第198話  みなもと(源)の語源

 
【みなもと(源)】
「飯 梨河(いひなしがは)源(みなもと)三つ有り。一つの水源(みなもと)は仁多、大原、意宇(おう)三つの郡の堺なる田原より出(い)で、、、」(出雲風土記、意宇郡)

  古代中国語の「源」 は源[ngiuan] である。「源」の上古音は源[ngiuat] に近い音であったと推定されれる。日本語の「みな もと」は水(朝鮮語の水(mul))+源[ngiuat] であろう。部首の「氵」が「み」であり、原[ngiuan] が 「もと」である。「な」は現代語の「の」である。中国語の疑母[ng-]は日本語では語頭に立たない音であり、[m-]に転移することが多い。[m-]と「ng-」はともに鼻音であり、調音の方法が同じである。 調音の方法が同じ音は転移しやすい。

 例:御[ngia]み、眼[ngean]め、迎[ngyang]むかふ、芽[ngea]め。

 日本語の「もと」にあたることばには元[ngiuan](ゲン・もと)、本[puən](ホン・もと)がある。いずれも韻尾の[-n-] が[-t] であらわれている。中国語音韻史では[-t] が古く[-n-] が新しい。

 西洋言語学では「音韻法則に例外なし」という考え かたが強く、源[ngiuan]が源(もと)となるのであれば、原[ngiuan]も原(もと)となるべきはずである。しかし、実際 には「源」は源(もと)であり、「原」は原(はら)である。それはなぜだろうか。
 外来語はそのことばが入ってきた時期の発音を留め ている。駅の「ホーム
(platform)」は今でも「ホーム」であり、「ユニフォーム(uniform)」が「フォーム」になったからといって「駅の フォーム」になるわけではない。「コーヒー」は英語ではcoffeeだと知っていても、「コフィー飲みましょう」とは 云わない。この違いは外来語が入って来た時期による。
 日本語の発音ならば「ひ」が「し」に変化すれば、すべての「ひ」が「し」に変化するはずであるが、外来語の場合はそのことばが入ってきたときの発音をとどめることが多い。

 【みぬめ(敏馬)】
嶋 傳(づた)ひ敏馬(みぬめ)の埼(さき)をこぎ廻(み)れば日本(やまと)戀(こほ)しく鶴(たづ)さはに鳴く(万389)

  古代中国語の「敏」 は敏[mien]であり、「馬」は馬[mea] である。日本漢字音は敏(ビン・さとい)、「馬」 は馬(バ・メ・マ・うま)である。古代日本語では濁音が語頭に立つことはなかったので、記紀万葉の時代には敏(ビン)も馬(バ)もなかった。日本語の古地 名敏馬(みぬめ)は古代日本語の音韻構造を反映したものであり、敏[mien](みぬ)も馬[mea](め)も中国語音が転移したものである。
 馬
[mea] の日本漢字音は馬(うま)→馬(ま・め)→馬 (バ)と変化した。 「女」もまた、記紀万葉の時代には女(め)であら われることがある。古代中国語の「女」は女[njia]であり。中国語の日母[nj-] はもと[m-] であり、口蓋化によって[nj-] になったと考えられる。女(め)が古く、女(ニョ・ジョ)が新しい。
参照:第199話【め(女)】、

【みね(峰・嶺)】
奈 良山の峰(みね)の黄葉(もみちば)取れば落(ち)る時雨(しぐれ)の雨し間(ま)無く零(ふ)るらし(万1585)
此 の山の嶺(みね)に近しと吾が見つる月の空(そら)なる戀もするかも(万2672)

 古代中国語の「峰」 は峰[phiong] である。日本語の「みね」は中国語の「峰」と同源 であろう。中国語の[ph-]は日本語にはない音であるが、調音の位置が[m-]と同じ唇音である。調音の位置が同じ音は転移しや すい。
  日本語の「みね」には嶺
[lieng] という字もあてられて いる。「峰」と「嶺」の漢字音は峰(ホウ・みね)・嶺(レイ・みね)であり、かなり違った音のように聞こえる。しかし、中国語では唇音の[m-][l-]とは調音の位置も近く、転移しやすい。同じ 声符をもつ漢字がマ行とラ行に読み分けている例もみられる。

 例:陸[liuk]・睦[miuk]、命[mieng]・令[lieng]、萬[muan]・勵[liat]、など。

 峰[phiong]・嶺[lieng]の韻尾[-ng]はカ行であらわれることが多いが、マ行あるいはナ行であらわれ ることもある。韻尾[-ng] 、[-n]、[-m] はいずれも鼻音であり、転移しやすい。

 例:種[diong] たね、常[zjiang] つね、浪[lang] なみ、弓[kiuəng] ゆみ、公[kong] きみ、

 【みのる(稔)】
「歳 (とし)亢(ひでり)に逢(あ)はば唯(ただ)穀實(たなつもの)の豐稔(みのりゆたか)なる歡(よろこび)を見む。」(常陸風土記、総記)

