第164話  うぐひす(鶯)の語源  

【うぐひす(鶯)】
あ しひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の聲(万3915)
春 山の霧に惑(まと)へる鶯も我にまさりて物思はめや(万1892) 

 「鶯」の古代中国語音は鶯[eng]である。日本漢字音は鶯(オウ)であるが、上古音 は鶯(オグ)あるいは「ウグ」に近かったと思われる。「ウグイス」の「ス」は隹[tjiuəi]で鳥を意味する。朝鮮語では鳥のことを(sae)という。「ウグ+ヒ+ス」は「鶯+鳥」つまり「ウ グ鳥」であろう。「ス」のつく鳥には鴉「カラス」、雉「キギス」、鴃・百舌鳥「モズ」、鷲「ワシ」、「カケス」、「ホトトギズ」などがある。
 「ウグヒス」の「ヒ」は不明である。鵠「クグ ヒ」、鳶「トビ」、「クヒナ」、「ヒヨドリ」など鳥の名には「ヒ」がつくものも多い。

 【うし(牛)】
馬 にこそ絆(ふもだし)掛くもの牛にこそ鼻縄はくれ、、、(万3886) 

 「牛」の古代中国語音は牛[ngiuə]である。朝鮮漢字音では語頭子音が脱落して牛(u)となる。また、朝鮮語では牛のことを牛(so)という。日本語の「うし」は朝鮮漢字音の牛(u)と朝鮮語の牛(so)を合わせたものであろう。新羅の万葉集といわれる 郷歌(ヒヤンガ)には両点といって中国語+朝鮮語訳を併記する方法がしばしば用いられている。

 日本でも『千字文』の冒頭にある「天地玄黄 宇宙 洪荒」を「テンチのあめつちは クエンクワウとくろく・きなり。ウチウのおほぞらは コウクワウとおほいにおほきなり」などと読んだ。これも朝鮮半島の両 点と同じく音訓両読で、「文選読み」といった。 

【うし(厭・憂)】
世 間(よのなか)を宇之(うし)とやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(万893)
鶯 (うぐひす)の往来(かよ)ふ垣根の卯の花の厭(う)きことあれや君が來座(きま)さぬ
(万1988)
 

 「厭」の古代中国語音は厭[iap]である。「厭」と同じ声符の「壓(圧)」の日本漢 字音は壓(アツ)であり、中国語韻尾の[-p]は日本語では[-t]に転移しやすい。また、[-t][-l]と調音の位置が同じなので朝鮮漢字音では[-t][-l]に規則的に転移する。日本語の「うし」は中国語の 「厭」が転移したものと考えられる。
 万葉集では「厭し」が使われているが、後には「憂 し」が使われるようになった。「憂」は憂欝の憂で、憂も欝も「うれえる」の意味がある。「憂」「欝」の古代中国語音は憂
[iu][iuət]であり、日本語の「うし」あるいは「うれふ」は音 義ともに憂・欝に近い。

 【うで(腕)】
腕、太々無岐、一云宇天(うで)」(和 名抄)
 

 「腕」の古代中国語音は腕[uan]である。[-n][-t]は調音の位置が同じであり転移しやすい。中国語音 韻史では上古の入声音[-t]は隋唐の時代になって[-n]に変化したと考えられている。日本語では第二音節 の[-t]は濁音になり[-d]となることが多い。日本語の「うで」は「腕+手」 の連想も働いているかもしれない。韻尾の[-n]がタ行に転移する例としては次のようなものがみら れる。 

  肩[kyan]・ (かた)、琴[giəm]・ (こと)、言[ngian]・ (こと)、幡[phiuan]・ (はた)、楯[djiuən]
 (たて)、灘
[than]・ (なだ)、管[kuan]・ (くだ)、宛[iuan]・ (あて)、音[iəm]・ (おと)、
 斑
[pean]・ (ふち)、辺[pyen](へ た)、鞭[bian]・ (むち)、堅[kyen]・ (かたい)、親[tsien]
 (したしい)、断
[duan]・ (たつ)、満[muan]・ (みつる)、 

