第176話  さやけし(清)の語源

 
【さやけし・すがし(清)】
小 竹(ささ)の葉はみ山も清(さや)に亂(さや)げども吾は妹(いも)思(も)ふ別れ來ぬれば
(万133)

吾 (わ)が背子(せこ)が挿頭(かざし)の芽子(はぎ)に置く露を清(さや)かに見よと月は照るらし(万2225)

  古代中国語の「清」 は清[tsieng]である。「清」の日本漢字音は清(セイ・ショウ・ シン・さやけし・すがし・きよし)である。清(きよし)についてはすでに述べた。(第169話)日本語の清(さ+や+け+し)は「さ[ts]+や[ie]+か[ng]+し」と中国語音に対応しているようにみえる。 (や)は中国語の[-i-]介音(わたり音)をあらわしている。(け)は[-i-]介音の影響で(か)が転移したものである。中国語 の韻尾[-ng]は調音の位置が[-k]と同じであり、上古音は[-k]に近い。
参照:第166話:【かがやく(光耀)】、【かぐ (嗅)】、【かげ(影)】、【かぐ(香)】、
第170話:【くき(茎)】、第173話:【さが (性・祥)】、【さかゆ・さかる(盛・栄)】、【さき・さち(幸)】、

 「清」には清(すがし)という読み方もある。

 然 (しか)して後(のち)に行きつつ婚(みあはし)せむ処(ところ)を覓(ま)ぐ。遂に出雲の清地(すが)に到ります。清地、此をば素鵞(すが)と云ふ。乃 ち言ひて曰はく、「吾(わ)が心(こころ)清清(すがすが)し」とのたまふ。(神代紀上)

速 須佐之男(はやすさのを)の命(みこと)、宮造るべき地を出雲國に求(ま)ぎたまひき。爾(しか)して須賀の地に到り坐(ま)して詔(の)らさく、吾(あ れ)此地に來て我(あ)が御心(みこころ)須賀須賀斯(すがすがし)とのらして、其地に宮作りて坐(いま)しき、故(かれ)、其地は今に須賀(すが)と云 ふ。(記 神代)

  日本書紀の「清」は清(すが)と読むことは古事記 の表記に「須賀」とあることからも明らかである。古代日本語の「すが」は中国語の清[tsieng]に対応している。中国語は上古音の段階では[-i-]介音が発達していなかったから清[tsek]に近い発音だったはずである。歴史的にはおそらく 清(きよし→すがし→さやけし)と中国語音の変化にしたがって日本語音も変化していったものと思われる。
参照:第169話:【きよし(清)】

 【さり(舎利)】
是 年、百済の國に使幷せて僧恵総・令斤・恵疐等を遣して、仏(ほとけ)の舎利(さり)を献(たてまつ)る。(崇峻紀元年)

  舎利は梵語のsariraの音訳である。古代中国語音は舎利[sjya-liei]だが古代日本語には「シャ」という音節はなかった ので舎利(さり)とした。

 【さる(猿)】
痛 醜(あなみにく)く賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿(さる)にかも似る
(万344)

  古代中国語の「猿」は猿[hiuan]である。「猿」は犬[khyuan]に近い。古代中国語の喉音[h-]は介音[-iu-]の前では随唐の時代以降脱落しているので現代の日 本漢字音では猿(エン)になった。日本漢字音は猿(さる・まし・エン)である。朝鮮漢字音では猿(won)、現代北京語では猿(yuan)である。日本語の「さる」の語源は不明である。万 葉集では「まし」ということばもつかわれている。

 吾 妹兒(わぎもこ)に戀つつあらずは秋萩の咲き散りぬる花にあら猿(まし)を(万120)
山 高み夕日隠りぬ淺茅原(あさぢはら)後(のち)見むために標(しめ)結(うい)は申(まし)を(万1342)

  干支では「さる」に「申」という漢字があてられて いる。「申」の古代中国語音は申[sjien]であり、古代中国語では神(シン・かみ)を意味す るという。
 日本語の「さる」は申
[sjien]と関係があるのではあるまいか。「申」は口蓋化す る前の上古音は申[sən]であったと推定することができる。韻尾の[-n]は調音の位置が[-l]と同じであり、申[səl]に転移したとしても不思議はない。しかし、これを 現在残された言語資料から証明することはできない。

