第70話 古事記解読の方法 本居宣長は『古事記』解読によって、日本の古代について、神について、そして「日本」について解明しようとした。戦後、皇国史観は日本の歴史解釈から姿を 消した。『古事記』は神話であり、歴史ではないとして日本史の聖典としての位置を失った。しかし、『古事記』が日本語の歴史にとって重要な証人であること には変わりなく、その点では宣長の『古事記傳』は今もその輝きを失ってはいない。 日本には文字はなかったから『古事記』は中国語を表記するための文字である漢字を援用して書かれている。しかし、『古事記』に書かれていることばは中国語 ではなく日本語である。中国文化との接触は弥生時代の黎明とともにはじまった。弥生時代は遅くとも紀元前3世紀にははじまっているので、『古事記』成立の 少なくとも1千年まえには、中国文化の影響は日本列島に及んでいたことになる。このことは、青銅鏡をはじめ弥生時代、古墳時代の考古学出土品によって裏づ けることができる。 日本語もまた、『古事記』成立の1千年まえから、中国語や朝鮮語の影響をうけ続けていたに違いない。『古事記』はその痕跡を留めている。そういう観点か ら、「八雲たつ出雲」の段を解読してみることにする。本居宣長は『古事記傳』でつぎのように日本語として読み下している。
故(かれ) 是以(ここをもて) 其(その) 速須佐之男(はやすなおを) 命(のみこと)、宮(みや) 可(べき)ニ造
作(つくる)一
之
地(ところを)求(まぎたまひき)ニ
出雲(いづもの) 國(くに)一。
爾
(ここに)到(いたり)ニ坐
(まし)須賀(すがの)地(ところに)一
而(て) 詔之(のりたまはく)、 吾(あれ) 来(きまして)ニ
此地(ここに)一、我
(あが) 御心(みこころ) 須賀須賀斯(すがすがし)而(とのりたまひき) 其地(そこになも) 作(つくり)レ宮
(みや) 坐(ましましける)。 故(かれ)其地(そこを) 者(ば) 於(に)レ今
(いま) 云(いふ)ニ須
賀(すがとぞ)一
也。
玆(この)大神(おほかみ)初(はじめ)作(つくらしし)ニ
須賀(すがの)宮(みや)一之
時(ときに)、自(より)ニ其
地(そこ)一雲
(くも)立騰(たちのぼりき)。爾(かれ)作(よみしたまふ)ニ御
歌(みうた)
一。
其(その)歌(みうたは)日、
夜久毛多都、伊豆毛夜幣賀岐、都麻碁微爾、夜幣賀岐都久流、曾能夜幣賀岐袁。 於(に)レ是 (ここ) 喚(めして)ニ其 (かの)足名椎(しなづちの)神(かみを)一、 告(の り)三言 (たまひ) 汝(いまし)者(は) 任(たれと)ニ 我 (あが)宮(みや)之(の)首 (おびと)一 且(また) 負(おほせたまひき)ニ 名 號(なを) 稲田(いなだの) 宮主 (みやぬし) 須賀之(すがの)八耳(やつみみの) 神(かみと)一 (『古事記傳九之巻』) 本居宣長は『古事記』の解読にいくつかの工夫を している。 (1)漢字を訓読みして「やまとことば」を復元し ている。 故
(かれ)、是(ここ)、以(もち)、男(を)、速(はや)い、命(みこと)、宮(みや) 『古事記』冒頭の「天地初発之時」では「地」を地(つち)と読んでいるが、ここでは地(ところ) と読んでいる。「其」は「其速須佐之命」では「その」と も読まれ、「其足名椎神」では「かの」とも 読まれている。「其地」は「そこになも」と文脈によって読み分けている。中国語の成句は初発(は じめ)、造 作(つくる)と読んでいる。 (2)漢字の音を使って日本語を表記している。
須賀須賀斯(すがすがし)、 (3)原文にはない、日本語の助詞を補っている。 是を以て、 速須佐之男の命、可造作地を、出雲の國に、 爾(ここ)に、須賀の地に、此地に、 我が、須賀須賀斯(すがすがし)と、其地になも、 其地を者、云須賀とし、玆(こ)の大 神、須賀の宮、時に、其のみ歌は、 其の足名椎の神を、任(たれ)と、 我が宮、稲田の宮、須賀之八耳の神と 代名詞には助詞が表記されていないことが多い のでそれを補っている。
