第166話  かがみ(鏡・鑑)の語源
 

【かがみ(鏡・鑑)】
墨 江(すみのえ)の小集樂(をづめ)に出(い)でて寤(うつつ)にも己妻(おのづま)すらを鏡(かがみ)と見つも(万3808) 

 古代中国語の「鏡」は鏡[kyang]である。現代では「かがみ」に「鏡」の字があてら れているが「かがみ」の語源は「鑑」であろう。鑑[keam]も音義ともに「鏡」に近い。鑑は鑑[heam]に音が近く、そのために日本語では頭音が「かが+ み」となったのであろう。
頭音節が濁音などの場合、日本語では鑑
[heam](カン・かがみ)、懸[hiuen](ケン・かかる)、限[hean](ゲン・かぎり)、続[ziok](ゾク・つづく)、馬[mea](バ・むま)などのように二音節にして、語頭に濁 音がこないように発音することがある。 

【かかやく(光耀)】
「其 鵄光曄煜、状如流電」その鵄(とび)光(ひか)り曄(てり)煜(かがや)きて状(かたち)流電(いなびかり)の如し(神武前紀)
「旌 旗耀日」旌旗(はた)日に耀(かがや)く(神功前紀) 

 日本語の「かがやく」には光[kuag/kuang](コウ)、曄[hiep/iep](ヨウ)、 [hiəp/iəp](イク・ユウ)、耀[jiôk/iông](ヨ ウ)などの漢字があてられている。「かがやく」の語源は「光耀」であろう。古代日本語では光も影も「かげ」である。「かぐや姫」は「光姫」、つまり光かが やく姫である。また、耀(ヨウ)は同じ声符をもった漢字に飛躍(ヒ・ヤク)などの読みがあり、古音は耀(ヤク)であったと考えられる。 

【かかる(懸)】
つ のさはふ石村(いはれ)の山に白栲(しろたへ)に懸(かか)かれる雲は皇(わがおほきみ)かも(万3325)
か まどには火氣(ほけ)吹き立てず甑(こしき)には蜘蛛(くも)の巣可伎(かき)て、、(万892)

  古代中国語の「懸」は懸[hiuen]である。頭子音の[h-]は喉音であり、日本漢字音では「ガ行」であらわれ ることが多い。しかし、古代日本語は語頭に濁音がくることがなかったので、懸(かかる)と子音を重複させた。
 韻尾の
[-n][-l]と調音の位置が同じであり、転移した。同じような 例としては漢・韓(カン・から)、雁(ガン・かり)、昏(コン・くれ)、辺(ヘン・へり)、玄(ゲン・くろい)、嫌(ケン・きらう)、薫(クン・かおる) などがある。 

【がき(餓鬼)】
相(あひ)思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼(がき)の後(しりへ)に額(ぬか)づくがごと
(万608)

 「餓鬼」は仏教用語でサンスクリットから漢語を経て日本語に取りいれられた。日本最初の漢詩集『懐風藻』の作者には僧侶も多く、仏教用語がかなり見られるが『万葉集』に用いられた例は少ない。ほかには「布施(ふせ)」などがあるくらいである。
 古代日本語には濁音ではじまることばはなかったので「がき」には外国語の響きがあったに違いない。

【かぎり(限)】
袖 振らば見ゆべき限(かぎ)り吾はあれどその松の枝に隠れたりけり(万2485)

 古代中国語の「限」は限[hean]である。頭音の[h-]は日本語にはない喉音の濁音であるから「かぎ+ り」と清音を先に立てて日本語として発音しやすくしたものである。韻尾の[-n][-l]に転移した。 

【かく(畫・画)】
わ が妻も畫(え)に可伎等良(かきとら)む暇(いとま)もが旅行くあれは見つつ偲ばむ
(万4327)
 

 古代中国語の「畫・画」は畫・画[heok]である。日本語の「書く」も「描く」も語源は畫[heok]であろう。「えがく」は「絵+かく」の連想もある が、語頭の[h-]が濁音であり、日本語にはない喉音であるために母 音を添加したものと思われる。韻尾の[-k]はやがて脱落して日本漢字音は画(ガ)となった。 八世紀には「畫・画」が畫・画(カク)とは読めなくなってしまったので「かく」に畫・画は使われなくなったものと思われる。「カク」の読みは「劃」には 残っている。 

【かく(欠・缺・闕)】
千 年(ちとせ)に闕(かくる)ことなく万歳(よろずよ)にあり通はむと、、(万3236) 