  古代中国語の「稔」 は稔[njiəm] である。日本漢字音は(ネン・みのる)である。語 頭の日母[nj-]はナ行であらわれることが多いがマ行であらわれる こともある。中国語の日母[nj-] にあたる音は日本語にはなかったので、聴覚印象の近いマ行であらわれる。古代中国 語の日母[nj-] はさらに時代を遡ると明母[m-] に近かったとも考えられる。日母[nj-] は明母[m-] が口蓋化して生まれた可能性がある。

例:耳[njiə](みみ)、汝[njia](みまし)、認[njiəm]みとめる、燃[njian]もえる、

  「爾」は日母[nji-]の声符であるが、同じ声符をもった漢字に爾[njiai] ジ、[miai]ミ、瀰[miei]ビ、禰[myei] ネ、などの読み方がある。[m-] が古く[nj-]  は[m-]  が口蓋化したものであろう。日母[nj-] は元の時代になると、さらに日[dj-] あるいは[zi-] に変化した。
  マ行とナ行はいずれも鼻音であり調音の方法が同じ である。しかも、調音の位置も近い。そのため日本語でもマ行とナ行は弁別されないことがある。

 例:蜷川(にながわ・みながわ)、韮(にら・み な)、

【みぶ(乳部)】
「悉 くに上宮の乳部(みぶ)に民を聚(あつ)めて、≪乳部、此れをば美父(みぶ)といふ。≫塋垗(はか)所に役使(つか)ふ。」(皇極紀)
「春 二月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)に壬生部(みぶべ)を定む。」(推古紀)

  乳部は皇子の養育料 として授けられた部で、壬生部 (みぬべ)ともいう。「乳」「壬」の古代中国語音は乳[njia]、壬[njiəm-]であり、日母[nj-]が日本語ではいずれもマ行であらわれている。「部」は部[bo]であり漢語である。朝廷や豪族に隷属した農民や特 殊技能をもった集団をさす。乳部(みぶ)漢語の転移したものである。

 【みみ(耳)】
鳴 く鳥の聲も更(かは)らふ耳(みみ)に聞き眼に視(み)るごとにうち嘆き、、(万4166)
「卽 ち百舌鳥(もず)耳(みみ)より出(い)でて飛び去りぬ。因(よ)りて耳の中を視(み)るに悉(ことごとく)に咋(く)ひ割(さ)き剥(は)げり。故(か れ)其の處(ところ)を號(なづ)けて百舌鳥耳原(もずみみはら)と曰ふは、其れ是の縁なり。」(仁徳紀67年)

  古代中国語の「耳」 は耳[njiə]である。日本漢字音は耳(ニ・ジ・みみ・のみ)である。日本語の耳(み み)は中国語の耳[njiə]の古い音の痕跡をとどめている。
参照:【みのる(稔)】、第197話【みなみ (南)】、

 【みや(宮)】
う ちひさす宮(みや)にはあれど鴨頭草(つきくさ)の移(うつ)ろふ情(こころ)吾が思はなくに(万3058)
「故 (かれ)是(ここ)を以(も)ちて其の速須佐之男(はやすさのをの)命(みこと)宮(みや)造作(つく)るべき地(ところ)を出雲國に求めましき。」(記、上)

  古代中国語の「宮」 は宮[kiuəm]である。「宮」の祖語には語頭に入りわたり音が あって宮[hmuəm]のような音であったのではないかと推定できる。宮 (キュウ)は入りわたり音[h-]が残ったのもであり、宮(みや)は入りわたり音[h-]が脱落したものである。日本語の「みや」は廟[miô]も音義ともに近い。
参照:第197話【まが(禍)】、【まがる (曲)】、【まぐ(覓・求)】、【まもる(護)】、【まる(丸)】、第164話【う み(海)、第173話【こめ(米)】、

 【みやこ(京)】
樂 浪(ささなみ)の國つ御神(みかみ)の心(うら)さびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも
(万33)

し かとあらぬ五百代(いほしろ)小田(をだ)を刈り亂(みだ)り田廬(たぶせ)に居(を)れば京師(みやこ)し念(おも)ほゆ(万1592)

  古代中国語の「京」 は京[kyang]である。「京」も「宮」と同じく、訓がマ行で京(み やこ)、音はカ行で京(キョウ)である。「京」も上古音は京[hmyang] に近い音だったものと推定できる。京(キョウ)は 入りわたり音[h-]が京[kyang]に転移したものであり、京(みやこ)は入りわたり音が脱落して 京[myang]となったものであろう。韻尾の[-ng]は上古音では[-k]に近かった。
参照:【みや(宮)】、第197話【まが (禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ(覓・求)】、【まもる(護)】、【まる(丸)】、第 164話【うみ(海)】、第173話【こめ (米)】、

 【みやび(雅美)】
梅 の花夢(いめ)に語らく美也備(みやび)たる花とあれ思(も)ふ酒に浮かべこそ(万852)
遊 士(みやびを)とわれは聞けるを屋戸(やど)貸さずわれを還(かへ)せりその風流士(みやびを)(万126)