是(ここを)、其(その)、此地(ここに)、
我(あが)、其地(そこになも)、其地(そこ 原文に助詞が漢字で書いてある場合は原文によ る。 速 須佐之(の)男、造作之(を)地、到ニ坐 須賀地一而(て)、 須賀須賀斯而(と)、其地者(をば)、於(に)レ今也、 作ニ須 賀宮一之(し) 時、自ニ(より)其地一、 其歌日(は)、於(に)是、汝者(は)、 我宮之(の)首、須賀之(の)八耳神 (4) 日本語の用言には、活用語尾などを補っている。 造
作(つく)る、求(ま)ぎたまひ、到り、
詔之(の)りたまはく、作り、坐(まし)ましける、
云ふ、作らしし、立ち騰(のぼ)りき、
作(よみ)したまふ、喚(め)して、告言(の)りたま
ひ、任(た)れ、負(おほ)せたまひき、 活用語尾を添記したと思われる表記もある。 可
造作之地、 作須賀宮之時、
詔之、 作須賀宮之時、 「之」は「宮可造作之地」では「造作(つくる)べき地(とこ ろ)」、「作須賀宮之時」は「須賀の 宮を作ら しし時に」、「詔之」は「詔(の)り たまはく」のように読み分けられている。「之」を動 詞「作」、「詔」などにつけて用いる用法は新羅の誓記体と同じである。 (5)日本語の尊敬、謙譲の表現は、原文にないも のも補っている。 求
(ま)ぎたまひ、詔之(のり)たまはく、来まして、
須賀須賀斯(すがすがし)と 原文に敬語表現が表記されている例もある。 御心
(みこころ)、御歌(みうた)、到坐(いたりまし)、作坐(つ
くりましましける)、 「御歌」の場合は、表記のうえからも御歌(みうた)と読めるが、「其歌」も其歌(そのみうた) と読んでいる。本居宣長は速須佐之男命に対する尊崇の念から、「其歌」を其歌(みうた)と読むべきだと考えた。しかし、太安万侶が「其歌日」と書いた とき「その歌にいはく」を意図して書いた か、「そのみ歌にいは く」と読んでもらうつもりで書いたかは定かでない。本居宣長の読み方は読 みくだしというよりも、日本語への翻訳であろう。 同じ漢字がいくとおりにも読みわけられている場 合もある。 須
賀の地に到り坐し而詔り之(たまはく)、吾此地に来まして、我が御心スガスガシ而(のりたま ひて) 最 初の「而」は「て」と読み、つぎの「而」は「のりたまひて」と読ましている。また、「詔」は 「のる」としているが、「而」も「のりたまひて」と読んでいる。 この段は地名起源譚で、須賀の地名の由来が語ら れている。スサノオの命が出雲の国に来て、宮を 作る場所を探していた。須賀の地についた時、「我ここに来て、心がスガスガしい」といって、宮 を造 営した。宮を作った時、雲がたちのぼったので、歌を作った。 八 雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を そして、ア シナヅチの神を呼んで「汝はこの宮の首(おびと)になれ」といわれて、イナダの宮 主スガノヤツミミの神と名づけた。須賀は現在の島根県大原郡大東町須 賀の地で、ここには神社が 祀られている。本居宣長は『古事記傳』のなかで、概ねつぎのように述べている。書紀に、「遂に 出雲の清地(スガノトコ ロ)に到ります」とあって、「清地これを素鵞という」と注がある。「我が 御心須賀須賀斯」のところは、書紀には「すなわち言日(コトアゲシタマハ ク)、吾心清浄之(ス ガスガシ)」とある。このことばの意味は濯々斯伎(スゝガスゝガシキ)である。 古事記』は漢字で書かれているが、漢語あるい は漢語由来の日本語はまったく使われていないの だろうか。「八雲立つ出雲」の段について考察してみる。 ○
