第163話 いか(如何)の語源

 【いか(如何)】
二人行けど去(ゆ)き過ぎ難(がた)い秋山を如何(いか)にか君が獨(ひと)り越ゆらむ
(万106)

伊可(いか)なるや人に坐(いま)せか石(いは)の上を土と踏みなし足跡(あと)殘(の)けるらむ貴(たふと)くもあるか(仏足石歌)

  古代中国語の「如何」は如何[njia-hai]で、日本語では「いか」「いかが」「いかに」などと使う。古代中国語の日母[nj-]は朝鮮漢字音では規則的に脱落するかた「如」は現代朝鮮語では如(yeo)である。日本語の如何(いか)は「如」の頭音が脱落したものである。記紀万葉の時代の史(ふひと)は朝鮮半島出身の人が多く、八世紀の日本語は朝鮮語の影響を受けている。「如」の日本漢字音は如(ジョ・ニョ)だけだと考えると古代日本語は解明できない。

 『論語』に「如何(いか)ならば斯(すなは)ち之(これ)を士と謂(い)ふべきか」(子路)などがあり「如何」は漢語である。

【いき(息)】
晝 はうらさび暮し夜は息(いき)づき明かし歎けどもせむすべ知らに戀ふれども逢ふよしを無み、、(万213)
君 が行く海邊の宿に霧立たば我(あ)が立ち嘆く伊伎(いき)と知りませ(万3580)
黒 かりし髪も白(しら)けぬゆなゆなは氣(いき)さへ絶えて後つひに命死にける、、
(万1740) 

 万葉集では「いき」は息、伊企、伊伎、伊吉、氣な どと表記されているが、日本語の「いき」は中国語の息[siək]と同源であろう。心母[s-]、山母[sh-]などの頭音は脱落しやすい。

 摩擦音の声母が[-i-]介音の前で脱落した例としては、秈[shean]・(セン・いね)、山[shean]・(セン・やま)、色[shiək](ショク・いろ)、生[sheng](セイ・ショウ・いく・いきる)、宵[siô]・(ショウ・よい)、夕[zyak](セキ・ゆう)、矢[sjiei]・(シ・や)、世[sjiat/sjiai](セ・よ)、逝[zjiat/zjiai](セイ・ゆく)、洗[syən]・(セン・あらう)、舎[sjia]・(シャ・や)、相[siang](ソウ・あふ)などである。また、輸[sjio](ス・ユ)のようにサ行とヤ行の両方の読み方のあ る漢字もある。

 日本語でサ行で発音される漢字のなかには中国語音 が照母[tj-]、神母[dj-]のものもある。射[djyak/djyai]・(シャ・いる)、折[tjiat]・(セツ・おる)、織[tjiək]・(ショク・おる)、植(ショク・うえる)などで ある。これらの漢字音は介音[-j-]の影響で摩擦音化されたものである。これらの漢字 は現代北京語音でも射(she/ye)、折(zhe/she)、織(zhi)、植(zhi)のように摩擦音に変化している。

 同じ声符の漢字 をサ行とヤ行に読みわけている漢字もある。除(ジョ)・餘(ヨ)、序(ジョ)・予(ヨ)、施(シ)・也(ヤ)、侈(シ)・移(イ)、失(シツ)・佚(イ ツ)などである。同じ声符号の漢字の音に頭音の脱落したものとそうでないものがあることから、このような頭音の脱落は日本に来てからおこったものではな く、なく中国で隋唐の時代以前に起こっていたものと考えられる。

 息(いき)は複合語では息(おき)で現われること もある。 

鳰 鳥(にほどり)の息長(おきなが)川は絶えぬとも君に語らむ言(こと)盡(つき)めやも
(万4458)

 【いたし(痛)】
今朝の朝明(あさけ)雁(かり)がね聞きつ春日(かすが)山黄葉(もみち)にけらし吾(わ)が情(こころ)痛(いた)し(万1513)
霞立つ長き春日の暮れにけるわづきも知らずむら肝の心を痛(いた)み、、、(万5)

 「痛」の古代中国語音は痛[thong]である。日本語の痛(い+たし)は中国語の痛[thong]の語頭に母音「い」を添加したものであろう。悼(い+たむ)も悼[dô]の語頭に母音「い」が添加されたものである。古代日本語では濁音が語頭にくることはなかった。そのため、語頭に濁音のある語には母音が添加された。出[thiuət] 出(い+でる)、となり泉[dziuan]は泉(い+づみ)となったと考えることができる。

