第71話 漢 心(からごころ)をすすぎさる

 太安万侶が『古事記』を書いたときのままの「や まとことば」を復元できれば、美しき「敷嶋のやまとことば」の姿をよみがえらせることができると、本居宣長は考えた。宣長は『玉勝間』でつぎのように述べ ている。

 あがたのうしは古へ學のおやなる事

 からごころを清くはなれて、もはら古へのこころ詞をたづぬるが く もむは、わが縣居の大人よりぞはじまりける。(中略)古事記書紀など、古典(いにしへのふみ)をうかがふにも、漢心(からごころ)にまどはされず、まづも はら古の言を明らめ、古の意によるべきことを、人みなしれるも、このうしの、萬葉のをしへのみたまにぞありける。そもそもかかるたふとき道を、ひらきそめ たるいそしめは、よにいみしきものなりかし。(『玉勝間』)

 「あがたのうし」とは本居宣長が師とあおぐ賀茂 真淵のことである。国学のはじまりは賀茂真淵にありとする宣言である。本居宣長は『うひ山ふみ』でも次のように書いている。

 件の書ども(=古事記書紀の二典)を早くよまば、やまとたましひ よく堅固(かた)まりて漢意(からごころ)におちいらぬ衞(まもり)にもよかるべき也。道を學ばんと心ざすともがらは、第一に漢意、儒意を清く濯ぎ去て、 やまと魂(たましひ)をかたくする事を、要とすべし。さてかの二典の内につきても、道(ち)をしらんためには、殊に古事記をさきにすべし。(『う ひ山ふみ』)

漢心を清く濯ぎさると、そこに漢字が伝わる前の日 本語の姿があらわれてくると本居宣長は考えた。宣長は『漢字三音考』の冒頭で次のように書いている。

皇(すめら)大御國(おほみくに)ハ。天地ノ間ニアル萬ノ國ヲ御 照(みてら)シ坐(まし) マ   ス。天照大御神(あまてらすおほみかみ)ノ御生坐(みあれませ)ル本ツ御國(みくに)ニシテ。  即其御後(みすゑ)ノ皇統(あまつひつぎ)。天 地ト共ニ動キナク無窮(とこしへ)ニ傳ハリ坐   (まし)テ。千萬(ちよろづ)御代(みよ)マデ天ノ下統御(しろしめ)ス御國(みくに)ナレ   バ。 (中略)萬ノ物モ事モ。皆勝(すぐ)レテ美(めでた)キ中ニ。殊ニ人ノ聲音言語ノ正シク美  (めでた)キコト。亦夐(はるか)ニ萬國ニ優(まさり)テ。 其音晴朗トキヨクアザヤカニテ。譬  ヘバイトヨク晴タル天ヲ日中ニ仰ギ膽(み)ルガ如ク。イサゝカモ曇リナク。又單直ニシテ迂曲   (まが)レルコト 無クシテ。真ニ天地ノ間ノ純粋正雅ノ音也。(『漢字三音考』皇国の正音)

    唐土と日本だけが世界であった時代にあって、本居宣長は漢字だけで書かれた『古事記』のなかに漢字受容以前の「やまとことば」が隠されているという確信を 得た。本居宣長の意識のなかでは、この国のはじまり、この国の神、この国のことばが一体となっ て、日本の古代について、なかんずく日本という国について、『古事記』を通して考究を深めていく。漢字で書かれた日本語をどう読むのが正しいのかは、本居 宣長にとって大問題であった。宣長はまた、つぎのようにも述べている。

  然レバ其時ノ字音。必彼國ノママニハアルベカラズ。或ハ拗音ヲ直音ニツゞメ。或ハ通音ニ轉  ジ。 或ハ鼻聲ヲ口聲ニ移シ。或ハ急掣(つま)ル韻ヲ舒緩 (ゆる やか)ニ改メナド。凡テ不正 鄙俚ノ甚 シキ者ヲバ除キ去テ。皇國ノ自然ノ音ニ近ク協ヘテ。新ニ定メラレタルモノ也。然レ バ字音ハ。皇 國ノ語音ニ似タ ルヲ以 テ正トシ。イサゝカニテモ漢國ノ音ニ似タルヲ不正トスベ シ。(『漢字三音 考』皇国ニシテ漢字音ノ始)

 宣長は「日本漢字音は中国における漢字音とは発 音が異なる。拗音(介音iを伴う音)は直音に  し、あるいは鼻音を鼻音で なく するなど、不正を正して日本語の自然の音に近づけようとしてい  る。漢字の読み方は「日本式が正しく、中国風の発音は正しくない」と主張している。

 日本漢字音には呉音と漢音がある。漢音は唐代の 漢字音に対応している。呉音は中国の江南地方 の漢字音に対応している。呉音、漢音の区別はよく知られているが、つぎのような例をあげること ができる。

