第197話  まふ(舞)の語源

 
【まふ(舞)】
「是 (こ)の日に小墾田(をはりだの)儛(まひ)及び高麗(こま)、百済、新羅、三國の樂(うたまひ)を庭の中に奏(つかへまつ)る。」(天武紀12年)
「た らちし吉備の鐡(まがね)狭鍫(さぐは)持ち田打つ如(な)す 手拍(う)て子等(こら)吾(あれ)に儛(まひ)せむ。」(播磨風土記、美嚢郡)

  古代中国語の「舞」 は舞[miua] である。日本語の「まふ」は中国語の「舞」と同源 であろう。董同龢は「舞」の上古音を舞[miwag] と再構している。中国語の動詞は活用しないが日本 語の動詞は活用する。「ま+ふ」の「ふ」は上古中国語の韻尾が転移したものではなかろうか。動詞の活用語尾がハ行であらわれる例はかなり多い。

 例:厭[iap](いと+ふ)、負[biuə](お+ふ)、嫌[hyam](きら+ふ)、戀[liuan](こ+ふ)、
   乞
[khiət](こ+ふ)、吸[xiəp](す+ふ)、統[thong](す+ぶ)、傳[diuen](つた+ふ)、
   集
[dziəp](つど+ふ)、迷[myei](まよ+ふ)、拂[piuət](はら+ふ)、祓[piuət](はら+ふ)、

 これらの例のなかには韻尾の[-p] の痕跡を留めたと認められるものもあるが、[-p] 以外の韻尾が転移したと考えざるをえないものも含 まれている。舞(まふ)の「ま」は確かに、中国語の[miua]  と同源であろう。

 【まもる(護)】
「是 (これ)に由(よ)りて毘羅夫連(ひらぶのむらじ)手に弓箭(ゆみや)皮楯(かはたて)を執(と)りて槻曲(つきくま)の家に就(つ)きて晝夜離(さ)ら ず大臣(おほおみ)を守護(まも)る。」(用明紀2年)
し らぬひ筑紫(つくし)の國は賊(あた)麻毛流(まもる)鎮(おさ)への城(き)そと聞(きこ)し食(を)す、、、(万4331)

  古代中国語の「護」 は護[ho]である。上古音は護[hmo] に近い音であったと推定される。日本漢字音は護 (ゴ・まもる)であり、音がカ行であらわれ、訓がマ行であらわれる一群のグループに属する。音は入りわたり音[h-] が発達したものであり、訓は入りわたり音[h-] が脱落したものである可能性が高い。中国語の頭音[k-]、[kh-]、[ng-] が日本漢字音の音ではカ行であらわれ、訓ではま行であらわれる例としては次のようものをあげることができる。

 例:求[kiu](キュウ・もとむ)、球[kiu](キュウ・まり)、禍[khuai](カ・まが)、
   曲
[khiok](キョク・まがる)、宮[kiuəm](キュウ・みや)、京[kyang](キョウ・みやこ)、
   御
[ngia](ゴ・み)、芽[ngea](ガ・め)、眼[ngean](ガン・め)、元[ngiuan](ゲン・もと)

参照:第196話【ま が(禍)】、【まぐ(覓)】、【まがる(曲)】、第164話【う み(海)】、第173話【こめ(米)】、

 【まよ(眉)】
眉 (まよ)の如(ごと)雲居(くもゐ)に見ゆる阿波(あは)の山懸けて榜(こ)ぐ舟泊(とまり)知らずも(万998)
月 立ちてただ三日月の眉根(まよね)搔き日(け)長く戀ひし君に逢(あ)へるかも(万993)

  古代中国語の「眉」 は眉[miei] である。日本漢字音は眉(ビ・まゆ)である。バ行 の濁音はハ行の清音に対応するとされているから、マ行音とは関係ないのではないかと思われがちであるが、マ行はハ行の濁音でもある。また、バ行はマ行の濁 音でもある。

   清音                     鼻濁音                  濁音
  (ハ行)
              (マ行)              (バ行)

  日本語の「眉(まゆ)」は中国語の[miei] と同源である。

 蚕の繭の古代中国語音は繭[ken] であり、字も違い、発音も違うが、日本語の繭(まゆ)は眉(まゆ)の連想から生まれたことばであろう。唐美人の眉は現代の女 性の眉のように切れ長ではなく、額に丸く、あるはやや楕円形に描かれたものが多い。眉の理想形は唐代には繭形であった。万葉集には繭(まゆ)に「眉」の字 をあてたものがいくつかある。 

た らちねの母が養(か)ふ蠶(こ)の眉(まよ)隠(こも)りいぶせきもあるか妹(いも)に逢はずして(万2991)

