第13話 神代とはいつの時代か 古事記・日本書紀の時代認識はまず神代からはじまり、人代に至る。現代の歴史認識では歴史はまず旧石器時代からはじまり、縄文時代、弥生時代、古墳時代を経て記紀万葉 の時代へと進む。記紀にいう神代とは現代の歴史認識のなかでは、どこにあたるのだろうか。古事記の天の石屋戸の場面には次のような記述がある。 天照大御神は機屋で神に奉る神衣を機織女に織らせていた。するとスサノヲノ命がまだら毛の馬の皮を剥ぎ取って落とし入れてきた。天照大御神はこれを見て天の 石屋戸にたてこもってしまった。八百万の神が集まって相談し、常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせることにした。次に天の金山の鉄を採って鏡を作らせた。 縄文時代の家 畜は犬くらいで、馬や鶏はいない。『魏志倭人伝』には「その地(邪馬台国)に は牛、馬、虎、豹、羊、鵲(さぎ)なし」とある。また、『古事記』応神天皇の条に「百済の王が牡馬一匹、牝馬一匹を貢上した」とある。古事記の天の岩戸の 段の馬に関する記述は応神天皇の条の記述と明らかに矛盾する。スサノヲノ命が馬の皮を剥ぎとって投げいれたとなると、天照大御神の時代には日本にすでに馬 がいたことになる。となると、神代は3世紀以降まで続いたということなのだろうか。 また、日本書紀によると、雄略天皇は皇后に蚕を飼うことを奨励するように促したとある。日本で養蚕が本格的に行なわれるようになったのは5世紀のことである。神代で蚕を飼っていたということは、神代は 5世紀ころまで続いたということなのだろうか。 また、古事記の五穀の起源の条には「オホゲツヒメノ神の頭からは蚕が生まれ、目からは稲の種が生まれ、耳からは粟が生まれ、鼻からは小豆が生まれた。陰部に麦が生まれ、尻に大豆が生まれた。これが五穀 の種となった」とある。これはまさに農耕時代のはじまりの物語である。 古事記の神代の記述には弥生時代の文物がいくつも登場する。八俣のおろちの退治の段で は酒船に酒を満たして大蛇に飲ませ、酔いつぶさせてしまう。酒を醸すのも穀物の栽培があってはじめてできることである。古事記では一方、応神天皇の時に 「酒を醸むことを知れる人、名は仁番(にほ)またの名は須須許理(すすこり)が渡来した」とある。日本で酒を醸すようになったのも4~5世紀以降であろ う。 古事記には、「八百万の神が集まって相談し、天の金山の鉄を採って鏡を作らせた」ともある。また、須佐之男命が大蛇を退治する話には、「スサノオノ命は十拳剣(とつか つるぎ)を抜いて、その蛇(おろち)を切り散らした。すると、蛇の体のなかから草薙の太刀が出てきた」とある。鉄もまた弥生時代にもたらされたものであ る。 これらを総合すると、日本の神代とは石器時代のことでも、縄文時代のことでもなく、弥生時代のことであるということになる。古事記・日本書紀が描く神代は、米が作ら れ、酒が醸され、蚕から生糸が取られ、鉄から鏡や刀が作られた時代として思い描かれている。神代とは弥生時代を舞台に神話作家の心に描かれた時代である。 |
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