第177話 しづか(静)の語源
【しづか(静)】
静
(しづ)けくも岸には波は縁(よ)せけるか此の屋(いへ)通し聞きつつ居れば
(万1237)
暁
(あかとき)と夜烏(よがらす)鳴けど此の山上(をか)の木末(こぬれ)の上に未(いま)だ静けし(万1263)
古代中国語の「静」
は静[dzieng]である。現代北京語音は静(jing)である。日本漢字音は静(セイ・ジョウ・しずか)
である。日本語の静(しづか)は中国語の「静」と関係のあることばであろう。中国語韻尾の[-ng]は[-k]と調音の位置が同じであり、上古音では[-k]に近かった。なお、「しづ+か」と二音節に発音さ
れる点については貞(さだか)、定(さだめ)、しだる(垂)を参照していただきたい。
参照:第175話【さだか(貞)】、【さだむ
(定)】、第176話【しだる(垂)】
記紀万葉時代の日本語の「しづか」には「寂」も使
われている。
「幽
宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて寂然(しづか)に長く隠れましき。」
(神代紀上)
「静」と「寂」は音義ともに近い。「寂」の古代中
国語音は寂[tzyek]である。日本語の「しづか」の語源は中国語の静寂[dzieng-tzyak]であると考えることもできる。いずれにしても、日
本語の「しづか」は中国語の「静」「寂」あるいは「静寂」と同源であろう。
【しづめ(鎮)】
眞
木柱太き心はありしかど此の吾(わ)が心鎮(しづ)めかねつも(万190)
即
ち墨江大神(すみのえのおほかみ)の荒御魂(あらみたま)を以(も)ちて、國守(くにもり)の神と爲(し)て祭り鎮(しづ)めて還(かへ)り渡りたまひ
き。(記、
仲哀)
古代中国語の「鎮」は鎮[tien]である。現代北京語では鎮(zhen)である。日本漢字音は鎮(チン・しづめ・しづま
る)である。古代中国語の鎮[tien]は日本語音の「チン(chin)」ではなくて、正確には「ティン(tin)」である。古代中国語の[t-]は後に[-i-]介音が来る場合には摩擦音化することが多い。現代
北京語の鎮(zhen)もその例である。日本語の鎮(しづめ)は古代中国
語の鎮[tien]の摩擦音化したものであろう。なお、摩擦音化につ
いては「静」「貞」「定」「親」の項を参照していただきたい。
参照:【しづか(静)】、第175話【さだか
(貞)】、【さだむ(定)】、第176話【しだる(垂)】
【しづむ(沈)】
難
波潟潮干(しほひ)勿(な)ありそね沈(しづ)みにし妹(いも)が光儀(すがた)を見まく苦しも(万229)
汝
是(こ)の瓠を沈めば余(われ)避(さ)らむ。沈(しづ)むること能(あた)はずは、仍(すなは)ち汝が身を斬(ころ)さむといふ。(仁徳紀67年)
古代中国語の「沈」
は沈[diəm]である。現代北京語では沈(chen)である。古代中国語の沈(ディム)は[-i-]介音(わたり音)の影響で口蓋化して沈(チム・チ
ン)になったということができる。日本語の「しづむ」は古代中国語の沈[diəm]が[-i-]介音の影響で摩擦音化したものであろう。日本語に
は「ティ」「ディ」などの音節がなかったことも影響しているであろう。日本語の「し+づむ」の「し」については前項の
「鎮」などを参照していただきたい。
参照:【しづめ(鎮)】、【しづか(静)】、第
175話【さだか(貞)】、【さだむ
(定)】、
第176話【しだる(垂)】
【しね(秈・稲)】
「右
の一首は、或は云はく、吉野の人味稲(うましね)の柘枝(つみのえ)の仙媛(やまひめ)に與へし歌そといへり。」(万385注)
「新
墾(にひはり)の十握(とつか)の稲(しね)を浅甕(あさらけ)に醸(か)める酒」
(顕宗前紀)
古代中国語の稲[du]であり、日本漢字音は稲(トウ・いね)である。日
本漢字音の音と訓とはかなり乖離しており、関係も見出すことは困難である。しかし、スウェーデンの言語学者カールグレンは”Philology and Ancient
China”(1920)の
なかで、日本語の「いね」の起源は中国語の「秈」ではないかとしている。
「秈」の古代中国語音は秈[shean]であり、頭音が脱落したとすれば、日本語の「い
ね」が中国語の「秈」に由来すると考えることもできる。「しね」には「志泥(しね」「志禰」などの音表記もある。サ行音は[-i-]介音の前では脱落することが多い。 例:赤[thyjak](シャク・あか)、上[zjiang](ジョウ・あがる)、枝[tjie](シ・え)、