  時代はくだるが日本の能面の眉も繭形に描かれている。

【まり(鋺)】
「今 日大臣(おほおみ)と同じ盞(さかづき)の酒を飲まむとのらして共に飲む時面(おも)隱(かく)す大鋺(まり)に其の進むる酒を盛る。」(記、履中)

  「鋺」の日本漢字音 は鋺(ワン・まり)である。古代中国語の「鋺」は鋺[uan] である。「鋺」の頭音は合口音であり、両脣を狭める音なので[wuan] あるいは[muan] に近い。そのため、マ行であらわれることがある。
 韻尾の
[-n]がラ行に転移したものである。韻尾の[-n][-l] は調音の位置が同じであり転移しやすい。 

【まろ(丸)】
旅 にすら襟(ひも)解(と)くものを言(こと)繁(しげ)み丸宿(まろね)吾がする長きこの夜を(万2305)

  古代中国語の「丸」 は丸[huan] である。日本漢字音は丸(ガン・まろ・まる)であ る。上古中国語音は丸[hmuan] に近い音であと推定される。入りわたり音[h-]が発達したものが丸(ガン)になり、[h-]が脱落したものが丸(まろ・まる)になった。 「丸」は「円」とも音義ともに近い。
  「円」はの古代中国語音は円
[hmuən] であり、入りわたり音が発達したものが発達したものが円[huən] (ガン)になり、入りわたり音の脱落したものが円[muən]となり円(まる)となった。
参照:【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ (覓・求)】
【まもる(護)】、第164話【うみ(海)】、第 173話【こめ(米)】、

 【み(御)】
吾 が御門(みかど)千代(ちよ)常久(とことば)に榮えむと念(おも)ひてありし吾し悲しも
(万 183)
春 日野の藤は散りにて何をかも御狩(みかり)の人の祈りて挿頭(かざ)さむ(万1974)
御 食(みけ)向ふ淡路の嶋に直(ただ)向ふ敏馬(みぬめ)の浦の奥邊(おきへ)には、、
(万946)

  古代中国語の「御」 は御[ngia] である。日本漢字音は御(ギョ・ゴ・おん・お・ み)である。古代日本語では鼻濁音[ng-] が語頭に立つことはなかったので、御[ngia] は調音の方法が同じマ行(鼻音)に転移して御 (み)となった。記紀万葉の時代には、みたま(御魂)、にきみたま(柔御魂)、みつき(御調)、みよ(御代)、のよう に使われる。
 御(お)は御
[ngia] の語頭音が脱落したものである。朝鮮漢字音御(eo)と同じである。朝鮮漢字音では中国語の疑母[ng-] は規則的に脱落する。古代日本語は朝鮮漢字音に近 かったともいえる

 やがて、日本が本格的な文字時代になって、日本人 が中国語の文章をたくさん読むようになると、その影響を受けて日本語の音韻構造も少しずつ変わってきた。語頭の濁音が弁別されるようになると、「御」は御(ゴ)として日本語のなかに受け入れられるようになった。
 御(ギョ)は
[-i-]介音の発達によるもので歴史的には後発である。

 【み(神)】
山 神(やまつみ)の奉(まつ)る御調(みつき)と春べは花挿頭(かざ)し持ち、、、山川も依(よ)りて奉(つか)ふる神の御代(みよ)かも(万38)

  古代中国語の「神」 は神[djien] である。日本漢字音は神(シン・ジン・かみ・み) である。「神」と同じ声符をもった漢字に天地乾坤の「坤」があり、音は坤[khuan] である。声符「申」には[kh-]の音もあったものと考えられる。日本語の「かみ」 は「神」の祖語である神[khuan] を継承したものであろう。日本語の神(み)は古代 中国語の神[djien] あるいは祖語、神[khuan] の頭音が口蓋化の影響で脱落したものである。参照:第168話【かみ(神)】、

 【み(身)】
戀 するに死(しに)するものにあらませば我が身(み)は千遍(ちたび)死に反(かへ)らまし
(万2390)
露 霜の消(け)やすき我が身(み)老(お)いぬとも又若反(をちかへ)り君をし待たむ
(万3043)

  古代中国語の「身」 は身[sjien]である。日本漢字音は身(シン・み)である。日本 語の身(み)は「身」の頭音が口蓋化の影響で脱落したものであろう。頭音が口蓋化の影響などで頭音が脱落した例としては次のようなものをあげることができる。

 例:眞[sjien] ま、臣[sjien] おみ、息[siək] いき、色[shiək] いろ、秈[shean] しね、織[tjiək] おる、
   神
[djien] み、射[djyak] いる、天[thyen] あめ、赤[thjyak] あか、