   呉音:経文(キョウモン)、京都(キョウ ト)、今昔(コンジャク)、成就(ジョウジュ)、
  漢音:経済(ケイザイ)、 京浜(ケイヒ ン)、昔日(セキジツ)、 成功(セイコウ)、

   呉音:正体(ショウタイ)、灯明(トウミョ ウ)、文書(モンジョ)、 金色(コンジキ)、
  漢音:正確(セイカク)、 明治(メイ ジ)、  文章(ブンショウ)、金銀(キンギン)、

   呉音:世間(セケン)、  殺生(セッショ ウ)、末期(マツゴ)、
  漢音:中間(チュウカン)、殺人(サツジ ン)、 期末(キマツ)、

  呉音は古事記、万葉集などに用いられている。 仏典の音読などにも用いられる。漢音は日本書紀 に用いられている。儒教ではおもに漢音が用いられる。本居宣長が『漢字三音考』で三つといって いるの は、呉 音、漢音に唐音を加えて三つとしているのである。唐音は唐宋音ともいわれ、唐代以 降の新しい発音である。例えば、行脚(アンギャ)、行燈(アンドン)、 暖 簾(ノレン)、提灯  (チョウチン)などである。

  本居宣長は日本語の五十音図が日本語の正しい 音の規範を示していると考えた。宣長は五十音図 について、『漢字三音考』のなかで、つぎのように述べている。

  又五十ニテ足(たら)ザル音モナク。餘レル音モナキ故ニ。一ツモ除(のぞ)クコトアタハズ。 亦 一ツモ添ルコトアタハズ。凡ソ人ノ正音ハ此(これ)ニ全 備 セリ。サレバ此ノ五十ノ外ハ。 皆鳥獣 萬物ノ聲ニ近キ者ニテ。溷雑不正ノ音也ト知ルベシ。然ルニ外國人ドモノ。皇國ノ人の 音ヲ聴テ。東方ノ國ナル故 ニ。 音声イマダ開ケザル所アリナドゝ云メルハ。各其國ノ溷雑ノ音ニ ナラヒテ。正 音ノ正音ナルコトヲ知ラザルモノナリ。(『漢字三音考』皇国の正音)

  皇国ノ古言は五十ノ音ヲ出ズ。是レ天地ノ純粋正雅ノ音ノミヲ用ヒテ。溷雑不正ノ音ヲ厠(ま  じ)ヘザルガ故也。(『漢字三音考』皇国言語ノ事)

  日本語音は純粋で正しいが、中国語音は混じり気があって正しくないとするのが、本居宣長の主 張である。五十音図ができたのは平安時代のことであり、古事 記の時代の日本語には母音が八つ  あったことは後に橋本進吉の発見することになるのだが、本居宣長が江戸時代にそのことを知りえ なかったのはやむをえ ない。 古代日本語の母音が五つではなくて八つあったことを証明した橋本進 吉は「古代國語の「え」の假名について」のなかで、つぎのように書いている。

 漢字音を以て國語の音韻を冩した漢字(萬葉假名)の古代中國に於ける發音を明らかにし、之を 國語の音韻と對照して考察する事は、古代國語の音韻の實體を 研究する手段として必須のもので はあるが、それは萬葉假名として我が國語の如何なる音韻を冩す爲に用ゐられてゐるかを精査し 確定した上で、はじめて為す べき事であって、中國に於ける字音に基づいて、國語の如何なる音 韻を冩したかを決定する如きは、むしろ本末を顛倒したもので、萬止むを得ざる場合の外は 執る べき方法で  はない。(『文 字及び假名遣の研究』p.225

   橋本進吉の説は、漢字音は日本語のどの音を書写しているかが大切なのであって、古代中国語音 と比べて考察することは本末顛倒であるという。大学者の説 と はいえ本当にこれでいいのだろう  か。漢字は中国語を表記するための専用の文字として発明され、使われてきたので中国語の音韻体 系にしたがって発音さ れる。 中国語の音韻体系は日本語の音韻体系と違うからそこにずれが生ずる のは当然である。

   日本漢字音は中国漢字音と同じではない。しかし、古事記を編纂した史(ふひと)が日本語を表 記するために選んだ文字は漢字を恣意的に選んだのではな く、 中国語の音義に依拠して、それを日 本語に転用したはずである。中国語の原音を知り、それをどのように日本語にあてはめたかを精査 しなければ、中国漢字 音と 日本漢字音の関係は解明できないのではなかろうか・

 また、日本を代表する国語学者の一人であり、古 代 日本語にアルタイ諸語と同じように母音調和 のあることを発見した有坂秀世は「奈良時代に於ける國語の音韻組織について」で、つぎのように 書いている。

