第201話  や(矢)の語源

 
【や(矢)】
大 夫(ますらを)の弓上(ゆずゑ)振り起し射(い)つる矢(や)を後(のち)見む人は語り繼(つ)ぐがね(万364)
み 雪落(ふ)る冬の林に飃(つむじ)かもい巻き渡ると念(おも)ふまで聞きの恐(かしこ)く引き放つ箭(や)の繁(しげ)くして、、、(万199)

  日本語の「や」には 「矢」「箭」が使われている。 「矢」の古代中国語音は矢[sjiei] である。日 本語の「や」は矢[sjiei]の頭音が口蓋化の影響で脱落したものであろう。口蓋化により頭音が脱落する例はほかにもある。

 例:舎[sjia] シャ・や、世[sjiai] セ・よ、夕[zyak] セキ・ゆふ、山[shean] サン・やま、      

 「箭」は長さや太さをそろえて作った矢のことで、 矢竹の部分を主として箭という。「箭」の古代中国語音は箭[tzian]である。

 【や(舎)】
難 波人葦火(あしほ)燎(た)く屋(や)の煤(す)してあれど己(おの)が妻こそ常めづらしき
(万 2651)
「こ こに山の上に登りて國内(くぬち)を望(みさ)けたまへば、堅魚(かつを)を上(あ)げて舎屋(や)作れる家(いへ)有りき。」(記、雄略)

  古代中国語の「舎」 は舎[sjya] である。日 本語の「や」は舎[sjya] の語頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。 日本語の「や」は中国語の「舎」と同源であろう。
 「屋」の古代中国語音は屋
[ok] である。「屋」は「尸」と「至」からできている。「尸」の 発音は尸[sjiei] であり、「至」は至[tjiei] である。「屋」も「舎」に近い音をもっていたので はあるまいか。しかし、残念ながら辞書にはそのような記述はない。

 【や(彌)】
秀 罇(ほだり)取り堅く取らせ下堅(したがた)く彌堅(やがた)く取らせ秀罇(ほだり)取らす子(記歌謡)
去 年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は照らせれどあひ見し妹は弥(いや)年さかる(万211)

  古代中国語の「彌」 は彌[miai] である。日本漢字音は彌(ミ・ビ)で、漢和辞典に は彌(や)は載っていない。中国語の原音に彌(ヤ)がないからであろう。しかし、日本では弥生時代とか弥太郎など弥(や)と読むことがままある。同じ声符 をもった漢字に爾[njiai]、邇[njiai] などがある。「爾」の祖語は爾[miai] に近い音だった。それが口蓋化して爾[njiai] になった。彌(や)は爾[njiai][nj-] が脱落したものである。

 朝鮮漢字音では中国語の日母[nj-]は規則的に脱落して爾(i)、邇(i) (i)になる。日本漢字音の彌(や)は朝鮮漢字音の影響 を受けたものであろう。古代日本語の音韻構造は朝鮮語のそれに似ている。「彌」は日本語では彌(いよいよ)、彌栄(いやさ か)などのようにも使われる 

蘆 邊(あしべ)より満ち來る潮(しほ)の彌(いや)益(ま)しに念(おも)へか君が忘れかねつる(万617)
昔 見し象(きさ)の小河を今見れば彌(いよよ)清(さや)けく成りにけるかも(万316)

 【やなぎ(楊)】
春 雨に萌えし楊奈疑(やなぎ)か梅の花ともにおくれぬ常の物かも(万3903)
梅 の花取り持ち見れば吾が屋前(やど)の柳(やなぎ)の眉(まよ)し念(おも)ほゆるかも
(万 1353)

 「楊」の古代中国語音は楊[jiang] であり、「柳」は柳[liu]である。楊[jiang] の祖語は楊[jiak] に近かったと推定できる。日本語の「やなぎ」は[jiak] にきょしたものであろう。「や+な+ぎ」の「な」は現代日本語の「の」である。日本語の「やなぎ」は「楊[jiang]+の+木」として日本語に定着してきたものと思われる。

