第77話 記 紀のなかの朝鮮語の痕跡 

朝鮮半島で最初に建国された高句麗 (BC33~AD668)の言語である高句麗語は日本語とには共通の語彙が多いという。三国史記の地理志には、朝鮮半島の地名がいくつか記されている。こ れらの古地名のなかには、日本語の数詞に酷似したものがある。

  三峴縣  一云密波兮
  五谷郡  一云于次呑忽
  七重縣  一云難隠別
  十谷城縣 一云徳頓忽

  これは、高麗語の地名の発音を漢字の音で示したものである。「三」は「密」であり日本語の三「みつ」に近い。「五」は于次(いつ)、「谷」は呑(たに)で それぞれに近い。「七」は難隠(なな)であり、「十」は徳(とう)であろう。そのほかにも、旦(たに)、烏斯含(うさぎ)、乃勿(なまり)など高麗語の語 彙は日本語に似ている。日本語が高麗語と語彙を共有しているとすれば、倭人が当時の高句麗に住んでいたか、高句麗に住んでいた人々が後に日本列島に渡って きたか、どちらかの可能性がある。

 百済の言語は高句麗と同じであると、中国側の文 献は記録している。百済では支配者は高句麗語を話し、被支配族は韓系に属する馬韓語を使用していたという。『周書百濟傳』(636年)にはつぎのような記 事がある。

  [原文] 王 姓夫餘氏、號於羅瑕、民呼爲鞬 吉支、夏言竝王也、妻號於陸 夏言妃也
  []  王の姓は夫餘氏である。支配族の言語では王はオラカといい、被支 配民は王をケン キルチと    呼んでいる。王の妻である妃はオリクという。

ここで興味深いのは、これらの百済語の読み方が、 日本書紀に伝えられていることである。日本書紀では朝鮮関係の記述のなかで、「王」を「コニキシ」、「コキシ」、「オリコケ」と訓み、「夫人」を「オル ク」あるいは「オリク」と読んでいる。「コニキシ」は周書の「鞬吉支」 にあたり、「オリコケ」は「於羅瑕」に、「オルク」「オリク」は「於陸」に相当する。

任那王(コキシ)(垂仁2年)、新羅國(コキシ)垂仁3年)、百濟(コキシ)(神功49年)、高麗(コキシ)(應神37年)、狛国(コマノクニ)香岡(ヌタノス)上 王(オリコケ)(欽明6年)、狛王(コマノオリコケ)(欽明7年)、

狛王および狛国の香岡上王は、百済本記からの引用という形で日本書紀には載せられている。「コニ」は「大」、「キシ」は「君」を意味する。つまり「大君」と いうことになる。「オリコケ」の「オリ」も「大」の意味らしい。日本書紀には「オルク」、「オリク」以外に「ハシカシ」という読み方も伝えられている。

慕尼(ムニ)夫人(ハシカシ)(雄略2年)、 (コキシ)大夫人(ハシカシ)(齋明6年)

「ハシ」は意味不明であるが、「カシ」は中期朝鮮語で「女」または「妻」の意味があるという。『日本書紀』には新羅、百濟などからの渡来人の名が何人も登場する。

 那奇他(ナカタ)(カフハイ)任那)、  (チャクマク)爾解(ニゲ)(百済)、
 古爾解(コニケ)(百済)、 莫古解(マクコケ)(百済)、鼻利(ビリ)莫古(マクコ)
 (百済)、 木刕(モクラ)眯淳(マイジュン)(百済)、 紀臣奈率弥麻(ミマサ)
 河内(カフチノ) 直(アタヒ) 加不至(カフチノ)費直(アタヒ)阿賢移(アケエ)那斯
 (ナシ)
  佐魯麻都(マツ)

地名では爾林(ニリム)高麗)、帯山(シトロモロノ)(キシ)(百済)などがある。

これらの名前を『日本書紀』では日本漢字音で読んでいる。朝鮮半島で使っていた漢字をそのまま使って、それを日本漢字音で読み慣わしているものもある。

朝鮮半島では日本とは漢字の読み方も違っていた。たとえば、「甲背」の「背」は甲[keap] の末音の[-p] を背[puək] によって示した末音添記であり、「甲背」と書いて甲背「かひ」と読む。同じように「莫古」の「古」は莫[mak] [-k] を古[ko] で表わしたものであり、「莫古」は「まくこ」ではなく「まこ」と読む。木刕は「木」を朝鮮語の訓で木(nam)と読むから、「木刕」は「なむら」あるいは「なむろ」と読む。「木刕」は「木羅」と書かれていることもあり、「木」とだけ書いてあることもある。「刕」や「羅」 は末音添記であると考えられる。

地名の「爾林」は現代の朝鮮漢字音で読むと爾林(i rim) である。帯山城(しとろもろのさし)の山(もろ)、城(さし)は朝鮮語の訓である。帯の古代中国語音は帯[tat] で あり、朝鮮漢字音では[-t] は規則的にラ行で現れるから、帯(たる)あるいは帯(とろ)となる。

応神25年に百済から渡来したとされる木満致も、日本漢字音で木満致「もくまんち」と読み慣わしているが、これも「なむぢ」と読むに違いない。「木」は朝鮮語で木(nam) である。これを「もく」と音読するのではなく、訓で木(nam) と読ませるために「満」で末音を示したものである。

新羅の万葉集ともいえる郷歌(ひやんが)では、漢字の末音を添記する表記法が行なわれていた。たとえば「春」は朝鮮語の訓で春(pom) である。「春」と書いただけでは、春「しゅん」と音読すべきか、訓で春「ぽむ」と読むか分からない。「春」を確実に春(pom) と読ませるために、郷歌では「春音」と表記して「ぽむ」と読ませている。「春音」の「音」は末音の音(eum) で 春(pom) の末音をあらわしている。「木満致」はそれと同じ表記法を用いたもので、木満致は「なむち」あるいは「なむぢ」であろう。

『日本書紀』には百済人の名が約180人、新羅人が約100人、高麗人が約50名、任那の人が約10人など、朝鮮半島の人の名が多く登場する。百済人は萬智 (まち)、昧奴(まな)、麻那(まな)、莫古(まこ)、麻鹵(まろ)などの名前が多い。阿直岐(あぢき)、直支(とき)のように末音添記の例もみられる。 新羅人は金姓を名のる人が多く、高麗人は雲聰、恵慈、若徳、俊徳、道顕、曇徴など2字の中国風の名前が多い。百済王(こにきし)、嶋君(せまきし)、慕尼 夫人(むにはしかし)、高麗の香岡上王(ぬたのすおりこけ)などは朝鮮半島での呼称を留めている。

 日本では中国人や朝鮮人の名前を日本漢字音で読み習わしてきた。昭和58年崔昌華という牧師がNHKで自分の名前を崔昌華(サイ・ショウカ)と日本語読みしたとして1 円の損害賠償を求める訴訟を起こした。裁判は最高裁まで争われ原告敗訴で結審したが、この裁判がきっかけとなって日本のマスコミは韓国・朝鮮人の名前の読 み方を日本語読みから朝鮮語読みに変えた。古事記日本書紀に登場する朝鮮人の名前は今でも日本語読みのまま残っている。

もくじ

☆第22話 柿本猨とは誰か

★第36話 金印の国「奴国」とは何か

☆第46話 ソウル街角ウオッチング

★第47話 朝鮮漢字音の特色

☆第48話 朝鮮半島の漢字文化

★第50話 日本語のなかの朝鮮語

☆第76話 大国主とは誰か