 【みこと(命)】
み 吉野の玉松が枝は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通(かよ)はく(万113)
天 皇(おほきみ)の御命(みこと)恐(かしこ)み百(もも)しきの大宮人の玉桙(たまほこ)の道にも出(い)でず戀ふる此日(万948)
天 照らす日女(ひるめ)の命(みこと)(万167)

  日本語の「みこと」 は最初の歌(万113)では「お言葉」であり、二番目の歌(万948)では「ご命令」であり、三番目の歌(万167)では「神」である。
 古代中国語の 「命」は命
[mieng] である。隋唐の時代以前の中国語では韻尾の[-ng][-g] に近かった。日本語の「みこと」は「命言(みこと ば)」あるいは「命人(みこひと)」であろう

 【みだり(浪・妄)】
「勢 (いきほひ)を恃(たの)む男有りて浪(みだり)に他(ひと)の女(むすめ)に要(ことむす)びて未だ納(むか)へざる際(あひだ)に女自(みづか)らに 人に適(とつ)げらば其の浪(みだり)に要(ことむす)びし者嗔(いか)りて、、、」(孝徳紀大化2年)
「天 皇(すめらみこと)因(よ)りて嘖譲(せ)めて曰く、、、妄(みだりがは)しく輙輕(ただち)に答へつるとのたまふ。」(雄略紀13年)

  日本語の「みだり」 には「妄」「浪」の漢字があてられている。古代中国語の「妄」「浪」は妄[miuang]、浪[lang] である。日本語では妄(モウ)はマ行御音であり、 浪(ロウ)はラ行であり、まったく違う系統のことばのにょうに聞こえる。しかし、語頭音の[m-][l-] は調音の位置が近く、相通じる音である。同じ声符 の漢字が[l-] [m-] によみわけられている例がいくつか見られる。

  例:陸[liuk]・睦[miuk]、命[mieng]・令[lieng]、萬[miuan]・勵[liat] など。

 「浪」は日本語の訓では「なみ」である。朝 鮮漢字音でも浪(nang) であり、妄[miuang] に近い。「妄」にも「浪」にも「みだり」の意味が あり、妄[miuang] と浪[lang] は音義ともに近い。

 日本語の「みだり」は中国語の妄[miuang]、浪[lang]に近い。しかし、「み+だ+り」の「だ」とは何かということが問題になる。
 熟語としては妄動
[miuang-dong](軽々しく行動する)あるいは妄断[miuang-duan](勝手な判断)などが中国語にあり、日本語の「みだり」に近い。
 一方、日本語に亂(ラン・みだる)、緑(リョク・みどり)など中国語音の
[l-]を「み+ダ行」であらわしている例があることから、中国語音[l-]の転移とみることもでき る。古代日本語にはラ行ではじまる音節はなかった。[l-][t-][[d-] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。
 韻尾の[-ng] が日本語でラ行であらわれる例にはつぎのようなも のがある。

 例:[giuang] くるふ、香[xiang] かをる、凝[ngiəng] こる、通[thong] とほる、など。

 【みだる(亂)】
我 が刺しし柳の絲(いと)を吹き亂(みだ)る風にか妹(いも)が梅の散るらむ(万1856)
み 吉野の水隈(みくま)が菅(すげ)を編まなくに刈りのみ刈りて亂(みだ)りてむとや
(万2837)

  古代中国語の「亂」 は亂[luan] である。前項【みだり(浪・妄)】で述べたように中国語の[l-][m-]と相通じるところがある。中国語の[l-][m-] は調音の位置が近く、転移しやすい。古代日本語にはラ行ではじまる音節がなかったから、[luan][nuan] あるいは、亂[duan] に転移する可能性は十分に考えられる。また、[duan] は濁音であり、古代日本語では濁音が語頭に立つ音節もなかったから、[m-] が添加されたと考えるのは無理だろうか。
 浪
[lang] が日本語の「みだり」であり、亂[luan] が日本語の「みだる」と対応しているとなると、中 国語の[l-] が古代日本語で「みだ」と二音節になってあらわれ ているというのも、あながち的外れではないかもしれない。もし、浪[lang](みだり)、亂[luan](みだら)が中国語の[l-]が日本語で「みだ」と二音節になっているものだと すると、緑[liok](みどり)も中国語の[l-]が緑(みど+り)に転移したものだとうことにな る。