臣(シン・おみ)、織[tjiək](ショク・おる)、射(シャ・さす)、眞[tjien](シン・ま)、
身[sjien](シン・み)、折[thjiat](セツ・をる)、矢[sjiei](シ・や)、世[sjiatt](セ・よ)、
記紀万葉の時代にも稲(いね)ということばがな
かったわけではない。しかし、通用漢字と語源は必ずしも一致しないことがある。
住
吉の岸を田に墾(は)り蒔きし稲(いね)さて刈るまでにあはぬ君かも(万2244)
伊
禰(いね)舂けばかかる我が手を今夜かもかも殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ
(万3459)
参照:第163話【いね(稲・秈)】
【しば(柴)】
大
原の此の市柴(いちしば)の何時(いつ)しかと吾(わ)が念(も)ふ妹(いも)に今夜(こよひ)逢へるかも(万513)
古代中国語の「柴」
は柴[dzhe]である。日本語の「しば」には柴[dzhe]あるいは芝[tjiə]と書く。日本語の「しば」は中国語の「柴」あるい
は「芝」と関係のあることばであろう。「しば」の「ば」はどこから来たのか不明である。「しば」は「柴葉」あるいは「芝葉」である可能性がある。台湾の音
韻学者董同龢によれば「柴」「芝」の上古音は柴[ts’eg]、芝[tiəg]であり、韻尾に[-g]があったとしている。日本語の「しば」は上古中国
語音の韻尾[-g]を継承している可能性もある。
【しひ(椎)】
遲
速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向つ峰(を)椎(しひ)の小枝に逢ひは違(たが)はじ
(万3493)
古代中国語の「椎」
は王力によると椎[diuəi]である。現代北京語では摩擦音化して椎(zhui)になっている。日本語の「しひ」は古代中国語の椎[diuəi]と関係のあることばであろう。「し+ひ」の「ひ」
については不明である。「椎」はまた椎(つち)にも使われている。
「則
(すなは)ち海石榴(つばき)の樹を採(と)りて、椎(つち)に作り兵(つはもの)に爲(し)たまふ。因(よ)りて猛(たけ)き卒(いくさ)を簡(えら)
びて、兵の椎(つち)を授けて、山を穿(うが)ち草を排(はら)ひて、石室(いはむろ)の土蜘蛛(つちぐも)を襲ふ」(景行紀12年)
椎[diuəi]の韻尾は上古において入声音[-p][-t][-k]であった可能性もある。台湾の音韻学もの董同龢は
『上古音韻表稿』で「椎」の音価を椎[d’iwəd]と推定している。日本語の椎(しひ)・椎(つち)
も上古中国語音から転移したものであろう。椎(しひ)の(し)は椎(つち)の(つ)の摩擦音化したもので、椎(つち)のほうが古く、椎(しひ)のほうが新
しい。
【しひと(舅)】
「其
の舅氏(しうと)は麁群(そぐん)なり。小夫人子を生めり。その舅氏(しうと)は細群(さいぐん)なり。狛王(こまのこけ)の疾篤(やまひ)するに及(い
た)りて、細群、麁群、各(おのおの)の夫人(おりくく)の子を立てむとす。」(欽明紀7年注)
古代中国語の「舅」は舅[giu]である。舅は臼[giu]を声符とする。現代北京語では臼(jiu)である。日本語の「しひと」あるいは「しゅうと」
は中国語の舅[giu]が摩擦音化して舅(しふ)あるいは舅(しふ)に転
移したものであろう。「しひと」と「と」は妹(いもうと)、弟(おとうと)と同じく人(ひと)であろう。姑女(しひとめ)は「舅女」であろう。女[njia]は上古中国語では女[miə]に近い音であり、それが口蓋化して女[njia]、女(ニョ)あるいは女(ジョ)となったものであ
る。
【しぶし(渋)】
「此
の栗の子(み)もと刊(けづ)れるに由(よ)りて後(のち)も澁(しぶ)なし。」
(播磨風土記楫保
郡)
「債
(もののかひ)を人より澁(しぶ)り取りて甘心(かんじん)を爲(な)さず。」(霊異記)
古代中国語の「澁」
は澁[shiəp]である。日本語の「しぶし」は中国語の澁[shiəp]と同源であろう。「しぶ」は濕[sjiə p]とも音が近い。「濕」の日本漢字音は濕(シツ・し
める)になっている。韻尾の[-p]は[-m]と調音の位置が同じであり、日本語では第二音節は鼻音[-m]や濁音[-b]に
なりやすい。
参照:第175話【さぶ・しぶ(渋)】
【しほ(潮・塩)】
熟