 柳[liu]も日本語では「やなぎ」である。楊(ヨウ)と柳(リュウ)とは共通点はないようにみえる。しかし、[liu] は頭音の[l-] が介音[-i-] の影響で脱落して柳[jiu]に近い音になったものと考えられる。朝鮮漢字音では語頭の[l-] は介音[-i-] が後に続くと規則的に脱落する。

 例:柳(yu)、流(yu)、留(yu)、陸(yuk)、李(i)、利(i)、理(i)、隣(in)など。 

 古代日本語でも、ラ行ではじまる音節はなかったから、介音[-i-] の影響で脱落した。古代日本語では「柳」は柳[jiu] であり、楊[jiang] と音義ともに近かった。日 本語の「やなぎ」は中国語の「楊」あるいは「柳」と同源である。

【やく(焼)】
冬 隱(こも)り春の大野を焼(や)く人は焼(や)き足らぬかも吾が情(こころ)熾(や)く
(万 1336)
網 の浦の海處女(あまをとめ)らが焼(や)く鹽の念(おも)ひぞ焼(や)くる吾が下情(したこころ)(万5)

  古代中国語の「焼」 は焼[ngyô]である。古代日本語では疑母[ng-] が語頭にくることはない。疑母[ng-] は日母[nj-] に近く、介音[-i-][-y-] の影響で脱落することが多い。日本語の「やく」は中国語 の焼[ngyô]の語頭音が介音[-y-]の影響で脱落したものである。朝鮮漢字音では濁音が語頭に立つことがないので頭音の疑母[ng-] は脱落する。

 朝鮮漢字音の例:日本(il-bon)、玉(ok)、魚(eo)、我(a)、五(o)、元(won)、岸(an)、顎(ak)、牛(u)、

 古代日本語でも疑母[ng-] は介音[-i-] の前では脱落することがあった。

 例:魚[ngia]  うを、我[[ngai]  あ<古語>、顎[ngak]  あご、牛[ngiuə]  うし、

  韻尾の[-ô]は中国語祖語では[-ôk] に近く、日本の弥生音ではカ行であらわれる。王力の『同源字典』によると超[thô]・卓[teôk]、照[tjiô]・燿[jiôk]、燋[tziô]・爝[tziôk]などは同源であるという。また、董同龢は「焼」の 上古音を焼[xiog]と再構している。結論として、日本語の「やく」は中国語の 「焼」と同源である。

 【やな(梁)】
古 (いにしへ)に梁(やな)打つ人の無かりせばここもあらまし柘(つみ)の枝は(万387)
「亦 梁≪揶奈(やな)≫を作(う)ちて取魚(すなどり)する者有り。」(神武前紀)

  古代中国語の「梁」 は梁[liang]である。日本語の「やな」は梁[liang] の頭音[l-][-i-] 介音の影響で脱落したものである。現代朝鮮語音で は[l-][-i-] 介音の前では規則的に脱落する。「梁」の朝鮮漢字 音は梁(yang)である。ほかに朝鮮漢字音で語頭の[l-] が脱落する例としてはつぎのようなものをあげることができる。

 例:李(i)、梨(i)、力(yeok)、陸(yuk)、立(ip)、柳(yu)、竜(yong)、旅(yo)、

韻尾の[-ng] がナ行に転移する例としては、峰[phiong] みね、種[diong] たね、常[zjiang] つね、などがある。日本語の「やな」は中国語の「梁」と同源である。

【やま(山)】
あ しひきの山(やま)のしづくに妹(いも)待つと吾立ち沾(ぬ)れぬ山(やま)のしづくに
(万107)

み 芳野の耳我山(みみがのやま)に時じくぞ雪は落(ふ)るとふ、、、その雪の不時(ときじき)が如(ごと)その雨の間(ま)無きが如(ごと)隈(くま)も堕 (お)ちず念(おも)ひつつ來(こ)しその山道(やまみち)を(万26)

  古代中国語の「山」 は山[shean]であり、日本語で表記すれば山(シャン)に近い。日 本語の「やま」は山[shean]の頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。