 【し(師)】
王 仁(わに)來たり。則(すなは)ち太子莵道稚郎子(うぢのわきいらつこ)、師(し)としたまふ。諸(もろもろ)の典籍を王仁に習ひたまふ。」(応神紀16年)
法 師(ほふし)らがひげの剃(そ)り杭(くひ)馬つなぎいたくな引きそ僧(ほふし)はかなしむ
(万3846)

  古代中国語の「師」は師[shiei](万)である。古代日本語の「し(師)」は教師で もあり、僧侶でもある。いずれにしても「師」は早くから日本語のなかに取り入れられた漢語である。

 【しぬ(死)】
鯨 魚(いさな)取り海や死(し)にする山や死(し)にする死(し)ぬれこそ海は潮(しほ)干(ひ)て山は枯れすれ(万3852)
わ くらばに成れる吾(わ)が身は死(しに)も生(いき)も君が随意(まにまに)と念(おも)ひつつありし間に、、、(万1785)

  古代中国語の「死」 は死[siei]である。日本語の「しぬ」は中国語の「死」をナ行 変格活用に活用させたものである。中国語の動詞は活用しないから、日本語で動詞として使うには活用させなくてはならない。

 現代でも英語からの借用語を「CUTする」「UPする」「DOWNする」などのように動詞として使うときは「する」 などをつける。「死」も古代日本語では「死する」とか「死にする」といったようである。

 【しか(鹿)】
暮 (ゆふ)されば小倉の山に鳴く鹿(しか)は今夜(こよひ)は鳴かず寐(い)ねにけらし
(万 1511)
頃 者(このごろ)の朝明(あさけ)に聞けばあしひきの山呼び響(とよ)め牡鹿(さをしか)鳴くも(万1603)
山 彦の相(あひ)響(とよ)むまで妻戀ひに鹿(か)鳴く山邊に獨(ひとり)のみして
(万1602)

  古代中国語の「鹿」 は鹿[lok]である。日本漢字音は鹿(ロク・か・しか・しし) である。『和名抄』によると「鹿 賀(か)、斑獣也。牡鹿を左乎之加(さをしか)と曰ふ。牝鹿を米賀(めか)と曰ふ。其の子を加呉(かご)と曰ふ。」とあ る。「鹿」は「か」であり、牡を「さをしか」、牝を「めか」、小鹿を「かご」という、ということになる。

 万葉集の長歌に鹿を詠ったものがあり、万葉集の時 代の人と鹿とのかかわりがよく分かる。

鹿 (しし)待つとわが居る時にさを鹿の來立ち嘆かく 頓(たちまち)にわれは死ぬべし 大君にわれは仕へむ わが角は御笠(みかさ)のはやし わが耳は御墨 (みすみ)の坩(つぼ) わが目らは眞澄(ますみ)の鏡 わが爪は御弓(みゆみ)の弓弭(ゆはず) わが毛らは御筆(みふで)はやし わが皮は御箱(みは こ)の皮に わが肉(しし)は御鱠(みなます)はやし わが肝(きも)は御鱠はやし わが胘(みげ)は御鹽(みしほ)のはやし 耆(お)いたる奴(やつ こ) わが身ひとつに七重花咲く、、、(万3885)

  万葉集の時代には、鹿の角は笠の飾りにして、耳は 墨壺にし、目は鏡となし、爪は弓の両端で弦(つる)をかけるところに使い、毛は筆に仕立て、皮は箱に張り、肉や内臓は鱠(なます)の材料にし、胃は塩辛に なったようである。

  そこで日本語の「か」「しか」だが、「か(鹿)」 は中国語の鹿[lok]の頭音が脱落したものではないかと考えられる。 「しか」あるいは「さをしか」は牡鹿[tzhiang-lok]であると考えることができないだろうか。古代日本 語は語頭にラ行の音がこないことばであったから、中国語のラ行の語頭音は脱落するか転移した。例:良(リョウ・よき)、柳(リュウ・やぎ・やなぎ)、陸 (リク・おか)、梁(リョウ・やな)などをあげることができる。朝鮮漢字音では語頭の[l-]は介音[-i-]の前では規則的に脱落する。ただし、鹿[lok]の場合は[-i-]介音がみられないことがこの説明の難点である。 「鹿」の朝鮮漢字音は鹿(nok)で、語頭の[l-][n-]に転移している。