 古代中国語の「欠・缺・闕」はいずれも欠・缺・闕[khiuat]である。日本語の「かく」は「欠・缺・闕」の韻尾[-k][-t]に転移したものである。王力は『同源字典』のなか で遞・逓[dyek]と迭[dyet]は音が近く同源である、としている。中国語でも江 南音では[-p][-t][-k]は区別されず、いずれも[-k]に近い閉鎖音になる。 

【かぐ(嗅)】
「嗅 (加久、又久作志)」(新 撰字鏡) 

 古代中国語の「嗅」は王力の『同源字典』によれば 嗅[thjiuk]だとされている。日本漢字音は嗅(シュウ・かぐ・ におい・くさい)である。同じ声符を持った漢字に臭(キュウ・くさい・かぐ)がある。王力は「臭」の古代中国語音も臭[thjiuk]であるとしている。つまり、「嗅」「臭」は同源で あるということである。
 董同龢の『上代音韻表稿』では臭
[khiôg]*であるとしている。藤堂明保は『学研漢和大辞典』 で「臭」は①臭[kjog-tʃ’iəu-tʃ’ieu-ţş’əu]*と変化して現代北京語では臭(chou)になった。また②臭[hiog-hiəu-hiəu- šieu]*となり、北京語では臭(xiu)となったとしている。董同龢は「嗅」についは言及していないが、藤堂明 保は「嗅」は嗅[hiog-hiuəu-hieu-šieu]*と変化し、現代北京音は嗅(xiu)となったとしている。 

 現代の北京語では「臭」には①臭(chou)と②臭(xiu)の二つの発音がある。中国語のchouには抽(チュウ)、酬・愁・醜・臭(シュウ)のほ かに仇(キュウ)などがある。また、中国語のxiuには羞・修・袖・秀・臭・嗅(シュウ)のほかに休 (キュウ)がある。中国語の喉音[h-][x-]は咽喉の奥で呼氣をとめる閉鎖音であったが、介音[-i-]な どの影響で摩擦音に変わったものがある。摩擦音に変わったことによって調音の位置が前へ移動したものが、タ行音、サ行音になり、調音の位置が移動せず口腔 の咽喉に近い部分で発音され続けたものがカ行で嗅(キュウ)、休(キュウ)などとして残ったものであろう。いずれにしても日本語の嗅(かぐ)の語源は古代 中国語である。 

【かぐはし・か(香)】
梅 の花香(か)を加具波之美(かぐはしみ)遠けども心もしのに君をしぞ思ふ(万4500)
香 細(かぐは)しき花橘を玉に貫(ぬ)き送らむ妹(いも)は嬴(みつ)れてもあるか
(万1967) 

 古代中国語の「香」は香[xiang]である。頭音の[x-]は喉音で日本語ではカ行で現われる。介音の[-i-]は隋唐の時代に発達してきたものであるから、それ 以前の上古音は香[xang]に近い音であったと思われる。韻尾の[-ng]は調音の位置が[-k]と同じであり、中国語では[-k]から[-ng]へ変化したものも多い。欲(ヨク)→容(ヨウ)、 爆莫(バク)→暴(ボウ)、拡(カク)→広(コウ)などのように変化する。これらはいすれも[-k]が古く[-ng]が新しい形である。また、日本語では第二音節の[-k]は濁音になるので、「香」は香(かぐ)になった。 香(か)は韻尾の[-ng]が脱落した形である。日本語は開音節(母音で終わ る音節)なので中国語の[-n][-ng]は脱落しやすい。

 「香」には香港(ホンコン)、香菜(シャンツア イ)、香車(キョウシャ)などの読みがある。「香港」は広東語では香港(heung-gong)であり、広東・福建方面では今でも喉音である。 「香菜」は北京語では香菜(xiang-cai)である。「香」は介音[-i-]の影響で現代北京語では摩擦音になったが、本来は 喉音であった。将棋の駒の香車(キョウシャ)は「香」が喉音であったときの痕跡を留めている。 

【かけ(家鶏)】
さ 野つ鳥きぎしはとよむ庭つ鳥迦祁(かけ)は鳴く、、(記歌謡)
庭 つ鳥可鶏(かけ)の垂尾(たりを)の亂尾(みだれを)の長き心も念(おも)ほえぬかも
(万1413) 

 「庭つ鳥」は「庭の鳥」である。「かけ」は「家 鶏」であろう。「家鶏」の古代中国語音は家鶏[kea-hyei]である。「かけ」は漢語である。記紀万葉の時代に は漢語はあまり多くは使われてはいない。仏教の用語などで法師(はふし)、餓鬼(がき)、檀越(だんをち)、袈裟(けさ)、婆羅門(ばらもん)、塔(た ふ)、菊(きく)、轆轤(ろくろ)などである。 

