第72話 古 事記はやまとことばで書かれているか
『古事記』の冒頭の部分はつぎのようにはじま る。 天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。 これを本居宣長は『古事記伝』でつぎのように読 み下している。 天 地(あめつち)の初發(はじめ)の時(とき)、高天原(たかまがはら)に成(なり)ませる神(かみ)の名(な)は、天(あめ)の御中主(みなかぬし)の神 (かみ)。 漢 語が入ってくる前に、日本には神代の時代から伝わるやまとことばがあったはずであると本居宣長は考えた。天(あめ)、地(つち)、神(かみ)などのやまと ことばは、日本古来のことばであり、天(テン)、地(チ)、神(シン)など中国語由来のことばが日本列島に入ってくる前から敷島の大和の国で話されていた ことばである、と考えた。 日 本語は日本列島で生れた世界に類をみないことばであり、中国語とも朝鮮語とも、あるいはアイヌ語とも関係のない特殊なことばである、という考え方は今でも 根強くある。しかし、この考え方は19世紀以来ヨーロッパで支配的な言語観とはかなり異なる。ヨーロッパの言語学ではインドからヨーロッパ大陸にいたる広 大な土地で話されているほとんどのことばはインド・ヨーロッパ語族という一大ファミリーに属し、英語はドイツ語やオランダ語と類をなし、フランス語はイタ リア語やスペイン語と類をなすという。本居宣長が解明したやまとことばアジアで孤立したことばなのだろうか。 ○ 天(あめ) 「天」の古代中国語音は天[thyen] である。「天」の頭音は透母[th-]で、日本語では清音 で読まれるが、中国語音韻学 では次清音といって濁音に近い。古代中国語の声母[th-]や[d-]は、つぎ に介音iがくるときは脱落することがある。 例:赤[thjyak]セ
キ・シャク・ あ
か、 荻[dyek]テ
キ・おぎ、 また、韻尾の[-n] がマ行に転移する例は古代日本語には多い。 例:文[miuən]ふ み、 君[giuən]き み、 浜[pien]は ま、 肝[kan]き も、 こ れらのことを総合すると天(あめ)は「やまとことば」とされているが、中国語の「天」と同源で「天」の弥生音である可能性がある。中国語の「天」と日本語 の天(あめ)とは音韻対応がみられ、意味が一致している。天(テン)と天(あめ)はともに中国語起源のことばでありる。天(あめ)は弥生時代に日本語のな かに取り入れられた弥生音であり、日本語にはまだ「ン」で終わる音節がなかった。天(テン)は文字時代に入ってから日本漢字音として定着した発音である。 天(あめ)は古事記が編纂された8世紀には「やまとことば」のなかにとけこんでいて、借用語とは感じられなくなってしまっていたに違いない。 ○地(つち)「地」の古代中国語音は地[diet] である。古代中国語の韻尾[-t]
は
唐代には脱落して地 /diei/ になる。日本漢字音の地(チ)は、唐代の中国語音
である地/diei/ に依拠したものである。 日本語の訓である地
(つち)は古代中国語の韻尾を留めている。 ○ 神(かみ) 「神」の古代中国語音は神[djien]と推定される。旧仮名使いで書けば、神(ジン)
ではなくて神(ヂン)である。神の声符は申であり、申[sjien]
と
発音が近い。一方、申を声符と する漢字に「坤」があり、乾坤一
擲のように坤(コン)と発音する。「坤」の古代中国語音は坤
[khuən]
と
推定されることから、「神」も、ある時代、ある地方で、神(コン)と発音されてい た可能性がある。日本語の神「かみ」は古代中国語音の神[khuən] に依拠した弥生音である可能 性も否定できな
い。 例:伎楽・支配、嗅覚・臭気、 乾