【うま・むま(馬)】
宇 摩(うま)ならば日向の古摩(こま) 太刀(たち)ならば呉の眞鋤(紀歌謡)
日 並(ひなみし)皇子(みこ)の命(みこと)の馬(うま)並(な)めて御獵(みかり)立たしし時は來向ふ(万49)

  古代中国語の「馬」は馬[mea]である。中国人はこの語をモンゴル人から借りたら しい。朝鮮語では馬は馬(mal)である。これが本来のアルタイ系のことばであろ う。「馬」という漢字はもちろん中国人が作ったものである。
 日本語の「うま」は中国語の馬
(ma)の語頭に「う」を添加したものである。馬(う ま)、梅(うめ)などが中国語語源であることはスウェーデンの言語学者カールグレンがすでに指摘しているところである。古代日本語では馬(むま)であった と考えることができる。万葉集には馬(むま)という表記もみられる。 

牟 麻(むま)の爪筑紫の崎に留(ちま)り居て、、(万4372) 

【うまし(味・美)】
飯 (いひ)喫(は)めど味(うま)くもあらず寝(い)ぬれども安くもあらず(万2)
美 麗(うまし)物(もの)何所(いづく)飽(あ)かじを、、(万3821) 

 「味」の古代中国語音は味[miuət/miuəi]である。味[miuət]が古く味[miuəi]の方が新しい。日本語の「うまい」あるいは「うん まい」は中国語の「味」が語源である。古代日本語では「うましくに」などということばもある。美しい国、の意味である。「うまし国」のうましの語源は美[miei]であろう。 

【うみ(海)】
神 風(かむかぜ)の伊勢の宇美(うみ)の大石に這(は)ひ廻(もとほ)ろふ、、(記歌謡)
あ り通(かよ)ふ難波の宮は海(うみ)近み漁童女(あまをとめ)らが乗る船見ゆ(万1063) 

 「海」の古代中国語音は海[xuə]であるとされている。しかし、「海」の声符である 「毎」は毎[muə]である。隋唐の時代よりさらに古い時代の上古中国 語では「海」あるいは「毎」には入り渡り音として喉音[x-]があり、「海」は海[xmuə]あるいは海[hmuə]であったのではないかということが理論上想定され る。その喉音が脱落したものが日本語の「うみ・海[muə]」であり、喉音が発達したものが上海の海(hai)であり、日本漢字音の海(カイ)であるということ になる。
宮田一郎編著『上海語常用同音字典』(光生館)に よると上海語では現在でも「毎」「美」「馬」などの前に入り渡り音
[?](咽頭閉鎖音)が聞こえるという。

 古代中国語音の[m-]の前に入り渡り音があったと想定されるものに、米[mei]・(ベイ・マイ・こめ)、滅[miuat](メツ・ほろぶ)、毛[mô](モウ・け)などがある。
 また、同じ声符の漢字がマ行とカ行に読み分けられ ているものには物
[miuət]・惚[xuət]]、黒[xək]・黙[mək]・墨[mək]などがある。これらのことから古代中国語の[m-]には語頭に入り渡り音があり[xm-]あるいは[hm-]に近い音であったことが想定できる。

 王力は『漢語語音史』のなかで[m]の前に入り渡り音あがる漢字として次のようなもの をあげている。
 例:昏、婚、忽、惚、荒、黒、悔、海など
(p.24) 

【うめ(梅)】
わ が園の宇米(うめ)の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ來るかも(万822)
わ が背子に見せむと思ひし梅(うめ)の花それとも見えず雪の降れれば(万1426) 

 古代中国語の「梅」は梅[muə]であった。中国語の[m-]は日本語のマ行よりも両唇の閉鎖性が強かったため 馬(うま・むめ)のように、「梅」も梅(うめ)として日本語に受け入れられた。 

【うも(芋)】
蓮 葉(はちすは)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家なる物は宇毛(うも)の葉にあらし(万3826) 