 【いとふ(厭)】
何すとか君に厭(いと)はむ秋芽子(あきはぎ)のその初花の歎(うれ)しきものを
(万2273)
手束杖(たつかづゑ)腰にたがねてか行けば人に厭(いと)はえかく行けば人に憎まえ老男は斯(か)くのみならし、、、(万804)

  「厭」の古代中国語音は厭[iap]であり、日本漢字音は厭(エン・ヨウ・アツ・オウ・オン)である。中国語の韻尾[-p]は日本漢字音ではタ行で現われることが多い。立[liəp]・リツ、湿[siəp]・シツ、接[tziap]・セツ、摂[siap]・セツ、などである。日本語の厭(いとふ)は厭(アツ)の転移したものであろう。

 【いぬ(犬)】
吾(わが)待つ君を犬(いぬ)な吠(ほ)えそね(万3278)
狗上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山にある不知也川(いさやがは)不(いさ)とを聞こせわが名告(の)らすな(万2710)

  「犬」古代中国語音は犬[khyuan]である。見母[k-]、渓母[kh-]の語頭音も次に[-i-][-y-]などの介音が来ると脱落することが多い。王力は『同源字典』で影[yang]と景[kyang]は同源であるとしている。弓[kiuəm]・(キュウ・ゆみ)、丘[khiuə]・(キュウ・おか)、今[kiəm]・(コン・いま)、寄[kiai]・(キ・よる)、居[kia]・(キョ・いる)、挙[kia]・(キョ・あげる)、吉[kiet]・(キツ・よき・よし)、禁[kiəm]・(キン・いむ)などである。

 同じ声符をもった漢字でカ行とア行に読みわけるものもいくつかあげることができる。例:奇[kiai](キ)・椅[iai](イ)、季[kiuet/kiuei](キ)・委[iuai](イ)、貴[kiuəi](キ)・遺[jiuəi](イ・ユイ)などである。国[kuək](コク)・域[hiuək](イキ)、廣[kuang](コウ)・黄[huang](コウ・オウ)・横[hoang](オウ・よこ)のように匣母[h-]を頭音にするものもあるが、頭音の脱落には介音が関与しているものとみられる。

 【いね(稲・秈)】
住吉(すみのえ)の岸を田に墾(はり)蒔(ま)きし稲(いね)さて刈るまでに逢はぬ君かも
(万2244)

戀ひつつも稲葉(いなば)搔き別け家居れば乏(とも)しもあらず秋の暮(ゆふ)風
(万2230)

  「稲」の古代中国語音は稲[du]であり、日本語の稲(いね)とは音韻的に関係はなさそうである。しかし、弥生時代に稲(いね)が中国から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたことはほぼ間違いないことである。スウェーデンの言語学者カールグレンは、日本語の「いね」の語源は秈[shean]の語頭音が脱落したものではないかと、提案している。「秈」は「うるち米」のことであり、山母[shean]の語頭音は脱落することが多いので、この説明はかなり説得力がある。

【いま(今)】
秋 風に伊麻(いま)か伊麻(いま)かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ(万4311)
今 更(いまさら)に何をか念(おも)はむうち靡き情(こころ)は君に縁(よ)りにしものを
(万 505) 

 「今」の古代中国語音は今[kiəm]である。日本語の今(いま)も中国語の頭子音が脱 落したものである。 

【いまだ(未)】
妹 が見しあふちの花は散りぬべしわが泣く涙(なみだ)伊摩陀(いまだ)干(ひ)なくに
(万798)

妹 が門(かど)入(い)り泉川の常滑(とこなめ)にみ雪殘れり未(いまだ)冬かも
(万1695) 

 「未」の古代中国語音は未[miuət]である。中国語の明母[m-]は古代日本語では語頭に母音が添加されることが多 い。夢[miuəng]・いめ、妹[muət/muəi]]・いも、などである。馬[mea]・うま、梅[muə]・うめ、のように「う」が語頭に添加されることも ある。 

【いむ(忌・禁)】
隠 沼(こもりぬ)の下ゆ戀ふれば爲方(すべ)を無(な)み妹(いも)の名告(の)りつ忌むべきものを(万2441)
今 の世の人、夜、一片の火を忌(い)む。また夜、擲櫛(なげぐし)を忌(い)む。(紀神代・上) 

 「忌」「禁」の古代中国語音は忌[giə]、禁[kiəm]である。記紀万葉では忌、斎などの文字が用いられ ているが、『名義抄』には「禁、諱、忌、斎・イム」としてあり、日本語の「いむ」の語源としては「禁」であろう。 

