第200話
めぐる(廻)の語源
【めぐる(廻)】
月
にけに日(ひ)に日に見とも今のみに飽(あ)き足らめやも白波のい開(さ)き廻(めぐ)れる住吉(すみのえ)の濱(万931)
「其
地より廻(めぐ)り幸(いでま)し熊野村に到りましし時大熊髣(ほの)かに出(い)で入(い)る卽ち失(う)せき。」(記、神武)
古代中国語の「廻」
は廻[huəi] である。日本漢字音は廻(カイ・みる・まはる・も
とほる・めぐる)である。廻[huəi] の祖語は廻[hmuəi] に近い音であったと推定される。日本語の「めぐ
る」「まはる」などは上古中国語の廻[hmuəi] が転移したものであろう。「みる・めぐる」は廻[hmuəi] の入りわたり音[h-] が脱落したものである。
参照:第198話【みる(廻)】、第196話【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ(覓・求)】、第197話【まもる(護)】、【まる(丸)】、第198話【みや(宮)】、【みやこ(京)】、【みる(見)】、【むかふ
(向)】、第199話【むね(胸)】、【むら(郡)】、【むれ
(群)】、
【めのと(乳母)】
「爰
(ここ)に磐坂(いはさかの)皇子の乳母(めのと)有り。奏(まう)して曰(いは)さく、『仲子は上の歯堕落(おち)たりき。斯(これ)を以て別くべ
し。』とまうす。是(ここ)に、乳母(めのと)のまうすに由(よ)りて髑髏(みかしらのほね)を相(あひ)別くと雖(いへど)も、竟(つひ)に四支・諸骨
を別くこと難(かた)し。」(顕
宗紀元年)
緑
兒(みどりご)の爲こそ乳母(おも)は求むと言へ乳(ち)飲めや君が乳母(おも)求むらむ
(万2925)
「めのと」は母親に
代わって子どもに乳を飲ます人である。「ちおも」あるいは「おも」とも呼ばれたようである。 古代中国語の「乳」は乳[njia] である。日母[nj-]は明母[m-] の口蓋化したものであるから、「乳」の祖語は乳[mia] あるいは乳[ma] に近い発音だったものと推定できる。日本語の「め
のと」は「乳(め)+の+と(ひと)」であろう。 「おも」は中国語の母[mə]の語頭に母音が添加されたものである。朝鮮語の母(eo-meo-ni)も同源である。日母[nj-] がマ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。 例:乳部みぬめ、女[njia]め、むすめ・をとめ、汝[njia]みまし・な、稔[njiəm]みのる、耳[njiə]みみ、
参照:第165話【おも(母)】、第198話【みぶ(乳部)】、
【も(妹)】 旅
と云へど眞旅(またび)になりぬ母(も=妹)が着せし衣(ころも)に垢(あか)つきにかり
(万4388)
この歌は音仮名だけ
で書かれているので母(も)という漢字が使われているが、意味は妹(も)である。古代日本語では「妹」は「いも」という形であらわれることが多い。古代中
国語の「妹」は妹[muəi]である。現代日本語の妹(いもう
と)は「いも(妹)+ひと(人)」である。
参照:第163話【いも(妹)】、
【も(面)】
坂
越えて安部の田の毛(も=面)に居る鶴(たづ)のともしき君は明日さへもがも(万3523)
万葉集の表記では毛[mô] となっているが、意味は「面」である。古代中国語
の「面」は面[mian] である。日本語では「も」あるいは「おも」「おも
て」であらわれることがある。日本語の「おも」は面 [mian]の語頭に母音が添加され、韻尾の[-n]が失われたものである。 参
照:第165話【おも・おもて(面)】、
【も(方)】
天
の下四方(よも)の人の大船の思ひたのみて天(あま)つ水仰ぎて待つに、、(万
167)
難波の宮は聞(きこ)し食(を)す四方(よも)の國より獻(たてまつ)る貢(みつぎ)の船は、、、(万436)
紫
草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻故に吾戀ひめ八方(やも)
(万21)
最後の歌の「八方(やも)」(万21)
は音借である。古代中国語の「方」は方[piuang] である。古代日本語の「も」は方[piuang] の韻尾[-ng] が失われたものである。頭音の[p-] は[m-] と調音の位置が同じであり転移しやすい。
【もし(若・如)】
君
が往(ゆ)き若(もし)久(ひさ)にあらば梅柳誰(たれ)とともにか吾が蘰(かづら)かむ (万4238)
「如
(もし)姉と相見えずば吾何ぞ能く敢(あへ)て去らむ。」(神代紀上)
古代中国語の「若」