 弥生時代に稲作や鉄器を通じて中国語との交流が始 まってから日本が本格的な文字時代に入り記紀万葉が成立するまでに約1000年の歳月が流れている。文字時代以前の日本語についてはほとんど分かっていな い。記紀万葉のなかにその痕跡を求めるのだが、痕跡は斑にしか残っていない。

 【みつ(満)】
「國 に烟(けぶり)満(み)てり。故(かれ)人民富めりと爲(し)て今はと課役(えつき)を科(おほ)せたまふ。」(記、仁徳)

  古代中国語の「満」 は満[muan] である。韻尾の[-n]は上古中国語では[-t]であったものが多い。中国語の韻尾は[-t][-n][-k][ng] のように変化したと考えられている。日本語の「み つ」は中国語の上古音満[muat] の痕跡を残している。中国語に満(マン)というこ とばがあって、それと同義の日本語が「みつ」として「やまとことば」のなかに、たまたまあったというわけではない。中国語には同じ声符が[-t][-n] に読み分けられる漢字がいくつかある。[-t] が古く[-n] が新しい。

 例:原因(イン)・嗚咽(エツ)、産(サン)・薩摩(サツ)、

 韻尾の[-n]が日本語でタ行であらわれる例としては、つぎのようなものをあげることができる。

 例:腕[uan]うで、肩[kyan]かた、堅[kyen] かたい、[ngian]こと、断[duan]たつ、楯[djiuən]たて、
   邊
[pyen]ほとり、斑[pean]ふち、面[mian] おもて、

【みづ(水)】
秋 山の樹(こ)の下隱(かく)り逝(ゆ)く水(みづ)の吾こそ益(ま)さめ御念(みおもひ)よりは(万92)
あ しひきの山下動(とよ)み逝(ゆ)く水(みづ)の時とも無くも戀度(わた)るかも
(万2704)
眞 薦(まこも)刈る大野川原の水(み)隱(こも)りに戀ひ來(こ)し妹(いも)が(ひも)解(と)く吾は(万2703)

  古代中国語の「水」 は水[sjiei] であり、日本漢字音は水(スイ・みず)である。日 本語の「みず」は朝鮮語の水(mul) と音義ともに近い。「みず」は朝鮮語の水(mul) と同源であろう。

 【みどり(緑)】
春 は萌(も)え夏は緑(みどり)に紅(くれなゐ)のまだらに見ゆる秋の山かも(万2177)
淺 緑(あさみどり)染めかけたりと見るまでに春の楊(やなぎ)は萌えにけるかも(万1847)

  古代中国語の「緑」 は緑[liok]であり、日本漢字音は緑(リョク・ロク・みどり) である。古代日本語ではラ行の音が語頭に立つことはなかったので中国語の語頭音[l-]は古代日本語ではナ行あるいはマ行に転移した。ラ行音の「緑(リョク・ロク)」が日本語として定着したのは、は奈良時代以降のことである。
参照:【みだり(浪)】、【みだる(亂)】

 【みなみ(南)】
南 風(みなみ)吹き雪消(ゆきげ)益(まさ)りて射水河(いみづがわ)流る水沫(みなわ)の寄る邊(べ)なみ、、、(万4106)
御 食(みけ)向(むか)ふ南淵(みなふち)山の巖(いはほ)には落(ふ)りしはだれか消え遺(のこ)りたる(万1709)

  古代中国語の「南」 は南[nəm] である。日本語の「みなみ」は中国語の南[nəm] と音義ともに近 い。しかし、「み+なみ」の「み」はどこから来たのかという疑問も当然出てくる。
 中国語の鼻音
[n-][m-][nj-]が日本語で二音節であらわれる例な少なからずあ る。

 例:馬[mea] むま・うま、梅[muə] むま・うめ、[myen] ねむる、免[miuan] まぬかる、
   牧[miuək] むまき、[miuan] むなぎ、耳[njia] みみ、[njia] をみな、汝[njia] なむぢ、

 日本語の「みなみ」は中国語の「南」と同源であろ う。東西南北のうち東(ひがし)、西(にし)、北(きた)については語源は不明である。

  日本語と中国語は音韻構造が異なる。中国語は【声 母+介音+主母音+韻尾】という構造になっているのに対して日本語は【頭子音+母音】という構造である。だから中国語で一音節である金[kiəm] は日本語では金(か+ね)となり、浜[pien] は日本語では浜(は+ま)となる。梅[muə] が梅(うめ)、馬[mea] が馬(うま)などのように二音節になることもあ る。

 英語などではもっと音節構造が複雑なため英語で一音節のspringstreetstrikeなどがそれぞれ「スプリング」「ストリート」「ス トライク」のように英語の一音節が、日本語では五音節になっている例さえある。


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

第198話 みなもと(源)の語源