【いめ(夢)】
眞 野(まの)の浦の淀(よど)の繼橋(つぎはし)情(こころ)ゆも思へや妹が伊目(いめ)にし見ゆる(万490)
あ しひきの山來隔りて遠けども心し行けば夢(いめ)に見えけり(万3981) 

 「夢」の古代中国語音は夢[miuəng]である。日本漢字音は夢(ム・ボウ)であり、訓は 夢(いめ・ゆめ)である。「いめ・ゆめ」は中国語の「夢」と同源であり、語頭に母音が添加され、韻尾の[-ng]が失われている。古今集や源氏物語の時代になると 夢(いめ)は夢(ゆめ)に変化する。 

思 ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢(ゆめ)と知りせばさめざらましを(古今552) 

【いも(妹)】
沖 つ鳥鴨(かも)着(ど)く島に我が率(ゐ)寝し伊毛(いも)は忘れじ世のことごとに(記神代)
言 問はぬ木すら妹(いも)と兄(せ)とありといふをただ独子にあるが苦しさ(万1007) 

 古代日本語の「いも」の語源は中国語の妹[muət]あるいは妹[muəi]である。しかし、日本語の「いも」は意味の範囲が 広く、男から妻や恋人・姉妹などの親しい女性を呼ぶときに使われる。 

【いゆ(癒)】
臣 (やつかれ)の疾病(やまひ)今にいたるまで未(いまだ)癒(いえ)ず(敏達紀一四年) 

 「癒」の古代中国語音は癒[jio]で ある。辞書によると音は癒(ユ)、訓は癒(いえる)となっている。日本語の「いえ」あるいは「いゆ」はヤ行のエをあらわしたものであろう。古代日本語には ヤ行のエ(枝など)があったが、五十音図ができた時点ではヤ行のエはア行のエと合流していたので、五十音図にはヤ行のエはない。

 中国語には動詞の活用はないが、日本語の動詞とし ての「癒」は下二段活用する。 

【いる(入)】
妹 が寝る床のあたりの石(いは)くぐる水にもがもよ伊里(いり)て寝まくも(万3554)
天 の原雲なき夕(よひ)にぬばたまの夜度(わた)る月の入らまく惜しも(万1712) 

 古代中国語の「入」は入[njiəp]である。日母[nj-]は朝鮮語や古代日本語では脱落することが多い。 「入」の朝鮮語音は入(ip)である。韻尾の(-p)は日本語では入(ニュウ)のように発音されること が多いが、「入水」、「入声」などのように入唐(ニットウ)、入声(ニッショウ)、入水(ジュスイ)のように(-t)に近い発音になることもある。

 すでに厭[iap]の項で見たように中国語の入声音[-p]は厭[iap]・(アツ)、立[liəp]・リツ、湿[siəp]・シツ、接[tziap]・セツ、摂[siap]・セツ、のようにタ行に転移することもある。

 入声音(韻尾の[-p][-t][-k])は現代の中国語方言でもさまざま形に変化してい る。

古代中国語音

広東語

上海語

北京語

朝鮮漢字音

[njiəp]

[njiet]

[njiek]

yahp

yuht

yuhk

zek

zek

nik

ru

ri

rou

ip

il

yuk

 広東語では[-p][-t][-k]の区別が保たれており、上海語では[-p][-t][-k]は合流して[-k]に近い音になっている。北京語では[-p][-t][-k]の韻尾は失われている。朝鮮語では[-t][-l]に転移している。日本漢字音の[-p][-t]に近いものであったとすれば、「入」が入(いる) に転移したとしても不思議はない。 

【いる・いゆ(射)】
大 夫(ますらを)の得物矢(さつや)插(はさ)み立ち向ひ射(い)る圓方(まどかた)は見るに清潔(さや)けし(万61)
射 (い)ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ河邊(かはへ)の和草(にこぐさ)の身の若かへにさ宿(ね)し兒(こ)らはも(万3874) 

 「射」の古代中国語音は射[djyak]である。日本語の射(いる)は語頭子音が脱落した ものである。韻尾の[-k][-l]に転移している。 

【いろ(色)】
雪 の伊呂(いろ)を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも(万850)
色 (いろ)に出(い)でて戀ひば人見て知りぬべし情(こころ)のうちの隠妻(こもりづま)はも(万2566) 

 「色」の古代中国語音は色[shiək]である。日本語の色(いろ)は語頭子音が脱落した もので、韻尾の[-k][-l]に転移している。



☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典

☆ つぎ 第164話 うぐひす(鶯)の語源