 【やみ(闇)】
照 る日を闇(やみ)に見なして哭(な)く涙衣(ころも)沾(ぬ)らして干(ほ)す人無しに
(万690)
闇 夜(やみよ)ならばうべも來(き)座(ま)さじ梅の花開(さ)ける月夜にいでまさじとや
(万1452)

  古代中国語の「闇」 は闇[əm]である。「闇」の声符は音[iəm]であることから「闇」も闇[iəm]に近い音であった可能性がある。日本語の「やみ」 は中国語の闇[iəm]と同源であろう。

 【やる(遣)】
人 言(ひとごと)を茂みと君に玉梓(たまづさ)の使(つかひ)も遣(や)らず忘ると思ふな
(万2586)

春 されば百舌鳥(もず)の草濳(ぐ)き見えずとも吾は見遣(や)らむ君が邊(あたり)をば
(万1897)

  古代中国語の「遣」 は遣[kian]である。日本語の「やる」は中国語の遣[kian]の頭音が[-i-]介音の影響で脱落したものであろう。韻尾の[-n]は調音の位置が[l-]と同じでありラ行に転移しやすい。頭音の[k-][-i-]介音の影響で脱落した例としては、次のようなもの をあげることができる。

例:今[kiəm]コン・いま、禁[kiəm]キン・いむ、弓[kiuəm]キュウ・ゆみ、寄[kiai]キ・よる、
  
[kia]キョ・ゐる、擧[kia]キョ・あげる、拠[kia]キョ・よる、遣[kian]ケン・やる、

 【ゆ(湯)】
湯 (ゆ)の原に鳴く蘆鶴(あしたづ)は吾が如く妹(いも)に戀ふれや時わかず鳴く(万961)
「冬 十月に有間(ありまの)温湯宮(ゆのみや)に幸(いでま)す。」(舒明紀10年)

  古代中国語の「湯」 は湯[thang] である。日本漢字音は湯(トウ・ゆ)である。 「湯」と同じ声符をもった漢字に陽[jiang]、揚[jiang] がある。湯[thang][-i-] 介音の発達によって頭音が脱落して湯[jiang]に近い発音もあったのであろう。中国 語の「湯」は次のように変化した。

 [thang]トウ→場[diang] ジョウ→陽[jiang] ヨウ

 日本語の「ゆ」は湯[thang] は口蓋化によって陽[jiang] に近い音になったものに依拠したものであろう。古代日本語には拗音はなかったから、湯[jiang]  は日本語では湯(ゆ)となった。

 【ゆか(床)】
「与 (とも)に床(ゆか)を同くし殿を共(ひとつ)にして、齊鏡(いはひのかがみ)とすべし。」(神代紀下)
「乃 (すなは)ち三(みつ)の床(ゆか)設けて請入(いりま)さしむ。是(ここ)に天孫(あめみま)、辺(ほとり)の床(ゆか)にしては、其の両足を拭ふ。中 の床(ゆか)にしては、其の両手を拠(お)す。内の床(ゆか)にしては眞床覆衾(まどこおふふすま)の上に寛坐(うちあぐみにゐ)る。」(神代紀下)

   古代中国語の「床」 は床[dziang]である。日本語の「ゆか」は床[dziang]の頭音が[-i-]介音の発達によって失われたものである。床[dziang]の祖語は床[dzak] に近かったと推定される。日本語の「ゆか」は[dzak] の韻 尾の痕跡をよく留めている。

 「床」には「とこ」という読 みもある。

 彼 方(をちかた)の赤土(はに)の小屋(をや)に小雨零(ふ)り床(とこ)さへ沾(ぬ)れぬ身に副(そ)へ我妹(わぎも)(万2683)

  「床」の祖語は床[dak] に近い音だったと推定される。床[dak] は頭音が摩擦音化して床[dzak] となり、さらに韻尾が変化して床[dziang] になったものと考えられる。日本語の床(とこ)は古い中国語音おの痕跡をとどめており、床(ゆか)は頭音が失われた中国語音に準拠している。また、日本漢字音の床(ショウ)は頭音が摩擦音化し、韻尾が音便化した段階の中国語音に準拠しているといえる。
参照:第185話【床(とこ)】、