「如」は若[njiak]・如[njia] である。上古音は若[mak]・如[ma] に近い音であったと推定される。日本語の「もし」
は音義ともの「若」「如」に近く、中国語の祖語に依拠している。中国語の「若」「如」にも、それぞれ日本語の「もし」にあたる用法があり、日本語の「も
し」は中国語の若[njiak]・如[njia] と音義ともに近い。
参照:【めのと(乳母)】、第198話【みぶ(乳部)】、
【もだす(黙)】
辱
(はぢ)を忍び辱を黙(もだ)して事も無くもの言はぬ先に我は依(よ)りなむ(万3795)
黙
然(もだ)居(を)りて賢(さか)しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするに尚如(し)かずけり(万350) 咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの山吹を見せつつもとな(万3976)
古代中国語の「黙」
は黙[mək] である。日本語の「もだす」は音義ともに中国語の
「黙」に近い。江南地方の中国語音では韻尾の入声音[-p][-t][-k] は弁別されず、いずれも[-t]に近い閉鎖音である。日本語の「もだ+す」は江南
地方の中国語音に依拠したものと考えられる。「もだ+す」の「す」は「する」である。黙(もだ)は名詞にも使い、動詞にも使う。 同じ声符をもった漢字に黒[xək] がある。声符「黒」の祖語は黒[hmək] であったものと推定される。黙(もだす)は入りわ
たり音[h-] が脱落したものであり、黒(コク・くろい)は入り
わたり音[h-]の発達したものである。 参照:第171話【くろ(玄・黒)】、
【もち(望)】
望
月(もちづき)の満(た)れる面(おも)わに花の如(ごと)咲(ゑ)みて立てれば夏蟲の火に入(い)るが如(ごと)、、(万1807)
望
(もち)降(くた)ち清き月夜(つくよ)に吾妹兒(わぎもこ)に見せむと念(おも)ひし屋前(やど)の橘(たちばな)(万1508)
古代中国語の「望」
は望[miuang] である。日本語の「もち」は中国語の「望」と音義
ともに近く、同源であろう。韻尾の[-
ng] は祖語では[-k]であったと考えられているが、日本語ではタ行であらわれることもある。。韻尾の[-k] が日本語でタ行であらわれる例はあまり多くははい
が、前の項黙[mək] (もだす)、のほか龍[liong](たつ)、筒[dong](つつ)、などをあげることができる。 望[miuang] は満[muan] に音が近く、「望月」は「満月」である。満[muan] の古音は満[muat] に近く、訓では満(みつる)である。 日本語の「もち」は中国語の「望」と同源である。
参照:第198話【みつ(満)】、
【もと(本・元)】
春
霞立ちにし日より今日までに吾が戀止まず本(もと)の繁けば(万1910)
「素
戔嗚尊(すさのをのみこと)對(こた)へて曰はく吾元(もと)より黒(きたな)き心無し。」(神代紀上)
古代中国語の「本」
「元」は本[puən]・元[ngiuan]である。語頭の[p-][ng-]はいずれも鼻音であり、[m-] と調音の方法が同じである。
調音の方法が同じ音は転移しやすい。 また、韻尾の[-n]は祖語では一般に[-t]であったと考えられている。「本」の祖語は本[puət]、「元」の祖語は原[nguat]に近かったと推定できる。 中国語音韻史のなかで上
古音の入声韻義[-t]が[-n]に変化し、[-k]が[-ng]に変化したことは、よく知られている事実である。日
本語の「もと」は音義ともに中国語の「本」「元」に近く、「本」あるいは「元」と同源である。
【もとほる(廻)】
大
殿(おほとの)の此の廻(もとほり)の雪な踏みそねしばしばも降らざる雪ぞ山のみに降りし雪そゆめ寄るな人やな履(ふ)みそね雪は(万4227)
鶉
(うづら)こそい匍(は)ひ廻(もとほ)れ猪鹿(しし)じものい匍(は)ひ拜(をろが)み鶉なすい伊波比(いはひ)毛等保理(もとほり)、、、(万239)
古代中国語の「廻」
は廻[huəi]である。「廻」の日本漢字音は廻(カイ・みる・ま
はる・めぐる・もとほる)である。すでに【みる(廻)】の項でも述べたが、「廻」の祖語は廻[hmuəi] に近い音であったものと推定される。「もとほる」
の「も」は廻[hmuəi]の入りわたり音[h-]が脱落したものである。「廻」に廻(もとほる)という読み
があることは、「廻」の祖語には廻[hmuət] のような韻尾があった可能性を示唆している。 董同龢は『上