須賀(スガ) 「すがすがし」は古事記では「吾御心須賀須賀斯」、日本書紀では「吾心清清之」 と書かかれている。日本書紀には地名の「清地」を「ス
ガ」と読むという注があることから、古 事記の「須賀」が「清」をあらわしていることは確実である。「清」の古代中国語音は清[tsieng] であり、古代中国語音は清[tsieg]に
近い。「須賀」の「須」は「清」の頭音をあらわし、「賀」 は「清」の韻尾音に対応している。日本語の「すがすがし」は中国語の「清」の弥生音であ
る清(すが)を重ねたものである可能性がある。『古事記』の天の日矛の段には「清日子」とい う人物が登場するが、この人の名は「すがひこ」と
読
む。古事記歌謡には「清し女(め)」 ○吾(あれ)、我(わが) 古代中国語の吾[nga]、我[ngai]の借用語である。朝鮮語では鼻濁音の [ng-] は語頭にくることはないから、朝鮮漢字音では吾(o) であり、我(a) であり、現代中国語音 は吾(wu)、我(wo)である。日本語の吾(あれ)、我(わが)は古代中 国語が朝鮮半島に定着し て、その後日本語に移入された弥生音である。「あれ」の「れ」は誰(たれ)などの類推であろ う。「れ」は人(ren)をあらわすことばとして用いられている可能性もあ る。朝鮮語では「私」の ことを私(uri)といい、その影響も考えられる。「汝」も古代日本 語で汝(な)あるいは汝(な れ)として用いられる。 ○ 今(いま) 古代中国語の今[kiəm] の語頭音が失われたものである。古代日本語では古 代中国語 の頭音[k-] が失われることがある。 例:犬[khyuan] い
ぬ、 甘[kam]あ
まい、禁[kiəm]い
む、居[kia]い
る、弓[kiuəm]
ゆ
み、 王力は『同源字典』のなかで、景[kyang]・影[yang]、公[kong]・翁[ong]は同源であるとしてい る。中国語でも語頭 の[k-] は脱落することがある。 ○ 時(とき) 古代中国音は時[zjiə] である。「時」は特[dək] と声符が同じであり、古代中国語音は 時[dək] に近かった可能性がある。「やまとことば」の時 (とき)は古代中国語の「時」の弥生音 である。 ○ 命(みこと) 古代中国語音は命[mieng] である。「命」の弥生音は命(みこ)である。「い もう と」が「妹人」に由来するように、「みこと」は「命人」である。 ○出雲(いづも) 「出」の古代中国語音は出[thjiuət]である。古代中国語の[th-]は濁音に近く、日 本漢字音でも土[tha]、唾[thuai]、呑[thən]などは濁音で発音されている。古代の日本語には濁 音で 始まることばはなかった。そのため、出[thjiuət]「でる」の前に母音「い」を加えたのであろう。 同じような例としては、伊豆、伊賀、伊達、井出、井手などをあげることができる。泉 [dziuan](いづみ)、挑[dyô](いどむ)、疼[duəm](いたむ)、何[hai](いかに)なども「い」 を加えた例であろう。 古代日本語では濁音が語頭に立つことがなかったから、語頭の濁音の前に 母音をおいたものと思われる。 ○ 雲(くも) 古代中国語音は雲[hiuən]である。中国語の[h-] は喉音で日本語にはない音であり、 日本語では カ行で代替される。古代中国語の喉音[h-] は随唐の時代以降[-iu-] 介音の前では失われ て雲/iuən/ になった。雲(ウン)は唐代以降の中国語音に依拠 したものであり、雲(くも)は古 代中国語音を継承している。古代中国語の熊[hiuəm] も唐代以降は熊/jiuəng/ となった。「雲」、 「熊」の訓読みと音読み は、雲(くも、ウン)、熊(くま、ユウ)であり、訓は古代中国語音に 依拠し、音は唐代以降の中国語音を反映している。 ○ 名(な) 古代中国音は名[mieng]である。