第199話 むぎ(麦)の語源
【むぎ(麥)】
「故
(かれ)殺さえし神の身に生(な)れる物は、、陰(ほと)に麥(むぎ)生(な)り尻に大豆(まめ)生(な)れり。」(記、上)
柵
越しに武藝(むぎ)食(は)む小馬のはつはつに相見し兒(こ)らしあやに愛(かな)しも
(万3537)
古代中国語の「麥」
は麥[muək] である。日本語の「むぎ」は中国語の麥[muək] と同源である。「麥」は「來」と声符が同じであ
り祖語は麥・來[hmuək] に近い音であったと推定できる。麥(むぎ)は上古音の入りわたり音が脱落したものであり、來(くる)は來[hmuək] あるいは來[hluək] の入りわたり音[h-] が発達したものである。同じ声符の漢字がマ行とラ
行に読み分けられる漢字はいくつかある。 例:陸[liuk]・睦[miuk]、命[mieng]・令[lieng]、萬[muan]・勵[liat]、など。
【むくゆ(報)】
「大
丈夫(ますらを)にして虜(あた)が手を被傷(お)ひて報(むく)いずしてや死(や)みなむとよ。」(神武前紀)
古代中国語の「報」
は報[pu] である。「報」の上古音には入声韻尾[-k]があったものと思われる。王力は『同源字典』のな
かで報[pu] と復[biuk] は同源だとしている。また、董同龢は『上古音韻表稿』のなかで「報」の祖語を報[pog] と再構している。[p-][b-][m-] はいずれも唇音であり、調音の位置が同じである。
調音の位置が同じ音は転移しやすい。日本語の「むくゆ」は中国語の報[pu] あるいは復[biuk] と音義ともに近く、同源である。
【むすめ(女)】
「汝
(いまし)、当(まさ)に女(むすめ)を以(も)て吾(われ)に奉(く)れむや」
(神
代紀上)
「是れ誰の子女(むすめ)ぞ
≪女子=牟須女(むす
め)≫」(神代紀下)
古代中国語の「女」
は女[njia]である。日本漢字音は女(ニョ・ジョ・おんな・
め・むすめ)である。女[njia] は女[ma] の口蓋化したもので、上古音は日本語の「ま」あるいは「め」に近い音であったものと考えられる。日本語の女(め)は中国語の女[njia] と同源である。中国語の日母[nj-]が日本語でマ行であらわれる例はいくつかある。 例:稔[njiəm] みのる、汝[njia] みまし、女[njia] め、耳[njiə] みみ、燃[njian] もえる、
「むすめ」の「す」は、「庭つ鳥」「沖つ波」などの「つ」にあたるものであろう。新羅の郷歌の書記法に両
点というのがあって、漢語の読みと朝鮮語訳と重ねる書記法である。日本でも『千字文』や『詩経』を読むときに取り入れられたことがある。
例:天地玄黄
テ
ンチのあめつちは クヱンクワウ・きなり。
宇宙洪荒
ウ
チウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり。(『千字文』)
關關睢鳩
關
關(クワンクワン)たる睢鳩(ショキウ)は
か
うかうとみやこどり
在河之洲
河
の洲に在り
か
はのなかすに
窈窈淑女
窈
窈(エウエウ)たる淑女は
た
をやかの かのひとは
君子好逑
君
子の好逑(カウキウ)
よ
きひとのつま(『詩
経』)
【むち(鞭)】
「乃
(すなは)ち乗(の)れる驄馬(みだらをのうま)に鞭(むち)うちて、頭(かしら)を斉(ひと)しくし轡(くち)を並(なら)ぶ。」(雄略紀9年)
「鞭
无知(むち)、俗に旡遅(むぢ)とも云う。馬策なり。」(和名抄)
古代中国語の「鞭」
は鞭[bian] である。古代日本語には濁音ではじまることばはな
かったので語頭の[b-]は清音「む」に転移した。韻尾の[-n] は上古音では入声音[-t] に近い音であったから、「鞭」の祖語は鞭[biat] に近い音であったと推定できる。日本語の鞭(むち)は中国語の「鞭」の上
古音の痕跡を留めた借用語である。
【むね(胸)】
今
更に妹(いも)に逢(あ)はめやと念(おも)へかも幾許(ここだ)吾が胸(むね)欝悒(おほほ)しからむ(万611)
夜
のほどろ出(い)でつつ來(く)らし遍(たび)多數(まねく)成れば吾が胸(むね)截(た)ち焼く如し(万755)
古代中国語の「む
