をもっていたことは疑いの余地がない。 結論として、『古事記』は朝鮮漢字音の音韻体系をもった史(ふひと)によって書かれた可能性が高い。また、『日本書紀』は新しく唐からもたらされた中国の 正音に依拠した漢字を使っている。日本書紀歌謡の漢字音については森博達の『古代の音韻と日本書紀歌謡の成立』(大修館)にくわしい。森博達は日本書紀歌 謡の漢字音を調べてそれをα群とβ群に分類している。そしてα群は中国語を母語とする表記者が記したものであり、β群は日本漢字音に基づく仮名が多く使わ れているという。森博達には古事記歌謡についての言及はないが、古事記歌謡は朝鮮漢字音の影響を受けた表記者によって書かれているといえるのではなかろう か。 |
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