 【ゆく(行)】
奥 山の木(こ)の葉隱(かく)りに行(ゆ)く水の音聞きしより常忘らえず(万2711)
物 部(もののふ)の八十宇治河(やそうぢがは)の網代木(あじろき)にいさよふ浪の去邊(ゆくへ)知らずも(万264)

  古代中国語の「行」 は行[heang]である。「行」の日本漢字音は行(コウ)である。 行(コウ)は中国語の頭音[h-]の痕跡を留めている。「ゆく」は行[heang]  の頭音[h-]  が脱落したものである。喉音[h-]は日本語にはない音であり、カ行であらわれる場合が多いが、介音などの影響で脱落することも多い。7世紀ごろの中国語音では頭音[h- ]は介音[-iu-] の前では規則的に脱落する。
 行
[heang](コウ)は往[hiuang](オウ)に音義ともに近い。古代中国語の喉音[h-] が脱落する例としてはつぎのようなものをあげることができる。

 例:往[hiuang] オウ・ゆく、詠[hyuang] エイ・よむ、雄[hiuəng] ユウ・を、
    泳
[hyuang ]エイ・およぐ、[hiuan] エン・を<古語>、王[hiuang] ワウ・わけ<古語>、

 日本語の「ゆく」と中国語の「行」「往」は同系である。

 日本漢字音のなかには訓のなかに喉音[h-]の痕跡を留めているものもある。

 例:雲[hiuən]ウン・くも、熊[hiuəm]ユウ・くま、越[hiuat]エツ・こえる、

 また、同じ声符をもった漢字をカ行あるいはハ行と ア・ヤ・ワ行で読み分けるものもある。

 例:黄[huang]オウ・コウ・き・廣[kuang]コウ・ひろい、運[hiuən]ウン・軍[kiuən]グン、
   院
hiuan]イン・完[huan]カン、

 同じ喉音[h-]が日本漢字音でカ行にその痕跡を留めているもの と、失われたのもがあるというとは、中国語の喉音[h-]の喪失する過程はかなりゆっくりした、長い時間を かけた過程であったのことを示唆している。

 【ゆづる(譲)】
「大 雀命(おほさざきのみこと)は天皇の命(みこと)に從ひて天下(あめのした)を宇遲能和紀(うぢのわき)郎子(いらつめ)に譲(ゆづ)りたまひき。」(記、応神)
「天 命は以(も)て謙(ゆづ)り距(ふせ)くべからず。」(允恭紀4年)

  古代中国語の「譲」 は譲[njiang]である。日本漢字音は譲(ジョウ・ゆづる)であ る。日本語の「ゆづる」は古代中国語の譲[njiang]の頭音[nj-]が脱落したものである。朝鮮漢字音では日母[nj-]は規則的に脱落する。([--] は古代中国語音をあらわし、(--)  は現代朝鮮語音をあらわす)

 例:譲[njiang](yang)、惹[njiak](ya)、弱[njiôk](yak)、柔[njiu](yu)、乳[njia](yu)
   入
[njiəp](yu)、肉[njiuk](yuk)、熱[njiat](yeol)、日[njiet](il)、、二[njiei](i)

 古代日本語も朝鮮語に近い音韻構造をもっていた。 日本語で日母[nj-]が脱落例としては次のようなものをあげることがで きる。

 例:柔[njiu]やわら、入[njiəp]いる、弱[njiôk]よわい、

 中国語の韻尾[-ng][-p][-t][-k] などは、日本語ではしばしばまたラ行であらわれ る。中国語の韻尾[-ng]がラ行であらわれる例としては次のようなものがあ る。

 例:經[kyeng]ふる、亡[miuang]ほろぶ、狂[giuang]くるふ、香[xiang]かほり、凝[ngiəng]こる、
     通
[thong]とほる、乗[djiəng]のる、

結論として、日本語の「ゆづる」は中国語の「譲」 と同源である。

 


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

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