【かげ(影)】
渡 る日の陰(かげ)も隠(かく)らひ照る月の光も見えず、、、(万317)
燈 火の陰(かげ)にかがよふうつせみの妹が笑(えま)ひし面影に見ゆ(万2642) 

 古代日本語の 「かげ」には影(日の当らないところ)と光(日のあたるところ)という二つのいみがある。現代の日本語でも「月影」といえば「月の光」のことである。上の 歌はそれぞれ、「大空を渡る太陽の光も隠れ、照る月の光も見えず、、、」「燈火の陰にちらちらする現実の妹のほほえみが、今、面影に浮かんで見える」とい う意味である。

 古代中国語の「影」は影[yang]だとされている。「影」の声符は「景」である。 「景」の古代中国語音は景[kyang]である。影[yang]は景[kyang]の頭子音の脱落したものである。「影」も上古中国 語では影[kyang]という音があったものと考えられる。日本語の「か げ」は中国語の影[kyang]にいきょしたものであろう。
 一方、「光」の古代中国語音は光
[kuang]である。日本語の「かげ」は光[kuang]と影[kyang]の両方の意味を受け継いでいることになる。中国語には売買(バイバイ)、授受(ジュジュ)な どのように同じ音で反対の意味をもつことばがある。光(かげ)と影(かげ)もこれに準じた対応であると考えられる。

 【かざし(冠挿)】
彦 星の頭刺(かざし)の玉の嬬戀に亂れにけらし此の川の瀬に(万1686)
古 (いにしへ)にありけむ人も吾(あ)が如か三輪の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折りけむ
(万1118)
 

 万葉集では日本語の「かざし」は「頭刺」あるいは 「挿頭」と表記されているが、日本語の「かざし・かんざし」の語源は冠挿だろう。「冠挿」の古代中国語音は冠挿[kuan-tsheap]である。

 【かざる(華飾)】
河 の邊に到り、船に乗らむとする時、其の厳餝れる處を望(みさ)けて、、(記・応神)
大 殿をふりさけ見れば白たへの飾まつりて、、(万3324) 

 古代中国語の「飾」は飾[sjiək]である。『古事記』では「厳餝」を「かざる」にあ てている。餝は飾の異字である。「厳餝」は古代中国語では厳餝[ngiam-sjiək]である。日本語の「かざる」は「厳餝」あるいは華 飾[hoa-sjiək]であろう。

 【かし(樫)】
御 諸の厳(いつ)加斯(かし)がもと賀斯(かし)がもとゆゆしきかも加志(かし)はら乙女
(記 歌謡)
麻 布著(け)ればなつ樫(かし)紀の國の妹背(いもせ)の山に麻蒔く吾妹(わぎも)
(万1195)

  二番目の歌では日本語の「なつかし」に「樫」が使 われていることから、「樫」が樫(かし)と読まれていたことがわかる。「樫」は古代中国語では樫[kyen]である。中国語の韻尾には[-s]で終わる音節はない。堅[kyen]の古代日本語音が堅(ケン・かたい)であることか ら、上古音は堅[ket]に近い音であったものと思われる。堅[ket]が摩擦音化して樫(かたし)となり、それが樫(か し)になったものと考えられる。

【かすみ(霞霧)】
霞 立ち春日の霧(き)れるももしきの大宮處(おおみやどころ)見れば悲しも(万29)
月 數(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬかと(万4492) 

 古代中国語の「霞」は霞[hea]である。また、「霧」は霧[miu]である。日本語の「かすみ」の語源は「霞霧」であ る可能性がある。「かすみ」の「す」は「庭つ鳥」の「つ」に相当する助詞で「霞の霧」ということになる。
 白川静は『字訓』の「かすみ」の項で次のように述 べている。『華厳音義私記』に「晨霞 可須美」、『最勝王経音義』に「霧 加須美」とあって、霞と霧との区別も明らかでないところがある。『名義抄』には 「霞 カスミ」とみえる。霞と霧はほとんど同義に使われていたものが、次第 に使い分けられるようになってきたのではないかと考えられる。もっともこれは仮説であり、証明せよといわれれば、証明できるわけではない。しかし、語源の 探求は可能性のあるものを排除してしまっては発展のしようがない。


☆ もくじ

★ 第161話 古代日本語語源字典 索引

☆ つぎ 第167話 かた(肩)の語源