第173話
こめ(米)の語源 【こめ(米)】 万葉集の歌の「米」は訓借で「來め」である。いず れにしても、万葉集の時代に「米」という字ご米(マイ)ではなく米(こめ)と読んでいたことがわかる。「米」の古代中国語音は米[myei]である。隋唐の時代以前の上古音には語頭に入り渡 り音があって「米」は米[hmyei]だったと考えられる。日本語の「こめ」は上古中国 語の米[hmyei]に依拠したものである。
「籠」の日本漢字音は籠(ロウ・かご・こもる)で
ある。万葉集では籠(こ)ともいう。 籠
(こ)もよみ籠(こ)もちふくしもよみぶくし持ち此の岡に菜(な)採(つ)ます子(万1) 中国語の語頭音[l-]が[m-]になって現われる例はある。漏(もる)なども漏 (ロウ)がマ行であらわれる例である。古代日本語には語頭にラ行音のくることばはなかった。だから中国語の語頭音[l-]がマ行に転移したのであろう。 もともと中国語の[l-]と[m-]は調音の位置が近く、同じ声符をもった漢字がラ行
とマ行に読み分けられている例もある。例としては陸(リク):睦(ムツ)、來(ライ):麥(バク・むぎ)、令(レイ)・命(メイ)などをあげることができ
る。
古代中国語の「臥」は臥[ngai]である。古代日本語の「こやす」は中国語の臥[ngai]に依拠したものであろう。古代日本語では鼻濁音[ng-]が語頭にくることはなかった。そのため「臥 (カ゜)す」とは発音できず、「臥(こや)す」となったものと思われる。 現代の日本語では「音楽学校」は「オンカ゜ク ガッコウ」と発音することになっている。「音 楽」は語中にあるから鼻濁音の「カ゜」であり、「学校」は語頭にくるから濁音の「ガ」である。ところが、東京方言では鼻濁音が失われて「オンガク ガッコ ウ」となってしまっている。一昔前までは鼻濁音のできない人はアナウンサーの試験を通らなかった。しかし、ほとんどの人が鼻濁音を発音できなくなってし まったので、「音楽学校(オンガク ガッコウ)」という人も採用せざるを得なくなってしまった。東北方言では語頭は濁音、語中は鼻濁音という法則は今でも守られている。 【こゆ(越)】 「越」の上古中国語音は越[hiuat]である。隋唐の時代になると語頭の喉音[h-]は脱落して越[jiuat]となった。上古音の[h-]は介音[-iu-]の前では規則的に脱落する。雲[hiuən](くも・ウン)、熊[hiuəm](くま・ユウ)、羽[hiuə](は・はね・ウ)の訓はいずれも上古中国語音の喉 音[h-]の痕跡を留めたものであり、音は唐代の中国語音に 依拠したものである。同じ声符をもった漢字でも喉音[h-]が脱落したものと発音されるものがみられる。 例:軍[hiuən](グン)・運[hiuən](ウン)、國[kuək](コク)・域[hiuək](イキ)、 日本漢字音の越(エツ)は唐代の中国語音に依拠し たものであり、訓の越(こえる)は上古音の痕跡を残したものである。「こえる」の「る」は中国語の韻尾[-n]が[-l]に転移したものである。訓読みの漢字では韻尾の[-n]は動詞の場合[-l]に転移する例が多い。 例:払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)、擦(サツ・する)、刷(サツ・する)、
古代中国語の「凝」は凝[ngiəng]である。日本漢字音は凝(ギョウ・こる)である。 日本語の凝(こる)が中国語の凝[ngiəng]と関係のあることばかどうかは判断がむずかしい。 古代日本語には「凝」の語頭音[ng-]にあたる鼻濁音はなかった。また「凝」の韻尾にあ たる[-ng]という音節もなかったからである。「こる」の 「こ」は中国語の「凝」の語頭音と対応しているようにみえる。しかし、中国語の韻尾[-ng]が日本語でラ行であらわれるのはなぜだろうか。 中国語の韻尾[-t][-n][-ng]は古代日本語の動詞ではラ行であらわれる例がかなり多くみられる。