 古代中国語の「芋」は芋[hiua]であった。日本漢字音は芋(ウ)である。上古中国 語の頭音の喉音[h-]が随唐の時代になって介音[-i]の影響で脱落したものが芋(ウ)である。また、芋[hiua]の上古音は芋[hmiua]であったと考えることもできる。胸[xiong](キョウ・むね)、護[hoak/huək](ゴ・まもる)、向[xiang]・(コウ・むかふ)のように喉音[x-/h-]には[xm-]あるいは[hm-]という入り渡り音があったのではないかとも考えら れる。
 王力は『漢語語音史』のなかで
[m]の前に入り渡り音があったものとして次のような例 をあげている。
 例:埋、卯、昴、貿、蛮、昏、婚、忽、惚、荒、黒、悔、海など、
 

 その場合は日本語の「いも」は芋[hmiua]の入り渡り音が脱落した芋[miua]に、馬(うま)や梅(うめ)のように母音が添加さ れたものであると考えることができる。

 もう一つの想定は、日本語の「いも」は中国語の芋[hiua]+蕪[miua]ではないかという考え方である。「蕪」は「かぶ ら」であり、「いも」は根菜類を示すことばであった、といことになる。しかし、これには傍証もない。 

【うもる(没)】
時 に、伊予の温泉(ゆ)、没(うも)れて出でず(紀天武13年) 

 古代中国語の「没」は没[muət]である。日本語の「うもる」は中国語の没[muət]の語頭に母音「う」が添加され、韻尾の[-t][-l]に転移したものであるということができる。朝鮮漢 字音では韻尾の[-t]は規則的に[-l]に転移する。[-t][-l]は調音の位置が同じである。古代日本語でも中国語 の韻尾[-t][-n]がラ行に転移する例は多い。埋没の埋[məi]も声義ともに「没」に近い。 

【うら(裏)】
天 地(あめつち)の底ひの宇良(うら)にあが如く君に戀ふらむ人はさねあらじ(万3750) 

 古代中国語の「裏」は裏[liə]である。日本語の「うら」は中国語の裏(リ)の前 に母音「ウ」が添加されたものである。古代日本語や朝鮮語では語頭にラ行の音がくることがないから、中国語の語頭の[l-]は脱落することが多い。裏(うら)の場合は語頭に 母音を添加することによって日本語として受け入れられた。 

【うらむ(怨・恨)】
黄 葉(もみち)をば取りてぞしのふ青きをは置きてぞ歎くそこし恨(うら)めし秋山吾(われ)は(万16)
逢 はずとも吾(われ)は怨(うら)みじこの枕吾と念(おも)ひて枕(ま)きて宿座(ねま)せ
(万2629)
 

 古代中国語の「怨」「恨」は音義ともに近く、それ ぞれ怨[iuan]、恨[hən]である。日本語の「うらむ」は中国語の「怨」ある いは「恨」の転移したものである。韻尾の[-n][-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。 

【うれふ(憂)】
草 枕客(たび)の憂(うれへ)を慰(なぐさ)もる事もあるかと、、(万1757)
妻 子(めこ)どもは足(あと)の方(かた)に圍(かく)み居て憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ
(万892)
 

 古代中国語の「憂」は憂[iu]である。憂[iu]は欝[iuət]と音義ともに近い。日本語の「うれう」は憂欝の 「鬱」に音は近い。「うれう」の語源は、といえば鬱[iuət]だろう。韻尾の[-t][-l]に転移することが多い。「憂」の字があてられるよ うになったのは音義ともに近かったからであろう。 

【うを(魚)】
志 賀の浦に漁(いざり)する海人(あま)家人(いへびと)の待ち戀ふらむに明かし釣る宇乎(うを)(万3653)
「魚  宇乎(うを)、俗云 伊乎(いを)」(和名抄) 

 古代中国語の「魚」は魚[ngia]である。朝鮮漢字音では疑母[ng-]は脱落して魚(eo)となる。日本語の「うを」は朝鮮漢字音の魚(eo)の影響を受けたものである。


☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典索引

 つぎ 第165話 おく(奥・沖)の語源