ね」は胸[xiong]で ある。日本漢字音は胸(キョウ・むね)である。古代中国語の胸[xiong] はさらに時代を遡れば、胸[xmiong] あるいは胸[hmiong] のような入りわたり音があって、胸(むね)は入りわたり音が脱落したものであり、胸(キョウ)は入りわたり音が発達したものであろう。日本語の
音がカ行で訓がマ行であらわれる例としては次のようなものをあげることができる。
例:芽(ガ・め)、廻(カイ・まはる)、丸(ガ
ン・まる)、観(カン・みる)、 看(カン・みる)、眼(ガン・め)、還(カン・めぐる)、京(キョウ・みやこ)、 宮(キュウ・みや)、求(キュウ・もと
む)、球(キュウ・まり)、曲(キョク・まがる)、 恵(ケイ・めぐみ)、迎(ゲイ・むかへる)、見(ケン・みる)、元(ゲン・もと)、 御(ゴ・ギョ・
み)、向(コウ・むかう)、
これらはいずれも音と訓が同源であり、古代中国語の入りわ
たり音が発達したものがカ行であり、入りわたり音が脱落したものがカ行になったものと考えられる。
韻尾の[-ng] がナ行であらわれる例としては胸[xiong] のほかにつぎのような例をあげることができる。 例:種[doing] たね、常[zjiang] つね、峰[phiong] みね、嶺[lieng] みね、 参照:第
196話【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ
(覓・求)】、第197話、【まもる(護)】、【まる(丸)】、第198話【みや(宮)】、【みやこ(京)】、【みる(見)】、【みる・ま
はる(廻)】、【むかふ(向)】、第164話【うみ(海)】、第173話【こめ(米)】、
【むま(馬)】
牟
麻の爪(つめ)筑紫の﨑にちまり居て吾(あれ)は齊(いは)はむ、、、(万4372)
万葉集では「うま」
は宇摩、宇麻、宇麼、宇馬、宇
万、牟麻などと表記されている。記紀万葉の日本語では「馬」は馬(うま・ま・むま)などとしてあらわれる。古代中国語の馬[mea] である。古代中国語の「馬」は馬[mea] である。 古代日本語の馬「うま」は中国語の
馬[mea] の語頭に母音を添加したたものである。
参照:第164話【うま(馬)】、第196話【ま
(馬)】、
【むまき(牧)】
「近
江(あふみ)の國、武を講(なら)ふ。又(さは)に牧(むまき)を置きて馬を放つ。」
(天智7年)
「尚
書に云う。萊夷は牧なり。音を目(もく)という。孔安国云はく、萊夷は地名なり。可以放牧≪無萬岐(むまき)≫。」(和名抄)
「牧」の日本漢字音
は牧(ボク・まき・むまき)で
ある。牧場(ボクジョウ)といえば音読みである。牧場(まきば)とよめば訓である。古代中国語の「牧」は牧[miuək] である。 日本語の牧(ボク)も牧(まき)も中国語の牧[miuək] と同源である。古代日本語では濁音が語頭に立つこ
とがなかったので牧(まき)となり、やがて、多分中国語の影響で日本語でも濁音が語頭に立つようになったので奈良時代から平安時代にかけて牧(ボク)とい
う読み方が広まってきた。古代日本語には鼻音を重複させる例が多い。 例:稔(ネン・み+のる)、汝(な・み+まし・な
+むぢ)、女(をみ+な)、耳(み+み)、 馬(ま・む+ま)、免(メン・ま+ぬがる)、鰻(マン・む+なぎ)、護(ま+もる)、 眠
(ミンね+むる)、 。
【むら(村・郡)】
「故
(かれ)紀伊國(きのくに)の熊野の有馬村(むら)に葬(はふ)りまつる。」(神代紀、上)
「播
磨の國の田の村君(むらぎみ)、百八十の村君在りて己(おの)が村別(むらごと)に相闘(あひたたか)ひし時天皇敇(みことのり)して此の村(むら)に追
ひ聚(あつ)めて悉皆を斬(き)り死(ころ)したまひき。」(播磨風土記、賀毛郡)
古代中国語の「郡」
は郡[giuən] である。日本漢字音は郡(グン・こほり)である。
現在日本語では「村」という字があてられているが、「村」は日本語の「むら」の語源ではないようで
ある。日本語の「村」の語源は「郡」ではなかろうか。「郡」に近い漢字に群[giuən] があり、読みは群(グン・むれ)である。 中国語の「郡」「群」には入りわたり音があり、「郡」の祖語は郡[hmuən] に近い音であったと推定できる。日本漢字音の郡(グン)は入りわたり音[h-] の発達したものであり、郡(むら)は入りわたり音の脱落したものである。 (こほ
