第171話  くも(雲)の語源

 
【くも(雲)】
三 輪山を然(しか)と隱すか雲(くも)だにも情(こころ)有らなもかくさふべしや(万18)
大 和へに西風(にし)吹き上げた玖毛(くも)離れ退(そ)き居りとも我忘れめや(記歌謡) 

 古代中国語の「雲」は雲[hiuən]である。中国語の頭音[h-]は日本語にはない喉音であり、調音の位置が[k-]に近いことから日本漢字音ではカ行で現われる。上 古音の語頭の[h-]は次に介音[-iu-]がくるものは隋唐の時代に至って脱落した。日本漢 字音は雲(くも・ウン)である。日本漢字音の雲(ウン)は古代中国語の頭音[h-]が介音[-i-]の発達によって脱落したものである。
参照:くま(熊)の項(第170話)

 【くゆ(悔)】
眞 玉(またま)つく彼此(をちこち)兼ねて言(こと)はいへど逢(あ)ひて後(のち)こそ悔(く)いにはありと言へ(万674)
潮 待つとありける船を知らずして久夜之久(くやしく)妹(いも)を別れ來にかり
(万3592) 

 「悔」の古代中国語音は悔[xuə]である。古代中国語音の[x-]は喉音である。現代北京語では悔(hui)である。日本漢字音は「悔」は悔(くいる・カイ) である。
 「悔」と同じ声符をもつ「毎」の古代中国語音は毎
[muə]である。同じ声符をもつ漢字がカ行とマ行に読みわ けられるがほかにもいくつかある。中国語の上古音では声母「明」の前に入り渡り音[h-]あるいは[x-]があったと考えられる。声符「毎」は隋唐の時代以 前の上古音は毎[hmuə]だった。
 悔
[xuə]は毎[hmuə]の入り渡り音[h-]が発達したものであり、「毎」は上代中国語音の毎[hmuə][h-]が脱落したものである。同じような例としては 「海」がある。上海(shang-hai)の海(hai)は入り渡り音の発達したものである。日本漢字音の 海(カイ)は中国語の喉音(h)がカ行に転移したものである。また、訓の海(う み)は毎[muə]の前に母音「う」が添加されたものである。
参照:うみ(海)の項(第164話)

 【くらふ(喫)】
「喫・ 囓・嚙 噬也、久良不(くらふ)」(新撰字鏡) 

 古代中国語の「喫」は喫[khyat]である。日本語の「くらう」の語源は中国語の 「喫」である。韻尾の[-t][-l]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。現代朝 鮮語では中国語の[-t]は規則的に[-l]になってあらわれる。例:日本(il-bon)、地下鉄(ji-ha-cheol)、万年筆(man-nyeon-ppil)な ど、、

 【くらゐ(位)】
大 織冠(だいしきのかうぶり)と大臣(おほおみ)の位(くらい)とを授く。(天智紀8年) 

 古代中国語の「位」は位[hiuət]だとされている。日本漢字音は位(くらい・イ)で ある。「位」と同じ声符をもつ「立」の古代中国語音は立[liəp]である。中国語音韻史では隋唐時代以前の上代中国 語の頭音[l-]には入り渡り音[h]があったことが知られている。このことから「位」 の上代中国語音は位[hliəp]に近い音であったと想定することもできる。日本語 の「くらい」の語源は古代中国語の位[hliəp]だったと考えられる。

 【くり(栗)】
爪 食(は)めば子ども思ほゆ久利(くり)食めばまして偲ばゆ何處(いづく)より來たりしものそ、、、(万802)
「栗  久利」(和 名抄) 

 「栗」の古代中国語音は栗[liet]である。隋唐時代以前の上代中国語の頭音[l-]の前には入り渡り音[h-]があったと考えられるから、栗[liet]のさらに古い形、上古音は栗[hliet]であったと想定できる。中国語には同じ声符の漢字をカ行とラ行に読みわけ ているものがいくつかみられる。 

例:果(カ)・裸(ラ)、各(カク)・落(ラク)、監(カン)・ 藍(ラン)、
   剣(ケン)・斂(レン)、兼(ケン)・簾(レン)、京(キョウ)・涼(リョウ)など 

カ行は入り渡り音[h-]が発達したものであり、ラ行は入り渡り音が脱落し たものである。日本語の「くり」の語源は中国語の「栗」である。

 【くる(來)】
大 和には鳴きて来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山呼びそ越ゆなる(万70)
は しきよしかくのみからに慕ひ來(こ)し妹(いも)が情(こころ)の術(すべ)もすべなき
(万796)