頭音の[m-] は鼻音であり[n-] と調音の方法が同じなの で転移しやすい。日本 語ではほかに無(ない・ム)、苗(なえ・ミョウ)、鳴(なく・メイ)、 眠(ねる・ミン)、などの例があげられる。また、中国語の韻尾[-ng] は日本語ではしばしば失 われることがある。古 事記歌謡でも夜麻登「やまと」のように、登[təng] が「と(乙)」に用いら れている。「名」も韻尾の[-ng] が脱落して、日本語の「な」になったものである。 ○ 作(つくる) 古代中国語音は作[dzak]である。日本語の「つくる」は中国語の「作」が日 本語 に取り入れられて、動詞として活用するようになったものである。中国語原音の[ts-]、[dz-]は弥 生音ではタ行であらわれることがある。 例:絶[dziuat] (た える)、漬[dziek](つ ける)、 サ行音はタ行音が摩擦音化したものであり、作 (サク・つくる)、絶(ゼツ・たえる)、漬 (シ・つける)はいずれも、タ行音が古く、サ行音のほうが新しい。現代の日本語では濁音の 「じ」 と「ぢ」、「ず」と「づ」は、区別が失われて合流している。 ○ 来(くる) 古代中国語音は来[lə]である。しかし、スエーデンの言語学者カールグレ ンは 「来」の祖形は来[glə]であったと推定している。その理由は、中国語には 「楽」のように、楽 (ガク)とも楽(ラク)とも読める漢字がいくつかあるからである。 例:各(カク)・落(ラク)、監(カン)・藍(ラン)、兼(ケン)・
簾(レン)、 日本語の「来る」は古代中国語の来[glə]を留めている可能性がある。日本語にはこのような 例がほ かにもいくつかある。 例:栗(リツ・くり)、辣(ラツ・からい)、輪(リン・くるま)、嫌 (ケン・きらう)、 この短い文章のなかからだけでも、中国語起 源の「やまとことば」をいくつも探しだすことが できる。 かれ、こゝをもて、そのハヤスサノヲの命(みこと)、みや造作(つくる)べきところを出雲 (いづも)のくにに、まぎたま ひき。ここに須賀(=清・すが)の ところに、いたりまし、吾 (あれ)こ こに来(き)ま して、我(あ)が みこころ須賀(=清・すが)須賀(= 清・すが)し とのりたまひて、そこになも、みや作(つくり)ましましけ る。かれ、そこをば今(いま)に、 須賀(=清・スガ)とぞい ふ。このおほ神(かみ)、 はじめ須賀(=清・スガ)の みや作(つ く)ら しし時(とき)に、 そこより雲(くも)た ちのぼりき。かれ、みうたよみたまふ。 や雲(くも)たつ 出雲(いづも)やへがき
つまごみに やへがき作(つく)る ここに、アシナ ヅチの神(かみ)を めして、いましは我(あ)が みやのおびとたれと、のりたま ひき。また名 (な)をイナダのみやぬし須 賀(=清・すが)のヤツミミの神 (かみ)とおほせた まひき。 このほかにも中国語起源の思われる語彙がいくつか含まれている。カールグレンは国(=郡・く に)、垣(=槅・かき)、稲(=秈・しね)も中国語からの 借用語だという。宮(みや)は廟(ビョ ウ)、立(たつ)は立(リツ)の転移したもの、田(た)は田(デン)の韻尾が脱落したものである 可能性もある。 本居宣長は呉音、漢音以外の ものはすべて「やまとことば」であると考えた。しかし、いわゆる 「やまとことば」のなかには、古代中国語音に依拠する弥 生音の借用語が隠されている。古代中国語音に関する研究は、『詩経』の韻の研究などを通じて進みつつあるが、まだ復元された古代音は学者によって開 きがある。朝鮮漢字音、ベトナム漢字音、さらには日本語の訓との関係も含めて、古代中国語音の研究がさらに進めば、古代の日本語の姿は、より明らかにな るはずである。 |
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