り)は入りわたり音[h-]が発達したものであり、郡[hmuən] の韻尾の[-n]はラ行に転移した。中国語の韻尾[-n] がラ行に転移する例は数多くみられる。 「郡」には郡(こほり)という訓もある。郡(こほり)は入りわたり音[h-] の痕跡をとどめたものであろう。
参照:【む
ね(胸)】、第196話【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ
(覓・求)】、第197話、【まもる(護)】、【まる(丸)】、第198話【みや(宮)】、【みやこ(京)】、【みる(見)】、【みる・ま
はる(廻)】、【むかふ(向)】、第164話【うみ(海)】、第173話【こめ(米)】、
【むれ・むらがる(群)】
遣
(つか)はしし舎人(とねり)の子らは行く鳥の群(むらが)りて待ちあり待てど召し賜はねば、、(万3326)
朝
鳥の朝立ちしつつ群鳥(むらとり)の群(むら)立ち行けば留(とま)り居て吾は戀ひなむ見ず久(ひさ)ならば(万1785)
古代中国語の「群」
は群[giuən] である。「群」の祖語は群[hmuən] に近い音であったものと推定できる。日本語の群
(むれ)は上古中国語の群[hmuəm] の入りわたり音[h-] が脱落したものであり、音の群(グン)は入りわた
り音の発達したものである。 参照:【むね(胸)】【むら(郡)】、第196話【まが
(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ(覓・求)】、第197話【ま
もる(護)】、【まる(丸)】、第198話【みや(宮)】、【み
やこ(京)】、【みる
(見)】、【みる・まはる(廻)】、【むかふ(向)】、【むかふ(迎)、第164話【う
み(海)】、第173話【こめ
(米)】、
【むらじ(連)】
「安
曇(あづみの)連(むらじ)等は、其の綿津見(わたつみ)の神の子、宇都志(うつし)日金析(ひかなさく)の命の子孫(すえ)ぞ。」(記神代)
「物
部(もののべ)の荒甲(あらかひ)の大連(おほむらじ)、大伴の金村の連二人を遣はして、石井を殺したまひき。」(記継体)
連(むらじ)は古代
日本の姓(かばね)の一つであ
る。古代中国語の「連」は連[lian] である。中国語の意味は「負う」とか「運ぶ」とい
う意味である。日本語の「むらじ」は中国語の意味とは直接関係はないが、音は中国語の連[lian] に負うている。 中国語の[l-] は[m-] と近く、陸[liuk]・睦[miuk] のように同じ声符の文字がラ行とマ行に読み分けら
れることがある。古代日本語にはラ行ではじまることばはなかったので連連[lian] は「むら」に転移した。「むら+じ」の「じ」は「氏」であろう。 古代日本語の「むらじ」は「連」の弥生音の音借ということになる。
【むれ(山)】
今
城(いまき)なる乎武例(をむれ)が上に雲だにも著(しる)くし立たば何か嘆かむ(紀歌謡)
「稲
(いね)落ちし処(ところ)は、卽(すなは)ち稲牟礼(いなむれ)の丘(をか)と号(なづ)け、、、」(播磨風土記餝磨郡)
「百
済(くだら)の國に至りて辟支(へき)の山(むれ)に登りて盟(ちか)ふ。復(また)古沙(こさ)の山(むれ)に登りて、共(とも)に磐石(いは)の上に
居り。」(神
功紀49年)
古代日本語の「む
れ」は「やま」である。古代中国
語の「山」は山[shean]であり、古代日本語の「むれ」とは結びつかない。 大野晋は『岩波古語辞典』のなかで、古代日本語の「むれ」は「朝鮮語mori(山)と同源か」としている。韓国の古語辞典であ
る『李朝語辭典』(延世大學出版部)をみると(moe) のところに「山」とある。李基文は『韓国語の歴
史』(大修館書店)のなかで「『山』を意味する語も古代にはmurih であった証拠がある。」(p.83)としている。また、金思燁は『古代朝鮮語と日本
語』(講談社)(p.381)で、日本語の「山」は朝鮮語で(moj)である、としている。日本語の「むれ」が何らかの
形で古代朝鮮語と共通の祖語をもっていることは確かであろう。