  ここに注意すべきは、漢字を萬葉假名として用ゐる場合、その基礎になる字音は、直接には當時 の倭音であり、決して本来の支那音でないといふことである。 當時支那人と直接交渉する人々は 確に支那音によく習熟してゐたであらうし、又支那人を音博士として任用されたことも持統紀以 來國史に見えて居り、大學 寮な どでは漢音奨励のために相當骨を折つとことと思はれるが、それ は専門家としての話である。(中略)但し萬葉假名字體の中に朝鮮や支那からの歸化人の始め て  用ゐたものが含まれてゐるとすれば、そればかりは別問題であるが、實際に資料を扱ふ場合にそ れらを一々識 別することはむづかしい。(『上代音韻攷』p.191) 

   万葉仮名は日本人が書いたものだから、中国人や帰化人が書いたような例外を除いて、中国語音 に依拠して読むのではなく、日本漢字音で読むべきであると い うのが、その主張である。こうした 考え方は国学のなかに脈々と受け継がれてきている。上田万年が講演「国語と国家と」のなかでつ ぎのように述べている こと はよく知られている。

  言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示 すものにして、之を日本国語にたとへていへば、日本語は日本 人 の精神的血液なりといひつべ  し。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持され、日本の人種はこの最もつよき最も永 く保存せらるべき鎖の為に散 乱せざ るなり。(上 田万年「国語と国家と」)

 上田万年はさらに講演「国語研究について」では つぎのように述べている。

  開闢以来比類のない支那征伐に、我陸海軍が連戦連勝で、到る処朝日の御旗の御稜威に靡き従は ぬ者はないのに、我国の国語界、文章界が、依然支那風の下に へたばり附て居るとは、なさけな い次第であります。今は大和魂の価直は、世界の輿論の上で定まりました。しかも其大和魂の外 にあらはれたとも申すべ き、大 和言葉は未だ其価直がきまりませぬ。東洋に於てどころか、我国 中でさへきまりませぬ。(上田万年「国語研究について」)

  日本人の民族精神である大和魂の卓越性は世界 の世論に認知されたのに、日本人の精神の血であ る「大和言葉」が支那の風下におかれているのはなさけないというのだ。

   しかし、開闢以来日本の文字文化は漢字文化圏のなかで発達してきたことは否定できない。朝鮮 漢字音もベトナム漢字音も中国語の原音が、まず初めにあっ て、それを一定の音韻法則にしたがっ て転用して、母国語の音韻体系のなかに取り入れているのである。「日」の古代中国語音は日[njiet] であり、「月」の古代中国語音は月[ngiuat] で ある。日本漢字音の場合も、まず初めに中国原音が あって、それを日本語の音韻体系に馴化させている。日本漢字音の日(ニチ)は中国語の日[njiet]     韻尾の[-t]のあとに母音iを付加している。日「ジツ」は中国語の中古音であ る日/djiet/ に依拠して いる。「ジツ」は韻尾に母音uを付加している。月(ゲツ)の中国語原音は月[ngiuat] であるが、日 本語では語頭に鼻濁音がたつことが な いので月(ケ゚ツ)ではなく月(ゲツ)と発音される。

 日本漢字音は日本風に発音するのが正しいという 主張は、その通りだとしても、借用語の発音  は、朝鮮漢字音には朝鮮語訛りがあり、日本漢字音には日本語訛りがある。漢字の読み方は、その 依拠した中 国音に よってことなるばかりでなく、それを受け入れた国によっても異なる。朝鮮漢字 音では「日本」は日本(il-bon) で、「日」は日(il) である。「月」は月(wol) でなる。ベトナム漢字音では 「日」は日(nhat) であり、「月」は月(nguyet) で ある。これらの漢字音はみな古代中国語の日[njiet] 、   月[ngiuat]に依拠している。

  日本漢字音だけが正しくて、そのほかは不正であるとすると、朝鮮漢字音は不正な音ということ になる。しかし、朝鮮漢字音は朝鮮漢字音で一定の音韻変化の 法 則にしたがって朝鮮語化した発音 であり、古代の日本語は朝鮮漢字音の影響も受けていることは事実である。日本の弥生音は朝鮮漢 字音の影響をかなり受け てい る。呉音のなかにも朝鮮漢字音の影響と思われるものがある。日本の 文字文化を司った史は朝鮮半島の出身者であり、中国の文化は紀元前後には帯方郡を通じ て、まず 日本にもたらされた。

    古代の日本語の発音を復元するためには、その依拠する古代中国語音なり唐代の中古中国語音を 解明し、そのうえで、それがどのような音韻法則にしたがっ て 日本漢字音になっているかを検証し なければならない。古代日本語音がまずあり、それに似た音の漢字をあてはめたという前提にたて ば、漢字で書かれた古 代日 本語の文章は恣意的に読むよりほかに、解読できなくなってしまう。

もくじ

☆第68話 『古事記伝』を読む

★第69話 本居宣長の古事記解読

☆第70話 古事記解読の方法

★第72話 古事記はやまとことばで書かれている か

☆第73話 古事記は日本書紀とどう違うか

★第74話 古事記はどのようにして成立したか

☆第75話 記紀万葉時代の日本語

★第76話 大国主とは誰か

☆第77話 記紀のなかの朝鮮語の痕跡