第196話  ま・め(目)の語源

 
【ま・め(目・眼)】
瓜 食(は)めば子ども思ほゆ栗食(は)めばまして偲(しの)ばゆ何處(いづく)より來たりしものそ眼交(まなかひ)にもとな懸(かか)りて安眠(やすい)し 寝(な)さね(万 802)
音 に聞き目(め)にはいまだ見ず佐用比賣(さよひめ)が領巾(ひれ)振りきとふ君松浦山(まつらやま)(万883)

 古代中国語の「目」は目[miuk] である。日本語の「め」は目[miuk] の韻尾[-k] が脱落したものである。日本語の「め」には「眼」 もあてられている。「眼」の古代中国語音は眼[ngean] である。目と眼は音義ともに近い。眼[ngean] の頭音[ng-] [m-] はともに鼻音であり、調音の方法が位置が同じで あ。調音の方法が同じ音は転移しやすい。疑母[ng-] は古代日本語では日本語ではマ行、あるいはナ行に転移しているものが多い。。

  例:御[ngia] み、芽[ngea] め、詣[ngyei] まうづ、元[ngean] もと、雅美[ngea-miei] みやび、
    迎
[ngyang] むかへる、訛[nguai] なまり、額[ngeak] ぬか、願[ngiuan] ねがふ、

 目、眼と関係の深い ことばに眸[miu]がある。王力は『同源字典』のなかで目[miuk] と眸[miu] は同源であるとしている。日本語では「目」は「め」にあてられ、「眸」は「ひとみ」にあてられているが、日本語の 「め」は中国語の「目」「眼」「眸」などと同系のことばである。

 【ま(眞)】
ま 薦(こも)刈る信濃の眞弓(まゆみ)吾(わ)が引かば貴人(うまひと)さびて不欲(いな)と言はむかも(万96)
田 兒(たご)の浦ゆうち出(い)でてみれば眞白(ましろ)にぞ不盡の高嶺に雪はふりける
(万318)

  古代中国語の「眞」 は眞[sjien] である。日本語の「ま」は中国語の頭音[sj-] が口蓋化の影響で脱落したものであろう。ほかに頭 音が脱落した例としては「身[sjien] み」をあげることができる。また韻尾だけが独立し て日本語の音節を形成している例としては「葉[jiap] は」をあげることができる。漢字の「眞」は「まこ と」と読まれることもある。 日本語の「まこと」は眞言(まこと)が語源であろう。

聞 くが如(ごと)眞(まこと)貴(たふと)く奇(くす)しくも神さび居(を)るかこれの水嶋
(万245)

 【まかね(鉄)】
麻 可禰(まかね)吹く丹生(にぶ)の眞朱(まそほ)の色に出て言はなくのみぞあが戀ふらくは
(万3560)

   日本語の「かね」の 語源は金[kiəm](かね)である。黄金は「こがね」、銀は「しろが ね」、銅は「あかがね」、鉄は「まがね」あるいは「くろがね」と呼ばれることもある。金(かね)は金属一般の名称で、鉄(まがね)の原義は「眞金」である。

 【まが(禍)】
「初 めて中瀬(なかつせ)に堕(お)り迦豆伎(かづき)て滌(すす)ぎたまふ時、成(な)り坐(ま)せる神の名は、八十(やそ)間禍≪摩賀・まが≫津(つ)日 (ひ)の神、次に大禍津日(おほまがつひ)の神、此の二神は、其の穢(けがれ)繁(しげ)き國に到りし時の汚垢(けがれ)に因(よ)りて成れる神なり。」(記神代)

  古代中国語の「禍」 は禍[huai] である。中国語の「海」が上古音には入りわたり音[h-] があり「海の祖語は海[hmuə] であったと考えられている。入りわたり音[h-]の発達したものが海[xuə](カイ・ハイ)になり、入りわたり音の脱落したも のが毎[muə](マイ)になり、日本語の海(うみ)になったこと は第164話【うみ(海)】ですでに述べた。
 また、「こめ」の古代中国語音 米
[miei] は上古まで遡ると米[hmei] であり、入りわたり音の発達したものが米(こめ) であり、入りわたり音の脱落したものが米(マイ・ベイ)であることは第173話【こめ(米)】で述べた。

 「禍」の場合も、上古中国語音は禍[hmuai] であり、入りわたり音[h-]が発達したものが禍[huai](カ)となり、[hmuai] の頭音を二音節であらわしたのが、古代日本語の禍(まが)になったのではあるま いか。同じ声符の漢字がカ行とマ行で読み分けられている例をいくつかあげることができる。

 例:海(カイ)・毎(マイ)、黒(コク)・墨(ボ ク)、忽(コツ)・物(ブツ)

 耄(モウ)、などである。「耗」は耗(モウ)とも耗(コウ)と読み、「病(やまい)膏肓」の「肓」の声符が亡 (ボウ・モウ)だが「病(やまい)膏肓(コウコウ)」と読のが正しいとされている。