【め(女)】
男
(を)の神も許し賜ひ女(め)の神も幸(ちは)ひ給(たま)ひて時と無く雲居(くもゐ)に雨零(ふ)る、、、(万1753)
吾
はもよ賣(め=女)にしあれば那(な=汝)をきて遠(を=男)はなし、、、(記歌謡)
記紀歌謡はすべて漢字の音を使って
表記されているから「め」に
「賣」が使われている。「賣」の古代中国語音は賣[mai]である。古代中国語の「女」は女[njia]である。古代中国語の日母[nj-] は[m-] が口蓋化したものであるとすれば、口蓋化以前の「女」は女[ma] に近い音だったものと推定できる。日本語の女(め)は古代中国語音の痕跡をとどめているといえる。 日本語には女
(め)ばかりで、なく女(むすめ・をみな)、乙女(をとめ)などの形であらわれる。日本語の「め」は中国語の「女」と同源である。
参照:【むすめ(女)】、第204話【をとめ】
【め(眼・目)】
人
目(め)多(おほ)み眼(め)こそ忍ふれ少くも心の中に吾(わ)が念(おも)はなくに
(万2911)
音
に聞き目にはいまだ見ず佐用比賣(さよひめ)の領巾(ひれ)振りきとふ君松浦山(まつらやま)(万883)
古代中国語の「目」
「眼」は目[miuk]・眼[ngean]である。日本語の「め」は中国語の「目」あるいは
「眼」と同系のことばである。頭音の[m--]と[ng-]はいずれも鼻音であり、調音の方法が同じである。
日本語には「カ゜[ng-]」ではじまる音節はなかったので、中国語の[ng-]はマ行に転移した。韻尾の[-k][-n]は脱落した。
日本語の身体をあらわすことばには中国語と同源と
思われることばが多い。このような基本語彙に共通なものが多いということは、日本語と中国語とは文法の構造、音韻構造などはことなるものの、文字時代以前
からかなり長い間にわたって文化的交流があったことを示している。 例:腕(うで)、肩(かた)、肝(きも)、口
(くち)、舌(した)、手(て)、歯・牙(は)、 腹(はら)、臍(ほそ・へそ)、頬(ほほ)、目・眼(め)、眉(まゆ)、耳(みみ)、
参照:第196話【ま・め(目・眼)】、
【め(芽)】
み
つみつし久米の子らが粟生(あはふ)には臭韮(かみら)一本(ひともと)其根(そね)が本(もと)其根(そね)米(め)つなぎて撃(う)ちてし止(や)ま
む(記
歌謡)
秋
柏(あきかしは)潤和(うるわ)川邊(かはべ)の小竹(しの)の目(め)の人には逢はぬ君にあへなく(万2478)
古事記歌謡では「芽」に米[mei] が、万葉集では目[miuk] が使われている。古代中国語の「芽」は芽[ngea] である。中国語の疑母[ng-] は鼻音であり明母[m-] と調音の方法が同じであり、調音の位置も近い。古代日本語では濁音が語頭にくることがなかったので芽[ngea] は日本語では芽(め)となった。後に、日本語でも、中国語からの借用語などの影響で語頭に濁音がくることがでいるようになったので、「芽」の日本漢字音は芽(ガ)となった。中国語
の原音は芽(ガ)ではなく正確には、鼻音であり芽(カ゜)である。日本語の芽(め)と中国語の「芽」とは同源である。
【めぐみ(恵)】
「徳
を布(し)き恵(めぐみ)を施して政令(まつりごと)流(し)き行はる。」(顕宗前紀)
道
の中(なか)國つ御神(みかみ)は旅行きも爲知(しし)らぬ君を恵(めぐ)みたまはな
(万3930)
古代中国語の「恵」
は恵[hyuei] である。日本漢字音は恵(ケイ・ヱ・めぐみ・めぐ
む)である。「恵」の祖語には入りわたり音があって[hmyuei] に近い音であったと推定できる。日本漢字音の恵
(ケイ)は入りわたり音が発達したものであり、恵(めぐみ)は入りわたり音[h-]が「め+ぐ+み」となってあらわれたものであろう。 参照:【むね(胸)】、【むら(郡)】、【むれ
(群)】、第196話【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ
(覓・求)】、第197話【まもる(護)】、【まる(丸)】、第198話【みや(宮)】、
【みやこ(京)】、【みる(見)】、【みる・まはる(廻)】、【むかふ(向)】、第
163話【うみ(海)】、第173話【こめ
(米)】、
|