古代中国語の「頃」は頃[khiueng]である。日本語の頃(ころ)は「頃」の韻尾[-ng]がラ行であらわれたものだとすると凝(こる)と同 様の例はもうひとつ増えたことになる。「頃」と同じ声符をもった漢字に「傾」がある。「傾」の日本漢字音は傾[khiueng](ケイ・かたむく)である。 中国語の韻尾[-ng]はカ行であらわれることも多い。例:嗅(キュウ・ かぐ)、荎(ケイ・くき)、影(エイ・ケイ・かげ)、性(セイ・さが)、効(コウ・きく)、咲(ショウ・さく)、塚(チョウ・つか)などである。中国語の 韻尾[-ng]はある場合にはカ行であらわれ、またある場合には ラ行であらわれる。渡り音(介音)などが関与しているのか、時代によって異なるのか、または中国の地方音(例えば江南音)の影響なのか、その理由は今のと ころ不明である、といわざるをえない。 例:地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)、発達(pal-ttal)、日本(il-bon)、日記(il-gi)など、 日本語でも中国語の韻尾[-t]がラ行であらわれる場合がある。例:擦(サツ・す る)、刷(サツ・する)、払(フツ・はらう)、祓(バツ・はらう)などである。 日本語の場合は中国語の韻尾[-n]がラ行であらわれることもしばしばある。 例:漢・ 韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、玄(ゲン・くろ)、昏(コン・くれ)、嫌(ケ ン・きらう)、算盤(サン・そろばん)などである。 中国語の韻尾[-ng]がラ行であらわれたとみられないこともない例もい くつかある。 例:香(コウ・かおり)、広(コウ・ひろい)、降(コウ・ふる)、狂(キョウ・くるう)、照 (ショウ・てる)、凝(ギョウ・こる)など、 しかし、音韻法則で説明するには[-ng]と[-l]の調音の位置や調音の方法にあまり共通点がみられ
ない、という難点がある。 漢字の音価につ
いては唐代までは、かなり正確にさかのぼることができる。唐詩の韻を調べればどの漢字とどの漢字が同じ音価をもっていたかがわかる。また、中国には広韻と
か韻鏡というような韻書が残っていて、漢詩を作るときの規範になっていた。しかし、隋唐の時代以前の上古音となると、『詩経』の韻などを参考に、唐代の韻
の前の姿を再構する以外に方法はない。 日本漢字音にな ると問題はさらに複雑になる。漢学者は漢字音というと中国の規範的な音のことであり、朝鮮漢字音などを顧みることはない。日本漢字音には呉音、漢音、唐宋 音など中国の規範的な音が認められているだけである。日本漢字音は中国の規範的な発音に準拠しているのだから、日本語の音韻構造に適合するために訛ったり しているとは認められていない。 一方、国学者の ほうは日本語の訓は漢字で書いてあっても日本古来のものであり、「やまとことば」を同義の漢字にあてたものであるとしている。訓のなかには中国語の影響も 朝鮮語の影響もないという立場をとっている。このため音と訓の関係はほとんど顧みられてこなかったという事情がある。 日本語の形成に大きな影響をもっていたはずの朝鮮 語や中国語との関係を断ち切って、日本列島のなかだけで日本語の成立を論ずれば、必然的に日本語は世界に類を見ない孤立した言語だというこことにならざる をえない。 1.古代中国語の[k-][kh-][g-]に依拠したもの。 2.古代中国語の喉音[h-][x-]が転移したもの。 3.古代中国語の鼻濁音[ng-]を継承したもの。 4.上古中国語の[m-][l-]の前の入り渡り音[h-]の痕跡を留めたもの。 このほかにも、古代日本語のなかには上古中国語の痕跡を留めているとみられるものがかなりある。例えば影[yang]かげ、の声符は景[kyang]であり、影は影[kyang]という音をもっていたにちがいない。鴉[ea]からす、の声符は牙[ngea]であり鴉は鴉[ngea]という音をもっていたにちがいない。鴨[eap]かも、の声符は甲[keap]であり、鴨は鴨[keap]という音をもっていたにちがいない。 想像力を働かせれば古代の世界は限りなくひろがっていく。しかし、どこまで検証可能かによって、その仮説の蓋然性はきまる。想像力を働かせ過ぎれば古代はケイオスに陥るし、想像力を働かせなければ古代世界は沈黙を守ったままだ。 ケントウム語群はラテン語、ギリシャ語、イタリア語、ドイツ語(ドイツ語ではhになる)、英語、ケルト語、トカラ語、ヒッタイト語などである。ラテン語では「百」をcentumというところからケントウム語群と名づけられた。 カ行音がサ行音に変化することは世界の言語でかなり多くみられる現象なのである。 |
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