 このことか、らさらに想像をたくましくすれば、米[miei](マイ・こめ)ばかりでなく、毛[mô](モウ・け)、木[mok](モク・き)、賣[mai](バイ・かふ)、茅[meu](ボウ・かや)、なども祖語に入 りわたり音[h-] があり、日本語の訓は上古中国語音の入りわたり音[h-] の痕跡を留めている、という可能性がある。
参照:第164話【うみ(海)】、第 173話【こ め(米)】

 古代中国語には語頭に複合母音があったのではない かと最初に指摘したのはスウェーデンの言語学者B.カールグレンであった。
参照:第 167話【かま(鎌)】

 中国の音韻学者、王力は『漢語語音史』(中国社会 科学出版社)のなかで、xm-という複合音あるいは入りわたり音を含んだ音節が 上古にはあったのではないかとして、次のような例をあげている。(p.24)

 例:xm- 昏、婚、忽、惚、荒、黒、悔、海、麾、耗、

 日本語の音と訓にみられるマ行とカ行の対応からも、 この仮説は支持されるのではなかろうか。

 【まがる(曲)】
「都 を輕(かる)の地に遷(うつ)す。是を曲峡宮と謂(い)ふ。≪曲峡=末加利乎(まがりを)≫」(懿徳紀2年)
「こ の村の川の曲(まが)れるを見、勅(のり)たまひしく、「この川の曲(まがり)甚(いと)美(うるはし)きかも」、故(かれ)、望理(まがり)と曰(い) ふ。」(播 磨風土記賀古郡)

  「曲」の日本漢字音 は曲(キョク・まがり・まが る)である。古代日本語では曲玉(まがたま)などにも用いられた。古代中国語の「曲」は曲[khiok] である。「曲」も語頭の[m-] の前に曲[hmiok] のような音入りわたり音があって、[h-] のはったつしたものが[khiok] になり、[h-] の脱落したものが曲[miok] 、つまり「曲(まがる)」になったのではなかろうか。そう考えれば、日本語の音と訓でカ行とマ行にまたがって読まれる漢字音について整合的に説明することができる。
参照:【まが(禍)】、第164話【うみ (海)】、第173話【こめ(米)】、

 【まく(幕)】
「幕  万玖(まく)」(和 名抄)

  日本語の幕(まく)は漢語である。辞書などでは、幕(バク) が漢語で、幕(まく)が「やまとことば」だとされているが、幕(まく)と幕(バク)は同じ祖語から出た異音である。
 古代中国語の「幕」は幕
[mak] である。古代日本語には濁音ではじまることばはな かったので幕(まく)と発音されたが、後に中国語から借用されたことばの影響で日本語の音韻構造が変わり幕府(バク)のように、語頭に濁音のくることば も日本語として定着するようになった。幕(まく)の方が古く、幕(バク)のほうが新しい。

 【まく(負)】
「盟 (ちか)ひて曰はく、族(うがら)離れなむとのたまふ。又曰はく族負(ま)けじとのたまふ。」(神代紀、上)

  古代中国語の「負」 は負[biuə]である。日本漢字音は負(フ・まける)である。中 国語の負[biuə] は古くは入声韻尾[-k] があり、上古の時代には負[buək]  のような音価をもっていたと考えられる。
 白川静の『字通』によれば「敗
[beat]、負[biuə]、背[puək] は声義に通ずるところがある。」という。王力の 『同源字典』でも負[biuə] は背[puək] と音義ともに近く同源であるとしている。また董同 龢は『上古音韻表稿』のなかで「負」の上古音を負[bhiwəg] と再構している。日本語の「まく・まける」は中国 語の「負」の祖語の痕跡を留めているものであるといえる。

 【まぐ(覓)】
「膂 宍(そしし)の空國(むなくに)を頓丘(ひたを)から國覓(くにま)ぎ行去(とほ)りて吾田(あた)の長屋(ながや)の笠狭(かささ)の御碕(みさき)に 到ります。」(神 代紀、下)
山 川を磐根(いはね)さくみて踏みとほり國麻藝(まぎ)しつつ、、、(万4465)

  古代中国語の「覓」 は覓[mek] である。日本漢字音は覓(ベキ・もとむ)である。 古代日本語では覓(まぐ)である。意味は「求める」である。

 現代の日本語では「もとむ」には求[kiu] が使われている。「覓」と「求」は音は隔たってい るが、義(意味)は同じである。
 これも、祖語に
[hmek] のようなことばがあって、入りわたり音の発達した 方が求[kiu] になり、入りわたり音の脱落した方には覓[mek] になったと考えれば「覓」と「求」は同源だということになる。同義だが別の発音になってしまったので、それぞれの語に別の字が与えられたと考えることができる。董同龢は「求」の上古音を求[ghiog] と再構している。

 中国語音で[k-]ではじまる単語の多くが、日本語のマ行と対応してい ることは気にかかる事実である。

 例:求[kiu](キュウ・もとむ)、球[kiu](キュウ・まり)、禍[khuai](カ・まが)、
   曲
[khiok](キョク・まがる)、芽[ngea](ガ・め)、眼[ngean](ガン・め)、
   宮
[kiuəm](キュウ・みや)、京[kyang](キョウ・みやこ)、など。

