第170話  くがね(黄金)の語源

 
【くがね(黄金)】
銀 (しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむにまされる寶(たから)子に及(し)かめやも
(万803)

吾 大王(わごおおほきみ)の諸人(もろひと)を誘ひ給ひ善きことを始め給ひて久我禰(くがね)かも確(たし)けくあらむと、、、(万4094) 

 日本語の「かね」の語源は中国語の「金」である。 「かね」は金属一般をさし、金(キン)は古代日本語では奈良時代は「くがね」であり、平安時代には「こがね」になる。
 「くがね」の語源は黄金
[huang-kiəm]であろう。黄[huang]の語頭の喉音[h-]は日本語ではカ行であらわれる。「黄」は古代日本 語では黄(き)であり、韻尾の[-ng]は脱落している。黄金(くがね)の場合も「黄」の 韻尾[-ng]は脱落している。

 【くき(莖)】
大 夫(ますらを)と念(おも)へる吾や水莖(みづくき)の水城(みづき)の上に泣(なみだ)拭(のご)はむ(万968)
大 伴馬飼連(うまかひのむらじ)百合の花を獻(たてまつ)れり。其の莖(くき)の長さ八尺(やさか)(皇極紀3年) 

 古代中国語の「莖」は莖[heng]である。語頭の喉音[h-]は日本語ではカ行であらわれる。韻尾の[-ng]は隋唐以前の上古語では[-k]に近かったと考えられている。日本語の「くき」の 語源は中国語の「莖」である。

 同じ声符の漢字でも広(コウ):拡(カク)、交 (コウ):較(カク)などのように二通りの読み方のある漢字がみられる。拡(カク)、較(カク)のほうが広(コウ)、交(コウ)より古い中国語音を留めて いる。日本語の訓でも中国語の韻尾[-k]の痕跡を留めているものがある。 

 嗅 (キュウ・かぐ)、影(エイ・ケイ・かげ)、塚(チョウ・つか)、桶(トウ・ヨウ・おけ)、

 【くくひ(鵠)】
「故、 今高往く鵠(くくひ)の音(こえ)を聞きて、始めて阿芸登比(あぎとひ)したまひき。」
(記 垂仁) 

 「鵠」は現代日本語では鵠(くぐい)である。地名 では鵠沼(くげぬま)とも読む。「鵠」の古代中国語音は鵠[huk]である。中国語の「鵠」の頭音は喉音[h-]で日本語ではカ行であわられる。日本語の「くぐ ひ」は「くぐ+ひ」であろう。「ひ」の意味は不明であるが、鳥の名前に「ひ」のつくものがみられる。鶯(うぐひす)、鳶・鵄(とび)、水鶏(くひな)、鵯 (ひよどり)、鶸(ひは)、雲雀(ひばり)などである。

 【くし(串)】
齊 串(いつくし)立て神酒(みわ)座(す)ゑ奉(まつ)る神主部(かむぬし)の髪華(うず)の玉蔭見れば乏(とも)しも(万3229) 

 「串」の古代中国語は串[hoan]である。日本漢字音は串(カン)である。中国語音 韻史では入声音の[-t]が随唐の時代になって[-n]に変化したものがみられる。咽(エツ)→因(イ ン)、鉢(ハツ)→本(ホン)、薩(サツ)→産(サン)などである。「串」に串[hoat]という音があったとすれば、日本語の「くし」は上 古音の串[hoat]であるとみることができる。もし、この仮説が成り 立つとすれば、同じような例としては岸(ガン・きし)、賢(ケン・かしこい)、干(カン・ほす)などがある。

 【くし(奇)】
吾 は是汝が幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なりといふ、、、此、大三輪(おほみわ)の神なり。(神代紀上)
天 地(あめつち)のともに久しく言ひ繼(つ)げとこの久斯美多麻(くしみたま)敷かしけらしも(万814) 

 古代中国語の「奇」は奇[kiai]である。中国語には活用形がないから、中国語を日 本語にするにあたって「く+し」としたものである。

 【くず・かづら(葛)】
高 円(たかまど)の野辺延(は)ふ久受(くず)の末遂に千代に忘れむわが大君かも
(万4508)
は ふ葛(くず)のいや道遠く、一云、田葛(くず)の根の(万423)
玉 葛(たまかづら)花のみ開(さ)きて成らざるは誰(た)が戀にあらめ吾は戀ひ念(おも)ふを(万102) 