古音韻表稿』のなかで「回」の上古音を回[hiwəd] と再構している。「廻」の祖語は廻[hmuəd] に近い音であったと考えることができる。そして、韻尾の[-d]の痕跡が日本語の「もとほる」となってあらわれているのであろう。
参照:【めぐる(廻)】、第198話【みる(廻)】、第164話【うみ(海)】、第
173話【こめ(米)】、
【もの(物)】
生
(い)ける者(もの)遂(つひ)にも死ぬる物(もの)にあれば今(こ)の世(よ)なる間(ま)は樂しくもあらな(万349)
橘
の蔭履(ふ)む路(みち)の八衢(やちまた)に物(もの)をぞ念(おも)ふ妹(いも)に逢(あ)はずして(万125)
古代中国語の「物」
は物[miuət] である。日本漢字音は物(ブツ・もの)である。日本語の物(もの)は中国語の韻尾[-t] がナ行に転移したものである。[-t][-n][-d] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。日本語の物(もの)は中国語の「物」と同源である。
日本語の五十音図では、タ行の濁音はダ行だと考えられているが、ダ行はナ行の濁音でもある。ナ行は半濁音であり、タ行、ナ行、ダ行の関係は次のように整理できる。
(タ行)清音[-t]
(ナ行)鼻濁音[-n]
(ダ行)濁音[-d] ハ行、マ行、バ行の関係についても次のような関係が成り立つ。
(ハ行)清音[p-]
(マ行)鼻濁音[m-]
(バ行)濁音[b-] 【もゆ(萌)】
「國
稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時、葦牙(あしかび)の如く萌(も)え騰(あが)る物に因(よ)りて成りま
せる神の名は宇摩志阿斯訶備比古遲(うましあしかびひこぢの)神。」(記、上)
春
雨に毛延(もえ)し楊(やなぎ)か梅の花ともに後れぬ常の物かも(万3903)
古代中国語の「萌」
は萌[məng]である。日本漢字音は萌(ボウ・もゆ・もえる)で
ある。訓はマ行であり、音はバ行である。前項【もの(物)】で述べたように、バ行はハ行の濁音であるとともに、マ行の濁音でもある。日本語の「もゆ」は中
国語の「萌」と同源である。
【もゆ(燃・燎)】
吾
妹子(わぎもこ)に逢(あ)ふ縁(よし)を無み駿河なる不盡(ふじ)の高嶺(たかね)の燃(も)えつつかあらむ(万2695)
念
(おも)はぬは妹(いも)が咲(ゑ)まひを夢(いめ)に見て心の中(うち)に燎(も)えつつぞをる(万718)
古代中国語の「燃」
は燃[njian] である。日本漢字音は燃(ネン・もえる・もゆ)で
ある。日母[nj-] の祖語は明[m-] であったものと考えられる。そのため、中国語の日母[nj-]はしばしば、音ではナ行であらわれ、訓ではマ行であ
らわれる。
例:女[njia](ニョ・ジョ・め)、汝[njia](ニョ・ジョ・な・みまし)、稔[njiəm](ネン・みのる)、 耳[njiə](ニ・ジ・みみ)、若[njiak](ニャク・ジャク・もし・わかい)、
古代日本語では「燎」も「もえる」に使われてい
る。「燎」の古代中国語音は燎[liô]である。[l-]と[m-]は音が近く、陸[liuk]と睦[miuk]、命[mieng] と令[lieng] は声符は同じだが、ラ行とマ行に読み分けられてい
る。「燎」は音が燎(リョウ)であり、訓が瞭(もゆ)で、マ行とラ行に分かれているが、意味は近い。日本語の「もゆ」は中国語の「燃」あるいは「燎」と同源であ
ろう。 万葉集を書いた史(ふひと)は8世紀よりずっと以前に和音化された、漢字音を熟知していたから、「もえる」に「燃」や「瞭」の文字をあてはめることができたに違いない。
【もり(森)】
大
野路は繁道(しげぢ)森徑(もりみち)しげくとも君し通はば徑(みち)は廣けむ(万3881)
「但
し上頭(みね)に樹林(はやし)在(あ)り、此れ則ち神の杜(もり)なり。」
(出雲風土記秋鹿
郡)
古代中国語の「森」
は森[siəm]である。日本語の「もり」には杜[da]があてられることもある。しかし、いずれも日本語
の「もり」とは音が対応しない。 日本語の「もり」は朝鮮語(moe) と同源であろう。記紀万葉の時代にはまだ朝鮮語の
ハングルはできていなかったので朝鮮語の(moe) が日本語の「もり」の語源であることは知るよしも
なかった。そのため日本語の「もり」には、中国語で「もり」をあらわす「森」あるいは「杜」をあてたのであろう。ハングルが公布されたのは李朝時代(1446年)のことである。
参照:第199話【むれ(山)】、
【もる(漏)】