  奈良時代には鹿も猪も獣(しし)といったようであ る。「しし」はまた「肉」「宍」でもあった。

朝 獦(かり)に十六(しし)ふみ起こし夕狩に鳥踏み立て馬並(な)めて御獦(かり)そ立たす春の茂野に(万926)

 【しす(殺)】
天 皇(すめらみこと)の寝ませらむときに、廼(すなは)ち頸(くび)を刺して殺(し)せまつれといふ。(垂仁紀4年)
爰 (ここ)に仲皇子(なかつみこ)事有らむことを畏(おそ)りて太子(ひつぎのみこ)を殺(し)せまつらむとす。(履中前紀)

  古代中国語の「殺」 は殺[sheat]である。記紀万葉の時代の日本語では「殺」は「し す」であり、「ころす」の意味につかわれている。自然に死ぬのが「しぬ」であり、人を殺(ころ)すのが「しす」である。中国語では「殺」は刺殺、斬殺など 人を殺すことであり、「死」は生命がなくなることである。
 日本語の「しぬ」は中国語の「死」と関係のあるこ とばであり、「しす」は中国語の「殺」と関係の深いことばである。日本語の「ころす」がどこから出てきたかは不明である。最も簡単な解決策は、「それは日 本固有のことばである」と考えることである。しかし、本当に「やまとことば」はみんな日本にだけある固有のことばなのだろうか。疑問は残る。

 【した(舌)】
百 年(ももとせ)に老舌(おいした)出でてよよむとも吾は猒(いと)はじ戀は益(ま)すとも
(万764)
「大 きなる鹿己(おの)が舌(した)を出でして矢田の村に遇(あ)へりき。」
(播磨風土記宍禾 郡)

  古代中国語の「舌」 は舌[djiat]である。「舌」の日本漢字音は舌(ゼツ・した)で ある。日本漢字音は音訓ともに中国語の舌[djiat]に関係のあることばである。古代日本語には濁音で はじまることばはなかったので訓では「した」となり、後に濁音が語頭にくるようになると音で「ゼツ」と発音されるようになった。

 日本語の人体をあらわすことばには中国語と同源で あるものが多い。
参照:第162話:【あご(顎)】、第164話: 【うで(腕)】、第165話:【おも(面)】、第167話:【かた(肩)】、第 169話:【きも(肝)】、第170話:【く ち(口)】、

 【したし(親)】
安 羅(あら)、加羅(から)、卓淳(たくじゅん)の旱岐(かんき)等初めて使を遣(つか)はし相通(あひかよ)はして、厚く親(したしき)好(むつび)を結 べり。(欽 明紀2年)

  古代中国語の「親」 は親[tsien]である。日本漢字音は親(シン・おや・したし)で ある。日本語の「したし」は中国語の親[tsien]と音義ともに近く、同源である可能性がある。韻尾 の[-n][-t]と調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 例:音(オン・おと)、管(カン・くだ)、琴(キ ン・こと)、肩(ケン・かた)
   幡(バン・はた)、盾(ジュン・たて)、堅 (ケン・かたい)、断(ダン・たつ)

 【しだる(垂)】
百 (もも)しきの大宮人の蘰(かづら)ける垂柳(しだりやなぎ)は見れど飽(あ)かぬかも
(万 1852)
あ しひきの山鳥の尾の四垂(しだり)尾の長々し夜(よ)を一(ひとり)かも宿(ね)む
(万2802)

  古代中国語の「垂」 は垂[zjiuai] である。「垂」の日本漢字音は垂(スイ・たれる) である。「垂」と同じ声符をもった漢字に唾[thuai]がある。唾液の唾(ダ)である。「垂」が口蓋化し て垂[zjiuai]になる前に垂[thuai]あるいは垂[thuat]のような音価をもっていたとすれば、日本語の「し だる」あるいは「たれる」は上古中国語音に依拠したものだということができる。そして、それはかなり蓋然性の高い仮説である。「し+だる」の「し」につい ては貞(さだか)、定 (さだむ)を参照していただきたい。
参照:第175話【さだか(貞)】、【さだむ (定)】


もくじ

第 161話 古代日本語語源字典

つぎ 第177話 しづか(静)の語源