 「葛」は日本語の「くず」にも「かづら」にも使わ れている。「くづ」はまめ科の多年生植物で根から葛粉がとれる。「かづら」は植物の「つる」のことだが、「くづ」にも「つる」があることから「葛」が使わ れるようになったものと思われる。
 古代中国語の「葛」は葛
[kat]である。日本語の「くづ」は「葛」の韻尾[-t]が摩擦音化してサ行に転移したものである。「かづ ら」は「かづ+ら」である。「ら」は「菜(な)」と関係のあることばであろう。

 【くだもの(菓)】
夫 (そ)れ国樔は、其の爲人(ひととなり)、甚(はなは)だ淳朴(すなほ)なり。毎(つね)に山の菓(くだもの)を取りて食(くら)う。(応神紀19年)
「果  字亦作菓、日本紀私記云、古能美(このみ)、俗云久多毛乃(くだもの)」(和名抄) 

 現代の日本語では「くだもの」は「果物」と書く、 しかし、『和名抄』によれば「果」だけで「このみ」をもさし「くだもの」をもいう、ということになる。
 「果」あるいは「菓」の古代中国語音は果・菓
[kuai/kuan]である。日本語の「くだもの」は「果+だ+物」で あり、「このみ」は「果+の+実」であろう。「くだもの」の「だ」は現代日本語の「の」にあたるものである。[d][n]は調音の位置が同じであり、転移しやすい。

 【くち(口)】
暮 (ゆふ)獵(かり)に鶉雉(とり)ふみ立て大御馬(ま)の口(くち)おさへとめ、、
(万478)
春 の野に草食(は)む駒の久知(くち)やまずあを偲(しの)ぶらむ家の兒(こ)ろはも
(万 3532) 

 日本語の「くち」は中国語の「口」と関係のあるこ とばであろう。古代中国語の「口」は口[kho]である。「くち」の「ち」は嘴[tziue]であろう。現代北京語では「口」のことを嘴(ziu)と言い、広東語では口(hau)という。また、「くちびる」は「口辺」であろう、「辺」の 古代中国語は辺[phian]であり、韻尾の[-n]は日本語では[-l]に転移することが多い。 

 言語学者は身体 に関することばはもともと日本にあったもので、中国から輸入したものではない、という立場をとる人が多い。しかし、顎(ガク・あご)、肩(ケン・かた)、 頸(ケイ・くび)、舌(ゼツ・した)、肉(にく)など身体に関することばには中国語語源と思われるものが多く、それぞれ音義ともに対応がみられる。 

 植民地支配などを通じて西欧のことばを受け入れて 生まれたクレオールにも、現地のことばが西欧語に置き換えられた例は多くみられる。戦後日本に入ってきた英語の語彙のなかにも、それまであった日本語を置 き換えてしまった例は枚挙にいとまがない。

 【くつ(靴沓)】
髪 だにも搔(か)きは梳(けづ)らず履(くつ)をだに著(は)かず行けども、、
(万1807)
此 を名づけて御沓(みくつ)、及(また)御杖(みつゑ)の處と曰(い)ふ(播磨風土記、揖保郡) 

 「くつ」はもともと日本にはなかったものと思われ る。万葉集では「履」「沓」などの漢字があてられている。日本語の「くつ」は中国語の「靴[xuai]+沓[dəp]」が語源であろうと思われる。

 【くつ(朽)】
獨 り寝(ぬ)と薦(こも)朽(く)ちめやも綾席(あやむしろ)緒(を)に成るまでに君をし待たむ(万2538) 

 古代中国語の「朽」は朽[xiu]である。日本語の「くつ」は「朽+す」の転じたも のであろう。中国語には活用はないが、日本語の動詞は活用するため、転移することがある。

 【くに(郡・國)】
大 和は久爾(くに)のまほろば畳(たた)なづく青垣山籠れる大和しうるはし(記歌謡)
志 貴嶋(しきしま)の倭(やまと)の國は言霊(ことだま)の佑(たす)くる國ぞ眞福(まさき)く在りこそ(万3254) 