田津(にぎたつ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今はこぎ出でな(万8)
櫻
田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆひがた)鹽(しほ)干(ひ)にけらし鶴鳴き渡る
(万271)
古代中国語の「潮」
は潮[diô]である。日本漢字音では潮(チョウ・うしほ・し
ほ)である。古代中国語の母音[ô]が日本語でハ行に転移した例としては鯛[dyô](たひ)をあげることができる。 「潮」は古代日本語では潮(うしほ)とも呼ばれ
る。古代日本語では語頭に濁音がくることがなかったので、潮[diô]の前に「う」をつけて日本語の音韻構造になじむ形
で受け入れたものである。
「其
の矛(ほこ)の鋒(さき)より滴瀝(しただ)る潮(うしほ)凝(こ)りて一の嶋と成れり。」(神代紀上)
「海
鹽(うしほ)に沈溺(おぼほ)れましき。故(かれ)、其の底に沈み居ます時の名は、底度久御魂(そこどくみたま)と謂ふ。其の海水(うしほ)の都夫多都
(つぶたつ)時の名は、都夫多都御魂(つぐたつのみたま)と謂ふ。」(記神代)
「潮
宇之保(うしほ)、海水朝夕に来去して波湧くなり」(和名抄)
日本語の「しほ」は「潮」にも「塩」にも使われ
る。
志
賀の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く鹽(しほ)の辛(から)き戀をもあれはするかも(万3652)
志
賀の海人(あま)の軍布(め)刈(か)り鹽(しほ)焼き暇(いとま)なみ髪梳(くしら)の小櫛(をぐし)取りも見なくに(万278)
「塩」の古代日本語は塩[iem]であり、古代日本語の「しほ」とは関係ないように
思われる。しかし、董同龢は「塩」の上古音を塩[d’iɔg]と再構している。「塩」の現代の北京語では塩(yan)である。現代北京語で(yan)の漢字にはほかに「沿」のような字もみられる。「沿」の古代中国語
音は沿[diuan]である。中国語音韻史のなかで頭音[d-]が[-i-]介音の影響で脱落したとみられるものがある。中国
語の「塩」も上古音では塩[diong]に近い発音であった可能性がある。だとすれは潮[diô]と塩[diong]は音義ともに近いということになる。古代日本語の
「しほ」は上古中国語の潮[diô]あるいは塩[diong]に由来することばであろう。
【しま(洲・島)】
沖
つ鳥鴨(かも)著(ど)く斯麻(しま)に我(わ)が率寝(ゐね)し妹(いも)は忘れじ世のことごとに(記歌謡)
み立たしの嶋(しま)を見る
時にはたづみ流るる涙
とめぞかねつる(万178)
「大
八洲(おほやしま) 洲嶋也」(霊
異記)
古代中国語の「洲」
は王力によれば、洲[tjiu]であり、「嶋」あるいは「島」は島[tô]である。日本漢字音では洲(シュウ・す・しま)、
島(トウ・しま)で、あまり共通点はみえないようにみえる。しかし、董同龢によれは「州」「島」の上古中国語音は州[tiog]、島[tog]であり、「州」は[-i-]介音の発達によって「島」と区別されるようになっ
たものであることは明らかである。「洲」と「島」とは音義ともに近く、洲[tjiu]は島[tô]が口蓋化したものであろう。 日本語の「し+ま」の「ま」がどこからきたかは不
明である。董同龢の復元する上古中国語の韻尾[-g]は、日本語では前項の「潮」でもハ行(ほ)で再現
されており、日本語の「しま」の「ま」は上古中国語音の韻尾[-g]にたいおうするものである可能性がある。
【しまらく(暫)】
秋
風に河浪起(た)ちぬ暫(しま)しくは八十(やそ)の舟津(ふなつ)にみ舟とどめよ
(万
2046)
故
(かれ)暫(しま)らく高天原に向(まう)でて、姉(なねのみこと)と相見えて、後(のち)に永(ひたぶる)に退(まか)りなむと欲(おも)ふ。(神代記)
古代中国語の「暫」
は暫[tzheam]である。日本漢字音は暫(ザン・しまし・しまし
く・しまら・しまらく)である。日本語の「しまし」は中国語の「暫時」であろう。それが形容詞として「しましく」となり、やがて「しまらく」となっていっ
たものであろう。日本語の「しまらく」と古代中国語の暫[tzheam]とは関係がないというには似ていすぎる。しかし、
同源であるというには証拠がなさすぎる。
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