天
(あま)飛ぶや雁(かり)の翹(つばさ)の覆(おほひ)羽(ば)の何處(いづく)漏(も)りてか霜の零(ふ)りけむ(万2238)
「悉に雨漏れども、都(か
つ)て脩(をさ)め理(つく)ることなく、うつはものをもちてその漏る雨を受けて、漏らざる処に遷(うつ)し避けたまひき。」(記
仁徳)
古代中国語の「漏」
は漏[lo] である。日本漢字音は漏(ロウ・もる)である。中
国語の[l-]と[m-]は音が近い。陸[liuk]と睦[miuk]は声符は同じだが、ラ行とマ行に読み分けられてい
る。また、峰[phiong]と嶺[lieng]も日本語ではともに「みね」である。日本語ではラ
行ではじまる音節はなかったので、中国語の[l-]は日本語ではマ行に転移した。日本語の「もる」は
中国語の「漏」と同源である。
日本語のマ行音の起源は大きく二つのグループに分
けることができる。1.唇音[m]系、2.喉音[h-]系である。
1.唇音[m-][p-][b-]系のことば。
目[miuk] め、幕[mak] まく、覓[mək] まぐ、迷[myei] まとふ・まよふ、免[mian] まぬかる、舞[miua] まふ、眉[miei] まゆ・まよ、命[mieng] みこと、妄[miuang] みだり、敏馬[mien-] みぬめ、麦[muək] むぎ、馬[mea] むま、牧[miuək] むまき、目[miuk] め、妹[muəi] も、面[mian] も、黙[mək] もだす、望[miuang] もち、物[miuət] もの、萌[məng] もえる、斑[pean] まだら、報[pu] むくいる、方[piuang] も、本[puən] もと、峰[phiong] みね、負[biuə] まく、鞭[bian] むち、
2.喉音[h-][k-][k-][g-][ng-]系のことば。
合[həp] まじる、護[ho] まもる、丸[huan] まろ・まる、見[hyan] みる、廻[huəi] みる・まわる、恵[hyuet] めぐむ、廻[huəi] めぐる・もとほる、胸[xiong] むね、向[xiang] むかふ、求[kiu] まぐ、宮[kiuəm] みや、京[kyang] みやこ、禍[khuai] まが、曲[khiok] まがる、郡[giuən] むら、群[giuən] むれ、眼[ngean] め・まなこ、御[ngia] み、源[ngiuan] みなもと、雅[ngea-]美 みやび、迎[ngyang] むかふ、芽[ngea] め、元[ngiuan] もと、
3.調音の位置の近い[n-][nj-][l-]が転移したことば。
稔[njiəm] みのる、乳[njia]部 みぶ・めのと、汝[njia] みまし、耳[njiə] みみ・のみ、女[njia] め・むすめ、若[njiak]・如[njia] もし、燃[njian] もえる、南[nan] みなみ、浪[lang] みだり、亂[luan] みだる、緑[liok] みどり、嶺[lieng] みね、連[lian] むらじ、燎[liô] もえる、漏[lo] もる、
4.口蓋化によって頭音が脱落したことば。
眞[sjien] ま、神[djien] み、身[sjien] み、
古代中国語の[m-] に入りわたり音[h-] があったであろうことは、現代の江南音(上海音)に
その痕跡が残されている。また、同じ声符の漢字がカ行とマ行に読みわけられるなどの事実からしてかなりの蓋然性をもって推定できる。 例:毎(マイ)・海(カ
イ)、物(ブツ)・忽(コツ)、黒(コク)・黙(モク)・墨(ボク)、
古い漢和辞典には切韻が示されていて、唐代の漢字
音の規範をしることができる。例えば諸橋徹次の『大漢和辞典』では次のような例が示されている。 例:海(許亥切)・毎(母罪切・莫佩切・謨杯切)、物(文拂切)・忽(呼骨切)、 黒(迄得
切)・黙(密北切)・墨(密北切・莫佩切・旻悲切)、米(母禮切)、 迷(帛系*批切・民卑切)、 最初の漢字が頭音
(声母)をあらわし、二番目の漢字が韻部(韻尾)をあらわしている。しかし、これらは、隋唐の時代の規範的な音を示しているだけで、それ以上でもそれ以下でも
ない。これらの漢字がなぜ同じ声符をもっているかについては何も語っていない。 切韻は600年頃成立しているが、それ以前の上古
音については『詩経』の韻をしらべたり、中国語の方言音をしらべたりして、音韻学の方法論を駆使して再構するしかない。語源をたどる旅はミッシング・リン
グを探す旅でもある。
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