 スウェーデンの言語学者カールグレンは日本語の 「くに」の語源は郡[giuən]で はないかととしている。朝鮮半島には漢の時代から楽浪郡、帯方郡などがおかれて行政の単位として機能していたことは確かである。しかし、日本語では「郡」 に郡(こほり)があてられており、郡(グン)が「くに」の語源であるとするのは、音の類似にもかかわらず困難ではなかろうか、と思われる。
むしろ、「國」が古代日本語では國(くに→コク) となったと考えるほうが自然ではなかろうか。  「國」の古代中国語音は國
[kuək]である。江南地方の中国語音では「國」は國[kuət]に近いから、[-t]が調音の位置が同じ[-n]に転移したと考えられる。

 【くび(頸)】
吾 が戀は千引(ちひき)の石(いは)を七許(ななばかり)頸(くび)に繋(か)けむも神の諸伏(まにまに)(万743)
「頸 (くび)の峯(みね)」(豊 後風土記、速見郡) 

 現代の日本語では「くび」に「首」が用いられてい るが、日本語の「くび」の語源は中国語の「頸」であろう。古代中国語の「頸」は頸[kieng]である。韻尾の音は日本語の「び」に直接は対応し ていないが、[-ng]は鼻音であり、同じく鼻音である[-m]に転移することも多い。特に介音[-iu-]が前に来ると規則的に[-m]になるという。日本語の「くび」は音義ともに中国 語の「頸」に近い。

 【くま(熊)】
荒 熊の住むとふ山の師齒迫山(しはせやま)責(せ)めて問ふとも汝(な)が名は告(の)らじ
(万2696)
 

 「熊」の古代中国語音は熊[hiuəm]である。日本漢字音は熊(ユウ・くま)であり、外 見上は音と訓は何の関係もないように見える。しかし、日本語の「くま」は古代中国語の熊[hiuəm]の頭音[h-]が脱落したものである。
 雲
[hiuən]・(くも・ウン)、越[hiuat]・(こえる・エツ)、國[kuək]・(コク):域[hiuək]・(イキ)なども喉音[h-]が脱落したものである。緩(カン)・援(エン)、 軍(グン)・運(ウン)、渇(カツ)・謁(エツ)、禾(カ)・和(ワ)、黄(コウ・オウ)なども唐代になって頭音[h-]が脱落した痕跡を残している。

 朝鮮語では「くま」のことを(kom)という。日本語の「くま」の語源は朝鮮語の(kom)であるとする説もあるが、朝鮮語の(kom)も古い時代の中国語からの借用語であろう。

 【くむ(汲)】
「其の家の童女水を汲みに井(ゐ)に趣く。宿れる人足を洗はむとして副(そ)ひ往きて見る。亦(また)村の童女も井に集まりて水を汲まむとして家の童女の幷(つるべ)を奪ふ。」(霊異記)

 「汲」の古代中国語音は汲[giəp]である。日本語の「くむ」の語源は中国語の「汲」 である。韻尾の[-p]は第二音節で半濁音となり[-m]に転移した。[-p][-m]はともに唇音であり、調音の方法が同じである。調 音の方法が同じ音は転移しやすい。
なお、「汲」と声符が同じ「吸」の古代中国語音は 吸
[xiəp]であり、日本漢字音は吸(すふ・キュウ)である。 これは語頭の喉音[x-]が介音[-i-]の影響で摩擦音化したものである。

 【くめ(久米)】
み つみつし久米(くめ)の子等が垣下(かきもと)に植ゑしはじかみ口疼(ひび)く吾は忘れじ撃(う)ちてしやまむ(記歌謡)
「宇 陀の高城(たかき)に鴫(しぎ)羂(わな)張る、、、こきだひゑね、是(これ)來目歌(くめうた)と謂ふ。」(神武前紀) 

 久米歌は久米部が伝承した戦闘歌謡で、神武天皇の 大和での征服の歌ともされている。久米部は久米氏によって率いられ、宮廷の警備にあたった部(べ)である。久米舞というのもあって、久米歌とともに戦勝を 祝って舞ったという。
 古代日本の「久米部」の「久米」の語源は中国語の 軍
[kiuən]であろう。古代日本語には「ン」で終わる音節はな かったので、中国語の韻尾に母音とつけて発音した。韻尾の[-n]は日本語では弁別されず、[-n][-m]もマ行であらわれることもあり、ナ行であらわれる こともある。


☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典 索引

 第171話 くも(雲)の語源