坤・神仙、嗜好・伯耆、参詣・趣旨、威嚇・赤面、 このほかにも金庫(キンコ)・馬車(バシャ)、 宦官(カンガン)・臣民(シ ンミン)、などを あげることができる。「薦」の訓が「こも」であり、音が「セン」であるのも、薦「こも」が弥 生時代の 中国語からの借用語であることを示唆している。カ行音が古く、サ行音が新しい。中国 の言語学者王力はつぎのように述べている。 舌 端音の[tz]、[ts]、 [dz]、 [s]、 [z] の うち、i介 音を伴うものは、調音の位置が後退して、漸次[tj]、[thj]、 [sj] に 変わっていった。また、舌根音の[k]、[kh]、 [g]、 [x]、 [h]もi介 音を伴うものは調音の位置が前に移って[tj]、[thj]、[sj]に 変わっていった。両者は合流して転移は完了した。(『漢語語音史』p.531) また、台湾の言語学者董同龢は「旨・耆、赤・
郝、示・祁などのts、tz、dzは上古においてはい ずれも[k-]、[kh]、 [g-] であったのではないか」(『上代音韻表稿』p.16)としている。古代中国 語の「神」の声符は
「申」である。「申」の音は坤[khuən]から、神[djien] になり、申[sjien] に変 化したと考えられる。日本語の神(かみ)は
古代中国語の神[khuən] に依拠しており、神(ジ ン)は唐代の漢字音神/djien/
を継承している可能性がある。したがって、日本語
の神(かみ)は 古代中国語の「神」と同源である。 本居宣長は日本の神は中国の神の概念とは違うと『古事記伝』のなかで強調している。確かに日 本の神は、中国の神ともちがう面もある。しかし、それは神 ということばが日本に移入されてか ら、日本の神々をも指すことばとして使われるようになったからであり、その中核をなす概念は中 国の神と同じである。 神(かみ)という言葉は日本語の精霊も、キリスト教の神もイスラム教の神 も取り入れてその外延を広げてきた。古事記が成立するよりずっと古い時代に、お そらく弥生時代 に、中国語の「神」という言葉が日本に入ってきたものである。 ことばは慣用によって意味の範囲を広げることがしばしばある。例えば酒(さけ)である。日本酒は中国の酒とは異なる。しかし、酒(シュ)は中国の酒のこと であり、酒(さけ)が日本の酒だとはいわない。中国の酒も日本の酒も酒(さけ)である。最近ではウイスキーやビールも酒と呼ばれている。 古事記における基本概念のひとつである「天地」についても、弥生時代に中国から移入された概念である可能性がたかい。古事記の記述によれば、応神16年に 百済の和邇が『論語』10巻と『千字文』1巻合わせて11巻を献上したとある。『千字文』は古事記が書かれた当時の漢字の教科書であり、「天地玄黄」で始 まっている。
天地玄黄 「天地」は中国語の成句であり、古事記は『千字 文』の最初の1行を取り入れているのである。『千字文』は文選読みで、つぎのように読む。 テ
ンチのあめつちはクヱンクワウとくろきなり 文選読みは朝鮮半島における両点(音読みと朝鮮語の訓読みを併記する方法)の日本語への応用で ある。朝鮮語では「天」は天(hanal・cheon)であり、「地」は地(stu・ta) である。 朝鮮語の天の訓は天 (hanal)、朝鮮漢字音は天(cheon) である。地の訓は地(stu) であり、朝鮮漢字音は地(ta) である。それ を併記することによって、中国語の 音と朝鮮語の意味を一度に理解しようという方法である。 本居宣長は古事記を「やまとことば」として読みくだすにあたって、文選読みの訓の部分をとって 天地(あめつち)と読んでいる。しかし、「天地」という概 念は中国のものであり、すでに『千字 文』の時代から日本に移入されていた。天地(あめつち)は日本が本格的な文字時代に入る以前に 中国語から入って きた借用語であるり、天地(テンチ)は文字時代以降に日本漢字音として定着し た読み方である。 |
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