百 日(ももか)しも行かぬ松浦路(まつらぢ)今日行きて明日は來(き)なむを何か障(さや)れる(万870)
う ち靡く春來(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の開(さ)き往(ゆ)く見れば
(万1422) 

 古代中国語の「來」は來[lə]であった。來[lə]は隋唐の時代以前の上代中国語では入り渡り音[h-]があって、來[hlə]*に近い発音だったと考えられる。日本語の「くる」 の語源は上代中国語の來[hlə]*である。中国語には活用形はないが、日本語の 「來」はカ行変格活用で來(こ・き・く・くる・くれ・こ(よ))と活用する。

 【くるし(苦)】
み 吉野の吉野の鮎鮎こそは島邊も良(え)きえ倶流之ゑ水葱(なぎ)の本(もと)芹(せり)の本吾(あれ)は倶流之ゑ(紀歌謡)
念 (おも)ひ絶(た)えわびにしものをなかなかに何か辛苦(くるし)相見始(そ)めけむ
(万 750) 

 古代中国語の「苦」は苦[kha]である。同じ声符をもった「涸」に涸[hak]の音があることから「苦」もある地方、あるいはあ る時代には苦[khak]に近い音であったに違いないと考えることができ る。日本語の「くるし」は古代中国語の苦[khak]に依拠したものであろう。

 【くるふ(狂)】
相 見ては幾日(いくか)も經ぬを幾許(ここだ)くも久流比爾久流必(くるひんくるひ)念(おも)はゆるかも(万751) 

 古代中国語の「狂」は狂[giuang]である。韻尾の[-ng]は鼻音であり、[-n]に近い。また、[-n]は調音の位置が[-l]と同じであり、転移しやすい。日本語の「くるふ」 は古代中国語の「狂」に依拠したものであろう。

 【くるま(車・輪)】
「車  久流萬」(和 名抄) 

 「車」の日本漢字音は車(くるま・シャ)であり、 音と訓はかなり違うことばのように見える。古代中国語の「車」は車[kia]であり、「輪」は輪[liuən]である。日本語の「くるま」は古代中国語の車輪[kia-liuən]に由来するものであろう。「車」は日本漢字音では 車(シャ)であるが、朝鮮漢字音では車(keo) であり、古代中国語音車[kia]に近い。日本漢字音の車(シャ)は車[kia]が介音[-i-]の影響で口蓋化したものであろう。日本語でも同じ 声符をもった「庫」は[khia]である。

 一方、隋唐の時代以前の上古音では輪[liuən]の語頭に入り渡り音[h-]があったとも考えられる。その仮説が正しければ 「輪」の上古音は輪[hliuən]であり、日本語の「くるま」の語源は「輪」だとい うことになる。日本語の「くるま」の語源は上古中国語の「輪」で あろう。しかし、輪[hliuən]の頭の入り渡り音[h-]が失われたため、中国語では「くるま」のことを 「車輪」と書くようになった、と考えることができる。
 いづれにしても古代の日本の「くるま」中国の 「車」も自動車のことではない。現代中国語では自動車のことを「汽車」という。「汽車」の「汽」は「汽油(ガソリン)」のことである。

 【くろ(玄・黒)】
若 かりしはだも皺みぬ黒(くろ)かりし髪も白けぬゆなゆなは氣(いき)さへ絶えて、、
(万1740)
ぬ ばたまの玄髪山(くろかみやま)を朝越えて山下露に濡れにけるかも(万1241) 

 万葉集では日本語の「くろ」に「黒」「玄」などの 漢字があてられている。「黒」も「玄」も意味は「くろい」「くらい」である。古代中国語の「玄」「黒」は玄[hyen]、黒[xək]である。日本語の「くろ」は音義ともに中国語の 「玄」あるいは「黒」に近い。現代の日本語では「くろ」に「黒」の字が使われているが、語源的には日本語の「くろ」の語源は「玄」・「黒」だと考えられ る。


 もくじ

  第1 61話 古代日本語語源字典 索引

 第172話 けふ(今日)の語源