第162話
あ・われ(我)の語源 【あ・われ(我・吾)】 「我」「吾」の古代中国語音は我[ngai]、吾[nga]だと考えられている。中国語の疑母[ng-]は朝鮮漢字音では規則的に脱落する。「我」「吾」
の朝鮮漢字音は我(a)、吾(o)である。古代日本語の我(あ)、吾(あ)は「我」
「吾」の朝鮮語読みと同じである。古代日本語の我(あ)、吾(あ)は中国語の我[ngai]、吾[nga]を借用した朝鮮語を通して日本語に受け入れられた
ものと考えられる。「我」「吾」は我・吾(あ・あが・われ・わが)としても使われる。 語頭の[ng-]が脱落した例としては魚(うお)御(お)などがあ
る。日本語の魚(うお)、御(お)などは古代中国語音は魚[ngia]、御[ngia]の朝鮮漢字音は魚(eo)、御(eo)に依拠したものである。 また、牛(うし)も中国語の牛[ngiuə]の朝鮮漢字音と関係のあることばであろう。牛の朝
鮮漢字音は牛(u)である。また、朝鮮語の訓で「牛」は牛(so)という。日本語の牛(うし)は朝鮮漢字音の牛と朝
鮮語の牛を並列したものである。これを両点という。このように中国語とその朝鮮語訳を併記する用法は新羅の古歌、郷歌(ヒヤンガ)などにはよくみられる。 【あか(赤)】 「赤」の古代中国語音は赤[thjyak]だと考えられている。日本語の赤(あか)は中国語
の「赤」の語頭子音が口蓋化の影響で脱落したものだと考えられる。同じ声符をもった漢字で語頭の[th-]あるいは[d]が脱落した例をいくつかあげることができる。 例:脱[thuat]・悦[jiuat]、抽[thiu]・由[jiu]、多[tai]・侈[thjiai]・移[jiai]、除[dia]・餘[jia]、秩[diet]・佚[jiet]、台[də]・飴[jiə]、除[dia]・予[jia]、澤[deak]・驛[jyak]、談[dam]・炎[jiam]、誕[dan]・延[jian]、濯[diôk]・躍[jiôk]、桶[dong]・甬[jiong]などである。 【あご(腭・齶)】 古代中国語の「腭」「齶」は腭・齶[ngak]である。朝鮮漢字音では語頭の[ng-]は脱落するから腭・齶(aek)となる。古代日本語では第二音節の[-k]は濁音化して[-g]となる。日本語の「あご」は中国語の顎[ngak]の語頭音が脱落したもので、古代日本語では顎(あ
ぎ)と発音した。 【あさ(朝)】 朝鮮語で朝のことをachimという。大野晋は『日本語の起源』(旧版)のなか
で、日本語の朝(asa)と朝鮮語のachimとは子音に音韻対応があるとしている。また、『岩
波古語辞典』でも、「朝鮮語の朝(achim)と同源か」としている。 「日」は朝鮮語ではhaeであり、日本語の日(ひ)は朝鮮語のhaeと同源である。 「照」の古代中国語音は照[tjiô]である。中国語音韻学では照(tjiô)系の音は端(tuan)系の音から発生したことが知られている。照[tj-]、穿[thj-]、神[dj-]、日[nj-]はそれぞれ、端[t-]、透[th-]、定[d-]、泥[n-]が口蓋化したものである。したがって、照[tjiô]はさらに古い時代には照[tô]に近い発音であったに違いないと考えられる。日本
語の照(てる)は中国語の照(ショウ)のより古い音を留めていると考えることができる。照(てる)は日本が本格的な文字時代に入るまえに中国語から借用し
た弥生音であろう。 【あつし(熱)】 「熱」の古代中国語音は熱[njiat]である。中国語の声母[nj-]は朝鮮語音では規則的に脱落する。例えば熱(yeol)、肉(yuk)、児(a)、耳(i)、乳(yo)、日(il)、若(yak)、柔(yu)、譲(yang)、入(ip)などである。日本語の熱(あつい)、若(わか
い)、柔(やわら)、譲(ゆずる)、入(いる)などは中国語の日母[nj-]の脱落したものである。 【あはび(鮑・鰒)】
「会」「合」の古代中国語音は会[huat]、合[həp]である。日本語の会(あふ)は古代中国語の合[həp]の語頭音が脱落したものであろう。万葉集では「あ
ふ」には相、逢、遇、などの文字があてられている。 中国語の[h-]、[x-]は喉音であり、日本語にはない音である。通常ガ行
またはカ行で表されるが脱落することもある。回、懐、恨、禍、黄、行、横、などの中国語頭音はいすれも[h-]である。これらの漢字の日本語音は回(カイ・
ヱ)、懐(カイ・ヱ)、禍(カ・ワ)、黄(コウ・オウ)、行(コウ・ゆく)、横(オウ・ゆく)、恨(コン・うらむ)、などである。王力は『同源字典』のな
かで、影[yang]と景[kyang]は同源であるとしている。調音の位置が後口蓋の音
は日本語でも中国語でも脱落しやすい。 【あふぐ(仰)】 「仰」の古代中国語音は仰[ngiang]である。朝鮮漢字音では疑母[ng-]が規則的に脱落して仰(ang)である。日本語の仰(あお)ぐ、は古代中国語音の[ng-]が脱落したものであろう。韻尾の[-ang]は調音の位置が[-k]と同じであり、隋唐の時代以前の上古音では[ak]に近い音であったと考えられる。 【あま(天)】 「天」の古代中国語音は天[thyen]である。中国語の声母[th-]が後に[-y-]などが来るとき脱落することは【あか(赤)】の項
ですでにのべた。日本語の天(あま)は古代中国語の声母透[th-]が脱落したものである。 【あま(海女)・あま(尼)】 【あまし(甘・甜)】 【あみ(網)】
荒[xuang]は日本語では荒(コウ・あれる)となる。日本語に
は喉音[x-]がないので日本漢字音ではカ行に転移する。訓の荒
(あれる)は中国語の喉音[x-]が脱落した弥生音であろう。 【あらはす(顕・現)】 顕[xian]、現[hyan]の日本漢字音は顕(ケン)、現(ゲン)である。古
代中国語音の喉音はカ行に転移している。日本語には喉音がないから弥生時代の借用音では頭音が脱落している。頭音は次に[-y-]あるいは[-i-]の介音が続くときに脱落しやすい。許[xia]・キョ・ゆるす、訓[xiuən]・クン・よみ、穴[hyuet]・ケツ・あな、休[xiu]・キュウ・やすむ、などはその例であろう。 |
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