  万葉集では日本語の 「みやび」に「美也備」「遊」 「風流」をあてているが、語源的には「みやび」は「雅美」であろう。古代中国語の「雅美」は雅美[ngea-miei]である。古代日本語では語頭に濁音が立つことはな かったから中国語の雅[ngea]はマ行に転移した。中国語の疑母[ng-]が日本語でマ行に転移した例は多い。

例:芽[ngea]め、眼[ngean]め、御[ngia]み、元[ngiuan] もと、[ngyang]むかふ、詣[ngyei] まうづ、

 【みる(見)】
淑 (よ)き人の良(よ)しと吉(よ)く見(み)て好(よ)しと言ひし芳野(よしの)吉く見よ良き人よくみ(万27)
海 人(あま)小船(をぶね)帆(ほ)かも張れると見るまでに鞆(とも)の浦廻(うらみ)に浪立てり見ゆ(万1182)

  古代中国語の「見」 は見[hyan]である。日本漢字音は見(ケン・みる)である。 「見」の祖語は見[hmyan] に近い音であり、語頭の[h-]が脱落したものが見(みる)となり、入りわたり音[h-]が発達したものが見(ケン)になったものと考えら れる。韻尾の[-n][-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。
 日本語の「みる」には「観」「看」があてられることもあ る。観
[kuan]、看[khan] は音義ともに見[hyan] に近い。日本語の「みる」は中国語の「見」「観」「看」 と同源であろう。
参照:【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ (覓・求)】、【まもる(護)】、【まる(丸)】、【みや(宮)】、【みやこ(京)】、第 164話【うみ(海)】、第173話【こめ (米)】、

 【みる(廻)】
縄 (なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる奥(おき)つ嶋榜(こ)ぎ廻(み)る舟は釣(つり)しすらしも(万357)
嶋 傳(づた)ひ敏馬(みぬめ)の埼(さき)をこぎ廻(み)れば日本(やまと)戀(こほ)しく鶴(たづ)さはに鳴く(万389)

 古代中国語の「廻」は廻[huəi]である。「廻」の祖語は[hmuəi] に近い音であったものと推定できる。日本漢字音は 廻(カイ・みる・めぐる・まわる)である。廻(カイ)は入りわたり音の痕跡を留めたものであり、古代日本語の廻(みる・めぐる)は入りわたり音[h-]の脱落したものである。現代の日本語の「まわる」 の「わ」は中国語の介音[u]にあたるものであろう。[m-][w-]はともに唇音であり合音になりやすい。
例:綿
[mian]わた、尾[miuəi]を、など。
参照:【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ (覓・求)】、【まもる(護)】、【まる(丸)】、【みや(宮)】、【みやこ(京)】、【みる(見)】、第 164話【うみ(海)】、第173話【こめ (米)】

 【むかふ(向)】
た まきはる命(いのち)に向(むか)ひ戀ひむゆは君がみ舶(ふね)の梶柄(かぢから)にもが
(万1455)

日 竝皇子(ひなみのみこ)の命(みこと)の馬竝(な)めて御獦(みかり)立たしし時は來向(むか)ふ(万49)

  古代中国語の「向」 は向[xiang]である。日本漢字音は向(コウ・むかう)である。 中国語の祖語には入りわたり音があって、向[hmang] に近い音であったものと推定できる。日本語の向 (むかふ)は入りわたり音が脱落したものであり、向(コウ)は入りわたり音が発達したものであろう。
参照:【まが(禍)】、【まがる(曲)】、【まぐ (覓・求)】、【まもる(護)】、【まる(丸)】、【みや(宮)】、【みやこ(京)】、【みる(見)】、【みる・まはる(廻)】、第164話【うみ (海)】、第173話【こめ(米)】、

 【むかふ(迎)】
去 年(こぞ)の春逢(あ)へりし君に戀ひにてし櫻の花は迎(むか)へ來(け)らしも(万1430)
「新 羅の闘将、、、軍(いくさ)を進めて逆(むか)へ戦ふ。」(欽明紀23年)

  古代中国語の「迎」 は迎[ngyang]である。語頭の[ng-][m-]と調音の方法が同じであり、転移しやすい。

 例:御[ngia]み、眼[ngean]め、迎[ngyang]むかふ、芽[ngea]め、源[ngiuan]みなもと、

 韻尾の[-ng]はさらに時代を遡ると[-k] に近い音値をもっていたと考えられている。日本語の「むかふ」は中国語の迎[ngyang]と同源であろう。
 日本語の「むかふ」には「逆」という漢字もあてら れている。「逆」の古代中国語音は逆
[ngyak] であり、迎[ngyang]に近い。王 力は『同源字典』のなかで逆[ngyak] [ngyang]は同源であるとしている。日本語の「むかふ」は中 国語の「迎」「逆」と同系のことばであろう。


☆もくじ

★第161話 古代日本語語源字典索引

☆つぎ第199話 むぎ(麦)の起源