 これを偶然の一致とみるか、何らかの音韻法則によ る ものとみるかは、判断のむずかしいところである。訓は漢字伝来以前からこの国にあった「やまとことば」を漢字にあてはめたものでる、という本居宣長以来の見 方に立てば偶然の一致であり、訓のなかには弥生時代、古墳時代を通じての中国との交流の痕跡が留められている、という立場にたてば「弥生音には上古中国語 の痕跡が残されている」ということになる。
参照:第164話【うみ(海)】、第173話【こ め(米)】、

  中国には55の少数 民族が住んでいるといわれてい る。そのなかで苗(ミャオ)族の系統に自称Hmong という民族がある。雲南省南東部、貴州省西部から 東南アジアのタイ、ラオス、ベトナム山地にかけてひろがって焼き畑農業などを生業とする山岳民族である。この民族の自称がHmong であることは注目に値する。入りわたり音hm の前にある言語をもっているということである。
 日本語のなかに音はカ行で訓はマ行の単語が多いこ とは、こうした音韻構造をもった民族との関係を示唆しているのかもしれない。
 また、日本語とはまったく違う言語であるが、英語 にも入りわたり音の痕跡が残されている。
Knife、 knock、 know、 knit、 knee、 knight などのk は現在の英語では発音されないが、入りわたり音kの痕跡を綴り字のなかに残している。

 【まだら(斑)】
時 じくの斑(まだら)の服(ころも)服(き)欲(ほ)しきか嶋の榛原(はりはら)時にあらねども(万1260)
「若 (も)し臣の斑皮(まだらはだ)を悪(にく)みたまはば、白斑(しろまだら)なる牛馬を國の中に畜(か)ふべからず。」(推古紀20年)

  古代中国語の「斑」 は斑[pean] である。日本語の「まだら」は中国語の斑[pean]と関係のあることばではなかろうか。「斑」の上古 中国語音は斑[peat] に近いおとだったものと推定できる。中国語の韻尾[-n] と[-t] は調音の位置が同じであり、転移しやすい。古代中国語の韻尾[-t] は唐代になると[-n]  に転移したものが多い。
中国語の韻尾
[-t] は朝鮮漢字音では規則的に[-l] であらわれる。また、中国語の韻尾[-n] は弥生音(訓)ではた行であらわれることが多い。「斑」の「ま」は中国語の[p-] がマ行に転移したものである。中国語の[p-]と日本語のマ行とは調音 の位置が同じである。調音の位置が同じ音は聴覚的にも似ており転移しやすい。結論として日本語の「まだら」は中国語の「斑」と同源である。
「斑」には斑(ふち)あるいは斑(ぶち)という読みもあるが、いずれも同 源である。
参照:第196話【ふち(斑)】

 【まとふ(迷)】
秋 山の黄葉(もみち)を茂(しげ)み迷(まと)ひぬる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも(万208)
現 (うつつ)にか妹(いも)が來ませる夢(いめ)にかも吾か迷(まとへ)る戀の繁き
(万2917)

  古代中国語の「迷」 は迷[myei] である。董同龢は「迷」の上古音を迷[mied] と再構している。「迷」の唐代中国語音は迷[myei] 祖語は迷[mied] のような入声韻尾をもっていたと考えられている。日本語の「まとふ・まよう」は中 国語の「迷と同源であろう。

 

【まなこ(眼)】
「期 (とき)に至りて果(はた)して大蛇有り。頭尾各八岐(やまた)有り。眼(まなこ)は赤酸醤(あかかがち)の如し。」(神代紀上)
「眼  萬奈古(まなこ) 目子なり。瞳 訓上に同じ。目童なり。眸 比度美(ひとみ)、一の訓は眼と同じ。目の珠子なり。」(和名抄)

  古代中国語の「眼」 は眼[ngean]である。「眼」の頭音[ng-] は鼻音であり、[m-] と調音の方法が同じである。日本語の「まなこ」は中国語の[ngean] +「こ」である。『和名抄』には「まなこ」は「目(ま)+の+子(こ)」であるとある。「目」は目の形を写した象形文字である。「目」の古代中国語音は目[miuk] であり、眼[ngean] と音義ともに近い。
参照:【ま・め(目・眼)】

 【まぬかる(免)】
生 ける者死ぬというふことに免(まぬか)れぬものにしあれば、、、晩闇(ゆふやみ)と隱りましぬれ、、(万460)
「年 毎(としごと)に八岐大蛇(やまたのをろち)の爲に呑(の)まれき。今此の少童(をとめ)且臨被呑(のまれな)むとす。脱免(まぬか)るる由(よし)無 し。」(神 代紀上)

 古代中国語の「免」は免[mian] である。日本語の「まぬかる」は音義ともに中国語 の免[mian] に近い。しかし、「まぬ+かる」の「かる」がどここら来たものかは不明である。免冠、免官、などの熟語と関係があるのかもしれない。 


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

つぎ第197話 まふ(舞)の語源